今や「文春」は新聞不信に陥っているそうな。
他でもない、去年の暮、週刊文春が上海の日本総領事館の電信官が、中国当局のウイーン条約に違反する執拗な機密情報の提供を要求され、自殺に追いやられた事件をスクープし、中国と中国人に対する正常な認識(地球上の極悪人)を否応無しに持たされることとなったのは、命を落とされた犠牲者を悼んでも悼みきれるものではないが、彼が身を挺して「中国の危なさ」を日本人に知らしめてくれたことに頭を垂れ、ご冥福を祈ろう。
あのスクープにより、日本国外務省がこうも不甲斐ない連中の集団であるかと絶望した国民も多かったのであるが、彼らには日本が独立国家であるという自己認識(アイデンティティー)すら無いではないかと思えるほど稚拙である。国家意識がないから、同胞が中国にさんざんコケにされた挙げ句自殺に追いやられても、「仇討ち」の一つもしてやるかなどという気は、殆ど起こらないものと見える。何とも情けないことである。超ど級エリート乳幼児集団である。これが、被占領国憲法で骨抜きにされてしまった日本人の実態である。栗山尚一氏の論文などに感銘を受ける輩は、さっさと辞表でも出したほうが「御国」のためになるのだ。
ところで、文春の4月13日号の記事に、「上海領事自殺 慟哭の遺書 これでもシラを切る鉄面皮・中国」というのがあって、興味深く読ませてもらったのであるが、「新たな情報戦を仕掛ける中国」について、語られている。一部を抜粋してみよう。
遺書の文面が明らかになった三月三十一日(この日に読売新聞が自殺した職員の遺書をスクープした)、中国政府は秦剛外交部報道官を通じて、日本を非難した。「元在上海日本総領事館職員の自殺事件と中国政府は無関係だ。我々の調査によると、中国政府職員が自殺者を『脅迫』したというようなことはない。自殺者が生前どのような者と接触していたかについても中国側は掌握していない。日本政府高官(安倍晋三官房長官)のいわれのない非難に憤りを表明するとともに、中日関係の雰囲気を壊すような事件を次々に起こすのをやめるよう日本側に求める」。
このように、言語道断なことを堂々と言ってのけるのが、中国である。こんな国へ「栗山キャラクター(チャイナスクール卒業生)」が出向いて行けば、どのように「料理」されるか、中学生でも理解できるであろう。
また、中国政府に詳しいジャーナリストの弁として、「日本側からの抗議と事実究明の申し入れを受けて、中国政府はA領事と接触ていた人物を調査、特定している。その後の処理は不明だが、調査結果は日本側に伝えている」にも拘わらず、中国側は「すべて総領事館内で起きた出来事。自殺したのも総領事館の中だった」との姿勢を貫いている。
そして、文春の取材に対して「こんな読売の報道は、日本人が恥をかくだけだ。北京の日本人外交官は皆カラオケスナックに来ているし、お気に入りのホステスがいる。中国に愛人がいる外交官だってたくさんいる。どの国の外交官も工作を仕掛けたり、仕掛けられたりしている。(女性問題が原因で罠に嵌まる様子を)詳細に報道すれば、日本人が恥をかくだけでしょう」とある中国政府関係者は、嘯いたそうである。
以上は、「日中友好」などという甘い認識で中国へ出かけていき「外交戦争」戦争に敗れた責任も日本側にもある。しかし、同じ轍を二度と踏まないようにすべきであろう。
ところが、本当に糾弾しなければならないのは、外務省の愚劣さであろう。「外務省は『犯人探し』に躍起」になっているのだという。
耳を疑うような話であるが、「何の犯人」かというと、事もあろうに、自殺したA職員の遺書を誰がリークしたのか躍起になって、探しまわっているのだという。 探し当てて、犯人を「懲戒免職」にでもするつもりなのか?。誠にもって、本末転倒の極みである。「緘口令」実は責任者の保身の手段に背いたのは誰だということらしい。ここまでくれば、政治主導で、いわゆる「害務省」を粛清するしか方法はなかろう。
簡単なものごとに喩えれば、ひき逃げにあって殺された我子に、ひき逃げした加害者が悪いとは言わず、「お前が悪いからひき逃げされたのは当然」と言ってのける親の姿である。こんな親がこの世に存在して良い分けが無い。
今回このA領事の遺書が読売新聞によって、スクープされたタイミングというのも、実に絶妙であった。橋本元首相が得意満面に中国に出向いて胡錦濤から、馬鹿の一つ覚えの例の訓示「首相の靖国参拝は中国の皇帝が許さぬ」を額づいて拝聴している最中であった。彼は、畏れ多くも「ハハー」と応えたのであろうか。
ここに来て、日本民族の意地が「いとかしこき神通力」を誘発するようになったとはあり難いことである。
この事件の顛末については「読売新聞」も熱が入っている。中国は卑劣な国であることは論を待たないが、日本サイドの事件に対する認識(外務省が国難と認識できていたか)とか、どうして首相サイドへこの重大事件が情報伝達されることなくやり過ごされたかなど、取材を通して真相に迫っている。
この不祥事のホンボシは「二橋官房副長官」ということである。彼は、読売新聞の取材に対して、「個別の事案にはお答えできない。この問題については何度も記者会見で答えており、改めて話すつもりはない」と開き直ったという。
後は、政治家の「政治力」に問題解決が託されているのである。
他でもない、去年の暮、週刊文春が上海の日本総領事館の電信官が、中国当局のウイーン条約に違反する執拗な機密情報の提供を要求され、自殺に追いやられた事件をスクープし、中国と中国人に対する正常な認識(地球上の極悪人)を否応無しに持たされることとなったのは、命を落とされた犠牲者を悼んでも悼みきれるものではないが、彼が身を挺して「中国の危なさ」を日本人に知らしめてくれたことに頭を垂れ、ご冥福を祈ろう。
あのスクープにより、日本国外務省がこうも不甲斐ない連中の集団であるかと絶望した国民も多かったのであるが、彼らには日本が独立国家であるという自己認識(アイデンティティー)すら無いではないかと思えるほど稚拙である。国家意識がないから、同胞が中国にさんざんコケにされた挙げ句自殺に追いやられても、「仇討ち」の一つもしてやるかなどという気は、殆ど起こらないものと見える。何とも情けないことである。超ど級エリート乳幼児集団である。これが、被占領国憲法で骨抜きにされてしまった日本人の実態である。栗山尚一氏の論文などに感銘を受ける輩は、さっさと辞表でも出したほうが「御国」のためになるのだ。
ところで、文春の4月13日号の記事に、「上海領事自殺 慟哭の遺書 これでもシラを切る鉄面皮・中国」というのがあって、興味深く読ませてもらったのであるが、「新たな情報戦を仕掛ける中国」について、語られている。一部を抜粋してみよう。
遺書の文面が明らかになった三月三十一日(この日に読売新聞が自殺した職員の遺書をスクープした)、中国政府は秦剛外交部報道官を通じて、日本を非難した。「元在上海日本総領事館職員の自殺事件と中国政府は無関係だ。我々の調査によると、中国政府職員が自殺者を『脅迫』したというようなことはない。自殺者が生前どのような者と接触していたかについても中国側は掌握していない。日本政府高官(安倍晋三官房長官)のいわれのない非難に憤りを表明するとともに、中日関係の雰囲気を壊すような事件を次々に起こすのをやめるよう日本側に求める」。
このように、言語道断なことを堂々と言ってのけるのが、中国である。こんな国へ「栗山キャラクター(チャイナスクール卒業生)」が出向いて行けば、どのように「料理」されるか、中学生でも理解できるであろう。
また、中国政府に詳しいジャーナリストの弁として、「日本側からの抗議と事実究明の申し入れを受けて、中国政府はA領事と接触ていた人物を調査、特定している。その後の処理は不明だが、調査結果は日本側に伝えている」にも拘わらず、中国側は「すべて総領事館内で起きた出来事。自殺したのも総領事館の中だった」との姿勢を貫いている。
そして、文春の取材に対して「こんな読売の報道は、日本人が恥をかくだけだ。北京の日本人外交官は皆カラオケスナックに来ているし、お気に入りのホステスがいる。中国に愛人がいる外交官だってたくさんいる。どの国の外交官も工作を仕掛けたり、仕掛けられたりしている。(女性問題が原因で罠に嵌まる様子を)詳細に報道すれば、日本人が恥をかくだけでしょう」とある中国政府関係者は、嘯いたそうである。
以上は、「日中友好」などという甘い認識で中国へ出かけていき「外交戦争」戦争に敗れた責任も日本側にもある。しかし、同じ轍を二度と踏まないようにすべきであろう。
ところが、本当に糾弾しなければならないのは、外務省の愚劣さであろう。「外務省は『犯人探し』に躍起」になっているのだという。
耳を疑うような話であるが、「何の犯人」かというと、事もあろうに、自殺したA職員の遺書を誰がリークしたのか躍起になって、探しまわっているのだという。 探し当てて、犯人を「懲戒免職」にでもするつもりなのか?。誠にもって、本末転倒の極みである。「緘口令」実は責任者の保身の手段に背いたのは誰だということらしい。ここまでくれば、政治主導で、いわゆる「害務省」を粛清するしか方法はなかろう。
簡単なものごとに喩えれば、ひき逃げにあって殺された我子に、ひき逃げした加害者が悪いとは言わず、「お前が悪いからひき逃げされたのは当然」と言ってのける親の姿である。こんな親がこの世に存在して良い分けが無い。
今回このA領事の遺書が読売新聞によって、スクープされたタイミングというのも、実に絶妙であった。橋本元首相が得意満面に中国に出向いて胡錦濤から、馬鹿の一つ覚えの例の訓示「首相の靖国参拝は中国の皇帝が許さぬ」を額づいて拝聴している最中であった。彼は、畏れ多くも「ハハー」と応えたのであろうか。
ここに来て、日本民族の意地が「いとかしこき神通力」を誘発するようになったとはあり難いことである。
この事件の顛末については「読売新聞」も熱が入っている。中国は卑劣な国であることは論を待たないが、日本サイドの事件に対する認識(外務省が国難と認識できていたか)とか、どうして首相サイドへこの重大事件が情報伝達されることなくやり過ごされたかなど、取材を通して真相に迫っている。
この不祥事のホンボシは「二橋官房副長官」ということである。彼は、読売新聞の取材に対して、「個別の事案にはお答えできない。この問題については何度も記者会見で答えており、改めて話すつもりはない」と開き直ったという。
後は、政治家の「政治力」に問題解決が託されているのである。