隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

これからどう生きるWhat shall we do from now?

2013-05-25 21:15:28 | Weblog

これからどう生きるWhat shall we do from now? 平成癸巳廿五年皐月廿五日

 真言密教よりの提言として、先日、高野山真言宗・総本山金剛峯寺の松長有慶座主が、和歌山から岐阜・揖斐川町の大興寺へこられ、お話された。
 去年、雨だったから今年は晴れだろうと思っていたら、ちょうど始まる1時間前より怪しくなり、雨となった。犬山城でのガイドを済ませ、30分遅刻となった。

 インドへ行かれたという。ヨーロッパからの若者がたくさん来ていて、かれらの東洋文明への熱い見直しを感じたという。
生きているとはどういうこと?  38億年前よりの一つ一つの生命のつながりを特に感じるのだろう。
日本でも研究している方がいると紹介された。
「生命誌研究館」中村桂子さん  Netで垣間見ただけです。
物と心の一体感が大切で、西洋のように分けて考えない。物の中に心(命)ありとする。
動物や植物との共生である。一切衆生であり、「山川草木悉皆成仏」生き物全部が仏になってほしいという願いだといわれた。
 神仏習合という多面的文化を日本は作り出している。
カオス(混沌)からコスモス(秩序)へ、心の中の目を覚ますのだ。
「人様のためにいかに役に立てるか」が大切だ。
『作善さぜん』という言葉があるという。それは東大寺建立した重源が言っている言葉で、仏縁を結ぶための善事を行うことで、写経などがそれであるという。
 特に「理趣経」の大欲清浄という、エゴを捨てた欲望が大事で、人様のためになるという質に変えることで充実した生き方をしようと 締めくくられた。

今日は、生命誌といい作善というような言葉を頂き、頑張ろうと思った。

お読み下され、感謝致します。

落し文Leaf-rolling Weevil

2013-05-15 16:42:32 | Weblog

落し文Leaf-rolling Weevil 平成癸巳二十五年皐月十五日

 犬山城に上段の間があり、御殿様の部屋とされている。江戸時代では、もっぱら江戸か名古屋に屋敷があり、お殿様は、普段はそちらに住まい、お城へは年に2,3回登閣した城主もいたという。江戸時代は天下太平だったのであろう。
この上段の間は他のお城と違って、畳の部屋なのだ。大修理の際、日本一の畳職人に頼んだが、高齢でやむなく機械で作ってもらったそうだ。もちろん畳表は備後の一級品だとか。
この畳のへりの紋様の大きさで大名の格が違うそうだ。当たり前だが、我々庶民の畳のヘリの幅とちがって広く出来ているのだ。
床の間があって、最近、色紙が掛けてある。

 寂寞(じゃくまく/せきばく)と 白き城より 落し文   朗人 

朗人(あきと)というのは、有馬朗人氏のことで、東京大学総長や文部大臣などを歴任された方である。趣味の域を脱して俳句でもなかなかのものである。
有馬朗人
この俳句は、実は石碑になって刻まれているから大変。

尾張富士の大宮浅間神社の前に平成15年5月、建てられている。
そこでこの句の意味なんですが、難しいのは「落し文」である。単に手紙ではないだろう。一般に言われているのは政治批判の落書といわれるものだろうが、それでもなさそうだ。
「落し文」をNetで調べると
Leaf-rolling Weevil  オトシブミ  (ホトトギスノ落し文・カッコウの落し文とも言う)
オトシブミという昆虫が出て来た。面白い名前ですね。
  
     
オトシブミ科   英名 : Leaf-rolling Weevil
オトシブミの成虫は、体調7~10mmで日本全土のほか、朝鮮半島・中国東北部・シベリヤに分布している。
成虫は5~8月頃現われ、クリ・クヌギ・ナラ・ハンノキ・ニレなどの葉を巻き、「ゆりかご」をつくりこ
の中に卵を一個ずつ生みつける。完成後ゆりかごは地面に切り落とされる。幼虫は地面に落ちた「ゆりかご」
の中で葉を食べて育つ。産卵後1ヶ月で成虫なり「ゆりかご」から出てくる。「ゆりかご」を一個作るのに
約30分一日1~2個作り、7月上旬ごろまでに20~30個作る。「落し文」の名は、「ゆりかご」の形が         巻き文に似ていることによるが、俳句の世界ではホトトギスが山から運ぶ便りとし、初夏を示す季語で、こんな俳句がある。   落とし文拾いて渡る思川    松尾ふみを
               落とし文開く一人をうち囲み   京極昭子
また、信州の子供達は「からすのお土産」とか「スズメのお土産」と呼んでいる。
オトシブミが使った葉を煎じて飲むと、風邪がたちどころに治るという俗説もあった。(Netより)           
俳句の世界では、「落し文」は、ホトトギスが山から運ぶ便りとし、初夏を示す季語となっていることより、「オトシブミ」という昆虫が落した卵の「ゆりかご」と考えられる。政治批判の落書とは違って、はらはらと音を立てて、落ちてきたのを拾うと上にはひっそりと静まりかえったお城が聳えていたという情景を詠んだのではと思います。
 英訳に挑戦
All is still. 
A Leaf-rolling Weevil has fallen
From the white castle.
    K先輩に添削して頂きました。感謝。                           

お読み下され、感謝致します。

からくり住吉・白楽天Mechanical Sumiyoshi & Hakurakuten

2013-05-13 16:47:46 | Weblog

からくり住吉・白楽天  Mechanical Sumiyoshi & Hakurakuten 平成二十五年癸巳皐月十三日

車山名  住吉台Sumiyoshi dai      熊野町Kumano chou
からくり名  住吉・白楽天Sumiyoshi・Hakurakuten

能楽Nou playの「唐の白楽天と老漁夫の知恵問答」に題材をとっています。能では知恵問答ですが、からくりは術比べになっています。
The theme is from Nou “Witty questions & answers( Battles of wits) between the Tang’s Hakurakuten
(Bai-Jyui) and an old fisherman.
平安時代、玄宗皇帝の使者として唐の国から白楽天が問答のために日本に渡ってきます。
In Heian Era, Hakurakuten(Bai-Jyui) came to Japan from the Tang as a messenger of Gensou emperor to hold a discussion.
そして日本の住吉と問答の末、術比べになり、白楽天はお社頭(しゃとう)に、住吉は神橋(しんきょう)に変身します。
どちらも見事な変わり身の早さが見所です。
After a dialogue with Japanese Sumiyoshi, they compete in magic.
Hakurakuten(Bai-Jyui) changes to a shrine and Sumiyoshi changes to a bridge.
The speed of both marvelous changes is a good point.
その技法は日本の折り紙や折り畳み傘の技術を思わせるようです。
The techniques remind us of Japanese holding papers and collapsible umbrellas.

白楽天があっという間にお社に変身
    犬山からくり館展示 (右が髭の白楽天)                  
  
からくり人形奉納は見事な変身を見せることが第一ですが、折角の読者にはこれだけでは済みませんので第2ステージへ。  梅原猛氏によれば、「白楽天」という能がまた面白いのです。日本の国情を探りに筑紫にやって来た唐の詩人・白楽天を、住吉明神が老漁師の姿に化けて迎えます。そこで、二人の間に問答が行われます。白楽天は「中国には素晴らしいものがある。それは詩だ」と言い、いろいろな詩を口にするのですが、住吉明神はすぐに「それを日本の歌にすればこんな歌になる」と言い返します。 そういう問答を通じ、中国の詩と日本の和歌が比較されます。詩を詠むのは人間に限られ、特に中国ではインテリだけのものとされていましたが、日本では日本人すべてが歌を詠む。しかも、人間ばかりか鳥や獣も歌を詠むという話になります。『古今和歌集』の序文には、ある人が死んでウグイスになって歌を詠んだ、ある人は死んでカエルになって字を書き歌を詠んだという話が伝えられています。そればかりか、自然の音、松に風が当たる松風の音も波の音も、歌だと言うのです。その結果、白楽天が議論に負けて、中国へ逃げ帰るという話です。
 能では、老漁夫(住吉神社)に軍配が上がる訳なんですが、からくり奉納は両方ともよくやったと褒めて終わります。

このようにからくりは歴史が古く、能楽から物語をとったものまであり、奥が深い。特に人形師の玉屋庄兵衛一家には頭が下がりますね。大英博物館入りなんですから。
お読み下され、感謝致します。

P.S.
白楽天の英語表記が変わってきているようです。
私は,"Bai-Jyui"とします。

亀崎潮干祭 Kamezaki Shiohi Festival

2013-05-04 20:06:25 | Weblog
亀崎潮干祭 海浜曳き下ろし 平成癸巳二十五年皐月四日
亀崎潮干祭(かめざきしおひまつり)は、愛知県半田市亀崎町で毎年5月3日・4日に行われる   神前神社(カミサキと呼び、地元では、旧社格から「県社」と呼ばれている)の祭礼である。昨日行ってきた。言い伝えによれば、室町時代の応仁・文明年間の頃に亀崎に来着した武家らの発案により、荷車に笹を立て幕を張ったものを神官の指示によって曳き回したのが祭礼の起源とされ、そのときの車が現在5組5台の山車のうち東組宮本車に当たるとされている。その後、再三の新造・改造を経て、18世紀には現在のような知多型(半田型)と呼ばれる山車の形態になったとされている。
1980年(昭和41年)には「亀崎潮干祭の山車5台」が愛知県の有形民俗文化財に、2006年(平成18年)には「亀崎潮干祭の山車行事」が国の重要無形民俗文化財に指定された。
なお、祭礼にかかわる人材は、山車組ごとの血縁者によって構成されている。同時に、女人禁制であり、観光客や女性は、見物はできるが、他の多くの地区のように、元綱・先綱を曳いて参加することはできない。
Net で調べると、
(1)宮本車(みやもとぐるま)
建造:1865年。東組。5台の山車の一番車。亀崎潮干祭の山車の元祖である。
前棚人形 山車の二段目唐破風の屋根の下で演じられる。
三番叟             作者 日下浄雲
もともと能「翁」の三番目の舞で、めでたい席で演じられる縁起の良い演目です。
3人の子供たちが隠れ使いで操ります。
おーさいやー おーさー            
喜びありや 喜びありや
我がこの所より 外へはやらじと思ふ
上山人形   山車の一番上の舞台で演じられる    
湯取り神事       作者 荒川宗太郎    
釜で煮立てた湯花を撒き散らして厄を祓う神事。  
からくりでは煮立った湯を紙ふぶきで表現しています。
「宮本」ならではの神事性の高い演目です。
鶴が来て舞う亀崎の
春の潮干の御祭礼
曳き出す山車のそが中に
氏子の人の罪とがを
祓い清める三番叟
御神湯神楽の有り難や
宮本車の尊しや
宮本車の尊しや

(2)青龍車(せいりゅうしゃ)
建造:1891年。石橋組。亀崎潮干祭では他の4台の山車が猩々緋の大幕であるのに対し、唯一、紺羅紗地の大幕をもち、目を惹く山車である。
石橋組前棚人形の布ざらしは、弘化2年竹田源吉によって、作られた物です。緑色の和服を着、頭には石橋組の手ぬぐいを巻き、両手には白く長い布を持った女性の人形です。長唄「越後獅子」に合わせて踊ります。布を左右上下に振るのは、布を水辺に晒(さら)す様子を表現したものです。

・布晒しについて
 布を晒すというのは、川などの水に浸すことで、つまりは布を洗うことです。布を染める場合は糊を載せ模様を描き、染めることで、模様を浮き上がらせました。そうした、染めた布の糊を落とす作業が布晒しです。古くは、あちこちの清流で布ざらしの風景が見られました。山車彫刻で六ヶ所の清流を描いた六玉川では布ざらしの光景が彫られています。(東海市横須賀・大門組,大府市横根・中組)絵画でも見られるように、調布の玉川を題材として布ざらしが描かれることが多かったようですが、石橋の人形は、口上で「ここはー玉川ー井出の里ー」といっていますから井出の玉川での布さらしなのでしょう。

上山人形 「唐子(逆立ち)遊び」 作者    鬼頭二三

青龍車上山の人形戯は「唐子遊び」
蓮台の上で唐子が逆立ちするものです。愛知県に多いカラクリ人形のなかで、もっとも普及しているものかもしれませんが、亀崎の唐子遊びは、蓮台を回す唐子、逆立ち唐子、蓮台の装飾、飾りの歯車など見た目も鮮やかです。

サシガネと呼ばれる棒を巧みに扱います。失敗すると唐子は落ちてしまいます。

逆立ちに成功しました。

歯車とともに蓮台が回転します。観客はとても見やすい。

終わると写真のように巻物から書が出てきます。

(3)力神車(りきじんしゃ)
建造:1826年。中切組。現在の5台の山車の中では最も建造が古く、知多型山車の元祖である。
前棚人形 「猩々(面かぶり)」 五代目玉屋庄兵衛
上山人形 「浦島(面かぶり)」 六代目玉屋庄兵衛  今 犬山の人形師が跡を継いで9代目です。

猩々  酔っぱらい面が赤に変わる。
浦島  老人に変身

(4)神楽車(かぐらぐるま)
建造:1837年。田中組。山からくりの「傀儡師」は、「人形を操作する、古い時代の傀儡師」を表すからくり人形であり、『生きた化石』とも言われ、演劇史研究の貴重な史料となっている。
前棚人形 「巫女の舞」
上山人形 「傀儡師(船弁慶)」

田中組 神楽車
前棚人形 巫女の舞
上山人形 傀儡師(船弁慶)


巫女の舞
神楽に合わせて舞う巫女の人形。
扇子と鈴をまるで生きているかのように巧みに操って、優美に舞います。
神楽車の車名の由来ともいわれています。

(神楽演奏のみ)

傀儡師(船弁慶)
人形舞わしの大道芸人(傀儡師)が「船弁慶」の人形芝居を演じて見せるという劇中劇。
「竹田からくり唯一の残存例」ともいわれる極めて貴重なからくりです。
第1幕 「吉野山」を唄って通行人や子供たちを集める場面です。
第2幕 人形芝居「船弁慶」が始まります。平知盛の亡霊が義経一行の船に襲いかかります。
第3幕 再び傀儡師が登場し子供たちに唄います。そして最後にあっと驚く仕掛けが・・・・

[吉野山]
琉球の島はめでたい島よ  黄金の枡にてよね計るノーエ  シャノシャノ子供よ
シャノシャノ子供よ  花が見たくば吉野へござれ  今は吉野の花盛り
子供来い来い花見ておどろ  花見て踊るはよい小女郎  イキンスイッチョ エイチャ
スイハイスイフス スーイハ  イソーハイミーチャ  ハラギャンソー
オデギャンギャン  まんまるござる  まんまるござる  十五夜のお月の輪のごとく
シッタン シッタン  シッタンタン
[船弁慶]
急ぎ御舟を出すべし  げにげにこれはことわりなり  いづくもかたきといふ浪の
立ちさわぎつつ舟子ども  えいやえいやといふ汐に  つれて舟をぞ出しける
あら不思議や海上を見れば  西国にて亡びし平家の一類  一門の月卿雲霞の如く
浪に浮かみて見えたるぞや  そもそもこれは  桓武天皇九代の後胤
平の知盛ゆうれいなり  あら珍しや如何に義経  思ひも寄らぬうら浪の
声をしるべに出舟の  知盛が沈みしその有様に  また義経をも
海に沈めんといふ浪に  浮かべるなぎなた取り直し  巴浪の紋あたりを払ひ
うしををけたて悪風を吹かけ  眼もくらみこころも乱れて  前後を忘ずるばかりなり
その時義経少しもさわがず   うち物抜きもちうつつの人に  向ふが如くことばをかわし
たたかい給へば  弁慶おしへだて   うち物わざにてかなふまじと
数珠さらさらと押しもんで  東方降三世 南方軍荼利夜叉  西方大威徳
北方金剛夜叉明王 中央大聖  不動明王のさっくにかけて  祈りいのられ
悪霊次第に遠ざかれば  弁慶舟子に力を合せ  御舟を漕ぎのけ汀によすれば
なお怨霊はしたい来るを  おっぱらい祈りのけ  また引く汐にゆられ流れ
また引く汐にゆられ流れて  あと白浪とぞなりにける
[山猫まわし]
子供衆 子供衆   悪いことをせまいぞや  悪いことをしたものには
山猫に噛ましょ   けものに噛ましょ      スッペラポンノポン

(5)花王車(かおうぐるま)  建造:1846年。西組。上山に飾られた桜の枝が目を惹く山車である。
前棚人形 「神官」 五代目玉屋庄兵衛
上山人形 「桜花唐子遊び(綾渡り)」

 あくまで神事なのだ。山車の上に突き出たケヤリに神が宿り、海浜へ出し、神様の沐浴である。そして神様へからくり奉納される。それから尾張三社へ山車を納めて前日が終わる。終わるのは5時をまわるから、見物も大変である。
昼は、望洲楼の会席弁当
   

近くに山車の彫刻を集めた「立川流美術館」がある。
 
あの立川談志師匠のルーツでもあるらしい。
下絵から精密に描いてから、彫刻にしていくということを知った。
下絵だけでも努力がいるのにさらに3D,4Dの世界を築くとは。

山車は  金の刺繍がしてある幕が豪華に見せます。
前日の今日は 尾張三社に5輌集結。明日の奉納にそなえる。

*見物して気付いたのではあるが、街中を行くのにケヤリは、邪魔だろうけれど一本道だけに、電線の埋設を要望したい。
**山車は毎年解体される。4本の車輪は海浜の海の中に埋められると聞いた。
その方が丈夫に保存できるそうだ。分からないものだ。解体の順番を毎年若い者に伝えていくことで、地域の結束が固まるという。そして山車の傍で輪になって歌を唄って気分を盛り上げている光景は、祭りの真骨頂でしょうね。若者のいい経験だ。

お読み下され、感謝致します。