持ち主は、バースイヤーの楽器には、特別な思いを持つものだ。クラックや汚れを「自分と同じだけ年齢を重ねてきた結果」だなんて思ったりしてね。だけど、青柳さんが生まれた1966年辺りから、ちょっと、注意が必要になってくる。この時代のエレクトリックは、まだ、いい。ストラトも、テレキャスターとよだれが出るほど欲しい。だけど、アコギは、「?」。マーチンは、ギリギリ許容であるが、ギブソンは、「△」。ネックは、ナローで、ベッド角は緩い。木材は、時代を経ているので、乾いた鳴りしても、63年位の音とは明らかに違うものだ。しかし、時代はさらに進む。10年後の70年代ともなれば、楽器は、お粗末な限りになってくる。特に、時代の要請とはいえ、この頃のフェンダーの楽器のアッシュ材の重さといったら、弾き手の「演奏しよう」という気持ちを失わせるのに十分であると60年代中期生まれの青柳さんは思う。ここで問いたい。70年代中期以降に生まれたプレイヤーは、「バースイヤーの楽器」に価値を見出だしているのか。そして、価値を見出だしているのであれ
ば、どの位の思いであるのか。本来、自分と同い年の楽器をどんな年代に生まれた人でも、舞台、スタジオて弾きまくる事ができたら、こんなに素晴らしいことはないのだが。。。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信
ば、どの位の思いであるのか。本来、自分と同い年の楽器をどんな年代に生まれた人でも、舞台、スタジオて弾きまくる事ができたら、こんなに素晴らしいことはないのだが。。。路上音楽情報紙ダダ・青柳文信