隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

悪魔のささやきA whisper of the Devil  

2007-02-21 06:50:59 | Weblog
悪魔のささやきA whisper of the Devil  平成丁亥年如月二十一日

先月、性癖から国の行動を見ようとした。S君から去年より読むと面白いと薦められていた本に「悪魔のささやき加賀乙彦 集英社新書がある。
加賀乙彦氏は、犯罪者を観察するうち、「魔がさしたというような現象が人間には確かに起こりうる。 近年ますます悪魔のささやきが強まってきていると感じている。最近の日本人の意識は悪魔がささやくという現象が起こりやすい状況だ」としている。
最近、納豆の捏造事件があった。事実を確かめもせず、データを捏造して、発表してしまう。視聴率かせぎの結果ではあるが、恐ろしいことだ。大本営発表である。しかし、それを又、国民の一部ではあったが、パーと大騒ぎで殺到してしまった。
重大な事では、イラクの大量破壊兵器の存在の問題である。侵攻してしまってから、無かったことになり、引っ込みがつかなくなってしまっている。犠牲者は堪らない。「大いなる過ち」と言っている人もいる。
加賀氏は、日本という国の未来そして非常に大きなテーマは、「いかに悪魔のささやきを避けるか」であるとして分析をしている。
氏の根底には、「時代の風で思想が変わってしまうことが恐ろしい」としているのではないかと思われます。彼には青春を戦争で明け暮れた体験があったと思います。私は戦争を知らない世代です。氏は言う、「国民の自発的協力心をかきたて、国のため、天皇のために命を落とすことに疑いを抱かせないよう政府が作り上げたマインド・コントロール・システムの精緻さはすさまじいものがあった。たとえば『挙国一致、尽忠報国、堅忍持久』の3つの目標を揚げた国民精神総動員運動。思想統制や憲兵やビンタや非国民という非難があった」という。ところが、敗戦と同時に「鬼畜米英、撃ちてしやまん。一億総玉砕!と声をからしていた大人たちの変わりように愕然とした」という。玉音放送の2週間後には「これからの日本は民主主義の国だ。自由だ。人権だ」と話し出した。その変わり身の速さ!一億国民があっという間に軍国主義者から平和主義者に変わった。人間の思想や国家のイディオロギーというのは、なんて脆いものなのかという驚きは今もずっと続いてると言う。
本質は変わっていない。かつて日本人のなかに軍国主義という思想がパーツと入り込んだように、今度はアメリカ型民主主義というものが入っただけ。
60年前に加賀氏は感じて、時代の風になびいて今度はどのようなものが入り込むのか心配だとしている。 その心配が当たった事例に私はいた。
 民主主義のなかで生まれ育った団塊の世代による学園闘争の嵐である。
当時、赤い「毛沢東語録」を手にしていた仲間もいた。あれよ、あれよという間に、一握りの民青、社青同、革マルなどの活動家がクラスの代表となり、自治会の投票で、ストが成立した。教授を大学の管理体制の一環として、学生との団体交渉がなされたが、決裂したのを記憶している。クラスの代表は活動家ではなかったが、ストの疑問を発表してぶつける事ができなかったようだ。他の代表は自殺したのを聞いた。機動隊導入で幹部の大半が逮捕され弱体化した。
そこで、総長代行が収拾に乗り出した途端、潮が引くように平静になってしまった。何なんだったのだろう。今から思うと、学費値上げは後輩のため、学生会館の管理運営をどうするかも、鍵の管理ということだけで考えれば済んだと思うが、もっと自由にまかせろとなっていたように思うが、当時はムードとして「ストありき」という悪魔のささやきが先行していた。もう30数年も前だ。その後、浅間山荘事件、三島由紀夫市谷突入事件とあったが、あっという間に学園が平静になり、企業戦士として、エネルギーを高度経済成長の歯車に向けたことは間違いない。
NHKのプロジェクトXの縁の下を支えたと思います。

 日本人は極端から極端に走り易いということはこの体験でもいえる。

では今はどうだろう?
私達団塊の世代が経済成長の戦士として欧米に追いつけ、追い越せでやってきて、オウム事件を経た。そしてここ2,3年拝金主義のIT企業がのびて、一部崩壊した。 働く方向性や目的も見失ってぼんやりする時代がここ続いてる。
 今、団塊や60歳以上の方の子供たち(3,40代)が頑張る時代だ。
彼らに「いかに悪魔のささやきから避けてもらうか」である。
加賀氏はいくつか方法を挙げておられるが、

『自分の頭で考える習慣をつけること』を挙げておられる。

大事なのはなんとなく流されて行動するのをやめて、自分の頭で考え、自分で選択して行動することなのだ。考える主体は常に「私」でなければならない。そして、哲学者鶴見俊輔氏の言葉「状況にのまれず、自分を引き離して自覚的に自分の生き方を選択する。大切なのはイディオロギーでなく、人生への『態度』だ。」と引用されている。
 悪魔にささやかれても、動じない自分を作り、生きていきたく思った次第です。
お読み下され、感謝致します。 

生きて候(改訂2/15)   Still Alive            

2007-02-14 20:28:34 | Weblog
生きて候   Still Alive            平成丁亥年如月十五日

もはや2月の半ば、水泳仲間のNさんより、朝鮮についてなら読むと良いと薦められたのが、「生きて候」安部龍太郎(上下)である。倉橋長五郎政重の武辺に生き、義に殉じた波瀾万丈の半生を描いてあった。藤沢周平作品以来の久しぶりの時代小説で、槍の名手である政重の立ち回りと、ぶれない生き様に感動した。 実在の人物だけに、その行動や言葉に重みがあり、歌を嗜んでいたという資料があるのだろうか、随所に出てきた。
最初から、養父倉橋長右衛門の臨終の言葉『命というものは父母から授かった宝じゃ。その宝を美しく使い切ることこそ、孝道の第一と知れ。生き急いでも、死に急いでもならぬ。』に圧倒された。
『人は利欲に走ってはならぬ。見事に生き、惜しまれて死ね。』と政重は親父から学んだ。
時は慶長の役(1597)。加藤清正の朝鮮から送られてきた「手柄の証」である朝鮮の人の生首と女や子供の鼻の山積の話には驚いた。
何と鼻の数が戦功の基準であったのである。秀吉は塩漬けにされた鼻樽を京都市方広寺西方400mに鼻塚として埋め、「慈悲」の心をもって弔うとして虚構の供養をしたのである。今は耳塚と呼ばれている。
朝鮮攻めは如何に凄惨な戦いであったかである、大量殺戮であった。
中学校の「新しい社会歴史」(東京書籍)教科書には載せてある。
現在、九州の有田・薩摩焼の陶工には侵攻した大名が連れ帰った朝鮮の陶工の末裔がみえる。すばらしい技術を伝えてくれたわけである。司馬遼太郎「故郷忘じがたく候」に詳しい。
有田町には「陶祖李参平(とうそイサンピョン)をたたえる石碑」が建てられているという。有田焼のルーツですね。
 だが、歴史問題である。
「地を叩きて慟哭す。豊公の大義、いずこにかあらんや。」と政重は残している。

では、なぜ文禄・慶長の役はおこなわれたのか?であるが、政重の実父本多佐渡守正信に安部氏は言わせている。
正信:「何ゆえ義がないと見た」
政重:「罪もない人々から食糧を奪い、手柄の証とするために女子供の鼻まで削ぎ取っております」
  「私はこのような戦はやめるべきだと思いますが、佐渡守どのはどうお考えですか」
正信:「わしもやめるべきだと思うが、太閤殿下にはもはや十四万もの大軍を呼び戻すことはできまい」
・ ・・・・・
政重:「何ゆえ平安をもたらすことができないのですか」
正信:「秀吉公は関白となられ、帝の権威を後ろ盾とした政治を行われた。惣無事令も刀狩りも勅命によって行う形をとられた。これで国内の統一を果たすことはできたものの、各大名には帝の権威を私しているという不満が根強く残った。秀吉公が朝鮮出兵を行われたのは、その不満をそらすためなのだ。これでは豊臣家の天下がつづく限り戦は終らぬ」 
政重:「では、どんな政治なら終わりますか」
正信:「源頼朝公のように幕府を開いて武家政権を作ることだ。それは我らの殿しか出来ぬ」
 正信は確信を持って断言した。

秀吉は兵糧は現地で調達せよと命じているが、それを察知した朝鮮側が兵糧米を一粒残さず隠したため、ひどい惨状が繰り広げられた。
これは「朝鮮王朝宣祖実録」や「朝鮮日々記」などから描かれており、大変な労作である。 加藤清正らの武功は虎狩りで有名であるが、実録では恐ろしい蛮行であった。 朝鮮へ渡った熱血漢の政重は清正の愚行を責めた。「義を見てせざるは、勇無きなり。(論語)」である。すごい働きで全軍を撤退させるのであった。
このようにひどいことをして、領地獲得してもだめであったろう。豊臣家の滅亡が早まったといえる。
日本に戻って、前田家から家老にと誘われるが、政重の武士の一分である「徳川どのに戦いを挑み、武辺者の意地をまっとうしたい。」と宇喜多秀家の新座衆として関が原の戦いに臨むのであった。
徳川家康もびっくりの攻めっぷり、石田三成を助けた。
一介の武辺者としての目は確かである。
政重は武(戦)より政(まつりごと)を考えた。関が原の合戦がさも天下の大事のように言い立てているのは武士ばかりで、民百姓にとっては権力を握る者たちの私利私欲をかけた戦いに過ぎなかったのだ。政とは大多数の者たちの暮らしを健やかならしめることだ。
 このように安部氏は書いている。
その後、前田家の家老として金沢や薩摩へと戦い抜くが、上杉家の養子となり上杉藩を立て直し、妻が他界したのを機に、再び前田家に仕えた。
 太閤検地のことや豊臣家の立場を朝廷との関係で説明しているので、勉強の資料になった。
倉橋長衛門や前田利家本多正信の遺訓は我々の生きる姿勢を教える。
弟子の竹蔵は何と剣豪宮本武蔵となって大成していた。これもびっくりです。
 政重は筆をとった 
「花ありて 熱き時代は過ぎにけり
        ただゆくりなく生きて候」
 『己の命を使い切れ』とは大変な言葉だ。
 金沢市に「藩老本多蔵品館」がある。近江町市場も良いが、ここも訪れてみたいものです。それに「ひがし茶屋街」へ行って、《押しずし》を食べてみたい。

お読み下され、感謝します。











通訳  interpretation

2007-02-07 15:09:22 | Weblog
通訳  interpretation      平成丁亥年如月七日

私が通う英会話教室のKさんは、ボランティアとして、「長良川鵜飼の外国人観光客」に通訳として、立派に働いてみえる。 その体験を通じて、勉強させてもらっている。異文化交流の現場は大変である。どんなことでも尋ねられたら答えられなければならない。したがって、古今東西の歴史、地理、政治経済などに精通するために、勉強してみえる。 頭の下がる思いです。

その通訳に関して。 先月ブログに取り上げた「ザ・ぺニンシュラ・クエスチョン 朝鮮半島第二次核危機」の中で船橋氏は平壌宣言の成立における外交交渉過程を取材していた。
平壌宣言の第2項である。 日本側が「過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明した」ことを記している。 日本は朝鮮半島に対しては重く暗い歴史を背負っている。日韓基本条約では、それに対する責任と反省の言葉が十分に表現されていなかった。それは後々まで韓国の人々の心のしこりとなって残った。この点、平壌宣言は、明確に表記した。その表現は、戦後50年に当たった1995年の「内閣総理大臣談話」所謂村山談話を踏襲している。この談話では、「日本のアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」した。「お詫び」は北朝鮮側がもっともこだわったところだった。

と、このように書いてあるが、去年8月私のブログ「備忘録」として取り上げた、朱鎔基首相は「日本は正式に謝罪をしていません。」と、言っている問題点とまさに一致する。
 
 本書はさらに、日本側は、「お詫び」の必要性は認めていた。ただ、「お詫び」の対象を「朝鮮の人々」とすることを主張した。それは、北朝鮮政府への「お詫び」ではない。
 北朝鮮側は、日本語の「お詫び」を朝鮮語で「謝罪」と訳した。
「お詫び」と「謝罪」は異なる。
「謝罪」は一般に、法的責任を伴う重い表現と見なされる。それは単に翻訳技術的な事柄ではなく、鋭く政治性を帯びる問題である。しかし、日本側は、それにあえて異を唱えなかった。 ここでの朝鮮語の「謝罪」は「法的効果をもたらす意味において使われているわけではない」。平壌宣言では、北朝鮮側は正常化、さらには和解に向けて、「補償という概念、方式ではなく、財産請求権の相互放棄と経済協力の方式を受け入れている」と日本側は判断した。しかし、北朝鮮はどういう判断だったんだろう?分からないし、曖昧さが残る。
 北朝鮮に対してこのように文書で「お詫び」を記すことに対して、日本政府内部に反発があった。 海老原紳条約局長は「日本政府はこれまで2国間で特定の国に文書で謝ったのは韓国に対してだけである。 韓国とは未来志向の新たな関係をつくるということでお詫びを文書に入れたが、北朝鮮はそれに値する国なのか。」「平壌宣言の表現が村山談話と同じだからいいではないかという話ではない。」と、問いつめたが、田中均外務省アジア大洋州局長は、「総理の了承を取ってある」と退けた。 やはり「中国には謝ってなかった」ことが分かった。
 この点は、元外相高村正彦氏も小泉訪朝後、説明に訪れた田中氏に質したところである。
高村氏は 「平壌宣言は全体として支持するが、謝罪のところだけは賛成できない。なぜ、北朝鮮に文書で謝罪したのか、日本はそれをまだ中国にはしていないのに」と尋ねた。
 田中氏は「中国とは戦争だったが、朝鮮半島は植民地にした」と答えたが、高村氏は「そうではない。日本が韓国に文書で謝罪したのは、金大中がそれを文書にしてくれれば、韓国側は歴史問題を2度と持ち出さない、未来志向で行くと約束したからだ。江沢民はそのような約束をしなかった。だから、中国とはしなかったのだ」と反論している。
 ここで常々おかしいなと思っていた『日本は謝罪しているのに、中国はしていないと言っている。』ことへの答えが出ている。日本政府は一貫して、法的責任のない「お詫び」という言葉で、しかも対象は「朝鮮の人々」や「アジアの人々」という言葉で、朝鮮語で「謝罪」と訳されても、法的責任なしと押し切ってきたわけである。中国に対しては高村氏が言っているように「正式な文書で謝罪はしていない」のであった。
 「フラット化する世界」でトーマス・フリードマン氏が「日本は謝罪していない」と言っていたわけがよく分かった。 何という外交姿勢だろう? 小泉氏の靖国神社参拝どころでない歴史問題だ。小泉氏が揮毫したのは『忠恕』だった。それは「真心と思いやり」だそうな。日本政府は日中戦争を正しい戦争だったとして、日中国交したのであろうか?
念のため、1972年日中共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」となっている。これで謝罪といわれる表現にならないのかな? 謝罪と言う言葉は確かに無い。
 幸い日中間の学者が歴史叙述を協議しているところだ。2008年に纏めが出るそうな。
 北朝鮮は、その見返りに、拉致に対する「謝罪」を宣言では記さず、「再発防止措置」だけで押し通したこととなった。 だから、今「拉致」を叫んでも「解決済み」と言われるだけであろう。 6カ国協議で何とかと思っても、ヒル次官補は「次回にしよう。日朝2国間交渉でやってください」と言っている。 外交交渉は難しい。
 本書では、もう1箇所取り上げている。
2003年北朝鮮NPT脱退国際原子力機関が北朝鮮核問題の国連安保理付託を決議した。第2次北朝鮮核危機の時の米朝交渉。
 姜錫柱の発言は、北朝鮮側の通訳の崔善姫(チェ・ソンヒ)が英語に訳した。
 ケリーの発言は、米国の通訳のトン・キムが朝鮮語に訳した。
北朝鮮は、10月25日の声明後、自分たちは「核を持つ権利」について発言したのであり、「核をもっている」といったわけではないとの立場を取った。米側はそれを知っていて、わざと誤解、曲解した、と非難した。
 ケリーとの会談の中で、姜錫柱は「ある」「持っている」とは明言しなかったが、「ない」「持ってない」とも明言しなかった。
交渉で英語に訳すとright to possess(持つ権利がある) ともcome to possess(持つに至った)とも、どちらにも訳せるように初めから仕掛けられていた公算が強い。
 このように外交交渉は難しい。
「連中は言葉をこね回す達人だから、われわれはいつも3通りの翻訳を迫られ、さらにもう一人がそれを確かめるという按配だった。そうやって確かめた結果は、『もっているよ、それでどうなの』だった。そのことは疑問の余地がない」とパウエル氏は振り返る。
 通訳の人は大変だ、守秘義務もあるだろうし。
2月8日6カ国協議が再会される。言葉だけが飛び交う協議ではなにもならない。話した、合意したけど、後で謝罪はなかった、このように判断してサインしたと言われても、付けは必ず平成生まれの子供たちに行く。麻生外相も人を幼稚という前に、人権侵害の拉致をテーブルに着かせる智恵を出してもらいたい。微妙な言い回しは通訳泣かせ、国民泣かせになると思います。
お読み下され、感謝致します。




核兵器廃絶The abolition of nuclear weapons

2007-02-03 23:01:21 | Weblog
核兵器廃絶The abolition of nuclear weapons 平成丁亥年如月三日

水泳の人生の先輩Nさんから、友人の元村会議長Wさんより新年のはがきが来たと言って、送ってくださいました。 Wさんは先ごろ市町村合併した静岡県菊川市におられ、その市では、「核兵器廃絶に向かって行動しよう」ということで、平成18年9月議会で菊川市
平和都市宣言が決議された。 その宣言は以下の通りです。
 
 わが国は、核兵器による世界唯一の被爆国として、その惨禍を身をもって体験したところであり、核兵器の全面禁止・廃絶こそは、人類共通の切実な願いである。

 しかるに、核兵器は増強されつづけ、地球上には人類を絶滅させるほどの大量の核兵器が蓄積・配備され、今や全人類の生存を脅かすに至り、核兵器の全面禁止・廃絶こそが、全人類にとって最も重要かつ緊急の課題となった。

 菊川市は、憲法の基本理念である恒久平和を確保するため、政府によって非核3原則が遵守され、また、すべての国の核兵器の全面禁止・廃絶が、緊急に推進されることを強く要求し、ここに核兵器廃絶平和都市であることを宣言する。

  以上、決議する。
   平成18年9月27日  静岡県菊川市議会

 さらに続けて、現在の世界情勢は核兵器廃絶とは反対の方向で、核兵器の拡散という憂慮すべき状況で有ります。 このままでは人類の長い歴史の中で僅か五十年か百年の内に自ら開発した核兵器により、自らが滅亡の道を辿る心配が考えられます。
我国は世界唯一の被爆国として、日本国政府は国連決議にそって、世界唯一の核兵器使用国を始め総ての核兵器保有国に対して核兵器の廃棄を強力に求めるべきで有ります。
 私達国民も、広島、長崎の原爆によって非戦闘員を含めて、一度に多くの犠牲者を出し、未だに原爆症で苦しんで居る人々がいる事を戦争を知ら無い世代の人達にこの悲惨な
事実を後世に永く伝えて行く事が大切であります。又自分たちの代表の国会議員に核廃絶が最重要課題で有る事を訴え運動をして頂く事を求め、尚私達も総ての国の核兵器を無くする為には生活に不便が生じても頑張りぬく覚悟をもって進む事が大切です。
 私は1930年生まれで小学校1年の時日中戦争が勃発し、中学3年の年に太平洋戦争が敗戦となりました。戦争によって肉親を失った多くの人達の悲しみや長い間の苦しみを思い再度戦争をおこしてはならない事と核兵器の廃絶を常に希求しています。
 本年が平和で皆様の安全が確保され、ご健康でご多幸で有ります事を祈念申し上げます。
  美しき国探しあぐねて年が明け  K.I.
   (美国とはアメリカのことと覚えたり)
  教育も九条けがす美国づら    I.N.

以上のように、川柳も添えて将来を憂いてみえる。
 
 合併した市町村がこのような宣言を行っている。
如何に安倍首相の結党以来の憲法改正のアピールが強いか。
戦争を知らない世代の私と立場は違うけれど、憂えるココロは同じです。

 アメリカも核拡散は反対であるが、核廃絶までは踏み込んでいないと思います。
しかし、昨今、アメリカがどうもおかしい動きである。米北朝2国間で肝心なことを決めて6カ国協議入りである。 麻生外務大臣は先を読んで、「もう一回アメリカが騙されるとみっともないことになる。」と微妙な発言をしている。また蚊帳の外の日本はどうしたらよいのだろう? 参議院選挙まで宿題だらけだ。

お読み下され、感謝致します。