Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

謹賀新年

2012-01-01 | Others
 新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
年始らしい楽しい話題はないかと、「春の海」を聴きながら御屠蘇をストレートでガブ飲み。
最近読んだものの中から、記憶を無理矢理手繰ってみました。
すると、戸板康二さんという人が内田百について書いた話に、

 百はジョークと同時に、いたずらを子供のように、たのしんだ。
 琴の師匠でもあった宮城道雄は、夜行列車で事故死したが、「東海道刈谷驛」という文章で、哀惜している。
 二人は酒友としても、深くつきあい、飲むと、互いに歌い、さまざまなシャレをきそい合った。
 ふざけて「ヴァンデルスゾーンのメイオリン・コンチェルト」といったりした。
 百は酔うと、宮城宅の襖をはずして宮城の寝間の布団の上にのせたり、方々の部屋の電球を片っぱしからゆるめたり、ゴミ箱をどこかへはこんでしまったり、長い棹で外から二階の雨戸を叩いたりした。

とあります。
今だったら、百さんという人は相当困った感じですが、つき合っていた宮城道雄という人もたいしたものです。音楽の教科書からの知識とは、うける印象がだいぶ違います。
また、スネークマンショーの大先輩でもあったことが判明しました。



年の瀬もかなり押し詰まった頃、電車内でちょっとしたショックをうけました。

乗ったのと反対側のドアに背を持たせかけ、小学校低学年くらいの兄妹が床に長座しています。
一瞬、TVの隠し撮り映像で見た北の少年浮浪者とダブりましたが、ドアが開いたら危ないし親はいないのかと見まわしました。

その兄妹がもめはじめると、彼らのすぐ前にいた男性が屈んで何やら諭し始めました。
隣にいた女性も、話しかけているので母親なのでしょう。でも、何か順序が違うんじゃないかという違和感があります。
ターミナル駅で座席が空くと、身体をはたくでもなくそちらへ移っていったので、単に堪え性のない子供たちだったのか。
ちなみに、親子ともカッコは普通に見えました。

何故違和感を感じたのか考えてみると、人事不省に陥ったならともかく、子供といえどもブンメイジンが我慢出来ないからといって車内で床に座るかという疑問です。
しかも親がついていて、そんな事があるだろうか。彼らが乗って来た電車は始発駅からでも15分しか経っていません。
ケンカする元気はありますが、もちろんまだグレているふうはないし、実に不可解です。

下は1927年のポスターだそうです。
絵ではありますが戦前の風俗を捉えており、大人の男たちに無帽の者はありません。子供たちも家の外に出掛けるので、和装・洋装の違いはあっても、当然のように身繕いしてもらっています。
たぶんこの子達が床に座ることも、親がそれを許すことももちろんなかったでしょう。
人は退化しているのかも知れません。

そんな意味もあって、新年がより良い年であってほしいと願ってやみません。





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