隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

たそがれの漂泊者から再びA wonderer in the twilight,Again(5)

2008-10-26 08:18:42 | Weblog
たそがれの漂泊者から再びA wonderer in the twilight,Again(5) 平成戊子二十年神無月二十六日

アメリカ・ニューメキシコ州にいるKさんより近況を頂いた。

高地最終章、人物篇、折り返しのご返事多謝。
ヘイ・ベール;-45x100x40センチの角型で50ポンドとか言いますが、寝起きの老兵には朝露も帯びてるし30㌔の体感で息が弾む。各種の牧草を刈り取ったもので、牛馬はアルファルファがお気に入り、結構好みがうるさいのです。 そう、ヘイ・ロールは当地では殆んど見ず、オクラホマやカンザスでは良く見たよ、日本でもヘイ・ロールを見た事がある。 あれは相当大きいので扱いは機械が要るよ、土地での用途によって使い分けてる様です。 ストローベール・ハウスにはストローの角型を使います。

NPR放送もキッチン・テーブル・カンヴァせーションでもプレジデンシャル話題が加熱、贔屓側は、ペイリンのあの声、とかマケインは老いぼれ、なんて表現。一般にはマケイン政治にオールドスタイルの印象強しって感じです。

スーザン・オルセンは小原和紙美術に啓発されNM州で独自展開30数年の美術家で自然生活活動家。当地のアメリカ人であるトシコ女史と感激の対面、その旅に同行した訳。小原とサンタフェの山中、両所アートでの繋がり、稀有なえにしの立会いとなった。アービキュー辺りは世界中の芸術家の憧れのメルヘン高地、百年前のスペイン入植時代の名残をのこし、奇岩、奇峰、渓谷、特異で美しい景観の高地です。
****

メール有難うございます。
ヘイ・ロールはあったんですね。
寝起きの私でも、30キロは相当きついだろう。
大変な仕事だ。
小原和紙との繋がりが分かりました。
小原村(愛知県)は今、たぶん桜が満開でしょうね。
四季桜を背景に、柿の実のなった木を写真に撮ったのを、思い出した。
11月初めに祭りがある。
ところで、新聞のルポによると、ニューメキシコ州アルバカーキ―郊外。
18日全員ヒスパニック(中南米)系約80人が集まる中、同州知事リチャードソン(60)が現われ、
「我が州は人口の43%がヒスパニックで全米最多を誇る。今回はヒスパニックが決定的役割を担う選挙になる」と、オバマ候補支援を呼びかけたという。 
米国の人口約3億人に占める割合は約15%。黒人の約12%を抜いて最大の少数派
マイノリティーに成長。 しかし、9月末、アルバカーキーを含むベルナリヨ郡の共和党委員長フェルナンド・ドバカ(70)氏が、
「ヒスパニックは征服者として、ここへきた。黒人は奴隷としてやって来た。ヒスパニックは黒人より上位にあり、黒人候補には投票しない」と発言。不適切として委員長辞任に追い込まれたという。
前中山大臣みたいですね。 公民権運動の歴史で黒人ばかりが脚光を浴びていることに対し、同じく差別と戦い続けたヒスパニックには潜在的な不満があるようだ。が、若い世代は黒人との壁が薄い。
何と、リチャードソン氏は、オバマ氏に同党予備選挙で敗れた。 4年後は再びヒスパニック初の大統領を目指すと言う。

移民の国アメリカならではのお話ですね。
日本も多民族共生を覚悟しなければならない時が今、きているように思います。
あっという間に辞任した前中山大臣のように、日本は単一民族だなんていうことでは、だめですね。アイヌ民族がかわいそうです。今、岐阜市に2万人の外国人登録されていると仲間のT.Kさんが調べてくれましたね。全国では約200万人の外国人が登録されている。
人口減と少子化の問題は多民族との交流が大切になってきますね。
くれぐれも『Japanese Only』(平19年10/9投稿)と言わないよう心がけねばならない。
では、Keep in touch. Give it your all.

お読み下され、感謝致します。


預け金A deposited money

2008-10-24 07:00:31 | Weblog
預け金A deposited money 平成戊子二十年神無月二十四日

 ちょうど2年前、岐阜県で発覚した「裏金」による不正経理。
金庫に入れたはずのお金は焼却されたというようなことまで取り沙汰された。
弁護士による第3者機関「プール資金問題検討委員会」が立ち上げられ、処分、返還され、正常に戻ったと思っておりました。
 しかし、先日、12道府県で、国の補助金を裏金にするなどの不正経理が、判明したという。岐阜も対象になり、感覚の麻痺にも程があるというもの。
古田知事は、また今さら、各段階で何をどうチェックするのかなど、具体策を検討するといっている。指摘を受けた不適正支出は補助金と一体の県負担分を合わせると総額約5500万円になるという。架空伝票などの発行で、整えられた書
類をどうチェックするかですね。組織的な「公金泥棒」であるのに、「預り金」と呼んで精算している。「予算は使い切らないと翌年度減らされる。」「余った補助金は、返すより使った方が、手間がかからない。」とあの手この手である。
 予算が余れば、評価される仕組みを作らねばならない。

 ここらで、西郷隆盛に登場願いたいものです。
西郷隆盛の遺訓である。友人S君の座右の書で薦められたもので、ブログ再登場です。(平18年11/14投稿) 彼に恩を感じた出羽(山形県)鶴岡藩士が鹿児島にいって、西郷隆盛の教えを綴ったものである。官吏について<30>に『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。』といっている。
童門冬二氏は解説している。公務員の初心は、役所に入った時に述べる誓いの言葉だ。「日本国憲法を守り、全体の奉仕者として職務に専念することを誓います。」と誰もが告げる。これさえ守れば国民の信頼を裏切るようなことはない。
しかし、権力に狎れると初心を忘れて、税金ドロボーに成り果てる。
 西郷自身、官途についていたとき、彼はもらった給与を全部家の机の上に投げ出しておいた。鹿児島からきた若者がたくさんいたので、「自由に使え」と告げていたという。 「仕末に困る人」というのは、凡俗の眼ではなかなか発見できないと遺訓の中に書いてあるように、西郷自身そのものではないかと思われます。
 再び、全国的に発覚した自治体を根本から外部監査ができる体制作りが急がれる。 でも、今までどれだけ第3者機関が設けられてきたことか。
外部なしで解決できなくなっている状況は怖いことだ。ベンジャミン・フルフォード氏の言う泥棒国家の完成(平18年7/20投稿)だ。
お読み下され、感謝致します。

PS. 今日で投稿3年経ちました。
お陰様で、続けてこれました。
感謝感激です。ぼつぼつ行きますので宜しく。





たそがれの漂泊者から再びA wonderer in the twilight, again (4)

2008-10-21 22:35:55 | Weblog
たそがれの漂泊者から再びA wonderer in the twilight, again(4) 平成戊子二十年神無月二十一日

アメリカ・ニューメキシコからKさんが近況を知らせてきた。
Kさんより
忙しくされている事でしょう。
当地では朝はジャケットがいる様な寒さとなり、7時の牛の干草遣りが結構辛くなりました、
寝起きの身体ではヘイ・ベール一個が30㌔にも感じてしまうのです、与え終える頃、
東のデザット丘陵から朝日が昇ります。
プレジデンシャル・ディベートは2回目と3回目を生TVで家族と見るなんて、歴史的
立会いを実感しました。 NM, Calif. ミシガン近辺、北東海岸等など、マケインのアリゾナを除いて全面的にオバマ色となっています、マケインには相当厳しい状況となりましたねー。
未決浮動票を足しても追いつかない形勢にあり。州民は、大統領選はほぼ直接選挙との
意識ですね。
我滞在もあと一週間となりました。何かと後ろ髪を引かれる事象が出て来ます。
昨日までの2日間はサンタフェ山中、メルヘンの里の美術家スーザン・オルセンを訪ねる旅。
後は古代インディアンのアコマの空中都市遺跡への単独行、街のカントリーバーでの夜会
を残すのみで、慣れ親しんだ農場で過ごします。

参考;ガス単価は来た頃9月10日当地で$3.60/ガロンだったのが、今日現在は
$2.70と急降下、経済危機をモロに反映。
メール・チェックは当地時間24日までの見込みです。
ではヨロシク。
***
メール有難うございます。
ヘイ・ベール一個が30kgにも感じるとは?
北海道旅行した時、日高連峰の麓の牧場に、ヘイ・ロールと言っていた干草が何個かあって、いっしょに写真を取ったのを、思い出しました。
身の丈位の大きさだったが、何キロか分からなかった。アメリカとは違うだろう。名前もヘイ・ベールだから。辞書にはhay-baler干草束ね農機具とあるから、ヘイ・ロールは北海道のバスガイド言葉ですね。又、『雪の遺書』を思い出してしまった。
丘陵からの朝日とは、雄大ですね。
写真がいいですね。あー、行きたいなー。
米大統領選もあと2週間、パウエル前長官がオバマ候補を「知的で安定感があり、国を率いる準備が出来ている」と評価した。
世代交代が必要と言われたマケイン氏が「希望を捨てるな。戦うために立ち上がれ。我々は決してあきらめない」と、叫ぶが、焦りがみえるそうだ。
サンタフェ山中のメルヘンの里スーザン・オルセン美術家には興味ありますね。
面白い、みやげ話が聞けそうです。待っていますよ。
ガソリンは有り難いことに下がってますね。
24日には、新岐阜駅の近くで、メキシコ料理を食べに行く予定です。
エンチラーダ、トルティ―アは勿論ですね。
バーとなっていますので、テキーラを試しに飲んでみようかなと楽しみにしています。
私一人ではありませんよ。長森の英会話仲間、カナダ人Jさんご夫妻と一緒です。
私だけがたどたどしい英語です。
Keep in touch.
Give it your all !

お読み下され、感謝致します。


A bear 熊  

2008-10-16 11:18:09 | Weblog
A bear 熊              平成戊子二十年神無月十六日

先日、熊が出た。カナダでのニュ―スを日本のTVで見た。
頭が良い。入り口のドア―を手前に引いて開けるのである。
もっと前であるが、アリクイが入り口のスライド式引き戸を開けて逃げた。
TVでやっていたのには、怖くないから笑ってみていたが、熊は怖い。
北海道では熊は冷蔵庫を開けるそうだ。
そこで、カナダのLさんに聞いてみた。 
Lさんへ
I watched a bear on TV the other day. In Canada a bear went into the convenience store. Fortunately the clerk ran away into the rest room and she was safe. I didn't know where a bear appeared in Canada. This year , how about your backyard? It's very clever and it opened the door by itself. Please take care.
Lさんから返事がきた。
We are all fine these days. Our bear is back in our neighbor’s backyard enjoying hazel nuts, walnuts, apples and plums. If I were a bear I think I would be in the same place as the eating is obviously pretty good. She only comes at night so it is difficult to get a photo of her, but I will try. She seems a little grumpier this year than last so I hope she is not getting old and having problems with her teeth. Unfortunately when her teeth start to go she will become more dangerous as her food choices will narrow (i.e. no more nuts).

カナダのキャッスルガ―(BC州)にいるLさんは、熊は家族同様とみているみたいだ。 去年より気難しいようです。それに、おばあさんで、歯が悪くなっているらしい。りんごやももならばいいのでしょうけど、危険になるとみていますね。 自然との共生活も大変です。Wild life ですね。去年は、エルク(elkヘラジカ)が進入したらしく、とうもろこしが食べられたとメールがあった。
 夏は乗馬とカヌーと2つのキャンプに忙しかったらしい。なにせ一ヶ月夏休みがある。新学期が9月からだから、宿題がない。だが、赤毛のアンのように勉強する子はしっかりやるだろうな。 ああ、カナダが恋しくなった。

お読み下され、感謝致します。

今後の経済の方向The direction of the economy hereafter

2008-10-11 10:46:07 | Weblog
今後の経済の方向The direction of the economy hereafter 平成戊子二十年神無月十一日

G君からメールを頂いた。
 有難うございます。日米の比較からの考察は有り難い。

***
日本とアメリカに住んで見て 今後の経済の方向について 経済の素人から見た 勝手な私見を述べます。

ケインジアンの「見えざる手」の信奉からの反省から始まった 新自由主義も ここへ来て 新たな変革が必要に思われて来ています。 グローバリズムがよりあたりまえに成った今 新自由主義のベースとなる市場そのものは広がりましたが もう一つの前提である人間の類型が 問題だと思います。 この類型とは 以下のことです。

1.自己責任を受け入れる
   これに関しては アメリカの方が 身についていると思う。従って 自己責任が脅かされた場合に それを守る弁護士がはやっている。

2.社会保険制度
   日本の健康保険などが はるかに優れている。 逆に 自分の健康は自分で守るための 健康法に アメリカは 非常に神経質。

3.税金に寛容
   これは 私だけかも知れないが 税金に割りと 寛容。 自営業より サラリーマンの比重が高い性かも知れない。一方 アメリカは 非常にうるさい、今回の金融法案も 税金で賄うということで 拒否反応を出してしまった。

4.資産の持ち方
   銀行の預金率が高い日本の制度は アメリカでは なかなか理解されない。(特に あの低い利率でよくも貯蓄しているね、という感触) こちらでは 株式、ファンドなど バリエーションが豊富。ある意味では 資産運用にこったために 今回のサブプライム問題を引き起こしたとも言える。 

その意味で 国家資本主義に近い?かも知れない、日本は 直接的には 被害が少ないかもしれない。(サラリーマンが多く、公務員が多く、金融機関に保護が厚い)
しかし 次の選挙で民主党が 政権をとる様だと 日本の新自由主義も あぶなくなるような気がする。(これは 私だけの心配だといいのだが)

とりあえず お読みください。

***
有難うございます。
 第2回大統領候補討論はオバマ氏が少しリードというところでしたね。
今回の事態で、アメリカという国は、まだ自由にものが言えるリベラルな有り難い国であると分かった。
日本では強行採決か、大同団結にしてしまう。日本中が郵政民営化であったし、後期高齢者負担も強行採決。
人間の類型というより国家の性癖でしょうか。
アメリカは、イギリスから移民し、独立した国家でプロテスタントが多く、一神教の性格を国家も帯びていると勉強してきました。だから、オバマ氏も白か黒かをつけるような場面に出会い、戸惑ってきたのであろう。自己矛盾なのだ。
 自己責任について、私は比較していませんが、まず、日本は他人のせいにしますね。責任の取り方については「トカゲの尻尾きり」で、最後に認めるかauthorityによって免れるかですね。
起業家は自由に出来たが、自己責任で格差拡大社会となった。
 社会保険について、とくに健康保険は良いと聞いている。ただし年金はまだ2,3年解決に時間がかかりそうだ。
税金は分かりません。
資産について、ここに来て、アメリカ国民も銀行のため資本注入し、「0金利」で日本国民のように辛抱しなければならないかもしれない。
401kの資産運用は株でしたから、相当な痛手だと思います。
日本も日銀が15兆円くらいを外国銀行のために放出しているし、アメリカの国債を大量に買っている。心配なのはアメリカだけではないのだ。日本政府の財政も今は、厳しい状態だ。アメリカは、貿易赤字を上回る資本投資を受けている。

ここに来て、ブッシュ共和党は「小さな政府」を止め、国家の介入による政策を取り、民主党のいう財政出動でもって、景気浮揚できるのだろうか?
でも、これ以上、アメリカは借金出来ませんよね。
新自由主義=市場原理主義イデオロギー的敗北、退場勧告を受けた経済をオバマかマケイン両大統領候補のどちらかが、今後4年間の舵取りをする。

日本も、小泉首相が取った新自由主義=市場原理主義で「年次改革要望書」通り民営化はよかったが、その後始末が悪くなって今日にきている。地方の疲弊、格差社会が生まれた。麻生内閣の顔ぶれは小泉内閣のメンバーである。「小さい政府」とはいえ、やはり、減税、公共事業といった財政出動せねばならないのだろうか? 赤字国債発行か?
1929年の悪夢は見たくない。









合衆国再生The Audacity of Hope 平成戊子二十年神無月八日

2008-10-08 07:49:08 | Weblog
合衆国再生The Audacity of Hope 平成戊子二十年神無月八日

 The Audacity of Hope オバマ氏の著書の題名である。日本名は「合衆国再生――大いなる希望を抱いて」 希望を持つ事の大胆さとでも訳すことができるこの本の印象は、まず、アメリカでも日本で起こっているような悩み多き国家であり、この解決が日本でも大変大事な方法となりうるかもしれないと思えたことです。
 
「国家の最重要課題がないがしろにされていて、いますぐ方向転換しなければ、長いアメリカの歴史を汚すことになるかもしれないという危機感から、アメリカ人としてひとまとめにする共通の理解の上に土を掘り、成果を築くことができるような政治が必要とされる」と、オバマ氏は主題を述べている。

富裕層と権力者に有利に働く政策に怒りを覚え、政府にはすべての人に広くチャンスを与えるという重要な役割があると主張している。人類の進化や科学研究の価値を信じ、世界の温暖化を真剣に危惧している。政治的に正しいとか誤っているとかに関係なく、言論の自由を信じているし、私を含めて、誰の宗教的信条であれ、それを信じてない人々に政府を利用して考えを押し付けることには疑問を抱くとリベラルなことを言っている。

アメリカのまず悩みは、2大政党制の弊害だという。
日本はここ10年2大政党制を目指してきたのであるが、何と言うことだ。
アメリカでの問題は、民主主義の誤りを犯しているのではないかと思えるくらいかかえる課題の大きさと政治活動の貧弱さの間に横たわる溝があるという。
教育制度、医療保険制度の問題がイデオロギーと政治上の駆け引きによってなんの行動もおこされてない。国際的なテロとの闘いについても交戦か、孤立主義のふたつの選択肢しかないように思える。 すべてが白か黒か、賛成か反対かという短絡的なレベルで語られるようになった。経済政策はもはや、生産性と分配の公正、パイの拡大とパイの切り分けという対立的な目標のバランスをどこでとるかの問題でなくなった。
人は減税か増税か、小さな政府か大きな政府かのどちらかに与しなければならなくなった。環境政策はもはや、野放し状態の開発やドリルによる掘削や露天掘りといった活動を支持するか、経済成長を阻害する窮屈な官僚式の過剰な環境保護を支持するかの問題になったとしている。
 日本でも同じようなことが議論されていますね。
オバマ氏はさらに、私たちをアメリカ人としてひとつにまとめてきた「信頼」と「連帯感」は失われてしまった。しかし、今必要なのは、国家再建計画に関わりなおし、自分の利益と他者の利益はつながりあった不可分のものと考える大多数のアメリカ人、党派を超えた大多数のアメリカ人なのだと。 大多数のアメリカ人が自分の暮らしやこの国の暮らしにとって大事と考えている基準と信条、つまり共通の価値観に根ざして、母親から教えられた、人の立場になって考える共感という感覚を強くしていけば、いまの政策のバランスを傾けて、この社会で苦しみもがいている人々に利益をもたらすことができると信じている。 暗い対立の過去を忘れて、未来志向で行こう。
 再生のための政策のなかで、エネルギー政策について、オバマ氏は『エネルギー資源を自分で統御できない国にその未来を統御することはできない。』とはっきり根本を述べている。 これまでのブッシュ政権のエネルギー政策は大手石油会社への補助金と掘削の拡大にそそがれてきた。代替燃料の開発に対する投資は名ばかりのものだ。
 アメリカ合衆国の石油備蓄量は世界の3%、石油使用量は世界の25%、ドリルで穴を掘って、この問題からは抜け出すことはできない。
私たちに出来ることは21世紀のために、石油よりきれいで再生可能なエネルギー源を開発することだ。代替エネルギー源に積極的な投資をすべきだ。新しい水素燃料電池の開発である。この目標自体には議論の余地がないといっている。ブッシュ政権の目標の良いところは認めている。
 
 彼は宗教問題にも言及している。
アメリカ人は心の渇望がある。毎日日常の仕事に精を出し、ある時ふと何かが足りないことに気づく、仕事や財産や娯楽多忙な日々だけでは何かが足りないことに。
外にいる誰かが自分のことを心配し、自分の言葉に耳を傾けてくれるという保証が必要なのだ。 母親からの深い影響を受けているという。
嘘をつかず、思いやりを持ち、節操を失わず、性急に満足を求めず、一生懸命勉強したり、働いたりするといった価値観を教えてくれた。
貧困と不正に激しい怒りをいだき、どちらにも無関心な人を軽蔑していたという。
人の善良さを信じ、私たちひとりひとりに与えられている短い人生には究極の価値があることを信じる姿勢を学んだ。
 彼が大学卒業後、失業や麻薬や絶望のただなかにある人々を、どうにかしようとしていたシカゴの教会集団のために、地域社会活動家の仕事を引き受けたのは、こうした価値観を実践する方法を探し求めてのことだという。
彼がトリニティユナイテッド・キリスト教会の通路を進んで洗礼を受けることが出来たのは、信仰に対する姿勢を表明しても、大事な考えを保留したり、経済的、社会的正義を求める闘いを放棄したり、自分の知っている愛しい世界から撤退しなければならなくなったりはしないという確信を得たおかげだ。
 今後、私が歴史の誤った側に与した人物と判断される可能性もあるかもしれない。こういう疑念があるからといって、だめなキリスト教徒だとは思わない。これは私が人間らしい、つまり、神の御心に対する理解が浅く、それゆえに罪を犯しがちな人間であることの証明だと信じている。あらゆる形の残虐行為と闘わなくてはならないこと。
そして、愛と慈善と謙虚とたしなみという価値観を持っていると言っている。
他にさまざまな問題を取り上げているが、実に善意に満ちた本である。彼の育ちの良さと人柄の温かさが伝わってくる。対立や痛みを直視しながら、相違の溝を乗り越え、共通の価値を見つけ、団結していって、
「希望を持つことの大胆さ」で、アメリカを変えてほしいものです。
***
10月6日、纏めている間に、NYダウが10000ドルを割り込むという事態になった。
NY市民は、冷静だ。インタビューに「旅行を取り止めたよ。」《辛抱》「節約の生活をしなくてはね。」《節約》という声が聞こえた。強欲のマネーゲームによる借金はこれらの《辛抱・節約》キーワードで乗り切らざるを得ないだろう。ということは、アメリカは勿論、中国、インド、EUの外需にたよってきた日本経済は内需に向かわざるを得ない。トヨタ自動車の株が4000円割れという株価は昨年の8000円より半値となった。景気悪化と信用不安が心配である。仲間の間では、「金goldと絵画」に売ったお金が流れるよと言う声が聞こえた。お金のある人はここで違っている。
アメリカ大統領両候補とも、智恵を絞って「合衆国再生」を遂げて欲しい。
アメリカ国家の破綻は避けなければならない。無論、EUもしかり、廻り回って日本に来ますね。
お読み下され、感謝します。

合衆国再生―大いなる希望を抱いて
バラク・オバマ
ダイヤモンド社

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続・アメリカ大統領選An American Presidential Election(3)

2008-10-06 09:57:44 | Weblog
続・アメリカ大統領選An American Presidential Election(3) 平成戊子二十年神無月六日

アメリカのG君からメールが来ました。(10/1受信)

こちらは 本格的に”秋”という感じですが まだ 冬には遠く 毎日 いい天気が続いています。 10月からは 雨の多い日に入ります。

 ところで 大きな法案が否決され こちらでは 毎日 ニュースで この話題にもちきりです。
両大統領候補が賛成し 上院・下院の議長、主要な議会の代表者が賛成していた議案が 最後に下院で否決されたことは 大きな驚きです。
アメリカでは 11月に地方の議員選挙があり 地元の声を無視できなかったと言うのが 本音のようです。 アメリカでは 党員が党の規則に反しても その罰則がゆるいそうなので 規制反対の共和党でも その議員の動きを止められなかった、と言う事です。

日本では 自民党、公明党、民社党が賛成した法案が 参議院で否決されるようなものです。(日本では まず ありえませんが)

ところで この問題の根底には やはり社会の矛盾があると思います。 民主主義と自由経済を標語にしているこの国ですが やはり金にシビヤーな国 (金の運用に興味があり 税金に非常に厳しい)という自己矛盾に 陥っているということでしょうか。
日本でも 貧困の問題が 大きくなっているそうですが アメリカの中間層以下の人の不満が かなり大きくなっている現われでしょうか。

富の配分を如何にうまくやるかは 社会主義が崩壊した今 次の大きな課題でしょうが アメリカと日本という民主主義と自由経済の代表的な2国に生活していて つくづく感じます。
今後 どうして行くのでしょうか?
***

有難うございます。
Time Bomb が各地にばらまかれている状況ですから、どうやら下院が修正議案が通ったという喜びも今一らしい。株は相変らず下降気味ですから、これから不良債権をどう処理するかですね。これから5年かかると甘く見ている学者もいます。日本は15年で回復しましたが、アメリカも0に近い金利にして金融界を助けるでしょうね。それにしても昨日(10/3)の副大統領初のTV討論は、下院での審議を控え、緊張感ある90分でしたね。ペイリン氏は堂々として、規制緩和、税金、エネルギー(特にアラスカ)、核兵器、教育問題、予算と書き出しても凄い内容を淀みなく発言した。日本の大臣と違って、80%以上頭に入ってないと話せない話し方には驚いた。期待以上のものでした。
オバマ氏のいうイラクからの撤退は「降伏の白旗」だと言っている。
I want to assure you that John McCain and I, we’re going to fight for America. We’re going to fight for the middle-class, average, everyday American family like mine. と締めくくった。
バイデン氏も穏やかな微笑みを絶やさず、ペイリン氏と同じ論点で、G君の言うように、中間層をいかに取り込むかで 再分配を話していたように思います。
マケイン氏はイラクで戦争の終結を期待していないようだが、オバマ氏は戦争を終らせるつもりだと言っている。
「失点なしで優劣つかず」というところですね。
米CBSテレビの世論調査は、ブッシュ現政権支持率22%という数字をだしているそうだ。
自由経済への国家介入は、今後のアメリカの生き方に変化をもたらすだろうか?
 
お読み下され、感謝致します。













たそがれの放浪者から再びA wanderer in the twilight, Again(3)

2008-10-04 07:47:58 | Weblog
たそがれの放浪者から再びA wanderer in the twilight, Again(3)

Kさんへ
昨日、教育関係の仲間と一緒にカラオケへ行って来た。
昔の歌を探して、歌ってくれた。
Kさんは覚えてみえますか?
『私はミネソタの卵売り』 コッコーコッコーコケッコー 英語の歌はどうなってるのかな?
それこそ55年前の良きアメリカでしょうね。
『It's a sin to tell a lie.』 名曲ですね。半音には参った。
エノケンからシナトラまで、ついていけなかった。ジャズが多い30曲は練習してるという。
オバマ氏が言うように、「アメリカ合衆国」というところは他と比較して良いところなんだろうな。
そちらの町にはカラオケはありませんよね。
音楽祭はどんなでした?
カリフォルニアではジャズフェスティバルがあったそうな。本場のJazzというより、カントリージャズでしょうね。
映画「Walk the line」の曲はわたしには心地が良かった。
では、お元気で。
*****

Kさんより

私、音楽好きなのに無知なんです、むしろヴィジュアル系の人間であります。 農園でも
楽器が使えたらナーなんて淋しい思いで、草原のスケッチの手慣らしをしてます。
ミネソタの♪位は分りますけど、大分前のですねー。
当地の時事情報は前にも言いましたが、TV無し、新聞見れず、片田舎ってなヨシイクゾーの世界だから、NPRラジオ放送に頼るだけです、が、100%聞き取れる訳でも無いので、農場の旦那に確認したりしてはいます。
NMは特にオバマに偏ってますが、彼等も賢明で、例えば11月の投票には18歳から出来ますが
家族の学生には不在者投票をさせたり熱心だし、投票は先ず、カウンティ(郡)の議員、
州の議員、上院下院議員としていくのかな、その際、それぞれの投票で民主・共和と人物を考慮
して判断するとの事、一つの党一辺倒と言う単純なものではない模様です。
先週は、オバマvsマケインの大統領候補の討論の全国公共放送が1.5H持たれたので、
盛り上がってたよ、NPRで僕も必死に追っかけてはいた、 第二陣の注目で待たれてるのが、木曜日の副大統領候補の直接対決。
農場の入り口、と言っても門も無ければ無舗装道路がT字型になってるだけの野っ原だけど、そこにジム(旦那)がオバマと州選の候補者のキャンペーン・プレートを立てていた、近所の人しか通らないのに。

10月一日、さすが朝八時の農場は長袖シャツでも寒かったが、今3時、これがまたTシャツで充分、むしろ日焼けが心配なほどと、変化するよ。 秋、先ず雨は見れない乾燥地、ヘイヒーヴァー系の私の鼻の中はからっからで大変、水分をよく取ります、不便な牧童のケビンでも色々工夫して、飲み食いを便利にして行きます、食事のメインは屋敷の方だけど、好きな時にってのは自前でも補充しないと持ちません、なんか家も人も居るけど、「グァムの横井さん」見たいな感じもあったりします。

だらだら書きました、ご容赦あれ。
*****

有難うございました。
お読み下され、感謝致します。




たそがれの放浪者から再びA wanderer in the twilight, Again(2)

2008-10-03 07:37:14 | Weblog
たそがれの放浪者から再びA wanderer in the twilight, Again(2)平成戊子二十年神無月三日

荒野のKさんからメールが届いた。

ご多忙の中こんな僻地へのメールをありがとう。
え、何処って今聞くんだもー。 ニューメキシコ州で、テキサスとアリゾナの真ん中、州都は
全米最古の芸術の街サンタフェだけど、アルバカーキが経済首都、その南120㌔に西部の
街Socorro人口10,000があって、その15㌔近郊です。 リオグランデ平野の真っ只中って所です。
特にこの地点はすでに海抜1500mで、西にコソ3000m級の山が平原に点在するけど、
東に至っては州を越えはるかダラスまでほぼ遮るものなき空白のデザット、当然空気は超天然でうまいです。 
与えられたマイケビンは100年を越えるアドービ造り(日干しレンガ)を改修したもので、家具も何も全て古く、ベッドに至っては何人の人が寝たのか、床と共に傾いている訳。 でも、アドービは暑さ寒さが過酷な地では優秀な天然エアコン機能を果たしてますねー。

はるばる、わざわざ、人がその歳でって言うのに、来てまでする確たる目的も無く、体力が時に
要るし、生活は不便でほとんど牧童の感じ、でもやってしまうんですー。 人がうらやむ程、毎日が楽しい訳でもなく、折にふれて、アー懐かしい大地だー、とか平原を見てボーっとしてる至福の時がある程度。 結局この耐久生活をやり過ごすことにチョットした快感があるんでしょうね。
不便不規則な毎日だから、もう長期滞在はコレッキリにしようと決意してるけど、これが怪しい訳。

ところで、サトーさんのリタイァー記念の大地ツァーを構想するのも楽しみですねー、私も65位までならメインドライバーの自信はありますが、あまり先だとねー。 貴方のカナダからなら、北米北部諸州を回るのが良いし、南西部からボーダーラインだとラスベガスが基点でしょうね。4,5人が最適の単位で、楽しいし凄く安く揚がります。

長くなりました、明日土曜日は山の街で農場家族も参加する音楽祭を見学に行きます、時にイヴェントが入ります。
ではまた。 
***
ちょうど2年前になりますね。同じケビンとは分からなかったです。
サンタフェの近くでしたね。思い出しました。
サンタフェは、宮沢りえさんが写真をそこで取ってもらい、写真集を出したところでしたね。青年みたいに、本当の荒野を目指してみえる。凄いなー。
ブログに「たそがれの放浪者」として書きましたよ!
Kさん曰く、
『リオグランデ高地の農牧場に辿り着いたとたん、状況一変、その直後から西部ファミリーの一員に即組み込まれて、飄々たる旅人気分は吹き飛び、すぐさま心身フル稼働。
日本人的に考えれば不便な野中のアドービ(日干し煉瓦)小屋をあてがわれ、生活の用は総て100m離れた母屋に通って足すのです、まさにTV番組「ウルルン」のレポーターの心地。
朝から午後までの農園での作業で限界使用の老体に、牧場パーティ、町のイヴェント、ホームバーベキュー、ピクニック、時に牛追いと、何でも有りの毎日で、大概の事に慣れてるつもりが、今度ばかりはマジ・サバイバルな毎日であります。』(2006年9/18)

牧童とはいえ、大変な生活ですね。でも、周りの自然が癒してくれるのがいいのでしょうね。
広大な大地ですね。写真有難うございます。
ゆったりと時間が流れていく感覚は岐阜にいては分からない。その土地にはそこの生活のペースがある。
カナダで学んだことですが、バンクバーとトロントでは忙しさが違うのだ。バンクバーの方がゆったりとしてるらしい。スローライフですね。
もっとゆったりでしょうねリオグランテでは! 規模が違いすぎる。体験したいが、ドクターストップが心配です。
NHKの鈴木健二アナが、60過ぎたら孔子さんのように
「朋遠方より来る有り。亦楽しからずや」なんて、待っていたら、お迎えが先に来てしまうから、こちらから出かけて行くべきだ。といってみえる。
納得!!
では、また。お元気で。便りを待っています。ブログに書かせてもらいます。

お読み下され、感謝致します。





Barack Hussein Obama Jr. 英語版

2008-10-02 06:38:14 | Weblog
Barack Hussein Obama Jr. 英語版 Oct. 2nd, Heisei 20

I read “ Barack Obama---Working to Make a Difference” written by Mr.Marlene Targ Brill.
It was written for young boys and girls. So his “Pounding the Pavement” and family are written easily. Especially I was very impressed with his mother.
Mr.Obama called ,
“ I say tonight ….there’s not a black America and white America and Latino America and Asian America. There’s the United States of America. In the end, that is….(the) greatest gift to us,….the bedrock of this nation; the belief in things not seen ; the belief that there are better days ahead.”
Divisions only smothered dreams and hurt families, he said. Instead, he called on Americans to join together to make dreams come true for every parent and child.

Barack was born on August 4, 1961,in Honolulu, Hawaii. His mother, Stanley Ann Dunham, was a white woman from the Midwest. His father, Barack Obama, was a black man from Africa. They named their baby Barack, meaning “blessing from God.” Twenty-three-year-old his father Obama was chosen to attend the University of Hawaii as the nation’s most promising students. In 1959 he became the school’s first African student. His mother Ann also enrolled in the same University of Hawaii. They took a class in Russian language together.
In those days 1955, the movement that Mrs. Rosa Parks started the bus boycott lasted for more than a year. Protests erupted across the South. (Please read Rosa Parks in my blog ,Oct 26,2005) His father Obama was drawn to the easygoing, intelligent Ann. They married in 1960, a bold move. Half the states in the country banned mixed marriges. In much of the South, if the couple traveled as husband and wife, Obama could be hung. But his mother Ann and father Obama adopted the color-blind model that Hawaii represented.
Two years later, his father Obama graduated. He completed a four year program in three years and came out at the top of his class. Harvard University gave him a scholarship to continue his education. There one hitch, though. The school offered just enough money to cover one student. His mother and the baby had to stay behind (Hawaii).
After Harvard, his father returned to Kenya. He had a duty to the country that sent him overseas. To my surprise, he also had responsibility for his Kenyan wife and children. As was Luo custom, he could marry more than one woman as long as he cared for them and children. His parents divorced.
When Obama Jr. turned six, his mother Ann married another foreign student who was an Indonesian named Lolo.
At last Obama Jr. and his mother were going to Jakarta, the capital of Indonesia, to live with Lolo. Indonesia proved a much different place from the beautiful land of aloha(a welcome greeting in Honolulu).
Poverty, disease, and signs of deep divisions between rich and poor showed everywhere.
Lolo and Ann couldn’t afford private school with other Americans for Obama Jr. He attended local school with children of servants and famers. It was Catholic school in a Muslim country, giving Obama Jr. different understandings of religion and life.
His mother Ann worried that the poor quality of education would limit her son’s future. She sent for teacher supplies from the United States to build on his class work. Ann woke Obama Jr. at four in the morning every school day. Then she practiced lessons with her sleepy son for three hours before his class. Ann peppered each lesson with her sense of positive Midwestern values. She told him to be honest and fair, show good judgment, and always have faith in himself to chart his own future.
“ If you want to grow into a human being, you’re going to need some values,” she told him. 
After a couple of years, the added lessons were not enough for Ann. She feared Indonesia could be a dangerous place for Obama Jr.
After four years in the country, Ann decided Obama Jr. should attend private school in Honolulu and live with his grandparents.
《Here’s what his mother Ann was great, impressive. It’s the same wisdom that Mencius’s mother relocated his school three times in China.》
 As a child, Obama Jr. wanted to be an astronaut, then an architect, and then a basketball player. Obama’s love of playing basketball finally earned him a spot on his high school basketball team.

To better understand what was happening to him, Obama Jr. read books. He studied famous authors to learn how they dealt with being block in a white-powered country. He worked to find his place in a family that was both black and white.

Occidental College was where Obama Jr. tasted politics. For the first time, he felt the power of his words to change minds. He connected with an international black movement. In the fall of 1981, Obama Jr. moved to New York City and enrolled at Columbia He graduated with a degree in political science, the study of politics, government, and how both work.
By then he had received word that his father died in a car accident in Kenya.
After college, Obama looked for a job as a community organizer. In 1985 an organizing job opened in Chicago. Obama went to work for Developing Communities Project, a small group in the city’s for South Side.
Whatever the reason, the more Obama met people in need, the more his desire to help them deepened. He chose Harvard University, his father’s school. Please read this book about his next stage.
A Senator, Obama recalled, “ I raised in two countries with roots in third and attended schools run by three different religions. This experience was the best way to understand what is important to every group of people.”
Finally Mr. Marlene Targ Brill said, “ Obama is more of a regular guy than most people in politics, possibly because he is not as wealthy. In his free time, he reads, takes walks, and goes to the movies. His main household jobs include shopping and taking out the garbage.”
I don’t know whether he is elected President, but he must be “ a hero of the times.” He is a new type leader who gives us hope to the future.
Let’s watch him.

Thank you for reading.
P.S,
The vice-president debate will be held tomorrow(10/3Japanese time).
Please watch out for it.



続・アメリカ大統領選An American Presidential Election(2) 

2008-10-01 08:25:44 | Weblog
続・アメリカ大統領選      平成戊子二十年神無月一日

サブプライム住宅ローン問題より金融危機が叫ばれ始めた。
日本でも子会社の関連社員が悲鳴をあげてます。
10年前経験してきた公的資金注入かどうかの判断は流石アメリカは早い。
しかし、ここに来て、野村ホールディングスが1兆円近く出して、米の金融会社を買収するときた。我々の0金利でかき集めた金を。拝金主義の資本主義の会社ですから、トコトンやりますね。又再びバブルよ来いですか?恐ろしい。金融市場はカジノにされてしまった感があります。
 アメリカのG君から大統領選についてメール(第1回討論前に)が来た。
***
大統領選も あと1ヶ月ほどになり。拮抗しており まだどちらが有利かはわかりません。これまではイラクでの戦いが 大きな争点でしたが ここ2,3週間の経済界の動きが すっかり争点の重心が変わって来ました。 
今や アメリカ経済をどうするかが 大きな問題になってきました。共和党は 政府の介入を出来るだけ少なくし 民間の力で社会をよりよくして行こう、 民主党は 社会の矛盾を 政府の力で直していこう、 という基本的な姿勢は変わっていないと思いますが いざ戦争の事と 経済のことになると あまり違いがわからなくなります。イラク戦争では オバマは 来年の春にはイラクから米軍は撤退させる、ただし、米国の安全のため パキスタンとアフガニスタンの米軍は 維持あるいは強化すると言っている。マケインは イラクから米軍は撤退させるが 時期は明確に出来ないと言っている。経済については 今回の問題で 政府から巨額の出資を許す事を 超党派で認めることになったし。また AIGをつぶさずに 緊急支援することが決まったことなど 国民に影響することとなると 党派を超えるようです。(逆に それ程 今回のアメリカの問題は 大きかったということでしょうか)
今後の展開で 2人の人気がどう変わるかは わかりませんが、私の少ない知識で 選挙の争点にならないのは以下の点ではないかと思います。
1.軍事費を減らすこと
軍事産業に関わる影響が あまりにも大きく いじれないという感じ。
2.社会保障制度の改革   
オバマは 医療制度の改革には 前向きではあるが どこまで踏み込めるかは不明。
日本では 大した議論がなく 麻生に決まったようですが 年金問題が一筋縄では解決できず 先が見えないままですね。
では また!
***                                                     
有難うございます。
 新聞によると、第1回討論は、失言恐れ、金融危機から外交政策まで持論の展開だったようですね。マケイン氏は経験不足攻撃、オバマ氏は現政権を批判。
しかし、G君が言っているように、金融危機では違いが分からないですね。
両陣営ともそれぞれ自分たちの候補者の勝利を宣言した。
 しかし、有終の美を飾ろうというブッシュ大統領の顔が冴えない。
金融安定化法案が下院で否決。NY株式(9/29)が9/11の時よりも下落したという。怖い事態です。被害が少ない日本も下落しては困りますね。今は世界経済は同じプレートの上で動いている。ヨーロッパの銀行が破綻で国有化されるという。共和党のマケイン候補は「米国経済は、金融業界の強欲と腐敗に脅かされている」と述べたという。《強欲》の錬金術から出された金融商品に、我々庶民にまで不安が広がる。実際に物を作る仕事からの商品でないのだ。
 表現は悪いが、カジノでの失敗を国民の税金でもって救済するのは、ちょっと考えようということが、下院の人たちの考えかな? 日本では結果が良かったものの「0金利近い」がいまだに続いている。小泉、竹中両氏は、後は野となれ山となれの姿勢です。アメリカは、金融安定化の修正案で、超党派でもって乗り切ってもらいたい。有り難いことに、NY株が9/30反発して、史上3番目の上げ幅だそうだ。
浜矩子氏(同志社大ビジネススクール教授)は「時限爆弾ネットワークという21世紀型金融恐慌は初めてだ。火薬抜き取りには、火薬の受け皿そのものが、時限爆弾と化してしまう悪夢がある。その受け皿とはアメリカ政府だ。
アメリカ国家倒産という爆弾のスイッチが入るか心配だ。」といっている。

今、「合衆国再生The Audacity of Hope―大いなる希望を抱いて」オバマ著を読んでいます。 家族愛、リベラルな考え、しっかりとした価値観に感動しております。エネルギー政策では、ブッシュ大統領の政策を具体化した新しい水素燃料電池を取り上げています。ちなみに、マケイン氏は、ブッシュ政策は勿論ですが、エネルギー自給自足のため、アメリカ近海の油田採掘をただちに開始する。何と候補地にアラスカ州の自然保護区があるという。美人ベイリン副大統領候補の顔を立ててますね。原子力発電も増設すると主張している。
オバマ氏の言う「対立から団結へ」はアメリカのみならず、移民による多民族国家の持つジレンマでしょうね。イギリスも悩んでいる。考えなくてはならないテーマです。日本も少子化から移民政策をキチットしなくてはならないでしょう。10年、20年後は同じ悩みになると思います。
それよりも、大事なことを忘れてました。
ブッシュ大統領は最後に置き土産となる愚行を残しました。
米国主導で、原子力供給国グループが、核実験を強行したインドへの核燃料輸出などを解禁した。日本政府も「核廃絶」という国民の悲願とは裏腹に、最後のブッシュ政権に追随した格好だ。核不拡散の歯止めを外してしまったのである。これからは中国、インドの時代となる兆しですね。

お読み下され、感謝致します。