海賊とよばれた男 平成癸巳二十五年卯月二十八日
S君から、周りから読んで良かったと聞いている本ですと紹介されていた。
読み始めたら止まらないくらい引き込まれ、痛快の一言です。
国岡鐵造(実在の出光佐三である)という人物は、桁の違うリーダーなのだ。
しかも 日田重太郎という大恩人が、いるではないか。
「だめだったら、一緒に乞食をしようじゃないか」と言って、自分の家を売ってつくった金を無償で提供したのである。こういう人がいたというだけでも、びっくりな良い話であった。
父親は8人の子供に「1所懸命に働くこと」「質素であること」「人のために尽くすこと」の3つの柱を教えたという。彼は「ひとりの馘首(かくしゅ)ならん」と「人間尊重」の精神を実践した男であった。
会社は就業規則もなければ、出勤簿もなく、定年もない。早くから石油の将来性に気付き、大恩人の御蔭で独立をする。周りを取り巻く優秀な家族に恵まれ、危機が来ても凌いだ。読み進むうち、百田直樹氏の筆の力だろうか、スケールのでかい厚意と揺るぎない信頼に感動して、涙が出た。国岡鐡造のもつ「人柄」であろう。
激動の昭和史を、その根幹をなす「石油」を中心に語られた。
昭和15年9月「日独伊三国同盟」が結ばれ、日本は米英と完全に敵対関係となった。
アメリカは当然「対日経済制裁」を宣言し、高オクタン価揮発油を輸出禁止にした。
ここで、日本は全面禁止された場合を考え、蘭印(インドシナ)油田の獲得に動いた。
昭和16年8月には、アメリカが全面石油輸出禁止した。
まさに石油の一滴は血の一滴である。国岡商店幹部は話し合う。
「国内の備蓄石油はどれくらいか?」
「600万から800万キロリットルの間ではないかと思われます」
「すると、もって1年か・・・」
「民需用はそれくらい持つと思いますが、問題は軍需用です。もし海軍が大規模な行動を起こすとなれば、半年あまりということが考えられる」
軍部は昭和16年12月、これ以上の時間が過ぎれば備蓄石油も底をつくと見て、乾坤一擲の勝負に出た。太平洋戦争突入。
しかし、もともと石油はないのだ。日本海軍は世界最大の戦艦「大和」と「武蔵」をガダルカナル島へは一度も出撃させなかった。それは石油の節約だったという。「大和」の燃料消費量は莫大だ。1日港に停泊しているだけで、駆逐艦なら800キロ前後も行動できるほどの重油を消費したという。
サイパン島がアメリカに占領された昭和19年、南方から日本に送られた原油はわずかに79万キロリットルであったという。戦前アメリカから年約500万キロリットル輸入していたことから考えると、戦争継続どころでなく、国民生活の維持も難しい状態といえたが、一切の情報は知らされていなかった。
そのころのアメリカは世界産油国の65%を占める石油の「メッカ」で、日本はアメリカから輸入石油の80%を仰いでいた。そして、油尽きて戦争に負けた。
『日米戦争は油で始まり油で終わった様なものであるが・・・・』と、国岡鐡造より戦争にかかわることもっとも深かった昭和天皇は、述懐している。(「昭和天皇独白録」から)
戦後の国岡商店の復興はめざましい。
日章丸18000トン・タンカーの進水である。
2年後昭和28年、「七人の魔女」と呼ばれる強大な力を持つ国際石油メジャーと大英帝国を敵に回して、堂々と渡り合い、イラン国営石油を極秘裏に運ぶことになった。
そして、昭和32年には、瀬戸内に面した徳山の海岸に、世界最大の製油所、日産3万5000バレルが、出来上がった。
高度成長のけん引役となった。
これは気骨ある経営者の人生です。
その九十五年の生涯はまさしく凄絶としか言いようのないものでした。
仙和尚のコレクションは凄いですね。今では関市出身ということになりました。
出光美術館
〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階(出光専用エレベーター9階)
学芸員の解説もあるから、調べて行くとよいと思います。
参考資料
*「セブン・シスターズ(七人の魔女)」
戦前、世界の石油を牛耳っていたのは、「ビッグ・スリー」と呼ばれたスタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ロイヤル・ダッチ・シェル、アングロ・ペルシャの3社で、彼らは国際石油カルテルを形成していたが、戦後はこれにスタンダード・オイル・オブ・ニューヨーク、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア、ガルフ、テキサコという巨大な石油会社が加わっていた。これら7つの「メジャー」は「セブン・シスターズ(七人の魔女)」と呼ばれ、その後、長く世界の石油を支配することになる。
**「ロックフェラーの三人娘」
スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、スタンダード・オイル・オブ・ニューヨーク、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニアで、ニュージャージー・スタンダードは世界一の石油会社である。
***原油の単位がバレル(樽)なのはなぜ?
ペンシルバニアで油田が発見された当時、原油は42ガロン入りのニシン樽に入れて運んでいたことから、今も原油の公示価格の単位は42ガロンの1バレルになっている。
42ガロンはリットルに直すと160リットル足らずである。
1862年1バレル4ドル近い値が、90年以上変わらずに来ていた。石油の需要も供給も驚異的に伸びたということである。
お読み下され、感謝致します。