隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

東塔East Pagoda

2014-12-27 08:05:50 | Weblog
東塔 East Pagoda    平成廿六甲午年師走廿七日

I went to Yakushiji Temple in Nara.
Now East Pagoda( Natiomal Treasure) is under rastration. I took pictures on site.
It is 34m high, so the main central pillar is connected by 17+17m .
It’ll be completed until Heisei 31.
We recited Hannya Sutra twice.

先日の薬師寺の続きです。
いよいよ総仕上げの「東塔の修復」が始まった。
礎石

創建当時から唯一現存する木造建築物であり、東塔の高さは34mである。
建物に6枚の屋根が見えるが、三重の塔と呼ばれる。
上から数えた偶数階に雨水風から軒先の木組をまもるために「裳階もこし」と呼ばれる屋根を配している。
塔の上層部には水煙が残され、透かし彫りとなった天人の姿がに舞っており、奈良時代の人々の祈りの心を伝えている。

解体現場では、約1300年の歴史で初めて塔中心部を貫く「心柱(しんばしら)」が基壇から水平に約10m移されている。上下2本の木材で接がれ、17+17mの高さ、直径最大約90センチである。
内部は長年の劣化で大きな空洞があるため、立てたままの状態で新しい木材で補強するという。

修復中となった東塔
     

平成31年修復完成予定である。
無事完成を祈ります。

お読み下され、感謝致します。

薬師寺Yakushiji Temple

2014-12-17 14:19:48 | Weblog


薬師寺Yakushiji Temple 平成甲午廿六年師走十七日

先日成道会の日、巷では真珠湾攻撃の日ですが、まほろばの会について奈良は薬師寺へ行ってきました。薬師寺長老 安田暎胤より 『真理の言葉』を学んだ。
法句経より 「怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。分かち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。」
「落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。このように
かれらは実によく己をまもっている。」
98歳の言葉
「私ね 人から やさしさを貰ったら 貯金をしておくの
 さびしくなった時は それを引き出して 元気になる
 あなたも 今から 積んでおきなさい 年金より いいわよ」

大講堂Large Lecture Hall

A brief History of Yakushiji Temple
The establishment of Yakushiji Temple was planned in 680 by the 40th Emperor Tenmu to pray for the recovery of his ailing consort病の皇后(who succeeded him as Empress Jito).
The temple was built in Fujiwarakyo(today Kashihara City in Nara Prefecture)in 697, in the Hakuho Period.
When the capital was moved to Heijyokyo(today Nara City), the temple followed, and was relocated to Nishinokyo in 718.
Over the years the main part of the original buildings of the temple compound, Kondo(Main Hall), Kodo(lecture Hall), and Saito(West Pagoda) were destroyed by warfire, and natural disasters several times.
Despite such troubles, the public wished to restore these buildings to their original state , and raised funds by copying sutras.
This was called the Sutra Copying and Donation Movement.お写経勧進
Kondo was rebuilt in 1976. Saito in 1981. Chumon(Central Gate) in 1984 and Daikodo
(Large Lecture Hall) in 2003.
Thus the grandeur of the original features is gradually being recovered.

お読み下され、感謝致します。

歴史文化フォーラムHistorical culture Forum

2014-12-13 21:18:50 | Weblog


歴史文化フォーラムHistorical culture Forum

 今日(12月7日)は犬山城白帝文庫主催の講演会でした。
毎年行われてきて10回目となるという。今日は初めての女性講師であった。
題は「歴史の中の女たち」で、諸田玲子(もろたれいこ)先生でした。
最近新聞連載だった「波止場浪漫」が好評で、本が上梓された。
 本人が清水次郎長の末裔であることから出来上がったのであろう。清水次郎長(本名;山本長五郎)女房3代目お蝶の血縁で養女の「山下けん」を中心におりなす人間模様を描いたもの。
 「歴史の中の女たち」に光を当てて描いて来たという。
家系図を見ても、女子としか書いてない図がある。成瀬家系図がそうである。嫁いで妻、室となって
認められたのであろうか。江戸時代から長男が優先の社会であったから、家系図も男尊女卑で書かれた。
徳川家康の妻、築山殿は、怖い女性で評判が悪いが、本当にそうなのか? 淀君のお茶々については、
新史料が出てきているという。やさしくて気が強い。10以上も神社、仏閣を建てている。浅井家の霊を守らなくてはならない一心でしたでしょう。養源院を建てている。
占い師が周りにとりついだのではないかとしている。
 下剋上の世の中でバカなのは女性だが、金庫番もしたという記録があるという。
織田信長の残虐なのは、母親に愛されなかったからとしている。
勝海舟は母より、坂本竜馬は、妹より愛情をかけられた。
「犬吉いぬきち」という小説を紹介した。
元禄15年。生類憐みの令の真っ最中、お犬様のすむ御囲で、お犬様の世話をしている吉。
御囲とは、敷き坪27万坪に犬小屋を建て、10年間で10万匹を飼ったすごい場所のこと。白米を食べ、綿の布団で寝、病気になったら薬も与えられるお犬様。その世話をしながら、雑穀を食べ、筵で眠り、薬を買う金などひっくり返しても出てこない人たち。その歪んだところが、この事件の発端で、読んで下さいとのこと。
「女性を見直し。どこから事件が起きたのかを中心に書いていく。」と言ってみえた。
乞うご期待というところですね。

お読み下され、感謝致します。
追伸;
浅井家ゆかりの養源院 Netより
戦国一、数奇な運命をたどったといわれている浅井三姉妹。
ここ養源院は、三姉妹のうち2人とゆかりのある人物の菩提が弔われている寺院です。
養源院は、文禄3(1594)年に浅井長政の長女・茶々(淀殿)が、父の菩提を弔うために、21回法要の時に夫である豊臣秀吉に願って創建した寺院です。寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられました。
25年後の元和5(1619)年に落雷にあい、寺院は焼失しますが、2代将軍徳川秀忠の正室となった三女・お江(法名:崇源院)によって再興されました。現在の本堂はお江によって再建されたものです。こちらには、創建者の淀殿、再建者のお江の肖像画、そして日本史の教科書でよく目にする豊臣秀頼の肖像画があります。特に、お江はここでしか見ることができません。
10年も前、訪れた。大きなしだれ桜が見事であった。頭の上の血天井にはびっくりし、背筋が伸びた記憶がある。
三十三間堂の直ぐ東だから、修学旅行のコースに挟むくらいのツアーはないのかな。
では。

祝公益財団法人「犬山城白帝文庫」10周年

2014-12-05 23:54:02 | Weblog
 理事長挨拶

祝公益財団法人「犬山城白帝文庫」設立10周年Congraturation! The 10th birthday of public foundation “Inuyama Bai di castle library” 平成甲午廿六年師走五日

その記念講演が先日、行われた。
 注目したのは、明治期の犬山城についてであった。
慶応4ねん(1868)に犬山藩が成立して成瀬氏は晴れて「藩主」となったが、犬山城は他の城とともに維新政府の管轄となり、明治6年には大蔵省管轄の廃棄すべき「廃城」とされた。
  当時日本全国のお城は171もあった。ありがたいことにこの年の公園設置に関する太政官布達を受け、名勝であり、「郡集遊観ノ場所」であるとして、明治8年に犬山城郭とその中の天守と城山の山林が「公園」(稲置公園)として存置されることになった。
 天守閣保存の具体的な経緯は「調書」も他の史料も殆ど語っていない。区長堀野良平氏らの願いに
払い下げが中止され、毀却を免れて、やがて保存となったのかは、確かめる術がないが、松田之利氏は、
「地元民の強い要望の有無にかかわらず、天守閣は払い下げにされずに保存すると決定されたと思っている」と「稲置公園の成立」で述べている。犬山城が近世から「白帝城」の別名を持つ名勝として評価されるべきである。
犬山城区域と天守、立木の保存だけで、櫓や城門などは処分された。瑞泉寺西門などがその一つと言われている。いま全国にあるお城でオリジナルのお城はたった12城しか残っていない。あと全部は廃城となった訳である。明治維新以降、政府は国内を引き締めていく維持費が捻出できなかったわけである。稲置公園管理もお城の入場料は草履の貸出料だったらしい。
明治24年10月28日濃尾大震災が、犬山城を襲った。今言う付け櫓が崩落し、西南の隅も石垣が崩落し、県知事は破却やむなしを県議会に諮問することにした。がしかし、犬山町民らによる募金活動が順調に運び、修復事業費見積額4000円に対して現存する1冊の募金帳には総額1460円余(内600円を成瀬氏が提供)が集まっている。10銭、20銭といった小口の地域住民が、被災2年後だというのに天守修復募金に応じたことは注目に値する。
 明治27年、この募金活動の盛り上がりに時の時任知事は、議会に成瀬氏への有償払い下げを提案したが、議会は「無償譲渡」と修正可決。「稲置公園」は廃止されて成瀬氏に無償譲渡されたのである。
このことは成瀬氏が自由に処分できる私有財産になったというわけではなく、管理責任者が成瀬氏に代わったともいえるものであった。
 第9代正肥から第10代正雄、第11代正勝、第12代正俊と続いて来たが、年間登閣者の減少、ピークには年間62万人あった入城者が、1999年には21万人に落ち込み、犬山市が契約見直しを求めた。なかなかまとまらなかったが、平成13年(2001年)和解が成立。
 和解内容は拝観料から管理事務費を引いた実利益が、成瀬家から書画などの所蔵品の提供を受けて公開する対価として、支払われるというもの。
 正俊氏自身、昭和48年第11代正勝氏の莫大な遺産相続税の支払いに四苦八苦され(「城を売る男」をお読みください)、お身体の事もあり、将来を見据えて、平成16年(2004年)財団法人「犬山城白帝文庫」の設立を決意された。
 ここの経緯は宮田眼科さんが、成瀬家との間を取り持たねばと頑張ったことをパーティ(11月8日)で話された。

ありがたいことに今年、年間50万人に迫る勢いで年末をむかえております。
お城あってのボランティアガイドです。体の続く限り頑張りたいと思っています。
お読み下され、感謝いたします。


無常 Mortality

2014-12-01 08:01:05 | Weblog
冬の薔薇
無常Mortality 平成甲午廿六年師走一日

 このところ何事もつまずきがあり、物事がスムーズにいかない。
中学生に教えること以外は、皆ボランティアだから遅れてもいいが、
1つでも遅れると連鎖があり、優先順位をつけてやっていこうと思う。

昨日は姉の7回忌と義理の兄の3回忌の法要でした。
お寺さんは曹洞宗の智照院であった。
まず参加者全員で「まごころに生きる」を唄った。これは何と南こうせつさんが作詞・作曲である。
♪ほほえみひとつ涙ひとつ
 出逢いも別れも抱きしめて
 生きてる今を愛して行こう♪
御詠歌もよいが、これはこれで良いものだ。
 般若心経、そして次は「修證義」です。道元様の教えですね。
臨済宗では「座禅和讃」を唱和しますが、”世尊妙相具”からはじまる法華経普門品は同じですね。
配られた「無常御和讃」に
 昨日の人は今日はなく
 会えば別るる世のならい
 夜半のあらしに散る花の
 もろきは人の命なり

余興; 甥の子小2K君が、親の好きなクイズを出してくれた。
   『「ん」から始まる世界遺産の名前は何と言いますか?
     ヒントはアフリカにあります。』
   誰も答えれなかった。
    答え「タンザニア連合共和国 ・ ンゴロンゴロ保全地域 - (1979年・2010年、複合遺産) です。

タンザニア連合共和国

・ンゴロンゴロ保全地域 - (1979年・2010年、複合遺産)
・キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群 - (1981年、文化遺産)
・セレンゲティ国立公園 - (1981年、自然遺産)
・セルース猟獣保護区 - (1982年、自然遺産)
・キリマンジャロ国立公園 - (1987年、自然遺産)
・ザンジバル島のストーン・タウン - (2000年、文化遺産)
・コンドアの岩絵遺跡群 - (2006年、文化遺産)

世界最大の“自然の動物園”自然遺産
スワヒリ語で「巨大な穴」を意味するンゴロンゴロ。面積は8,288キロ平方メートル、東西19km、南北16km、におよぶ、崖に囲まれた火山のカルデラの中には、森林や湖、草原などの多様な自然があり、多くの種類の野生動物たちの棲家になっている。また、絶滅寸前の野生動物たちの貴重な保護区ともなっている。外輪が山に囲まれていることによってクレーター内は乾季の影響を受けず、年間を通して水と緑に恵まれ、周囲からは閉ざされたクレーター状になっているこのサバンナの中で、約25,000頭の動物たちは外へ出ることなく一生を過ごす。

獲物を狙うライオンやチータ、群れを成して逃げる動物たちなど、その生活はいつかテレビで観た野生の王国そのもの。水辺にはフラミンゴの群れも観察でき、湖一帯がピンク色に染まる光景は圧巻。この地域と隣り合うセレンゲティ国立公園(ここも世界遺産に指定)と境を接する草原地帯では、約400万年~150万年前の最古の人類といわれるアウストラロピテクスの化石人類が発見されている。

行ってきた人の話では「人生が変わった」と。

お読み下され、感謝致します。