隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

60歳からの指針A guide from 60th year           

2007-01-29 10:21:12 | Weblog
60歳からの指針           平成丁亥年睦月二十九日       

 還暦を迎えて、団塊の世代にとって、これからの10年がとっても大切な時期となる。
 私の水泳仲間の最長老85歳は「旅行に行くのでも、何をするのでも、60代が一番動きやすかった。今はどこに行くのでも健康診断書提出が義務付けられ、厄介ですよ。」と、おしゃっておられる。
 毎年海外旅行され、毎年趣味のビデオを拝見させてもらってきたが、去年は出来なかった。賀状を頂いて元気な様子である。

新年早々、S君が、「八十四歳、英語、イギリス、ひとり旅」(小学館)清川妙さんの本を「これから、我々の生きていく指針になるよ。」といって、薦めてくれた。 早速取り寄せて読んでみたら、ココロ温まる、勇気付けられる、これから私たちも頑張らなければと思えた。珠玉の言葉がたくさんの本でした。
いかに友人が大切かが分かり、細やかな人とのやり取りの中での礼儀などがちりばめてあり、そして、言葉(英語)がいかに大事か教えられた。 
 海外では、まず“Good morning! I’m ~.”の言葉使い から始まり、手紙の書き方、ジョークなど、とてもためになった。
清川さんが、ノートに記した言葉
 
It was a treat for me to be with you. あなたとご一緒して大変楽しかった。 
 Life is not all you expect it to be. 人生はあなたが望むすべてがかなうものではありませんよ。
 
「  生きていく道には、さまざまな困難もあるけれど、仕切り直して何度でも、花咲く明日を信じて生きていこう。人生はパーティー。一度きりの人生を自分を大事にしながら生きていきたい。ストップしない自分、いくつになっても進行形のままで自分を育てて生きたい。育ち盛りに私は死にたい。 」といってみえる。
今を生きてる歓びを感じて生きていきたいものです。
古人曰く、
 老いて学べば即ち死して朽ちず。(言志四録・佐藤一斎)
 老いは嘆くに足らず、嘆くべきはこれ老いて虚しく生くることなり。(呻吟語・呂新吾)
お読み下され、感謝致します。


武士の一分A dignity of Samurai (2)       

2007-01-21 22:11:00 | Weblog
武士の一分A dignity of Samurai (2)       平成丁亥年睦月二十一日

新之丞は盲目である、気配が読みきれず、空振りが続く。
「決して先手を取らず、相手が出るのを待つ。そのお前の考えは正しいが、大事なことは相手の気配や心の動きを読み取ろうと懸命になるあまり、気があせってついつい手が出てしまう。そこに落とし穴がある」と木部師匠に指摘される。
 そして、免許を授かったときの言葉 「ともに死するをもって、心となす。勝ちはそのなかにあり。必死すなわち生くるなり。」と言って、果し合いに臨んだ。
 江戸時代でも、愛する妻が権力を笠に着る上士に弄ばれるなど、有りうべからざる事である。「武士の一分にかかわる」からと一人で臨み、島田の腕を切り落とすが、徳平(笹野高史)が、「留めをおさしになりますか。」と問うと、新之丞は「もういい、加世の仇は討った」と剣を納める。 一分さえ立てば良いのである。 島田は後刻、登城し、みずからの一分を立てるため、事情を明かさずに切腹し果てた。 もし、明らかになれば、新之丞も切腹覚悟だったと言った。 立派に果した新之丞はその後戻ってきた加世と子供たちを集めて、暗誦していたであろう「論語」などを教えて、楽しく暮らしたであろう。
 少年のころ剣道をやっていたという木村拓哉さんと宝塚出の壇れいさんの好演でした。
何でも若い頃からやっていたというのは、こういう大事な時に役に立つ良い例ですね。
仇討ちについて 鬼平犯科帳の池波正太郎氏は 「仇討ちというのは、親の敵、兄の敵を討つ場合は認められるけれども、弟の敵を兄が討つことは許されない。武士の掟である。このきまりは豊臣秀吉の時代に出来た。 封建時代というのは200、300と日本が分かれている時代で、それぞれを大名が治め、独立国であった。 一つの国境を越えれば法律も違う。 人を殺しても隣の国へ逃げ込めば済むということになると困るから、“仇討ち”が考え出された。日本独特のものである。
 仇討ちをする場合には仇討ちの免許状をもらった上で、ちゃんと幕府に届けを出して、出かける。だから、無事に仇を討った後は罪人にならないで、国に帰れるのである。
自分の国でないところで人を殺さなければならない。」と言っています。
 塩村耕氏は 「世界史的に見て、江戸時代の謎は人口で一割にも満たない武士が、260年の長きに渡り、国を支配し得たことである。その背景に武士特有の行動規範があったことが分かる。 それを一言で言えば“義と名誉のためには、いつでも、一命を投げ出すことの出来る覚悟”となる。」と言ってみえる(江戸面白本の世界)。 「武士の一分」ですね。
 しかし、武士のモラルも「竹光の~」「たそがれ~」で緩んできていたのではないか。
決めるところは秘剣で決める主人公でしたが。 やがて黒船来航を迎え、武士の時代は終わる。
お読み下され、感謝致します。

武士の一分 A dignity of Samurai(1)

2007-01-16 17:27:44 | Weblog
武士の一分A dignity of Samurai (1)         平成丁亥年睦月十六日
 
特訓が終わり、先日観てきたのが「武士の一分」である。

藤沢周平は中3の教科書に「蝉しぐれ」が載せられ、立ち回りの描写の凄さに感心して、読んでいた。 今までの映画では秘剣という立ち回りの凄さが感じられず、がっかりしていた。 今回は見方を変え、「武士とは?」をテーマに見ようとした。
 今何をやっても様になるのが、木村拓哉さんでしょう。 
盲目という主人公の立ち回りであったが、座頭市とは違って、それなりによくやっておられたと感じた。 刀を持つとはどういう意味なのか?  それを分かるように演出されていたように思った。
 
三村新之丞(木村拓哉)は、最愛の妻・加世(壇れい)とつましく暮らす海坂藩の下級武士で、毒見役を務めている。
 江戸幕府によって、武家諸法度が出され、武士は「文武弓馬の道、専ら相嗜む(あいたしなむ)べき事」とされ、君主と藩士の主従関係は苛酷だったろう。とくに主君に「腹を切れ」と言われたら、「承知いたしました」と頭を下げる怖い時代であった。 そのため、侍たるもの欲を抱かない、貧乏を恥じるどころか誇りにする暮らしぶりである。
 その毒見役が貝の毒に中って、盲目になってしまった。もはや武士としての奉公もかなわず、衣食住のすべてに他人の手を借りなければ生きていけないことに、絶望し、自害しようとするが、加世は、新之丞を必死に思い留まらせる。
 江戸時代のことである。料理人が危険を伴う食材を供しただけの不始末とわかり、責めを負った広式番の樋口(小林稔侍)は自宅の仏壇の前で切腹をした。介錯役もない、びっくりなシーンであった。権力の非情さが出ていた。それに、藩主がねぎらいの言葉をもらうために登城した新之丞にかけられた言葉は「大儀であった」というたった一言であった。
 加世は素朴で確かな幸福感があったが、愛する夫のため口添えを得ようとして、罠にはまり、番頭の島田藤弥(坂東三津五郎)に身を捧げてしまう。
 その行為を夫婦の契りを絶つ裏切りと感じた新之丞は加世に離縁を言い渡し、復讐を誓う。

時代のいかんにかかわらず、人間として譲れないもの、守らねばならないものがあるのではないか。 現代は経済優先で心までもカネで買えるとの思い上がりがのさばり、人間の心をも含めて破壊があると山田監督は言っているようだ。
 果し合いを挑む新之丞に師匠木部(緒方拳)は助太刀を申し出るが、新之丞は「武士の一分」をかけた戦いを一人挑むことに決めていた。
江戸時代の岩瀬文庫(西尾市)の中に「八盃豆腐(はちはいどうふ)」という本があり、塩村耕氏(名大大学院教授)が、その中の「果し合い」について述べている。
「もしもどちらかが親類か、特別に親しい友ならば、脇に控えて見守り、その人が危うく見えたならば、助太刀をして相手を討たせてやる。どちらとも親しくなければ、やはり脇に控えて見守る。そして一方が討たれたら、相手に申し含め、近辺の寺へ同道して付き添い、人をやって藩に届け出る。
 常識的には仲裁に入るべきではないのかと思うが、それはよろしくないらしい。なぜなら、そうなると刀を抜きかかった方は「あほう払い」(両刀を取り上げて追放する屈辱的な刑罰)となるからで、とかく侍が一旦刀を抜いたら、ただ収めるのは難しく、「討ち果たさせ候(そうろう)よりほか御座あるまじく候」という。
「武士はつらいよ。」ですね。しかし、現代に置き換えてみると官僚(=武士)はどうなんだろう?天下かな。(続く)

お読み下され、感謝致します。


 

性癖 tendency        

2007-01-10 20:36:47 | Weblog
性癖 tendency        平成丁亥年睦月十日

 英会話の本に、アメリカの女性による「ロンドンっ子」についての文が載っていた。
In the book of English conversation, there were some sentences about Londoners.
Londoners do live up to their reputation. It takes a while to get to know people. They won’t tell us about themselves. They’re pretty reserved. They don’t like giving personal details, but they complain a lot about life generally.
They seem much less positive about life, much more cynical than American.
They grumble about transportation and politicians and money.
ロンドンっ子は自分たちの評判に恥じない行動をしている。人々を理解するには時間がかかる。彼らは自分自身のことを話さないだろうし、とても控えめである。
彼らは自分たちのこまごましたことを与えるのを好まない。しかし、一般に人生については大いに不満を言う。彼らは人生についてより積極的でないようだし、アメリカ人よりも皮肉的なようである。彼らは乗り物や政治家やお金について怒ってぶつぶつ不平をこぼしている。
では、日本人はどうか?
Well, how about the Japanese?
Robert A Feldman (Solomon Brothers economist) said,” The Japanese seem to have a tendency that the Japanese think optimistically when they face difficult troubles. They stereotype that such a terrible thing won’t happen against the result supposed by pessimists.”
ロバート・A・フェルドマン(ソロモン・ブラザーズのエコノミスト)は「日本人は、難しい局面になると楽天的な考え方をする性癖をもっているようです。 悲観論者が想定する結果を“そんなひどいことが起こるわけがない”と勝手に思い込む。」と言った。(S君より)

1941年日本は真珠湾を攻撃した。当時アメリカから石油を買っていた。それを拒否してまでも強行したわけである。石油の不足は昭和天皇も承知していたという。 日中戦争より、アジアの資源を確保すればなんとかなるという楽天的な考えであったろう。ABCD包囲網により、在外資産の凍結や、ハル大使との意地の突っ張り合いで命を的にする暴挙をおかした。 なぜ戦争をするのか?
過去の歴史からいえば、さまざまな資源の要求から、国家的に持てる国に対する嫉妬、鬼畜米英という憎しみから、すべての選択肢がなくなったとき、緊張関係とか、人為的な押し付けからが挙げられる。 まだ勉強不足ですが、秀吉の2度(文禄、慶長)にわたる朝鮮征伐は中国侵略の意図から行われたが、日本は小さな海洋国で、論功行賞するには狭いと秀吉が判断したのではないかと思っております。 不可解なのは明治における征韓論です。どうしてまた朝鮮を支配なのか? 日本の生命線を朝鮮半島においたのだろうと思いますが、秀吉からの歴史を学ばなかったといえます。
では、北朝鮮はどうだろう?
青っちさんより紹介された「朝鮮半島第二次核危機」で船橋洋一氏は「この半島は、大陸と海洋の狭間に存することで常に近隣諸国の重圧にさらされる地政学的負荷を負ってきた。
北朝鮮は、小泉訪朝を実現させ、日朝平壌宣言に署名をし、拉致を認め、謝罪し、辛抱強く行ってきた日朝正常化協議プロセスを守りきれなかった。 宣言の誓約も反故にし、ミサイル発射してしまった。
 北朝鮮の核危機は、北朝鮮が世界の潮流から取り残され、歴史から取り残された深いアイデンティティ危機と体制の危機を内在させている。
恐ろしいのは、北朝鮮が、その喪失感と疎外感の表出を核に求め、いまなお求めていることである。なお恐ろしいのは、彼らはここでの比較優位を信じているように見えることである。彼らの言葉を使えば「恐怖競争」の面での優位性である。核に対する物神崇拝はかくも強い。 9・11テロ後は、テロとの戦い、なかでもテロと核との結びつきに対する戦いが加わってきた。
北朝鮮は、北朝鮮を含む六者協議という危機抑止の多角的プロセスをつくると、その舞台で危機をつくった。 かくして、六者協議はいまだに漂流している。」といっている。
 しかし、書かれている間に核実験が行われたらしい。
 この本は小泉訪朝から今までの綿密な調査、取材による朝鮮半島現在史で、VTR録画を見ているような迫力で語る。

米国のヒル氏は言う、「北は毎回手に入らないことを持ち出す。そうでない時は、自分たちが言われたことが、気にくわないと文句を言う。政策をどう変えればよいかと聞くと答えられやしない。とにかく、本当に真剣に考えているのか疑問だ。」

北朝鮮は日本がたどった戦前の追い込まれた暴挙の道を歩もうとしている。まだ維持出来ているのは中国が完全にストップしてないからだが、経済制裁は相当効いているのではないか。 参院議員山本一太氏は、まだ分からぬからと西村康稔衆院議員と第2次経済制裁案のsimulation作りをしている(12/20)。もっとも今は選挙モードですが。
 意地を張らせずに、暴挙させないよう、日本はどう対処するかですね。
北朝鮮の恫喝に吠えるだけの、もうポチではいられなくなってきた。 でも力の論理だけでは問題は解決しない。未だにイラク戦争は泥沼状態です。 東アジアのリーダーで唯一の被爆国として、アメリカの核の傘を差してるという非核3原則の国連安保理常任理事国入りをアメリカに提案させるよう働きかけてもらいたい。もう3原則というより、非常事態の時と考えて、2原則にならざるを得ないだろう。 日米安保条約の同盟だけでは今後心配である。自衛軍もあり、「国連での拒否権のある日本」にならないといけない。家のなかのポチではいけないと悟る。言うべきことはキチット言う。
撃ち込むからそれに対抗は分かりますが、ベストの危機管理とは、撃ち込ませないように、最悪の事態がこないようにするのが危機管理です。
六者協議は10年スパンで続けてほしい。簡単に絶望しないことだと思います。
花咲かじいさんになったらいいと思います。NGO活動は相当なものです。
 性癖から行動を探ろうとしても、難しい。後は専門家に譲ります。

ps.今回の山崎氏の単独訪朝は理解不能です。行く以上は成果を上げろとの平沢氏の意見  も内閣府の一員としては残念です。取引材料を与えるだけ。核廃棄、拉致解決なら
  結果オーライでしょうけど。麻生さんはどうしたの?
お読み下され、感謝致します。


「たいせつなこと」The important book

2007-01-01 08:18:39 | Weblog
「たいせつなこと」The important book 平成丁亥年 元旦

明けまして おめでとう ございます。     

今年も1年よろしくお願い申し上げます。
今年も3日より 特訓を始めます。

昨年の10大ニュースの1、2番に挙げられているのが、学校現場でのいじめ自殺でした。教育基本法が改正され、学校現場にどのように下命されるか分かりませんが、既に現場では文部省より「心のノート」という小冊子が配られ、大枠の道徳が、教えられている。4,5年も前からです。それが効を奏していれば、このような事態にならなかったと思えます。親御さんに聞くと使われてないとのこと。どこをつついても役所の怠慢でしたね。もっとも、愛国心と同様、上からこうだよとあてがってもうまくはならない難しさはあると思います。
先日、中日新聞で「自殺」に対する予防なる本を数冊紹介されていた。
その中で教育評論家の斎藤次郎さんが、「たいせつなことThe important book」マーガレット・ワイズ・ブラウン作レナード・ワイズガード絵、内田也哉子訳を薦めて見えた。
私は早速英語の原本と絵本を取り寄せて、読んでみた。 書評のように、「あーそうか」となんとも良い気持がした。
そこで、特訓の前に中学生ではあるが、2ページづつ、英語で読み聞かせたところ、最後が知りたくなって、次はどんな話かと興味を持ってくれた。
最後は「あなたにとって大切なことは?」ときて、自分が大切なんだということに気付いてくれたことと思います。

毎年 中学生に、読んでもらうココロ温まる文があります。小6年生でもよいのですが、杉みき子さんの「夜のくだもの屋」という題の文です。
「少女の帰りは、毎日おそかった。・・・・」とはじまる。少女は合唱部の練習で、いつも真っ暗な夜道をこころぼそさをまぎらすために、歌いながら家に帰っていた。
ある日から、くだもの屋のあかりに守られながら、暗い夜道を帰るようになった。
そして、コンクールも無事に終わって 夕方帰宅するようになって、少女は、くだもの屋が夜遅くまで開いてるかどうかはもうどうでもよいことになっていた。
 それからまもなくの日曜日。同じ合唱部の友達が入院したので、見舞いに例のくだもの屋に寄った。すると何とコンクールの課題曲のハミングが店の奥から聞こえてきた。
 店のおばさんは「いえね、毎晩毎晩、いい声で歌をうたっておんなさるでしょう。お顔もなにも知らないんだけど、でも、うちのおやじさんがね、若い娘さんがこんな暗い夜道を帰るのはさぞ心ぼそいだろう、せめてうちの店のあかりだけでもつけといてあげれば、って言いましてね。それで、毎晩、歌の声がとおりすぎてしまうと、ああもう安心だと思って、まあ、それを合図みたいにして店をしめてたんですよ。毎日のことだもんで、わたしまでその歌おぼえちゃって、ほっほ。でも、このごろは、いつまでたっても歌が聞こえないもんで、どうしなすったかと思ってたんですよ。」と。少女は、声もなかった。
 この店のあかりがあんなにあたたかく見え、友達にはいちばんの見舞いになるみやげ話ができたと思った。     こういう話ですが、本文はもっとすばらしい文です。「商店のある風景」にあります。
杉みき子さんは今大学生より下のお子様なら誰でも知ってる「わらぐつの中の神様」の作者ですね。何でもない気配りに光をあてた良い文を書いておられる。
 子供だけでなく、大人も読んでもらえればココロが洗われる気がします。
お読み下され、感謝致します。