隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

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陵墓 Imperial mausoleums

2012-08-09 22:11:10 | Weblog
仁徳天皇陵

陵墓 Imperial mausoleums   平成壬辰廿四年葉月九日

 天皇、皇后両陛下と皇太子さまは7月18日、明治天皇の崩御から100年に当たる7月30日に行われる明治天皇百年祭を前に、東京都渋谷区の明治神宮を参拝された。
 陛下はモーニング姿で神職の先導を受け、本殿に拝礼された。続いて、皇后さまと皇太子さまがそれぞれ拝礼された。明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭っている。
大葬の儀の日に後追い自殺した乃木夫妻も丁度没後100年を迎える。
 念のため、明治天皇の陵墓は京都市伏見区桃山町 伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)にある。めったにニュースにもならないが、今上天皇は毎年お参りをされているのであろうか。
天智陵に上円下方墳で築造するという宮内庁の文書から、天皇を象徴する墳形に根本的な誤謬と錯誤を見つけた矢澤高太郎氏は「天皇陵の謎」を去年出した。
文化財担当記者として23年にわたり国内外の遺構、遺産の発掘、発見を報道してこられ大変な労作である。
それによると、宮内庁書陵部紀要に天智天皇山科陵は上円下方墳でなく「八角形」と記されていた。上八角下方墳に直さねばならないのに、大正天皇の多摩陵は「皇室陵墓令」が公布され、上円下方墳で築造され、昭和天皇陵は先例によって武蔵野陵(八王子市)が、
上円下方墳で築造された。宮内庁自身、自分の処で記されているのにもかかわらず、検討もなく間違ったままである。何という役所であろう。

先月、NHK特集「知られざる大英博物館」が放映された。日本部門であった。大英博物館といえばエジプトのツタンカーメンが有名であるが、120年前、イギリス人ウイリアム・ガーランド氏が、16年間400以上の古墳を調査し、貴重な写真や結果を古墳コレクションとして持ち帰っていた。その数1000点。  日本に残されていれば、朽ち果てていたかもしれない出土品が、大英博物館に寄贈され、整理・保存されていた。
日本の古墳まで収蔵されていたとは驚きであった。
1991年平成3年に「天皇の墓」だという丸山古墳の墳丘が雨で崩れ、石室への入口がぽっかりと姿を現したという。石室内部は専門家だけでなくマスコミにも公開され、宮内庁も丸山古墳の詳細な測量を行ったという。2011年2月、日本とイギリスの合同調査団が結成され、5年がかりの調査が始まった。 間違いなく石室は墳丘の中央から大き くずれており、レーザー光線を使用して、約22mはずれていたという。ガウラントの測量が正しかったことになった。巨大古墳は日本の従来の伝説から大きくかけ離れたものだった。それは、日本人の「巨石信仰」の存在を推測させるものだ。
丸山古墳は現在、宮内庁によって内部への立ち入りが禁止されている。

「大前方後円墳、第16代仁徳天皇陵」を筆頭に陵墓は日本には896も存在するという。
それらのすべては宮内庁の管理下にあり、「禁断の聖域」としていっさいの立ち入りは厳禁の処置が取られている。「仁徳天皇陵」は47万8600平方メートル平面積で、エジプトのクフ王のピラミッドを上回り、中国・秦の始皇帝陵に迫る世界最大級の墳墓である。
その他に応神天皇陵など前方後円墳を数え上げたらきりがない位、特定の地域に原形をとどめて連なっているのだ。古墳は「日本の国家はいつ、どのようにして 成立したのか」という古代史上最大の謎と不可分の関係にある。
 

若い世代、特に平成生まれの若者にとって、中学でちょっとかすっただけであるから、忘れさられているだろう。完全に『聖域』の名のもとに、秘密のベールに閉ざされた状態で、幕末、明治の世から現代に至っている。
 日本は自国の誕生の歴史が曖昧模糊とした、世界でも稀有な国だ。
古墳は当時の政治状況と権力構造が直接的に具現されたものだろう。前方後円墳を考えても、明らかに大和政権の象徴である。
 
 びっくりな話であるが、初代の神武天皇から第9代の開化天皇までの九人の天皇は現在の歴史学、考古学では全く実在が否定されているが、幕末に徳川幕府が対朝廷政策の一環として新造、整備したものが現代まで踏襲されているという。
以前にも書きましたが、江戸時代、秀忠と家光が、1626年寛永3年二条城を拡張し、後水尾天皇の二条城行幸を仰いだことから、「山稜」の捜索と修陵は、元禄、享保、幕末の安政と文久年間の4回おこなわれているという。
矢澤氏は天皇親政による近代国家の建設という明治政府の基本政策は、さまざまな問題があるものの、現代の平和と繁栄はその恩恵を基盤として構築されたものであることを否定
できない。 日本の誇りのためとして、一般とは無縁の陵墓古墳という壮大な文化財を国民に見せ、自らの歴史と文化に、自信と誇りを持つ場とすることに主眼がおかれなければならないといっている。

イギリス人ウイリアム・ゴーランドは「日本のドルメン(巨大石墳墓)時代の特徴は、その始めから終わりまで、高度の文明と文化を有した点にあり、およそ野蛮とはかけはなれたものだった。」と「日本のドルメンとその築造者たち」に記している。
最後に矢澤氏は、ゴーランドは古墳の中に、世界に誇る日本の文化と歴史と美の神髄を見てとった。イギリスを代表する知識人をそこまで感動せしめた無数の文化遺産を「皇室の祭祀の場」という理由だけで、密閉してしまっていいはずはない。紛れもなく、天皇陵古墳はわが国の古代文化遺産の最高峰である。それを国民が体感することもできないような、宮内庁による現在の異常な管理が続く限り、日本の歴史における天皇と皇后の真の意味も、永久に理解されることはないだろうと締めくくっています。
お読み下され、感謝致します。
「天皇陵の謎」矢澤高太郎著 文春新書