隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

「ホノカアボーイ」を見て”Honokaa Boy"

2009-03-25 11:01:39 | Weblog
「ホノカアボーイ」を見て    平成己丑二十一年弥生二十五日

友人S君からメールが来た。
明日から、奥方とハワイ島に行ってきます。
泊る場所は3月14日に公開される東宝映画「ホノカアボーイ」(真田敦監督)の舞台になっているHonokaaです。
私は今回で4回目のHonokaaですが、鄙びた良い町です。
街の目抜き通りは約100mで、レストランは1件だけで、泊るホテルは私の親戚同然のカリフォルニアのオバサンがやっていて、Bed and Breakfastです。
またレンタカーで島をぐるぐる回ることになり、大地の営みや火山活動を肌で感じて、気を入れてきます。
***
そういう訳で、「ホノアカボーイ」を見てきました。
関市の映画館には配給されず、車で岐阜まで出掛けました。
ハワイ島の自然は良いですね。海岸がきれいだ。
現地ではもっと感動するでしょうね。
映画のように、町の人を探すのに苦労しそうですね。
「まったく、のんびりした」ハワイなのか日本なのか、わけの分からない世界へ来たみたいでした。
歳をとっても、ひとりでいるのは寂しいものですね。
同性愛じゃなくって、恋をしたいという本音が優しい人たちから聞こえてきたように思えました。特に、倍賞千恵子が微妙な味を出していた。
彼女は“月の紅「ムーンボー」”を見たのでしたね。
心地よい風が吹いている映画だったし、現地もこのようでしょう。
4回目というS君の気持に触れたようだった。
ストレスはないですね。
***
S君より
関市ではマイナーな映画を見るのは苦労するのですね。
私も「ホノカア・ボーイ」は先週見ました。ホノカアには4回行っていますが、
日本人は唯の一人も見かけたことがありません。
仰るとおり街には人は余り歩いておりません。通りはいつでも駐車スペースがあります。映画では主人公が車で坂を下りてきて、右折をします。その角が主人公が倍賞千恵子の作っているお菓子の粉を買いに行くマーケットで、その前が郵便局。
そこから右折して100mが商店街ですが、全く賑わっておりません。
レストランなどピザ屋さんが1軒あるだけです。
「ホノカア・ボーイ」の撮影は町では一大事件だったようです。

私は主人公が右折した道を逆に左折して、ワイピオ渓谷方向に向い約10分
の宿に泊ります。元々シュガー・プランテーションのスーパーバイザーの家を
買い取ってB & Bにしたところです。部屋は5つしかありません。

あの映画はホノカアの良さをうまく描いていたと思います。
出来たら佐藤さんも一度ホノカアに行ってみると良いと思います。
ただしハワイ島では車を運転しないと何もできませんが、車の運転は全く楽です。

***
ハワイ島といえば、キラウエア火山活動ですね。
これを肌で感じてくるのは、これまた別世界へ行く感じで良いですね。
バケットリストに挙げていきたい。
『ひとは誰かと出会うために、生きている。らしい。』

お読み下され、感謝致します。


歎異抄Tannishou

2009-03-22 16:57:34 | Weblog
歎異抄Tannishou by Yuien唯円 平成己丑二十一年弥生二十二日

親鸞の悪人正機説――Akunin Shouki Setsu 

「善人なおもて、往生をとぐ。いわんや悪人をや」
”Zennin Naomote, Oujou wo togu. Iwanya Akunin woya.”
というものである。
 善人でさえ、浄土に往生をとぐことができるのです。まして、悪人は言うまでもありません、という。第三条の冒頭で、教科書に出て来ますね。
Even the good person attains birth in the Pure Land, how much more so the evil person. <attain birth 生まれ変わる=往生をとぐ=can go to Jo-do>  自分を善人で立派な者だと思っている人は、大往生を遂げるかもしれない。しかし、自分は悪人でどうしようもないやつだと思っている人のほうが本当の仏である。自分で自分のことを善人だと思っている人よりも、自分を悪人だと思って苦しんでいる人のほうがより仏に近い。
A person who thinks himself as a good-natured and honorable person may attain birth in the Pure Land But A person who thinks himself as a wicked(evil) person and a fool is a truer Buddha. A person who thinks himself as a wicked and distressed person is closer to Buddha than the one as a good-natured person.
この悪人正機説では、善人とは善行(造寺・造仏など)を積んで、往生成仏に努めている人。また、悪人とは、罪の深さに気づきながら、善業を積む力のない人のことをいう。
This opinion of ”Akunin Syouki Setsu” said : Zennin(善人) is a person who accumulates good deeds(making a temple and a statue of Buddha and so on.) and tries to attain birth in the Pure Land(Buddhahood, enlightenment). And, Akunin(悪人) is a person who has no power to accumulate good deeds, being aware of the deep Karma(sin).
親鸞は、阿弥陀仏の本願による救済対象が「善人・賢者」ではなく「悪人・愚者」であることを示した。浄土真宗の他力本願や悪人正機は、「何も努力しない依存的な人や、進んで悪事を働く悪い人が優先して救済される」というような誤解をされることもあるが、他力本願とは厳しい学問や修行によって自力救済が不可能な一般人の解脱(悟り)の道筋を示したものであり、悪人正機は、煩悩(欲望)を消し去れない「人間の原罪的な部分」に自覚的な人を指して「悪人」と呼んでいるに過ぎない。
Shinran showed that the focus of salvation(救済) by the Primal Vow of Amidabutsu(阿弥陀仏) is not “Zennin善人,Kenja賢者”, but “Akunin悪人, Gusha愚者”. ”Tariki-Hongan 他力本願”(the Primal Vow of Other Power) and 悪人正機Akuninshouki (Salvation of wicked persons)of Jo-doshinshu sect 浄土真宗are often misunderstood as” dependent persons without efforts and persons who do evil deeds by nature get priority salvation.” But the Primal Vow of Other Power他力本願 shows the way of enlightenment that the general public can’t be gotten salvation by strict learning and ascetic practices. Salvation of wicked persons悪人正機 just calls persons who are conscious of ‘ human original sin’ without suppressing worldly desires ‘Akunin悪人wicked(evil) persons’.

親鸞の言葉
(第十三条)「さるべき業縁(ごうえん)がもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
"Under the influence of our karmic past we human beings will do anything."
<口語訳>ふと何か暗い運命に左右されるとき、どんな悪業でも平気でするのが人間ではないか。(梅原猛訳)
"By this we know that if we could act according to our thoughts, we could kill a thousand people for the sake of birth in the Pure Land if so required. We do not kill, not because our thoughts are good but because we do not have the karma to kill even a single person. Yet, even though we do not want to injure anyone, we may be led to kill a hundred or a thousand people."
<口語訳>これでおまえはわかるはずである。人間が心にまかせて善でも悪でもできるならば、往生のために千人殺せと私がいったら、おまえは直ちに千人殺すことができるはずである。しかしおまえが一人すら殺すことができないのは、おまえの中に、殺すべき因縁が備わっていないからである。自分の心がよくて殺さないのではない。また、殺すまいと思っても、百人も千人も殺すことさえあるであろう。(梅原猛口語訳)

<何と恐ろしい言葉であろうか。また、これほど人間の本心を見極めた言葉は知らない。親鸞は、今日まで悪いことをしなかったのは、たまたま縁がなかっただけだという。だから人を殺せといわれても殺せないけれど、殺すなといわれても状況如何によっては殺すかもしれないという。だからといって何をしてもよいというのではない。一人ひとりの命は奪ってはならない。ただ親鸞は、自身の生き方は如来にまかせるしかないと受け止めたのである。中村薫氏>
What horrible words these are!
<唯円が、私は一人も殺すことは出来ないといったとき、すべての悪業は人間の業、我が心によって殺さないわけではないと言った親鸞には親しみを感じる。親鸞は、我が心にある煩悩、殺人まで犯しかねない情欲や、我欲や、憎悪の心を自省し、悪業に満ちた人間というものを深い慈悲の心でながめる人であった。梅原猛氏>

(第五条)「親鸞は父母の孝養のためには、一辺たりとも念仏申したことはない。」
I, Shinran, have never even once uttered the nembutsu for the sake of my father and mother.
<念仏は加持祈祷ではないから、念仏によって人を幸福にしたり、地獄に堕ちた人をすくい上げるというようなことはない。生きとし生けるものは、長い間には、一度は父母兄弟のような間柄になった事があるかもしれないから、きっぱり追善供養の念仏を断ち切るのである。中村薫氏>
The reason is that all beings have been fathers and mothers, brothers and sisters, in the timeless process of birth-and-death. When I attain buddhahood in the next birth, each and everyone will be saved. といいますのは、すべての生きものは、因果の理によって、いったん死んでも、また別の形で生まれかわってくるものでありますから、長い長い前世においては、すべての生きとし生けるものは、いつかは我が父母であり、わが兄弟であったことは必ずあると思われるのです。それゆえ、われらが死んで極楽浄土へ行き、仏になったとき、今生のわが父母、わが兄弟ばかりではなく、すべての生きとし生けるものを、たすけなければならないと思うのです。(梅原猛氏口語訳)

(第七条)「念仏は無碍(むげ)の一道なり。」In the person of nembutsu opens up the great path of unobstructed freedom.
<念仏を称えることは何ものにも妨げられない真実の一道であるという。人間の煩悩そのものもまったく障りにならない、念仏一つあれば十分である。中村薫氏>
The reason is that the gods of heaven and earth bow before the practicer of true entrusting, and those of the world of demons and rival ways cannot obstruct such a person. その理由は、信心が固い念仏の行者には、天の神、地の神もおそれ従い、いかなる魔物、悪者といえども念仏を妨げることができない。(梅原猛氏口語訳)

*** 
日本の仏教界も海外進出は目覚しい。英会話のスイス人M氏は、毎年New York、ヨーロッパへ座禅会に参加されている。久松真一氏のFAS協会もそうですね。
本願寺も、ブラジルにたくさんのお寺とお墓をつくり、法要をされている。日系が多いから当り前でしょうね。英会話仲間のKさんのご母堂はバンクーバーで葬式され,お墓を造られたそうだ。
グローバルな時代であるからこそ、日本の良き文化は見直されてしかるべきだと思います。
「おくりびと」の賞賛がきっかけになれば良いですね。

お読み下され、感謝致します。






Shinran親鸞 

2009-03-20 09:28:33 | Weblog
Shinran親鸞        平成己丑二十一年弥生二十日

Nothing is more beautiful than a life devoted to the world.
He was born 1173, near Kyoto----died Jan.9. 1263. Kyoto. Japanese philosopher and religious reformer.
He entered the priesthood at age nine and studied for 20 years at the center founded by Saicho(最澄) on Mount Hiei(比叡). He later met Ho-nen(法然), founder of the Jo-do(浄土) sect (Pure Land Buddhism).
When Ho-nen’s(法然) movement was suppressed(鎮圧され), he and Sinran were exiled(流罪). For more than 20 years, Shinran lived an academic and missionary life, compiling(編集) the six volumes of his teachings. 教行信証(kyoukoushinsho)
In 1224 he established Jodo- Shishu浄土真宗-(“ True Pure Land sect”).
He refined the Pure Land teaching that salvation(救済) could be attained(遂げる) through chanting(唱える) the name of the Buddha Amida by saying that even one such utterance(発声), if made with true faith, was sufficient(十分な) for salvation.
Shinran teaches that anyone can enter Jo-do(Buddhist Elysian fields至福の場) only if he(or she) believes in Amidabutsu(阿弥陀仏), the Buddha who saves everybody.
His teachings are expressed by a simple term”Tariki-Hongan 他力本願”.
He declared that meat-eating and matrimony(婚姻) were not contrary(反する) to the teachings of the Buddha.(Existing Buddhist sects denied those acts.)
He advocated(唱道した) marriage for his priests to minimize(なくす) the distance between clergy(僧職)and laity(俗人).
Therefore, the Jodoshin-shu sect rapidly spread among many of those who wished to live a peaceful life after death, while seeking worldly benefits.
Jodo Shinshu is the largest Buddhist denomination(宗派sect) in modern Japan.
Temples of the Jo-doshinshu sect were called Honganji (本願寺), and the head temple was placed at Kyoto.
As this Buddhist sect became extremely powerful, the Tokugawa Shogunate divided the head temple into two: one in the east and one in the west.
(quote from who’s who of Japan)
Pure Land Buddhism
Devotional cult of the buddha (Amitabha). It is one of the most popular forms of Mahayana Buddhism in East Asia today. Pure Land schools believe that rebirth in the Western Paradise(the Pure Land) is given to all those who invoke(呼びかける) Amitabha’s name with sincere devotion(深い愛情). In China the Pure Land cult can be traced back(たどる) to the 4th century, when the scholar Huiyuan<ホイユエン>慧遠(えおん)(333-416) formed a society of monks and laymen(俗人) who meditated on the name of Amitabha. His successors systematized and spread the doctrine in the 6th-7th century. The Pure Land teaching was transmitted(伝えられた) to Japan by monks of the Tiatai (天台)school. (quote from Britannica)
*** 
未曾有の経済的混乱が3月末より、さらに激しくなると思われる。ちょうど、昨年(平成20年)の9月より『親鸞』が五木寛之氏により中日新聞に連載されて来ている。
怒り狂った猛牛場面から、毎回次はどうなるかと、興味はいまだに続いている。
五木氏は、激動した貴族社会から武士社会への様変わりを、転換期を迎える現代に通じるものがあるとみているのであろう。
これほどまで強欲になって突っ走ってきたかとオバマ大統領が怒れるほど、官僚の天下りなどに使われる税金の無駄を、みのもんた氏が怒れるほど、深酔いのもうろう会見をする無神経さにあきれるほど、今の世は「末法の時代」と似通う。

日野忠範(若き親鸞)は<人はなぜ苦しんで生きるのか?> <人はなぜ争って生きるのか?>と、いつも心に問いかけていたそうだ。

弥陀の誓いぞ頼もしき
十悪五逆の人なれど
ひとたび御名を称うれば
来迎引接(らいごういんじょう)疑わず

当時の今様からだろうか、五木氏は詠わせている。
「貧」と「老」が切り捨てられる時代がはじまった。
人々の魂の救済になることを祈ります。

お読み下され、感謝致します。



村上春樹氏のスピーチMr.Murakami’s Speech(改訂)

2009-03-09 16:02:22 | Weblog
村上春樹氏のスピーチMr.Murakami’s Speech平成己丑二十一年弥生七日

 作家村上春樹氏が、イスラエル最高の文学賞エルサレム賞を受賞した。2月16日のことだったが、同じ頃イタリアで元中川財政相が、ろれつが回らない状態のもうろう会見を行った。そのため、村上氏の一世一代のスピーチが残念にも掻き消されてしまった感があった。忘れてはいけない、備忘録のつもりで書き留めます。
 A writer Murakami Haruki was awarded Jerusalem prizeon February 16th. 
そのスピーチは、あのチャプリンの“独裁者The Great Dictator”の床屋を彷彿とさせる、立派な、感動的なものであった。心あるブロガーは全文の英和訳してくれて、読むことが出来た。
The speech reminds me of the barber on Chaplin's The Great Dictator,and was magnnificent and moving.
 エルサレム賞は63年に始まり、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に隔年でおくられる。受賞者には英国のバートランド・ラッセル、アルゼンチンの作家ホルへ・ルイス・ボルヘス、チェコの作家ミラン・クンデラ各氏ら、著名な名前が並ぶ。ただ中東紛争のただ中にある国の文学賞だけに、政治的論争と無縁ではない。03年の受賞者アーサー・ミラー氏は授賞式に出席する代わりにビデオスピーチで、イスラエルのパレスチナ政策を批判した。
 
村上氏はスピーチで(共同通信)
The State of Israel attacked Gaza and more than a thousand people including many unarmed common citiizens were killed.
Rather than absence and saying nothing, he chose to make a speech.
イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では、多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。
So I have come to Jerusalem. I have come as a novelist, that is – a spinner of lies.
When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself : Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?
I give it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I’m told. It’s in my nature as a novelists.
Novelists can’t trust anything they haven’t seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
「ちょっと考えを巡らしました。で、来ようと決めたわけです。大抵の小説家のように、言われたのとはきっちり反対の事をするのが好きです。それが小説家として、私の根底にあります。自分の目で見ず、自分の手で触れないものを小説家は信用しません。だから私は見る事にしました。なにも言わないよりはここでしゃべることにしました」
<誠実な彼ならではの言葉ですね>
So here is what I have come to say.
If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.
「固く高い壁があり、卵が壁に打ち壊されるなら、壁がどんなに正しく卵がどんなに誤っていても私は卵の側に立ちます」

Why ? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg.
Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

「どうしてなのか?私たちそれぞれは卵であり、壊れやすい卵にくるまれた唯
一無二の存在だからです。私たちそれぞれは高い壁を前にしています。高い壁とはシステムです。それは通常では個人として受け入れがたいものを私たちに強います」
I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual.
To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us.So – I write stories of life, love. Make people laugh and cry.
「私が小説を書く理由はただ一つです」「すなわち個人が持つ唯一無二の神聖さを描く事です。唯一無二なるものを満足させる事です。システムが私たちをめちゃくちゃにするのを防ぐ事です。だから私は生と愛について物語を書きます。人々を笑わせ、泣かせます」
We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall : it’s too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our soules together for warmth, strength. We must not let the system controlus – create who we are. It is we who created the system.」」
「私たちは皆人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。壁を前にして、望みは失われます。高く、暗く、冷たすぎるのです。暖かみと力のために、私たちの存在を一つにして壁と戦わなくてはなりません。システムが私たちをコントロールするのを許してはいけません。私たちが何者であるか、決めさせてはいけません。システムを作り上げたのはは私たちですから 」
***
去年(平成20年)3月「続・ハンナのかばん」で、『イスラエル政府はパレスチナ人地区をガザとヨルダン西岸として、共存を図ってきたが、高さ8メートル、厚さ30センチの分離壁を870km造ってきている。その上には高圧電線と遠隔自動小銃がセットされるという。これはまさに「ベルリンの壁」と同じ物だ。ましてや「ゲットー」のようにイスラエル首脳部が考えていたら、ぞっとします。歴史は繰り返す。』と、このように書きました。
 現在、死者は1000人以上になっているという。
もうろう会見どころでないのだ。
壁の内から壁を超えて世界に語りかけた村上氏は、日本人の誇りだと思う。
Last year March in the sequel to “Hana’s Suitcase”, I wrote “The government of Israel planed to coexist with Palestine Zone as Gaza and Jordan’s west shore. But they have been building “Separated walls” 8 meters high, 80cm.thick and 870 km in length.
On these walls, high-voltage cables and remote automatic rifles will be set.
These are just the same as “The wall of Berlin”. If the government of Israel considered it as “Ghetto”, I would shudder. History repeats itself.”

I think Mr. Murakami who got over the wall from inside and made a speech to the world is the pride of our Japanese.
お読み下され、感謝いたします。

「おくりびとDeparture」など 

2009-03-01 21:33:24 | Weblog
「おくりびとDeparture」など   平成己丑二十一年弥生一日

仲間から「おくりびと」を見てきたよという話が寄せられ、時代も、団塊の世代のテーマ「如何に死を迎えるか」を反映する時がきたと思うようになった。
選考委員のほとんどが60代だと聞いて、なるほどと思った。
私は去年早々と見ました。チェロの響きが印象に残った。
手羽先を猛烈にかぶりつくシーンは、「生きているんだ」という気持が可笑しさのなかに滲み出てましたね。 田舎で畳の上での見送りは見ていてもすんなりくるものがあった。今は、何でも省略で上からのせるだけの白装束の納棺を見てきた私だけでなく、キチット見送られるという安心感は、世界中の人に必要なんですね。
同じ葬儀屋の話は10年も前に「My Girl 1,2」で出てきましたね。
でも、これは、ある少女の亡くなった母の秘密を探るとても真面目な純粋な愛のメモワール。
高校の教科書に出てきた。勿論英語のです。
その少女の父が葬儀屋なんですね。死に顔を化粧する女性が後妻になって、良き母親となるとても良い映画です。
アップテンポの曲が、中学生から高校生へ成長する少女へのピッタリの応援歌ですね。
ここに何とニューメキシコで出てきた「ハコヤナギ」が出て来ます。(たそがれの放浪者3)
少女が幼馴染トーマス君とよじ登って遊ぶ訳なんです。
トーマスは蜂アレルギーで死んでしまう。思い出すたび彼女は「ハコヤナギ」によじ登るのであった。
日本のような「ヤナギ」ではない。
少女ベーダは詩人となった。
"Weeping willow, with your tears running down,
Why do you always weep and frown?
Is it because he left you one day?
Is it because he could not stay?
On your branches he would swing.
Do you long for the happiness that day would bring?
He found shelter in your shade.
You thought his laughter would never fade.
Weeping willow, stop your tears.
For there is something to calm your fears.
You think death has ripped you forever apart.
But I know he'll always be in your heart."
高校生になったベーダの活躍もPart2で楽しめます。 

先日、「Mamma Mia !」を見てきました。
これはお薦めですね。平易な英語が歌、踊りのミュージカルで、心地よかった。
よく知られた「ダンシング・クイーン」など、周りに気兼ねなく口ずさみました。お客は午前中で10名でしたから。最後のどんでん返しはびっくりだが、娘を嫁がせた後、母親の人生をちゃんと考えて、ドラマが作られていて、感心した。
第2ステージの人生の賛歌ですね。
過ぎにし青春の郷愁ではいけない。「マンマ・ミーア」が人生の応援歌を届けてくれる。
どうぞ、見て下さい。劇団四季は終ったそうだ。
お読み下され、感謝致します。