隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

宇宙への秘密の鍵George’s secret key to the universe

2008-06-28 11:27:19 | Weblog
宇宙への秘密の鍵     平成戊子年水無月二十八日

車椅子の物理学者ホーキング博士が娘さんのルーシーさんと子供たちにも分かる宇宙の童話を書いてくれた。
生命について、地球、火星へと頭を巡らせていたところ、S君から「宇宙への秘密の鍵」George’s secret key to the universe by Stephen Hawkingスティ―ブン・ホーキング& Lucy Hawkingルーシー・ホーキング(岩崎書店) が出たよと薦めてくれた。

 主人公ジョージとともに宇宙へ飛び出し、惑星へ降り立つというワクワクした物語であった。
 何といっても、となりの家のエリックのもつコンピュ―ター「コスモス」の凄さである。1ナノセカンド(10億分の1秒)の間に10億もの数計算をすることが出来、数秒で惑星や彗星や星雲の中の星の寿命を計算出来るのである。それだけではない。部屋全体が宇宙船となっていて「コスモス」が大気圏外を見る窓や出入りできる戸口を立ち上げる。そして、主人公ジョージとアニーという女の子は、星の誕生や死を見、戸口から外へ出て、彗星へと降り立つわけである。勿論宇宙服はいる。戸口の外は別世界である。
 何十万個の星がある天の川、恒星(エタ・カリ―ナらせん星雲土星木星、アンドロメダなどの写真が挿入され、宇宙が身近に迫ってくるみたいな感じがした。しかし、アンドロメダ銀河の光が地球へ到達するまでに250万年かかるとか、エタ・カリ―ナの距離が地球から8000光年とか書いてあると、気が遠くなってしまう。今地球上で見ている光が、空のかなたでは何年も前に光って消滅しているわけだから、不思議な感じがする。
 
 今年5月22日英国科学誌ネイチャーに、米プリンストン大など米英の研究チームが、太陽の約8倍以上の重さの星が寿命を迎えて爆発する超新星爆発の瞬間を世界で初めてリアルタイムでとらえたと、発表した。(SN2008D)
ホーキング博士のこの本によると、ブラックホールが出来る一つの道は、燃料を燃やし尽くしてしまった星が超新星爆発と呼ばれる巨大水素爆弾のような爆発を起こすことです。爆発によって星の外側の層はガスに乗って大きく広がり、星の中心部は内側に向かって押されます。その星に太陽の大きさの数倍以上の大きさがあれば、ブラックホールが出来ます。ブラックホールは光がそこから抜け出そうとしても引き戻されてしまうくらい重力の強い暗黒の領域です。と説明している。
 でも、この本でブラックホールに落ちても脱出は可能だとして、落ちてしまったエリックというアニ―の父親は生還する。物語はまだまだ続きます。

 ここでホーキング博士は「科学者の誓い」を唱えさせている。
「わたしは科学の知識を人類のために使うことを誓います。私は正しい知識を得ようとする時に、だれにも危害をくわえないことを約束します・・
わたしは、まわりにある不思議なことについての知識を深めようとする時、勇気を持ち、注意をはらいます。わたしは、科学の知識を自分個人の利益のために使ったり、このすばらしい惑星を破壊しようとする者にあたえたりすることはしません。もしこの誓いを破った時は、宇宙の美と驚異がわたしから永久にかくされてしまいますように」

 この地球が置かれた状態を心配する人たちの数は増えている。この本を読み進めれば進むほど、地球は何とかけがえのない存在なのだという、いとおしいような気持になる。
 科学者の集いで「地球での暮らしをもっと良くする方法を見出す努力をするべきなのか? それとも、人類が暮らしていける別の新惑星を見つける努力をすべきなのか?」を議論していたが、ジョージは「両方できませんか?」と。
 太陽系外惑星の発見はホーキンス博士たちの願いでもある。

 今年2月27日 神戸大の向井正教授とパトリック・リカフィカ研究員が、太陽系の惑星で最も外側を周回する海王星より、はるかに遠く、大きな軌道を回る惑星級の新天体の存在が推定されるとの理論的な研究結果を発表した。
格下げされた冥王星に代わって、第9惑星が復活するかもしれない。

 この本はとても興味深く、面白く読めた。
皆様も読まれることをお薦めします。第2巻も出るというから、ジョージ君の成長が楽しみでもある。

 先日、NHKの番組で、宇宙から見た地球を見て、俳人の黛まどか女史は

 『 その中のしたたる星として現(あ)るる 』
                     と詠った。
お読み下され、感謝致します。


Joke (in English)-revised-

2008-06-18 05:40:17 | Weblog
Joke (in English) Heisei 20 June 18

I wrote my blog on the subject of “Laugh” three years ago.
I referred to the film ”Patch Adamus”, too.
“Laugh” makes us effective medically.
Recently, a clown like Patch Adamus is performed as a volunteer in a hospital.
In the paper I found a joke from the country (Nagoya).
It was extremely unique, so I’ll put it on my blog.

Mr. Shinoda Tatsuaki (writer, doctor) made it.

At the hospital for a thorough medical checkup in Heaven, Hideyoshi , Ieyasu, and Akechi Mitsuhide,came across each other.Hideyoshi said to Mitsuhide, “ Mr. Nobunaga has been checked his body and will come soon to this waiting room. It’s bad for you, isn’t it ?”Mitsuhide asked to Hideyoshi with a bitter smile.“ What’s wrong with him?”Hideyoshi answered to Mitsuhide.“ His blood pressure is very high. His cell structures of cerebral blood vessels are pretty fragile.”When Hideyoshi answered so, Ieyasu said to Mitsuhide, “ You have been too hasty in doing! If you waited a little, he would have died in his cerebral apoplexy accident! “

Oda pounds streamed rice to Rice Cake,
Hashiba kneads(squeezes, works) into Tenka Rice Cake,
and Tokugawa Ieyasu eats it sitting.


*Historical background

Oda Nobunaga(織田信長1534~1582), a highly-gifted military commander aimed at unifying the country by subjugating(支配する) sengoku daimyou of various provinces by force.
At the same time, he positively introduced advanced cultures of Western countries. So, it may be said that he was one of the Japan’s greatest revolutionists. Oda Nobunaga protected Christianity, as well as promoting trade with the Portuguese and the Dutch. As a result, there was a flow of western art, scholarship, tools and other foreign culture into Japan.
 Nobunaga pushed new policies and took in economic power of merchants and industrialists. Kyoto(京都)and Sakai(堺)self-governed by great merchants became under control of Nobunaga. The law, Rakuichi-Rakuza-rei(楽市楽座令)was enacted and merchants and industrialists could do business freely in the castle town of Azuchi-jo(安土城).
After gaining control of the eastern half of Japan, Nobunaga led his army westwards with a view to unifying the whole country. Along the way, Akechi Mitsuhide (明智光秀) one of Nobunaga’s subordinate(従属の) military commanders, followed by his 10,000-men army, attacked Nobunaga at Honno-ji Temple(本能寺) where he had taken up his lodgings. At that moment, there were only about 70 guards in and around the temple. Becoming aware of the treachery(裏切り) of his subordinate, Nobunaga killed himself in the temple bursting into flames.
《Ieyasu said in Heaven that Mitsuhide didn’t have to betray Nobunaga.》

Toyotomi Hideyoshi(豊臣秀吉1536~1598) succeeded to Oda Nobunaga and unified the whole country. Son of a farmer, Hideyoshi capitalized on his cheerful personality and inborn resources to run up the promotion ladder, and eventually succeeded in subjugating all feudal lords throughout the country.
Hideyoshi carried out Taikou-kenchi太閤検地( the Cadastral Surveys by Taiko)in 1582 to rule the land and people. As a result, peasants had a duty to pay tributes to samurai and they could not leave their land without permission. He also carried out Katana-gari刀狩( the Order of Sword Hunt) in 1588 to take up swords and spears(槍) from peasants.
They could not rise in Ikki any more. Kenchi and Katana-gari divided peasants from samurai clearly(兵農分離) and established a feudalistic class system. Hideyoshi established the castle, Osaka-jo(大阪城), as his base.

 Tokugawa Ieyasu(徳川家康1542~1616)emerged as the final winner among a number of military heroes who had aimed at unifying the country in the Sengoku period. Born as the first son of a minor feudal lord of the Province of Mikawa(Aichi Prefecture) Ieyasu used his outstanding political talent and strategic(戦略の) ingenuity(巧妙さ) to establish the foundation of the Tokugawa era which lasted for more than 260 years.
In 1600, two years after the death of Toyotomi Hideyoshi, Tokugawa’s 100,000-men army and Toyotomi’s 80,000-men army led by Ishida Mitsunari 石田三成fought a fierce battle at Sekigahara関が原 (Gifu Prefecture). It was literally the biggest civil war in Japanese history that divided the whole country into two parts. By winning this decisive(決定的な) war, Ieyasu could come to power as the first Syougun ---his long-cherished dream.
In 1603, he established the Edo shogunate.


Ieyasu had left the following teachings on the conduct of life.(家康遺訓)

“ Man’s life is like walking a long way with a heavy load on his back. So, never hurry.”
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず
“Remember absolute satisfaction is denied to mortals, and you will be contented.”
不自由を常とおもへば不足なし、心に望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし、
”Patience is a source of safe and longevity. Call an anger enemy. “
堪忍は無事長久の基、怒りは敵とおもへ、
“If we only know triumphs but don’t know defeats, harms will come to us.”
勝事ばかり知りて、まける事を知らざれば、害其身にいたる、
“We should blame ourselves. We mustn’t blame other people.”
おのれを責めて、人を責めるな、
“ Going too far is worse than falling a bit short.”
及ばざるは過たるより勝れり。

参考文献:英語対訳で読む日本史
     Who’s who of Japan
Thank you for reading.




ジョーク(改訂)

2008-06-16 07:04:37 | Weblog
ジョーク(改訂)      平成戊子年水無月十六日

3年前「笑い」という題でブログを書いた(10/31,2005)。映画「パッチ・アダムス」にも触れましたが、医学的効用は相当なものである。最近、病院のボランティアで同じようなclownが活躍されているようです。新聞に地元発(名古屋)のジョークが載っていた。とてもユニークであったので、載せる事にします。作は篠田達明(作家・医師)氏です。

天国の人間ドックで秀吉と家康、それに明智光秀が鉢合わせをした。
秀吉が光秀にいった。
「もうじき信長殿が検査を終えてこの待合室にやってくる。貴殿はマズイじゃないの?」光秀は苦笑いしながら秀吉にきいた。
「親方はどこが悪いのじゃ?」
「血圧が非常に高く、脳血管もだいぶ脆くなっておられる」。
秀吉がそう答えると、家康が光秀に向かって
「おぬし早まったな。もう少し待てば脳卒中でひっくり返ったのに」

 家康は「光秀は焦って、信長を裏切る必要がなかった。」と言ったということですね。

 織田が搗(つ)き、羽柴がこねし天下餅、
             座って食らうは徳川家康

お読み下され、感謝致します。
続いて、英文にします。








命の本質と生き方The nature of life & the way of life

2008-06-08 06:24:07 | Weblog
命の本質と生き方The nature of life & the way of life平成戊子年水無月八日

近代の自然科学は宇宙論から、つまり物理学から始まった。哲学者川原栄峰氏はいう(哲学入門以前)。物理学というのは言葉のうえから自然学である。自然には植物も動物も属している。つまり自然には「生命」が属している。そう考えるのが当り前だ。人間というものを霊魂と肉体とから成ると考えたのはギリシャ人であった。肉体は生成し消滅するが、霊魂は不滅である。と彼らは考えた。この考え方をキリスト教徒が受け継いだ。キリスト教の場合には、同じひとりの人間が肉的なあり方と霊的なあり方をしているとしている。(ルター)そして、霊は救いにあずかるが、肉はそのままでは滅びに至る。ギリシャ人はおよそ存在するものであるかぎり、生命と精神と(形相)を備えていないものはないと考えた。キリスト教はあくまで「神は天、人は地に。」天国とこの世という分裂において生きた。すべてのものの生命と精神とはひとえに超越的な神に由来する。神の恩寵がなくなると地の国は滅ぶ。存在するものを地の国として、世として、肉として見たならば、そこには生命をも精神をも備えていないただの「物質」が見られた。その「物質」を研究するのが物理学として始まったのである。
「人間」をどんなに科学的、技術的に攻めたてても、そこに見られるのはあくまで「見られた」人間であって、現に「見ている」人間ではない。人間を客観的な観察、調査、実験の「対象」にすることには限度がある。 
見ている人間は見られないのだ。だから、同じように、生物学が科学たろうと努めても、そこには無理があるのではなかろうか、と。

川田薫氏は科学者として「命の本質」を取り組むにあたって、科学の能力だけでは限界に来ている。科学とは全く別の方法で真理を追究している分野、すなわち哲学や宗教などの考え方を科学の考え方に統合していこうという「新しい科学」をとらえようとしている。
川田氏は命=精神作用を司る総体と定義。命とは「エネルギーの凝集体」ではないかと考える。そして、命に質量があるとした。
これはアインシュタインの相対性理論のE=M C2 (E=物体エネルギー、M=質量、C =光速(一定)という有名な式から導かれる。エネルギーと質量は等価だという。
生命科学者として、やはり有機体を微細に分割して、いわゆる細胞を見出す。これは、人間などの多細胞生物をつくっている細胞と同じである。ということは、単細胞生物の細胞に命があれば、多細胞生物をつくっている細胞も同じだから、「命」があることになる。すると、多細胞が集まって器官が出来るわけだから、器官に生命が宿っていることになる。さらに、器官が集まって人間や動物という個体ができるのだから、個体に宿る命もあることになる。つまり、「命には階層構造がある」ということだ。いいかえると、細胞1つ1つに命が宿って、細胞同士は全体の役に立つよう、独自の判断で機能し、かつ互いにコミユニケーションを計っているとしている。 しかし、ここがまず私の理解できないところです。
このように、命がエネルギーの凝集体であるなら、質量があり、重さとして計測できるとして、川田氏は「ラット」6匹を通産省の生命研によって使わせてもらうことにして、「命を測定」した。命を持つ動物を実験体にすること自体許されないのではあるが、間接的に実験したわけである。秤は最高で40kgまで計れるものを使い、感度(秤が感じとることのできる最小の重さ)は10μg マイクログラム(10万分の1グラム)で、ラットは平均約25gだったという。
2匹をカプセルに入れて、全6匹麻酔を打って死を迎える。そして、死後、多少の体重変動はあったものの、時間の経過とともに、体から命が抜け出る現象が起こるのは急にではなく、除々に起こり、体重が減っていったという。
 結果として、カプセルの2匹は、約70μgと約100μgの体重減少がみられた。この2例はカプセルに閉じ込めて計測したから、死後減少した分の体重は、純粋に「命の重さ」だったという。しかし、徐々に減少するという現象の説明に、川田氏は、ヒモのようなもので、命が体とつながっているとして、それが切れた時が「死」だとした。 ここらへんも、私の理解しがたいところです。
 川田氏は、「体外離脱」を体験され、命と体が別物ということを実感されたという。

 対極となる哲学者藤田尚氏は「生の動向」で「生命」を追求していた。
「生命」は決して、我々が想像するような構造体ではなくて、厳然とした存在そのものであり、連綿として今日及んでいる不断の連続である。この連続はどんな遮断もどんな新生をも許さない。もし、我々が、不断の連続を「物」に固定や停止せずに、謙虚に、意識に直接与えられるところのものに思いを致すなら、「生きている」ということを感じるだけである。この直接感じられる「生きている」ということが、とりもなおさず、「生命」そのものではないか。
科学的思考を棄てて、これと全くの正反対の努力をするところに、はじめて真の「生命」の世界が姿を表す。

生命科学者の川田薫氏は、新しい自然観として、次のように纏めている。
 科学が進歩して人間がさまざまなものをつくり出せるようになったといっても、それはすべて自然界のものを組み合わせているだけなのだ。人間は地球という最適な環境から酸素、適度な太陽光・水・大地などの恩恵を受け、その環境で育まれる生物環境の産物を食物としたり、さまざまに組み合わせて、より便利なものをつくりだして生きている。このように考えると自分で生きているというよりも、自然という大きな環境系の中に「生かされている」ことが分かる。 微生物、植物、動物などが自然の環境の一部であるように、人間も特別な存在ではなく、自然という全体の一部なのです。自然の根本的な法則に逆らわずに、循環サイクルの一員として生きることこそが、人間本来の幸せな姿であり、その生き方に戻ることが、私たちの本当の望みであるといえそうです。

「今日より明日、明日より明後日」と人類が幸福になれるよう実践された跡を少し辿りました。お読み下され、感謝致します。

PS.
「生命誕生」についての実験は1953年にスタンリー・ミラーとハロルド・ユーリーという二人の科学者が行った。 この二人は、生命誕生に必要な材料は大昔の地球の大氣が持つ自然現象からあらわれたと信じて、推測した化学成分と、稲妻をまねた電気の火花を反応させる実験を行った。その結果、驚いたことに有機化合物(アミノ酸)が生成されるのがわかったという。それから50年経った今、川田氏が「微生物らしきもの」を作りだしたわけである。






実験室で生命体が生まれた日Animate beings born at laboratory.

2008-06-01 16:33:19 | Weblog
実験室で生命体が生まれた日The day when animate beings were born at the laboratory.  平成戊子年水無月一日

G君から 「いま ”生き方を創造する生命科学”という 川田 薫の本(たま出版 1997刊)を読んでいますが 川田さんは もともと理学博士で 科学技術庁の「さきがけ研究21」に応募し そこでの研究をもとに この本を書いたそうです。 ”実験室で生命体が生まれた日”、”命の本質へと迫る”などの記事があり 物質文明と 精神文明の橋渡しの意味で 本書を書いたそうです。もし 興味があれば ご覧下さい。」 このように薦められていた。

科学者の書いた生命観である。
 著者は、人間と自然を区別して考え、人間が自然をコントロールできると思い込んでいること自体に大きな誤りがある。人間が快適な生活を追い求めるあまり自然の一員であることを忘れてしまった。と言っているから、びっくりした。コテコテの自然科学者で、人間が一番という人かと思いきや、そうでなかった。「現実に向き合い、感じること」こそが、私たち人間という生命体が適応し、生き延びていくために必要不可欠な行動のはずだ。これが出来れば、自然の根本的な法則である自然の循環サイクルに気づき、人間も自然の全てと一体で、この循環のサイクルの一員であることを思い出すであろう。と考える。
 そして、生命体の誕生を科学的にとらえることをキッカケにして、生命体とは何なのか、命とはどのようなものか、明らかにしていくことで、「自然の循環サイクル」を理解する。

 日本時間5月26日朝、米国の無人探査機「フェニックス」が火星に無事着陸した。10か月ほどかけて、約6億8000万kmを飛行したそうだ。月との距離の1800倍だ。その火星で生命存在の条件である“水”や“有機物”などを探策する。やすり付きのスコップで土壌を掘り、採取した土を熱して揮発成分を分析するそうだ。ここの「生命存在」と著者の進める生命体の研究は専門家でないのでどう繋がるのか分からない。

 川田氏は生命体の誕生は水とミネラルの相互作用という結果で出来るとする。
地球の誕生から10数億年の時を経て、生命体が誕生するわけだが、誕生前を「化学進化」の時代と呼ぶ。この時代に簡単な無機物が化学反応を繰り返しながら、アミノ酸やタンパク質のような複雑な「有機物」になっていった「分子進化」という過程があった。そして、生命体へと進化となるという。
 
地球を含む「太陽系」が今から46億年程前に生まれたのであるが、なぜか地球だけが生命体を含むことの出来る特殊な環境条件を持つこと出来た。
水星、金星、火星の大気の主成分が二酸化炭素なのに、地球は、窒素78%、酸素21%、アルゴン0.9%、二酸化炭素0.03% だ。その二酸化炭素が0.03%になって、酸素が21%になった原因が謎だという。
第一に、植物の光合成が考えられる。
ストロマトライト』がある。これは、今から35億年前に生まれた「光合成」の働きを持つ藻の一種だ。この藻が二酸化炭素をせっせと酸素に変えてきたという。現存しているのは、オーストラリアの西部、シャーク湾にある。中学理科の教科書に載っています。 一度見に行きたいところです。
しかし、著者の研究では、植物は光合成で酸素を「自分が呼吸で使う分しか」つくり出せないということが判明したという。この実験結果より、どうやら地球の酸素は植物の働きで生まれたわけではないらしい。「現在の地球の大気中の酸素は植物の光合成によって供給されている」という学校で教えられた内容はおかしいことになり、アマゾンやカナダの森林が地球の大気に酸素を供給しているという環境問題の根底が崩れてしまう。事実とすれば、びっくりな話です。
しかも、窒素や水もどこから来たのかも分からないらしい。

 何はともあれ、著者は、実験室で生命体を誕生させることに成功した。
大陸と海に大氣が溶け込み、太陽の光が当たる。これらの相互作用の結果、微生物状のものが地球上に発生したわけであるが、これを実験室で再現しようとしたのである。ミネラル溶液中に大氣を溶かし、そこに紫外線を当てると、種々の有機物が発生する。ありのままの環境でシャーレに入れ、そこに空気中で直接リゾチームという酵素を加える。そうすると、生命体が1個発生すると、その後1~2時間で3~5個ほど発生し、静止したままだが、発生から1~2週間で固有の運動を始めたという。その生命体は集まり合ってくっつき成長し、約10μm(1ミクロンは1000分の1ミリ)の大きさまで成長し、赤血球みたいだそうな。この数字は本川達雄氏も驚いたように、動物の種類が異なっても、細胞の種類が違ってもほぼ一定で、直径約10ミクロン(0.01ミリ)だそうだ。(
ゾウの時間、ネズミの時間
次の段階で、生命体は分裂、増殖を始めるのだという。この生命体とは何だと著者は考えた。生命体というのは生体という体に生命という命が宿ったものだとした。 しかし、著者はこの発生した「微生物のようなもの」が何なのか、どういう構造なのかも、現時点では分かっていない。DNA鑑定で解明し、発生、成長の過程を電子顕微鏡などでさらに調べ、分裂、増殖や進化の過程まで確認せねばならないとしている。
 そして、著者は生命そのものに挑戦していく。(つづく)
お読み下され、感謝致します。