深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

キネシオロジーと感覚機構

2020-05-06 21:18:56 | 一治療家の視点

キネシオロジーには、セミナーなどで明に教えられることがほとんどないのに、なぜかみんな知っていて、当たり前のように使っていることがいくつかある。例えば、目を使った検査もその一つ。

キネシオロジーで主に用いられる検査としては、手で相手の体(自分に用いる場合は、自身の体)のさまざまな部分に手を触れながら筋反射テストを行い、体のどこに問題があるかを特定する(=セラピーする箇所をローカライズ(特定)する)セラピー・ローカライゼーション(Therapy Localization ; TL)という方法がある(なお、TLはただ触れるだけだが、更に皮膚を牽引したり圧をかけたりといった物理的操作を加えて検査する、チャレンジという方法を用いることもある)。

しかし、手で物理的に触れる代わりに、そこにただ視点を向けることでTLと同じことができる、というのが目を使った検査である。

私の場合、臨床をしている中で偶然それに気づき、ずっと誰にも言わずにコッソリ使っていたが、ある時、キネシオロジストと話をしていたら、向こうも「特に誰かに教わったことはない」と言いながら普通に使っていることが分かって、「な~んだ、みんな知ってるんだ」ということに気づいた次第。

この目を使った検査は、言ってみれば「TLと同じことができる」ということに尽きるのだが、TLにないメリットがある。例えばTLの場合は物理的な接触が必要だから、検査する相手は手の届くところにいなければならないが、目を使えば相手が遠く離れていても視界の届く範囲にいればよい。またTLでは基本、一度に調べられるのは自分の手の大きさの範囲だが、目の場合は視野の広さを変えることができるので、一度に広範囲を調べられる。何より相手の体にペタペタ触れる必要がないので、術者にも患者にもストレスが少ない(今のように新型コロナウィルスの感染拡大で「密集・密接・密着の3密を避けろ」と言われているようなご時世では特に)。

さすがに視点だけではチャレンジのような物理的操作まではできない(念力とか使えれば別かもしれない)けれども、それを代替する手段はあるので特に困ることはない。それどころか、(ここでは詳しくは触れないが)目の使い方を変えるとTL(やチャレンジ)では分からない「弱さ」も検出することができる。だから、私は臨床でTL(やチャレンジ)を使うことはあまりなくて、もっぱら目を使って検査している。

──といったことを動画でも話しているので、それを。

 

では、なぜ視点を向けるだけでTLと同じことができるのか?

…とその前に、なぜ手で触れるだけで問題のある箇所が分かるのか?という疑問がある。これについては「ストレス反応説」などを唱える人がいるが、それが検証されたという話も聞かないし、多分そうではないだろう。なのでTLの機序については、今もって分かっていない。機序は不明だが、恐らくそうした機能が生体には生得的に埋め込まれているのだろう、と私は考えている。なぜ? 触れるだけで対象がいいものか悪いものかが分かるなら、生存に有利だから。

そして、TLはいわゆる触診ではないが触覚という感覚と無関係ではないだろう、と考えるなら、触覚だけでなく視覚、聴覚、嗅覚、味覚でも同じことができるのではないか、と思うのは極めて自然なことだ。実際、上に述べたように視覚ではできているし、私は以前から電話で話しながら、声だけで筋反射によって相手の体の状態がどこまで分かるかを試しているが、これもかなり確度が高いことが分かっている。嗅覚と味覚は試したことがないが、例えば犬のような嗅覚があれば、数多くの匂いの中のある1つに意識を向けることで、対象の状態を捉えることができるはずだ。実際、恐怖を感じている者は独特の匂いを発する、などということも言われている(犬は筋反射テストはしないかもしれないが、筋反射テストとは感知した情報をディジタル的に解釈するためのツールに過ぎない)。

だから、視点を向けただけでTL同じことができるのは、実は当然ことなのだ。

さて、以前にも別の記事で書いたことだが、私は世界の本質とは情報だと考えている。なぜなら「こと」も「もの」も、全て情報へと還元することができるからだ(物理学的には情報すら存在しない空間もあるらしいが、「情報すら存在しない」ということもまた情報である)。そしてキネシオロジーとは、その「情報としての世界」にアクセスし、それを筋反射テストというツールによってディジタル的に解釈するシステムである。

そして感覚機構とは、世界を情報として自身の内側に取り込むための仕組みに他ならない。

そう考えれば、生体に備わる感覚機構がキネシオロジーと親和性が高いのも、十分頷ける話ではないか。


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