すこしオーバーな表現で書かないと見ている人には届きません。
よって、口喧嘩の延長で「M君うざい」と書くことはSNS上ではありえるかもしれません。
その書き込みについての「いいね」の反応も十分ありえる話です。
「うざい」のたった3文字。
その程度なら問題にしなくても良いのではないかという意見もあります。
それに反して、「うざい」は誹謗中傷への第一歩であり、それを問題発言と捉えるべきであるという意見もあるのです。
そこで、先日、「いいね」をした数名の生徒からの聞き取り調査をしました。
聞き取る側の私の立ち位置は決して中立ではありません。
どちらかと言えば、「いいね」で心が傷つく生徒もいるのだという立場。
よって、「いいね」を軽々してはいけないとの思いを持っての聞き取り確認でした。
実際に聞き取り確認をされた生徒たちの皆が、いつ「いいね」をしたかを覚えていないとのこと。
彼らからすると「いいね」は単なる確認作業。
それ自体には意味がない。
その内容の如何によらずに、ほとんどすべての書き込みに「いいね」をしているそうです。
学校側として生徒たちに私が言ったことは、「いいね」は同意表現であるということ。
殆どの大人は、「うざい」とのマイナス表現に対しての「いいね」は問題反応である捉える可能性があるのではないかということ。
的確な例ではないかもしれませんが、「いいね」は企業社会においては承認「印」にあたるのではないかとの主張をしました。
しかしながら、世代の違いなのか?
それとも、「いいね」の捉え方の根本的な違いなのか?
しっかりと分かってもらえなかったような気がします。
もっとも、全校生徒の問題発言を監視して、危険な書き込み全てを指導するなど不可能です。
それらの言葉狩りが始まったら、それはそれで大問題。
授業を行う時間以外は、取り調べや調査の時間になってしまいそうです。
数年前から学校にiPadが導入されてきました。
私も毎回の授業では「ロイロノート」を使用して授業をすることで楽をしています。
授業中でのiPadなどの教育機材はすごく便利な教具です。
しかし、ひとたび休み時間の個別の使用になるとユーチューブ動画を見たり、ゲームをしたりと従来学校が認めていなかった学校に持ってきてはいけない玩具に変わってしまいます。
今週は「いいね」に悩まされる私でした。