隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

軟禁延期postponed under house arrest

2006-05-30 10:14:10 | Weblog
スー・チーさん軟禁延期Suu.Kyi postponed under house arrest 平成丙戌年皐月三十日

去年ブログに書いたアウン・サン・スー・チーさん。
半年が経ち、解放か?と思ったが、新聞報道によると、5月27日軍政権はさらに軟禁状態を1年延長したと発表。アナン事務総長は強いメッセイジを送っていたといわれたが、だめだった。
ブッシュ大統領は5月18日制裁措置の1年延長を表明して圧力をかけたが、だめだった。
延長はスー・チーさん解放が民主化勢力や反政府小数民族の激しい抗議行動を招くからという理由だろう。人権侵害もはなはだしい。日本は人権侵害にはどうも弱腰である。
中学の教科書にも載せてある位です。国連はメッセージだけではだめだと目覚めるべきだ。
 スー・チーさんの力量は未知だが、軍政による民主化の前に国民は生活悪化していくだろう。それと、アヘン製造の三角地帯が気がかりです。
 スー・チーさんは6月19日に61歳となる。
お読み下され、感謝します。
I wrote about Aung San Suu Kyi on my blog last year.
I have thought that half a year passed and she will be released. 
 The newspaper said on Saturday May 27 the military regime noticed her to extend being under house arrest for another year again. Regrettably the United Nations Secretary General Anan had sent the strong message to the chairman of the military regime.
Similarly on May 18 the President Bush had exercised pressure on them making a statement that he extended taking sanctions against them for another year.
It was of no effect. The reason will be that the release of Suu Kyi will cause fiery protest movement of democratic power and a few people of anti-government.
It is a serious invasion of fundamental human right.
The Japanese government is weak-kneed. This fact is mentioned in the textbook of a junior high school. The United Nations should wake up to the fact that it’s useless to give a message to them. I don’t know her ability. But before the democratization by the military regime, the lives of Myanmarese will become worse and worse.
I greatly worry about their making opium, poppy at “Golden Triangle”.
On June 19 she will be 61 years old.
Thank you for reading.


国を愛することLoving our countries.(2)

2006-05-25 18:03:09 | Weblog
国を愛すること。‘Loving our countries’.(2)    平成丙戌年皐月二十五日
 
映画「カサブランカ」の場面を思い出す。
皆さんよくご存知と思いますが、第二次世界大戦中、アメリカへの亡命を図るヨーロッパ人たちの寄港地であるフランス領モロッコのカサブランカでの出来事。
酒場(リック カフェ アメリカン)を経営するリック(ハンフリー・ボガード)はむかしの恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)と再会するが、彼女には反ナチ運動を指導する夫ラズロがいた。 イルザに裏切られながらも、いまだに彼女を忘れることの出来ないリックは、ナチスの目を盗んで二人を無事アメリカへ脱出させる。人情物語だ。
 その酒場で、フランスを占領したドイツ兵たちが、突然ドイツ国歌を歌い出す場面が出て来ます。
そこへ、ナチレジスタンスのラズロが指揮して、店にいたお客が、ラ・マルセイエーズを歌い、次第に大きくなり、ドイツ兵は歌うのをやめてしまった。 お客は、パリ陥落して祖国フランスを慕うため、ドイツ兵よりも大きく歌った。フランス万歳!と。 国を愛する一コマだと思います。
I remember the scene of the movie “Casablanca”.
You know very much. This is the incident at Casablanca in French Morocco where was a port European called at to ask for asylum to America during World WarⅡ.
Rick (Humphrey Bogert) who was running the restaurant “Rick’s Café American “ met a former lover I lsa (Ingrid Bergman) again, but she had a husband Laszlo who was a leader of anti-Nazis.
In spite of being betrayed by I lsa, Rick couldn’t forget her yet. He made them escape to America safely getting around Nazi eyes. It’s a story of heart.
At this Café German soldiers who occupied France suddenly began to sing the German national anthem. But Laszlo who was a leader of the resistance movement let customers sing “La Marseillaise” and their singing voices became louder. At last German soldiers had stopped singing. Customers sang louder than German soldiers to yearn for their home France where Paris fell. “Hurrah for France !” I think it’s the scene of loving our country.
ヨーロッパでは、国が川や山脈で分かれているだけで、繋がっている。
自国の存在をどうアピールするかが重要なことである。
国を愛するということについて、日本人が日本で考えることと、イギリスやフランス人たちがヨーロッパで考えることとは違うのではないか。 考えてみよう。
As time goes by という曲が流れ、 「君の瞳に乾杯」
「俺たちにはいつもパリがあるじゃないか。」  
「ルイス、これが美しい友情の始まりだな。」  リックの 国境無き良き台詞は永遠ですね。(続く)
In Europe countries are only divided by the river or the mountain and connecting.
How they make themselves understood is very important.
About loving our countries, what the Japanese think in Japan is different from what the British or the French think in Europe, isn’t it ?
Let’s think about it listening to the melody “ As time goes by”.
“ Here’s looking at you kid.”
“ We’ll always have Paris.”
“ Louis. I think this is the beginning of a beautiful friendship. “
Rick’s good lines without the border are eternal. (To be continued)



35星霜Thirty five years

2006-05-23 07:22:52 | Weblog
35星霜           平成丙戌年皐月二十三日
団塊の世代にとってここ5年が、一番大事な年回りになる。
平成19年から我々団塊の世代が還暦を迎える。
先日、友人に電話を掛けたら、「 退職して気が楽になるかと思ったら、母親が倒れて自宅介護することになってしまった。痴呆が進んで何処に徘徊されるか、監視していなくてはならない。どこにも出かけられないよ 。」 と しょんぼりな声が返ってきた。
10年前、私は、母親が食事が通らずに1年間点滴生活を余儀なくされたため、介護生活に入った。 毎日輸液をもらいに病院通い、病院からは訪問介護週1回受け、随時入浴サービスをしてもらった。 母は願っていたと思う畳の上での往生をとげた。
 亡くなってしまうと、その介護生活が「倖せだったんだ」と思えた。
友人もきっとそうだろうと思う。今は本当に大変だと思います。又、奥さんも。
 35年ぶりに東京の雑司が谷へ行った。2年間住んでいた。日本中だろうと思われるのは、団塊世代の住宅の建て替えか、駐車場へか、5階以上のマンションへの変化だ。
山手線の内側は特に5階以上ビルばかり、駐車場どころではないのだ。 その点救われているのは、広い雑司が谷霊園である。 毎月のように訪れた場所であるが、今はmapがある。 敬称は略させていただきます。真っ先に訪れたのは、文豪夏目漱石の墓である。当り前であるが、全く昔のまま、3mはあろうか堂々としたお墓である。お花が供えてあったことまで昔のままであった。石碑には「文献院古道漱石居士」とお隣に「圓明院清操浄鏡大姉」とある。それぞれ納得のいくありがたい居士、大姉の号であると思う。 近くにあるのが、竹久夢二の墓である。こじんまりとしたよいお墓です。当時友人と墓の前で話しをしていたら、夜中のことであったため、お巡りさんに早く家に帰りなさいと諭されたのを思い出す。今でも夜回りをされているのだろうか。比較をするわけでないが、当時いつお参りしてもお花が絶えないお墓は羽仁もと子のお墓でした。近くには愛知揆一泉鏡花。いつもだろうと思いますが、身内の方か?お花を供えておられたのが、大川橋蔵の墓でした。お線香の香りの中手を合わせてきました。 その近くに小泉八雲が眠ってみえる。 端っこには、今泉家としてある墓が作曲家のいずみたくの墓で、そばに顕彰碑があり、音符五線に「見上げてごらん夜の星」とあった。 ここなら静かに眠ることが出来る。 
 宇野千代さんゆかりの東郷青児の墓もあった。鬱蒼とした木立に囲まれて、ここが東京の真ん中とは思えない静寂のなかにあった。 生前の個性がそれぞれ偲ばれ、探してお参りするのにたっぷり1時間はかかった。雑司が谷にはまだいくところがあった。鬼子母神の大公孫樹である。去年ブログに書いた。子授け公孫樹といわれ、見ると枝から2,3本気根が垂れ下がっているから、乳公孫樹だ。高さは約33m、幹の周りは約11mと、すごい、立派な公孫樹です。樹齢600年という。鬼子母神さまと合わせて、拝してきました。 近くの83歳になる音羽家のおばあさんからすすき木兎(みみずく)を周りの土産にともらい、友人の待つホテルへ向かった。
(敬称は省略しました。英語はお休みしました)

国を愛すること。Loving our countries.(1)

2006-05-16 06:18:56 | Weblog
国を愛すること。Loving our countries.(1)      平成丙戌年皐月十六日

先月教育基本法改正案が国会に提出され、いよいよ本会議審議入り。
「愛国心」を条文化するなど、現行法にはない理念が盛り込まれている。 
自民党と公明党との合意で、次のように決着。
 『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。』 
 対案として、民主党は前文に『日本を愛する心を涵養(かんよう)』と明記するとしている。
いずれにしても、改正されることになる。
改正されたら、これで国家主義的な考え方(命を懸ける)にならないよう見守るより他はない。
私の父母は、教育勅語を諳んじていた。もっとも私の父は軍人でしたから、当り前といえば、当り前であったことでしょう。
戦前の教育勅語は天皇制の根幹とでもいうべき基本法である。
「朕惟フニ我ガ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ・・・・・
 夫婦相和シ朋友相信シ・・・・・・・
 一旦緩急アレバ義勇公ニ奉じ・・・・・・・・
 其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。
 御名御璽              」
武士道ではありませんが、御恩と奉公の関係で「いざとなったら」 命を懸けますとされていた。 今の中学生に「仮定だけど、戦争と言う事態になったら、命懸けれますか?」
と聞いても、「いやです。」という答えばかりだった。
当然と言えば当然かな。平和で飽食の時代だ。
校歌によく出てくる「伝統」ですが、子供たち曰く、「学校の統廃合でどこに伝統があるのか?」 と。 頭の痛いところをついて来ます。
先月、私の水泳仲間であり、Blogの「雪の遺書」の英訳を助けて頂いた長嶋さんより 手紙を頂きました。1999年10月21日朝日新聞に投稿して、東海版に掲載されたもので、読んで下さいとのこと。当時、国旗・国歌法が小渕内閣により成立した。曲解無きようそのまま、再度掲載させて頂くことにします。
                                                            
国旗・国歌には年月をかけて
 カナダ大使館御中    カナダの国旗・国歌の資料を早速お送りくださりまことに有難うございました。 あつく御礼申し上げます。
 貴国の国旗・国歌の決定までの経緯は、日本の国旗・国歌の検討のしかたとは発想に
根本的な違いが秘められていることが判り心から感動しました。 日本の政府が、国旗・国歌を成立する段階で、国民の声を広く問うことなく、むしろ国民の願いを拒否したことに残念を通りこし怒りを感じています。ガイドライン法といい、国歌・国旗法といい、日本の軍国化を本当に心配する時期に差しかかったようです。
 カナダは英国の連邦でありながら、実質的に独立した国家になしとげられたことを理解できました。 国旗については、2600以上もの案を検討したり長い年月にわたり、結局
1964年英王国のユニオンジャックを配したデザインをやめて、貴国特産の砂糖カエデのデザインに改新されたこと(初掲揚は翌年)に敬意を表します。 心の安まる何と美しいデザインではないでしょうか。 国歌も、永年の検討の果実で、人々の心と自然を育むすばらしい詩歌ですね。
 日本は戦後主権在民、戦争放棄・平和希求をかかげました。 私はそれを本物にしたいと願っているひとりです。 国は異なってもおたがいに真の世界平和のために努力しましょう。
本当に有難うございました。    (カナダ大使館の了解済み)
                                                            
 カナダは1867年7月1日に建国された。そして、1931年英連邦内自治領となった。
元首はイギリス女王Queen エリザベス2世(1952~)で、君主国Monarch.
国民はイギリス系が40%、フランス系が27%となっており、国旗・国歌を決めるのに年月をかけられたということです。
一方、日本では、当時、国旗・国歌法が成立した時、小渕首相は「強制するものではない。」と国会で答弁されたそうです。 強制ではないものの、将棋の米長九段は、東京都教育委員会委員として、「日本中の学校で国旗を掲揚し国歌を斉唱させるのが私の仕事です。」と平成16年の園遊会で述べている。しかし、さすがに、今上陛下は「やはり強制になるということではないことが望ましいですね。」とお返事された。  現場はどうだろう? 国歌を斉唱する際、起立を事実上強制する教育委員会が出てきたと聞く。
教育の憲法が教育基本法です。 まだ憲法が改正されてなく、外堀を埋めるように、今回も国旗・国歌法と同じく、国民の声を聞かずに成立となるのでしょうか?  決まれば、小中の社会科や道徳に影響が出て来ます。 あわてる必要はないように思いますが、私なりにじっくり是非を考えたい。 でも、会期は6月18日だ。   (英語はお休みしました。続く )
                                          



あなたは幸せですか?Are you happy ? (5)

2006-05-10 14:33:02 | Weblog
あなたは幸せですか?Are you happy? (5)     平成丙戌年皐月十日

河合隼雄(はやお)氏は幸福の条件として次の二つを挙げてみえる。
(1) 将来に対して希望が持てる。
(2) 自分を超える存在とつながっている、あるいは、支えられていると感じることができる。
物がないとか、親しい人を亡くしたとか、いろいろな不幸なことがあっても、
上記2つが満足していれば、幸福といえる。といっておられる。
Mr.Hayao Kawai gave us the next two points as the condition of happiness.
(1) You have a dream for the future.
(2) You can feel yourself connecting, or being supported by the existence that transcends yourself.
 Even if we have many unhappy things like no having anything and losing a familiar person, we should be happy with the above two things. He said so.

映画「北の零年」の吉永小百合さん(紫綬褒章受賞)演ずる小松原志乃は、
「生きている限り、夢みる力がある限り、きっと何かが私たちを助けてくれる。」と、言っていた。
In the film “Kita no Zeronen” Shino Komatsubara that Sayuri Yoshinaga( awarded the Purple Ribbon Medal) was playing said “ As long as we are alive and have the power to dream, something will certainly help us.”
 「幸せ」といえば、平成15年3月 96歳で亡くなられた 女流俳人鈴木真砂女さんがいる。 『ある時は、船より高き、卯波(うなみ)かな』と詠んで、銀座で「卯波」という料理屋をだし、NHK俳壇の添削をされていた。先年TVで波乱の半生が、親子の旅として放映されていたが、小柄で粋な女性だった。 その俳句の中に
  『 今生の 今が倖せ 衣被(きぬかつぎ)』 
 毎年、衣被が旬である今ごろ、私なりに倖せをこの句のお陰で感じさせてもらっている。
 ご冥福を祈るとともに、感謝いたします。
お読み下され、有難う御座いました。
Talking of‘Happiness’, I recommend a woman haiku poet Masajyo Suzuki who died at age 96 on March Heisei 15.
She wrote “ Arutoki wa Hune yori takaki Unami kana “
“At one time How higher than a ship Unami is !” (my poor translation拙訳)

and was running a restaurant ‘Unami’ at Ginza in Tokyo. She was correcting haiku in NHK haiku platform on TV. Formerly half her life was broadcasted as the trip of a mother and a daughter on TV. She was small and chic, nifty.
In her haiku :
“Konjyouno Imaga shiawase Kinukatsugi”
“ Now I’m alive. Now I feel happy with Kinukatsugi.” (my poor translation)

Every year at this time of year when Kinukatsugi is in season, I feel happy in my own way thanks to this haiku. I pay her last respects and give thanks to her.
Thank you for reading.

Ps. 卯波とは卯月(陰暦四月)のころに海に立つ波のこと。(広辞苑)
  衣被とは里芋の子を皮のままゆでたもの。(広辞苑)



あなたは幸せですか?Are you happy? (4)

2006-05-04 06:39:19 | Weblog
あなたは幸せですか?Are you happy? (4 )  平成丙戌年皐月四日

「幸せ」といえば、カール・ブッセの『山のあなた』を思い出す。
もう30年以上も前、三遊亭歌奴(現圓歌)師匠が『授業中』という題であの有名な「山のあなあなあな・・・」という詩を取り上げて話された。
当時、笑の中にも難しさを覚えたのを記憶している。

Talking of Happiness, I remember “ Over the mountains” by Carl Busse.
More than thirty years ago the master of Rakugoka Sanyuutei Utayakko (present Enka) was talking a story “in class” with taking up that famous “ Yama no ana ana ana・・・”.
At that time I remember having felt it difficult in its laughter.
上田 敏訳(「海潮音」)で By Bin Ueda’s translation.
                    
山のあなたの空遠く、
「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く、
「幸」住むと人のいふ。         

Over the mountains,
Far to travel, people say,
Happiness dwells.
Alas, and I went,
In the crowd of the others,
And returned with a tear-strained face.
Over the mountains,
Far to travel, people say,
Happiness dwells.

私の勝手な解釈、
山のかなたの遠いところに幸せがあると人が言っている。
ああ、残念にも群集と尋ねて行ったが、
無くて涙ぐんで帰ってきた。
山のかなたの遠いところに幸せがあると人が言っている。

やはり、宇野千代さんが言われるように、「幸せ」はどこにも転がっているんですね。
佐藤一斎先生は「必ずしも福を干(もと)めず。禍(か)無(な)きを以て福と為す。」と「言志四録」で述べられている。足るを知るということですかね。人生を楽しむコツの至言ですね。感謝ですね。(続く)
After all there is happiness everywhere as Mrs.Chiyo Uno told.
Mr. Issai Satou said,” I don’t want happiness necessarily, but I feel happy without a misfortune.”in ‘Gensi si roku’. We have to know how to content ourselves with our lives. This poem is a wise remark of the secret to enjoy our lives.
It’s in appreciation, isn’t it?.

参考までにドイツ語の原詩では
Uber den Bergen,
weit zu wandern, sagen die Leute,
wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging,
Im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen,
weit, weit druben, sagen die Leute
wohnt das Gluck.

(To be continued)

童うた号(沼田曜一氏)逝く。Mr.Youichi Numata died.

2006-05-01 08:03:32 | Weblog
童うた号(沼田曜一氏)逝く。Warabeuta gou (Mr. Youichi Numata)died.

4月29日 現代の民話の語り部 沼田曜一氏が亡くなられた。
思えば、いまから27年前、昭和55年のこと、慣れぬ仕事で休んでいた私は、NHK,FMラジオ はかま満男氏の軽快な司会進行の「日曜喫茶室」(今もやっているかな?)を聴いていた。 そこへ沼田曜一氏がお客として出演なさっていた。
日本中いや、世界中の民話を探し、それを纏め、語るというライフワークをされていた。
題して、「愛と哀の人間ばなし」を紹介された。
 始めは 「部屋」という言葉のはじまりとなる 東北地方の民話 「屁ったれ娘」で笑った。次に、出されたのは、今では絵本にもなってると思いますが、それこそ現代の民話です。―――――むかし、日本の国が、世界中のたくさんの国と戦争をしていた時、広島の、ある町の横丁に、小さな石地蔵が立っておりました。この地蔵さんの顔は、いつも「うふふふふ」と笑っているように見えたので、町の人はいつか、笑い地蔵と呼ぶようになりました。(略) と、その時、まっさおに晴れあがった空に、突然、敵の飛行機が現れ、ぐうんと高度を下げたかと思うと、広島の町の真ん中あたりに、原子爆弾を投げつけました。
(略)  女の子が動かなくなった時、力いっぱいくいしばった石地蔵の顔が、ぐらり、と大きく揺れました。そして、もう耐えきれないというふうに、ぐさぐさっと、細かい石の粒になって崩れ落ちると、あたり一面に散らばってしまいましたとサ。―――――
 聞き終わった私もそうですが、喫茶室の面々のすすり泣く声が、ラジオから聴こえてきました。 原爆はまだつくり続けられています。「沼田さん、ありがとう。」と心から言いたい。27年前、買い求めた一冊『愛と哀の人間ばなし』を読み返し、人のふれあいを大事に生きていこうと思いました。ご冥福をお祈り致します。(英語はお休み致します。)