隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

覚書ネルソン・マンデラ追悼Note : Mourning for Nelson Mandela

2013-12-14 11:24:58 | Weblog

覚書ネルソン・マンデラ追悼 Note : Mourning for Nelson Mandela平成癸巳廿五年師走十四日

Nelson Mandela has died. He was 95.
He was arrested and sentenced in 1964 to life in prison.
He made a speech that became a manifesto against apartheid.

"During my lifetime, I have dedicated myself to this struggle of the African people.
I have fought against white domination and I have fought against black domination.
I have cherished the ideal of a democratic and free society. ...It is an ideal for
which I am prepared to die."

We must learn the spirit of Mandela's "Invictus".
Forgiving and going mates with enemies. No revenge and no hatred.
He tried to build a new country with enemies who imprisoned himself.

Thank you for reading.

彦根城Hikone Castle

2013-12-07 20:20:27 | Weblog

彦根城Hikone Castle 平成癸巳廿五年師走七日

先日、国宝彦根城へ研修に行ってきた。
ここも、犬山城と同じく外国人相手のボランティアガイドがいて、総勢16名をつれて回ってくれた。
やはり10名以上となると聞く方も話す方も大変だ。半分日本語となった。

連郭式平山城だけに広い。
天主、附櫓及び多聞櫓(横に長い櫓とのこと)が国宝、城跡は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園に指定されている。
歴史は慶長5年(1600)9月15日関ヶ原の戦いで始まった。後に徳川四天王の一人に称される井伊直政により火蓋が切られた天下分け目の大戦は、西軍方武将の裏切りもありわずか一日で勝敗が決し、江戸幕府開府の礎となった。直政は武功により佐和山城を与えられ初代彦根藩主となる。
しかし、鉄砲の傷が元で慶長2年に死亡。嫡子直継は、家老木俣守勝を通じて彦根山(金亀山キンキヤマ)への城の移築が決定される。慶長9年(1604)から始まった。前期は幕府から奉行が派遣され近隣諸国の大名にも手助けが命じられる天下普請として取り組まれた。天主や鐘の丸など主要部分が慶長12年(1607)完成し、直継が入城。大阪の陣で工事が中断するも、後期、彦根藩単独で再開し、元和8年(1622)すべて完成した。
*徳川四天王は家康の天下取りに功績のあった井伊直政・酒井忠次・榊原康政・本多忠勝ら四人の武将。

道は歩きにくいように斜めにずらして舗装され、排水路が確保されていた。
    
屋根を垂直に切り裂いた空堀である。堀切(ほりきり)という。
 大手門や表門から侵入した敵の防御策として設けられたもので、この堀切の上には廊下橋が架けられているが、敵が侵入した際には落され、迎撃できる構造です。
支える柱が地震等で、折れるといけないので、現在は写真のように石垣の途中でなく、地上まで伸ばした柱をコンクリートの土台で補強してある。ガイドさんは昔の写真で説明してくれた。
国宝といえども、昔のままでは危険でしょう。
天秤櫓:両隅に二階建ての櫓を設けて中央で門が開く構造となっている。類例のない櫓で均整のとれた美しさと堅固さを兼ね併せている。
ここで石垣の積み方を勉強した。
廊下橋から見て、右側が築城当時の「牛蒡(ごぼう)積」;胴長の石を積む際に面積の大きい面を内側に押し込む積み方。左側が嘉永年間に積み替えた切石の「落とし積み」;現代のブロック積みで最も一般的な積み方である谷積み(石を斜めにして積み上げる手法)のこと。
 犬山城はさらに古く「野面積み(のづらつみ)」である。
廊下橋    

内堀の石垣で上部が土塁となっているものを「腰巻石垣」と呼び、さらに石垣を用いて高くしてあるものが「鉢巻き石垣」と呼ばれている。 珍しい石垣でした。

三階三重の天守。通し柱を用いず、各階ごとの積み上げである。三重の屋根には「切り妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を組み合わせ、二階と三階に「花頭窓」、三階の望楼には高欄付きの廻り縁を四隅にとりつけてある。美的完成度が高い天守である。

内観;梁行に対して桁行が2倍近い平面が特徴。
隠し部屋(中は見れず)
矢挟間と鉄砲挟間  
 天守より琵琶湖

続いて 表御殿:彦根城博物館
彦根藩の政務所兼藩主の生活の場が復元された。
ここには凄いものがある。入口にでんとあるのが、国宝「紙本金地著色風俗図」(彦根屏風)である。
1955年国宝になった。400年前江戸寛永年間に制作、当時の遊里が描かれているが、作者不明。
合戦図と違って幾分サイズが小さい。複製といえども全体が暗くしてある。もちろん撮影禁止。
何といっても流行の先端を、極めて精密な描写で表現している。三味線、囲碁などと着物の柄や着こなしなど、
南蛮貿易でたばこ、洋犬のペットなど当時の生活が分かります。
図録で確かめて、本物展示の時にまた来たいものです。

外に出ると、広大な玄宮楽々園です。 

紅葉の彦根城 

ひこにゃん
彦根城は江戸の初めより戦火にまみえることなく、守ってこられたことだけでも凄いことだ。
今回も良き研修でした。
お読み下され、感謝致します。