隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

七福神巡りTour of the Seven Deities of Good Fortune

2013-01-24 21:26:21 | Weblog
七福神巡りTour of the Seven Deities of Good Fortune 平成癸巳廿五年睦月廿四日

今年はO先輩から「下谷七福神」の賀状を頂いた。
全国各地に「七福神」はあるみたいですね。

玄侑宗久、福島在住の作家、僧侶は、去年、講演会で「日本的な生活」はまさに「七福神」の信仰であるといってみえた。
日本には、八百万の神がいて、原始は神仏習合でした。
あの塩沼大阿闍梨によると、役行者以降、修験道というのは、仏教、神道、儒教、道教など、いろんな宗教が習合して成立し、時代の流れとともにずっと信仰されてきた。
純粋に自然の中で悟りを求めていく山岳宗教であり、神仏一体の宗教であった。
修験道の修行者は俗に山伏とも呼ばれてきた。武蔵坊弁慶もその一人ですね。(平18年12月2日「弁慶のひたむきさ」)
藤田庄市氏によると、修験道というより日本の伝統宗教は江戸時代まで基本的には神仏習合であった。それが、明治維新政府の神仏判然令、修験道廃止令により、神社 から仏教色は一掃され、吉野、熊野などの修験道は壊滅状態となった。吉野では百二十数カ寺あった塔頭(たっちゅう)寺院は数カ寺にすぎない。
 しかし、「山川草木悉有(しつう)仏性」千年以上に渡り、山にも、川にも、草木にも、神仏がいますと感じ取り、神仏習合の信仰をつくりあげてきた先祖伝来の心は消えてはいない。 熊野本宮大社の神殿から、御神水と御神火を捧げ持った聖護院山伏と熊野本宮大社神職が並んで、神仏習合の採灯護摩がなされるという。(修験道2008年5月)
秋田のなまはげでも、明治より「天照大御神」となり、仏教は申し訳ないように奥まって建てられていた。
どっこい、都内でも、しっかり神仏習合が根付いていることは有り難いことである。
少し調べました。
下谷七福神の概要


下谷七福神は、下谷を冠していた旧下谷三の輪町、旧下谷金杉上町・下町、下谷竜泉寺町、下谷上根岸町付近にある七福神で、寿永寺の布袋尊、飛不動正宝院の恵比寿神、弁天院の朝日弁財天、法昌寺の毘沙門天、英信寺の三面大黒天、入谷鬼子母神真源寺の福禄寿、元三島神社の寿老神を参詣します。徒歩で約2時間で参詣できます。また、東京メトロ日比谷線三ノ輪駅、JR山手線鶯谷駅に下谷七福神巡りのパンフレットをいただけます。

布袋尊(清廉度量)    寿永寺  台東区三ノ輪1-22-15
恵比寿神(愛敬富財) 飛不動正宝院 台東区竜泉3-11-11
朝日弁財天(芸道富有) 弁天院 台東区竜泉1-15-9
毘沙門天(勇気授福) 法昌寺 台東区下谷2-10-6
三面大黒天(有富蓄財) 英信寺      台東区下谷2-5-14
福禄寿(人望福徳) 入谷鬼子母神真源寺     台東区下谷1-12-16
寿老神(延命長寿) 元三島神社         台東区根岸1-7-11
________________________________________
寿永寺の布袋尊• 飛不動正宝院の不動堂
弁天院本堂 法昌寺毘沙門堂
英信寺毘沙門堂 真源寺福禄寿堂
元三島神社拝殿
 

 **同じガイド仲間のUさんから「名古屋の七福神」を頂いた。
  

名古屋七福神めぐり

①布 袋 尊 "Happy"(円満)中国五大聖人の一人です。弥勒菩薩の化身とも言われ、堪忍と和合を教えて          くれる神様であり広く親しまれ尊敬されておられます。
          名古屋市民には「大須の観音様」で有名です。
寶生院  名古屋市中区大須2-21-47     052-241-7670

②大 黒 天 "Rich,Wealthy"(裕福)インドの神様で有福を示し、有徳、財宝、闘戦の神様で二俵の米俵          に立ち糧食を司ります。頭巾を被り、右手には打ちでの小槌、肩には大きな袋を背負って          「打つ小小槌に宝の雨を降らし無福の民を救う御神」です。
          毎月二十一日、二十八日には厄除け祈祷が行われます。
宝珠院  名古屋市中川j区中郷1-11    052-361-0638

③福 禄 寿 "Popularity"(人望)中国の道教の理想であります幸福、俸禄の意味から幸福、財、長寿を          もたらす神様として慕われておられます。
萬福院  名古屋市中区栄5-26-24    052-241-7670

④弁 財 天  "Amiability"(威光愛嬌)七福神の中で唯一の女神であります。愛敬、音楽、弁舌、才智           水の神、芸術の神として古来日本では市来姫と同一神として信仰されております。             弓、矢、矛、鉄剣等を持ち白蛇の宝冠をかぶっておられます。
弁天寺   名古屋市港区多加良浦町4-278    052-381-2306

⑤恵比寿寿神  "Prosperity"(繁栄)釣竿とタイを抱えニッコリ笑うのはイザナギの尊の第三子蛭子尊と           も言いまして大国主命の御子とも伝えられています。清廉、漁業、商売繁盛、交易の神           様と言われエビス顔と言われる様に尊顔しています。                          七福神の中で唯一の日本の神様であらせられます。
笠覆寺   名古屋市南区笠寺町上新町    052-821-1367

⑥寿 老 人  "Longevity"(長寿)寿老神とも書き、長寿の神様で老子の化身とも言われております。
          長命、富財、与宝、諸病平癒の神様であり人々の安全と健康を司どります。
          毎月五日と十三日には「ご縁日」があります。又 真言宗尾張高野でも有名
          であり、通称「ポックリさん」は名古屋市民に浸透しています。
興生寺  名古屋市昭和区八事本町    052-832-2801

⑦毘沙門天  "Prestige"(威光)インドの神様で多聞天とも言われ仏教四天王の一人。
          左手の塔は八万四千の法蔵、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝を授けると言う。
          勇ましい姿から「戦の神様」とも呼ばれます。唯一の石像です。
福生院  名古屋市中区錦2-5-22   052-231-5261

参考文献 ・「七福神」 ・名古屋ショッパー


「七つの会議」を読んで  From “ The Seven Conferences”

2013-01-19 22:18:20 | Weblog
金の成る木

「七つの会議」を読んで  From “ The Seven Conferences”平成癸巳廿五年睦月十九日

S君からの紹介で、直木賞作家の池井戸潤氏の「七つの会議」を一気に読んだ。
あっという間に引き込まれてしまった。

 ネジ釘隠ぺい事件とでもいおうか、東京建電というソニックの子会社での事件であった。
社長、営業、製造、経理、カスタマーという組織はしっかりとして、住宅関連から、海外の鉄道、航空機シートまで幅広く、扱っていた。
 カスタマー室から上がったクレームから、一大事件となった折りたたみ椅子に、強度不足のネジが使われていたことが発覚し、会社の存亡の危機となる。
 更に、それが15年も前からで、会社の体質となっていた。
担当の部長、課長に対する時代要請(モーレツ販売競争)と家族問題も絡ませ、会議がなされていく。
 宮野社長から、「本件、隠蔽せよ」と。
規定の強度は足りないが人への安全性にはさしたる問題でないとした。
 
しかし、内部告発が出て、万事休す。
『客を大事にせん商売は滅びる』という原則を忘れてしまっている。

 もう7年も前、私は、「物事の本質を見抜こう」(2006年8月)という題でブログに書いた。<隠蔽==無かったものしよう>の再登場
IT社会で、丸投げ、マニュアル化、データ化の社会になった。
その丸投げ、マニュアル化、データ化が、逆に本質<悪くなっている状況を把握し、どうすればよいのか>が、見えにくくしているのではないか。
 
岐阜県教育委員会を含む、県全体で、旅費や食料費を架空請求して捻出し、予算要望時の省庁への手土産代にしたり、備品を購入していた。そして官官接待などに支出されたという。1994年には4億6600万円に上ったという。99年以降は当時の副知事らが、県監査の及ばない県職員組合の管理口座に移し替えたという。そして活動費などに使われ現在の残高は約1億4600万円。移し替えられないまま現在も各課などが保管する分があるほか、約500万円(現金をですよ)は焼かれたり捨てられたとされる。
 県全体が、『無かったことにしよう。』という一種の病気(今では泥棒という犯罪)にかかってしまっていた。梶原氏は否定しつづけてきたが、8日初めて記者会見して、「実は1989年の知事就任当時より、裏金づくりは半ば公然の秘密となっていて、十分承知していた」と説明した。

 今は更に、企業は海外へ進出しているから、品質管理のチェックがおろそかになると、リコールも世界中となり、大変です。

ここに、京セラやKDDIをそれなりの企業に育てた稲盛和夫氏の言葉を載せさしてもらいます。
稲盛氏は27歳の時に京セラを従業員28名から始めた。彼は経営の経験がなく、決済を
するのに、何を基準に判断をしていいのか分からなかった。
悩み続けた結果、「人間として何が正しいのか」をベースにして、つまり、最も基本的な
倫理観に基づき、
 「人間として正しいことなのか」
 「正しくないことなのか」
 「善いことなのか」
 「悪いことなのか」
を基準にして判断していくことにしたのです。
 世の中がどうであろうと、私は、「人間として何が正しいか」を自らに問い、
誰からみても正しいことを、つまり、人間として普遍的に正しいことを追求し、理想を
追い続けようと決めたという。
 こうした追求が実を結んでいるのですね。流石ですね。

あくせく働いてきた結果、経営者の心が「隠蔽」では、出直しですね。

最近の原発で働く従業員に対する、健康管理の杜撰さ、孫請けなどに対する手当のピンハネなど、目に余る酷さが分かっていながら、横行している。きめ細かくチェックしてもらいたいものです。
お読み下され、感謝致します。


「無私の日本人」を読んで From “Selfless Japanese”

2013-01-15 23:08:11 | Weblog
「無私の日本人」を読んで From “Selfless Japanese” 平成癸巳廿五年睦月十五日

 年末の総選挙で、新しい安倍政権が誕生した。これからの日本は10年後どうなっていくのだろうか。「来るべき成長」に沸き立っているように見える。一部に経済成長が約束されたように受け取られている。成長なければ、消費税はどうなるのだろう。
 福祉に回る予算はない。結局、物の豊かさにおいて、周りの国々に追い越されていくかもしれない。 そんな思いで新年を迎え、磯田道史氏の「無私の日本人」を読んだ。

江戸時代、仙台藩吉岡宿で実際に起きた出来事である。
 寂れゆく宿場を守るために、藩主に金を貸し付け、千両の福祉基金を作り、基金の利子を全住民に配る仕組みを考えついた。
穀田屋十三郎始め9人の篤志家がそれこそ身売り覚悟で千両をこしらえ、藩と交渉、6年にも及んだという。
一人の僧侶がこつこつと書き溜めた『国恩記』という詳細な記録が残されている。筆者は涙なくして読めなかったという。江戸時代の前例主義の官僚体制が確立され、「大肝煎り」「代官」「群奉行」「出入司」と藩の中枢部まで、願の議を挙げていかなければならない。しかも秘密裡に行わなければ、「一揆」と見なされ、お取潰しになる。
 
宝暦の郡上一揆(1754~1758)は農民が幕府に訴え出て(目安箱)、藩主金森頼錦(よりかね)は取潰しになったが、農民は磔の刑に処せられた。              

吉岡宿の9人は、勿論切腹覚悟であったし、「これほどの捨身はないし、心が一つになった家族は知らない。」と書かれるほどの人たちである。利他の精神で生涯を全うしたのである。

 つぎに「中根東里なかね・とうり」という儒者が取り上げられた。
江戸時代、伊豆の下田の生まれで、「詩文において、中根にかなうものはおらぬ」と言われた男である。宇治の黄檗山萬福寺で、唐音を学び、大蔵経を読破。
 荻生徂徠(柳沢吉保の儒臣)、室鳩巣に入門を許されるも、「学問をして禄をもらう訳にはいかぬ。」と竹皮草履を売って生活をした。 
 王陽明全書に出会い、開眼する。
致知格物、知行合一、すべての基底になる「格物」を「物を格(ただ)す」として、「物」というのは何ぞやというそもそもの論を説いた。「物」と物を見る自分の「心」はもともと一つのものであり、別物でない。むしろ自分も「物」と一体であることを自覚して生きる。
人間は生まれながらにして、天地万物と一体だと感じる心を持っているはずだ。
下野国佐野の植野に泥月庵で、王陽明の「伝習録」を講義した。
天地万物一体の理が分かればそれでよい。「仁」の一字につきると。
無名と極貧生活で、村人たちに知松庵をたててもらい、姪を育て、「新瓦」という著作だけを残して、この世から消えたという。
王陽明といえば6年も前、S君の紹介で「炎の陽明学」山田方谷伝(矢吹邦彦氏著作)を読みました。(2007、3月ブログ)

 再度、矢吹氏の山田方谷論を参考までに載せます。
勉学の途中、山田方谷は王陽明の思想と会うのである。
陽明学が説いているのは、人間は単なる気の集合体ではなく、理と気の一体化したものと考える。身体は気の集合体から出来ているが。心は理である。理と気を持つ人間は宇宙そのものである。人間は生得的に小宇宙を持って生まれてくるのであって、心は後から付け加えられたものではない。
心が理であり、その理を王陽明は「良知」と言い換えた。この「良知」の本来の姿をしっかり自覚して、これを発現してゆく事が最も大切で、「良知を致す」すなわち「致良知(ちりょうち)」が教育の中心である。そしてもう一つに「知行合一」、知りて行わざるは、只だ是れ未だ知らざるなり(知っていながら行わないという事は、まだ知らないという事に等しい)という思想である。自らの心を練磨し、明鏡止水のような透徹した聖人の心境に到達して、その心にしたがって行動し、この世をいかに行き抜くかが最大の課題だ。その真髄は『誠意』であるとする。そして、実践哲学の確立をめざしたという. 武士道のように死を美化するような悲壮美の思想はない。生の光明の哲学であり、死の諸行無常は日本的変身であるという。

歴史家の磯田道史さんの調査秘話
司馬遼太郎は、戦車隊の陸軍少尉として栃木県佐野市で終戦を迎えたことは知る人ぞ知る話です。磯田さんは、司馬さんがその佐野市のどこで寝起きしていたのか、司馬遼太郎博物館の上村洋行館長(司馬さんの義弟だそうです)に聞くと、「植野小学校」と答えたそうです。  これを聞いて、磯田さんは吃驚。この植野小学校の「基」をつくったのが江戸中期の思想家、中根東里(なかね・とうり)(植野村泥月庵という寺子屋)という今ではすっかり忘れ去られた人だったからです。この中根については、その生き様を知って、磯田さんは人生観が変わるほど影響を受けたというのです。これが基で「無私の日本人」が出来上がったということですね。(Netより) 

次は、幕末に生きた大田垣蓮月。1788(天明8)に京都生まれ、幼名、おのぶ。
芸者の子だが、知恩院の寺侍の養女になった。
容姿の麗しさが人目をひきつけるばかりでなく、筆をもたせれば、美麗な文字を書き、6歳になると大人顔負けの和歌を詠んだ。おのぶは知恩院門前袋町にいて、上田秋成(あの雨月物語)に手ほどきをしてもらったという。また、驚くべきことに剣術も習った。
 養父は大田垣伴左衛門光古(てるひさ)と改め、知恩院の譜代士としての務めを果たす。
おのぶは但馬の田結荘(たいのしょう)家からの直市と一緒になり、すぐに男の子が生まれるも、一月も経たぬうちに亡くなった。昔江戸時代の赤子は、はじめ1年で4分の1が死、京でも大人になるのは半分しかいない。2人、3人目も死んだ、そして離縁。
 新しい聟(むこ)石川重二郎とは、娘、息子が生まれるも、死なれてしまう。
養父とともに、2人の子連れで知恩院の真葛庵に出家する。蓮月と法名を頂き、満ち足りた生活をするも、養父が亡くなると庵を出て行かねばならなかった。
 栗田焼と出会い、最初はうまくいかなかったが、自他平等の修行だと気づき、蓮(はちす)の作品から売れるようになった。80歳すぎまで、蓮月焼きと呼ばれる急須などは5万点を遺したのではないか。和歌付きの陶器は今、ネット・オークションで15万円の値が付いている。  この蓮月のもとに、後に文人画家の富岡鉄斎になる「猷輔(ゆうすけ)」少年が転がり込んだ。蓮月は少年に「長生きをして、世のため、人のためになるべきことをなるべきようにして、心静かに気長に暮さねばならない。」とさとし、黒船が来ても、
「ふりくとも、春のあめりか 閑(のどか)にて 世のうるほひに ならんとすらん」
日本人の一つ方向に流されやすい点を突いている。「あめりかはん来はったら、案外、世の潤いになるかもしれまへんえ」と攘夷思想を批判していた。

 蓮月は鉄斎少年にあらゆることを教えた。毎日、泥をこねて、せっせと埴細工に励み、鴨川上に、三本木と聖護院村を結ぶ丸太町橋を架けた。
 官軍が旧幕府追討の軍を発せんとしていた時、蓮月は「あだ味方、勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思えば」という歌を短冊にしたため、西郷への直訴を企てた。
 
「願はくば のちの蓮の花の上に 曇らぬ月をみるよしもがな」(辞世)
 他人から見れば、清らかすぎるほど 清らかな生を送った蓮月尼でも、雲らぬ心の月を持ちたいと願っていた。

磯田先生ならではの筆致で、無私の江戸時代の人々を描いて下さった。
一昨年「道順・その光背」を読んで感動したのを、思い出しました。(平23年10月ブログ)
村が疫病で疲弊しているのを救おうとして、自分一人が人柱になろうと堂に籠って亡くなっていく道順様のお話でした。
 地球上のどこよりも落とした財布がきちんと戻ってくる日本と作者が言っているように、私も、去年2回も駐車場に腕時計を落としても、戻って来ていた。何と心根の良い人たちばかりなんだろうと思う。

 世間的に偉くならずとも、金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人々に恵まれれば、幸せに暮らせるのだと確信を持たせてくれた本でした。
お読み下され、感謝致します。

磯田道史「無私の日本人」文藝春秋

伝統Traditional

2013-01-04 10:32:01 | Weblog
  刀鍛冶

伝統Traditional   平成癸巳廿五年正月四日

明けまして おめでとう 御座います。
元旦は、例年と同じく氏神十五社様とお墓参り

2年前の正月2日と同じ様に、今年正月2日打ち初め式を見に行ってきた。

今回はオーストラリア人ご夫妻を案内するというガイドの延長でもあった。
2年前4月犬山城をガイドしてからの付き合いである。
年の初めしか見ることができない天照大御神への奉納儀式である。
尾関関市長はじめお偉い方々が見守る中、行われた。

1588年秀吉が農民に対して、武器を所持することを停止させた刀狩令で、兵農分離・農商分離が完成した。
これで、人口の約5%の武士の天下となり、あと85%の農民、3%の町人と身分がはっきりしたのである。
明治の世になっても、軍人は軍刀、自決用に拳銃と青酸カリを持たされ、日清・日露、日中・太平洋戦争へと来てしまった。今は、刀は美術愛好家のみで、日本中が警察に届けなくては持てないことになっている。これが日本の伝統である。
4年前、ダガーナイフで通り魔事件が起きた。

アメリカでは、建国以来、自分の身は自分で守るという考えがあり、銃犯罪から守るために、個人がハンドガンやサブマシンガンを携帯したほうがいいとローカルな州法律があるように当然ナイフは当たり前でしょう。

 だから日本も、ダガーナイフで事件が起きたからと言って、ダガーを規制するのではなく、ダガーよりも、もっと強力な、軍用ナイフや、暗殺ナイフを携帯したほうがいいとはいえない。
自分の身は自分でという前に、警察がしっかりと守る社会を造るという理念がある。
ダガー規制は必要だ。

最近アメリカで銃乱射事件が起き、20人の無垢な子供を含む27人が殺された。しかも犯人自身は自殺をしてしまった。関係者の悲しみは想像を絶する。
オバマ大統領は NRA(National Rifle Association)全米ライフル協会がこの事件に何のコメントを出さないもんだから、銃規制に"meaningful action" を起こすといっている。
ライフルを造る業界とライフル愛好家の協会とどう折り合って解決するのか「財政の崖」以上に問題である。

「銃は人を殺さない。人が人を殺すのだ」というフレーズがあるというが、だから「銃はあってもいいのだ」にはならないと思う。あれば、人は誤っても殺すことになりかねない。
性悪説の立場をとらざるを得ない。

今年もよろしくお願いします。

P.S. 年末「007SKYFALL」を見てきました。物凄いど迫力で、ハラハラどきどきの連続。
地上の列車が地下に突入して来るのです。これでもかというアクション好きには堪らない作品でしたでしょう。
 SKYFALLとは? 見てのお楽しみ。
ジェームス・ボンドが当局から支給された拳銃は、握られると認識装置が働いて、他人が
使えないようになった代物でした。役に立った訳なんですが、あくまで映画での話。
武器、爆薬、ナイフ、ボンドカー全部総動員で、カメラワークの凄さには目を見張るものがあった。でも、武器のない、使用しない世界がいいに決まっていることの確認でした。
コンピュータの遠隔操作による脅迫メールで震撼させるというスパイの世界での「革新」を垣間見た映画でもありました。これがテロに悪用されてくるだろうと予感させる。
怖い映画でもありました。では。