白洲さんの本で繰り返し読んだ回数がもっとも多いのは、「遊鬼」と「いまなぜ青山二郎なのか」の二冊だと思います。
前者は読むたびに魅力的な人や、実在したはずなのに読めば読むほどフィクションとしか思えない不思議な人たちが描かれて、折りにふれ思い出しては読みたくなります。
後者は主に物の見方について、やはり忘れた頃に、何故かまた手にしている気がします。
電車のリズムに合うのかも知れません。
それとは別の文庫本「夕顔」に収められた「人は鏡」という話に.......
先年お目にかかったある高名なお坊さまは、ふつうの人が耐えられないほどの厳しい修行をされた。さぞかしいいお話が聞けると思って期待していたら、実に下らないお喋りしかなさらない。総理大臣にはじまって、連日新聞紙上を賑わしている有名人、作家から画家に至るまで、およそ芸術とは無関係なように見える人たちの名前を、ただ知っているというだけで並べたてるのだ。もちろん相手は大臣だって似非芸術家だって何だって面白ければいっこう構わない。が、次から次へ名前だけ無意味に並べられたのでは困ってしまう。
―中略―
おもうに人間とは非常に弱いものなのだ。命を賭した荒行も、終ってしまえばもとの木阿弥で、何らかの形で持続して行かないかぎり、偉い修行をしたという虚栄心しか残らない。
その時は愚かな坊主メと癪にさわったが、今になってみると、人間の弱さとか、持続することの難しさを、身をもって示してくれたお坊さまは、私にとっての「善知識」であったとありがたく感じている。「人は鏡」とはそういうことである。
気が付けばしだいに日は長くなり、日射しも力強さを増しつつあります。
明日から四月、マンネリと闘いながら、下らないお喋りと苦しい時の長い引用を怖れない覚悟を新たにしたところです。
前者は読むたびに魅力的な人や、実在したはずなのに読めば読むほどフィクションとしか思えない不思議な人たちが描かれて、折りにふれ思い出しては読みたくなります。
後者は主に物の見方について、やはり忘れた頃に、何故かまた手にしている気がします。
電車のリズムに合うのかも知れません。
それとは別の文庫本「夕顔」に収められた「人は鏡」という話に.......
先年お目にかかったある高名なお坊さまは、ふつうの人が耐えられないほどの厳しい修行をされた。さぞかしいいお話が聞けると思って期待していたら、実に下らないお喋りしかなさらない。総理大臣にはじまって、連日新聞紙上を賑わしている有名人、作家から画家に至るまで、およそ芸術とは無関係なように見える人たちの名前を、ただ知っているというだけで並べたてるのだ。もちろん相手は大臣だって似非芸術家だって何だって面白ければいっこう構わない。が、次から次へ名前だけ無意味に並べられたのでは困ってしまう。
―中略―
おもうに人間とは非常に弱いものなのだ。命を賭した荒行も、終ってしまえばもとの木阿弥で、何らかの形で持続して行かないかぎり、偉い修行をしたという虚栄心しか残らない。
その時は愚かな坊主メと癪にさわったが、今になってみると、人間の弱さとか、持続することの難しさを、身をもって示してくれたお坊さまは、私にとっての「善知識」であったとありがたく感じている。「人は鏡」とはそういうことである。
気が付けばしだいに日は長くなり、日射しも力強さを増しつつあります。
明日から四月、マンネリと闘いながら、下らないお喋りと苦しい時の長い引用を怖れない覚悟を新たにしたところです。