隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

窓辺At the window

2014-10-23 22:14:17 | Weblog
窓辺

窓辺At the window    平成甲午廿六年神無月廿三日

コンテストとなると30号でないと入賞からはずされてしまう。
いやな基準だ。これは、断っていかなければならない。
自分の作品でないから、せめてブログに載せて、皆様のためになるのであれば、
描いた本人もウツにはならないだろう。この20号がちょうどいいみたいな
気がしますね。
この花は駿河蘭という東洋蘭で、30年ごろ前、阪神百貨店の展示会で求めて育ててきた。
「ほめ言葉をもらえば、それだけで 二か月間、幸せに生きられる」マークトゥエーンの言葉
だそうだ。最近買い求めた「モタさんの“言葉”」にあった。
「50%満足できればいいと腹を決めてしまおう。ずっとラクになる。」

5年も前、東京の社長さんS君よりの言葉がある。
「佐藤君は原因はストレスと書いておられましたが、私は如何にしてストレスを持たない生活をするかを考えています。その基本は現実を現実として受け止め、現実に対して自分の願望を入れないことです。願望を入れると現実とのギャップが出て、それが心を苦しめるストレスになります。なるべく感情で考えないで、何が得で何が損かとは考えず、<何が正しくて、何が間違っているかで考える>ようにしています。そうすると現実が総てを決めて自分の願望、損得が入りませんのでストレスやフラストレーションが溜まらないのです。不健康の多くの部分は精神的なものから来ています。」

有難い言葉を戴いてやってきております。
皆さまも元気で行きましょう。

お読み下され、感謝致します。




The New Colossus 新しい巨像

2014-10-16 20:43:08 | Weblog
酔芙蓉
The New Colossus(1883)新しい巨像   平成甲午廿六年神無月十六日

自由の女神のことである。
「自由の女神」は1886年 アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから友好の証として贈られました。高さ48.05メートル、重さ225トン。右手にはタイマツ、左手には独立宣言書を持っており、ローマ数字で「1776年7月4日」(アメリカ独立宣言の日)と書かれています。左足は一歩踏み出され「鎖」を踏みちぎっています。良く見ると力を入れる為に体をよじっている事が分かります。王冠には7つのとげがあり、「世界に自由が広まる」という意味を込めて世界の海と大陸を表しています。
台座部分の内部はアメリカの移民の歴史について展示する博物館になっており、エマ・ラザラス (Emma Lazarusユダヤ系アメリカ人) が書いた「新しい巨像 (The New Colossus)」という題の14行詩を浮き彫りにしたブロンズ製銘板が設置されている。1883年バルトルディというフランスの彫刻家の助けのもと出来あがっている。
英文ですが、載せます。

Not like the brazen giant of Greek fame,  
With conquering limbs astride from land to land;
Here at our sea-washed, sunset gates shall stand
A mighty woman with a torch, whose flame
Is the imprisoned lightning, and her name
Mother of Exiles. From her beacon-hand
Glows world-wide welcome; her mild eyes command
The air-bridged harbor that twin cities frame.
"Keep, ancient lands, your storied pomp!" cries she
With silent lips. "Give me your tired, your poor,
Your huddled masses yearning to breathe free,
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these, the homeless, tempest-tossed to me,
I lift my lamp beside the golden door!"

 最後の5行だけ訳を載せます。
「疲れし者、貧しき者を我に与えよ。自由の空気を吸わんと熱望する人たちよ・・。
身を寄せ合う哀れな人たちよ。住む家なく、嵐にもまれし者を我に送りたまえ。
我は、黄金の扉にて灯を揚げん」(アメリカ合衆国国務省国際情報プログラム室「第1章多民族の国、アメリカ」より)

お読み下され、感謝致します。

鼎談Three-cornered talk 

2014-10-09 23:31:20 | Weblog

鼎談Three-cornered talk 平成甲午廿六年神無月九日

先日(10月5日)は、恒例となった「こころの好縁会」鼎談に参加してきた。
共催は中日新聞社と大興寺さんで、今回は、聖学院大学学長、東大名誉教授の姜(かん)尚(さん)中(じゅん)先生・芥川賞作家、福聚(じゅ)寺住職の玄(げん)侑(ゆう)宗久先生・中日新聞社社長の小出宣(のぶ)昭(あき)氏であった。
耳に留まったことのみ抜き書きすると、
玄侑先生; 近代文明は、どこまでいくのか。直観力を強化し、東洋的な生き方である禅の免許皆伝すると20代の若い人でも老師と呼ぶ。なぜ「老」なのか。中国酒に「老酒」があり、長年継続してきた酒のことである。老師とは何かを喪失した体験を人で、ユングでさえ、盛りは40歳だったという。自然の考え方も自ら然(しかり)よろしいとする。そのままにしていくとかんがえる。
「サトリという鳥をつかまえてこい」と言われることがあるが、無心になっている状態をいうのではないか。鈴木大拙老師は「無意識を意識化する」無心であり活発化することだといっている。習熟し、無意識でも動けるよう、忘れる「忘(ぼう)筌(せん)」と同じかな。
 姜先生; 文明はどこまでいくのか。ブレーキがない。「草枕」に書いてある。「現代の文明は此のあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。おさき真闇に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。」と。汽車に乗ると危険だ。どこに連れて行かれるか分からない。草枕の最後のシーンは満州に出兵する久一さんの見送る場面で画になると漱石は終えている。
 桃源郷2で「草枕」を取り上げたが、姜先生は桃源郷には触れられなかった。
「腰ぬけ愛国談義」で、宮崎駿氏と半藤一利氏が「草枕は廿世紀最高傑作」と言っているから、先生の著作を読めば色々勉強になるだろう。虞美人草は悲劇だそうな。
 
 20年前は、何でも「国際化」を付ければ良かった。「グローバリゼション」という語は1990年から使われだした。今問題になっている「イスラム国」はグローバル化の鬼子
(おにご)だという。どんなのを信じているのか、境界をつくり直すのか とにかく誕生してしまった。神々の復讐だとも言われる。躁鬱の「不安から逃れられない」、分からないまま毎日を送る悲劇だ。姜氏は1950年生まれの64歳で、団塊の世代ですが、今「年金食い逃げ世代」とも言われているらしい。玄侑老師は1956年生まれの58歳で、私は小出氏の70歳よりは若いとしていきます。これから1%に入る方々ですから、どこに行こうともよいでしょうが、資産格差が激しくなり、生まれた家で決まってしまう世の中になるという。フランスは失業が多く、イギリスは集団的自衛権を恐れている。
3人とも、イブン・ハルドゥーンの歴史哲学(遊牧民と定住民との関係を軸に国家・文明の興亡を説く)に注目。 やはり、イスラエルが遊牧の民=世界を越境し続ける交易の民だったのに、国家という定住民になろうとしたから、複雑な話になった。
都市化が文明の病をつくっているという。

 そこで、3人は共にイスラムの問題で日本のとるべき立場は、『中立たれ』と結論を出していた。カナダにいる元英会話講師Dさんに聞いてみた。
Do you think we Japanese should stay neutral ?
Dさんの返事
「Agreed. Canada is sending fighter jets too. Looks like long lasting conflict!」

お読み下され、感謝致します。

オータム・コンサートAutumn Concert

2014-10-07 07:58:05 | Weblog

BigbandSJC 岐阜国際会議場にて

オータム・コンサートAutumn Concert  平成甲午廿六年神無月六日

今夜(10/4)は、久しぶりのジャズコンサートである。
ガイドしてからの交流も、もう4年になるオーストラリア夫妻からの招待である。
トランぺッターの友人から切符をもらえたといっていたが、有難いことだ。
 ボーカルのいとうけい子さん
なかなか聞かせますね。
 
ソロの時は前に出て、披露する。
メンバーは20代から最高は70代まで幅の広いこと。
聞いていても安心感があった。
何といっても、圧巻は、ドラムソロであった。しびれましたね。
LibertangoとA Night in TunisiaとStar Dustなども良かった。
総勢24名と聞いた。
駐車場には苦労したけど、大満足であった。

良きひとときでした。
お読み下され、感謝致します。

禅セミナー Zen seminar

2014-10-06 17:21:25 | Weblog

禅セミナー Zen seminar 平成廿六甲午年神無月六日
 
 10月は講演会が続きます。
4日は正眼短大学長 山川宋玄老師 と 南山大学長、ミカエル・カルマノ司祭の対談
でしたが、いきな計らいで、室内楽が始まった。バッハ「G線上のアリア」など耳に気持ち良く、大迫(バイオリン)さんと久野(ピアノ)さんの演奏であった。
 「今日をどう生きるか!!」
 始める前に山川老師は座禅を致しましょうと今腰かけている椅子で姿勢を正しく直し、呼吸を1~10まで数をかぞえ、吐く息に注意して整えましょうとチーンと鳴らされた。続いて撥が鳴らされ始まった。
 老師は今座禅をしたのであるが、自他一体として先般御嶽山で亡くなられた方の追悼にもなったとおっしゃった。正眼寺では毎年御嶽山の3合目にあるという滝で「滝行」を2泊3日行ってみえるという。
 「どう生きるか」というテーマに老師は「碧巌録第27則」雲門うんもん体露たいろ金風きんぷう を提唱された。

 僧、雲門に問う、樹凋み(きしぼみ)葉落つる時如何。
 雲門曰く、体露金風。

 これだけではさっぱり分からない。山川老師は例えを出された。
梶浦逸外老師(83歳)にロスチャイルド家の三男が参禅して、茶を戴いてこの公案を聞いたという。世界の大富豪当時80歳である。答えて曰く、「そんなものは座禅せにゃわからん」
そして座禅を一緒に30分ほどされ、老師は茶を差し上げて問うた。がしかし、良いお顔で「わかりません」と。
 今から紅葉が始まっている。人生の晩年はどうですか?と聞かれて、花ざかりの最高の地位をなした人は、寿命はどうにもならない。
 山川老師は「死して花盛り」「死後も生きる、肉体より永遠、大きな生の世界に帰っていく。」人生は死が終わりではない。仏教では涅槃に入るという。
覚悟が大切で、精一杯生きよう。明日のことは分からない。
 
参考:山田無文老師は体露金風を「秋は五行の上で金であるから、金風は秋風である。日本晴れの碧空の下に、秋風颯々として吹くすがすがしさ、そして見渡す限りの広原には刈り入れを待つばかりの稲穂が黄金の波をうっているような明るさ、彩色あでやかに金泥に秋草を描く襖のような荘厳さ、誠に体露金風の一句は、汲めども尽きぬ詩趣をただよわしているではないか。」と評しています。碧巌物語より。

南山大の学生の多くは南山大がカトリック大学だということを知らずに入ってくるという。カルマノ司祭は、ヨハネによる福音書12章24節『イエス様は言われました。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 それを話した時、イエス様のこの世での最後の夜のことでした。次の日、ご自分が殺されることをイエス様は知っておられました。イエス様は、一粒の麦の道を選ばれました。私たちを愛するゆえに、一粒の麦のように命をお捨てになりました。すべての人のために死んでくださったのです。』
一節を取り上げ、「必ず死で終わる人生は永遠の命の準備だ。自分がいつか必ず死ぬことを忘れてはなりません。今の人生を最終目的地(天国)から考えること」とおっしゃった。
参考:Truly, truly, I say to you, unless a grain of wheat falls into the earth and dies,
it remains alone; but if it dies, it bears much fruit.

今後の仏教界について、山川老師は「何が正しいかどうか、時代によって変わってくる。
今のお寺は30年後1/10になる。願うのでなく、祈ろう。仏壇からお経が、聞こえるようになろう。
「前世」「来世」にどうだという祈祷師ついて、ある話があります。
 ある日、山岡鉄舟は祈祷をしてもらった。 しかし、祈祷師がやっても能力発揮できなかったそうだ。問題は聞く気があるかどうかである。今生きていることに集中が大切ではないか。
1979~35年続いている東西霊性交流のひとコマでした。

お読み下され、感謝致します。