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韓寒:CCTVへの火事場泥棒

2009-02-14 23:37:24 | Weblog

韩寒:趁火打劫央视
[日期:2009-02-12] 来源:牛博国际  作者:韩寒

    很欣慰,北京的公安机关经过调查,央视大楼着火原因并不是神秘自燃,也不是附近居民烟花误伤或者临时工在楼里吸烟,是中央电视台自己礼花玩,把自己给点了。令人难过的是,消防员张建勇为此付出了年轻的生命,要不然这事就成了喜剧了。

    后来央视出面道歉,说是因为某办公室的主任未经上级批准,违规燃放烟花所致。

    于是,历史上最爱放烟花的办公室主任出现了。这将近百万元的由电脑控制的礼花,同时有数台摄像机在拍摄的一个行为,居然是一个办公室主任自己干的。未经上级批准那肯定就是他自费放的了,或者说,在央视,某办公室燃放百万元的烟花是不需要经过批准的,这CASE太小了。

    很明显不是这样的,当然是更大的领导希望,责任到这个办公室主任就打住了,你就安心的坐牢去吧,兄弟,放心,你的父母我们会赡养的,你的儿女我们会抚养的,你的老婆我们会包养的。

    这个礼花的燃放,很显然是央视准备用在以后的电视节目里的,作为央视新大楼形象片的片花播出,当然,也有可能是当天录播的元宵晚会之后直接就可以插入刚才的礼花映裤衩的壮观景象。但是,很不幸这些画面只能成内参了。我都能想象当时的几个拍摄烟花的外景摄影师看见大楼着了以后的情形,他们拿着对讲机问,导演导演,这是安排的麽?

    此番央视自焚,我惊奇的发现,除了对消防烈士表示惋惜意外,我身边的人都是喜闻乐见的,我强压自己阴暗的心理,企图以人文关怀面对这个灾难,但我不得不承认,我是幸灾乐祸的。当然,可能别人都是沉痛悲哀的,那就当我身边的是一个阴暗小团体吧。我就向大家暴露我的低级阴暗。

    首先,多行不义必自焚。玩火自焚是一个历史定律,当然,人家说的是一个漫长的过程,没见过央视那么立竿见影的玩火自焚。央视作为一个新闻媒体,基本没有新闻道。可以说,除了中国,中国中央电视台这样做事的电视台在其他大部分国家,都是一个违法的存在。在我们这里,它不但合法,而且甚至象征着法。多少年来,央视做过多少颠倒白,混淆视听,迫害文化,篡改事实,瞒天过海,助纣为虐,粉饰太平的事情?当然,这是一个疑问句,没别的意思,你说没有就是没有咯,反正你掌握了媒体资源嘛。

    按理来说,国家财产有这么大的损失,老百姓应该很难过才是,因为这些都是用纳税人的钱造的。但现在大家都是开明的,反正吃喝玩乐都是浪费,一个楼造两遍算什么。央视给大家的感觉就是牛逼,而且央视自己也很满意于这种牛逼,直到火烧牛的逼,才牛逼不起来。央视是一个半垄断的机构,一个半垄断机构都能这样牛逼,所以可以见得,如果一个垄断机构要牛逼起来,那是什么样,反正他们就是牛,屁民们都是牛虱,在来烦我,那一小撮牛屎就是你们的下场。

    所以,央视自己要反思,当然,央视是永远不需要反思的。随着舆论的发达,社会的发展,央视的公信力现在已经不能用没有来形容了,而是一个负数。也就是说,央视的新闻我们可以反过来看。我们当然理解央视作为一个国家电视台,党的喉舌,自然不能那么随心所欲,但是,事情永远是可以做好的,命题作文也是可以不至于差成这样的。这是事情最坏的结果。一个媒体,完全没有公信力可言,非但没有倒闭,还是一个国家的第一号,那只能说明连同这个国家都失去了公信力。

    不幸的是,在这次火灾事件中,央视又一次重演了一遍。这应该是建国以来除去森林大火以外,造成经济损失最大的一场火灾了,这无论如何都是一个特大新闻,但在央视的轻描淡写下,这场火灾就像烧了你我家的房子一样平常。假设是BBC的大楼放烟花烧了,甚至是湖南卫视的楼烧了,央视一定是报道的最积极的,不仅要滚动播出,而且估计导播都得乐得在地上打滚,做到真正的滚动播出。但这么大的一件事情,曾经一度是全世界的头条以及直播的新闻,在一个国家电视台里并无体现,达到了完美的和谐。这也是我们中国的新闻现状,我们看到的所有新闻都是经过了别有用心的删选和选择的,一切都看剧本需要和导演要求。

    这把大火需要反思的不是烟花需要不需要禁放,这是一个小问题,这只是央视在漫漫自焚路上的一个小高潮而已,我们需要反思的是,央视需要不需要禁放。而政府也需要反思一个问题,那就是央视,人民日报,光明日报,新华社等喉舌,在现在的操作模式下,其实还拖累了主子的形象,本来是真事,被这些媒体一说,新华社通稿一发,反而像个假事了,本来是个加分的事,被他们一宣扬,居然正正得副变成了一个减分的事情。而且随着年轻人的成长,这些媒体上报道的内容正逐渐的成为笑柄。虽然他们都是由宣传部门直接管理,但是,在这五十年中,社会和政府都发生了诸多的变化,不过对于这些宣传机构的控制管理以及他们的宣传方式都和五十年前几乎一模一样,只是添了五毛党等一些颇为不得力的辅助,自然会被时代淘汰。

    五十年前人好骗,你今天人民日报说毛主席语录发行到美国导致了美国的灭亡,晚上九成八的群众都会像央视那样放烟花庆祝.但现在是一个讲究以服人和以蒙人的年代,所以,希望这场大火能让相关部门考虑考虑,新闻到底需要不需要联播。

出典:http://www.canyu.org/n5356c10.aspx


王力雄:主権確立の相互作用――チベットと中国の歴史的関係(9)

2009-02-14 19:54:48 | 中国異論派選訳
王力雄:主権確立の相互作用――チベットと中国の歴史的関係(9)

人類近代史の主な特徴の一つは西洋の勃興であろう。18,19世紀に、西洋は押しとどめようのない勢いで世界中に拡張・征服・植民をし、もともとはヨーロッパの外で自己完結していた多くのの閉鎖社会(中国やチベットを含む)を打ち破った。すべての抵抗は失敗に終わり、西洋は勝利から勝利へと向かった。20世紀になると、人類は基本的に西洋文明を主流とする国際社会に組み込まれた。

このような国際社会を維持し運営する基本理念と秩序が、必然的に西洋からもたらされたことは怪しむに足りない。同じ国際社会である以上、二つもしくはそれ以上の異なる理念や秩序を許容することはできず、ほかの理念や秩序は変化を求められる。以下に私は、チベットが自らの理念と秩序を堅持しようとしたために、惨敗と恥辱の代価を払ったことを述べる。中国はチベットよりも先に苦い思いをした。人を実力で自分に従わせなければ、人のルールを受け入れるしかない。変わらなければたたかれる――これこそが国際「ジャングル」のルールである。

近現代世界にあっては、非西洋国家の多くの問題は西洋の基準による自国の転換からもたらされた。それらの転換の中には、強いられた転換の他にも、西洋の原則を公理とみなして自覚的に追随したものもある。伝統の亀裂・バランスの喪失・文明の衝突・社会の動揺、そして転換の過程での困惑と茫然自失、民族精神の分裂とヒステリー……非西洋国家がこのような変化の中で支払った代価は計り知れないほどの大きい。

もし世界が18世紀のままにとどまっていたなら、前章で述べた中国とチベットの関係――一方が体面を得て、もう一方は実益を得る――というあいまい状態の下での自然なバランスという適切な方法が維持されたであろう。しかし、いったん西洋の主権観念を受け入れた以上、中国とチベットは新システムに転換せざるを得ない。新しいルールによって相互関係を調整し、さらには新しい基準で歴史を書き換えなければならない。中国に主権観念を受け入れさせるということは、すなわちチベットに対する明確な主権支配を行わせることであるということは容易に想像できる。一方、チベットが主権観念を受け入れるということは、中国の影響から抜け出して独立するということである。両者を平和共存させることのできたあいまい関係は、明確な線引きを要求する主権システムに取り入れることはできない。ゆえに、主権システムに入ったら、中国チベット双方の関係は対立にならざるを得ない。

主権の定義によれば、チベット人は自分たちは一貫して実質的な主権を有していたと考えることができる。彼らは独立国家の定義に叶う領土・人民・政治権力の3要素を有しており、独立の軍隊を持ち、自らの貨幣を発行し、自らの独自文化を持っている。一方、中国はチベット歴史的な服属姿勢を根拠に、自分たちは法的意味の主権を有していたと主張する。たとえ200年近く続いた駐チベット大臣に実質的な権力がなかったとしても、そこには統治シンボルがあり、そのことが北京に根深いチベットは中国に属するという意識を生む。この意識は北京の王宮にあるだけでなく、すでに大多数の中国人の集団意識となっており、しかもそれは非常に自然に近代主権概念と等号で結ばれる。

双方のこのような対立は、主権システムおよび相応の民族主義イデオロギーの影響下に、日ごとに先鋭化している。メディア時代が作り出した民衆参加は、対立をますます調整し難くしている。中国とチベットの間でこれまで発生したことのすべては、西洋が新大陸を探し、中国にアヘンを売ったころから、運命づけられていた災厄であったといえるであろう。20世紀全体の中国チベット関係史の核心は主権観念の確立・当てはめ・適応であり、その過程で多くの衝突を生み、中国とチベットの今日の関係の基礎を作り、現在に至っている。それは今後相当長い未来にまで続くであろう。

原文:http://www.observechina.net/info/artshow.asp?ID=49021

関係文章:
東洋的関係――チベットと中国の歴史的関係(8)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/76486b971b4ff0e7be4e57a292606332
清末の対チベット新政--チベットと中国の歴史的関係(10)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/f1df05c99436cc7652faa33494dc9695



王力雄:チベット独立ロードマップ(4)

2009-02-14 16:17:41 | 中国異論派選訳
王力雄:チベット独立ロードマップ(西蔵独立路線図)

3、チベット問題はなぜ解決しないのか

「官僚集団の民主性」およびその中共党内における作用が分かったら、中国の現行のチベット政策がなぜ変更されないのかが分かる。それは13の省部級以上のチベット関係機関にかかわり、また24の省部級以上の「反分裂」機関にかかわる。中国の状況を知っている人なら皆分かることだが、「上を騙し人民を虐げる」「上に政策あれば下に対策あり」「引き延ばせば大勢が固まる」という手段で、一つの省部級機関が中央の決定を執行しないだけでも、中央はそれをどうにもできないという状況は珍しくない。いわんや24の機関が結託したらお手上げである。

今日の中共指導者の権威は毛沢東や小平とは比べようもない。経歴も功績もなく、カリスマ性もない。彼らはみな官僚出身であり、官僚システムに長年浸っていて、官界のルールを熟知している。逆選抜(訳注:情報の非対称性が存在する状況では、情報優位者は情報劣位者の無知につけ込み、劣悪な財やサービスを良質な財やサービスと称して提供したり、都合の悪い情報を隠してサービスなどの提供を受けようとするインセンティブが働く。そのため、情報劣位者は良質な財やサービス、契約相手などを選択しようとするのであるが、結果的にはその逆の選択が行われているかのような状況に陥ってしまうことがある。このような、取引前に行われる機会主義的行動=モラルに制約されない利己的な行動が、逆選抜である。wikipediaより)の官僚出世階段を上ってきたのに、官僚集団の手練手管を知らないはずがあろうか? 彼らが今とは違う路線に進もうと思っているかどうかはともかく、たとえ思ったとしても、それが難しいことは知っているだろう。彼らは本質的にリーダーではなく、トップまで上り詰めた官僚であり、ほとんど超越性はなく、権力掌握のみが目標であり、限界を超えようとはしない。ゆえに、毛沢東、小平のような独裁者が取りうる決断や自己転換は彼らには望みがたい。今回のチベット事件発生後長い期間中共トップの動きが見られず、すべて「反分裂」機関が自分たちで処理し、今回の事件の特殊性の一つとなった。24の「反分裂」機関は様々な権力をもっている。決定権・武器・言論のすべてを備えており、互いに決定・執行・協力のチェーンを形成しているので、たとえトップリーダーの主宰がなくとも、自分たちで調整し、自分たちで運営できる。

また、今日の中共は自分で作った落とし穴に落ちている。革命党が利益集団に変質し、権力の核心である主権と主権維持の民族主義が唯一の実質的なイデオロギーとなり、挙国体制で行うイデオロギー注入と飽くなき歴史の改ざんは、中国人をしてかつて中国が帝国として占領した領土を「昔から中国に属していた」とあまねく信じ込ませることになった。この状況は「反分裂」官僚たちに「政治的公正」の地位を与え、彼らは民意の支持のもとに、統制しきれない勢力となった。「反分裂」は彼らの盾となるだけでなく、彼らは武器としても使える――誰も彼らに異議を唱えられず、彼らはいつでも攻撃できる。24の「反分裂」機関の連合は、唯一実質的なイデオロギーの高地を占領したことでエネルギーは非常に大きくなり、「党内民衆手続」を使って政変を行いうるほどになった。国家主権防衛に力を尽くさないという名目で彼らと一致しないトップリーダーを罷免するのに簡単に党内党外の民意の支持を取り付けることができる。ゆえに、権力をすべてとみなす中共指導者はこのような脅威を前にして、政敵に弱みを握られ、世論の攻撃を浴びるのを避けるためには、常に左になるとも右にはならず(訳注:批判される立場には立たない)、自分の地位を脅かすような新思考は採用しない。たとえ彼らがこのまま進めばより大きな危機が起きることを分かっていても、彼らにできることは危機の発生時期をできるだけ遅らせることだけである。中共指導者が終身制から輪番制になったことは、表面的には一種の進歩であるが、実際はババ抜き(訳注:原文では「撃鼓伝花」、鼓を鳴らしている間は花を隣に回してゆき、鼓の音が止まったときに花を持っていた人が罰として酒を飲むゲーム)のように地位にあるものが自分の任期中だけの平穏無事を考えることになる。そして危機が後任者の時に爆発しても、それは自分とは無関係である。

ゆえに、国際社会が中国指導者とダライラマの会見を促し、ダライラマが中間レベルをとばして中共リーダーと直接交流することを望み、チベット人エリートが中共高官に手紙で丁重に勧告しても、私が見たところ中国側の本当の決定要因ははっきりしない。チベット問題をどのように解決するかは、中共トップが独断で決められることではない。特殊な状況下では、中共トップはチベット問題についてある種の特殊な処理をするかもしれないが、それは戦術面に限られ、本質に触れるものではない。「反分裂」勢力が中国権力構造においていかに重要かつ広範な地位を占めているかを知れば、中共リーダー個人(たとえそれが開明的なリーダーであったとしても)にチベット問題の解決を期待するのは、現実にそぐわない幻想である。

原文:http://www.minzhuzhongguo.org/Article/sf/200811/20081111105226.shtml
関連文章
チベット独立ロードマップ(1)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2ef1cc767204f12eabb9cbd727d91548
チベット独立ロードマップ(2)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/0ff44f54f233cb296c1ab0eafb74f928
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http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/1e38df56380bb6a52b5c17871cd0c7f1
チベット独立ロードマップ(5)
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チベット独立ロードマップ(6)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/22ce52f7c20ee1714fb388f36d78a0b1


王力雄:チベット独立ロードマップ(3)

2009-02-14 16:15:35 | 中国異論派選訳
王力雄:チベット独立ロードマップ(西蔵独立路線図)

二、帝国政治体制の苦境

1、「反分裂」が飯のタネに

帝国政権の最も重要な役割は帝国領土の完全性を守ることであり、そのために設立した「反分裂」機関の地位は高い。中共高官になったことのあるチベット共産党創立者プンツォ・ワンギェはこれらの機関と官吏を「反分裂の飯を食い、反分裂で出世し、反分裂で儲ける」と描写した。それは、いわゆる「分裂」が深刻になるほど、帝国がこれらの機関と官吏に与える権力が大きくなり、送り込む資源も多くなるからだ。そのため彼らは本能的に「分裂」問題が存在し続けることを望む。組織と個人の利益のために、民族問題の最終的解決を望まないばかりか、むしろ意識的に衝突を強め、「分裂」の危険を大袈裟に言い立てる。ことさらに波風を立て、些細なことを大きく言いたてる。また業績を誇示するために、事態の処理を厳しくするよう、衝突を大きくする。また責任を逃れ、誤りを認めないばかりか、より大きな誤りで小さな誤りを覆い隠す。当局が今回の事件で示した愚かさを、担当官僚の愚かさのゆえだという人がいる。しかしそれは違う。官僚たちはみな頭がいい。彼らは自分たちの行為が全体にとって不利だということを知らないわけではない。それでもあのような行動を取った原因は彼らの目的が事態をうまく処理することではなく、自分たちがその中から利益を得ることだからだ。たとえば、在外中国人と留学生を組織して、「紅い海」を演出した外交官は、多くが西側で教育を受け、長く国外で生活しており、そのような場面が当該国の民衆やメディアの反感を買い、中国のイメージを悪化させることを知らないわけがない。しかし彼らの昇進は派遣先の国の好悪によって決まるのではなく、中国の指導者と役所が満足するかによって決まる。中国の指導者がテレビで西側諸国の街頭に中国国旗と愛国中国人があふれているのを見て、メンツが立ち、腹の虫が治まったと感じた時、かれら外交官の昇進の可能性が大きくなる。これこそが彼らの出発点である。国家に危険を及ぼすことになるかどうかは、彼らには直接関係ないことであり、彼らが責任を負わされることもないから、心配には及ばない。

前に私はチベット担当官僚集団は事件の原因を「ダライ集団」に押し付けることにより、彼らは責任を逃れることができると述べた。しかし、すくなくとも官僚集団の中の警察、国家安全部(訳注:中国のCIA)、武装警察(訳注:治安軍)はそうはいかない。彼らの職責は「敵対勢力」と「外国勢力」の破壊を防止することなのに、「ダライ集団が組織的、計画的に入念に準備した分裂活動」がこのように実現したのであれば、本来責任は非常に大きいはずなのに、なぜ自分たちの役所に不利な言い方を黙認したのか? 利益共同体のための必要な責任負担のほかに、これによって官僚集団の巧妙な一面も明らかになった。単純な責任逃れは官僚の初歩的本能に過ぎず、より高度な手管は危機を利益を得るためのチャンスに変えることである。これら情報機関と鎮圧機関は自分たちが責任を負うのではなく、責任を資源の不足・経費の不足・権力行使に制限が多すぎること・政策が穏健すぎることなど「外因」に帰してしまう。彼らが強圧的にチベット人の抗議を血なまぐさく弾圧すると、「敵との闘争」の英雄に変身し、責任がないばかりか功績をあげたことになる。そして、あらためて強硬な弾圧こそが効果的な手段であることを証明する。このとき翻って、以前の資源不足、権力行使の制限の多さ、政策が穏健すぎることなどの「教訓」を総括し、権力トップに対し、彼らにより多くの資源と権力を与え、彼らの地位を強化する強硬政策をとるよう要求する。一般的に、この手管は必ず目的を達成することができる。なぜなら、情報の非対称を利用して事件の激しさと「分裂」の危険を騒ぎ立てることで、簡単に帝国の権力トップを恐れさせることができるからだ。そして帝国の権力者は、かねてより帝国の領土の完全性を守ることに代価を問題にはしない。

今回のチベット事件でかなりの程度中共政権の開明化のプロセスが断たれたと予想される。中国を警察国家から抜け出させようと努力する改革はたぶん夭折するだろう。とりわけ少数民族地区では、既に実行されていた緊張緩和措置は取り消され、軟化していた権力は再び強硬になり、改めて集権化されるだろう。「反分裂」と「反テロ」の名目のもと、中国の少数民族地区の将来の中共統治はファシズム化を免れないだろう。それはまさに官僚集団が「反分裂の飯」を食ってきた結果である。

官僚はどんな制度のもとでも自身の利益を追求する。それは不思議なことではない。しかし、良い制度は官僚の自己利益追求を良いメカニズムにまとめ上げるし、悪い制度は官僚の自己利益追求を悪い結果にまとめ上げる。利口な官僚をして利口に政権と国家にとって愚かなことをさせるのは、まさに独裁制度の弊害であり、また独裁が内部崩壊する原因でもある。

2、「官僚集団の民主性」

しかし、人々は疑問を禁じ得ない。独裁政権の特徴は上級が下級を決定することである。官僚は自己利益あるいは組織利益を追求するとしても、権力トップは下部組織の大局を考えない行為をなぜなすがままにさせるのか? 干渉や統一指導はしないのか?

ここでは独裁者の愚昧は想定しない。独裁の歴史の上では、虚偽情報に囲まれた独裁者が愚昧になってしまうことの方が賢明さを維持するよりはるかに多い。しかし、より中国の権力システムの本質を反映するのは、独裁者が賢明であったとしても、下部組織の共謀によって作り出された状況を変えられないということだ。それは、独裁体制のもとでは、独裁者の決定は官僚システムを通じてしか具体化しないからだ。まさにそれゆえに独裁権力は対外的には絶対独裁でありうるが、対内的には独裁無効化の可能性をかかえる。官僚集団の利益を損なわないという前提の上でのみ、独裁者の言葉は官僚集団に対して重みを持ち、いやと言わせない独裁性を持つ。そして、官僚集団の利益を損なったら、官僚グループは共謀して、引き延ばし・歪曲・うやむやなどの手段により、具体化の過程において独裁者の決定は骨抜きにされ、実行できなくなる。その時、独裁権力の独裁性は大幅に割り引かれる。この種の状況を私は「官僚集団の民主性」と呼ぶ。

古代王朝であれ近代の独裁政治体制であれ、「官僚集団の民主性」は広く存在していた。それは制度と手続には現れず、官界の不文律として作用する、一種の自然淘汰によって形成されたメカニズムである。官僚の間では具体的な問題では競争がっても、全体としては相互に連合する共同体である。彼らは自己利益の得失に極めて敏感で、私利を図ることに有能であり、共通認識を形成しやすい。彼らは連絡や組織化を必要とせず、既存の官僚システムを利用して暗黙の了解のもとに共謀し、相互にかばい合うので、コストは低く、リスクも小さい。ゆえに、独裁者が自分の権力を貫徹しようとすれば、「官僚集団の民主性」に順応しなければならない。官僚集団の利益を満足させる(少なくともそれに抵触しない)ことではじめて官僚集団を面従腹背の対抗者ではなく、思い通りに動く道具とすることができる。

もちろん、歴史上官僚集団にいやと言わせないよう努めた独裁者も出現している。それには特別な権威を具備しているだけでなく、極端な手段も使わねばならない――たとえば野心満々の新人を苛酷な官吏にしたり、官僚集団を粛清したり――肉体消滅の恐怖で服従させることだ。しかし、その種の集団は一時的な効果しかない。横暴な酷吏はほとんどが悲惨な末路をたどる。暴君もいずれは死ぬし、また冷静に考えたら分かるように、利益で買収するほうが恐怖で屈服させるよりも官僚集団の尽力を引き出すことができる。利益と権力だけを追求する多くの独裁者は、官僚集団との山分けを決心し、自分は優雅に車に乗り、官僚たちに車引きに力を奮わせる。その方が官僚集団と対立して力比べをするよりはるかに実利的ではないか?

たとえ毛沢東の中共官僚システムに対する権威をもってしても、官僚集団の利益に抵触する政治運動を行うときは、彼が住んでいた北京で文章一つ発表できなかったことからも、官僚集団のエネルギーの大きさが分かる。毛沢東が最後に取った方法は、官僚集団を飛び越え、直接下層大衆に造反を呼び掛けることであった。そうして彼の意志の実現を妨害した官僚集団を粉砕した。その「文化大革命」と命名された方法は歴史に前例のない極端なものだったが、最後は失敗に帰した。その原因は毛沢東もまた官僚集団から離れられなかったからだ。文化大革命は古い官僚集団を粉砕することはできたが、新しい官僚集団を作って彼の権力を貫徹することを必要とした。しかし、どんな官僚集団であれ、最終的には利益集団になり、「官僚集団の民主性」も発揮されてくる。毛沢東も最後はやむなく「七八年後にもう一度」という脅しにまで退却し、彼の文化大革命を酷吏を使うところ(訳注:大衆動員から恐怖政治への後退)にまで落とさなければならなかった。

文革で大損をした官僚集団はこれを骨身にまで記憶に刻み込んだ。彼らは独裁指導者が官僚集団を粉砕するような状況の再現を許さないと決意した。毛沢東以降の数十年中共は「党建設」、「党内民主発揚」を進めた。それは言ってしまえば「官僚集団の民主性」を強め、官僚集団が指導者に害されないよう守ることである。そして中国の改革の主な内容――権力の下放――もその本質は官僚集団により多くの権力を分け与えることである。今日では、中共内部には既に牽制メカニズムが作られ、官僚集団にもかなり多くの権力があり、酷吏型の党内粛清の再現を許さず、文化大革命のような大衆運動も許さず、さらには党内分裂をもたらす可能性のある路線闘争も許さない。今日、中共党内のトップの権力闘争は歴史上のいかなる時期よりも弱く、権力交代もあるていどプログラム化されている。その深い理由は、「官僚集団の民主性」が作用を発揮したからである。

これは本質的な転換である。イデオロギー至上の時代に路線闘争に訴えて行われたトップの権力争いの中で、官僚たちは受け身の状態に置かれ、それぞれの路線の代表者につくことを選択し、代表者の浮沈にあわせて浮沈した。しかし、権力維持と利益獲得が中共の主要目的となったとき、政権の実際の操作者であり利益の主な所持者である官僚集団が党の主体に変わった。イデオロギーの背景を失った党内闘争は大義名分を失い言うことに筋が通らなくなったので、合法的な舞台を失ってしまった。「官僚集団の民主性」の強化に伴い、集団全体の利益にならない党内闘争は連合した官僚によってかなり抑え込まれた。こうして中共は以前よりも分裂せず、より実務的になる。政権トップはもう官僚集団を圧倒する独裁者ではなくなり、官僚集団の利益の調整者と代理人になる。このときの政権トップは官僚集団の利益を最大化することではじめて、交換として官僚集団の支持を得ることができ、自分の地位を安定化させることができる。

官僚集団は政治権力装置を熟知し、運営に長けており、いったん政権トップを牽制するメカニズムを構築したら、それを最大限使う。彼らは無形のうちに政権トップの浮き沈み、人事異動、政策方向を決定する。彼らがそうした能力を手に入れたら、党内粛清や文革の発生を防ぐことだけに限らず、自分たちの利益に不利になるすべてを防ぐことに拡大し、できるだけ多くの利益を得ようとする。ゆえに、いわゆる「党内民主」を中国民主化の歩みだと看做すのは、全くの誤りである。「党内民主」は昔から存在する「官僚集団の民主性」の別称に過ぎず、中国の民主化や人民の民主主義とは全く関係がない。

原文:http://www.minzhuzhongguo.org/Article/sf/200811/20081111105226.shtml

関連文章
チベット独立ロードマップ(1)
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