中国三峡下りGo down 3 Gorges in China(4)
赤壁の戦い古戦場に行く前に、バスでは映画「レッド・クリフ」を上映。
添乗者なりに盛り上げに苦労してみえた。
赤壁へは、何せ黄鶴楼から約3時間かかるのだ。
赤壁の戦いとは、中国、後漢末の208年蜀の劉備・呉の孫権の連合軍が、南下してきた魏の曹操の水軍80万を、湖北省嘉魚県西方の赤壁付近の長江上で迎え討ち、少数の兵で大敗させた戦いで、この結果、天下が魏・呉・蜀に3分される形勢となった。
広い古戦場である。
中国はすごい、約2000年前のことだ。ここに千年の銀杏の大樹がある。
「桃園の誓い」の場面:劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・ 関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行った。 呉には、周瑜という智謀溢れた名将がおり、目の前の曹操軍を打ち破るため孔明と相談し、互いに火計しかないと決断した。周瑜は呉にいた龐統(ほうとう)と会い、龐統に曹操へ船と船を鎖でつないで、揺れを少なくすれば陸上と同じように兵士は動けると進言するように計った。曹操は龐統が呉の協力者だと知らず船と船をつないだ。これを連環の計という。古戦場の一角に「兵法三十六計」が、ずらりとご案内してある。
NETで調べると
兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい, 中: 三十六计)とは中世頃の中国の兵法書。兵法における戦術を六段階の三十六通りのに分けてまとめたものである。「三十六計逃げるに如かず」という故事が有名だが、形勢が不利になったときは逃げて体勢を立て直すことを意味したもので、「逃げるが勝ち」という解釈は俗説。またこの故事自体も兵法三十六計とは関係ない。
成立時期は不明であるが、大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代に纏められた物だと言われている。1941年、邠州(現・陝西省邠県)において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事・教訓がちりばめられ、中国では兵法書として世界的に有名な『孫子』よりも民間において流通し、日常生活でも幅広く流用されている。
ほんの一部紹介します。
<敗戦計> 自国が圧倒的劣勢の場合に用いる奇策。
・ 美人計 - 土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く。
• 空城計 - 自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘い、攻城戦や
包囲戦を避ける。
• 反間計 - スパイを利用し、敵内部を混乱させ、自らの望む行動を取らせる。
• 苦肉計 - 人間というものは自分を傷つけることはない、と思い込む心理を利用し て敵を騙す。
• 連環計 - 敵と正面からぶつかることなく、複数の計略を連続して用いて勝利を得 る。
• 走為上 - 勝ち目がないならば、戦わずに全力で逃走して損害を避ける。
<勝戦計> こちらが戦いの主導権を握っている場合の定石。
•
<敵戦計> 余裕を持って戦える、優勢の場合の作戦。
•
<攻戦計> 相手が一筋縄でいかない場合の作戦。
•
<混戦計> 相手がかなり手ごわい場合の作戦。
•
<併戦計> 同盟国間で優位に立つために用いる策謀。
6×6=36計
この連環の計で、周瑜と諸葛亮孔明は火計を実行することになるが、流石、孔明ですね。
東の風が吹くのを、祭壇を作って天に祈るのですね。運よく風向きが変わり、曹操軍の軍船を一気に全滅することが出来たんですね。
更に古戦場を進むと、李白、杜牧など赤壁に対する漢詩が大書されている所に来ます。
赤壁 杜牧
折戟沈沙鐵未銷
自將磨洗認前朝
東風不与周郎便
銅雀春深鎖二喬
折戟(せつげき)沙(すな)に沈んで 鉄未だ銷(しょう)せず
自ら磨洗(ません)をもつて 前朝(ぜんちょう)を認む
東風 周郎の与(ため)に便(べん)せずんば
銅雀 春深うして 二喬を鎖(とざ)さん
現代語訳
砂の中に折れた矛が埋もれていた。
掘り出してみると鉄はいまだにさび付いていない。
自分で磨いてみると、まさに三国時代のものとわかった。
もし赤壁の戦いで、呉の周瑜や蜀の諸葛亮が望んだように東風が吹かなかったら、美人で名高い大喬・小喬姉妹は魏の宮殿【銅雀台】に捕らえられ、曹操の慰みものにされていただろう。
赤壁歌送別 李白(盛唐・701~762)
二龍争戦決雌雄 二龍争戦 雌雄を決す
赤壁楼船掃地空 赤壁の楼船 地を掃(はろ)うて空し
烈火張天照雲海 烈火天に張(みなぎ)って雲海を照らし
周瑜於此破曹公 周瑜ここに於いて曹公を破る
君去滄江望澄碧 君去って滄江に澄碧を望めば
鯨鯢唐突留余跡 鯨鯢(げいげい) 唐突 余跡を留む
――書来報故人 ――書し来たって故人に報ぜよ
我欲因之壮心魄 我れ之に因って心魄を壮(さかん)にせんと欲す
魏と呉の二龍が雌雄を決すべく、赤壁の地で戦った
魏軍は赤壁に楼船を並べたが、一艘残らず無と帰してしまった
火をかけられた楼船の激しく燃え盛る炎は、空いっぱいに広がり、
雲海をもあかあかと照らすほどだったという
連環の計により、周瑜は火攻めでここに曹操を破った
君がかの地に行って、青く澄んだ長江の古戦場を眺めたならば
雌雄の鯨(魏と呉)の戦いの跡に行きあたることだろう
友よ、どうかわたしに、そのとき見たこと、感じたことを手紙で知らせてほしい
わたしはその手紙を読むことによって、意気をさかんに奮いたたせたいと思うのだ
他は省略させてもらいます。
とてもためになる古戦場で「赤壁大戦陳列館」は等身大の人物像があった。諸葛亮孔明 曹操
赤壁の文字が刻まれた三国赤壁に行ってきました。
激戦の跡はやはり静かな川岸でした。
再び武漢へ、所要時間約3時間160kmだそうな。
ニューワールド・ホテル
更に上海でしたが、昨日9/27の地下鉄追突事故にはびっくりですね。
私たちが上海市内見学の時9/14は、地下鉄の延長工事で掘り返していましたね。
行くとこ行くとこ、立派に様変わりしていて、日本にいるより便利になっている。
発展が内陸に移っている感じがするけど、ひずみはひどいと感じた。
犬山城との縁で無事(尿管結石もおとなしく、ライフセーバーも使わず)に行って来れました。感謝、感謝です。
お読み下され、感謝致します。
赤壁の戦い古戦場に行く前に、バスでは映画「レッド・クリフ」を上映。
添乗者なりに盛り上げに苦労してみえた。
赤壁へは、何せ黄鶴楼から約3時間かかるのだ。
赤壁の戦いとは、中国、後漢末の208年蜀の劉備・呉の孫権の連合軍が、南下してきた魏の曹操の水軍80万を、湖北省嘉魚県西方の赤壁付近の長江上で迎え討ち、少数の兵で大敗させた戦いで、この結果、天下が魏・呉・蜀に3分される形勢となった。
広い古戦場である。
中国はすごい、約2000年前のことだ。ここに千年の銀杏の大樹がある。
「桃園の誓い」の場面:劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・ 関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行った。 呉には、周瑜という智謀溢れた名将がおり、目の前の曹操軍を打ち破るため孔明と相談し、互いに火計しかないと決断した。周瑜は呉にいた龐統(ほうとう)と会い、龐統に曹操へ船と船を鎖でつないで、揺れを少なくすれば陸上と同じように兵士は動けると進言するように計った。曹操は龐統が呉の協力者だと知らず船と船をつないだ。これを連環の計という。古戦場の一角に「兵法三十六計」が、ずらりとご案内してある。
NETで調べると
兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい, 中: 三十六计)とは中世頃の中国の兵法書。兵法における戦術を六段階の三十六通りのに分けてまとめたものである。「三十六計逃げるに如かず」という故事が有名だが、形勢が不利になったときは逃げて体勢を立て直すことを意味したもので、「逃げるが勝ち」という解釈は俗説。またこの故事自体も兵法三十六計とは関係ない。
成立時期は不明であるが、大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代に纏められた物だと言われている。1941年、邠州(現・陝西省邠県)において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事・教訓がちりばめられ、中国では兵法書として世界的に有名な『孫子』よりも民間において流通し、日常生活でも幅広く流用されている。
ほんの一部紹介します。
<敗戦計> 自国が圧倒的劣勢の場合に用いる奇策。
・ 美人計 - 土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く。
• 空城計 - 自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘い、攻城戦や
包囲戦を避ける。
• 反間計 - スパイを利用し、敵内部を混乱させ、自らの望む行動を取らせる。
• 苦肉計 - 人間というものは自分を傷つけることはない、と思い込む心理を利用し て敵を騙す。
• 連環計 - 敵と正面からぶつかることなく、複数の計略を連続して用いて勝利を得 る。
• 走為上 - 勝ち目がないならば、戦わずに全力で逃走して損害を避ける。
<勝戦計> こちらが戦いの主導権を握っている場合の定石。
•
<敵戦計> 余裕を持って戦える、優勢の場合の作戦。
•
<攻戦計> 相手が一筋縄でいかない場合の作戦。
•
<混戦計> 相手がかなり手ごわい場合の作戦。
•
<併戦計> 同盟国間で優位に立つために用いる策謀。
6×6=36計
この連環の計で、周瑜と諸葛亮孔明は火計を実行することになるが、流石、孔明ですね。
東の風が吹くのを、祭壇を作って天に祈るのですね。運よく風向きが変わり、曹操軍の軍船を一気に全滅することが出来たんですね。
更に古戦場を進むと、李白、杜牧など赤壁に対する漢詩が大書されている所に来ます。
赤壁 杜牧
折戟沈沙鐵未銷
自將磨洗認前朝
東風不与周郎便
銅雀春深鎖二喬
折戟(せつげき)沙(すな)に沈んで 鉄未だ銷(しょう)せず
自ら磨洗(ません)をもつて 前朝(ぜんちょう)を認む
東風 周郎の与(ため)に便(べん)せずんば
銅雀 春深うして 二喬を鎖(とざ)さん
現代語訳
砂の中に折れた矛が埋もれていた。
掘り出してみると鉄はいまだにさび付いていない。
自分で磨いてみると、まさに三国時代のものとわかった。
もし赤壁の戦いで、呉の周瑜や蜀の諸葛亮が望んだように東風が吹かなかったら、美人で名高い大喬・小喬姉妹は魏の宮殿【銅雀台】に捕らえられ、曹操の慰みものにされていただろう。
赤壁歌送別 李白(盛唐・701~762)
二龍争戦決雌雄 二龍争戦 雌雄を決す
赤壁楼船掃地空 赤壁の楼船 地を掃(はろ)うて空し
烈火張天照雲海 烈火天に張(みなぎ)って雲海を照らし
周瑜於此破曹公 周瑜ここに於いて曹公を破る
君去滄江望澄碧 君去って滄江に澄碧を望めば
鯨鯢唐突留余跡 鯨鯢(げいげい) 唐突 余跡を留む
――書来報故人 ――書し来たって故人に報ぜよ
我欲因之壮心魄 我れ之に因って心魄を壮(さかん)にせんと欲す
魏と呉の二龍が雌雄を決すべく、赤壁の地で戦った
魏軍は赤壁に楼船を並べたが、一艘残らず無と帰してしまった
火をかけられた楼船の激しく燃え盛る炎は、空いっぱいに広がり、
雲海をもあかあかと照らすほどだったという
連環の計により、周瑜は火攻めでここに曹操を破った
君がかの地に行って、青く澄んだ長江の古戦場を眺めたならば
雌雄の鯨(魏と呉)の戦いの跡に行きあたることだろう
友よ、どうかわたしに、そのとき見たこと、感じたことを手紙で知らせてほしい
わたしはその手紙を読むことによって、意気をさかんに奮いたたせたいと思うのだ
他は省略させてもらいます。
とてもためになる古戦場で「赤壁大戦陳列館」は等身大の人物像があった。諸葛亮孔明 曹操
赤壁の文字が刻まれた三国赤壁に行ってきました。
激戦の跡はやはり静かな川岸でした。
再び武漢へ、所要時間約3時間160kmだそうな。
ニューワールド・ホテル
更に上海でしたが、昨日9/27の地下鉄追突事故にはびっくりですね。
私たちが上海市内見学の時9/14は、地下鉄の延長工事で掘り返していましたね。
行くとこ行くとこ、立派に様変わりしていて、日本にいるより便利になっている。
発展が内陸に移っている感じがするけど、ひずみはひどいと感じた。
犬山城との縁で無事(尿管結石もおとなしく、ライフセーバーも使わず)に行って来れました。感謝、感謝です。
お読み下され、感謝致します。