隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

中国レポート.China Report

2012-02-27 13:46:38 | Weblog
中国レポート.China Report 平成壬辰廿四年如月廿七日
 
 たそがれの漂泊者たるKさん、今は岐阜市歴博で外国人へのボランティアガイドをしてみえる。
今回は、何と中国の提携市、杭州市との親善旅行。岐阜市長さんとの旅行ですからVIP待遇でよかったでしょう。中国レポートを送ってくれました。 こうしたレポートは本当に有難い。勉強になります。
***
ご無沙汰しています。 以前は楽しいチャイナレポートを頂きましたが、先にお伝えの如く今度は僕が今月15日まで一週間の旅(浙江省から中原)に出たお話です。

上海、北京、広東には10年以上も前に出掛けてますが、今の中国、それに中原には初めて足を踏み入れるので楽しみでした。 歴史絵巻が好きで、それも周代、秦、漢、三国から唐に至るモノは面白い。
 今回の西安及び西方は将にその舞台で、一度の訪問では見切れませんねー。 
日本の高度成長期の何倍もの勢いと規模で突進する現代中国は情緒も文化も感じない喧騒の真っ只中、けど、やはり悠久の歴史背景へ憧憬が残る、嫌悪しつつまた行きたくなる中国にはそれがありますねー。
余りに多くの史跡、博物館を回ったので一口では語れずですが、司馬氏の「街道を行く」
が如き風情に浸れたかと思える一時があったから幸せか。

「岐阜市歴史探検隊」なる暇そうな名称の一団17名、その一員である僕は10数年振りに大陸の土を踏みましたが、予想外に刺激的な日々を過ごす事になりました。  
岐阜市歴史博物館の元館長・藪下隊長率いる本隊の目的は、西安とその西方を巡り古都宝鶏市に至る古跡、博物館を訪ね歩く歴史探求であります。 一帯は中国史上常に激動の大舞台となった「中原」、そのまた中央地域で、紀元前7000年から中世にかけての史跡逸話に事欠かない所です。
西安(Xian)こそ陝西省(Shaanxi)の中心で、1300年間に13余の王朝がその都としたシルクロードの基点長安です、宗教、芸術、他の視点からも語り切れないのは周知のところです。 

一方で我が隊は、杭州市(Hangzhou)に立ち寄り、 岐阜市長を団長とする「日中不再戦碑文交換50周年」記念行事に参席する平和ミッション総勢110名、その同行8団体の一つとなりました。 2月10日の午後は、西湖(ここの西湖が一番有名)湖畔、氷雨の友好公園で中日不戦の記念式典が挙行されました。 碑文の前で中日両国少女合唱団の歌声が高まると、居並ぶ双方の大人達には思い感無量の一時とはなりました。 両市友好の誓いは日中国交回復の十年も前に結ばれた事に意義があるのです。
 杭州から北西に空路2時間の宝鶏市(Baoji)には市長と一部の団体が同行して、同市主催の「中日友好祝宴」に参席、 市内では市長の工場や博物館視察にも同行するのですが、一行の車列は物々しい市警パトカーが先導しての街中走行、外交使節団の一員なのだーって気分が盛り上がります。

本隊の本来の目的は歴史探策であります、実際には2月10日から最終日まで連日、古跡、博物館など15箇所余を訪ねています。 その日々殆どが気温氷点下前後と寒冷、ガスに覆われた曇天の冬日でありましたが、紀元前数千年の遺物をむさぼる様に観察し、古代墳墓の暗い地下通路を巡り渡り、また秦の始皇帝のケタ外れの遺業に立ち尽くしと、古代に浸る隊員の好奇の目は休む暇もありませんでした。 
因みに、隊員構成は埋蔵物研究者の隊長始め、元教職員、元公務員、元社会人、現職のご住職に主婦、人生の放浪者(僕)と、実に異人種の混成部隊です、それが呑むは食べるは語るはの大賑わい、疲れ知らずの男女平均年齢65歳のメンバー、その頑健さ恐るべし、でありました。

「岐阜」命名の起源とも言われる岐山の麓では法門寺も有名です、中国では19ヶ寺が仏舎利保有で認められていて、その筆頭がこの寺、創建は紀元前に因む古さです。 その広大さにも度肝を抜かされます、完全舗装の境内は入り口から1㌔以上も見晴るかす先に巨大な本堂が霞んでいる有様、カートに乗って着いたと思えば、建物仏像は天を突く高さ。 アリガタヤも何も、そのエネルギー、資金力や如何ばかりかと呆れるやらオドロクやら。 ボーっと見てると物売りのオバサン達の突撃に会ってしまう。
この国の日々の激変、既に日本は、そして米国をも抜き去るであろうその巨大な活力には恐怖心さえ覚えますが、国の津々浦々に中央の恩恵があまねく行き渡るのには、なお次世紀を待たねばとの思いがよぎる、混沌と摩訶不思議に満ち溢れた今日の中国の旅でした。                 

***有難う御座いました。
少し勉強しました。
参考までに岐阜新聞より
半世紀の決意、胸に刻む 「日中不再戦」中国・杭州で式典
2012年02月11日09:15
岐阜、杭州両市関係者が集まって開かれた日中不再戦碑文交換50周年式典=10日午後、中国・杭州市の浙江世界貿易センター
 半世紀前の冷戦下、戦争の後始末と友好の願いを込めて建立された日中不再戦の碑。その碑文交換から50周年を祝う式典が10日、中国・杭州市の浙江世界貿易センターで開かれた。出席した岐阜、杭州両市民代表らは先人の思いを次世代に伝える約束を交わした。
 式には約360人が出席。岐阜市から市代表団と民間8団体、杭州市からは市関係者、同市第一人民医院、西☆印社、浙江京劇団などの友人も参加した。
 邵占維市長が「碑は戦争の悲劇を繰り返さないとの先人の戒め。これからも先人の期待に応え、友好交流を発展させよう」とあいさつ。細江茂光岐阜市長が「先人の信念と勇気が二つの都市を結びつけた。碑文交換の意義を胸に草の根外交を続けよう。今年8月に岐阜市でも式典を開く」と述べた。 県日中友好協会会長の杉山幹夫岐阜新聞・岐阜放送会長は「日中不再戦」の碑文を揮ごうした松尾吾策元岐阜市長、碑文交換を担った岳父らが命懸けで両国の政治の扉を開いた歴史を振り返り「原点を忘れず、両市のメディアが交流を支えていく」と決意を示した。

**先日、名古屋市長の南京大虐殺は無かったという発言とぶつからなかったから、良かったという。もっぱらその話題でもちきりでしょう。 
 手元に南京虐殺についての日中両国歴史学者共同研究の報告書(2010年1月31日)の要旨がある。南京事件(1937)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、「20万人を上限に4万人、2万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「30万人以上」と主張。両国の歴史認識の違いを認めた形で報告されている。
 それなのに、折角の両国の歩み寄りを踏みにじる様な「虐殺は無かった」という意見には、末恐ろしさを感じます。しかも石原都知事というインテリまでが賛同している。不可解だ。「あった」ことは一致している。

 ノンフィクション作家山岡淳一郎氏は「政治家の使命は突き詰めれば戦争と飢えをなくすことだろう。そのためには人々の欲望を調整する必要が出てくる。政治の出番だ。だが、なぜ政治は暴力へと走るのか?」と言っている。暴走を見極めることが大事だとも。

因みに宝鶏市は陝西省の西部に位置し、咸陽市、西安市、漢中市、天水市、平凉市に接する。ここに法門寺があり、塔が凄い。法門寺塔
また三国志の孔明が頑張った五丈原がある。      
 五丈原(ごじょうげん)とは、陝西省宝鶏付近の渭水南岸に広がる台地。蜀の諸葛亮はここに陣を敷き、魏の司馬懿(仲達)と持久戦を繰り広げた。戦いの最中、諸葛亮が病によりこの地で没したことは有名。

やはり「どんな相手にも、<ハグ>をしなければいけない。」と何度も叫ばねばならない。
お読み下され、感謝致します。

日本の演説ーー「粛軍演説」&「反軍演説」Speeches for righting and resisting the army.

2012-02-25 11:33:36 | Weblog
日本の演説ー「粛軍演説」&「反軍演説」Speeches for righting and resisting the army.
                                 平成壬辰廿四年如月廿五日

 今、約1000兆円もの国の借金の重荷が重なり、先の読めない中、「船中八策」なる現代スローガンが出てきた。一大転換の時でしょうね。自民党から民主党に政権交代したが、何も変わらない。国民は『変わってほしい』と投票したのに、民意がまったく反映されていない。日本の統治機構の仕組みを変えて、政策が実現できるシステムに変える必要があるということでしょう。
 八策には「首相公選制の導入」「参院の廃止」が掲げられているが、我々自身に投げられた課題である。いずれも憲法改正に関することだけに、しっかりと考えねばならない。

 時代の流れに楔を打ち込んだ日本の歴史に残る名演説はやはり、斉藤隆夫氏による「粛軍演説」「反軍演説」ですね。Netで調べた。
時は1936年。と言えば2.26事件となりますが、その後の5月7日軍部に批判した粛軍演説があった。それは、寺内寿一陸軍大臣に対する質問演説。「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部への批判演説である。
『苛も立憲政治家たる者は、国民を背景として正々堂々と民衆の前に立って、国家の為に公明正大なる所の政治止の争を為すべきである。裏面に策動して不穏の陰謀を企てる如きは、立憲政治家として許すべからざることである。況や政治圏外にある所の軍部の一角と通謀して自己の野心を遂げんとするに至っては、是は政治家の恥辱であり堕落であり、(ここで拍手)又実に卑怯千万の振舞であるのである。』
斎藤の演説は、軍部批判にとどまらず、軍部に擦り寄っていく政治家に対しても、強烈な批判を浴びせている。この演説は1時間25分に及ぶ長演説となった。
斎藤は、『回顧七十年』で、「都下の大新聞はいずれも第一面全部にそれぞれ大文字の標題を掲げ、私の演説中の粛軍に関する速記を満載して、議会未曽有の歴史的大演説であると激賞した」といくつかの報道を紹介して、「私は死すとも、この演説は永くわが国の憲政史上に残ると思えば、私は実に政治家としての一大責任を果したる心地がした」と感想を述べている。
 
 同じく斉藤は
反軍演説(1940年2月2日)
支那事変処理に関する質問演説のことである。
1940年(昭和15)二月、斎藤隆夫は再び演台に立った。小柄でもの静かな村夫子の風貌ながら、その演説は暗夜の雷明のごとくである。すでに二年半、十万の犠牲を出している支那事変という「聖戦」の欺瞞を彼は衝いた。
『我が国民は実に従順であります。悲憤の涙を流しながらも黙々として、政府の統制に服従するのは何が為であるか。政府が適当に事変を解決して呉れるであろう。これを期待して居るが為である。・・・・・・然るに、歴代の政府は何を為したか。この二年有半の間に於て三度内閣が辞職をする、政局の安定すら得られない。斯う言うことで、どうして此の困難に当ることが出来るのであるか』。
『繰り返して申しまするが、事変処理はあらゆる政治問題を超越するところの極めて重大なるところの問題であるのであります。内外の政治はことごとく支那事変を中心として動いている。現にこの議会に現われて来まするところの予算でも、増税でも、その他あらゆる法律案はいずれも直接間接に事変と関係をもたないものはないでありましょう。それ故にその中心でありまするところの支那事変は如何に処理せらるるものであるか、その処理せらるる内容は如何なるものであるかこれが相当に分らない間は、議会の審議も進めることが出来ないのである。私が政府に向って質問する趣旨はここにあるのでありまするから、総理大臣はただ私の質問に答えるばかりではなく、なお進んで積極的に支那事変処理に関するところの一切の抱負経綸を披瀝して、この議会を通して全国民の理解を求められんことを要求するのである。(拍手) 私の質問はこれをもって終りと致します。』(拍手)
 
 昭和15(1940)年2月2日の衆議院本会議で代表質問に立った民政党の斎藤隆夫は、日中戦争(日華事変)の処理につき米内光政首相を追及した。斎藤は、昭和13年末に当時の近衛文麿首相が表明した処理方針の持つ欺まん性を厳しく批判し、政府が樹立工作を進める汪兆銘政権の統治能力に疑義を呈しながら、「唯徒に聖戦の美名に隠れ国民的犠牲を閑却し」、国際正義・道義外交・共存共栄など雲を掴むような文字を列べ立てて国家百年の大計を誤ってはならない、と演説したのである。
これに陸軍などが憤慨したため、小山松寿衆議院議長が職権で議事速記録から斎藤演説の後半部分を削除した。懲罰委員会に付された斎藤は、周囲からの議員辞職勧告に対して、「憲法の保障する言論自由の議会」での演説に対する速記録削除や自らの論旨を曲解した非難がもとで辞めるのは、「国民に対して忠なる所以ではない」と拒否した。しかし3月7日の本会議で斎藤の除名処分が議決された。この年1940年9月には、日独伊三国同盟を結んで、41年12月8日太平洋戦争へひた走ることになった。
 
 S君が「時々聡明なドイツ人が何故ヒットラーの暴走を許したのかを考えますが、」と書いてみえる。
このような演説もあったにも関わらず、流されてしまった。
今まさに、政治家が、どの方向へ日本をつれていくのか試されている気がいたします。
お読み下され、感謝いたします。

再び国家破産Bankruptcy of Nation Again

2012-02-11 21:34:57 | Weblog
再び国家破産 Bankruptcy of Nation Again       平成壬辰廿四年如月十一日

S君から久しぶりのコメントを頂いた。

津田左右吉展の纏め有難うございました。我々の先人は本当にエライと思います。
下記の引用は我々も心しなければならないと思います。

 「運動が少数の宣伝者、煽動者によって引き回されているのは、多数のものが主張
すべきことを主張せず、反対すべきことを反対しないからである。 煽動者の虚勢に
威圧せられるのか、自己の主張の表出を回避するのか、それとも自己にしっかりとし
た主張がないのか、いずれにしても、自己を喪い、他から来るものに自己を委ねたも
のであることは同じである。 戦争の行われたのも、知識人がかかるありさまであっ
たからであるが、それは今までも同じではないか。」

時々聡明なドイツ人が何故ヒットラーの暴走を許したのかを考えますが、上記の津田先生
の言われるように、聡明な知識人が強そうな勢力に流されたのだと考えております。

12月末に発売された「略奪大国」ジェームス・スキナー著(フォレスト出版)を読みました。下記はその抜粋。
創造していない価値を消費することはできない。だから創造をしない政府がお金(価値)を消費するためには、それを実態経済から盗まなければならない。政府のお金はありません。すべてが国民のお金です。
政府は国債を発行して、お金を借りても、運用しない、利益が無い、収益が無い。借りたお金の全額をたちまち使ってしまい、毎年赤字を出し続ける。だから、政府はお金を借りることがおかしい。最初の1円から国債の発行は経済の基礎理念に反している。
国の赤字予算が諸悪の根源。一旦赤字予算を組めば、それ以降その出費を削ることが実質的に不可能になる。
政府の赤字予算はヘロイン中毒と同じ。きっぱりと止める以外に方法はない。

ギリシャの赤字残高は2010年でGDPの144.9%。日本の赤字残高はGDPの225.9%。
イギリスのエコノミスト誌は日本の現状を「大参事に向かって夢遊中」と表現している。
日本の国債費用(今までに発行している国債に関して発生する費用)は、年間82.2兆円。
社会保障費用は75兆円。両者を合計すると157兆円。GDPの1/3になる。
この二項目で国と地方自治体の予算の60%になる。
厚生労働省は社会保障の60%は保険金でまかない、40%は税金からとっていると書いている。
しかし日本にはそのような税収は無いから国債で払っているのです。
75兆円 x 40% =30兆円。2011年の国の赤字とそっくり同じ数字。
日本の赤字の全額が、保険金でまかなっていない社会保障で作られている。
国債が買われるとき、たちまちそのお金が社会保障としてばらまかれるので、もう政府にお金がない。
したがって、国債そのものは返す目当てがありません。
日本の社会保障金を一律40%削減すべきです。年金も、医療費も、生活保護もすべて。
これだけで、2011年の予算ベースでいうと、日本政府の赤字がほぼゼロになります。
都道府県に警察機能と消防機能を持たせ、残りは基本的に不要です。都道府県や市の運営する大学は必要ありません。

S君の大胆な主張すべきご意見です。
私は、このままで行くとあと4-5年で日本は国債を発行できなくなってIMFの管理下に入ることになると思っています。その時点で、国債漬けの銀行は全て倒産。何故なら国債を発行できないということは国債の利払いが出来ないということで、預貯金がすべて国債になっている銀行は倒産を免れません。
40兆円しか税収の無い国が90兆円の予算を組むことが気狂沙汰です。しかも少子高齢化で高い経済成長が望めない国が将来の税収を目当てに借金をするなんて考えられません。これについて津田先生の言われる「多数のものが主張すべきことを主張せず、反対すべきことを反対しないからである。」という文言がピタリと当てはまります。
ジェームス・スキナーは社会保障金を40%カットして赤字の発生を食い止めろと言っておりますが、私は50%カットして毎年7兆円ずつ借金を返し、133年かけて1000兆円の政府負債を完済すべきだと考えております。そうすれば単年度で国債発行は減っていくのです。では誰が出来るのかな?我々が声をあげなければIMFですかね。下記をご参考に。
私の手元に、「ネバダ・レポート」と呼ばれる報告書がある。アメリカの金融専門家たちが執筆し、一部の金融関係者や大手マスコミの上層部、政府機関などに定期的に配信している経済・金融レポートだが、2001の9月7日号では、
日本がIMFの管理下におかれたときの予測が、8項目にわたって記された。
① 公務員の総数及び給料の30%カット。ボーナスは全てカット。
② 公務員の退職金は100%カット。
③ 年金は一律30%カット。
④ 国債の利払いは5-10年停止=事実上の紙くずに。
⑤ 消費税を15%引き上げて20%へ。
⑥ 課税最低限を年収100万円まで引き下げ。
⑦ 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債権・社債については5-15%の課税。株式は取得金額の1%を課税。
⑧ 預金は一律、ペイオフを実施するとともに、第二段階として預金額を30-40%カットする。
この文書は、2001年秋に自民党の部会でも資料として配られた。実際にはIMF管理下におかれるには、数年間の金融特別審査を受け、
欧米諸国の政治力も左右するのだが、このような予測がアメリカで検討され始めたことに、自民党議員たちは目を丸くした。
日本の経済や金融が、すでに海外では「危機的状況」と映っていることに他ならないからだ。
ついでに衆議院議員の50%削減。参議院の廃止。道州制への移行。小選挙区、比例代表を止めて全国を一つの選挙区にして欲しい。そうすれば1票の格差なんて無くなるのです。
ネバダレポートは今から10年前ですよ。それから状況は悪化の一途をたどっています。
****有難うございました。
津田氏の言葉を交えながら、「略奪大国」と10年前の貴重な資料を参考に 語ってくれた。
主張すべきはすべき時期に来ているということですね。
大胆な歳出減ですね。S君の言うように「IMF管理下の日本」にならないように政策を打たねばなりませんね。 「ネバダ・レポート」で、アメリカは10年先いや20年先を見据えた議論をしてきているということが、分かりました。しかも、 「衆議院議員の50%削減。参議院の廃止。道州制への移行。」とは大胆な歳出減です。2年前すでにS君から国家破産のメールを頂き、ブログ(2010/6)にも書きましたが、民主党に代わったのだが、何とも歯がゆい。S君も具体策の提言です。
2月10日、「国の借金」が2011年12月末で958兆6385億円となり、過去最大を更新したと発表した。前回公表の11年9月末より4兆2205億円増えた。今年1月1日時点の推計人口で割ると、国民1人当たり約750万円の借金を負っている計算になる。
大前氏も国家破産に対して、S君と同様、大胆な提案をしてくれています。

『日本に余裕はなし。明日は我が身ではなく、今日は我が身だ』1/22大前メール
 安住財務大臣は、15日、ユーロ圏9か国の国債の格付けを一斉に引き下げたことに対し「財政再建の姿勢を示さなければあすはわが身だ」と述べ強い危機感を示しました。
 ユーロ圏主要国のソブリン(外貨建て)格付けを見ると、フランス、オーストリアが「AAA」から「AA」に、キプロス、ポルトガルは「BB」に格下げされています。ポルトガルの場合、さらに下がってギリシャと同じ「CC」になるのでは? と言われており、その場合にはほぼジャンク債となってしまうでしょう。
 しかも、フランスが「AA(+)」に対して、日本は「AA(-)」という ネガティブ評価です。
フランス国債の格下げの影響は、 「次は日本」と目が向いてしまうという意味で、 日本にとってはかなり重大な事項と認識するべきだと思います。
 日本の財政赤字を解消するための方法として、私は、「大胆な歳出減と増税で日本国債の暴落を防ぐべき」だと主張してきました。日本のプライマリーバランスが均衡するためには40兆円のギャップがあります。
 これを埋める「決意」が必要です。
 そのためには消費税は最低でも「+8%」で「13%」に上げざるを得ないでしょうし、20兆円規模のコストカットとなると、国家公務員や学校の先生などの数を25%くらいカットする必要が出てくると思います。
 最低でもこのくらい厳しい政策を取らなければマーケットは納得してくれないと私は思います。

以上纏めましたが、両者とも『大胆な歳出削減』を具体的に進めることでした。
国会では、若者が年金をもらう45年後のゴールに向けて議論が、行われてきているが、この『大胆な歳出削減』を行わない限り、財政破産では年金一律30%カットされるという現実が目の前に来ているということは、恐ろしいことだ。しかも、消費税20%だ。TVでは、ギリシャの若者が国外脱出していると報道していた。出来得る削減からやっていくしかないですね。こうすればやっていけると語ってくれているのです。
来月は3月で、いろいろなデータが出てきますね。
苦しい中で希望を見つけねばなりません。
お読み下され、感謝致します。

津田左右吉展に寄せてTsuda Soukichi exhibition

2012-02-06 14:45:00 | Weblog
津田左右吉展に寄せてTsuda Soukichi exhibition平成壬辰廿四年如月六日

 平成23年12月より津田左右吉没後50年ということで、美濃加茂市と早稲田大学とが、美濃加茂市民ミュージアム(関市の隣)で、3月4日までロングランの展示を行ってきている。
ミュージアムトーク、講演会も 2回行われ、読書会、イベントも行われてきている。
日曜日が主だから、犬山のガイドが終わってからの参加であった。
後は、読書会が記念館で行われることになっている。
 正月早々、「歴史教育論」を早川万年氏(岐阜大教授)が取り上げた。
津田左右吉が白鳥庫吉(東京大学博士)の薦めにより歴史教科書を執筆したことが分かった。 
今春から中学の教科書が全面改訂され、新しくなる。15%~20%内容が増えることになる。
 津田氏はいう、「大勢の動いてゆく道すじが、分かれば、事実の智識はそれで十分だ。」
「日本民族の連続性とまとまりを認識し、民族生活国民生活はさまざまな立場の者の『はたらき』によって発展すること、日本国家、文化の独自性と伝統を重視する。」と、このように歴史を叙述したという。時は明治32~35年である。
その時最も重要視したのは「明治の現代史」だという。日清、日露戦争で、日本が戦勝気分のころですね。
 なるべく多くの事実をほんの上っ面だけ見せてゆこうというのでは、題目が多すぎることになると否定的である。まだ私の手元には無いが、今回の歴史教育改訂では、今までは中1、中2で歴史は終了することになっていたが、津田氏の言う「現代史」を重視し、中3年の4月、5月に戦後の歴史を勉強することになるという。
 現代の社会問題や国家問題に注目させることはとても重要である。
戦後はもう66年過ぎてきた。
 津田氏は頼山陽「日本外史」を小学校のとき、通読したというから凄い。
「歴史は本職」といっていたという。

戦後昭和23年に書かれた「ニホン人の思想的態度」を、40数年前学生時代に読んだが、今読み返してみても、津田氏の一貫した批判精神には凄いものがある。
中学生たちに贈る言葉 「問題になっている国の民衆生活が実際どんな状態であるか、その国が世界に対して実際どんなことをしているかをよく見ることである」 は我々大人にもいえることだ。
 戦時中、日本神話の事実性を否定して起訴された津田先生も、昭和23年ごろコミュニストの運動が激しいころで、左翼から反天皇だと誤解され、そうでないと分かると、今度は、批判されるという状況で、
 「運動が少数の宣伝者、煽動者によって引き回されているのは、多数のものが主張すべきことを主張せず、反対すべきことを反対しないからである。 煽動者の虚勢に威圧せられるのか、自己の主張の表出を回避するのか、それとも自己にしっかりとした主張がないのか、いずれにしても、自己を喪い、他から来るものに自己を委ねたものであることは同じである。 戦争の行われたのも、知識人がかかるありさまであったからであるが、それは今までも同じではないか。」と、戦後まもなく、書かれた。  津田氏はさらに「軍部の宣伝に欺かれたからのことであり、または弾圧で加えられたからでもあるが、欺かれるほど知性の働きが弱く、強圧に対して反発し、又は抗争するだけの気力の無かったことは、やはり、国民自らの責であるといわねばならない。」と反省してみえる。
ところが、話が、昭和天皇のことになると、極端なほどというより共産主義(唯物史観)批判となり、天皇擁護されていた。ここのところは家永三郎氏が戦前と戦後とでは「百八十度的転換」とみているが、私もちょっと行き過ぎた感があると思います。宣戦の詔勅で200万人の同胞が死んでいる事実は大きいように思うからです。新川登亀男氏(早稲田大学教授)が今回の展示に「記紀批判のメタヒストリー」と題して投稿してみえる。
 これから、津田先生没後50年を期して、「あらゆる歴史的事件をどう受け止めるかである。国民自らの問題として、自らが生きる時代に対して真剣に向き合う姿勢が大切である」と分かった。
 
今回は難しい思想史の展示だけでなく、津田氏の人となりを生活ぶりから考えようというねらいもあり、戦争中は岩手県平泉に疎開されていたことや、日常の生活用品の展示、美濃加茂市ならではのアプローチがなされ、武蔵野での生活も鈴木瑞枝氏による投稿まで配られた。文化勲章は当たり前ですね。
私の秋田の友人W君はちょっと遠いなと残念がっていたが、彼は、津田先生の弟子・栗田直躬(なおみ)先生、福井康順先生などから授業を受けた東洋哲学の専攻で、懐かしい思い出で一杯であろう。私も聴講生という形で福井先生の授業を受けたことがある。
講演会には東海4県から来てみえたのではないか。
まだまだ3月4日まで展示は続く。
お読み下され、感謝いたします。