隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

あかつきの漂泊者A wanderer at dawn (10)

2007-06-28 23:42:57 | Weblog
あかつきの漂泊者A wanderer at dawn (10) 平成丁亥年水無月二十八日

‘J’さんはついにスペインからイタリアへと足をのばし、イタリアの世界遺産巡りだ。
さすがに、イタリアは小さな町にも、歴史的見るべき遺跡がある。
その中でも、シエナ(Siena)と呼ぶとてもすばらしい町があるという。
母校の大学の名前がそれからちなんで付けられているという。
とても小さい町だが、調べてみると世界遺産があり、12世紀ごろ出来たという。
トスカナの南で、ローマからかなり北である。 すばらしいイタリアの田舎の風景がよかったという。 ツアーでない、漂泊の旅ならではの得がたい経験ですね。
I have now left Spain, and have arrived in Italy. It’s beautiful! I spent 3 days in Rome, and visited the Vatican, Sistine Chapel, Colloseum, Roman Forum, Trevi Fountain, and so much more! There is so much history and too much to see in such a small city.
At the moment I'm in a gorgeous town called Siena. I came here because the name of my high school was Siena College, named after this city! Its a great little town with so much to see. It also has beautiful views of the Italian countryside.
‘J’さんにあやかってではございませんが、私も海外へ、home stayしながら異文化交流に出かけます。したがって、しばらく投稿をお休み致します。宜しくお願い致します。
「旅は人生へのスパイス(薬味)」と言われております。’J’さんは薬味どころか、人生そのものでしょうね。
お読み下され、感謝致します。

岩倉使節団などIwakura goodwill mission and so on

2007-06-26 06:58:33 | Weblog
岩倉使節団など Iwakura goodwill mission and so on.平成丁亥年水無月二十六日

アメリカ生活の長いG君ならではのコメントを頂いた。

岩倉使節団のことを書いたBLOG 拝見しました。

当時の人は 大変なカルチャー・ショックを受けたのでしょう。 今からは 想像もつきません。 

1871年から2年間に アメリカで感じた事をつづった物だそうだ。 今から たった130数年前である。(たったの?) 今 こうやってオレゴンに住み始めて 日常生活に 何も違いが無い(以前にも 書きましたが 英語が通じない不自由さを 除き)。 永住権を持ち、SSL(social security number)も持っているので 家を買うのにも不自由は無い。 収入は無いが 年金で生活していく上で 特に不自由はない。 家を持ち(自分の家) 衣・食に大きく困る事は無い。むしろ 消費税がない分だけ 楽といえる。
 しかし 130年以上昔は 社会が違った。 私のような日本人が アメリカで生活することは 非常に難しかったであろう。 アメリカで 他国の人間に永住権を付与し 不動産などの資産を持てるようにしたのも そんなに古い話ではない。 法律で 人種、宗教による差別を禁止したのも 1960年代になってからである。 見かけ上は 差別無く生活を送れるようになったのも ここ数十年である。 人種差別を禁止する公民権法が成立したのが 1964年である。 個人主義的自由主義を標榜している米国で 世界的に民主主義を広めようとしているが それは併せて個人の自由を広めようとするあまり 個人の宗教の自由も認める事にもなり 宗教と切り離せなくなっている民族の独立、自由も広げることになる。 かえって民族間の対立を助長するという面も出てくる。 今 アメリカでは イラク内紛を如何に収束させ 米軍の撤退を早めるかが ホットな話題である。 しかし 対立する2つの宗派がバックにおり 解決は容易ではない。 キリスト教を教義とする議会の政治家にとって イスラム教の対立は そう簡単には理解できないのではないか。
 一方 今 アフリカが注目されている。 米国流の民主主義を広める最後の大陸からだろうか。 インターネットの普及は まだこれからだが 月の収入が $100にも満たない国が多い中で まだまだこれからだろうが 以外に大きな力を持つかもしれない。
アフリカも 民族の坩堝といわれるが どのような宗教が多いのであろうか。 中東と同じように 民族間の対立で 問題が起きる可能性が高い。 米国流の経済主導の民主主義が そう簡単に広がるであろうか。 インターネットも 光の面と 影の面を持つ。
光の面の力で うまく作用すればいいが。
 
地球環境の温暖化の問題は 今やグローバルな地球全体の問題として 西欧諸国では 関心が高いが 米国では アル・ゴアの書物に関心はあるが 米国政府の姿勢は 今ひとつ物足りない。 内心では 自分達の車社会を変えなくてはいけないと思ってはいるが 選挙のことを考えると 二の足を踏まざるを得ないと言うところか。 
中国、インドも このままではいけないと思いつつ まだ経済成長が先だと言う事だろう。 アメリカでも 自分たちの生活レベルを下げてでも 社会を変えていかなくてはいけないという社会評論家もいるが 直ぐには変わらないだろう。

 オレゴン州のポートランドは 環境問題に敏感な町で ストリートカーなどによる交通の変革に積極的で 私の家のそばから バスでポートランドへ行け、市内や その近郊は 電車で行ける。 しかし 経済の繁栄という意味では むしろ そんなにまでして繁栄する必要はない、 むしろ このまま自然を生かした環境にしておこう、という声が聞こえる気がする。 オレゴン州自体が 移民にあまり積極的でないこともあり カリフォルニア州に見られるアジア人、メキシコ人による移民の増加による問題も まだ 多くは無い。
今年の秋から 本格化する 次期大統領選が どんな動きを見せるか 興味がつきない。 そして 来年選ばれる新しい大統領の下 アメリカがどう変わっていくか 面白いところである。
では また お元気で。
***
いろいろ多岐にわたったコメントを有難うございます。
アメリカは歴史が浅い。すべてがつい最近となってしまう。
今、日本がこれから向かう問題には海外問題が密接にリンクしてしまっているから、解決が複雑になるだろう。 日本にいる外国人は約197万人と聞く。そのうち、岐阜県は約5万人である。そして、何とブラジル、中国からの外国人が多い。製造業が50%を超える。住みよい社会にしていかねばと思う。岐阜の八百津には杉原千畝記念館がある。

お読み下され、感謝します。


岩倉使節団 Iwakura goodwill mission(2)

2007-06-21 06:06:40 | Weblog
岩倉使節団 (2)       平成丁亥年水無月二十一日

大貿易国、工業国の島国イギリスでの驚きは、貧民窟やアヘン窟であったという。最盛期ロンドンのイーストエンドは貧富の差が激しく、「富むものは日に富み、貧するものは僅かに食べるだけの生活」をしていた。当時ロンドンにいたカール・マルクスが指摘する資本主義の矛盾そのままの社会だったのであろう。しかし、使節団は冷静であった。久米邦武は「欧州今日の富庶(ふしょ)をみるは、1800年以降のことにて、著しくこの景象を生ぜしは、僅かに40年にすぎざるなり」と、総括した。産業革命は1830年代である。英国の富強の源を知り、そのからくりがわかった今、それを着実に学び摂取していけば、遠からず追いつけるのではないかとの感触を伝えているという。「いいところだけとれるか?」「わるいところも一緒にはいってくるか?」複雑であったろう。 岩倉は鉄道に関心があり、フランスでも監獄を調べている。ウィーン万国博覧会を見、ついで訪れたプロシアで、ドイツ帝国を形成した“鉄血宰相”ビスマルクから、その体験を聞いたことは強烈だったという。米英仏の高度な文明と日本の現実との隔絶感のなかで、小国プロシアがいかに大国へとのしあがっていったかを、ビスマルクの口からじかに聞いたからである。「小国は外交の踏むべき道と国際法を守って、その枠をこえることはないのに、大国はみずからが不利となるや、白を黒といいくるめて力でおしきってしまう」と、ビスマルクは言っている。「鉄と血あるのみ」と議会で叫んだビスマルクのなまなましい体験から、弱肉強食の国際政治の実態は使節団にぐっとこたえるものがあったという。小国が大国に対抗するには、自らが大国となって軍事力を持つ以外にない。他国デンマーク、ベルギー、スイスに見た小国の自主独立のあり方より、プロシアの道を東アジアのなかで選ぼうとしていたことがわかる。
泉三郎氏は「岩倉使節団という冒険」で、旅の土産は、第1に日本に西洋の学問とくに法経学や科学技術というものの種をもってきて植えたこと。加えるに、憲法の制定、国会の開設、貴族・衆議院が出来たこと。 特に1番は「憲法の制定」である。帰国後、木戸はプロシア憲法を手本とし、大久保は英国の制度を下敷きにしているが、いずれも共和制でなく、君主制でもない「君民共治」を意図したものの人民会議は、日時要するから当面は天皇に無上の権を与えてデスポテック(専制)でいく外ないとしている。
木戸が「日本だけの」といい、大久保が「日本独立の」といって日本人のアイデンティティをつなぎとめようとした心事が読みとれるとしている。
その2人の死後、明治15年伊藤博文は憲法制度取調べのため、岩倉具視の息子具定をつれて、ドイツ、オーストラリア、イギリス、ロシアを訪れ明治憲法の骨格を作り上げた。具定の妻久子はこの間毎日日誌をつけ、写しをとって、滞欧中の夫に送り続けたという。家族愛に支えられていた一面である。
西洋にはキリスト教があって人心の機軸をなしているが、日本にはそれに相当するものがない。仏教は衰頽(すいたい)に傾き、神道も宗教として力を持たない。だから伊藤は「我が国に在っては機軸とすべきは独り皇室あるのみ」とし、天皇を憲法の核心に置いたのである。伊藤は本来共和的な思想の持ち主だが、明治維新における錦の御旗の威力、勅諭の効用を十二分に承知していただけに、天皇の存在の重さを充分に理解していただろう。そのため、明治憲法は表向き「天皇神聖」を揚げ、天皇に絶対権力を付与するようでありながら、実はさまざまな枠をはめて、いわば機関としての天皇を規定している。その意味では曖昧であり、運用次第でどうにでもなるような要素を内蔵していたわけである。
この岩倉使節団の旅は具忠氏によると、具視の場合相手の伝統と自己の伝統の特殊性の隔たりは十分に認識した上で、近代化のために米欧的な枠組みのなかで、日本を再編成しなければならないとしながらも、その際日本の伝統の持つ特殊性をも排除しない方向を模索しつつ欧化対策を講じようとする態度が見られ、単に西洋人の目を意識してひたすら同調しようという「単純模倣型」の姿勢とは一線を画すように思われるとしている。
帰路において、地中海から紅海、インド洋、東シナ海のアジア沿岸各地で、これまで回覧してきた文明国の民が「暴侮の挙動」をとっていることを目のあたりにした。使節団はここ植民地へやってきたヨーロッパ人は「棄テラレタル民」だからとした。
しかし、この使節団と同行して、フランスへ留学した中江兆民がいた。「文明国のアジアへの野蛮は、それが文明からはみ出したものでなく、文明と表裏一体のものだ」と考え、「民約論」を訳し、平和と民権を基礎にし、非侵略に徹するいわゆる小国主義をとなえた。 けれど結局のところ、岩倉使節団はヨーロッパ文明のなかにみずからをのめりこませ、アジアにおける小国から大国への道を選んだ。アジアへの痛覚を欠落させたことが、その後の日本の命運にいかにかかわったか。
泉三郎氏は19世紀後半の帝国主義時代、侵略が当り前のような時代にあって、日本がいかに独立を確保し、列強に対等に伍していくかの課題に真っ向から挑んだ大いなる旅であったとしている。
かくして、日本は「国のかたち」を整え、欧米が産業革命以来40年で成し遂げた発展に「追いつこう」とスタートしたのである。
岩倉具忠氏の本には、具視の家族思いや、家族がいかに留守を守ったかが書かれておりました。「岩倉邸行幸」という絵画に明治天皇が病床の具視を見舞うのに土足で座敷へ上がられた様子が描かれていた。やはりという思いがしました。
具視の手紙が欧米から当時(明6)日本へ届けられていたとは驚きでした。
参考文献; 泉三郎 「岩倉使節団という冒険」
        田中彰 岩倉使節団「米欧回覧実記」
          〃   「近代天皇制への道程」
        岩倉具忠 「岩倉具視―国家と家族―」

お読み下され、感謝致します。

あかつきの漂泊者A wanderer at dawn(9)   

2007-06-19 09:09:52 | Weblog
あかつきの漂泊者A wanderer at dawn(9)   平成丁亥年水無月十九日

‘J’さんから漂泊の振り返りの報告を頂いた。

I'm half way through my trip around the world and thought its time for a little review.

Seven countries down, three to go... I've now been to India, England, France, Germany, Holland, and am currently in Spain. I arrived in Barcelona on Friday afternoon and my hostel is in a residential area. Found a small local cafe to have some tapas, and the lady didn't speak any English. This is what I love about travelling, when I feel out of my comfort zone. England, Holland and Germany didn't give me any real challenges when it came to talking the language, everyone can speak great English, but I love when I'm forced to look up a sentence, use sign language and order something I have and have no idea what it is!

I've been on some great day trips, saw too many monuments and museums to remember - except Salvadore Dali in Paris, loved his work, and found some great deals in markets that seem to pop up in every city in Europe.

One problem is the food, it's fantastic. If nothing else I've eaten like a queen. I have to try every new dish that a country offers. I was eating sausages for breakkie for a week in Germany after I said I wanted to try some, and Rolf, Ray's cousin, bought at least 12 varieties. I had escargot in France, and chocolate and cheese in Holland. And LOTS of pastries and crepes in Paris. I still have Spain, Italy, Mexico and Brazil to visit, so I'm sure food will continue to be my biggest expense.

I've hit a point where I meet so many people at every country I visit but I crave some familiar faces. The next two months will be lots of fun, but I'm really excited about August 14th, my home coming!!! Until then I'll make the most of carrying my life on my back.

Missing you all so much!

***
まだまだイタリア、メキシコ、ブラジルと続くとのこと。
言葉が通じないほうが返っていいみたいだ。

‘J’さんへ
I think communication is difficult. You can speak English very well. So among England, Holland and Germany, you didn't have to challenge.
Now Salvador Dali's exhibition has been held at Nagoya city museum in Japan. 今、サルバドール・ダリ展は名古屋市美術館で開かれている。
When you come home, you’ll have the greatest joy “I have grown up.” like Nils Holgerssons underbara resa genom Sverige.(Swedish)ニルスの不思議な旅
I think after his trip he has been aware that he made friends with animals, human beings and nature, and Happy didn’t come without loving the others.
Please make the most of carrying your life on your back.
*ニルスのように「よくやった」と迎えられるだろう。

お読み下され、感謝します。





岩倉使節団 Iwakura goodwill mission(1)

2007-06-16 09:03:07 | Weblog
岩倉使節団 (1)       平成丁亥年水無月十六日

 ‘J’ さんが、インド、ヨーロッパ各地へ旅をしている。
明治4年(1871)11月、今から136年前、岩倉使節団が横浜を出発し、はるか太平洋を渡り、1ヶ月後サンフランシスコの地を訪れている。
 特命全権大使=右大臣、岩倉具視46歳をはじめ、教科書の写真のように、木戸孝允38歳、山口尚芳32歳、伊藤博文30歳、大久保利道41歳ら、時の明治新政府の有力者約50名と60人近くの留学生が随行した。その中には5人の女子留学生も同行。津田梅子は7歳だった。 
 大政奉還で「将軍の国」から「天皇の国」へなったが、「廃藩置県」が行われ、新政府もようやく「日本という国のかたち」を模索しだしたわけである。
米欧12カ国を明治6年9月まで2年近く歴訪した。 目的は①儀礼的な国書の捧呈 ②条約改正の予備交渉 ③制度、文物の調査 であるが、彼らの見聞が今日の近代日本の基礎となるべき姿を表している。
 彼らの驚きから見ていくと、サンフランシスコでの驚きはホテル、エレベーターの体験、鉄道馬車、夫婦の手の握り合い、夫の給仕の振る舞いというカルチャーショックから始まった。 アメリカでは宗教や教育を通して民心を啓発し、生活を安定させ、その上で「紳士」たちが率先して、生産を興しているという。  
 その根底にアメリカ開拓民の自主・独立の精神を見出している。 イギリスからのこの移民の民はアメリカの広野に自主の風をのばそうとして独立した。だから、州から村にいたるまで、その社会内に「自主の力」を自在にふるい「共和の政」をつくり出したという。 また、キリスト教について、毎週の礼拝日に貴賎ともに相たずさえて、教会に出かけ、説教を聞く人々に驚いたという。
 アメリカで見たものは資本主義とデモクラシーとプロテスタンティズムという3つの近代思想であった。
伊藤博文の有名な「日の丸演説」、英語によるスピーチの後、大陸横断鉄道で各地を訪れ、ワシントン入りする。何処へ行っても大歓迎であったという。
問題は不平等条約改正の予備交渉である。米側の天皇陛下からの委任状要求に、びっくりした大久保、伊藤は、往復4か月もかけてわざわざ日本に委任状を取りに帰るという、当時としては冒険も冒険と思われることをやって来ている。
凄いことである。その間一行約100人は各地を見学してきたという。
 岩倉具忠著「岩倉具視―国家と家族」(国際高等研)によると、岩倉具視の「メモ帳」には、一、条約ノ義国書ニ照シ合セ始末の事。一、宗旨(しゅうし)ノ義申出候砌(みぎり)答振りノ事。 とあり、条約改正を持ち出せば宗旨のことを言い出すに違いないから、それに対応できるよう答えを用意する必要ありとしている。
 欧米各国には「キリスト教を奉じないような国民にやすやすと裁判を委ねるわけにはいかない」という牢固たる考えがあったからである。キリスト教の問題はおそらく使節団員にとって最も苦手なことだったろう。
 子孫の具忠氏は同書の中で、条約改正の条件としてアメリカが強く求めたものが、自国と同等な宗教倫理に基づく裁判であった。精神的なバックボーンとしてキリスト教があることを知った使節団が、帰国後日本の宗教の再編成を目指し、神道を国教とするに至った背景には、ひょっとしてこのような外圧があったのかもしれない。と言っている。
 また、岩倉具視のメモに「立君会議日本ニ当然タランカノ事」とあり、他ならぬ「立憲政体」の問題が関心事であったろう。 天皇の占める位置とその機能の問題であったことは間違いない。その数行あとに「天皇を人現ノ頭タル事」とある。
具忠氏は「天皇は人民の長である」という意味で、天皇観を表した記述と見て、アメリカで大統領グラントと人民の関係を見て初めて人間の最高位にある天皇という発想がでてきたのであろうかとしている。 しかし、人民こそ国家の主人公だというアメリカで見たもっとも基本的な発想が切り捨てられていると思われます。(続く)
お読み下され、感謝致します。

最近考えたことA thing that 'G' thought recently.

2007-06-10 09:33:40 | Weblog
「最近考えたこと」 平成丁亥年水無月十日

「最近考えたこと」として森の人G君が有り難いメールを寄せてくれた。


アシモフの自伝風の書き物を読んだ。 読んだといっても 実際のところよく解からないので 事実関係を中心に(何時 どんな本を書いたか、いつ何をしたか、など)を 読んだだけである。 私の英語力の問題もあるし、アシモフの本を大して読んでいない事もあるが やはり 著者の生活が理解できない、想像できない事が大きいと思う。

私は あまり本を読む人ではないが 外国人の書いた小説をいくつかは 読んだ事はある(日本語訳で) アメリカでは スタインベックの怒りの葡萄、エデンの東など。 やはり 著者の書いた時代の生活が理解できない、想像ができない。 アメリカでの経験を参考にして 努力はするが やはり難しい。

一方 日本の小説 芥川 龍之介、 夏目 漱石などは 時代が違っていても理解出来るし 想像も出来る。 これは 何だろうか。 やはり 個人の持つ知識、それが示す範囲の違いからくるものであろう。 単に言葉、言語の問題ではない。

最近 インターネットの世界でセマンティックWebなる言葉が出てくる。 今までのHTMLによるテキストから それが表す意味までを含める より広い定義をして よりひろく機械が認識する範囲を広くしようとする試みである。 しかし ここまで来ると いくら英語が出来 ある程度は米国の環境が理解できても アメリカ人の社会に入り込むことは 容易ではない。

私のようにアメリカに住み 毎日 アメリカの生活をしていても そのドメイン(知識の基盤となる領域)は 異なる。 アメリカでは ソシアル・ネットワーキング(SNS)が盛んである。 個人同士、グループ間、何らかの共通のドメインを共有する人間の間でのコミュニケーションである。 しかし この輪に加わるのは 難しい。 よほど 趣味などで共通の意思疎通が出来る場合を除いては。

以前のウエブ人間論に戻るが かなりウェブが進展しても やはり日本人がウェブを基盤にした世界で コミュニケーションしていくことは 難しい。 
もはや 言語の問題ではない。 優れた翻訳機能が出来ても 手助けにはなっても 言葉が表す意味までは 伝えることは難しいからである。

そこに住んで 長い間に蓄えた また世代を超えて蓄積された知識の集積が おおきな違いになる。 
やや哲学的な話になるが 何を、どう考え、なぜ そう考えるのかが わからないと いけない。

こんな事を いろいろ考えている毎日です。

***
Gさんへ  
移住されての考察、有難うございます。

アシモフに関してはあの「ミクロの決死圏」以外何も知らない私は、君よりも理解できないでしょう。 SF小説だとして楽しめばそれでよいでしょうが、アシモフ自身の内面に迫ろうとすれば、それこそ、大変だ。ウィキペディアによれば、彼はロシアのベトロビッチにおいて、ユダヤ系ロシア人として生まれ、アメリカに移住してきている。本人は完全にアメリカナイズされて、物を書いているが、やはりルーツが理解できないと難しい気がします。そして、ルーツのbackground たとえば家族の宗教などが問題になってくる。ロシアといえば、ロシア正教会ですね。たぶん御茶ノ水のニコライ堂でしょう。小林秀雄氏の「ドストエフスキー論」に刺激を受け、ドストエフスキーの主な本は読みましたが、「カラマゾフの兄弟」の「大審問官」の下りなんかは根本問題だから、川原栄峰教授(哲学)に教えて頂き、むさぼり読んだのを覚えております。でも、難しさは変わりませんでした。
現在、日本の小説でも、君が理解できるといってみえる夏目漱石は今の若者(中学生)にとって既に「古典」である。漢字の表記が今に直してあるから読めるだけであろう。時代背景の変化から想像すら出来ないように思う。
 今は平成19年だ。
ところで、インターネットの世界でセマンティックWebなる言葉が出てきているといわれる。仮想社会の出現と、やっとテレビが取り上げ出したところだというのに。 どこまで進化するのだろう。 
 しかし、この前君が送ってくれた写真のようなコロラド渓谷の自然に、どっぷりと浸かる生活も良いですね。 スネイル・メールでは江戸時代に戻ったような感がしますが、なんと明治初頭に岩倉具視はサンフランシスコで飛脚船より日本からの手紙を受け取っている。
今、岩倉欧米使節から日本の近代化の基礎はどう出来上がったのかを見ようとしております。 
では、アップさせてもらいました。

お読みくだされ、感謝致します。

あかつきの漂泊者 A wanderer at dawn(8)

2007-06-04 15:39:07 | Weblog
あかつきの漂泊者 A wanderer at dawn(8) 平成丁亥年水無月四日

‘J’さんからメールが来た。 今、なんとスペインだ。

I arrived in Barcelona, Spain, two days ago. It‘s beautiful here; the weather is nice and warm, the houses and streets are very Spanish and interesting, and the people are friendly too. I will leave Barcelona tomorrow though for a town called Cadaques, then to Madrid to visit a friend from England who I met in Japan!
I have tried lots of ‘tapas’ - small snacks that are very Spanish in style. They taste wonderful! But I don’t know much Spanish, so I’m eagerly trying to learn some. A country is much more interesting when you can speak the language.
I will try to visit Uffizi Gallery, although I don’t know where I’m going in Italy yet besides Rome.
Hope you are well.
2日前、スペインのバルセロナに着いた。ここは美しい、天気はよく、温かいし、家や町がスペインそのもの、興味深い。人々も親切である。明日、日本で会った英国からの友人を訪ねるため、マドリードへ、カダクスと呼ばれる町に向けてバルセロナを出発するでしょう。
私はいかにもスペインらしい小さな菓子タパスをたくさん食べた。とてもおいしい。 しかし、スペイン語が分からないので、いくつかを一生懸命おぼえようと努力している。 国は言葉が話せると、とても興味深くなる。
ウフィツィ美術館へ行こうと思う。でも、ローマ以外イタリアでは何処へ行くか分からない。
お元気で。

‘J’さんへ

Buenas tardes.
Gracias.
I think the Mediterranean climate is good.
You have experienced it!
I wish I were a swallow!
You had better not eat everything too much.
But I would like to try some snacks, too.
Two years ago I knew 'Alicante' is the best place where some rich Europeans moved, through studying English.
I would like to feel the atmosphere.
Of course, you should go to see the greatest chapel 'Sagrada Familia' which a Japanese architect is working now.
Please take care of yourself.
こんにちは。
ありがとう。
地中海式気候はよい。体験してみえる。ツバメになって行きたいものです。
なんでもたべすぎないように。でも私は菓子を食べてみたい。
2年前私は英語の勉強を通じて、アリカンテというヨーロッパのリッチな人たちが移ってきている場所を知った。
雰囲気を感じてみたい。勿論、サクラダ・ファミリー大聖堂へは行くべきですね。日本の建築家が働いているという。
お気をつけて。

お読み下され、感謝します。