人間はなぜムダ話が好きなのか?「会話の47.3%は雑談」の恐るべき理由
7/5(金) 8:02配信
ダイヤモンド・オンライン
あなたの言葉が伝わらないのは、あなたに人としての“魅力”が欠けているから。では、人としての“魅力”とは一体何でしょうか? 実は、見た目の良さや巧みな話術は関係ないことが分かりました。本稿では、サイエンスジャーナリストの鈴木祐氏が3128の科学データから編み出した18のメソッドの一部を紹介します。
※本稿は、鈴木 祐『最強のコミュ力のつくりかた』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 私たちは数秒で相手の魅力をジャッジする
「コミュニケーションがうまい人」とは、人としての魅力にあふれた人です。では、コミュニケーションがうまい人にはどんな能力があると思いますか?
「巧みな話術」「自信に満ちたボディランゲージ」「ルックスの良さ」――。このなかで、いくつあるでしょうか?
実は、これらの要素は大した影響力を持ちません。人としての根本的な魅力を高めたいなら、ルックスの善し悪しや性格の明るさ、話術の巧みさなどよりも、もっと考えるべきことが他にあるのです。では、人としての魅力の本質は、どこにあるのでしょうか?
この難問に答えるために、いったん遠回りをして、やや毛色が違う問題について考えてみます。それは、「なぜ人類は無駄話が好きなのか?」という疑問です。
ご存じのとおり、私たちが日常で交わす会話の大半は、重要な情報の交換とは無縁のコミュニケーションで占められています。バブソン大学が1191人を対象に行った調査によれば、仕事のあいだに交わされるやり取りの45~70%は、知人の噂、天気の話、セレブのゴシップなどの他愛ない雑談で占められていました。日本で行われた研究でも結果は同じで、私たちが交わす会話の47.3%は雑談だったと言います。
この数字は原始的なコミュニティでも変わらず、いまも未開の土地で暮らす狩猟採集民たちも、1日の会話の大半を雑談で過ごすケースがほとんどです。人類学の調査によれば、雪中のイグルーで隣村の噂話で盛り上がる北極圏のイヌイットや、キャンプファイヤーを囲みながら他部族のゴシップを交換しあうタンザニアのハッザ族など、やはり会話の7割は無益な情報のやり取りに費やされており、専門家の多くは、「すべての人間は“無駄話をしたがる本能”を持つのではないか?」と推測しています。
しかし、よく考えると不思議ではないでしょうか? 進化の観点からすれば、食料や安全の確保といった、すぐに役立つ情報をやり取りしたほうが、生存の確率は上がるはずだからです。
人類がコミュニケーションを始めた時期には諸説ありますが、化石や遺伝データなどから、おそらく7万~20万年前には、言語による意思の疎通が行われていたものと考えられます。それ以前の人類は、「カチッ」や「ヒュー」などの擬音しか出すことができませんでした。
鳥のさえずり、猫の鳴き声、馬のいななきなど、ヒト以外の動物は平均10種類の音声でコミュニケーションを行いますが、この点において、人類が獲得した能力はレベルが違います。私たちが日常で使う単語の数は成人で2万を超えますし、込み入った文法を用いて複雑な思考まで表現できる動物は他にいません。
ここまで高度な技術を人類が進化させた理由については、くわしく説明するまでもないでしょう。もし言語を使えなかったら科学の発展は止まり、法による紛争の調停はおぼつかず、誰かに助けを求めることもできません。人類が今の文明を築けたのは、言葉の力で重要な情報を伝えることができたからこそです。それなのに、実際の私たちは、貴重なコミュニケーションを無益な情報のやり取りに使ってしまうのだから、時間の浪費としか思えません。
実に不思議な現象ですが、その答えを一言で表すなら、「雑談を使って相手の能力を査定するため」となります。一見役に立たない雑談のなかで、私たちは、相手がどのような人物なのかを値踏みしあっているのです。
私たちが雑談のなかで判断するのは、たとえば次のようなポイントです。
この人は私の仲間にふさわしいか?
この人は困ったときに私を助けてくれるか?
この人には日常の問題を解決する力があるか?
その証拠に、近年の研究では、私たちは初対面の相手と雑談をスタートさせてから、ほんの100ミリ秒で相手を評価し始めることがわかってきました。査定の対象は多岐にわたり、相手の身体的な魅力、性格、知性、経済力まで、あらゆる要素が評価の俎上にのぼります。
そのなかでも、私たちが重点的にチェックするポイントは以下のようなものです。
・会話の相手は社交的か? 共感力があるか?
ジュネーブ大学の実験では、被験者に対し、男女が雑談をする動画を30秒だけ見たうえで2人の性格を推測するように言い渡しました。結果、約9割の被験者は、男女のパーソナリティを驚くほどの正確さで見抜き、なかでも「社交性」や「共感力」といった能力の判定がうまい傾向が認められました。
・会話の相手は頭が良いか悪いか?
たいていの人は、会話がスタートしてから数秒で、相手の知性を判断します。その精度は上々で、ロヨラ・メリーマウント大学の実験によれば、被験者から「この人は頭が良い」と評価された人物は、実際にIQが高い傾向がありました。ちなみに、私たちが相手のどこを見て知性を判断しているのかは、まだ判然としません。
・会話の相手は健康か不健康か?
私たちには、他者の健康状態を見抜く能力も備わっています。カロリンスカ大学の実験では、被験者の一部を少量の細菌に感染させたあと、それぞれの顔写真と体臭のサンプルを取得。これらを別の被験者に提示したところ、ほとんどの人は、顔写真と体臭の情報だけで細菌に感染した人物を言い当て、「不健康そうで魅力がない」と判定しました。当然ながら、細菌に感染した人たちは、辛そうな表情を浮かべていたわけでも、顔色に異変があったわけでもありません。
・会話の相手は信頼できる人物か?
ここ数年の研究により、私たちは他人と出会ってから2秒で、目の前の相手が信頼に足る人物なのかを判断することもわかってきました。代表的なのはスタンフォード大学の調査で、研究チームは、同大学の新入生たちに教師の講義動画を2~10秒だけ見せ、どのような印象を持ったかを調査。すると、新入生たちの回答は、教師のことをよく知る上級生の評価とそっくりで、特に「信頼性」「共感性」に大きな一致が見られました。その相関係数は0.76で、ほんの数秒の判断としては、驚くべき正確さだと言えます。
代表的なところを見てきましたが、これらはあくまで一例にすぎません。相手の裕福さ、リーダーシップ、恋愛スキル、几帳面さなど、数えきれない量の要素を、人間は数分で査定し、その評価もかなり正確だとわかっています。
すべての査定が終わるまでの時間は平均5分で、ここで出た結論をベースにしつつ、私たちは相手との会話を続けるかどうかを判断します。この査定が、コミュニケーションの第一関門になるわけです。
● 人類ほど平気で仲間を騙す生物はいない
人類がここまで正確に他者を査定できるようになったのは、私たちが脆弱な生き物だからです。
言わずもがな、ヒトの身体は他の動物より弱く、硬い牙や爪を備えるわけでなく、体を守る甲羅もありません。そんな弱い肉体を持ったまま、有史より前の人類は、脅威に満ちたサバンナで暮らさねばなりませんでした。
いつ猛獣に襲われるかもわからず、つねに食糧不足の不安につきまとわれ、正体がわからない疫病の発生を警戒する。そんな過酷な環境を生き抜くには、仲間たちと相互扶助のコミュニティを作り、生存のリスクを減らすのがベストだったでしょう。
そこで人類は、“協力”というスキルを、重点的に進化させました。狩りができない仲間に食糧を分けたり、忙しい母親の代わりに子育てをしてもらったりと、お互いの足りないリソースを提供し合い、どうにか生存率を高めようと試みたのです。
互いに助け合う動物は人類の他にも存在し、たとえばチンパンジーやイルカが、エサのない仲間と食事を分け合うことがあるのは有名でしょう。しかし、それはどこまでも血のつながった親族に限定された行動であり、遺伝的に無関係な個体とまで協力関係を結ぶ生物は私たちだけです。身体の脆弱さに悩み続けた人類にとって、“協力”の進化は、まさにゲームチェンジャーでした。
ところが、この進化は、同時に人類にとって悩みの種にもなりました。お互いに助け合うシステムの誕生により、“裏切り”という新たな脅威が生まれたからです。
仲間が狩ってきた獲物を盗む。他の人が見つけた狩り場を先に荒らす。隣人が作った住居を勝手に利用する。敵対する部族と裏で取引を行う。
協力関係さえ破ってしまえば、裏切り者は簡単にメリットを得られます。同僚のアイデアを盗む社員や、嘘の経歴で良い仕事をもらうフリーランスなど、現代でも似たような例はいくらでもあるでしょう。助け合いのコミュニティが生まれれば、必ずその仕組みを悪用する者も生まれます。
実際、人類ほど他人を騙すのが好きな生物も珍しく、マサチューセッツ大学の調査によると、10分間の会話中に60%の人間が2~3個の嘘をつき、1日のあいだに上司や同僚を騙す回数は平均で6回にもおよびます。これに対して、他の動物はほぼ真実しか表現せず、猫がのどを鳴らせばそれは満足感の表明であり、尻尾を激しく振ったらそれは確実に不機嫌のサインです。人類ほど平気で仲間を騙す生物は他にいません。
当然ながら、人類は大昔からこの問題に立ち向かってきました。「目には目を、歯には歯を」の文言で刑罰の基本を作ったハンムラビ法典や、日本ではじめて罪人への死を規定した養老律令のほか、明確な法律がない狩猟採集の社会にも「裏切り者は追放か殺害」と定めた掟が存在します。
それと同時に、アリストテレスの最高善、中国の儒家が唱えた仁、日本の修身教育における理性などの“倫理”も、裏切り者への牽制をうながすシステムとして使われました。
いずれも「人として守るべきルール」や「社会における善悪の基準」を設定し、仲間との協力関係を保つための仕組みです。
しかし、法と倫理だけではまだ足りません。どちらも裏切りの抑止力として機能はするものの、「誰を仲間にすれば得なのか?」「関わってはいけない人間は誰か?」といった疑問の答えは教えてくれないからです。
周囲から聖人とあがめられる人物が、裏では悪党だったというケースはよく見かけます。長らく善人と呼ばれた人物が、金に困って悪事を働くような事態も珍しくはないでしょう。裏切り者を見抜くのに、法と倫理は無力です。
その結果、原始時代の人類は、普段のコミュニケーションを通して、他人の信頼性や好感度を自動で査定するシステムを進化させました。私たちが無意味な雑談に時間を費やすのは、お互いの信頼性を値踏みしあうためだったのです。
込み入ってきたので、いったん話をまとめます。人類の祖先は、生物としての弱さを克服すべく、進化の過程で“協力”という手法を発明。そのおかげで生存率のアップに成功しましたが、同時に裏切りの問題が起きたため、今度は他者の信頼性を見抜く能力を身につけ、仲間と協力しあうシステムの維持を試みました。
すでにお気づきの方もいるかもしれません。これこそが、“魅力”の正体です。
メカニズムを説明します。初対面の相手とコミュニケーションを始めると、私たちの脳はすぐに査定システムを起動させ、「この人物と協力しあうべきか?」の判断をスタート。その査定が「NO」だったときは、脳は「なんとなく不快だ」とのシグナルを発し、相手からあなたを引き離そうとします。
逆に「YES」の判定が出た場合は、脳は「好感が持てる」との感覚をあなたに向けて送り、相手との関係を前に進めるようにうながします。要するに私たちは、「この人は裏切らない」「私を助けてくれそうだ」と本能が判断した相手を、「魅力がある人物」として感知しているのです。
鈴木 祐