隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

秋分の日The Autumnal Equinox Day.

2006-09-23 06:06:01 | Weblog
秋分の日The Autumnal Equinox Day 平成丙戌年長月二十三日

 
母が亡くなってちょうど十一年の歳月が流れた。前にも書きましたが、癌で食事を受け付けなくなり点滴療養となった。自宅で往生をというのが私の願いで、ドラマみたいに最後を看取りたいとお願いした。 点滴の輸液を毎日病院へもらいに行き、介護をし、母の死を見取った。1年間の介護であった。 病院の入院中のことである、ちょうど秋分の日であった。
母への昼食の配膳に、看護婦さんより、「お元気で」というメッセージとともに、
 『秋風に たなびく雲の たえ間より もれいづる月の 影のさやけさ』
左京大夫 顕輔(さきょうのだいぶ あきすけ)の和歌が書かれてあった。
母は百人一首が好きで、相当諳んじていて、この歌もお気に入りの歌だったらしく、「久しぶりに歌うよ。」といって、何度も詠んでくれた。
秋分の日にふさわしく、「もれいづる」とか「さやけさ」という響きがなんとも心にここちよい気がした。 そんな思い出のある歌である。
歌意: 秋風に ながくたなびいている雲の切れ間から
       もれ出てくる月の光の 清らかに明るいことであることよ。
観賞: 秋の月の清らかにすみっきた光が、雲間からもれて、金色の流れのように地上の世間を射している。しょうしょうとした秋風が身に感じられる。
    この和歌は、秋の夜を、身と心に感じとってうたったすがすがしい実感がある。
お読みくだされ、感謝致します。

The Autumnal Equinox Day.

Eleven years have just passed since my mother died. She got cancer and couldn’t eat food.
So she had to be put on a drip. I want her to die with us at our side on the ‘tatami’ like a drama. We started being under medical treatment at home.
I used to go to the hospital to get the liquid for a drip every day.
We had taken care of her hardly for a year and she died with us at our side on the ‘tatami’ . During being in the hospital it was just the Autumnal Equinox Day.
There was a card in a lunch tray . Short words were written on a card by a nurse.
“ Akikaze-ni-Tanabiku-kumo-no Tanima-yori
More-iduru- tsuki-no Kage-no sayakesa “
“ Be alive more!” This is one of Ogura Hyakunin Isshu (Single songs of a Hundred Poets) . My mother was fond of them and memorized a lot . This song was a favorite one for her . She said to me “Let’s sing it.”, and sang it again and again.
This song suited the Autumnal Equinox Day and the sound of ‘moreiduru’ or ‘sayakesa’ made me comfortable and pleasant to my soul.
For me this song is the one to remember.
This song’s meaning : In the Autumn day ,the bright and clear moon-light appeared into the earthly world from the riven clouds like a golden stream.
The autumn winds make us feel desolate and dreary.
I think this ‘waka’ has a full brisk realization with our body and soul at the autumn night. Fortunately Mr. or Ms.Clay MacCauley translated it. I think it’s very excellent.
Sakyo no Tayu Akisuke
See, how clear and bright
Is the moon-light finding ways
‘Mong the riven clouds
That, with drifting autumn-wind,
Gracefully float o’er the sky!
Thank you for reading. Let’s sing this ‘waka’.


たそがれの放浪者A wanderer in the twilight

2006-09-18 10:53:37 | Weblog
たそがれの放浪者A wanderer in the twilight.       平成丙戌年長月十八日
 
 次から次へと起こる事件や問題で自分自身を見失いかけそうになる。
昨日は、自由民主党の3総理大臣候補が、朝から「腐りかけた日本」を「美しい日本」にしようとTVに出演。おおよその本音が出てきたように感じた。と同時に小泉首相がキャッチフレーズは良かったが、改革は十年スパンで見なくてはならないため元に戻るような(抜け穴つくり)動きと、年金、財政破綻の恐れは一層叫ばれるようになった。8年も「0金利」で国民は耐えに耐えたことを辞めていく小泉首相は肝に銘じてもらいたい。お陰で各銀行は黒字になった。福井総裁も安泰です。
どうして格差社会になったかはこれだけでも明らかであろう。一流企業はこれでいいが、中小はまだこれからだと思います。安倍氏は「再チャレンジ支援」でお願いしますと言っている。ひびがはいった壁に防水塗料を塗るみたいです。しっかり塗ってもらいたい。

 ところで表題にあるように「たそがれの放浪者」私の人生の先輩Kさんから、すばらしい感動の体験の一報を受け取りました。TVの「ウルルン滞在記」さらがらの報告で、大自然を満喫して見える様子が伝わってきました。一報をご紹介致します。


たそがれの放浪者、からの一報やっと送れる状況になりました、仲間にもお伝え頂ければ幸いです。

9月1日到着後の一週間は、勝手知ったるオクラホマの事、感激の再会や懐かしの地再訪
などアット言う間に過ぎて、ニューメキシコへの途上「ルート66」のノスタルジックな街々を巡るのも
望んだ様に快調な滑り出しとなりました。

リオグランデ高地の農牧場に辿り着いたとたん、状況一変、その直後から西部ファミリーの一員に即組み込まれて、飄々たる旅人気分は吹き飛び、すぐさま心身フル稼働。
日本人的に考えれば不便な野中のアドービ(日干し煉瓦)小屋をあてがわれ、生活の用は総て100m離れた母屋に通って足すのです、まさにTV番組「ウルルン」のレポーターの心地。
朝から午後までの農園での作業で限界使用の老体に、牧場パーティ、町のイヴェント、ホームバーベキュー、ピクニック、時に牛追いと、何でも有りの毎日で、大概の事に慣れてるつもりが、今度ばかりはマジ・サバイバルな毎日であります。

そんなハードさを帳消しにしてくれるのが、当地の遠大無比な景観です、すでに1300mの高地なのです、目を上げれば「リオグランデ川」を挟む肥沃な平原砂漠が碧空のかなたに何百キロも続き、そこへ3000m越えの勇壮な山並みが点在するのですから、まさに絶景。 
早朝から日没まで見飽きる事は無く、夜は夜でかぶさる様な星屑で夢心地、UFO報告で有名な土地柄と言うのもうなずけます。
アルバカーキの南100キロ、ソッコーロと言うのが最寄の町です、そのヒスパニックな小さな古都から車で30分の野中に居る訳です。

苦しいのか嬉しいのか、やや混乱の第一報となりましたが、これが求めていた場所かとも思い、チャレンジを続けていられると言うのが実態です。
メールも何日か置きにしか送受信出来ない様な環境ですが、時に便りを頂ければ嬉しいです。

以上ですが、彼はまだ2か月さすらうそうだ。世界は本当に近くなったと言う感がします。いつか私もこういう旅行記が書けたらと思った。
お読みくだされ感謝致します。




50歳代quinquagenarian

2006-09-13 09:55:41 | Weblog
50歳代quinquagenarian   September 13, 2006
I reach my 60th year at last. Elder people around me are really cheering, so I don’t
realize that I reach my 60th year like my friend tell me he hasn’t realized yet.
But I feel myself well to have lived so much, as my father died at 64 years old.
At the autumnal equinox I would like to visit my father and mother’s grave to give thanks to them.
On reaching my 50th year, I collected his thoughts for myself when I read some books which a former NHK announcer Suzuki Kenji gave us various advices.
I’m ashamed to say that I have well done. I’ll show it to you.

We had better make in ourselves our moral aim that we try to live alone without depending on an organization. If we can live half our lives we have experienced, it will be good for us. Someday we will leave for the other world alone. So we make a secret resolve to part from our wives and children, friends, and works,
try to do the only closing works in our lives though we can’t make ourselves understood except me, and set up a proof that we have lived in mind.
That might be the excellent way to live.
The work most of late fifties do is the highest one that we won’t experience in our
lives. 
“Strain for your post, but don’t glue to it.”
The great religion / loves of human beings -----from” advices to take care”
① The heart of improvement based on reflection that my way is good or not.
② The heart of charity work thinking what we can do for people except myself.
If we can do both things, it would be a glorious life.
In addition, “Don’t be an under dog!!”
How do we keep stirring up good hearts that we absolutely win games?
It’s a master card to manage teams. And it’s the same as an individual.
The golden mean, egalitarianism ----standing against discrimination are necessary for human beings. A hope to the future and an optimistic character are important.

“Quinquagenarian , Baby-boomers Keep on trying. Good luck to you.”

Thank you for reading.

50歳代quinquagenarian

2006-09-12 15:50:39 | Weblog
50歳代 quinquagenarian       平成丙戌年長月十二日
 
いよいよ私は還暦を迎える。 友人もまだ全然実感がないといっているように、周りの人生の先輩方が元気で接して下さるものだから、実感というものはない。
 しかし、父が64歳で亡くなったことから考えると、良くここまで来たなとという気がする。
感謝の気持で、お彼岸には父母の墓参りをしたいと思っています。

私は50歳を迎えるにあたって、元NHKアナウンサー鈴木健二氏が、いろいろな本で
アドバイスをされていたのを自分なりに纏めて、生きてきた。
 100%実現出来たかはお恥ずかしいですが、ご紹介致します。

組織に頼らずに、自分ひとりで生きていこうとする精神的目標を日常の暮らしの中で、自分自身の中に創造していったほうがいいようだ。
これまで生きてきた歳月の半分生きられたら上等なのだし、いつかはひとりであの世に旅立って行くのだから、妻子、友人、職場の一切を離れて、自分以外の人には誰もわからないが、これだけは人生のしめくくりの仕事としてやっておこう。生きていたことの証をこれによって心の中にうち立てておこうと密やかな決心を持つのも、味のある生き方かもしれない。 多くの人にとって50代、後半の50代でやる仕事は人生で二度と経験することのないほどの最高峰での労働となる。
 地位にこだわれ、しかし、しがみつくな!
人間の生きがい    「気くばりのすすめ」より
① 自分はこれでいいのかという反省に基づいた向上心
② 自分は自分以外の人に対して何をすることが出来るのかと考え、実行する奉仕の心
この両方出来れば、至福の人生だ。
 さらに、負け犬根性にはなるな!!
試合でも必ずうちが勝つという気持を、どのように掻き立て続けるかが、チーム管理の決め手になる。 個人でも同じである。
 人を見る目の中庸、平等心――決して差別をしないことが人間にとって必要な生き方である。 未来への希望とネアカの性格が大切と言われております。

50歳代団塊の世代の皆さん、頑張りましょう。

P.S.
岐阜県の裏金問題。弁護士による第3者機関「プール資金問題検討委員会」の調べで、
ますます梶原氏の発言が隠蔽であり、無責任極まりのないものと分かってきた。
梶原氏は「退職金は命がけで仕事をしてきた報酬だから返還しない。」とまで言ってい
る。金額も1億数千万円と聞く。ここに至って、住民監査請求運動に参加せざるを得ない。県外、いや外国のオンブズマンのスペシャリストの登場を願うばかりです。あまりに
腐りきっているから。3首相候補とも小泉内閣のメンバーです、「美しい日本」を作るべき地方の行政はきれいな言葉では良くなりません。
お読み下され、感謝致します。

「ウェブ進化論」を読んでAbout the theory of Web's evolution

2006-09-05 06:47:10 | Weblog
「ウェブ進化論」を読んで      平成丙犬年長月五日

今年も暑かったですね。It’s a scorching hot day! の連発でした。やっと夏休みが終わったと思ったら、体育祭の多脚走の練習が始る。これが大変だそうな。子供たちの背の高低などで、怪我人の続出。3年前、最悪なことに鼻の骨を折った子があらわれた。それもそうだ、両手両足自由でないのだから。気をつけてもらいたいものです。 
時間を見つけて 「ウェブ進化論」を読んだ。この本もS君からのお薦め本である。
ウェブ社会の申し子みたいな著者梅田望夫氏が「次の10年」について語っている。
 これから始る『本当の大変化』は着実な技術革新を伴いながら長い時間かけて緩やかに起こるものだ。気づいたときは、色々なことがもう大きく変わっていたと振り返ることになるだろう。 インターネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界では「無」であったものが 「something」 になる時代になりつつあり、その本質を象徴する企業がグーグルだという。     そして世界中の情報を組織化(オーガナイズ)し、それをあまねく誰からでもアクセス出来るよう にするのが、グーグルのミッションだと凄い戦略を説いている。
 世界中の情報発電所(コンピューターシステム)を「あちら側」といって作り上げようとしている。作業は全部コンピュ-ターが自動的にやってしまうらしい。巨大なコンピューターシステムによってあらゆる情報を全員で共有する。そして情報自身が淘汰を起こす。
 そして、個人の電子メールというプライベート空間まで広告事業の対象にするという。その広告も自動分析、配置され、全く新しい「富の分配」メカニズムができ、全く新しいバーチャル経済圏を形成しようとしている。
 『ロングテール』 というインターネットの本質に関わる極めて重要な問題提起する新語を アマゾン・コム で説明している。
 今までの本の流通は出版社と流通業者と書店であり、ある程度以上売れる本、いわば<竜の首>で収益を稼ぎ、<長いしっぽ>つまり 「ロングテール」 の損失を補うという事業モデムであった。 がしかし、この構造を根底から変えてしまったという。
 アマゾンは売れない本(在庫になり、店頭に並べられない)でも、インターネット上にリスティングして、販売を伸ばしたわけである。 結果として、アマゾンは、全売上の約三分の一以上をリアル書店が在庫を持たない本から売り上げるという信じられないことになった。
  実際、私も以前本を注文するのに書店へ10日~2週間かけて手に入れていた。又絶版ですよと言われたら終わりであった。しかし、アマゾンのお陰で、インターネットで確実に2,3日で手に入れることが出来るし、ネットの中古市場であれば、絶版ものでも、1円から売りに出されているから凄いといわざるを得ない。
 その中で、一瞬ハットしたことがある。アクセスしていたら、あなた様の選んだ本の一覧とこれを薦めるというメッセイジが出たのには、びっくりした。そして、覗かれているようないやな気持になった。 もっとも商売だからそこまでやらないと売れないのかもしれないが、危険な状況ではないと思いますが、悪用する人は必ず出てくるだろう。
 インターネットの情報操作は絶対無いのだろうか? コンピューターの自動検索ですからといわれて「ハイ」と答える人は今はいないと思います。個人情報がどんどん漏れて、スパン、ウィルスが蔓延するかもしれない。 このことは分かっていて楽天的に考えるしかないらしい。
 こうして「ブログ」を書かせもらっていますが、知的生産の道具としてのブログは自分を見つめるというか、成長過程を公開することで目には見えぬが、どのように受け取られたかがリアルタイムで把握でき、ネットの向こうで待ち構えている人たちの存在<不特定多数無限大>が確認できるようになった。
 ブログだけじゃなくてあらゆる分野で、こうしたウェブがネット上に高速道路みたいなhow to 物を整備してしまったという。 将棋の羽生善治氏はその後にくるのは大渋滞だという。 思うに、更にそれを乗り越える生き方を支援するようなネットも進化していくことだろう。 梅田氏は今の日本の中学生たちが グーグル を凌駕するコンセプトを生み出す可能性は「あり得る未来」だと語っている。 
 これから還暦を迎える私にとって「次の10年」の世界がどんなブレークスルー大躍進となっているか確かめたくなった。  そんな本でした。
お読み下され感謝致します。