「目標は紙に書けば実現する」という言葉があり、私も何年か前からそれをやっているのだが、書いた目標が一向に実現しない。ウチの治療室は12/29で年内の治療を終えたが、今年も目標は実現できなかった──と思って紙を見たら、実現していた。実際に紙に書いた通りになっていたのだ。が、それは「そういう意味で書いたんじゃないんだけどな~」というものだった。つまり、紙に書いた通りにはなったが、本来の目標とはほど遠い形で終わった、ということ。目標を書くって難しい…。
目標/願望というのは、さまざまな条件や背景の中で「こうしたい、こうなりたい」と思っていることを簡潔にまとめるのだが、簡潔化する過程で、本来あったはずの条件や背景が、いつの間にか見えないところに追いやられてしまうことが、往々にして起こり得るのだ。例えば、「1年後に売り上げ××円達成」といった目標を立てた場合、もちろんそこには「正当に商売をして」ということが、見えない前提条件として入っている。しかし、「1年後に売り上げ××円達成」という目標だけしか見なくなって(あるいは、見えなくなって)いくと、その前提条件が失われ、極端な話、「売り上げ増のためには、何をしてもかまわない」という方向に行ってしまう可能性もある。それを私は、勝手に「目標/願望設定の罠」と呼ぶことにした。
思えば、今年は何か、そんな「目標/願望設定の罠」を強く感じた年だった。例えば、年明け早々、社長始め幹部が次々に逮捕された「ライブドア事件」。この事件は社長だったホリエモンとその側近だった元幹部の言い分が真っ向から食い違っているため、実際に会社上層部で何が起こっていたのかはわからないが、「株価総額世界一」を目標に掲げ、それを実現しようとしていく中で、「本当はそんなつもりで、こういう目標を掲げたわけじゃないのにな~」という方向に進んでいってしまったのではないかと思う。
成功哲学で有名なナポレオン・ヒルが記した「富を手に入れるための6箇条」の中に、こんな1条がある。
達成したいと望むものを得るために、あなたはその代わりに何を“差し出す”のかを決めること。この世界には代償を必要としない報酬など存在しない。
私はずっとこの1条が本当のところ、何を意味しているのかわからなかったが、ここに来て、これは「『目標/願望設定の罠』に陥らないようにせよ」ということを言っているのではないか、と思うようになった。
あなたは、W.W.ジェイコブズの短編『猿の手』を知っているだろうか。これは怪奇小説の古典として名高いので、たとえオリジナルの『猿の手』は知らなくても、そのヴァリエーションは知っていると思う。一応、以下にその『猿の手』のストーリーを書き記すので、ネタバレされるのがイヤなら、まずそれを読んでほしい(例えば、創元推理文庫から出ている、平井呈一の編んだ短編集に収められている)。
----------------------8<---------------------8<---------------------
物語は、主人公の男がある人から猿の手のミイラを譲り受けるところから始まる。その手には、ある魔術がかけられていて、3つの願いを叶えてくれるのだと。しかし、その元の所有者(彼もまた、その猿の手によって3つの願いが叶ったという)は決して幸せそうには見えなかった。
男はもらった猿の手を家に持ち帰り、妻と一人息子にその話をする。そして、3人は半信半疑のまま、その猿の手に第一の願いをする。「お金がたくさん欲しい」と。
次の日、一人息子が仕事中に事故死し、会社から多額の弔慰金が出る。第一の願いは確かに叶えられたのである。
息子の死ですっかり気落ちしていた妻は、葬儀の後、猿の手のことを思い出し、それに願う。「息子を生き返らせてくれ」と。それが猿の手への二番目の願いだった。
真夜中にドアを叩く音を聞き、男とその妻はそれが意味するものを直観的に悟る。ドアを開けようとする妻を押し留めながら、男はついに猿の手に第三の願い事をするのだ。「どうか息子を元通り死なせてやってくれ」と。
そして、妻がついにドアを開けた時、そのドアの向こうには、ただ夜の闇だけが広がっていた。
---------------------->8--------------------->8---------------------
猿の手は、確かに3つの願いを叶えてくれた。しかし、そこには考えられる最悪の代償が待っていた…というお話。もちろん、これはただの作り話だが、現実の世界でも、例えば宝くじで当たった人の8割くらいが、その後、家庭が崩壊したり、職場に居づらくなって辞めざるを得なかったりと、悪いことが起こり、こんなことなら当たらない方が良かったと思っている、といった統計結果もある。さて、あなたなら猿の手に何を願うだろうか?
ところで、この猿の手、「これからする私の全ての願いを叶えてくれ」などといった“メタ願望”は受け付けてくれるのだろうか? だが仮に受け付けてくれても、そこにはやはり「考えられる最悪の代償」が待っているだろうから、やはりそんなことはお願いしない方がいいような気がする。
さて、そろそろ私も新しい年の新しい目標と願望を決めようと思う。だがその前に、そのために何を差し出すかを決めなければ…
目標/願望というのは、さまざまな条件や背景の中で「こうしたい、こうなりたい」と思っていることを簡潔にまとめるのだが、簡潔化する過程で、本来あったはずの条件や背景が、いつの間にか見えないところに追いやられてしまうことが、往々にして起こり得るのだ。例えば、「1年後に売り上げ××円達成」といった目標を立てた場合、もちろんそこには「正当に商売をして」ということが、見えない前提条件として入っている。しかし、「1年後に売り上げ××円達成」という目標だけしか見なくなって(あるいは、見えなくなって)いくと、その前提条件が失われ、極端な話、「売り上げ増のためには、何をしてもかまわない」という方向に行ってしまう可能性もある。それを私は、勝手に「目標/願望設定の罠」と呼ぶことにした。
思えば、今年は何か、そんな「目標/願望設定の罠」を強く感じた年だった。例えば、年明け早々、社長始め幹部が次々に逮捕された「ライブドア事件」。この事件は社長だったホリエモンとその側近だった元幹部の言い分が真っ向から食い違っているため、実際に会社上層部で何が起こっていたのかはわからないが、「株価総額世界一」を目標に掲げ、それを実現しようとしていく中で、「本当はそんなつもりで、こういう目標を掲げたわけじゃないのにな~」という方向に進んでいってしまったのではないかと思う。
成功哲学で有名なナポレオン・ヒルが記した「富を手に入れるための6箇条」の中に、こんな1条がある。
達成したいと望むものを得るために、あなたはその代わりに何を“差し出す”のかを決めること。この世界には代償を必要としない報酬など存在しない。
私はずっとこの1条が本当のところ、何を意味しているのかわからなかったが、ここに来て、これは「『目標/願望設定の罠』に陥らないようにせよ」ということを言っているのではないか、と思うようになった。
あなたは、W.W.ジェイコブズの短編『猿の手』を知っているだろうか。これは怪奇小説の古典として名高いので、たとえオリジナルの『猿の手』は知らなくても、そのヴァリエーションは知っていると思う。一応、以下にその『猿の手』のストーリーを書き記すので、ネタバレされるのがイヤなら、まずそれを読んでほしい(例えば、創元推理文庫から出ている、平井呈一の編んだ短編集に収められている)。
----------------------8<---------------------8<---------------------
物語は、主人公の男がある人から猿の手のミイラを譲り受けるところから始まる。その手には、ある魔術がかけられていて、3つの願いを叶えてくれるのだと。しかし、その元の所有者(彼もまた、その猿の手によって3つの願いが叶ったという)は決して幸せそうには見えなかった。
男はもらった猿の手を家に持ち帰り、妻と一人息子にその話をする。そして、3人は半信半疑のまま、その猿の手に第一の願いをする。「お金がたくさん欲しい」と。
次の日、一人息子が仕事中に事故死し、会社から多額の弔慰金が出る。第一の願いは確かに叶えられたのである。
息子の死ですっかり気落ちしていた妻は、葬儀の後、猿の手のことを思い出し、それに願う。「息子を生き返らせてくれ」と。それが猿の手への二番目の願いだった。
真夜中にドアを叩く音を聞き、男とその妻はそれが意味するものを直観的に悟る。ドアを開けようとする妻を押し留めながら、男はついに猿の手に第三の願い事をするのだ。「どうか息子を元通り死なせてやってくれ」と。
そして、妻がついにドアを開けた時、そのドアの向こうには、ただ夜の闇だけが広がっていた。
---------------------->8--------------------->8---------------------
猿の手は、確かに3つの願いを叶えてくれた。しかし、そこには考えられる最悪の代償が待っていた…というお話。もちろん、これはただの作り話だが、現実の世界でも、例えば宝くじで当たった人の8割くらいが、その後、家庭が崩壊したり、職場に居づらくなって辞めざるを得なかったりと、悪いことが起こり、こんなことなら当たらない方が良かったと思っている、といった統計結果もある。さて、あなたなら猿の手に何を願うだろうか?
ところで、この猿の手、「これからする私の全ての願いを叶えてくれ」などといった“メタ願望”は受け付けてくれるのだろうか? だが仮に受け付けてくれても、そこにはやはり「考えられる最悪の代償」が待っているだろうから、やはりそんなことはお願いしない方がいいような気がする。
さて、そろそろ私も新しい年の新しい目標と願望を決めようと思う。だがその前に、そのために何を差し出すかを決めなければ…
あのエドガー・A・ポーは、自分の実体験をベースにして作品を書いたと伝えられています(だとしたら、とんでもない体験をしてきた人ですね)が、ジェイコブズの場合はどうなんでしょう。
「ある人が、3つの願いを叶えてくれる何かを手に入れ、それによって破滅していく」という話は非常に多く、もしかしたら、それは『猿の手』がオリジナルなのではなく、『猿の手』自体も、ジェイコブズが耳にした、そうした伝承を小説化しただけなのかもしれません。
そして、「火のないところに煙は立たぬ」ということからすると、実際に似たような出来事が過去にあった?とも考えられます。案外、「猿の手」は我々の身近にあったりして…
「猿の手」ってナニかのメタファーなんですかね。
私はこわくて願えませんので、
「絶対願いが叶わないようにしてほしい」って
お願いして猿?を困らせて満足します(笑)