明日は、勤務高の野球の試合がある。
夏の甲子園大会の予選だ。
しかしながら、勤務校では明日もまだ定期考査中。
野球部員だけが試験を受験できない。
そこで実施時期を延期するという変則的な優遇を受けている。
私が担任している高校3年○組にも2名の野球部員がいる。
その彼らはエースピッチャーと正捕手。
ゲームを組み立てられるかどうかは彼ら次第だ。
厳しい朝練習とキツイ放課後の練習で、
授業中に頭を垂れることもあるが性格的にとてもかわいいヤツラである。
担任としても、彼らの日頃の頑張りを見ているだけに学校にお願いをしてみた。
学校からお願いされることはあっても、
お願いすることは殆どない私からのお願いである。
試験監督も入っていなかったのですんなりOKがでた。
ということで、明日は午前中、高校野球の応援にいき、
午後から採点のために仕事場に向かうことにした。
しかし、よく考えてみると高校野球というのは不思議なスポーツだ。
私が不思議だと感じるのはその応援スタイルだ。
東京の場合は会場の都合により鳴り物が禁止されている野球場が殆ど。
神宮球場のような球場では
チアガールがゲームに花を沿え鳴り物の楽器で応援合戦だが、
郊外の住宅地に近い球場では、観客席もまともに無い会場もあり、
それらの会場は鳴り物や太鼓が禁止されている。もちろん、チアガールも。
常連校ほど、そのような状況は熟知していて、
大きな音がでるメガホンを巧みに使って相手校を圧倒するような応援をしている。
ちなみに明日は、駒沢球場なので鳴り物は禁止だ。
そんな応援につきものの音楽に、私は少々違和感がある。
というもの、殆ど高校野球で使用される楽曲が同じだからである。
♪ルパン♪のテーマは、
何回も映画が放映されたりしているので
万人に受け入れられることは当然のことだ。
しかしながら、
♪タッチ♪は1981年から1986年。
週刊少年サンデーに連載されテレビ放映もその辺りの年度だ。
ピンクレディーの♪UFO♪も高校野球の応援ソングの定番だが、
それは1977年にリリースされたものだ。
なんだかとっても80年代の香りぷんぷんだ。
応援スタイルも、
当時人気のあった読売ジャイアンツの応援スタイルのパクリが多い。
高校球児たちは直接、それらの歌を知る由もないであろう。
たぶん、
これらの楽曲を編曲しているのは当時の若者たちであった
部活の顧問たちかもしれない。
もちろん当時の若者の一人として私も明日応援に向かうのである。
夏の甲子園大会の予選だ。
しかしながら、勤務校では明日もまだ定期考査中。
野球部員だけが試験を受験できない。
そこで実施時期を延期するという変則的な優遇を受けている。
私が担任している高校3年○組にも2名の野球部員がいる。
その彼らはエースピッチャーと正捕手。
ゲームを組み立てられるかどうかは彼ら次第だ。
厳しい朝練習とキツイ放課後の練習で、
授業中に頭を垂れることもあるが性格的にとてもかわいいヤツラである。
担任としても、彼らの日頃の頑張りを見ているだけに学校にお願いをしてみた。
学校からお願いされることはあっても、
お願いすることは殆どない私からのお願いである。
試験監督も入っていなかったのですんなりOKがでた。
ということで、明日は午前中、高校野球の応援にいき、
午後から採点のために仕事場に向かうことにした。
しかし、よく考えてみると高校野球というのは不思議なスポーツだ。
私が不思議だと感じるのはその応援スタイルだ。
東京の場合は会場の都合により鳴り物が禁止されている野球場が殆ど。
神宮球場のような球場では
チアガールがゲームに花を沿え鳴り物の楽器で応援合戦だが、
郊外の住宅地に近い球場では、観客席もまともに無い会場もあり、
それらの会場は鳴り物や太鼓が禁止されている。もちろん、チアガールも。
常連校ほど、そのような状況は熟知していて、
大きな音がでるメガホンを巧みに使って相手校を圧倒するような応援をしている。
ちなみに明日は、駒沢球場なので鳴り物は禁止だ。
そんな応援につきものの音楽に、私は少々違和感がある。
というもの、殆ど高校野球で使用される楽曲が同じだからである。
♪ルパン♪のテーマは、
何回も映画が放映されたりしているので
万人に受け入れられることは当然のことだ。
しかしながら、
♪タッチ♪は1981年から1986年。
週刊少年サンデーに連載されテレビ放映もその辺りの年度だ。
ピンクレディーの♪UFO♪も高校野球の応援ソングの定番だが、
それは1977年にリリースされたものだ。
なんだかとっても80年代の香りぷんぷんだ。
応援スタイルも、
当時人気のあった読売ジャイアンツの応援スタイルのパクリが多い。
高校球児たちは直接、それらの歌を知る由もないであろう。
たぶん、
これらの楽曲を編曲しているのは当時の若者たちであった
部活の顧問たちかもしれない。
もちろん当時の若者の一人として私も明日応援に向かうのである。