亀崎潮干祭 海浜曳き下ろし 平成癸巳二十五年皐月四日
亀崎潮干祭(かめざきしおひまつり)は、愛知県半田市亀崎町で毎年5月3日・4日に行われる 神前神社(カミサキと呼び、地元では、旧社格から「県社」と呼ばれている)の祭礼である。昨日行ってきた。言い伝えによれば、室町時代の応仁・文明年間の頃に亀崎に来着した武家らの発案により、荷車に笹を立て幕を張ったものを神官の指示によって曳き回したのが祭礼の起源とされ、そのときの車が現在5組5台の山車のうち東組宮本車に当たるとされている。その後、再三の新造・改造を経て、18世紀には現在のような知多型(半田型)と呼ばれる山車の形態になったとされている。
1980年(昭和41年)には「亀崎潮干祭の山車5台」が愛知県の有形民俗文化財に、2006年(平成18年)には「亀崎潮干祭の山車行事」が国の重要無形民俗文化財に指定された。
なお、祭礼にかかわる人材は、山車組ごとの血縁者によって構成されている。同時に、女人禁制であり、観光客や女性は、見物はできるが、他の多くの地区のように、元綱・先綱を曳いて参加することはできない。
Net で調べると、
(1)宮本車(みやもとぐるま)
建造:1865年。東組。5台の山車の一番車。亀崎潮干祭の山車の元祖である。
前棚人形 山車の二段目唐破風の屋根の下で演じられる。
三番叟 作者 日下浄雲
もともと能「翁」の三番目の舞で、めでたい席で演じられる縁起の良い演目です。
3人の子供たちが隠れ使いで操ります。
おーさいやー おーさー
喜びありや 喜びありや
我がこの所より 外へはやらじと思ふ
上山人形 山車の一番上の舞台で演じられる
湯取り神事 作者 荒川宗太郎
釜で煮立てた湯花を撒き散らして厄を祓う神事。
からくりでは煮立った湯を紙ふぶきで表現しています。
「宮本」ならではの神事性の高い演目です。
鶴が来て舞う亀崎の
春の潮干の御祭礼
曳き出す山車のそが中に
氏子の人の罪とがを
祓い清める三番叟
御神湯神楽の有り難や
宮本車の尊しや
宮本車の尊しや
(2)青龍車(せいりゅうしゃ)
建造:1891年。石橋組。亀崎潮干祭では他の4台の山車が猩々緋の大幕であるのに対し、唯一、紺羅紗地の大幕をもち、目を惹く山車である。
石橋組前棚人形の布ざらしは、弘化2年竹田源吉によって、作られた物です。緑色の和服を着、頭には石橋組の手ぬぐいを巻き、両手には白く長い布を持った女性の人形です。長唄「越後獅子」に合わせて踊ります。布を左右上下に振るのは、布を水辺に晒(さら)す様子を表現したものです。
・布晒しについて
布を晒すというのは、川などの水に浸すことで、つまりは布を洗うことです。布を染める場合は糊を載せ模様を描き、染めることで、模様を浮き上がらせました。そうした、染めた布の糊を落とす作業が布晒しです。古くは、あちこちの清流で布ざらしの風景が見られました。山車彫刻で六ヶ所の清流を描いた六玉川では布ざらしの光景が彫られています。(東海市横須賀・大門組,大府市横根・中組)絵画でも見られるように、調布の玉川を題材として布ざらしが描かれることが多かったようですが、石橋の人形は、口上で「ここはー玉川ー井出の里ー」といっていますから井出の玉川での布さらしなのでしょう。
上山人形 「唐子(逆立ち)遊び」 作者 鬼頭二三
青龍車上山の人形戯は「唐子遊び」
蓮台の上で唐子が逆立ちするものです。愛知県に多いカラクリ人形のなかで、もっとも普及しているものかもしれませんが、亀崎の唐子遊びは、蓮台を回す唐子、逆立ち唐子、蓮台の装飾、飾りの歯車など見た目も鮮やかです。
サシガネと呼ばれる棒を巧みに扱います。失敗すると唐子は落ちてしまいます。
逆立ちに成功しました。
歯車とともに蓮台が回転します。観客はとても見やすい。
終わると写真のように巻物から書が出てきます。
(3)力神車(りきじんしゃ)
建造:1826年。中切組。現在の5台の山車の中では最も建造が古く、知多型山車の元祖である。
前棚人形 「猩々(面かぶり)」 五代目玉屋庄兵衛
上山人形 「浦島(面かぶり)」 六代目玉屋庄兵衛 今 犬山の人形師が跡を継いで9代目です。
猩々 酔っぱらい面が赤に変わる。
浦島 老人に変身
(4)神楽車(かぐらぐるま)
建造:1837年。田中組。山からくりの「傀儡師」は、「人形を操作する、古い時代の傀儡師」を表すからくり人形であり、『生きた化石』とも言われ、演劇史研究の貴重な史料となっている。
前棚人形 「巫女の舞」
上山人形 「傀儡師(船弁慶)」
田中組 神楽車
前棚人形 巫女の舞
上山人形 傀儡師(船弁慶)
巫女の舞
神楽に合わせて舞う巫女の人形。
扇子と鈴をまるで生きているかのように巧みに操って、優美に舞います。
神楽車の車名の由来ともいわれています。
(神楽演奏のみ)
傀儡師(船弁慶)
人形舞わしの大道芸人(傀儡師)が「船弁慶」の人形芝居を演じて見せるという劇中劇。
「竹田からくり唯一の残存例」ともいわれる極めて貴重なからくりです。
第1幕 「吉野山」を唄って通行人や子供たちを集める場面です。
第2幕 人形芝居「船弁慶」が始まります。平知盛の亡霊が義経一行の船に襲いかかります。
第3幕 再び傀儡師が登場し子供たちに唄います。そして最後にあっと驚く仕掛けが・・・・
[吉野山]
琉球の島はめでたい島よ 黄金の枡にてよね計るノーエ シャノシャノ子供よ
シャノシャノ子供よ 花が見たくば吉野へござれ 今は吉野の花盛り
子供来い来い花見ておどろ 花見て踊るはよい小女郎 イキンスイッチョ エイチャ
スイハイスイフス スーイハ イソーハイミーチャ ハラギャンソー
オデギャンギャン まんまるござる まんまるござる 十五夜のお月の輪のごとく
シッタン シッタン シッタンタン
[船弁慶]
急ぎ御舟を出すべし げにげにこれはことわりなり いづくもかたきといふ浪の
立ちさわぎつつ舟子ども えいやえいやといふ汐に つれて舟をぞ出しける
あら不思議や海上を見れば 西国にて亡びし平家の一類 一門の月卿雲霞の如く
浪に浮かみて見えたるぞや そもそもこれは 桓武天皇九代の後胤
平の知盛ゆうれいなり あら珍しや如何に義経 思ひも寄らぬうら浪の
声をしるべに出舟の 知盛が沈みしその有様に また義経をも
海に沈めんといふ浪に 浮かべるなぎなた取り直し 巴浪の紋あたりを払ひ
うしををけたて悪風を吹かけ 眼もくらみこころも乱れて 前後を忘ずるばかりなり
その時義経少しもさわがず うち物抜きもちうつつの人に 向ふが如くことばをかわし
たたかい給へば 弁慶おしへだて うち物わざにてかなふまじと
数珠さらさらと押しもんで 東方降三世 南方軍荼利夜叉 西方大威徳
北方金剛夜叉明王 中央大聖 不動明王のさっくにかけて 祈りいのられ
悪霊次第に遠ざかれば 弁慶舟子に力を合せ 御舟を漕ぎのけ汀によすれば
なお怨霊はしたい来るを おっぱらい祈りのけ また引く汐にゆられ流れ
また引く汐にゆられ流れて あと白浪とぞなりにける
[山猫まわし]
子供衆 子供衆 悪いことをせまいぞや 悪いことをしたものには
山猫に噛ましょ けものに噛ましょ スッペラポンノポン
(5)花王車(かおうぐるま) 建造:1846年。西組。上山に飾られた桜の枝が目を惹く山車である。
前棚人形 「神官」 五代目玉屋庄兵衛
上山人形 「桜花唐子遊び(綾渡り)」
あくまで神事なのだ。山車の上に突き出たケヤリに神が宿り、海浜へ出し、神様の沐浴である。そして神様へからくり奉納される。それから尾張三社へ山車を納めて前日が終わる。終わるのは5時をまわるから、見物も大変である。
昼は、望洲楼の会席弁当
近くに山車の彫刻を集めた「立川流美術館」がある。
あの立川談志師匠のルーツでもあるらしい。
下絵から精密に描いてから、彫刻にしていくということを知った。
下絵だけでも努力がいるのにさらに3D,4Dの世界を築くとは。
山車は
金の刺繍がしてある幕が豪華に見せます。
前日の今日は
尾張三社に5輌集結。明日の奉納にそなえる。
*見物して気付いたのではあるが、街中を行くのにケヤリは、邪魔だろうけれど一本道だけに、電線の埋設を要望したい。
**山車は毎年解体される。4本の車輪は海浜の海の中に埋められると聞いた。
その方が丈夫に保存できるそうだ。分からないものだ。解体の順番を毎年若い者に伝えていくことで、地域の結束が固まるという。そして山車の傍で輪になって歌を唄って気分を盛り上げている光景は、祭りの真骨頂でしょうね。若者のいい経験だ。
お読み下され、感謝致します。