深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

「医」のパースペクティヴ

2008-03-02 23:43:59 | 一治療家の視点
朝日新聞の2/26(火)の国際面に「女優殺した中医学」という見出しの記事があった(見出しは版で異なるかもしれない。この見出しは13版のもの)。記事の要旨は…

中国の国民的女優の1人だった陳暁旭が、西洋医学の治療を受けることを拒否し続け、乳癌で死亡した。父は「娘は中医学(中国医学)こそが自然な医療だと信じ込んでいた。早く化学療法を受ければ助かっていた」と語り、その死から数日後には、中南大学の教授が「(中医学は)世界の医学的進歩から取り残された、神懸かり的迷信」とネット上に書き込み、更に中国科学院の研究員が「陳暁旭は中医学に殺された」と雑誌で論評。それが契機となって、中医学に対する批判派と擁護派による論争が展開されている。なお中国政府は「国民に愛された女優の死を利用した中医学攻撃は、不謹慎の極み」と中医学擁護の論陣を張っている。というのも、中国政府にとって中医学は重要な「輸出資源」だからで、実際に漢方薬の輸出額は過去最大を更新している。

…というもの。

中国では、共産党が主に地方の労働者層を権力基盤としてきたこともあって、高価な機材を必要とする西洋医学的な医療ではなく、安価な中国伝統医学に基づく医療やその研究を奨励してきた。その最大の成果といえるのが鍼麻酔であり、外科医が患者と談笑しながら手術を行っている映像は世界に衝撃を与え、共産党政権の思惑通り、中医学の水準の高さを世界にアピールすることになった。その後も中国では、中医学を修めた中医と西洋医学を修めた西医が共同で患者の治療に当たる仕組みを作るなど、伝統医学的な方法論を医療現場で実践するシステムでは、世界に先駆けたものを持っている──と私は思っていたのだが、その中国もやっぱり中医学を巡る状況はこんなレベルでしかなかった、ということだ。

面白いのは、仮にこの陳さんが逆に西洋医学一辺倒の人で、抗癌剤などを含めた西洋医学的な方法論に特化した治療を受け、それで亡くなったとしても、誰も「陳暁旭は西洋医学に殺された」とは書かなかっただろうと、ということだ。それは恐らく日本でも、あるいは欧米でも同じだろう。中医学のみならず、カイロプラクティック、オステオパシー、ホメオパシーなど、世界的に伝統医学、代替医療というものが見直され、注目されつつあるけれども、医の主流は西洋医学であって、その地位は揺るぎない──これまでも、そして多分これからも。

いや、誤解しないでほしい。私はそれが間違っているなどと言いたいのではない。鍼灸師の中には、中国のように、いつか医師と肩を並べて患者の治療に当たる日が来ることを夢見ている人もいるし、ほんの一部だが、そのような試みも始まってはいる。しかし私は、伝統医学、代替医療が「医」の世界の辺境にある今の状況は決して嫌いではない。私は治療家になったし、治療家であることを望んでいるが、医師になりたいと思ったことはない。「医」の世界の中心でしかできないことがあるように、「医」の辺境でしかできないこともあるのだ。むしろ「医」の辺境にあって、影のように中心部にその存在をジワジワと意識させられるなら、そっちの方が少なくとも私にはずっと面白い。

そもそも西洋医学と代替医療は、互いが互いの半身のような存在で、本来はどちらが欠けても完全な存在にはなり得ないものなのではないだろうか。その一方を批判することは、もう一方をも同じように批判していることになる。例えば、伝統医学、代替医療には科学的根拠が乏しいと批判されることが多いが、西洋医学には本当にそれほど確かな科学的根拠なるものがあるのだろうか。経験則の寄せ集めでしかない医学や医療は、せいぜい「猫が顔を洗っているから、明日は雨だろう」の世界でしかなく、彼らが「西洋医学は科学だ」と言っても、それは所詮その程度のことを科学と呼んでいるに等しい。

そういうわけで西洋医学と代替医療は、そのどちらを選ぶかという二者択一のような性格のものではなく、それぞれのいいとろころを組み合わせて取り入れていくのが、本来のあり方だと思う。しかし、人生のギリギリのところで何をどう選ぶか、というのは、その人の生き方の問題なので、他人がとやかく言えることではない。中医学に全てを賭けた陳さんは、自分の生き方のスジを通したと言えるわけで、それはそれで納得のいく死だったのではないだろうか。朝日新聞の記事には

07年2月、私財を投じて貧しい人たちの教育や医療を援助する基金を設立し、仏門に入った。深圳の道場で修行を続けたが、4月には起きあがれれなくなり、5月18日、42歳の生涯を終えた。

とある。

え、私ですか? 私はギリギリまで自分の体は自分で治療したいですね。西洋医学の助けはできるだけ借りたくありません。父親が癌で亡くなった時の経験や、ウチに来ている何人かの患者の話を聞くと、病院に行ってもいいことないな、と思いますから。ま、こういう仕事してるので、できるだけ国の医療費を増やさないように考えますわ。

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2 コメント

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Unknown (receptor)
2008-03-03 17:57:07
カイロプラクティック神経学を習っていたとき講師の先生が、「1992年のBJMの論文:西洋医学の業務の15%だけが科学的に有効であると立証されているに過ぎない。」ってことある事に言っていたなぁ~

僕も代替医療でいいな!無理して長生きしてもろくなもんじゃない(笑)死ぬ瞬間に、アカシックレコード観れたらそれで良い(笑)
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「科学的」の胡散臭さ (sokyudo)
2008-03-04 10:43:08
receptorさん、コメントありがとうございます。

どうも「科学的」という言葉に、何とも言えない胡散臭さを感じてしまう今日この頃です。

>死ぬ瞬間に、アカシックレコード観れたらそれで良い(笑)

私も死期が近づいたらシュタイナーの『神智学』を読み返したいと思ってます。それまでわからなかったところがパアーっとわかるようになるンじゃないか、ということを期待して。

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