隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

鎌倉Kamakura

2009-06-24 15:21:48 | Weblog
鎌倉        平成己丑二十一年水無月二十四日

先日は凄い先輩、同僚、後輩に囲まれ、めったに出会わない同窓会に出席できた。感謝しております。
会の後(翌日)、鎌倉の紫陽花をめで、円覚寺東慶寺明月院建長寺鶴岡八幡宮鎌倉大仏長谷観音をぐるりと散策してきました。鎌倉はこんなに歩いて回れる良いところだと知った。残念だったのは人人人の波、土砂降りの中だったこと。4,50分待ちである。 特に東慶寺と明月院と長谷観音はもともと狭いのだろう大変な混雑。花をじっくりという雰囲気でないが、神社とお寺は花とマッチしますね。ここの紫陽花はデカイ。今が見頃でしたね。
鶴岡八幡宮の鎌倉駅から江ノ電で長谷駅まで行き、長谷、大仏へと足で、この雨の中を行くには大変だと思っていた。参道のうなぎ屋の女将さんから、駅のみどりの窓口前から「大仏前行き」のバスで行きなさいという、有り難い地元ならではの情報を得て、雨宿りもそこそこに辿り着けた。

この中でお目当ては東慶寺だ。女人救済で有名ですね。作家の杉本苑子さんが「女人古寺巡礼」で東慶寺のことを書いている。「明治35年から男僧の住持する寺院となったけれど、草創以来、女人との縁が深かっただけに、雰囲気は現在も、どことなくやさしく、なまめかしい。 ほっと和ませてくれるのが女の寺――東慶寺なのだ。」いろんな花と一緒に実感できました。 さらに、「開山の覚山尼は、執権・北条時宗(ときむね)の妻で、夫が亡くなったあくる年、弘安八年に、この禅寺を興し、第一世となった。 二人の間に生まれた嫡男の貞時を教導する一方、息子を介して朝廷に申し入れ、女人救済のための寺法を制定した。それは縁切り寺法と呼ばれ、東慶寺に駆け込めば、妻の側からの離婚請求が認められるというこの寺独自の法律である。闇夜を照らす光明さながらな力強い救いとなった。」
仏殿から、土砂降りの中、更に奥へと進もうとしたが、道が川のようになり、杉の大木があっても、雨が激しく、前を塞いだ。杉本さん曰く、「裏山の崖が現われ、一方の高みに覚山尼、用堂尼、天秀尼はじめ歴代住職の供養塔、一方に西田幾多郎、安倍能成、岩波茂雄ら有名な文人の墓が鎮(しず)もる。」と書いておられるのだが、残念でした。
しかし、収穫があった。東慶寺で「井上禅定老師の鈴木大拙先生を語る」DVDを買い求めた。見てみると、先生を知る最後の老師の話で、夏目漱石も出て来ます。 夏目漱石が、東慶寺の前の帰源院で鈴木大拙先生と一緒に暮らしたこと。そこの暮らしが「門」に出ていることなど、いっぱいエピソードを語っておられる。「門」を読み直そうと思った。先生は禅だけでなく真宗も関心があったと述べておられるから、懐の深い方だったのだと知って、驚いた。
各お寺を調べて歩けば、まだ驚くことばかり出てくるようだ。
いいところだな鎌倉は! 
21日も良い一日でした。
そういえば、3年前も雑司が谷霊園で、墓参りをしたね。
有り難い日でした。
お読み下され、感謝致します。

帝釈天ガイドGuide 

2009-06-22 22:41:08 | Weblog
帝釈天ガイドGuide       平成己丑二十一年水無月二十二日

3年ぶりの同窓会。皆それなりに、歳をとってきていた。
この会は大学のサークル活動での同窓だから、久しぶりの先輩方のお話を聞くことが出来、今後の生活の指針を得ることが出来た。有り難いことだと思えた。
実は、この会の集まりは午後4時からだから、朝、昼には時間が在ったので、柴又の帝釈天題経寺へお参りに行ってきた。21日土曜日ということもあり、大変賑わっており、柴又駅を降りて寅さんの銅像の前で記念写真を撮ってもらおうと周りをみました。何とボランティアガイドの法被を着た方が数人おられ、中に杉浦美智子という女性が名札をぶらさげて待っておられた。撮ってもらいましたが、それだけではなかったのです。 帝釈天は、映画では二天門、帝釈堂、と大鐘楼ぐらいで奥行きは感じなかったが、行ってみると本堂、開山堂、大客殿が渡り廊下で繋がれ、その中庭(邃渓園すいけいえん)があり、奥行きたっぷりのそれは「ここが東京の下町か?」というくらい威容を誇っていた。帝釈天の説明は当り前で、それからが長くて広いのだ。ずっと私についてガイドをしてくれた。日蓮宗のお寺で、彫刻の寺と呼ばれるだけ、素晴らしい彫刻の数々に目を見張った。なかでも法華経説話彫刻は人物の顔も表情も豊かに細かく彫られていた。ガイドさんは全国から欅の彫刻材を取り寄せたといってみえた。野球の王監督などが石柱を寄進されていた。 ガイドさんは「矢切の渡し」へも連れてってくださった。江戸川を見たかったのです。 400年前、ここらは湿地帯だったのを、徳川家康が、赤堀川掘削、、江戸川の開削などすすめ、利根川を東に導いた「利根川東遷」で、湿地から農地へ転換させた。「日本文明の謎を解く竹村公太郎著からですが、最近亡くなられた阿久悠氏は「男はつらいよ」シリーズのビデオ全48巻を購入して、我々学生運動全盛時代からの世相・背景社会を復習したそうです。その寅さんの記念館が堤防際にある。そこへも連れてってもらえ、参道で食事をして、至れり尽せりのガイドをしてくだされた。
題経寺の檀家世話役の家柄をしっかりと受け継いでみえる。青森出身で大学で知り合ってそのまま下町の奥さんとして頑張ってみえたとのこと。
ありがたくここまで半日もガイドして下さるとは! お礼の代わりに名前を挙げさせてもらいました。
ちょうど会の30分前到着。
有り難い会食が始まった。
先輩のOさんが浅草文化のガイドをライフワークとしてみえることを知って、関心致しました。今日寅さんのガイドを受けたのだ。
去年、バンクーバーのSamさん家族をガイドしましたが、奥さんが5か月の身重だったので気を使ったのを思い出す。
自分以外との共生はなにも自然だけでない。人と人との共生が出来なければ自然との共生が出来ませんよね。60過ぎると会社と離れた何か社会との接点が必要となってくる。まだ現役の私は別にして、皆、悠々自適の身でありながら、海外生活の長い方は違ったかたちで貢献されようとしている。
映画「アバウト・シュミット」(恵まれない子へdonationする)「最高の人生の見つけ方」(死ぬまでに後悔しないようにやるべきリストの作成)の実践を始めなければならないと思った次第です。
 一様に健康は大事だと、聞かされた。ご自宅に来いよと夜8時ごろ誘って下さりお世話になったIshi先輩や、学園紛争で共に活動させて頂いたIta先輩は亡くなられたと聞いた。残念でなりません。
皆さんから「ブログの内容が難しい」と、いわれるほど、お読み下され感謝致しております。書いている本人も難しいと思っております。
投稿UPはできるだけ体と相談してやっていきますので、よろしくお願いします。
お読み下され、感謝致します。



驚きSurprise 

2009-06-19 21:47:08 | Weblog
驚きSurprise         平成己丑二十一年水無月十九日

 毎年、蛍・ホタルの乱舞が見られることは良いことだ。川がそれだけ浄化されている証拠である。ホタルの幼虫が、カワニナという巻き貝を餌にしているから、保存会の方々も大変であろう。
 そのホタルのことであるが、動物学の日高敏隆氏の「動物の言い分、人間の言い分」を読んでいたら、ホタルについて書いてあって驚いた。
 英語では飛ぶ昆虫をflyという。それ以外のいわゆる地を這う虫はworm。
ヨーロッパのホタルのオスは日本のゲンジボタル、ヘイケボタルとよく似ていて飛びながら光る。だから、蝿とまったくちがう虫だけれどfireflyと呼ばれる。
しかし、このメスには、翅(はね)が退化してしまって無く、幼虫のような姿で地上を歩きまわりながら光る。だからメスはglowwormと呼ばれる。同じ生き物なのにオスとメスではこんなに名前がちがっている。
 日本ではホタルは「蛍・ホタル」であって、どこを飛ぼうと歩こうともホタルと呼んで、オス、メスの使い分けはしないように思うが、それにしても、オスだけの乱舞であったとはびっくりである。
 しかも、日本のゲンジ、ヘイケボタルは、幼虫が水中に住むという点で、世界に2000種もいるホタルの中では異例であり、ほとんど幼虫は陸上に住み、カタツムリを食べているそうだ。
この本は、その他驚くことばかりの連続で、面白い。
その1つに「平目(ひらめ)、鰈(かれい)」の話がある。
「左ヒラメの右カレイ」といわれているが、英語では、左右どころでなく、flatfish, flounder と両方区別してはいない。
ところで、ヒラメ、カレイの子供のときは、先祖と同じ姿をしている。卵からかえった仔魚(こざかな)はふつうの魚の仔と変わらない形をしている。 目もちゃんと頭の左右に1つずつある。そして、ふつうの魚の稚魚と同じく尾びれを左右に振って泳いでいる。しかし、驚いたことに、体長10mmぐらいに成長すると目が将来の二次的背側(たとえばマコガレイという種では体の右側)に移動しはじめるという。そのとき、頭骨もその側へねじれていく。しかし体表にある“目“は体の中心線(正中線)をこえて徐々に右側へ移動してゆき、体長が14mmくらいに達したとき、もともとの右側の”目”と並ぶ。すると稚魚は海面での遊泳生活を終え、しかるべき砂地を求めて着底するという。
ヒラメやカレイの稚魚における目のこの移動のプロセスはなかなか大変なものらしい。目の通っていく場所の細胞は順次に死んで道をあけるという。そして脳から目へいく視神経も、移動していく目の位置にあわせて伸びていくというから、たいしたプログラムである。 着底の時も、体の左右で色も変わって、海底側は白く、表面側は黒くなり、保護色に変化するのだという。
何万年かの発生過程というより、外界に適応した進化なのだろうが、成魚になるには海底までの試練が待ち構えている。魚は食べられるために生まれて来ているという説がありますが、ヒラメやカレイになれず死んでしまい、食べられる稚魚を思うと、驚きと同時に生きていくことの難しさを感じる。

お読み下され、感謝致します。


安全保障Security

2009-06-09 08:02:40 | Weblog
安全保障             平成己丑二十一年水無月九日 
麻生首相は、韓国の李明博大統領や米国のオバマ大統領と電話会談を行い、日米韓で緊密に連携して対応することに合意した。<5/27>
 日本の要請に基づき、日本時間5/26未明に開催された安保理緊急会合では、北朝鮮の2度目の核実験が、これまでの保障理事会の決議に反することを確認。北朝鮮に対し、安保理としてどのような措置、対応をとるか、検討が開始されました。でも、今、中国の態度が明確にならず足踏み状態だ。 6月7日には、アメリカのクリントン国務長官は、「今、北朝鮮に対して、強い効果的な行動を取らなければ、北東アジアに軍拡競争を引き起こすことになる」と述べたうえで、長距離弾道ミサイルの発射や核実験を相次いで行った北朝鮮について、テロ支援国家に再び指定することを検討する考えを明らかにしました。クリントン長官の発言は、北朝鮮の最近の挑発的な行動を受けて、オバマ政権が当初強調していた対話よりも圧力へと軸足を移していることを示すものと受け止められています。
S君から、メールが来た。 彼は世界中を巡り、会社を経営し、メールの度、元気をもらっている。
孫崎享氏が3月に出した「日米同盟の正体-迷走する安全保障」を読んでおかなければと思い、読みました。彼はこの3月末で防衛大学校教授を退官したのですが、日本の安全保障に対する素晴らしい本でした。それと勉強家だなと思いました。冒頭に日本の安全保障の要は日米同盟であり、その基礎は1960年に改定された日米親安保条約と皆さんは思うであろうが、これは実態的にはほとんど間違い。日本は2005年10月29日に「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書に署名した。それにより安保条約の「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」という条項が、「世界における課題に効果的に対処する」に拡大された。そしてこれから日本は世界の安全保障に対する役割分担が要求される、と述べています。彼は持論では日本が核兵器を持つのは結局は抑止力にならないので反対だと言っています。講談社現代親書から出ています。
***
有難う御座いました。
孫崎氏は防衛大学校の中では、たぶんハト派ということになるのかな。
アメリカも勝手が良いですね。極東から世界へ要求されていたとは。防衛庁が防衛省に格上げした裏にはこういうことがあったのですね。
マスコミが大きく取り上げないと、なし崩しに決まっていってしまう。
日本の役割増強で、日本は国際舞台で危険の負担を求められているわけだ。
松岡正剛氏のいうアメリカの新植民地たる日本は、朝鮮半島からアフリカまで対処しなければならない。新植民地といえども経済大国になったのだからでしょうね。ただし、まだ日本は、国家が人を殺す、戦争を起こすことが基本的に認められておりません。北朝鮮の今回の核実験といい、ミサイル発射実験は困ったことだ。米国と一体化の道を進む際、米国は日本の危険負担を前提としている。一体化といっても、米国は日本ほど北朝鮮を常に深刻にとらえるとは限らない。そこで、S君は良きアドバイスをくれています。
「アメリカは姿勢がいつも同じだと考えない方がよいと思います。クリントンの時代に中国を戦略的同盟国とみなし、日本を軽視しました。共和党政権になったらブッシュは日本を重視しました。イラクの件で共和党は負ける可能性が高いです。民主党になったらライスが言ったことを米国は守るかどうか怪しいと思っています。国は為政者によって変ると考えていたほうが良い。親米政権であったパーレビーが失脚したら反米のホメイニになったし、バーミアンの遺跡は仏教遺跡だというので、タリバンが政権を握ったら破壊されました。」(オバマ政権前より)
状況によっては、自衛隊が防衛軍みたいな格上げした局面があっても、仕方がないと考えておくべきでしょうね。
ローマの街角で」の中で、塩野七生さんは「難民保護のような平和的な行動でも、あくまでも主力となって動けるのは軍隊だと痛感する。自国を守るのは自国民しかないのかと、今さらながら考える。他の国が助けてくれるとしても、自ら守る力と意思を持つ人々に対してだけで、しかもそのうえ、助ける力をもつ国や人の琴線にふれることがないと助けてくれない。自分や他者を守るのに、軍事力しかないというのでは、狂信的平和主義者でない私でも暗い気持になる。人類はいつ、進歩するのであろうか。いや、進歩なんてしないのが人間の性(さが)なのか。」と言ってみえる。
更に、塩野さんは、『幕末に、西郷隆盛は、軍事援助を申し入れてきたイギリスに対し、次のように答えて断っている。「日本の変革は、日本人の手で行わねば面目ない」 この言葉は、自国のことの解決に他国の力を借りる例で埋まっている世界史を少しでも知っている者ならば、感動なしには思い出せない一句である。そして、軍事援助を申し出たフランスに対し、どういう考えであったかは不明だが、同じく断った徳川慶喜を知ればなおのこと。自分のことは自分で始末する、ということ以上の、健全でまっとうで当り前の生き方考え方はあるだろうか。』と。
私は、日米同盟で日本は、アメリカの補完でなく、独立国家としてアメリカと一緒にやるという日本を確立せねばならない。塩野七生氏が勧める国連には拒否権の撤廃要求がよいと思います。国連は機能している。
中曽根康弘氏はいつまでも日陰者ではいけませんといっている。
やはり基地の問題が出て来ますね。孫崎氏は「自国での核兵器開発をし、報復力を持つことは軍事的利点を持つが、持つだけに終る。次の3点から
①核戦争を覚悟せざるを得ない。②日本は壊滅的に攻撃されるが、広大な
国へは壊滅的な攻撃できない。③部分的勝利(専制攻撃)から米国にお願いする。山本五十六的考えとし、危険とみている。
以上で核保有に否定的である。では、米国の核の傘の下で万全かというと、それはいえないといっている。米国の都市が攻撃を受ける可能性がある場合、ほぼ機能しない。」と、現場の元外交官らしく、ハト派である。
最近、仲間内では、持つだけでもいいのではないかという方がみえてきた。
北朝鮮に対しての日米同盟は、どういう対応となるのか、孫崎氏は、米国が戦略を変更するたびに米国に追随する立場はとっていない。追随しない場合、何らかの報復を受ける可能性はある。独自路線が米国にマイナスではないことを説明するする必要がある。 カナダ大使だった経緯よりNATO諸国と同じ立場をとれば、米国からの報復は限定的とみている。NATOとの協力関係の追求。こういう視点は流石だと思いました。
オバマ政権になり、新駐日米大使に弁護士事務所経営者、ジョン・ルース氏を起用することになった。知日派のジョセフ・ナイ元国防次官補でなく、昨年の米大統領選挙でオバマ氏に多額の政治資金を提供した人物だ。
政府・与党内では、想定外の格落ちで、同じ弁護士という間柄と論功行賞という評価である。ナイ氏はハーバード大学教授であり、孫崎氏は彼の講義を同大学で受けたという。ルース氏は分からない。ジェラルド・カーチス米コロンビア大教授は、オバマ政権が日本を過小評価しているのではないかと心配してみえる。

世界では、核兵器を廃絶していくべき、との機運が高まっています。4月には、オバマ大統領がチェコのプラハにおいて、米国として、核兵器廃絶を目指すと表明する、歴史的ともいえる演説をされたばかりです。
 このような中で、北朝鮮が国際社会の声に耳をかさず、2度目の核実験を
実施したことは、極めて遺憾なことですが、最終目標の南北統一に向けて、日本はどう対応するか?ですね。 
 もうそろそろ日本独自な立場を打ち出すときではなかろうか。安保拡大は分かるが、新植民地から脱しての安全保障、つまり、世界における日本の役割に関する新思考、新ビジョンが望まれますね。
 お読み下され、感謝致します。



ランチタイム・コンサートLunch-Time Concert

2009-06-04 21:20:47 | Weblog
ランチタイム・コンサートLunch-Time Concert 平成己丑二十一年水無月四日

 今は全国的に市庁、ホールなどでランチタイム・コンサートが行われている。
昨日、名古屋の宗次(むねつぐ)ホールで開かれた。
ピアノと朗読のコンサートで、ドビッシ―のアラベスク、ショパンのノックターンやシューマンのロマンスなどが解説され、鬼頭久美子さんがピアノを奏でる。皆、名曲ばかりうっとりと聞けた。続いて、朗読は、梶原篤志さんが、シューマン・リストの献呈、メリカントの母への手紙を読まれた。勿論ピアノの伴奏でである。そして、花嫁衣裳の上田美鈴さんが、式で読まれる手紙をかの有名なパッヘルベルのカノンに合わせて、朗読された。
 引き続き、“あまちん“こと天野鎮雄さんが登場。河村名古屋市長みたいにどえりゃぁ名古屋弁で一発かまされると思いきや、この場の雰囲気が名曲の後だったせいか、固く静かに出てこられ、ブラームスの間奏曲がながれる中、城山三郎氏の絶筆といわれる「そうか、もう君はいないのか」の中から、感動的な言葉を選ばれて、朗読された。
 この本は「五十億の中でただ一人『おい』と呼べる妻へ」の愛惜の回想記、ラブストーリーだ。
 二人の偶然ともいえる出会いからはじまり、妻、杉浦容子さんが癌で亡くなる直前、ニューヨーク在住の息子さんが見舞いに帰国される。そして城山三郎さんと息子さんが病室を出るとき、突然、容子がベッドに身を起こしたかと思うと、降りるというより、滑り落ちた。
何事かと驚くまでもなかった。
次の瞬間、容子は息子に向って、直立して挙手の礼。
息子は驚きながらも、容子に向い、直立して挙手の礼を返す。
私はひさしぶりに笑い声をあげた。もちろん、容子も息子も笑顔。
三人が笑っての最後の別れとなった。

死ぬ直前まで息子を思う母の凝縮した一念の表れだと思ったし、城山三郎さんの率直な語り口が天鎮さんの語りに乗り移ったように私には感じた。

最後は、再び花嫁姿の上田美鈴さんの「名前は祈り」を、リストの愛の夢「3」が締めくくった。

久しぶりに楽しいひとときであった。
お読み下され、感謝致します。


発想の転換 a change of idea

2009-06-01 06:11:51 | Weblog
発想の転換a change of idea   平成己丑二十一年水無月一日
[ソウル 25日 ロイター] 北朝鮮は25日、地下核実験を成功裏に実施したと発表した。核爆発力とコントロールを新たな段階まで強めたという。北朝鮮は先に、国連安全保障理事会が制裁を謝罪しなければ、核実験を実施すると警告していた。更に、短距離ミサイルも発射実験した。

2年も前に「日米同盟」について書いた。(1/10,07)
北朝鮮は日本がたどった戦前の追い込まれた暴挙の道を歩もうとしている。 
意地を張らせずに、暴挙させないよう、日本はどう対処するかですね。
北朝鮮の恫喝に吠えるだけの、もうポチではいられなくなってきた。 でも力の論理だけでは問題は解決しない。未だにイラク戦争は泥沼状態です。 東アジアのリーダーで唯一の被爆国として、アメリカの核の傘を差してるという非核3原則の国連安保理常任理事国入りをアメリカに提案させるよう働きかけてもらいたい。もう3原則というより、非常事態の時と考えて、2原則にならざるを得ないだろう。 日米安保条約の同盟だけでは今後心配である。自衛軍もあり、「国連での拒否権のある日本」にならないといけない。
撃ち込むからそれに対抗は分かりますが、ベストの危機管理とは、撃ち込ませないように、最悪の事態がこないようにするのが危機管理です。
六者協議は10年スパンで続けてほしい。簡単に絶望しないことだと思います。
花咲かじいさんになったらいいと思います。NGO活動は相当なものです。
**
日本人は安全保障問題を、欧米人と同じように、戦略的に考えられない状況が続いているらしい。 原因は「サンフランシスコ体制」である。松岡正剛氏はいう、「今日の日本は軍事基地がある限りは、いまなおアメリカの新植民地だということになります。ちなみに、いま日本のどこにアメリカの軍事基地があると思いますか。沖縄だけでない。横須賀・横田・座間・厚木・岩国・三沢・佐世保・嘉手納・普天間・沖縄USマリーンの十箇所に、常時、戦闘機や戦艦が配備されている。白川静さんは、日本はまだアメリカの属国だといってみえる。」と。
アメリカは戦後一貫して日本に戦略的攻撃能力を持たせないできている。

 今、塩野七生さんの「ローマの街角から」という9年も前に発刊された本をたまたま書店で平積みの中から衝動的に買って読んで、驚いた。
ローマ人の物語」を書いている最中に、外から見た日本の状況を、政治状況は一変していますが、的確に捉え、提言していた。政治家には採用されていないようですが、次の一点はいまだに光っているように思えたので、写します。
 『どうしても「安保理」の常任理事国になりたいのならば、さしたる代償を払うことなくなれる道が一つあるんですね。「安保理」常任理事国がもっている、拒否権の撤廃を提言することである。予想される反対国はロシアに中国だが、多数決に変わった方が有利なアメリカは賛成するはず。そしてイギリスも、また、例によって抵抗はするにせよ結局はフランスも賛成側にまわるだろう。
機能の向上を期すという理由で拒否権を撤廃した先例は、私のウロ覚えだが、EUがあったではないか。』
 このような提言を9年も前に発表してみえた。何と小渕首相とも会談し、提言を行っていたという。
5月5日、麻生首相は、ドイツのメリケル首相との会談で、国連改革について、協議した。日独双方が安全保障理事会の常任理事国入りに向けて努力することで一致した。 この時点では、北朝鮮の核実験は行われていなかったが、
アメリカの新植民地が、常任理事国入りだと頑張っているみたいだと松岡氏に言われるでしょうね。
日本の要請で安保理緊急会合が持たれ、北朝鮮に対して決議違反としてどのような措置、対応するかの検討が始まったのですが、アメリカは既に読み間違いをしているのです。ここらで、発想の転換を図るべきだなと思えました。
そして、北朝鮮の問題について、「超バカの壁」で養老孟司氏は、「北朝鮮と韓国は一緒になってしまうのが一番いいと思う。一時的に厄介でも、北と南がくっつけば話はわかりやすくなります。どのみち同じ国、同じ民族、同じ言葉なのです。朝鮮が南北に分かれているということは、面倒が多いだけです。
この問題は本来は旧ソ連とアメリカが責任を持たなければいけない。彼らは、世界中に戦争を起こしたままで、後は知らんぷりをしてばかりです。」と、発想の転換を勧めてみえる。

核施設破壊というのを、どういう査察でチェックしていたのかな?
直ぐ再開できるということは、他へ移動しただけだったのでしょうね。
このような同じような挑発は何回も繰り返しされるでしょう。
挑発に乗らずに、10年先の韓国統一を勧めたらどうだろう?
明治初年頃、韓国は江戸幕府にならって鎖国をしていた。それをこじ開けたのは誰であろう。征韓論が高まる。西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣らの参議は武力でもって、開国をせまった。秀吉の愚行を知っていたのであろうか? しかし、岩倉使節の大久保利道、木戸孝允らが反対し、征韓派は辞職。明治6年の政変である。その後、日本政府は江華島事件をきっかけに日朝修好条規を結ぶ。そして、日露戦争中、1904年韓国と第1次日韓協約を結び、こじ開けた。伊藤博文が安重根に暗殺されると、1910年韓国併合で、植民地にしてしまったのは日本です。天皇直属の朝鮮総督府をおいてその統治にあたった。南も北もなかった。元々一つの国であった。そこを考えないといけませんね。
統一に耐えられるだけの経済力を韓国が備えることが最低条件だが、この条件はなかなか達成できない。
 日本、中国、アメリカ、ロシアが、韓国と北朝鮮と相談しつつ、統一へ向けた経済協力をすれば、この条件を早期に達成できて、早期に核の脅威から逃れることができるように思う。難民も出るだろう。今でも脱北者が増えているというから。評論家には、夢物語だという人がいるだろうけれど。
 核兵器のない社会を実現する目的で、日本が南北朝鮮統一に貢献することは世界的にも非常に重大な意義を持っている。

お読み下され、感謝致します。