なまはげ紀行(改訂3/26) 平成庚寅廿二年弥生二十五日
元気なうちにと、バケットリストの一つは、秋田の友人W君訪問の実現であった。
40年ぶりの再会。大感激であった。
前夜(3 / 20)、東海地方は雨と風が激しく、お彼岸の日、条件付、すなわち、引き返す場合ありというフライトになるか分からない状況であった。
昼頃から、名古屋は止んできた。秋田も雨は降っているが大丈夫ということで、到着した。お互い年取ったなあという印象であったが、話していると、昔の我、彼に戻り、池袋時代にタイムスリップした。秋田は温泉天国だ。あちこち廻るも大変だから、男鹿半島めぐりをお願いした。
泊まった宿が、「元湯 雄山閣」であった縁で、三河出身の紀行家、『菅江真澄』を知ることになった。旅館の主人が、菅江真澄についてよく研究され、勉強室が設けられ、「現在の高校の教科書『詳説日本史(山川出版)、図説日本史(浜島書店)』に出て来ます」と教えてくださった。
菅江真澄は1754年江戸宝暦4年、現豊橋市に生まれた。本名は白井秀雄。賀茂真淵の門人植田義方(よしえ)に国学を学び、1781年三河を出て、信濃、越後、秋田、津軽、南部、蝦夷を旅歴し、農民の生活、風俗を記録し、「秋風」「春風」「鈴風」「島風」「寒風」五つの風を冠した男鹿の紀行文を綴った『菅江真澄遊覧記』を残した。
その中に、「秋田男鹿のなまはげ」を挿し絵つきで紹介している。だから、この菅江真澄のお陰で、なまはげが江戸時代から行われてきた行事だということが分かる民族資料となった。
ここ温泉に来るまでのドライブは凄かった。風は強いし途中でみぞれがふってくるやらで、大変な思いだ。だが、彼は、「近年は暖冬で、普通じゃこんなもんじゃない。」といい、運転がうまい。安心して乗っておれた。荒々しい日本海を直接肌で感じることが出来た。日本海を描いた東山魁夷の画が踊る風景だ。激しく岩に砕け散る波、波、波。そこから、波の花が舞う。
低気圧の通過のお陰で、出会った興奮であった。
ゴジラ岩や大桟橋など、日本海独特のものであった。
連休のお陰で男鹿水族館GAOがオープンしていたので、寄ってもらえた。
びっくりしたのは、豪太(ごうた)という北極熊(polar bear)であった。体重400kg、何でも良く食べる。馬肉を放り上げるようにして口に入れていた。魚はもちろん野菜もだという。お芋はふかしてないと食べないらしい。1日12kg食べる。
もう冬眠は終ったのか、館員の女の方に聞いてみたところ、冬眠はしないそうだ。ハタハタ、ニシンなどここならではの魚に会うことができた。
ここ男鹿は、日本海中部地震が昭和58年に被害をもたらした。遠足で来ていた小学生が津波にさらわれたという。男鹿には寒風山という火山があるという。そして、一の目潟、二の目潟などは火口に雨がたまったところであるという。温泉も出るわけだ。 ここ湯元 雄山閣「なまはげの湯」は、50℃の温泉が湧き出ている。旅館のアイディアで、なまはげの面の口からプハーッ、プハーッと間欠泉の熱い湯が吹き出てくるのは面白かった。夜の露天風呂は、なまはげが出てくるのではないかと思えた。好い温泉だ。
翌日は、入道崎灯台である。恐ろしい風で吹き飛ばされそうであった。自動車の扉も、ちょっと開けると、外に飛び出されるくらい強かった。
なまはげ館、男鹿真山(しんざん)伝承館は、体験学習講座があり、とてもためになった。男鹿真山神社を中心とする山岳信仰とお薬師様を崇拝する仏教との神仏習合であったことが良く分かった。巫女さんによると明治以降廃仏毀釈で、男鹿真山神社が主となっているようだ。伝承館には、天照大神の軸に御灯明があげられていたから、伊勢神宮の内宮と皇室の祖神とのつながりを感じた。樹齢400年はいくだろうか、
榧(かや)の木が何本も天に届けと如くにぐっと聳えて、周りを威圧していた。
毎年大晦日の夜に男鹿半島のほぼ全域で行われるなまはげは、真山、本山に鎮座する神々の使者として信じられて、各家庭を巡る。真山地区40軒は酒とご馳走と餅が振舞われるため、交代で出現するという。鬼の面をした神様なのだ。
悪事に訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えながら、「怠け者はいねが。泣く子はいねが。」と練り歩く。
なまはげ館には、なまはげの勢ぞろいの部屋があり、圧巻であった。京都の三十三間堂を思い出した。
パンフレットに『なまはげ問答』が紹介されていた。
なまはげは、先立と2人のなまはげの3人組みになって巡る。
先立 「お晩です。なまはげ来たす。」
先立・主人 「お目出度うございます。」
主人 「寒(さ)びどご良ぐ来てけだすな。」
先立 「山から来るに容易でながったす。」
ナマハゲ 「ウォー、(玄関で7回シコをふむ)
泣ぐ子いねが。怠け者いねが。言うごど聞がね子どら(子供ら)いねが。ウォ ー」
(家中探しまわる)戸を活きよいよく開け閉めするたびに、次第にビクッ、ビクッと
怖くないのだけれど、怖い状況になる。さぞ子供にとっては怖い存在だろう。
主人 「ナマハゲさん、まんず坐って酒っこ飲んでくなんしぇ(下さい)。
(ナマハゲ、お膳に着く前に5回シコを踏んで坐る)
主人・ナマハゲ 「お目出度うございます。」
主人 「なんと、深け雪の中、容易でねがったすべ。今年も来てけで(くれて)えが ったすな。」
ナマハゲ 「親父、今年の作なんとであった。」
主人 「お陰でいい作であったすでば。」
ナマハゲ 「んだか(そうか)。まだいい作なるよう拝んでいくがらな。
子どら皆まじめ(真面目)に勉強してるが。
主人 「おらい(私の家)の子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だが ら。」
ナマハゲ 「どらどら、本当だが。ナマハゲの帳面見てみるが。何々テレビばり(ばか り)見で何も勉強さねし、手伝いもさねて書であるど。親父、子どら言うご ど聞がねがったら、手っコ三つただげ。
へば(そうすれば)いつでも山がら降りで来るがらな。どれもうひとげり (一回)探してみるが。」
(ナマハゲお膳を離れる前に3回シコを踏む)
「ウオー、ウオー。」
(又、家中まわる)<家中ガタガタになるほど戸を開け閉めする>
主人 「ナマハゲさん、まんず、この餅こで御免してくなんしぇ(下さい)。」
ナマハゲ 「親父、子どらのしづけ(躾)がりっと(ちゃんと)して、え(家)の者皆ま め(健康)でれよ。来年まだくるがらな。
体験学習講座では、本物のナマハゲが現われ、見に来た親や子どらの気持をつかんで、
即興に、アドリブで「ゲームばりで、勉強さしねが」とか「嫁こがご飯を作らぬ。」
「おばあが、元気で作ってしまう。」といった問答がなされていた。
村の守り神さまの使者なのだろう。このお陰で、秋田は、小学生の学力調査で日本のトップクラスに位置する。こういった習俗は伝えてもらいたいし、我々の地域でも、形を変えてでも見習いたいものです。
とても えがった訪問でした。
毎年2月第2金土日、真山神社境内で、なまはげ柴灯(せど)まつりが、行われているという。焚き上げられた柴灯(せど)のもとで、15匹(神様の使者を匹でかぞえる?)のナマハゲが、松明をかざして乱舞し、山をおりるという幻想的で勇壮な冬祭りだという。
お読み下され、感謝致します。
PS① 北極熊はなぜ冬眠しないのか?
調べました。Yahoo智恵袋さんより
妊娠したシロクマ(ホッキョクグマ)は、子育ての為に冬ごもりしますが、それ以外の雄や妊 娠していない雌は、厳寒の冬季の北極圏でも、活動しているようです。
冬眠しない理由として、彼らの身体は進化の過程で寒さに適応していますが、それ以上に餌とな るアザラシなどの海獣類が、海が凍結した冬の方が、容易に捕獲できるからではないかとの推測 もされているようです。このことは、男鹿水族館員の方も言ってみえた。
ただし、北極圏の中でも食料の乏しい地域に住むホッキョクグマは、ヒグマなどと同様、冬眠 をし、省エネを試みる場合があるそうです。
PS② 昭和58年秋田沖地震は、気象庁により正式に「日本海中部地震」と命名されており、
時期も平成11年でなく、昭和58年でした。水泳仲間のTさんのご指摘により訂正させて頂き ました。友人W君は、仕事上調査に1年かかったくらい大変な被害だったといっている。
秋田県立男鹿水族館で、津波によって駐車場から自動車が攫われてしまう映像が撮られた。 また、ここではスイス人女性が津波にさらわれて死亡している。その後、このことを記憶に 留めるため、また慰霊のために、水族館駐車場脇に像が建てられた。
元気なうちにと、バケットリストの一つは、秋田の友人W君訪問の実現であった。
40年ぶりの再会。大感激であった。
前夜(3 / 20)、東海地方は雨と風が激しく、お彼岸の日、条件付、すなわち、引き返す場合ありというフライトになるか分からない状況であった。
昼頃から、名古屋は止んできた。秋田も雨は降っているが大丈夫ということで、到着した。お互い年取ったなあという印象であったが、話していると、昔の我、彼に戻り、池袋時代にタイムスリップした。秋田は温泉天国だ。あちこち廻るも大変だから、男鹿半島めぐりをお願いした。
泊まった宿が、「元湯 雄山閣」であった縁で、三河出身の紀行家、『菅江真澄』を知ることになった。旅館の主人が、菅江真澄についてよく研究され、勉強室が設けられ、「現在の高校の教科書『詳説日本史(山川出版)、図説日本史(浜島書店)』に出て来ます」と教えてくださった。
菅江真澄は1754年江戸宝暦4年、現豊橋市に生まれた。本名は白井秀雄。賀茂真淵の門人植田義方(よしえ)に国学を学び、1781年三河を出て、信濃、越後、秋田、津軽、南部、蝦夷を旅歴し、農民の生活、風俗を記録し、「秋風」「春風」「鈴風」「島風」「寒風」五つの風を冠した男鹿の紀行文を綴った『菅江真澄遊覧記』を残した。
その中に、「秋田男鹿のなまはげ」を挿し絵つきで紹介している。だから、この菅江真澄のお陰で、なまはげが江戸時代から行われてきた行事だということが分かる民族資料となった。
ここ温泉に来るまでのドライブは凄かった。風は強いし途中でみぞれがふってくるやらで、大変な思いだ。だが、彼は、「近年は暖冬で、普通じゃこんなもんじゃない。」といい、運転がうまい。安心して乗っておれた。荒々しい日本海を直接肌で感じることが出来た。日本海を描いた東山魁夷の画が踊る風景だ。激しく岩に砕け散る波、波、波。そこから、波の花が舞う。
低気圧の通過のお陰で、出会った興奮であった。
ゴジラ岩や大桟橋など、日本海独特のものであった。
連休のお陰で男鹿水族館GAOがオープンしていたので、寄ってもらえた。
びっくりしたのは、豪太(ごうた)という北極熊(polar bear)であった。体重400kg、何でも良く食べる。馬肉を放り上げるようにして口に入れていた。魚はもちろん野菜もだという。お芋はふかしてないと食べないらしい。1日12kg食べる。
もう冬眠は終ったのか、館員の女の方に聞いてみたところ、冬眠はしないそうだ。ハタハタ、ニシンなどここならではの魚に会うことができた。
ここ男鹿は、日本海中部地震が昭和58年に被害をもたらした。遠足で来ていた小学生が津波にさらわれたという。男鹿には寒風山という火山があるという。そして、一の目潟、二の目潟などは火口に雨がたまったところであるという。温泉も出るわけだ。 ここ湯元 雄山閣「なまはげの湯」は、50℃の温泉が湧き出ている。旅館のアイディアで、なまはげの面の口からプハーッ、プハーッと間欠泉の熱い湯が吹き出てくるのは面白かった。夜の露天風呂は、なまはげが出てくるのではないかと思えた。好い温泉だ。
翌日は、入道崎灯台である。恐ろしい風で吹き飛ばされそうであった。自動車の扉も、ちょっと開けると、外に飛び出されるくらい強かった。
なまはげ館、男鹿真山(しんざん)伝承館は、体験学習講座があり、とてもためになった。男鹿真山神社を中心とする山岳信仰とお薬師様を崇拝する仏教との神仏習合であったことが良く分かった。巫女さんによると明治以降廃仏毀釈で、男鹿真山神社が主となっているようだ。伝承館には、天照大神の軸に御灯明があげられていたから、伊勢神宮の内宮と皇室の祖神とのつながりを感じた。樹齢400年はいくだろうか、
榧(かや)の木が何本も天に届けと如くにぐっと聳えて、周りを威圧していた。
毎年大晦日の夜に男鹿半島のほぼ全域で行われるなまはげは、真山、本山に鎮座する神々の使者として信じられて、各家庭を巡る。真山地区40軒は酒とご馳走と餅が振舞われるため、交代で出現するという。鬼の面をした神様なのだ。
悪事に訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えながら、「怠け者はいねが。泣く子はいねが。」と練り歩く。
なまはげ館には、なまはげの勢ぞろいの部屋があり、圧巻であった。京都の三十三間堂を思い出した。
パンフレットに『なまはげ問答』が紹介されていた。
なまはげは、先立と2人のなまはげの3人組みになって巡る。
先立 「お晩です。なまはげ来たす。」
先立・主人 「お目出度うございます。」
主人 「寒(さ)びどご良ぐ来てけだすな。」
先立 「山から来るに容易でながったす。」
ナマハゲ 「ウォー、(玄関で7回シコをふむ)
泣ぐ子いねが。怠け者いねが。言うごど聞がね子どら(子供ら)いねが。ウォ ー」
(家中探しまわる)戸を活きよいよく開け閉めするたびに、次第にビクッ、ビクッと
怖くないのだけれど、怖い状況になる。さぞ子供にとっては怖い存在だろう。
主人 「ナマハゲさん、まんず坐って酒っこ飲んでくなんしぇ(下さい)。
(ナマハゲ、お膳に着く前に5回シコを踏んで坐る)
主人・ナマハゲ 「お目出度うございます。」
主人 「なんと、深け雪の中、容易でねがったすべ。今年も来てけで(くれて)えが ったすな。」
ナマハゲ 「親父、今年の作なんとであった。」
主人 「お陰でいい作であったすでば。」
ナマハゲ 「んだか(そうか)。まだいい作なるよう拝んでいくがらな。
子どら皆まじめ(真面目)に勉強してるが。
主人 「おらい(私の家)の子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だが ら。」
ナマハゲ 「どらどら、本当だが。ナマハゲの帳面見てみるが。何々テレビばり(ばか り)見で何も勉強さねし、手伝いもさねて書であるど。親父、子どら言うご ど聞がねがったら、手っコ三つただげ。
へば(そうすれば)いつでも山がら降りで来るがらな。どれもうひとげり (一回)探してみるが。」
(ナマハゲお膳を離れる前に3回シコを踏む)
「ウオー、ウオー。」
(又、家中まわる)<家中ガタガタになるほど戸を開け閉めする>
主人 「ナマハゲさん、まんず、この餅こで御免してくなんしぇ(下さい)。」
ナマハゲ 「親父、子どらのしづけ(躾)がりっと(ちゃんと)して、え(家)の者皆ま め(健康)でれよ。来年まだくるがらな。
体験学習講座では、本物のナマハゲが現われ、見に来た親や子どらの気持をつかんで、
即興に、アドリブで「ゲームばりで、勉強さしねが」とか「嫁こがご飯を作らぬ。」
「おばあが、元気で作ってしまう。」といった問答がなされていた。
村の守り神さまの使者なのだろう。このお陰で、秋田は、小学生の学力調査で日本のトップクラスに位置する。こういった習俗は伝えてもらいたいし、我々の地域でも、形を変えてでも見習いたいものです。
とても えがった訪問でした。
毎年2月第2金土日、真山神社境内で、なまはげ柴灯(せど)まつりが、行われているという。焚き上げられた柴灯(せど)のもとで、15匹(神様の使者を匹でかぞえる?)のナマハゲが、松明をかざして乱舞し、山をおりるという幻想的で勇壮な冬祭りだという。
お読み下され、感謝致します。
PS① 北極熊はなぜ冬眠しないのか?
調べました。Yahoo智恵袋さんより
妊娠したシロクマ(ホッキョクグマ)は、子育ての為に冬ごもりしますが、それ以外の雄や妊 娠していない雌は、厳寒の冬季の北極圏でも、活動しているようです。
冬眠しない理由として、彼らの身体は進化の過程で寒さに適応していますが、それ以上に餌とな るアザラシなどの海獣類が、海が凍結した冬の方が、容易に捕獲できるからではないかとの推測 もされているようです。このことは、男鹿水族館員の方も言ってみえた。
ただし、北極圏の中でも食料の乏しい地域に住むホッキョクグマは、ヒグマなどと同様、冬眠 をし、省エネを試みる場合があるそうです。
PS② 昭和58年秋田沖地震は、気象庁により正式に「日本海中部地震」と命名されており、
時期も平成11年でなく、昭和58年でした。水泳仲間のTさんのご指摘により訂正させて頂き ました。友人W君は、仕事上調査に1年かかったくらい大変な被害だったといっている。
秋田県立男鹿水族館で、津波によって駐車場から自動車が攫われてしまう映像が撮られた。 また、ここではスイス人女性が津波にさらわれて死亡している。その後、このことを記憶に 留めるため、また慰霊のために、水族館駐車場脇に像が建てられた。