隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

老人パワーOld men's Power

2010-04-18 22:28:11 | Weblog
老人パワー Oldmen’s power 平成庚寅廿二年卯月十八日

 岐阜には「おばば」という民謡が昔からある。
 ♪ おばば どこへ行きゃるナァーナー
   おばば どこへ行きゃるナー
三升樽さげて ソーラバェー
ヒュルヒュルヒュー
ヒュルヒュルヒュー
♪ 嫁の在所へ ナァーナー
  嫁の在所へ ナー
ササ 孫抱きに ソーラバェー
ヒュルヒュルヒュー
ヒュルヒュルヒュー
♪ 岐阜はよいとこぢゃ ナァーナー
  岐阜はよいとこぢゃ ナー
金華山のふもと ソーラバェー
ヒュルヒュルヒュー
ヒュルヒュルヒュー
♪ 小田のかわずが ナァーナー
  小田のかわずが ナー
寝ちょって聞ける ソーラバェー
ヒュルヒュルヒュー
ヒュルヒュルヒュー

孫が生まれたお祝いに、おばばが三升樽を下げていくと、あたりのかわずという蛙が鳴いているという場面である。 三升樽は相当重いから昔のひとは強かったのだという証拠でもある。

 新党「たちあがれ日本」の老人たちは凄い。密約といい、晋天間でのふらふら状態では、日米同盟の絆がしっかり出来ないと見ているのでしょうね。
日米両国間に、核兵器搭載の暗黙の合意(tacit agreement や unsporken understanding)という形での密約(secret pact)があったということは、民主主義の背信行為が両政府でなされていたとなる。同盟の前提が崩れ、見直してもよいように思いますが、アメリカの方も肯定も否定もしないNCND(neither confirm nor deny)のようですね。
 普天間問題で、S君は「沖縄の地政学的位置を考慮しないといけないと思います。ガム島に行ったらイザという時に出撃しても日本までジェットで3時間もかかるので意味をなさないのです。 我々は日本の防衛を考えなければなりません。犠牲を伴わない決断なんて無いのです。与党は八方丸く治まる回答を出したいのでしょうが、そんな回答はある訳がないのです。決断は常に清水の舞台から飛び降りることであり、舞台の上での安全を確保しながら、命をかけて飛び降りることは出来ないのです。鳩山さんは変な方向へ行ってしまいましたね。だいたい生まれてから今まで決断ということをやったことのない人間を総理にしているのが間違いです。」と、相変らず手厳しい。
彼は北朝鮮の南進に対して即座に対応できる「前方展開兵力」の確保の必要性を説いてますね。一方「世界を知る力」の中で、寺島実郎氏は、「オーバー・ザ・ホライズン・ポリシー」(緊急派遣軍構想)という安全保障の方式で、外国の軍事基地をなくすべきだと、言っている。鳩山総理は、カナダの元ピアソン首相のように打ち出せるかですね。ここは大事な時です。 又、密約でもされたらたいへんです。
 この前投稿の「桜の環」で、ワシントンに桜を送った東京市長は尾崎行雄でした。
ネットで調べましたら、苦労話がやはりありましたね。
尾崎は2000本の苗木をワシントンに送った。しかしその苗木は、その後の検査で害虫が発見されすべて焼かれてしまった。残念に思った尾崎は、健全な苗を育てさせ、1912年、今度は3000本を送った。苗木は無事育ち、現在も見事な美しさでポトマック河畔の春を彩っている。

ここで感心したのは尾崎行雄の人生観です。
『人生の本舞台は常に将来にあり
  人間は、齢を重ねれば重ねるほど、
その前途が益々多望なるべき筈のものだというのが、私の最近の人生観である。
  人間にとっては、知識と経験ほど尊いものはないが、
    この二つのものは年毎に増加し、
  死の直前が二つ共最も多量に蓄積された時期である。
    故に適当にこれを利用すれば、
  人間は、死ぬ前が、最も偉大な事業、または思想を
   起こし得べき時期であるに相違ない。』
人は何歳になっても、それまでの人生は序幕にすぎず、これからが本舞台なのだという意味である。人間にとって知識と経験ほど尊いものはなく、その二つは年毎に増えていく―すなわち人間は年をとればとるほど、その前途は輝かしく多望であるという尾崎の人生観である。 
 尾崎行雄は、75歳の時(1933年)、三重県を遊説中にひどい風邪と中耳炎にかかり、その病床で「自分はこれまで何をやってきたのか」と自省し、この思いを抱くに至った。老人パワーの真骨頂ですね。彼は議会政治の父と仰がれつつ一生95歳の幕を閉じたのであるが、流石ですね。人生観が違う。
まだまだ頑張りたい。

お読み下され、感謝致します。

桜の環Cherry's Link

2010-04-04 20:05:36 | Weblog
桜の環Cherry's Link         平成庚寅廿二年卯月四日

 今日は、ここ関市では花見日和でした。
新しくなった団地内の公園では、関市長を迎えて、役員の方は前日より手配で忙しかったことでしょう。満開の桜の下、春を満喫した。
桜といえば、アメリカの首都ワシントンDCが有名ですね。
ここらでは、寺尾や境川の千本桜といったところですが、数も千本止まりです。
ところが、ワシントンでは記事によると、
4月2日
アメリカの首都、ワシントンの桜の名所として知られるポトマック河畔で、3000本余りの桜が満開となり、訪れた市民や観光客の目を楽しませています。
ワシントンのホワイトハウス近くを流れるポトマック川のほとりには、98年前に当時の東京市長から送られたソメイヨシノなど3000本余りの桜が植えられており、春の風物詩として親しまれています。この冬、記録的な大雪に見舞われたワシントンでは、雪の重みで桜の木の枝が折れるなどしたため影響を心配する声も出ていましたが、桜は例年より4日早く満開となり川の周りを埋め尽くすように咲き誇っています。日中20度を超える陽気となった1日には、地元の市民や観光客が大勢訪れ、青空の下カメラを片手に桜並木の散策を楽しんでいました。ワシントンでは、先週末から「桜祭り」が開かれており、今月11日まで日本にちなんださまざまな催しが連日行われる予定で、期間中100万人の観光客が見込まれています。因みに、その日本から送られた桜の苗木というのは、 東京の荒川堤の五色桜を穂木に伊丹市の東野で育てられた台木を接木した桜苗木だそうだ。
 3000本と、規模が違ってしまった。桜祭りも「Queen」という美女が選ばれ、パレードというから、花見というより「クゥィーン祭り」と言ったほうがよいかもしれない。文化の違いですね。茣蓙を敷いて、一杯やるような光景は皆無でしょうね。
英会話教室で、アメリカ人の先生から、桜にまつわる日米の交流“the cycle of giving came full circle.”という記事を紹介してもらえた。
In 1981, the cycle of giving came full circle. Japanese horticulturists came to take cuttings from the trees in Washinton, D.C. to replace Yoshino cherry trees in Japan that had been destroyed in flood. With this return gift, the trees again fulfilled their roles as a symbol and agent of friendship.
1981年、与えるという環が完全な環になった。日本の園芸家たちが、洪水でやられた吉野桜に取って代わるよう、ワシントンDCの桜を切って持ち帰ったという。このお陰で、桜は再び、友情の象徴、代理として、役目を果たしたという。GIVE & TAKE の絆でしょうね。
そして、最近、あの有名な薄墨桜の記事があることを紹介された。
November 15, 1999 the most recent event in this circle occurred.
- Fifty trees were propagated from the 1400 year old "Usuzumi" Cherry tree growing in the village of Itasho Neo, in Gifu Prefecture of Japan, were planted in West Potomac Park. It is said that that the 26th Emporer Keitai of Japan planted the tree 1500 years to celebrate his ascension to the throne. The "Usuzumi" tree was declared a National Treasure of Japan in 1922.  
 1999年11月15日、この連環での最近の出来事があった。
日本の岐阜県根尾村にある樹齢1400年以上の”淡墨桜”から採られた50本の苗木が西ポトマック公園に植樹されました。一説によると1500年前に第26代継体天皇が即位を祝 って植えられたものです。淡墨桜は1922年に日本の国宝に指定 されています。
あの薄墨桜が海を渡ったのだ。宇野千代さんもさぞかし、喜んでみえることだろう。存命中にこのことは知らされておったと思います。
更に、ネットで調べたら、
根尾村役場総務課洞口様からのメールとして
   「樹齢1500年余の淡墨桜の苗木を、世界的な桜の名所であるアメリカのポトマック公園に植えようと1986年中部電力奥美濃水力建設所長の渡辺氏と、根尾村の当時教育長だった吉田氏が発案し、それに根尾村も協力し植樹に動き出したが、根付きの植物の輸出は米国の植物検疫法が壁となり難航し、土や根のついていない枝を研究用として2人で米国に運んだがこの枝は枯れてしまい、91年に再び新たな枝を運び、アメリカの桜の苗に接ぎ木し、ある程度大きくなったので村長他が1999年の11月15日に植樹をしたものです。 以上のような経緯で50本の桜がポトマック公園に植わっています。」(桜物語より)
と、なんでもそうなんですが、苦労な話が裏にはありますね。

P.S.
1912年ワシントンに桜を3000本贈った東京市長はあの有名な尾崎行雄でした。

お読み下され、感謝致します。




Namahageなまはげ英文

2010-04-01 07:47:12 | Weblog
Namahageなまはげ英文 平成庚寅廿二年卯月一日

I went to Akita prefecture to see my friend.
It has been 40 years since we met last.
We had lots of beer and Japanese "Sake" with chattering about good old memories. We were going to university and staying at the same lodgings at that time.

This picture is "Namahages"that are entertained by host.
They are ogres that are near Gods.
Namahages come from a mixture of Shintoism and Buddhism.
Young men dressed as dreadful demons and bearing big papier-mache knives, clubs, and straw bags go from house to house admonishing sluggards to mend their ways.
They growled low and did sumo-style leg stomps 7,5,3 times.
The costume includes a demons's mask and a skirt of straw or seaweed.
“ Namahage” is a corruption of “namami-hagi” which literally means “getting rid of calluses formed by excessive exposure of the skin to heat.”
The term is used to indicate the treatment required by a person so lazy as to sit warming himself at the fire long enough for such a callus to form.
Our children are scared to be bitten.
Namahages preach our children in favor of good behavior.
In Oga peninsula there are Namahages' performances as folklore.
I hope Namahages preach all over the world in favor of good behavior.

Thanks for reading.