Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

Coat of many colors

2019-10-10 | 生地
エミルー・ハリスも歌っている「Coat of many colors」という曲があります。
オリジナルは、リンダ・ロンシュタットとトリオを組んだこともある、ドリー・パートンの歌だそうです。
最初は何を歌っているか分かりませんでしたが、よく聴くと「今年はどんな色のコートかな...」なんていうのではなくむしろそのまま、日本の歌に例えると「おふくろさんよ、おふくろさん...」でもないし、ご興味ある方は動画を見て頂くのが早いです。



画像はウィンザー公の遺品がオークションにかけられた時のカタログからで、ワードローブの端切れか、気になったものを集めていたものか分かりませんが、"town clothes"とか"sports clothes"とタイトルが付されています。


(ウィンザー公のクローゼット)

ネタばらしになってしまいますが、冒頭の曲は「コートはカラフル」という邦題もあるそうで、パッチワークのコートのことでした。
「子供にコートを買えなかったお母さんが、ハギレをパッチワークにしてコートを作ってくれた」というD.パートンのほぼ実話に基づいた歌だそうで、その後TVドラマ化もされDVDにもなっているそうです。
全部聴いて頂くと、涙ありでもカラっと明るいところがこの歌の後味の良さです。
ただD.パートンのカッコと歌のギャップを、いつも私の脳がうまく処理しきれません。

前にも引用しましたが、パッチワークというと...
以前取り上げたことのある「汝の父を敬え」を書いたゲイ・タリーズが、昔エスクァイアに寄稿した父親の話です。

南イタリア出身の父は昔の職人が皆そうであったように、子供の頃から見習いに出ました。
親戚のアントニオ・クリスチャーニという男がパリに出した仕立屋に入ると、同僚にはエマニュエル・ウンガロという男もいて腕を競ったと言います。
しかし1919年新天地を求めてアメリカに渡ると、ヨーロッパと異なり美しい仕立服を求める男がほとんどいない現実を突きつけられ、需要のあった婦人服へと転換します。
やがて事業で成功するも父はそれで満たされることはなく、知人の紳士服を仕立てる時だけが唯一の楽しみだったようで、繊維の供給が制限された第二次大戦中にはサンプル・ブックの生地をかき集め、きれいな配色になるよう並べて縫い合わせると、それでジャケットを仕立て、街を散策していたとタリーズは回想しています。

これも何度か書きましたが、そのクリスチャーニという仕立屋は後年ゲーリー・クーパーやモーリス・シュバリエを顧客としてかかえドゴールから勲章を受ける等、政財界で知らぬ人がいないほど成功したパリのイタリア人でしたが、後継ぎ不在で閉店してしまいました。
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