深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

横溝作品を映像化するということ

2006-12-24 18:34:25 | 趣味人的レビュー
自分でもバカだなぁ…と思いつつ、市川昆監督のセルフ・リメイク版『犬神家の一族』を観に行ってきた。が、これなら旧作を再編集して『ディレクターズ・カット版』とでもして上映した方が、よかったのではないか? カネもかからず、それなりの観客動員は可能だろうから。とにかく『犬神家』を30年前と全く同じように──一部キャストもそのまま、脚本もほぼ前回通り──撮るという、その意味がよくわからない。それとも制作者側は、市川昆監督+金田一モノなら、それだけで観客が動員できる、とでも考えたのだろうか? だとしたら、客もなめられたもんだ(と書きながら、カネを払って観に行ったオイラって一体??)。

ところで、横溝正史作品はよく“おどろおどろしい”と形容されるけれど、これまでいくつも映画、テレビで映像化された横溝作品を見てきたが、ただの1本にも、その“おどろおどろしさ”の片鱗でも感じさせてくれたものはなかった。よく作品レビューで「横溝正史の作品だけに、おどろおどろしかった」と書かれているものを見かけるが、具体的にどこのどんなシーンがおどろおどろしかったのか聞いてみたい気がする。

私が初めて横溝正史の小説を読んだのは、中学2年の夏のこと。私が住んでいた田舎に1軒だけある本屋に、ある日「ザッツ・エンターテイメント」という帯を付けた角川文庫がズラリと並んだ。当時の私は、この「エンターテイメント」という言葉の意味すらよくわからなかったが、何か新しい試みをやっているということは伝わった。そして、その中に横溝正史の一連の作品も入っていた。市川昆の映画『犬神家の一族』が公開される少し前だったと思う。迷った末に私が選んだのが『悪魔の手鞠歌』。アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を読んだばかりだったこともあって、「歌による見立て殺人」という題材に惹かれたのが理由だった。

ミステリは大好きで、洋ものを中心に──ちょうどハヤカワ・ミステリ文庫の刊行が始まった頃でもあった──かなりの数を読んでいたが、『悪魔の手鞠歌』はとてつもなく怖かった。夜読んでいると、妙に後ろが気になるのだが、どうしても振り向くことができない、といった感じを何度も味わった。ミステリを──いや、ミステリに限らないが──読んで、あれほどの怖さを感じたのは、私が記憶する限り、あの時だけだけだ。何があれほど怖かったのかは、今となっては説明できない。それでも、あれが“おどろおどろしい”ということだったのかと思う。

『悪魔の手鞠歌』がとにかく怖かったのと、もともとミステリは洋ものを中心にしていたこと、親の目があるので(ウチの親は、私がミステリを読むことを極端に嫌っていた)こっそり隠れて読まなければならないこともあって、その後、横溝作品から離れたが、その頃から堰を切ったように横溝作品が映像化され始める。映画は観に行かなかったが、『犬神家』は公開から1年でテレビ放映され(今では当たり前のことだが、当時はテレビ放映されるのは公開から何十年もたったような古めかしい映画に限られていた)、TBS系列で『横溝正史シリーズ』が始まり(ここで金田一耕助は古谷一行の当たり役になる)、横溝ブームは一つの頂点を迎えた。

しかし、どの映像作品からも『悪魔の手鞠歌』を読んだ時のような、あの怖さは全く感じられなかった。それは映像化された『悪魔の手鞠歌』を視た時も同じで、これのどこがあんなに恐ろしかったのだろう、と自分でも不思議でならなかった。むしろ、あのシーンは実際に見るとこんなに安っぽかったのか、とガッカリしたものだ。こんなことなら映像化される前に横溝作品をもっと読んどくんだった、と思ったが遅すぎた。大学生の時に、久しぶりに横溝作品を読もうと本屋に行き、わざわざ映像化されていないものを選んで読み始めたのだが、途中でバカバカしくなってしまい、最後まで読むのが苦痛でならなかった。それ以来、横溝は読んでいない。

それにしても不思議なのは、映像化された横溝作品からは怖さも、おどろおどろしさも感じないことだ。そもそも横溝作品は文字だけで楽しむもので、映像化してはならないものだったのだろうか。文字の間から立ち上っていた妖気のようなものは、結局、誰も映像化することはできなかったのだから。とは言え、原作の持つ、胸の悪くなるような澱んだ感じを見事に映像化した『ぼっけえ、きょうてえ』のような例もあるので(ただ『ぼっけえ、きょうてえ』はレイト・ショーでしか公開されないような作品ではあった)、あまり悲観しすぎることはないのかもしれない。が、少なくとも「巨匠」などと呼ばれる人が撮っても、上っ面をなでるような作りしかできまい、と思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「病気」を作っているのは誰か | トップ | 目標/願望設定の罠 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

趣味人的レビュー」カテゴリの最新記事