今回の記事のBGMには、劇場アニメ『ガンダムOO(ダブルオー)』のOSTから「Final Mission」がいいんじゃないかな。単にタイトルで決めただけだけど。
特にスピ系で、こんな質問がある。
あなたに残された時間があと1日(別に1週間でも1カ月でもいいけど)だとしたら、その時間であなたは何をしますか?
これは「自分のやりたいことがわからない」「自分のミッション(=ここでは「人生の目的」といった意味)を知りたい」という時、この質問に答えることによって、それがわかる、というもの。
で、私もこの質問について考えて、しばらく前にその答を出した。その後も折に触れて同じ質問について考えるのだが、その答は今も変わっていない。
その答は──
残された時間の全てを費やして自分で自分の体を治療し、そのリミットを超えても生きていられるようにする。
この答が出た瞬間は、思わず笑ってしまったね。まさかこれが俺の答だったとは(笑)!と。
勘違いしないでほしいのだが、この答をもって「俺は治療するために生まれてきた」とか「治療が俺の天命だ」などとバカなことを言いたいのではない。そもそも、この質問の本来の趣旨は、
自分の命が残り少なくなった時、あなたはその最後の時間で周りの人たちに何をしてあげたいか/何を与えたいと思うのか?
ということだからだ。つまり「自分がこの世で行う最後のご奉公」について問うているわけで、そのことが十分わかった上で出てきたものが、
残された時間の全てを費やして自分で自分の体を治療し、そのリミットを超えても生きていられるようにする。
という、自分のことしか考えていない「周りの人間も社会も全部クソ喰らえ」という答だったことに笑ってしまった、というわけ。
ついでに言うと、なぜ「自分で自分の体を治療し」で「医者(あるいは別の誰か)に治療させ」じゃないのかというと、自分が治療家だからというのもあるけど、それ以上に私が他人を信じていないから、ということを表している。
最初にこの答を出した時に比べると、この「他人を信じられない」というのはずいぶん少なくなったと思うけど、上にも書いたように今もこの答自体は変わっていないことからすると、自分の基本的なスタンスは当時と大きくは変わっていない、ということだ。
この答を得る前から薄々わかっていたことではあったけれど、この答に辿り着いたことで、私は自分が社会に貢献するとか世の中をよくするとかを目的に生きてるんじゃない、ということをハッキリと知ることができた。その意味では、あれはとてもいい質問だと思う。
で、その質問に対する答を更に続けると、もし時間ギリギリまで治療しても結局、残り時間を延ばすことができなかったとしたら、それはつまり「自分は所詮、その程度の治療家だった」ということを自ら証明したことになる。
でも、私はそれはそれでいいと思うのだ。だって世の中の大半の連中は、自分の持つ器の大きさすらわからずに死んでいるのだから。
そして、もし仮に治療によって残り時間を延ばせたとしたら──それを臨床で使ったり、こうやってブログにでも書こうか。もしかしたら、それを読んだ人の中に内容を正しく読み解くことができる人がいれば、その人の周囲という小さな範囲で何かが変わるかもしれない。けれども、それは私にはどうでもいいことだ。
そういえば私、ポツリポツリとセミナーをやっていて、今度、愛知でもキネシオロジーについてやるんだけど、そういうセミナーについても同じことが言える。
ネットなどで見ると、治療のセミナーに限らず多くのセミナーは、主催者が自分の持っている優れた知識や技術を広めて、世の中を変革したい、という志をうたっているものが多いが、少なくとも私のセミナーは違う。
本当は自分の技術を公開などしたくなどないし、もちろん、そんなもので世の中が変わるなどとも思っていない。ではなぜセミナーをやるのかといえば、それは単に「治療院が儲かってないので、技術を切り売りして糊口をしのぐしかない」からだ。
つまり、私がセミナーをやるのは、社会貢献のためでも世の中を変えるためでもなく、要はカネのためね。
さて、読んでいて胸くその悪くなった人も少なからずいると思うので、今回はこの辺で終わることにする。けど1つ宿題(といっても、やったかどうかチェックしたり発表させたりなんてしないけど)。あなたも次の質問に自分なりの答を出せ。
あなたに残された時間があと1日(別に1週間でも1カ月でもいいけど)だとしたら、その時間であなたは何をしますか?
その事に気付いてから私は身近なひとや親に仕事の話をするのを辞めました、特に勉強になったのが震災でした、ある人がいいました、<儲けているから募金できんだよ>その当時
金額の大小は関係ないと思ってましたが、実際にテレビで有名人やお金もっている人がどうではなく金額の大きい募金しましたって内容ばかり報道されてました、コンビニで少なからずとも募金してくださった方もたくさんいらっしゃったはず、しかし金額の大きい募金を誰々さんがしましたとばかりテレビで報道されるだけでした、お金を稼ぐことは悪いことてはなかったです、お金があるからこそ募金ができるから、私はその金を使って何をするかだと思います、偽善者ぶるなら毎回せじゅつ代を無料にすべきだとおもいますし、だがしかし多くは出来ないです、何故ならば私自身もそうでしたが自分が潤っていなければ他人を潤すことなどできないです、震災の時でしたが私は周りに対して片付けを手伝ったり、学校や被災地というか近所が被災していたのでご近所付き合いをかねてよくマッサージをしたり家具の片付けや家の掃除を手伝ってました、皆さん私に落ち着いたら顔出すねとよく言ってくださってました、ある人は涙を流しながら喜んでたり感謝してくれました、当時は素直に嬉しかったです、私は内心、いいことしたからうちに来てくれるだろうと打算的なことを考えてたりもしました、私の院も被災していたので昼は知らない人の家にいき手伝い、夜は懐中電灯で照らしながら、自分の院の片付けを毎日してました、段々周りが落ち着いてきて、罹災証明というのも発行されていたので療養費も無料になってましたのでご近所の方々もうちに来てくれるだろうと淡い期待もありました、しかし現実は殆ど誰も来ませんでした、更に他の治療院や病院に何事もなく通ってたみたいでした、コンビニなどでたまたま手伝った家の方とあってもそ知らぬ顔もされました、その時
淡い期待を抱いていた自分のバカさに気づきました、そればかりか他の患者さんを治療している最中に私に終わったらまた手伝いに来てくれといってくる方もいまして、私はちょっと今日は難しいと伝えると、うちの治療に来たこともないその方は私に対して他の家には手伝いにいったと聞いたが貴方はうちにこない薄情なやつだな言われました、 僕は当時色々な人から評価されたいと思っていたし認められたいと思っていました、しかし現実は薄情なやつの一言です、僕はその方に全否定された気分でしたし、その時治療にこられていた患者さんもすぐに来なくなりました、お金がないのが惨めでしたし、薄情なやつとレッテルを張られてしまいその日以降から僕は自分を必要としてくれるひとだけに全力を注ぐようになりました、患者さんは平等だとおもっていたのですが、実際は全然違いました、私は先生の気持ちがいまわかります、お前と一緒にするなと言われればそれまでですが、私などよりも先生は素晴らしいテクニックをお持ちですし本も翻訳なさっておられるという素晴らしいブランドもあります、もし仙台などでセミナーをなさる際や他の地域でも考えていらっしゃってその際集客にお困りでしたらご相談ください、わたしが集客のお手伝い致しますよ、勿論初回は無料でさせていただきます、私は先生がもっとヒノメをみれる方と思っております、それとお時間ありましたら、多賀城丸の二年前のどん底というアメブロの秘密ありますので読んでみてください、批判する人間に成功したのはいない有名になるのはいつも
批判されるがわです、コペルニクスが地動説を唱えた時無能な学者たちはあざ笑った しかし今はどうなってますかね?、また来ます、
私のブログは他の人と比べて文章が長いと思ってますが、その本文を上回る長文のコメント、ありがとうございます。相変わらずアツいですね。
ウチの内情は本文に書いたとおりなので、可能なら仙台でもセミナーをやってみたいです。その際は、川村先生のやるCBSセミナーと内容がダブっても意味ないので、バイオダイナミックなクラニオとかになると思いますが、需要ありますかね?
この件はまた、ご相談させていただきます。
それはそうと、アニメ『銀の匙』始まりますね。モデルとなった高校は志願者が激増だとか。やはりメディアの力は強い!
今まで生きてきた中で唯一飽きなかったこの仕事は面白いです
「やりがい」とか「生きがい」というご大層なものではなく
与えられた玩具の中で一番面白いという感覚かもしれません
ちなみに私がセミナーをしないのは(主催したことはあります)私自身の施術に普遍性がなく理解できる人がいないだろうことと、引き合いがないことが理由です
お金は欲しいんですけどね
翻り、自分の事を一番に考えるのはチョータイセツだとオシャカ様も仰ってますし、私は先生の考えは大肯定です。
自分の力でどうにかできる可能性がある状況(病気・けが)
なのか
自分の力でどうにかできる可能性がない状況(天災等)
なのかによって答えが変わってくるのではないですかね?
ちなみに前者の場合だと、治療家であれば自分で治そうとするのはごく普通の答えだと思います
後者の場合だと…まあ、その時の自分のやりたいことをやる、ってとこでしょうか
あれ?どっちにしてもやりたいことをやるってことか?笑
ありがとうございます。
7月から愛知で3回シリーズのキネシオロジー・セミナーをやるので、その結果なども踏まえて、またご連絡します。
よろしく。
>たぶん最期に一日もいつものように仕事してそれが終わったらその日を反芻しながら酒を飲むんだろうと思います
実に自然体で、素敵な答です。惚れ惚れしますね~(私に言われて嬉しいかどうかはともかく)。
>与えられた玩具の中で一番面白いという感覚かもしれません
全く同感です。ただ私の場合、遊び相手が少ないので、もっとたくさんの人と遊びたいな、と思うのです。
>翻り、自分の事を一番に考えるのはチョータイセツだとオシャカ様も仰ってますし、私は先生の考えは大肯定です。
ありがとうございます。
ただ今は「自分の事を一番に考える」というより、「人のことなんか考えてられない」というのが正しいような状態です。