柚子
白帝城 Bai di cheng 平成丁酉廿九年睦月十九日
犬山城ガイドも、今年で、7年目となりました。
3層4階地下2階となっていますので、ガイドも1日3組目ですと疲れてきます。
でもそういった有難い日は月1日くらいで、私に合わせたように外国の方の訪問が少ない。
1月という寒い月は致し方ないですよね。あくまで待機活動でホッカイロを抱かえて、待っております。
ある仲間は修行ですねと言っております。部屋に電気ストーブがあるにはありますが、外国の方は受付の看板を見ないで
入ってこられます。私のガイドの半数はそういう方たちばかりです。電気は切ってありますから、心配はいらない。
犬山城は別名 白帝城という。
伝えられるところ、「早に白帝城を発す」李白の詩にちなんで、江戸中期の儒学者荻生徂徠が命名したとなっております。
村瀬太乙の「白帝城」という詩があります。
『風光画の如く(ふうこうえのごとく)情に堪えず(じょうにたえず)
況や是れ誰が名づく(いわんやこれたれがなづく)白帝城と
今後未だ知らず(こんごいまだしらず)物の存没するを(もののそんぼつするを)
渡頭独り立ちて(ととうひとりたちて)灘声を聴く(だんせいをきく)』
[寸訳]
犬山城の付近の風景は絵に描いたように美しく感動的である。
誰が白帝城と名づけたのだろうか。後の世の物事は分からないが、私は今木曽川の
渡し場に立ち、急流の瀬音をしみじみと聞いている。
村瀬太乙は美濃の生まれ。幕末:明治の儒学者、詩人, 画家。
頼山陽に学び明治維新の直後、犬山藩の藩校「敬道館」で教授する。
書画共に飄逸(ひょういつ)非凡(世事を気にせず、のんき)と言われた。奇行の逸話が多い。
パソコンの調子がつかめず、ぼつぼつになっております。
お読みくだされ、感謝致します。
白帝城 Bai di cheng 平成丁酉廿九年睦月十九日
犬山城ガイドも、今年で、7年目となりました。
3層4階地下2階となっていますので、ガイドも1日3組目ですと疲れてきます。
でもそういった有難い日は月1日くらいで、私に合わせたように外国の方の訪問が少ない。
1月という寒い月は致し方ないですよね。あくまで待機活動でホッカイロを抱かえて、待っております。
ある仲間は修行ですねと言っております。部屋に電気ストーブがあるにはありますが、外国の方は受付の看板を見ないで
入ってこられます。私のガイドの半数はそういう方たちばかりです。電気は切ってありますから、心配はいらない。
犬山城は別名 白帝城という。
伝えられるところ、「早に白帝城を発す」李白の詩にちなんで、江戸中期の儒学者荻生徂徠が命名したとなっております。
村瀬太乙の「白帝城」という詩があります。
『風光画の如く(ふうこうえのごとく)情に堪えず(じょうにたえず)
況や是れ誰が名づく(いわんやこれたれがなづく)白帝城と
今後未だ知らず(こんごいまだしらず)物の存没するを(もののそんぼつするを)
渡頭独り立ちて(ととうひとりたちて)灘声を聴く(だんせいをきく)』
[寸訳]
犬山城の付近の風景は絵に描いたように美しく感動的である。
誰が白帝城と名づけたのだろうか。後の世の物事は分からないが、私は今木曽川の
渡し場に立ち、急流の瀬音をしみじみと聞いている。
村瀬太乙は美濃の生まれ。幕末:明治の儒学者、詩人, 画家。
頼山陽に学び明治維新の直後、犬山藩の藩校「敬道館」で教授する。
書画共に飄逸(ひょういつ)非凡(世事を気にせず、のんき)と言われた。奇行の逸話が多い。
パソコンの調子がつかめず、ぼつぼつになっております。
お読みくだされ、感謝致します。