隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

長久手合戦図屏風 A holding screen of Nagakute battle

2016-09-24 23:33:35 | Weblog


「長篠・長久手合戦図屏風をみる・読む・考える」 平成丙申廿八年長月廿四日

 長久手合戦図屏風 (徳川家本)の解説であった。

この戦いは長期間であった。1584年3月、織田信雄(信長の二男)が秀吉に内通した3人の重臣を長島城で殺害し、秀吉に宣戦布告。 
 家康と信雄が清州で手を結ぶ。前半戦は、秀吉が北伊勢から北尾張方面に戦線を拡大させ、大事な農業をさせなくした。
羽柴方は、犬山城主中川定成が信雄の応援で伊勢へ出陣。その留守をついて大垣城主池田恒興(前城主)が木曾川を渡って西谷から侵入、犬山城占拠。12万の軍勢で秀吉入城そして楽田まで進出。この屏風では、4月9日の長久手方面の戦闘を描いたものである。
 池田恒興は女婿の森長可とともに家康本拠地の三河を衝こうと進言し、秀吉に認められ三好秀次を総大将として進軍した。この動きを知った家康はすばやく背後から羽柴・池田方を襲い、壊滅的な打撃を与えた。屏風1扇に、成瀬正成が切り取った首を槍に刺して乗馬している場面があるが、成瀬家本はそういった場面でなく、いかにも初陣らしいところである。しかし3扇目の下に敵の首を獲るところが描かれているが、徳川家本にはない。
 3扇目、富士ヶ根山には信雄の馬標の傘があり、井伊直(なお)政(まさ)の軍勢旗もあり、縄手の下のほうに直政が組討ちをする姿がある。この合戦が、井伊直政が武田家の旧臣を付属され、具足を赤色に統一した赤備え(4扇目の仏ヶ根)として初めて臨んだ合戦で、森長可を討ち取るなど大いに武功を挙げた。 原氏はこの徳川家本屏風は「初陣の井伊直政」を2カ所3扇に描いてあるから井伊家の誇りだとみている。
この場面は1584年4月9日秀吉陣営と家康・信雄陣営とのたった1日の戦いであった。
主戦場は仏ケ根(ほとけがね)であるが、同時進行で戦が起こり、旗差し物を立てた伝令役が合戦の状況を伝えるのである。喚声・銃撃は各隊を威嚇したであろう。
徳川の金扇馬標(御馬立場)は、効果絶大で、堀久太郎秀政隊はそれを見て、戦闘停止。
現在の愛知医大あたりで、勝鬨を3度揚げて犬山へ撤退したという。
 手柄となるのは、参加が第一、大将級の首を獲っても第3者の証明がいる。首を持って自分が捕ったことを証明してもらう必要がある。成瀬正成も馬に乗っているが、馬の前足のところに首をぶらさげている。
大将旗は大事だそうな。
 主戦場の仏ヶ根に、鉄砲の発射煙が描いてあるのが徳川家本で、残念だが、成瀬家本には描かれてない。
 秀吉と信雄が11月15日に講和して8か月にわたる抗争は終結した。この合戦で織田家と秀吉の地位は逆転し、家康もまた秀吉の臣下になることを余儀なくされた。

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長篠合戦図屏風 A holding screen of Nagashino Battle

2016-09-17 10:08:11 | Weblog
岐阜市歴史博物館

「長篠・長久手合戦図屏風をみる・読む・考える」 平成乙申28年長月十七日

先日、岐阜市歴史博物館で「長篠・長久手合戦図屏風をみる・読む・考える」講演会があり、徳美の学芸員原史彦さんが講師を務められた。
犬山の白帝文庫の「長篠合戦図屏風」を長年説明してきましたが、徳美の屏風の解説は初めてであった。
右端に武田勢が包囲し、後に美濃国加納城主となる奥平貞(さだ)昌(まさ)が守る長篠城、中央の連吾川を挟んで右側に武田勢、左側に織田・徳川連合勢が配置され、馬防柵の前後に織田・徳川連合勢の鉄砲衆が描かれている。
長篠合戦図
 いろいろな大名が写本を作らせておるが、原本は失われているという。大名が自分の先祖が描かれていることを強調したかったのであろう。
 この屏風には、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康という天下統一に力を果たした武将がすべて登場していることが特徴である。そして馬に跨っている時の鐙(あぶみ)をみると今でいう靴を履いている。貫といわれている。徳川家武将・本田平八郎忠勝は、黒ずくめの甲冑という目立った姿で引き立っている。杖のようなものを右手に持ち、鹿の角の兜を被っている黒い甲冑の人物である。大阪城本、成瀬家本では黒ではないから、本田家周辺で描かれたとみたい。 本田家が先祖の活躍を示すためだったのであろう。

犬山・成瀬家本では、鉄砲隊背後の徒歩で鉢巻姿の武者が、成瀬正成の父成瀬正一である。正一はこの時家康の使番(伝令役)であったが、甲州にいたことがあり武田方の武将の旗指物が分かり、大久保隊に所属させられていた。成瀬氏の唯一の誇りではあるが、本田忠勝を引き立てるように描かれている。
 
徳川家本の描写特徴として挙げられるのは鉄砲の発射煙である。リアルさが強調されている。連吾川に沿って煙が立ちあがっている。他家の本は描いてないから、文部省の教科書選考のポイントで、徳川家本の貸し出しが多いという。年間貸出料が相当な金額になると自慢してみえた。

原さんは将軍吉宗より直接家康を描いてはならないという法令が出されたと言ってみえた。
火縄銃の3段射ちについて原さんはさほど強調して見えなかった。残念。
鳥居強右衛門の活躍はもちろん話されたが、逆さ磔や旗は否定的であった。

次回は「長久手合戦図」についてのこぼれ話をします。
お読み下され、感謝いたします。