隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

命もいらず、名もいらず(1)Difficult to deal with.

2010-07-29 22:28:30 | Weblog
命もいらず、名もいらず(1)     平成庚寅廿二年文月廿九日

 ここ二週間は、38度前後の暑さ。やはり、水泳に限ると、せっせとプールへ通った。仲間と泳ぎ、ジャグジーでリラックスして、世間話をして帰ってくる。
この暑い夏に良い本と出合った。S君の推薦してくれた「命もいらず、名もいらず」山本兼一著(上、下)NHK出版である。
「喝! 生ぬるい!」と、いわれているようだった。
山岡鉄舟の生涯を見事に活写している。
北辰一刀流の撃剣を描くだけでも、大変なのに、座禅修行と公案を描き、残された書まで読み解かねばならない。著者が「とんでもない男だ」と書いているだけに、よくぞ描けたなと思えた。

 化け物ですね。6尺2寸(1m88cm)105kgの大男だ。
小野鉄舟は幼少(9-16)時を飛騨高山で過ごす。真影流から北辰一刀流千葉周作門下の井上清虎のもとへ移り、剣術を学ぶ。
父の遺言「自分のためになることが天下の役に立つ」を縦軸に、千葉周作の「こころが定まるとはいつでも死ぬ覚悟ができていること。これからその稽古に励むがよい」との教えを横軸に励んだ。 開国か攘夷の議論の最中、撃剣数稽古1日200面を7日間立ち切り行うという正気の沙汰でない稽古を行った。
立ったまま休むことなく、交代で、かかってくる相手に試合を1日200試合(面)、行う。7日で1400面だという。痣(あざ)は当たり前、爪も何枚か剥がれたという。 本物の侍たる所以だ。
人生には、その人間の一生を左右する出会いがある。こころを研ぎ澄まし、強く求めていればこそ、またとない出会いにもめぐまれる。近所にいた山岡静山に槍術を学び、その実弟の高橋泥舟(海舟とともに三舟と呼ばれる)に会い、養子(山岡姓)になり、静山の妹・英子(ふさこ)と結婚することとなった。
世の中は幕末、外国船襲来による国家の危機に「講武所」が開かれ、勝海舟、中条金之助らと武術に励んだ。更に凄いのは、禅に参じて、願翁和尚より「趙州狗子」の公案をさずけられる。
清河八郎らと尊王攘夷を標榜する「虎尾の会」を結成。
またしても、浅利義明(又七郎)と試合するが、勝てずに弟子入りする。
「どうすれば、引き下がらず、押し返せるか?」-----『これまでの百倍死ぬ気になることだ。とことん本気になることだ。』と教えられる。

 勝海舟と西郷隆盛の会談の前、清水次郎長のお陰で『徳川慶喜公の恭順』を鉄舟は名代として西郷吉之助に伝えた。納得した西郷は7つの条件を出し、江戸総攻撃中止すると交渉。
一、 慶喜謹慎恭順の廉を以て備前藩にお預け仰せつけられるべき事。
二、 江戸城を明け渡すべき事。
三、 軍艦残らず相渡すべき事。
四、 軍器一切渡すべき事。
五、 城内住居の家来、向島に移り慎みおるべき事。
六、 慶喜の妄挙を助けそうろう面々は、厳重に取り調べ、謝罪の道きっと立てしむべき事。
七、 もし、暴挙して手に余りたらん者は官軍を以て相慎むべき事。

鉄舟は「この慶喜公備前預けに関してだけ承服できぬ。朝命であれ、兵端が開かれ、むなしく数万の命が消える」と交渉。
 アメリカの南北戦争では62万人、フランスのパリ・コミューン事件では約3万人の死者が出たという。
 
西郷:「徳川慶喜殿のことは必ず取り計らいもす。ご一任下されたい。」
鉄舟:「承知つかまつった。」  
合意した。
鉄舟は、西郷に『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困りもす』『そういう始末に困る人物でなければ、艱難を共にして、国家の大業は為せぬ。』と賞賛させた。
これで江戸城無血開城となった。

これから、徳川旧家臣の駿河へ約10万人もの大移住が大変である。
静岡といえばお茶で有名だが、牧の原台地の開墾を勧めたのが、鉄舟である。
この間でも、三島龍澤寺で星定和尚に参禅し、禅の境地が開いてきたという。

静岡藩権大参事だった鉄舟は西郷と海舟に薦められ、宮内省の侍従として明治天皇に仕える。単純なエピソードでない話が書いてある。
酒を9升呑んだことがあると陛下に申したがために、目の前で呑めといわれたが、「人の言をそのまままるごと信じることがまことの信だ」と拒否。
「ただ唯々諾々と従うだけが侍従の務めではありますまい。」人の道にかなわぬことを仰せになれば、それを撓(た)めるのが務め。
ある時、陛下とすわり相撲を取ることになった。陛下は座っている鉄舟に組みかかり、なんとか押し倒そうとするも、鉄舟はびくともしない。陛下がついに拳で鉄舟の目を突こうと狙ってきた。鉄舟が顔をかわすと、勢い付いた陛下は、前のめりに倒れてしまった。陛下は「朕を投げ飛ばすとは無礼この上ない奴だ」軽い傷を負いながら口惜しそうだった。別の侍従が謝罪を勧めるも、鉄舟は「もし陛下が御酔狂のあまり拳でもって臣下の目玉をお砕きになったとすれば、天下に、後世に、古今稀なる暴君と呼ばれます。もし、陛下が私の措置を否と仰せになるならば、わたしは慎んでこの席で自刃して謝罪する覚悟でござる」と家に帰らず、控えで待ち続けた。てこでも動かぬ。
陛下は、「朕が悪かったと山岡に伝えよ」とおっしゃったが、鉄舟は「ただ悪かったとの仰せのみにては、わたしはこの席を立ちかねまする。なにとぞ実のあるところをお示しくだされたくお願い申し上げる」と頷かない。
陛下は意を決して、「これから先、酒と相撲とを止める」と答えた。鉄舟は感激して涙を流し、「思し召しのほど、たしかに慎んで承り申し上げる」といい、退出した。しかし、鉄舟は出仕せず、ひと月後葡萄酒1ダースを陛下に献上したという。  鉄舟の武士たる”忠臣“の面目躍如たるエピソードですね。
陛下には「国を統(す)べる大君として学問をなさいませ」「大君の学問は、ひとえに仁をきわめるところにあると存じます」と鉄舟は進講している。
(続く)
お読み下され、感謝いたします。

イスラエルIsrael

2010-07-11 14:42:54 | Weblog

イスラエルIsrael    平成庚寅廿二年文月十一日

全世界に離散しているユダヤ人は、一説によると約1300万人といわれ、そのうちアメリカのユダヤ人人口は650万人といわれる。半数をしめているのだ。
イスラエルの人口が590万人であるから、世界最大のユダヤ人人口を擁する国家はアメリカ合衆国であり、「ユダヤ国家」のイスラエルではないのだ。
 今まで、「ハンナのかばん」(平20年3月)、「村上春樹氏のスピーチ」(平21年3月)とイスラエルをブログに取り上げてきました。 分離壁、ガザ侵攻の問題でしたね。
今年は核の保有と支援船急襲の問題です。
問題の根本にあるものは何なのだろう?
去年4月発行「イスラエル」臼杵陽(うすきあきら)氏岩波新書を読んだ。
「ユダヤ国家」の歩みをたどり、建国前から、現在までの政治・社会・文化の歴史を詳細に検証している。しかも、極めて抑制した態度で複雑な問題を記述している。

第二次大戦後、世界各地に離散していたユダヤ民族は、自由、イスラエルの建国を志して移住し、多くの先住パレスチナ人を追い出し、アラブ諸国を巻き込んだ紛争を何度も引き起こした。彼はいう、「ユダヤ人迫害を伴う暴力的な反ユダヤ主義の波がいつ襲ってくるかもしれないという潜在的な恐怖心がユダヤ人にはある」。
イスラエルへまだ行ったことがないが、アメリカと同じように、「人種の坩堝」といわれるだけ、東欧・ロシア出身の「白人」から、エチオピア系の「黒人」までさまざまだ。キッパ(ヘブライ語でニット状の頭蓋帽)やヤムルカ(正統派ユダヤ教徒の黒い頭蓋帽)などの丸い小さな皿状の帽子をかぶっている男性はユダヤ教徒だという。
だが、実態として多文化主義的な方向へと向かっているという。
イスラエル国家がユダヤ民族だけのための「ユダヤ国家」であるかぎり、非ユダヤ人のアラブには永遠に居場所がない。イスラエル側からすれば、建国のため勇敢に戦うユダヤ人こそ、継承すべきであり、シオニズムの展開だとする。それゆえ核の保有を肯定も否定もしていない。ユダヤロビーのアメリカは例外扱いをしています。
他方で、イスラエルが民族を超えた非宗教・非宗派的な民主主義を徹底させれば、結果的には「ユダヤ国家」の看板をおろさなければならない。
 このディレンマがパレスチナ人のイスラム主義運動と、ユダヤ狂信的宗教シオニズムという両翼からの攻撃で深刻な事態となっている。
この問題は、1948年5月14日ベングリオン首相による独立宣言から起きているという。宣言では「イスラエル国はユダヤ人移民と離散民に開かれるであろう。同国はすべての住民の利益のために郷土の発展を促すであろう。同国はイスラエルの諸預言者にしたがって自由、正義、そして平和に基づくことになろう」と記されている。他方で、「同国は宗教、人種あるいは性による区別なく、すべての市民の社会的政治的諸権利の完全な平等を保証するであろう。同国は宗教、言語、教育、そして文化の自由を保証するであろう」とも規定している。つまり、独立宣言はイスラエルを「ユダヤ国家」であると同時に、「民主国家」であると規定しているのである。
 イスラエルが「ユダヤ国家」であるという独立宣言の規定を「イスラエルの人口の多数派はユダヤ人が占める」と解釈した場合、非ユダヤ人の人口数は極力減らす方向で諸政策が進められるという帰結をもたらす。これが、パレスチナ難民問題の発生につながるわけである。アラブ人を少数派にするために追放する意図が、シオニスト指導者にあったかという深刻な問題になっている。 だから、イスラエル国家誕生とパレスチナ難民の発生はセットになっている。
イスラエルは一方で、ソ連や東欧諸国からのユダヤ人移民を受け入れなければならなかったために、米ソ冷戦の激化のなかでも中立的な立場を保っていたが、1950年の朝鮮戦争勃発を境としてアメリカへの依存を強めることになった。

イスラエルが第一次~四次アラブ・イスラエル紛争を乗り切り、ここまで幾多の
困難の中を生き延びてきたのは、シオニズムに基づく国家建設を推し進めてきた政治指導者たちの「功績」であったことは言うまでもない。しかし、現在、アメリカの対外援助の最大の国はイスラエルであり、その総額は2007年には軍事援助23億4000万米ドルを含む総額約25億米ドルであった。このイスラエルに対する突出した額の援助はイスラエル・ロビーの影響のためで、国連安保理におけるイスラエル関係の議決に対する40回近い拒否権の発動などは、イスラエルを支えてきたともいえる。
 実際、ロビー団体の米国イスラエル広報委員会(AIPAC)による政府や議会に対するロビー活動は目立っているという。

 ガザは2007年にイスラム原理主義組織ハマスが武力制圧後、同じパレスチナ人自治区のヨルダン川西岸とで分断となった。以降イスラエルはハマスの武装強化阻止を理由に、境界の検問所を封鎖、物資搬入を極端に制限している。ガザ住民は南のエジプト側にトンネルを掘り、食糧や燃料を“密輸”している。自由ガザ運動の救援は08年から8回続き今回が最大規模だったという。約700人が6隻に分乗し、建設資材、浄水装置や、医療機器など約1万トンを積んでいたという。トルコのエルドアン首相は「これはテロだ」と抗議した。7月の新聞では、イスラエルは、ガザに対する経済封鎖を緩和し、食品や日用品などの搬入を認めた。だが、軍事転用の恐れがあるとしてセメントなど建設資材の制限は続く。

 臼杵氏は「オバマ政権になってイスラエル・ロビーがブッシュ政権下のように活動できるか予断を許さない。オバマの中東政策の全体像が見えてこない。」といっていたが(21年4月)、去年6月にオバマは、中東演説で「パレスチナ国家とイスラエルの共存こそ唯一の解決策とし、その前提としてパレスチナのイスラム原理主義ハマスの武装闘争を戒め、イスラエルには将来のパレスチナ領土であるヨルダン川西岸へのユダヤ人入植地建設の凍結」を求めた。
二国家共存への道は、イスラエルの妥協もいるが、「対テロ戦争」には妥協できない難しさがある。やはりここはアメリカ次第であろう。
 アメリカこそがイスラエルというユダヤ国家の生殺与奪の力をもっており、その意味でもイスラエルはアメリカと「運命共同体」の関係にあるといっても過言ではない。
 オバマ大統領は7月初め、イスラエルに対して直接パレスチナと和平協議を始めるよう要請した。イラン核開発に関して圧力をかけるべく9月までとしているが、ネタニヤーフ首相はまだ“凍結”の結論は出していない。
イスラエル社会はグローバリゼーションの流れの中で経済的な自由化を選択しつつ、民主的な市民社会に向かって、イスラエル自身多文化主義的になっていく。だからこそ逆に、イスラエルの純粋なるユダヤ性を強調せざるを得ないと考える国民も増えてくる。そこにイスラエルという国民国家の抱える最大のディレンマがあるという。

 この問題は以前「共通の価値観」(平20年11月)で取り上げたように、イスラエルだけの問題でない。アメリカには増大するヒスパニックなどとの「共通の価値観」を模索しなければならない問題あり。イギリスにはポーランド移民などとの「共通の価値観」を模索しなければならない問題あり。日本も、人口減少で移民増大の受け入れをしなければならないとき、抱える問題になると思います。“純粋な日本”を考える国民は必ずいる。

 今、イスラエルでは和平達成しようとするハト派の意見は黙殺されてしまっているといっても過言でないし、もう壊滅してしまったといっていい状況であると臼杵氏はいう。さらに、パレスチナ人に対する戦争すらも「対テロ戦争」で正当化するシオニズムの核心部分を内在的に理解しなければ、本当にイスラエルを知ったことにならないと言っている。
お読み下され、感謝いたします。


覚えのための基礎資料(ネット;よい子のためのパレスチナ問題より)
*パレスチナってどこ?
 パレスチナとは地中海の東岸に面するレバノン・シリア・ヨルダン・エジプトさらにシナイ半島に囲まれた地域のこと。ただしその地域の大部分にはイスラエルが建国され、現在はガザ地区(種子島より小さい)とヨルダン川西岸(三重県と同じぐらい)でパレスチナ自治政府が展開されています。 ユ-ラシア大陸とアフリカ大陸を結ぶ「文明の十字路」であったパレスチナは、太古の昔から、さまざまな文化を持った人間集団の出会いの場でした。このような、異なる人々の間の交易、協同、紛争が織りなす独特の歴史のなかから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3大宗教も生まれたのです。  16世紀初頭から400 年にわたり、パレスチナは「オスマン帝国」というイスラ-ム国家の支配下にありましたが、第1次世界大戦後はイギリスに占領されました。
*パレスチナ問題~その始まり
 今日にいたる問題の発端は、中東での覇権をめざしたイギリスの態度です。イギリスは第一次世界大戦で、オスマントルコとたたかい、戦争を有利に進めるために「三枚舌」外交を行います。フランスとの間では、戦後の中東を両国で分割する密約(サイクス=ピコ協定)を結びながら、アラブ人にはパレスチナを含むアラブ国家の独立を認め(フセイン=マクマホン書簡)、ユダヤ人に対してもパレスチナでの「民族的郷土」の建設を支援する約束をします(バルフォア宣言)。
 紀元1世紀にユダヤ王国がローマ軍に滅ぼされ、世界に離散していたユダヤ人は、19世紀末以降、特にヨーロッパにおける反ユダヤ主義の高まりの中、自分たちの国の建国を目指してパレスチナへの移住を開始します(シオニズム運動)。1930年代以後のナチスによるユダヤ人の迫害がこの移住に拍車をかけます。600万人のユダヤ人が虐殺されたホロコーストの悲劇がもう一つのパレスチナ問題の背景です。
*パレスチナ問題~その対立の経過
 第二次世界大戦が終わる頃、パレスチナのユダヤ人人口は60万人に達していました(人口の1/3)。パレスチナ人とユダヤ人の衝突とイギリスを標的とするテロの頻発に手を焼いたイギリスは1947年、問題解決を国連に委ねます。同年11月、国連はパレスチナをパレスチナ人とユダヤ人の国家に分割し、エルサレムを国際管理下におくというパレスチナ分割決議を採択します。
 人口で1/3、土地所有面積で6%弱のユダヤ人に57%の地域を割り当てる決議をユダヤ人は受入れ、アラブ人は拒否。1947年5月14日、イギリス軍が撤退するとユダヤ人は当事者間の合意がないまま、イスラエルの建国を一方的に宣言、分割決議に反対するアラブ諸国がイスラエルに攻め込み第一次中東戦争が始まります。戦争の結果、イスラエルは国連の決めたユダヤ人の領土をはるかに超えて侵略、追い出されたパレスチナ人70万人(100万人とも)が難民となりました。イスラエルが侵入しなかった東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区をとガザ地区はそれぞれヨルダンとエジプトが占領しました。
 以後、計3回の中東戦争がたたかわれ、67年の第三次中東戦争でイスラエルは全パレスチナを支配、シリア領ゴラン高原とエジプトのシナイ半島も占領しました。国連安保理は占領地からの撤退をうたった決議242号を採択しますが、イスラエルは受け入れず、1982年にシナイ半島は返還されたものの、基本的に占領状態を続けています。
*パレスチナ人とは?
 イスラエルの建国と共にパレスチナのイスラ-ム教徒とキリスト教徒の多くは難民となり、残りは、この新しいユダヤ人国家の「少数民族」に転落しました。今日「パレスチナ人」と呼ばれているのは、このようなアラブのイスラム教徒とキリスト教徒のことで、総人口は840万人。ガザとヨルダン川西岸に290万人(うちエルサレムに21万人)が居住し、西岸58万人、ガザ82万人、ヨルダン151万人、シリア37万人、レバノン37万人、国連に認定されているだけで計362万人の難民がいます。


ユダヤ・ロビーJewish Lobby(改訂)

2010-07-04 11:04:10 | Weblog
ユダヤ・ロビーJewish Lobby(改訂)  平成庚寅廿二年文月四日

 Lobbyという単語はそもそも、アメリカ合衆国が、建国された時代における政治家の、政治的影響力があげられる。1869~1877のグラント大統領の時代のロビー活動が語源だそうな。ウィラード・ホテルのロビーで葉巻を楽しむ大統領への陳情が行われたことからであろう。
アメリカ合衆国のロビイストは上院、下院、行政府を対象として行動し、政府、州政府、地方政府、裁判所に影響を与えることを目的としている。法案の起草を行う者も存在する。基本的にはお金が動くというスキャンダルに発展する疑惑がつきまとう。

 100年以上も前、1894年日清戦争が勃発すると、「シェル石油」の創業者イギリスのユダヤ人マーカス・サミュエルは日本軍に食糧、石油、兵器などを供給して助けた。戦後、台湾が割譲されると、台湾の「樟脳」の開発を引き受け、アヘン公社の経営に携わった。その功績によって、サミュエルは明治天皇より「勲一等旭日大綬章」という勲章を授けられている。彼はイギリスに戻り、ユダヤ人として5人目のロンドン市長になり、日英同盟のかけ橋となった。そして、ロンドンに「ベアステッド記念病院」を建てた。知る人ぞ知る話ですね。

 その後、日本は1904年、帝国ロシア南下政策と中国の権益をめぐって、「日露戦争」を行ったが、日本はわずか1億7000万円しかなく、海外から戦費を調達せねばならなかった。 日銀副総裁の高橋是清は、ヤコブ・シフとロンドンで会い、6分利付公債1000万ポンドの半分、引き受けてもらうこととなった。
シフはドイツ系ユダヤ人で、「クーン・ローブ商会」金融業の持ち主で、ロスチャイルド家と深い関係あり。全米ユダヤ人協会の会長であった。このことは司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出てきます。
ロシアはユダヤ人を迫害している。ロシア国内にユダヤ人が600万人居住し、シフにいわせれば、ロシア帝政の歴史はそのままユダヤ人虐殺史であり、いまはそれはつづいている。ロシアに革命がおこり、帝政をほうむれば、虐殺がなくなるだろうとして、日本への援助をしたという。イワン4世は、ユダヤ人をキリスト教徒にしようとしたが、拒否され迫害したのである。
 日本政府は「日露戦争」勝利の功績に報いるため、1906年ヤコブ・シフを日本に招待し、明治天皇が午餐会を催し、シフ夫妻を拝謁、「勲一等旭日大授章」を与えている。
 ロシア革命後、政権を握った中枢や政治組織の85%がユダヤ人だったという。カール・マルクスをはじめ、トロッキー、ジノビエフなどは、ユダヤ人で、レーニンはユダヤ人でないとされるが、祖母や妻のクループスカヤはユダヤ人である。
アメリカのユダヤ人社会は、シフを中心にロシアのユダヤ人革命家たちに多額の援助を与えている。トロッキーらを通じて当時の金で1200万ドルという巨費を出している。
 
 「まさしく歴史は繰り返す」で、渡部昇一氏はいう。
残念なことに、日本はユダヤとの縁が切れてしまった。
明治の日本は日露戦争のときに得たユダヤ・コネクションを上手に活用していれば、日本には重要な情報がたくさん入ってきただろうし、たとえば、満州の重工業にユダヤ資本を参加させていたら、イギリスやアメリカの満州国に対する態度は別のものとなっていたはず。戦前の軍部はユダヤ人を迫害したナチス・ドイツと日独防共協定を結んでしまった。1936年のことだが、2.26事件で、高橋蔵相は殺されていた。 4年後、日独伊三国同盟が締結されるのであるが、時を同じくしてアメリカは、蒋介石の重慶政権に1億7500万ドル、イギリスも1000万ポンドの借款を与えている。この金がユダヤ人と関係していた。
 対米戦争を始めることになったのも、もとはといえば、日本がアメリカから石油禁輸を受け、にっちもさっちもいかなくなったからであるが、アメリカ経済に隠然たる力を持つユダヤ人を味方につけていれば、そこまでアメリカは日本をいじめることもなかったのではないか。残念でならない。
国際経済において長期的な勝利を収めるための条件とは、「ユダヤ人を味方に付けるか否か」という点にある。
 
 あらゆる分野で、ユダヤ人は活躍している。
政治では、イギリスの名宰相「ディズレーリ」、ドイツの「ローザ・ルクセンブルグ」、キューバの「チェ・ゲバラ」、アメリカの「ロックフェラー、キッシンジャー、ビル・クリントン、ブレジンスキー、コリン・パウエル、チェイニー元副大統領、元国務長官コンドリーサ・ライス」
ビジネス界では、イタリアの「オリベッティ」、フランスの「シトロエン」、アメリカの「ルービン(元ゴールドマン・サックス会長)、ソロス」、
学者では、ドイツの「コッホ」「フォン・ブラウン(ロケット)」、フランスの「ベルグソン」、ポーランドの「ザメンホフ」、アメリカの「オッペンハイマー」
映画では、ハリウッドはユダヤ人が興したようなものといわれる。MGM,20世紀フォックス、パラマウント、コロンビア・ピクチュアー、ワーナー・ブラザーズはみなユダヤ資本によっている。
ジャーナリズムでは「ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト」はいまだにユダヤ資本が入っているという。
音楽では、ホロビッツ、レナード・バーンスタイン、アイザック・スターン、ベニー・グッドマンなど、多数。
調べれば、驚くことばかり。
アメリカの大統領で、ビル・クリントン夫妻を挙げましたが、ルーズベルト、トルーマン、ジョンソン、ブッシュ親子は全部ユダヤ人。 更に、南北戦争当時。黒人解放の騒ぎにまぎれてユダヤ人解放をしたエイブラハム・リンカーンですら、ノース・カロライナ州の富裕なユダヤ人、A.A.スプリングシュタイン(米国名:スプリングス)の婚外子だったという。だから、「エイブラハム」なのだと言われてもびっくりですね。(続く)
お読み下され、感謝いたします。

PS.<改訂願い> アメリカの大統領に関して、ネットで調べて書きましたが、アメリカ人英会話の先生Jさんか  ら、間違いという指摘を受けました。どこの国でも有名になると、何処の出ということが問題にな     る。  家康、秀吉などが、書きかえれないものか苦労してましたね。庶民でさえ、差別、虐待につなが  る問題ですね。