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于建:今後10年の中国の社会政治発展綱要(たたき台) (2/2)

2012-10-10 15:39:49 | 中国異論派選訳
(三)司法改革

 司法抑制均衡制度を構築し、司法の権威を樹立し、中央政治の統一性と地方政治の特殊性の間の関係を適切に処理する。
 第一、下級裁判所と中級裁判所の人・財・物を市・県と切り離し、省級による垂直管理を実施する。
 司法抑制均衡制度の核心は裁判権を地方から取り上げ、人事・財政・業務の三つの面で県政府指導者に責任を負わせることをやめ、人・財・権で県級共産党・政府から独立させ、直接省政府に対して責任を負わせることである。裁判所と検察に垂直指導を導入し、県級の裁判所と検察は当該級の人民代表大会に責任を負わず、上級の裁判所と検察に対して責任を負い報告を上げさせる。開始段階では、県級の裁判所と検察は市級裁判所と検察の指導に改め、市と省、中央の裁判所・検察の関係は変えない。条件が熟したら、全裁判所・検察系統に垂直指導を実施する。また、経費面では県級政府を離脱させ、まず市級財政に移し、条件が熟したら直接中央財政で賄う。人事面では裁判所・検察の指導者は当該組織の上級機関が任命し、地方人民代表大会による選挙は廃止する。この改革は憲法規制にかかわるので2018年に最終的に完了する。
 第二、裁判官の任命には終身資格制度を実行し、あわせて厳格な異動を実行し、裁判官高給制を実行し、あわせて厳格な誤審追及制度を実施する。
 裁判所内部で審判委員会を設けることはやめ、裁判官責任制に完全移行する。裁判官は一旦任命されたら、重大な誤りがない限り罷免・解任・早期退職を命じられることはない。裁判所所長は専門教育を受けていなければならず、他の共産党・政府機関からの異動を受け入れてはならない。裁判官は司法機関の独立性を確保するために違う地方への異動制度を実施し、地元共産党・政府との利益共同体化を回避する。県級政府の各級法規に違反する抽象的行政行為〔行政立法行為〕は、裁判所の審理範囲に含めなければならない。裁判所の受理案件の範囲は、法律の制限のみを受け、各種行政通達もしくは内規の制約を受けない。社会紛争を法的解決の軌道に乗せ、司法を本当に社会的正義の守護神とする。裁判官が審理過程で人為的要因で不公正を働くことを防止するために、必ず裁判官には高給制を実施し、その給与基準を作らなければならない。また、審理機関と検察機関が具体的案件を処理するときに、故意もしくは重大な過失により案件の処理を誤ったときは、誤審を正し、関係者の責任を追及しなければならない。
 第三、2016年までに省より下の共産党政法委員会を廃止する。地方共産党政法委員会の地方司法に対する影響と干渉を排除するために、必ず現在の共産党政法委員会系統を改革しなければならない。共産党中央政法委員会と省級政法委員会は残して政権党のシンクタンクとすることを検討してもよい。地区・市級と県級の政法委員会を廃止し、裁判所と検察の業務は県級共産党委員会の指導を受けないようにする。
 第四、2016年以前に陳情制度を廃止し、司法によって歴史的な古い事案を整理する。陳情は各級人民代表大会に集め、人民代表を通じて政府・裁判所・検察の業務を監督し、あわせて系統的に民衆の利益表明組織を設立する。具体的に言うと、各級人民代表大会は選挙区内の重要陳情案件について調査と監督を行う。各級人民代表大会の連絡方法を公表する。社会各階層が利益表明組織を設立し、法律で認められた集会やデモなどの方法で利益を表明することを許す。
 第五、2015年に労働教養制度〔行政拘留制度:令状なしで何年も収容所に拘留する制度〕を廃止し、国民の人身の自由の権利を保障する。強制的に国民の自由と権利を奪う労働教養制度は必ず廃止しなければならず、いかなる形式の国民に対する行政拘留も禁止する。矯正型の社会事業組織を発展させ、サービス型組織や各種形式の法律援助をもって強制的行政拘留に代替させる。

 (四)県政改革

 県政改革は政治体制改革の突破口である。2016年から5年の期間をかけて県政の再構築を実施する。2016年と区切る理由は、2016年が県級政府の選挙の年だからである。我々は県人民代表大会選挙でブレークスルーを果たさなければならない。県政改革について、我々の基本的主張は「県政自治」である。すなわち行政分権と政治分権を基礎とする民主的自治である。よって、それは中央と地方の間の関係を調整し、地方の自主性と特殊性を十分重視、地方の想像力を発揮させる必要があるだけでなく、民衆の統治者に対する牽制を確立し、本当の意味での責任政府を構築する必要がある。同時に権威ある司法制度により地方政府の政治行為を牽制し、国家の政治的統一の有効性を確保する必要がある。
 第一、県級人民代表選挙を開放し、人民代表の非行政化と専業化を図る。
 (1)県人民代表には資格規定を設けなければならない。具体的には当該県の戸籍を取得してから2年以上、もしくは現地での8年以上の勤務もしくは居住を条件とすることで、候補者の地元利益への帰属意識を確保する。その選挙は選挙法の中の「農村の代表一人が代表する人口は鎮の代表一人が代表する人口の四倍を原則に配分する」という規定を改め、一票の同権を実行し、人口比率に従って代表者の人数が決定されるようにする。
 (2)選挙人が直接選挙する人民代表候補者は、すべて正式な候補者とし、選挙法における候補者比率の制限や正式代表確認手続〔共産党が指名する候補者を正式代表とし自発的立候補者を排除している現行制度〕の制限は受けない。代表候補者名簿は現行選挙法の選挙日の5日前に公布から、45日前に公布に変更し、候補者が十分な時間をかけて選挙人と接触し自らの主張を宣伝できる、本当の競争選挙を実現する。
 (3)県人民代表は専業化しなければならない。当選した代表が国家公務員や公営事業団体の職員であれば、元の身分を保留するが、代表在任中は元の職務に従事することを禁じ、代表をやめたら自動的に公職に復職させる。当選した人民代表は地元科局級以上の公務員の平均給与よりも高い給与、老齢年金、医療保険を保障する。在任期間の昇格と昇給は在職し続けたものとして処理する。公職にない者が代表に当選したら、上述の基準で給与を支給し保険に加入する。同時に、県人民代表各人の専用経費を設け、専用経費の限度額内で人民代表が管理使用する。人民代表は当選選挙区に事務所を設置し、連絡方法を公表し、選挙民に報告を行う責任を有し、大衆の訴えた問題の処理結果は速やかにフィードバックしなければならない。県人民代表は助手を置く権利を有し、助手の給与などの費用は当該代表の専用経費から支出する。助手には資格制度を導入することができ、試験で資格を得た者が省内で人民代表に雇用される。
 (4)人民代表は法定の権限、例えば調査・報告・提言を実行する。人民代表大会は法定の権限、例えば罷免・質問・諮問・調査・同級人民政府の不適当な決定や命令の取り消しなどの権限を実行する。中国の法定の政治制度は設計上は先進的なところがあるが、紙の上と実践の間には往々にして差があり、憲法と法律の規定は各種の実施細則、政府通達さらには無形の不文律で「薄められ」て「有名無実化」している。よって、必ず既存の制度のフレーム内で本当に実行しなければならない。
 人民代表が専業化すれば、すべての時間を選挙民のために使うことができるので、既存の人民代表大会常設機関、つまり常務委員会は当然廃止し、それに代わって各種の専門委員会を設置することができる。県人民代表大会主任は代表全員で選出しなければならない。条件が熟したら、政府職員が人民代表大会主任になることを制限し、公職にない者に担当させ、「非公務員化」を実現し、人民代表大会の性質をよりよく発揮させる。
 第二、県級政府の異地任官制度を改め、県行政長官の差額選挙を実現する。
 異地任官制度を地元任官に改める。県行政長官は当該県の戸籍を取得して5年以上もしくは現地に10年以上連続して勤務もしくは居住していることを資格とし、地方エリートの地方政治への主導的地位を発揮させる。当選者は任期内に昇進したり異動してはならず、辞職した場合少なくとも2年以上公職についてはならない。
 人民代表専業化を基礎に、候補者の人数制限撤廃と発表時間前倒しを前提に、県級人民代表大会で県の行政長官を選挙する。5年から10年で、憲法改正を通じて、全県の選挙民が直接行政長官を選挙するよう移行させる。「県政自治」と「共産党の統率」の間の衝突を避けるために、開始時は県級では共産党と政府の分離を主張せず、共産党と政府を一体とし、交叉任官させてもよい。県行政長官は共産党員とし、当選後は同時に県共産党委員会の書記に就任し、その行政権力は人民代表大会の監督と司法機関の抑制均衡を受ける。もちろん、これは最良の解決方法ではなく、いかにして「県政自治」の枠組みの中で共産党の統率を実現するか、具体的方法はさらに検討してよい。
 また、「強県の権限拡大」と「省による県の管理」の経験をくみ取り、行政権力のランク分けを改革し、財政収入面で県の取り分を拡大し、省・市に属している経済と社会の管理権限を県に移し、県級政府の自主権を拡大しなければならない。条件が熟したら、中央と地方各級政府の権限区分を明確化し、段階的に法制化すべきである。国家全体にかかわり、地方が担うことのできない事務以外は、県級政府に完全に授権すべきである。
 第三、郷鎮級政府を県級政府の出張所とする。
 郷鎮は一貫して完全な政府の形態を具備せず、十分な人事権・財政権・事務処理権を与えられていない。よって、現在郷鎮行政組織を撤廃し、郷鎮を県級政府の出張所として管理機能を行使するのが適切である。郷鎮は県政府の委託を受けて、受託事務を処理し、同時に村民自治活動を指導する。郷鎮財政支出は県政府の予算から支出する。郷鎮が担当する事業と可処分資金は、どちらも県級政府が決定し、事務処理権と財政権の統一を図る。郷鎮は上級に対応した部門を設けず、事業ごとに事務員もしくは助手を置く。郷鎮の共産党委員会を廃止し、共産党総支部を設ける。共産党総支部は郷鎮行政事業は担当しない。郷長は県長が委任し、副郷長はおかず、必要に応じて郷長助手をおく。郷所属機関はすべて事務処理機関とし、県政府の統率の下で事務処理権を行使する。

(五)共産党内民主

 第一、共産党員の党内民主権利を実行する。それには党員の党内事務に対する知る権利を含む。党員は規律の拘束の範囲内で言論の自由、党務と政務議論への参加権、幹部選択の権利、党幹部を含む他の党員を監督する権利を有する。規定に従い、党の事業、党内生活の内容、手続、結果など党務公開を実行し、対外的に公表する。同時に、党員は重大問題の意思決定への参加権を有し、重大意思決定には投票による決定制度を実行する。
 第二、党委員会候補者選抜方式を改革し、党委員会直接選挙を推進する。候補者選抜制度と選挙方式を改善し、各級共産党・政府・系列大衆団体が推薦する候補者人数枠に一定の制限を設ける。選挙人の推薦権を拡大し、県級人民代表大会は「5000人ごとに代表を1名増やす」という代表の枠をすべて選挙人10名以上の連盟推薦に改める。一般党員と党組織は平等な候補者推薦権を有する。党員大会の方式を採用し、競争・差額で地方党組織の指導者を直接選出する。中央と省級では、代表大会制度を実施することができる。しかし代表大会の代表も段階的に競争選挙に移行する。この両級党委員会はとりあえず競争選挙の実行を考慮しないが、差額選挙を実行する。差額の比率は30%超でなければならない。
 第三、幹部人事制度を改革する。開放・公平・公開の幹部任用制度を構築し、競争選抜に力を入れる。幹部管理権限を明確化し、「直接下の級を管理する」を実行する。幹部の「昇進のみで降格なし」問題を解決し、指導者職務任期制を実行し、任期の法定を基礎に、在任期間に幹部の分類勤務評定を行い、連続して勤務評定結果が最下位の者は一定比率で降格もしくは免職とする。引責辞任制度・辞任指令制度・弾劾制度を推進する。明らかな過失や重大事故に指導責任を有する幹部に対しては、本人の引責辞任を要求したり辞任を指令する。辞任後2年間は再び任用してはならない。幹部党員の処分では、党紀処分をもって法律に代えてはならず、法律を用いて規律する。
 第四、共産党委員会トップの規律と牽制のために議事と実施の分離を実行する。共産党委員会書記と行政長官の職務分担を明確化し、重複と混乱を防止し、権力の過度な集中を防止し、共産党と政府の機構の重複問題を解決する。人民代表大会・規律検査委員会・監察委員会・会計検査局・安全検査・裁判所・検察など牽制と監督を行う機関の党組織を直接当該部門の上級党組織の統率下に置き、最終的には党中央が直接統率する。
 第五、地方と末端の党組織の中で幅広く競争選挙を実施し、候補者が各種の形式の合法的な選挙活動を展開することを許容する。競争選挙は最初は多分村・郷鎮で実施し、5~10年後に県級にまで拡大する。法律と制度により選挙活動を規律し、党内競争に明確な境界を引く。候補者が党の代表大会で決定した綱領的主張の実行について自らの施政方針を表明し、施政方針の宣伝を行うことを許容する。共産党組織が握っているテレビ・新聞雑誌などのメディアは候補者に平等な機会と等量の競争費用を提供しなければならない。法規で定められた選挙活動期間内に、候補者は提供された経費を使って選挙組織を組織し、選挙期間中に活動を行うことができるが、選挙活動終了後は直ちに解散しなければならず、常設の機構にしてはならない。候補者は自らの主張を正面から主張しなければならず、いかなる理由によっても他の候補者の人身攻撃や、裏取引をしてはならない。各級党組織は異なる意見や主張のある議題について選挙弁論大会を開催し、候補者の見解を十分に表明させることができる。候補者は宣伝目的で募金などの活動を行うことができるが、いかなる外国からの贈与も受けてはならず、支持者に具体的な将来の官職を約束してはならず、いかなる形でも選挙人に贈賄してはならない。発見されたら、候補者資格を取り消す。(この部分は王長江の「発展党内競争性選挙」『中国改革』2011年第7期を参考にした)。
 第六、現行の幹部就任年齢制限を撤廃し、級ごとの就任年齢制限を撤廃する。現在、郷鎮では40歳前後、県級では45歳超、地区・市級では50歳超で往々にして昇進の機会を失う。この制限は必ず撤廃し、同級職位の任期によって新旧交代の問題を解決しなければならない。

(六) 人民民主(重点的に手を入れてほしい)

 人民民主確立のカギは国民の権利確立である。中国では官僚制国家の発展が社会の発育に先んじ、国家の社会に対する搾取と圧制、および中国の長期にわたる官民対立の社会的事実により、社会は効果的な自己組織化の力で国家の専制権力を牽制できなかった。こうして、国家と社会のゲームでは、社会の弱小地位によって社会は被搾取・被統治の従属的地位に置かれた。それはまた一定程度中国民衆の根深い「臣民」意識を形作り、国民の権利の認識と要求が欠乏した。この意味で、中国の現状に基づき、我々は中国社会の再建のカギは権利を中心とした中国社会発展プランの提示だと考える。
 国民の権利は社会構成員の個人の自主と自由の法律上の反映であり、国家の国民に対する約束であり守るべき権利であり、社会が認める国民個人に付与された行使しても行使しなくてもいい自由である。それには憲法と法律に基づき享受する各種の政治・経済・社会権がある。国民の権利は4つの種類に分けられる。(1)法的権利、すなわち基本的人権。大多数は自由権と法手続的権利であり、国民の利益を保障する法的手段である。(2)政治的権利、すなわち国民が政治生活に参加する基本的権利である。孫中山はかつて国民の政治的権利を選挙権、被選挙権、制度創設権、否決権、弾劾権に具体化した。憲法と法律の規定では、現在の中国の政治的権利の内容には4分野ある。選挙権と被選挙権、国民の言論・出版・集会・結社・デモ行進・示威の自由の権利、国家機関の職務就任権、国有企業・公営事業団体・共産党の系列大衆組織の指導者になる権利である。(3)社会権、すなわち国民がその社会的存在を維持する基本的権利である。社会発展の成果を享受する資格と文明生活条件を有する権利が含まれる。(4)参加権、すなわち国民が市場と公共生活に参加する基本的権利であり、国民の政府決定過程への参加などが含まれる。
 国民の権利の実現には国家の保障が必要である。第一、国家は必ず自らが制定した社会ルールにより国民の法的権利を保障しなければならない。現在、国家の法律は一般民衆を拘束する道具となり、公権力掌握者はしばしば法律の破壊者になっている。必ず全社会にルールを尊重する意識を確立し、法治によって国家の権威を再建しなければならない。第二、国家は必ず制度改善を通じて国民の政治的権利、とりわけ国民の安全権を保障し、公平な司法と治安環境を提供して国民が違法な逮捕・尋問などを免れることを保証しなければならず、同時に公権力による国民の政治的権利に対する侵害を牽制しなければならない。第三、国家は必ず経済の発展と利益配分の調整を通じて国民の社会権を保障しなければならず、優先的に国民の生存権と発展権を保障し、社会的脆弱層の利益を保障しなければならない。第四、国家は必ず公権力を利用して国民の参加権を保障しなければならない。国民の権利が侵害されたときは、裁判所は強制執行手続によって権利を保障しなければならない。

 結論

 政治は信任のアートである。政府が民衆の信任を得られないことは、上場企業が株主の信任を失うことより危険である。政治家の天職はまず信任を作り出すことであり、その次に信任を獲得し維持することである。信任を作り出すために最も重要なのは人々が希望を持つことである。我々が政治発展の10年先、30年先、50年先、そしてさらに先を展望するのは、人民には希望が必要であり、政治家には人民に具体的な希望を示す責任があるからである。
 政治は人間の社会生活の最高形態である。最高というのは、それが最も高尚だというのではなく、何億もの人民への影響が最も大きいからである。遠くない過去に、一人〔毛沢東を指す〕の頭が熱くなったことで数千万の人が塗炭の苦しみを味わった。一人が欲に目がくらんで、全民族が10年間も苦難した。一人の心が歪むと、数千年の文化がほとんど一日で滅んでしまう。つまるところ、その人に神通力があったからでも、途方もなく邪悪だったからでもなく、彼が共生した政治体制に重大な欠陥があったからだ。政治を冷静に考える人々は、人間政治文明発展の貴重な経験を絶えず振り返らなければならない。それはつまり必ず政治権力を飼い慣らさなければならないということだ。政治権力を飼い慣らして初めて、人間は最終的に野性の獣性を飼い慣らすことができる。政治権力の馴化には二つの相補う過程がある。一つは憲政の枠組みの下で権力相互の牽制を通じて独裁を根絶し、独裁がもたらしうる暴政を根絶することであり、もう一つは人民主権理念の枠組みの中で国民の権利によって政治権力を牽制し政治権力の馴化を実現し、政治権力がもたらしうる野蛮と残忍を根絶することである。この文章で議論した改革とは、つまりこの二重馴化の実施プランなのである。

〔 〕内は訳注

転載自由、出典明記

原文サイト:http://blog.sina.com.cn/s/blog_494c04040102e14c.html


于建:今後10年の中国の社会政治発展綱要(たたき台) (1/2)

2012-10-10 15:37:00 | 中国異論派選訳
于建:今後10年の中国の社会政治発展綱要(たたき台)


まえがき


 中国社会の現状はどうか? 中国の発展はどの道を進むべきか? この二つの問題について、社会各界(とりわけ学界)では諸説紛々で、対立している。
 代表的な二つの全く相反する見解がある。「中国モデル論」は、中国は三十数年の改革実践を通じてすでに「中国モデル」と名付けられた発展の道を見出したのであり、そのモデルは国情に適い、多少の弊害はあるが適切に改革・調整すれば中国の現代化を保障できるとする。しかしこの見解には二つの問題がある。第一に、いわゆる「中国モデル」ないし「中国の道」の本来の意味は中国の三十数年の発展の軌跡を描写したものであり、広義の中国の発展の分析には適さないこと。第二に、この見解のキーワードは「適切な改革と調整」だが、この見解の論者の間にその内容について共通認識がないことである。
 「中国モデル論」と対立する「移行陥穽論」は、現在の中国は「移行の落とし穴」に陥っており、改革と移行過程で形成された既得権益層が改革の推進を阻止し、過渡期の体制を固定化して既得権益を保障する「混合体制」を作ることを要求していると主張する。この見解は、移行の落とし穴は中国の経済社会の発展を歪め、各種の社会問題や政治対立を蓄積させ、「中国式」発展の道は持続不可能となっており、中国は徹底的な改革をして初めて「移行の落とし穴」を抜け出すことができるとする。この見解に立つ論者は中国の社会政治発展のために突破すべきボトルネックを冷静に指摘する。しかし、落とし穴は剛構造であると断言し、実証研究すべき問題を実質的にイデオロギー的立場の問題にしてしまっている。また、この見解の論者は一つの基本的事実を見落としているようである。それは、眼前の抜け出すことのできないように見える落とし穴は、中国が過去三十数年間かつては抜け出すことができないと思われた一連の落とし穴を抜け出したがゆえに出現したということである。言い換えれば、この抜け出すことのできないように見える移行の落とし穴の存在は、まさに中国が移行の落とし穴を抜け出した歴史に根拠を有するのだ。
 私はこの文章の中で三つのことを行う。一つ目は困難の分析、二つ目は活路の探索、三つ目は青写真のスケッチである。私の基本的立場は、現実分析において、対立を回避せず、歴史も切り捨てず、発展の探求において現実条件の制約を直視し、主体性もおろそかにせず、青写真のスケッチにおいて、短期的な実際の操作性を考慮するとともに、中長期の戦略計画と将来展望の保持に努力することである。

一、困難

 現在中国が直面する困難は次の四句で概括することができる。「革命は非合法、改革に推進力なし、社会に共通認識なし、当局は無茶しない。」である。
 第一、革命は非合法。革命は法理論上非合法である。なぜなら革命党は政権党になると、もともと権力奪取のために使った手段と方法を弱化し、それを非合法とするからである。革命は政治理論上非合法である。現代国家の形成と現代軍事技術の発展に伴い、伝統的な農民蜂起を通じた王朝交代の循環理論はすでに破たんした。革命は天理上でも非合法である。革命の主力となり流血の代償を払うのは一般の下層大衆であり、彼らは革命勝利後は再び新政権を養う重荷を背負わざるを得ない。困難は、現実の政治と統治が、絶え間なく革命要求につながる対立と衝突を生み出していることである。革命によって政権を獲得した統治者は、暴力と強制を盲信しがちで、民衆との「妥協」と協議の意識に欠け、いわんや本当の民本・民主政権観など問題外である。その結果、革命が非合法なのに、合法的な革命の要求が高まり続けることになる。
 第二、改革に推進力なし。「改革に推進力なし」とは、上層部の改革の設計と意思決定についてのことである。現在、私たちは改革の道も方向も見えない。「安定がすべてを圧倒する」の統治理念の下で、中国にはあまりにも多くの「敏感」事象、「敏感」人物、「敏感」話題、「敏感」時期が出現し、一部の基本的な経済生活問題でさえ、「敏感」問題にされてしまっている。各種の「敏感」に対し、ほとんどの人は回避的態度をとり、直視して議論できない。困難は、統治者が改革しようとしなくても、改革しなくていいことを意味せず、統治者が安定に妄執しても、彼らの安定しているか否かの判断が正確であることを意味せず、彼らの安定対策が効果的であることを意味せず、いわんや彼らが安定を得られることを意味しないことである。実際、民間の改革要求の声は非常に強い。社会矛盾こそが改革の推進力である。権利擁護活動は各級政府に無数の挑戦をしかけ、これらの挑戦は客観的に改革の推進力となっている。自発的にこの推進力を利用しなければ、それは受動的な張力と圧力に転化するだけである。まさにそれゆえ、「安定維持」指導下の安定維持政治はますます不安定化するという結果をもたらす。
 第三、社会に共通認識がない。当局が主張する「社会に共通認識がない」の意味は改革の具体的ステップ、優先順位に異論があるということだ。困難は、改革すべきかどうかについて、社会には強烈な共通認識があることだ。客観的に存在する社会的共通認識は、中国社会に存在する矛盾と問題を根本的に解決しなければならず、経済成長だけに頼ることはできなくなっており、また枝葉末節の断片的改革に頼ることもできず、根本的な政治領域での改革が必要だということだ。
 第四、当局は無茶しない。当局の言説における「無茶しない」の本来の意味は「精神を集中して建設に取り組み、一心に発展を図る」ということだ。困難は、政治実践と末端統治において「無茶しない」が改革しない、作為しないという意味に変わってしまっていることだ。上層部は「無茶しない」の看板で改革を放棄した。地方幹部はリスクを避けるために、「問題を起こさない」ことを最大の政治成果とし、改革の推進力を失っただけでなく、一般の政治行政事務の処理においては閉塞が疎通にとって代わり、矛盾を隠蔽し、過ちを覆い隠している。しかし、作為しない、改革しない、「無茶しない」は単なる身勝手な願望に過ぎず、ひとたび矛盾が爆発すれば「無茶しない」といっても「無茶せざるを得ない」ことになる。

二、活路

 様々な困難に直面して、活路はどこにあるのか? 活路は活路を探すことにある。活路を探すとは次の二つの基本的事実を認めることを意味する。
 第一、「石を手さぐりしながら川を渡る」時代はすでに過ぎ去った。中国の将来の発展には明確な方向と実現する道筋が必要である。1980年代、政権党の指導者は「手さぐり論」、「白猫黒猫論」、「資本主義か社会主義かを議論しない論」を改革開放の3つの経験とした。この三論は、当時の歴史的条件のもとでは経済体制改革のために時間を稼ぎ、また空間を広げた。しかし、経済改革の限界効用は基本的に使い切った。経済体制改革がもたらした一連の社会問題は経済発展によっては解決できず、政治体制改革のレベルに帰すべき問題である。
 第二、経済体制改革の経験は必ずしも政治体制改革に適用できるわけではない。長年の「手さぐり」の経済改革戦略は我々をして眼前の社会問題と解決方法について体系的認識を欠落させ、一貫した全体構想を欠落させ、改革は往々にして行き当たりばったりになり、明確な目標と方向を持てなかった。複雑な社会矛盾に対して、統治者は「頭が痛ければ頭を治療し、足が痛ければ足を治療する」対症療法を行い、根本的に国家の長期的発展問題を解決しなかった。経済体制改革と比べて、政治体制改革が触れる利益衝突は先鋭で、改革の直接経費はより高く、プラス効果の発揮には時間がかかるため、改革設計をしっかり行い、目標を提示し、しっかり計画することがより必要とされる。
 第三、経済発展には客観的な周期があるが、政治発展にも客観的周期がある。両者の区別は、経済発展周期の予想は難しく、短期・中期・長期の変化は多くの偶然の要素の影響を受けやすいが、政治発展周期にはより大きな操作の余地があり短期・中期・長期の発展について明確な整序が可能なことである。よって、政治体制改革の計画をするときは、一方で全体的なロードマップの設計が可能であり、もう一方でタイムテーブルの計画が可能である。ロードマップがあって初めて方向付けができ、タイムテーブルがあって初めて圧力が生じ、圧力があって初めて緊張感が出る。もし政治体制改革で全体長期計画を作らず、ひたすら「手さぐり」だったら社会は過大なコストを払う可能性があり、時間も許さない。もし政治体制改革でタイムテーブルを作らず、民衆に絵に描いた餅しか与えなければ、民衆の信頼を得て、つなぎとめることはできない。ロードマップとタイムテーブルの制定は、統治者に意思決定の参照系を提供し、政策決定者に各種の選択可能なプランを認識させ、決定の盲点を減らし、改革の可能性を増やすことができ、当然反対者にも批判のサンプルを提供することができる。

三、青写真

 私がスケッチした青写真には二つの次元がある。一つはロードマップ、一つはタイムテーブルである。この動的青写真は緑写真という方がふさわしいかもしれない。この緑は青信号の緑である。私の考えるこのロードマップは二つの補い合う目標と方向がある。一つ目は憲政枠組みの下で権力による権力の牽制を通じて独裁の生み出す可能性のある暴政を根絶すること、二つ目は人民主権理念の枠組みの中で権力による権力の牽制を通じて政治権力の馴化を実現し、政治権力の野蛮と残忍を根絶することである。私の設計したタイムテーブルは中国共産党第18回大会から始まって、計画期限は短期10年、中期30年、長期50年である。計画は大きく分けて2つの段階がある。第一段階は、民生政策の調整を前提とし、民権保障を基礎とし、基本的な社会的公平と正義を実現する。第二段階は、政治改革を前提とし、市民的権利の発展を基礎とし、国家の民主憲政への移行を推進する。当然、ロードマップもタイムテーブルも、十分な弾力性を保留する。

 (一)社会民生政策の調整

 現在、中国は三つの基本的な社会民生政策の調整が必要である。
 第一、権利に基づく財産制度。「国民の私有財産権は神聖にして不可侵である」という憲政上の原則を明確に打ち出し、国民の家屋など不動産に対して十分にして厳格な保護を与え、強制的な暴力的収用行動を厳禁しなければならない。また、2015年までに土地制度改革を完了する。当面の急務は地方政府、とりわけ利益に駆られた末端政府の農村の土地収用上の権力を制限し、農民に自己の権益を守る能力を与えることである。そのためには必ず農村の現行の土地制度を改革し、農村土地所有権の主体と農民の権利を明確にし、既存の土地収用・補償制度を改革し、法律によって農民の利益を保護し、農村の建設用地市場を段階的に開放しなければならない。農村の土地権利確定を行い、農民個人が土地の占有・使用・収益・処分の権利を十分に行使しえるようにし、法律によって地権を農民に返す。農村住宅用地の権利確定改革を加速し、農民に完全な土地使用権を与え、土地の相続・抵当・譲渡の権利を含む農民の適法な財産上の権利と権益を保障し、農村土地市場建設と土地の流動を促進し、農地の直接市場取引制度の構築を模索する。同時に、いかなる土地問題の調整と改革も必ず農民の意思と利益を考慮しなければならない。
 第二、公平を目標とする社会福祉政策。2012年から、社会保障・医療衛生・文化教育・労働就業・老人・障碍者・児童などの社会福祉政策を調整する。都市と農村の社会福祉システムを改善し、社会的富の二次配分を実現し、貧困者と社会的脆弱層に平等に改革と発展の成果を享受させる。そのために、貧困者と社会的脆弱層に特別な配慮をし、老人福祉・生活保護・医療保険などを低所得者に傾斜配分し、貧富の格差を縮める。農業戸籍労働者第二世代の都市住民化問題を優先的に解決するために、教育・医療・仕事・住宅などの面での彼らに対する差別的政策を撤廃し、彼らが都市に溶け込み、職業技能を高めることを促進する。
 第三、自由を原則とする戸籍制度。既存の都市農村分割の二元戸籍制度を都市農村統一の一元戸籍制度に移行させ、「農業戸籍」と「非農業戸籍」の戸籍障壁を打破し、国民に統一の身分を与え、国民の居住移転の自由を十分に保障し、義務教育や大学入学試験など戸籍に付着したもろもろの社会経済的差別を引きはがし、取り除き、本当に都市と農村の住民の機会の均等を実現する。都市で廉価賃貸住宅を大量に建設し、低所得層の都市化を促す。戸籍制度改革の根本的活路は土地と財政制度の一体改革であり、そうして初めて人の移動に伴って戸籍も移動し、福祉の保障もそれに伴って移動する状態が実現できる。現在の人口移動は単方向の移動であり、低福祉地域から高福祉地域への移動である。各地域は農村と中小都市に一定の特色ある優位性を作り出し、人口の双方向移動を奨励する必要がある。同時に、戸籍制度改革は国民の社会権と民族国家〔nation state国民国家の意か?〕の構築にかかわるので、地方制度改革にとどめることはできず、中央政府は国家建設と国民の権利の視点から戸籍改革の関連政令を制定し、法制度上国民の基本的社会権を保障しなければならない。国家、とりわけ中央政府は果たすべき責任と義務を果たさなければならない。戸籍制度改革は2015年までに完了しなければならない。

 (二)社会の開放

 社会の発育と成長は現代国家の基本指標である。現在、中国の〔国家組織に圧迫され〕社会が弱小であるという状況を改め、社会により多くの発展空間を与えなければならない。
 第一、社会組織建設を強化し、民間社会を育てる。都市と農村のコミュニティ管理組織〔社区(旧称居民委員会)と村民委員会のこと〕の適正化を行い、民間公益団体を強力に発展させ、公益を通じてヒューマニズムを再形成する。貧困救済・ボランティア・老人福祉・就業などの分野の民間社会組織を発展させ、社会奉仕活動の発展を促す。民間宗教組織を保護し、国民の信仰の自由を制限したり剥奪している法令を撤廃し、国民(少数民族だけではない)により多くの信仰の自由を与える。同時に、民間社会組織育成に力を入れ、基金を設立し、民間社会組織公共サービスプラットフォームを構築し、徐々に政府機能を転換する。民間社会組織の開放は、今から一部の先進経済地域で始め、2015年には全国的な開放規則を制定する。
 第二、2022年までに政党法を制定し、民間政治組織を開放する。我が国には現在政党法がなく、憲法の序文と総則部分に政党と政党制度について原則的な規定を置いているにすぎない。法に基づく統治のもとでは、政党法の制定が必要であり、政党の組織・活動原則・職責権限などを法に基づいて規律し、国家の政治文明化を促進しなければならない。政党は必ず憲法と法律の範囲内で活動しなければならず、その行為は憲法と法律を超えてはならない。同時に、民間政治組織結成を許し、それが合法的に自らの政治的な主張をする権利を保障する。政府はそれに対して適当な誘導をすることができる。
第三、報道と言論の自由は社会開放の必要条件である。
 (1)行政情報公開を実現する。政府の運営プロセスは必ず公開化・透明化し、政策命令・業務制度・監督業務・人事管理・財務支出・意思決定情報の面で公開化・透明化を実現し、民衆により多くの知る権利を与えなければならない。同時に、国民とその団体に政府の政策決定過程に参加することを許す。行政情報公開ルートを広げ、最新ネットワーク情報技術を十分利用し、政府事務の公開化を実現する。民衆の政府業務に対する評議メカニズムを構築する。2012年より全国の一部の省・市で試行し、2015年に完全実施する。
 (2)公務員の財産などの情報公開を実現する。公務員は就任前に必ず自らの財産状況(現金、預金、自動車、不動産、株式などの投資、書画骨董、経営している企業を含む)を報告し、就任後毎年申告する。また、財産申告は公務員本人にとどまらず、配偶者と扶養されている子供の事業、国外移民などの状況を必ず含まなければならない。国家安全部や身分を明らかにするのが好ましくないところで働く公務員以外は、各申告受理機関はその財産申告資料を公開し、大衆の閲覧とコピーに供し、社会の監督を受けなければならない。もし国民が公務員の財産状況について疑義や告訴を提出したときは、関係機関は調査し結果を公表しなければならない。虚偽の公表をしたと確認された場合は、懲戒免職処分とする。2013年に全国の一部地域で試行し、2015年より全国で実施する。
 (3)報道立法を推進し、言論の自由・出版の自由・世論の監督権を保障する。新聞審査制度の使用を制限し、政府の言論に対する権力行使を規律し、言論の処罰を禁止し、民衆により多くの表現の自由を与え、ジャーナリストの権利を保護する。この過程において、意識的に草の根大衆の市民意識を育成し、彼らの自発的改革参加を奨励し、彼らと政府組織内の意思決定者の間で制度イノベーションの合力を生み出し、政策アウトプットと民間フィートバックの双方向で相互促進と意思疎通・是正と摺合せを図ることで初めて端緒についた政治・行政体制改革を深め、安定させ、効率化することができる。2015年に新聞法を制定する。


北京愛知行研究所:ウイグル人ストリートチルドレン連れ帰りについての提言(2011年)

2012-09-13 18:44:31 | 中国異論派選訳
2011年4月28日 木曜日

北京愛知行研究所:新疆にストリートチルドレンを連れ帰るときには、必ず法律に基づき人権を尊重しなければならない


張春賢新疆ウイグル自治区共産党委員会書記は、4月21日にすべての自治区外で放浪している新疆戸籍のストリートチルドレンを連れ帰り、必要な学習教育条件を提供し、彼らが健康に成長できるようにすると宣言しました。

張春賢はその日に行われた「内地派遣活動打ち合わせ会」の席で、4月23日から5月1日までの期間、新疆から19か所のカウンターパート援助省(市)に代表団を派遣することについて発言し、その重要な議題の一つが、行った先の省(市)で「すべての新疆籍ストリートチルドレンを連れ帰る」と宣言することだ、という内容を語りました。

北京愛知行研究所は新疆ウイグル自治区のこの行動を非常に重視します。私たちは自治区政府の児童保護についての約束を歓迎します。しかし、私たちは児童保護事業は必ず中国の法律に従い、人権を尊重しなければならないと考えます。私たちは、自治区外にいるストリートチルドレンの連れ帰り事業は、児童の知る権利と自己決定権を尊重しなければならず、また放浪グループの複雑な環境を考慮しなければならず、自治区外にいるストリートチルドレンの連れ帰りが、集中弾圧であってはならず、自治区外で仕事と生活をする新疆ウイグル人の追放行動でないことを保証しなければならない、ということを特に注意喚起します。

一、ストリートチルドレンの保護は中国法の要求であり、国際社会への公約である

「中華人民共和国未成年者保護法」(1991年9月4日第7期全国人民代表大会常務委員会第21回会議可決、2006年12月29日第10期全国人民代表大会常務委員会第25回会議改正)

第3条
未成年者は生存権、発展権、保護を受ける権利、参加権などの権利を保障され、国家は未成年者の心身の発達の特徴に応じて特殊かつ優先的な保護を提供し、未成年者の法益が侵害されないよう保障する。

〔上の条文で〕未成年者が教育を受ける権利を有すること、国家・社会・学校・家庭が未成年者の教育を受ける権利を尊重することを保障しています。

第41条
未成年者の人身売買、誘拐、虐待を禁止し、未成年者に対する性的侵害を禁止する。

〔上の条文で〕脅迫、誘惑、未成年者を使った物乞いもしくは未成年者にその心身の健康に有害な演技などをさせる活動は禁止されています。

第43条
県級以上の人民政府及びその民政行政機関は必要に応じて救護場所を設置し、放浪・物乞いなど生活のあてのない未成年者を救護し、臨時監護責任を負わなければならない。公安機関もしくはその他の関係機関は放浪・物乞いもしくは家出した未成年者を救護場所に護送し、救護場所が救護と世話をし、かつ速やかにその両親もしくは他の監護人に対し引き取るよう通知しなければならない。
孤児、両親もしくは他の監護人を探し出せない児童、およびその他生活のあてのない未成年者は、民政行政機関が設置した児童福祉施設で養育する。


「子供の権利条約」(国連総会1989年11月20日可決)

第20条
1、一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかんがみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を受ける権利を有する。
2、締約国は、自国の国内法に従い、1の児童のための代替的な監護を確保する。


第32条
1、締約国は、児童が経済的な搾取から保護され及び危険となり若しくは児童の教育の妨げとなり又は児童の健康若しくは身体的、精神的、道徳的若しくは社会的な発達に有害となるおそれのある労働への従事から保護される権利を認める。

第33条
 締約国は、関連する国際条約に定義された麻薬及び向精神薬の不正な使用から児童を保護し並びにこれらの物質の不正な生産及び取引における児童の使用を防止するための立法上、行政上、社会上及び教育上の措置を含むすべての適当な措置をとる。

第34条
 締約国は、あらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から児童を保護することを約束する。

第35条
 締約国は、あらゆる目的のための又はあらゆる形態の児童の誘拐、売春又は取引を防止するためのすべての適当な国内、二国間及び多数国間の措置をとる。

二、内地に大量の新疆出身ストリートチルドレンがいる

ウイグル人知識人で記者のガイラット・ニヤズ氏は、2010年7月23日に新疆ウルムチ市の裁判所で「国家安全危害罪」で15年の懲役判決を受けました。ガイラット・ニヤズ氏は法廷で無罪を主張し、上告すると表明しました。

ガイラット氏は2009年1月26日に「新疆ウイグル自治区政府はこれ以上行政不作為を続けてはならない」と題するブログ投稿で、次のように書いています。
「内地のウイグル人スリの問題、内地の新疆籍ストリートチルドレンと人身売買、児童に対する犯罪教唆の問題、内地でのウイグル人の薬物販売・薬物中毒・売春問題、内地でのウイグル人ギャング問題……、これらはすでに単純な社会問題や民族問題ではなく、国内の民族間関係と経済発展、社会の安定に重大な影響を与える重要な政治問題である。新疆ウイグル自治区政府はこれ以上見て見ぬふり、無関心を決め込むことはできず、これ以上行政不作為を続けることはできない。」

新疆籍ストリートチルドレンの状況は複雑です。なぜなら彼らには両親や家族がいますが、人身売買されたり誘拐されたりして内地に行き、家族から離れ、犯罪活動に従事しているからです。現在学界には新疆籍ストリートチルドレンについての統一概念は無いといえます。多数は新疆籍ストリートチルドレンは人身売買で内地に連れて行かれ犯罪活動に従事する未成年者の集団とみなしています。これらのストリートチルドレンは売られてから成人の暴力と脅迫によって犯罪活動を行うことを強制され、たとえ一部の児童は16歳以上で、一定の刑事責任能力があるとはいえ、言葉の壁や民族の違いなど客観的要因により自分を救い出すすべがなく、外から救われることもなく、ある意味で彼らは被害者であって、犯罪者ではありません。

北京市収容返送所だけでも、1998年と1999年にウイグル人ストリートチルドレンを382人と515人収容し、それは当該年の被収容16歳未満児童の12%と11%を占めています。

三、ストリートチルドレンの保護には児童の人格尊重と児童優先の原則が必要である

「未成年者保護法」第5条
未成年者の仕事を保護し、以下の原則を順守しなければならない。
1、未成年者の人格尊重。

「子供の権利条約」第3条
児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。

四、ストリートチルドレンの保護には法律順守と人権尊重が必要である

児童保護事業は必ず中国の法律に従い人権を尊重しなければなりません。自治区外にいるストリートチルドレンの連れ帰り事業は、児童の知る権利と自己決定権を尊重しなければならず、また放浪グループの複雑な環境を考慮しなければならず、自治区外にいるストリートチルドレンの連れ帰りが、集中弾圧であってはならず、自治区外で仕事と生活をする新疆ウイグル人の追放行動でないことを保証しなければならない、ということを特に注意喚起します。とりわけ、自治区政府と現地政府は全戸調査を行ってすべての内地で生活しているウイグル人家庭の子供を調査したりしてはならず、警察が所持している犯罪証拠、ストリートチルドレンの状況にのみ基づき、自治区外にいるストリートチルドレン連れ帰り事業を行わなければなりません。

「未成年者保護法」第43条
県級以上の人民政府及びその民政行政機関は必要に応じて救護場所を設置し、放浪・物乞いなど生活のあてのない未成年者を救護し、臨時看護責任を負わなければならない。公安機関もしくはその他の関係機関は放浪・物乞いもしくは家出した未成年者を救護場所に護送し、救護場所が救護と世話をし、かつ速やかにその両親もしくは他の監護人に対し引き取るよう通知しなければならない。
孤児、両親もしくは他の監護人を探し出せない児童、およびその他生活のあてのない未成年者は、民政行政機関が設置した児童福祉施設で養育する。


五、ストリートチルドレン保護事業にはウイグルなど少数民族の社会組織の発展が必要である

「未成年者保護法」第27条
国家は社会団体、企業・団体組織およびその他の組織と個人が、多様な方式で未成年者の健康な成長に役立つ社会活動を行うことを奨励する。

内地の新疆籍ストリートチルドレン(主にウイグル人の児童)は非常に周縁化された社会環境下にあり、少数民族が自民族の社会団体を発展させ、少数民族社会団体が児童保護における役割を発揮することを奨励支援する必要があります〔実際は新疆ウイグル自治区においては民間の社会活動は内地に比べて格段に厳しく禁圧されている〕。

六、ストリートチルドレン保護事業には、ウイグル民族の優れた知識人を保護する必要がある

ガイラット・ニヤズ、51歳、新疆ウイグル自治区チョチェク市出身、ウイグル人の著名なジャーナリスト、元新疆経済報記者は、2009年10月1日に警察によってウルムチ市内の自宅から連行され、10月4日に家族は公安機関の拘留通知書を受け取りました。それによると拘留の理由は「国家安全危害罪」であるとされ、警察はまたガイラットが7・5事件の後多くの海外メディアの取材に応じたことまで取り上げています。ガイラットは法廷で海外メディアの取材に応じたことを認めたが、それは市民として、記者としてなすべきことであると主張しています。

香港の『亜洲週刊』2009年7月23日号に掲載されたインタビューによると、ウルムチのガイラット・ニヤズという一人の知識人が、7月4日午後8時に、関係当局に対して警告していました。また7月5日午前10時前後に、自治区政府の主な指導者に会って、直接以下の3点の提案を行っています。第一、新疆ウイグル自治区主席ヌル・ベクリが昼の12時前に声明を出す。第二、少数民族居住区の漢人商人に対して、早めに店を閉めて家に帰るよう通知する。第三、動員できる軍・警察をすべて動員して少数民族居住区を隔離し、主な交差点を封鎖・巡回し、退勤時間後に戒厳令を出す。ガイラットが会った政府指導者は電話で〔共産党指導部の〕指示を仰ぐと述べたが、結果として3つの提案はすべて採用されなかったということです。〔これはガイラットが平和的なデモの計画に乗じて暴動を起こそうとしているウイグル人グループがあるという情報をつかんで当局に警告したが、聞き入れられなかったという事件。一記者ですら事前にそのような情報を入手したのだから、ウイグル人の中にもスパイ網を張り巡らしている中国共産党が事前に把握していなかったとは考えられない。2008年のラサ暴動でもそうだが、中国共産党はわざと警備の空白を作って暴動を誘発したり、暴動被害を拡大させて、少数民族のイメージを悪化させるという卑劣な行為を得意としている。暴動グループの中に中国共産党の挑発者がいた可能性も否定できない。〕

ガイラットも早くからウイグル人の内地ストリートチルドレン問題と社会問題に関心を寄せ、新疆ウイグル自治区政府に対して積極的に行動して子供たちを守るよう呼びかけていました。私たちは、新疆ウイグル自治区政府が速やかにガイラット氏を釈放し、ウイグル民族の良心的人士を監獄から社会に返し、自民族のために貢献させるべきだと考えます。

七、ストリートチルドレンを保護するために、心身の健康問題に責任ある対処をする必要がある

私たちは、新疆ウイグル自治区政府が、連れ帰ったストリートチルドレンに教育と訓練の機会を提供すると述べていることに注目します。私たちは、これは非常に重要な措置であり、これらの児童の社会復帰と生計の手段の取得に役立つと考えます。しかし私たちが自治区政府に注意を促したいのは、教育と訓練の機会提供だけでは不十分であり、自治区政府はストリートチルドレンの中に存在する深刻な心理的健康障害とその他の心身の健康問題を考慮しなければならないということです。それにはエイズウイルス感染、結核、ウイルス性肝炎および深刻な薬物依存が含まれます。私たちは、すべての連れ帰ったストリートチルドレンに基本的な医療支援、薬物更生治療などを提供することが喫緊に必要であり、またそれが政府の支援事業の成否を決定すると考えます。

北京愛知行研究所は公衆衛生と人権に関心を寄せる民間社会組織です。2006年以降、私たちは積極的にストリートチルドレンを含む内地ウイグル人グループに関心を寄せてきました。2010年初、北京愛知行研究所は1名のストリートチルドレンを薬物密売集団の支配から解放し、故郷に返しました。2010年初、私たちはまたエイズと結核を併発したストリートチルドレンに入院治療の機会を提供しました。2010年8月20日、米国議会行政機関中国事務委員会〔?〕の中国の人身売買に関する円卓会議の席上、北京愛知行研究所所長の万延海は愛知行の事業の中で人身売買に関する問題について紹介し、その中で特にウイグル人の内地ストリートチルドレンの人身売買と犯罪問題について言及しました。

私たちは、自治区政府の児童保護に関する約束を歓迎しますが、児童保護事業は必ず中国の法律に従い人権を尊重すべきものと考えます。


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北京愛知行研究所
電話:010-88142132 ファックス:010-88142133
爱知行動 LOVE KNOWLEDGE ACTION
http://www.aizhi.net/
Twitter: @azxing

原文
〔 〕内は訳注

転載自由・要出典明記

老虎廟:李旺陽「自殺」現場実録

2012-06-07 13:23:11 | 中国異論派選訳
老虎廟:李旺陽「自殺」現場実録

湖南省邵陽市労働運動リーダーの李旺陽は世間の人から「硬骨漢」と呼ばれていた。しかし李旺陽は2012年6月6日入院中の病室の窓格子に首を吊っているのが発見された。発見時には、すでに息絶えていた。時間は朝6時過ぎだった。
「自由アジアの声」の報道(全文)は以下の通り。

 1989年の六四(天安門)事件で多年にわたって獄につながれていた湖南省の民主活動家李旺陽が突然邵陽の病院で死亡した。維権ネットの報道によると、彼の妹の李旺玲が水曜日の朝に病室に入って、彼が「病室の窓に首を吊って死んでいる」のを発見した。警察官が現場に来て、彼の遺体を持ち去った。家族は今現在彼の死が他殺なのか自殺なのか分からず、また死亡時間が火曜日の夜なのか水曜日の朝なのかもわからない。香港の中国人権民主化運動情報センターによると、李旺陽の友人は、彼が虐待されて殺されて、それを自殺と偽装されたのではないかと疑っている。報道によると、今年62歳の李旺陽は、1989年六四事件の時は現地のガラス工場の労働者で、デモを組織し、学生を支援したために、「反革命組織罪」で13年の刑を受けて服役し、2001年には再び「国家政権転覆罪〔反革命罪の新名称〕」で10年の刑を受け、昨年5月に出獄したときは、視力も聴力も失われていた。今年6月2日、香港有線テレビが彼のインタビュー番組を放送した。その中で彼は、国が早く民主社会になって、多党制を実現するためなら、たとえ首を切り落とされても後悔しない、と語っていた。米国の全米中国学生学者自治連合会が6月2日にワシントンで挙行した六四23周年記念活動の際には、2012年の自由精神賞が李旺陽に授与されている。(RFA)
 
 私は当日の朝7時、湖南省の朱承志さんの電話を受けた。「簡単に言うと、李旺陽が死んだ、自殺した。今病院に向かっているところだ」。
 朱さんは多くを語ろうとせず、あわただしくそう言い終るや、エレベーターに乗り込んで信号が弱くなってしまった。
 私の聞いているところでは、今月4日、朱承志は大祥医院に入院中の李旺陽を見舞っている。当時の李旺陽の状態はよく、しかもよく話しをした。そのうえ妹の李旺玲にラジオを買うよう頼んでいた。李旺陽は23年前に六四事件に連座して監獄で22年間を過ごし、拷問を受け、体のあちこちを骨折、打撲し、両目は失明してしまった。ベッドに横たわる李旺陽には麻痺の症状もあらわれていた。自分がラジオを欲しいのは「聴力を回復するため」だと彼は言っていた。
 6日の朝、李旺陽の妹の李旺玲はいつもの習慣どおり病院に兄の世話に行ったが、そこで凄惨な情景を発見した。 
 私は朱承志の電話での話を元にすぐに騰訊、新浪にウェイボー〔ツイッター式の国内サービス〕で「湖南省邵陽市の李旺陽(この人について知りたい人は検索で調べて)が今朝自殺しているのが発見された。一分前の情報で、現在まだ窓枠に吊られている。状況不明。」と流した。
 李旺陽が死亡した病院は邵陽大祥医院だ。死者は一本のガーゼ包帯のようなもので窓格子に吊られていた。
 警察が来た時間は不明。6日当日午後3時ごろ朱承志はショートメールで「警察はすでに死体を奪った。家族は同意していないが、どうしようもなかった」と知らせてきた。
 夜8時ごろ朱承志のショートメールを受けた。「李旺陽の妹の夫趙保珠が邵陽市国内安全保衛分隊〔治安警察、戦前日本の特高のようなもの〕の趙分隊長に民族ホテルに強制的に連行され『交渉』させられている」。現場には朱承志さんが同行した。邵陽市公安局国内安全保衛分隊の趙分隊長は李旺陽が死亡してから1日もたたないうちに、家族の趙保珠に「関係機関の調査によって、李旺陽は自殺と判明した。」と宣告し、直ちに死体を火葬するよう迫った。
 同時に、朱承志さんの家族から立て続けに電話が来て、国内安全保衛隊が家に来て、朱承志さんの97歳になる老母に嫌がらせをし、朱承志にすぐに家に戻るよう電話しろと迫った。朱承志さんは一日中、李旺陽の傍で悲しみにくれて誰の助けも得られない家族に寄り添っていた。朱承志はさらに彼の姉の電話を受けた、彼女は電話で、警察の嫌がらせでもう耐えられない、と話した。
 李旺陽が突然死亡したという情報がネットで広がった。圧倒的多数の意見は、堂々たる「硬骨漢」が「自殺する」なんて決してありえないといものだった。
 経緯が疑わしいので、必ずきちんと調べなければならない。
 引き続き事態の発展を注視してください。

原文(動画あり)

5月2日夜の滕彪と陳光誠の電話会話記録

2012-05-03 12:12:25 | 中国異論派選訳
5月2日夜の滕彪と陳光誠の通話記録

★ 2012年5月2日19:55

陳光誠:ハイ、僕が誰だかわかるかい?
滕彪:光誠じゃないか!ニーハオ!久しぶりに君の声を聞けて感動したよ!自由になって本当に良かった。みんな君を心配してるよ。今病院かい?
陳:そう、病院だ。
滕:今みんなが一番心配しているのは君のこれからだ。これからどうするつもりなんだ?……友達として言うと、僕は君が慎重に判断して決めてほしい。君を心配している大多数のブロガーは君が中国を離れて、家族と一緒にアメリカで生活することを望んでいる。
陳:うん。
滕:大勢の人からよろしく伝えてくれと言われてる。みんな君を心配してる。アメリカのコーエン教授、香港の艾華教授、それに大勢のブロガーたち。何年も彼らは君のためにたくさんの努力をしてきた。
陳:ありがとう。皆さんのご心配に感謝するよ。コーエン教授も艾華教授も知ってる。
滕:きみ今身体はどうだい?足の傷の他にも傷は有るの?
陳:みんなどうもありがとう。他の所はかすり傷、足は骨折していて、今ギプスをはめている。
滕:ずっと体を壊して、下痢をしてたよね。精密検査は受けたかい?
陳:明日検査を受ける。
滕:偉静〔陳光誠の妻〕が出て来たって?山東の役人が付いて来たって?君のお母さんは?まだ軟禁されてるの?
陳:そうだ。たぶん山東が中央の命令を受けて、袁偉静を北京に送ってきたんだろう。母さんはまだ家にいるけど、電話が通じない。家の周りに監視カメラと新しいバリケードを取りつけたらしい(注:ここは良く聞き取れなかった)
滕:陳克貴と君の兄さんの陳光福の状況は知ってるかい?陳克貴はすごく危険な状態になってる。陳華も陳華の父親も捕まった。
陳:それは聞いてる。
滕:彼〔陳克貴〕はすごく危険だ。一旦捕まったら、どうなるか分からない。
必ず君からアメリカ大使館に陳克貴、陳華と君の家族のことを話せよ。克貴のことは、法的には正当防衛だってことはみんな知ってる。だけど、君が言わなかったら報復が彼らの身に及んで大変なことになる。
陳:もう話した。
滕:もう一つ、今日の外交部のスポークスマンの談話を知ってるかい?君のことについてだ。
陳:知らない。
滕:談話の態度はすごく強硬で、ぜんぜん中米の友好的協議の雰囲気じゃない。外交部スポークスマン劉為民は「米国大使館が不正常な方式で中国国民陳光誠を大使館に入れたことに、中国側は強烈な不満を表明する。米国のやり方は中国の内政に対する干渉であり、中国は決して受け入れない。米国大使館は国際法と中国の法律を遵守する義務があり、その職務にふさわしくない活動をしてはならない。中国は米国に対してこの件について謝罪し、徹底的に調査し、関係者を処分し、再び類似の事件が起きないことを保証するよう要求する。」すごく横暴だ……彼らが今、事後弾圧をしないと約束しても、絶対に信じられない。そんな約束はせいぜい持っても1、2週間だ。このまま中国に留まったら、非常に危険だ。
陳:うん。
滕:誰かに会ったかい?
陳:会ってない。今日の午後は誰にも会ってない。多分阻止されてるんだろう。
滕:大勢のブロガーが君を見舞いに行ったから、阻止されたに違いない。僕が北京に居ても、やっぱり阻止されただろう。なんとかして君に会いに行くよ。……どこかの学校で教えるとか勉強するとか聞いたけど、どこだい?
陳:勉強だ。どこに行くかは決まってない。
滕:光誠、絶対そういう決定をしたらだめだ。君が中国に残ったらすごく、すごく危ない。本当だ。
陳:(沈黙)
滕:一人の監視人が、君の逃走を助けて捕まったと聞いたけど。本当か?
陳:監視人は誰も助けてくれなかった、自分で逃げたんだ。
滕:パール〔陳光誠を車で北京に運んだ何培栄のニックネーム〕のことは聞いてるかい?
陳:知らない。失踪したとだけ聞いた。
滕:そうだ、パールは失踪した。郭玉閃〔何培栄と一緒に陳を救出した〕は放免されたが、まだ危ない。事後弾圧は必ずある。××年〔89年のことか?〕にも政府は誓って事後弾圧はしないと言ったが、そのあと逮捕、銃殺をどれだけやった?!君も知ってるだろうが、江天勇、範亜峰、唐吉田、余杰、李方平そして僕、みんな国際的にも少しは知られた人間だが、みんな拷問を受けた。もし今回出国できなかったら、すぐには手を出してこないかもしれないが、報復が始まったら恐ろしい。収監4年、軟禁2年半なんて簡単なもんじゃない。やつらの拷問は本当に恐ろしくて、耐えがたいんだ。もう何年も君を迫害し続けているのは山東だけなんて簡単なことじゃない、君たちは北京で何度も拉致された。1回は君のお母さんと克睿と一緒にうちのアパートの下で、北京の警察が僕を引き離して地面に倒して君たちを強制連行したんだ。それから江天勇のアパートの下での拉致、みんな北京が絡んでる。政府は君を憎んでる。君の温家宝へのビデオでの要求は良かった。温家宝は良い人だけど、彼一人が全力で君を守ろうとしても、おそらくできはしないだろう。
陳:そうだ、分かった。
滕:君の周りに大使館の人間はいるかい?
陳:いない、彼らはもう帰った。大使館の人はずっと付き添うと言っていたが、今は帰ってしまった。僕一人だけだ。
滕:じゃあ今すごく危険だ!今日の午後ヒラリーに会ったのか?
陳:電話で話した。会ってない。
滕:ゲイリー・ロック〔米国大使〕が病院まで付き添ったのか?
陳:ゲイリー・ロックやキャンベル達が付き添ってくれた。
滕:すぐに大使館に戻った方がいい。
陳:それは…ちょっと無理だ。
滕:米国大使館が戻るのを拒否してるのか、それとも中国政府が行かせないのか?
陳:僕は……
滕:光誠、たとえ君が大使館には戻らないとすでに言ったとしても、今思いなおしても遅くないし、完全に理解してもらえる。考え直してみろよ。克貴、陳華の家族も危険だし、パールたち君を救ったブロガーもみんな捕まった。いま自分のためじゃなく、親族や君を救った友達のためにも、大使館に戻って、なんとかしてアメリカに行くべきだ。もしこの事件が曖昧に終わったら、みんなが大変な危険にさらされる。……僕たちは君が中国を離れたくない気持ちはよく分かる。残って、貢献をしたい。だけど、きみが残っても何にもできないんだ。たとえ危ないことに触れないで、自分の生活だけに関わったとしても、必ずいろいろな妨害を受ける。出獄後に始めた商売をつぶされた友達もいる。君はもう中国の人権、自由のためにこれだけたくさんのことをして、こんなにたくさんの犠牲を払ったんだ。僕たちはみんな君がこれ以上犠牲を払うのを見たくない。慎重に考えてくれ。
陳:わかった。
滕:じゃあ気を付けて。何かあったらすぐに電話してくれ。

★ 2012年5月2日20:45

陳:一つ君に話しておかないと。奴らの報復はもう始まったみたいだ。まだ夕食が来ない。子供はお腹がすいて泣いている。
滕:大使館の人に電話したか?彼らに話してみろ。看護師はなんて言ってる?
陳:用事があったら主任に言えと。
滕:もうすぐ9時なのにまだ夕飯が出ない?×××に電話して……
陳:君から電話してくれ。
滕:わかった、すぐ電話する。

★ 2012年5月2日20:47

袁偉静:ニーハオ、夕飯届いたわ。
滕:僕と光誠との話はみんな聞いた?夕飯届いたんだね?大使館の人は来るって言った?
陳:大使館の人が病院に掛けあってくれた。
滕:君先にご飯食べろよ、電話、偉静に代わって、彼女と話すから。
(偉静に)僕が光誠に話したのはかいつまんで言うと、考えを変えて、中国を出ろと言うこと。中国に残っていたら危険すぎる。中米交渉を今やってるから、彼らはすぐには君の安全を確保するだろうが、アメリカ人が帰ったら、危なくなる。事後弾圧は恐ろしい。もう何年もやつらが君たちに何をやってきたかはよく知っている。それは臨沂(りんき)や山東が勝手にやったことじゃない。光誠の中国に残って貢献したいという気持ちは僕も良く分かる。だけど客観的にまず不可能だ。大勢そういう経験をしている。人権活動だけじゃなく、NGOも弾圧され、商売だってできない。それから、パールや克貴たちもすごく危険だ。いまは一部の人間だけじゃなく、みんなが君たちが安全にアメリカに行って正常な生活を送ることを願ってる。君たち、僕の提案をよく考えてみてくれ。光誠がなにか約束をしたとしても、態度変更は十分可能だ、米国大使館は彼の再避難を拒否しない。
袁偉静:分かったわ。光誠に代わる?
滕:いや、先にご飯を食べさせて。……光誠のお母さんの状況はどう?
袁:体調をひどく崩してる。家であんな大事件があって、ずっと心配し続けて。
滕:家の周りにまだ監視人はいる。
袁:監視人は今は一般人じゃなくて、みんな警察になったわ。
滕:陳光福は?家にいる、それとも連行された?
袁:私たち知らないの。連絡が取れなくて。
滕:じゃあご飯食べて、何かあったら連絡ください。

★ 2012年5月2日22:05

滕:脅迫されてるのか?
陳:そうだ、まさに。今日の午後外交部の人が僕に、もし大使館から出なかったら、偉静と子供は山東に連れ戻すと言った、一緒に来た人間が近くにいる。
滕:今残っている選択肢はもう多くない。大使館に電話して、はっきり君の意思を伝えるんだ。大使館に戻りたい、そうでなければ安全が保障されないと。
陳:うん。
滕:金燕〔曾金燕、胡佳の妻〕が今日君の状況をネットで発表した。いま彼女の家の中には何人も監視人がいて、今は彼女と連絡がつかなくなっている。ヒラリーが北京にいるうちに、全世界が注目しているうちに、今なら要求を出しても間に合う。そのあとはもう間に合わないだろう。……今日ネットでヒラリーの声明を見た。彼女は君の意思と米国の価値観でこの事件を処理すると言っていた。君の意思が第一位だ。今大使館に電話してみろよ。
陳:わかった。

★ 5月2日22:12

陳:大使館に電話したが、誰も出ない。
滕:もう一度試してみろ。


★ 5月2日23時前後

何回か光誠に電話したが、通じなかった。

(2012/05/02 発表)

原文出典:http://blog.boxun.com/hero/201205/tengb/1_1.shtml
(転載自由・要出典明記)

新京報:北京の出稼ぎ子女学校がなくなる

2011-08-20 17:33:50 | 中国異論派選訳
北京の出稼ぎ子女学校がなくなる


@新京報浦峰:北京の約30か所の出稼ぎ子女学校が閉鎖通知を受け取った。その範囲は大興区、朝陽区、海淀区の3万人近くの学童に及んでいる。海淀区東昇郷の新希望実験学校の保護者の一人は地面に寝転んで、「おれたちだって北京に貢献しているのに……」と叫んでいた(出典写真参照)。

二日後、この日は海淀区東昇郷の出稼ぎ子女学校--新希望小学校の新学期の予定日だったが、800人以上の子供の学んでいた校舎があったところはガレキの山しか残っていない。

8月10日、賃貸契約の期限が来たので、新希望小学校の用地は東昇郷科学技術管理所に没収され、校舎は全部壊された。

調査によると、6月中旬から、大興区、朝陽区、海淀区で30か所近くの出稼ぎ子女学校が相次いで閉鎖通知を受け取った。その影響は3万名近くの学童に及んでいる。

学校によると学校運営許可申請が承認されなかった

「もう10年も学校を続けているのに、こんなに簡単に閉鎖するなんて」大興区西紅門鎮団河実験学校の楊校長は憂い顔で話した。

6月9日、団河実験小学校の560名あまりの学童が期末試験が終わって校門を出るとき、一枚の通知書を配られた。通知書には「検査の結果、団河実験小学校は違法建築で違法教育を行っており、重大な安全上のリスクがあるので、2011年6月20日より取り締まる。保護者は前払い学費を納入しないように。」と書かれていた。

その後、大興区の10か所余りの出稼ぎ子女学校が相次いで閉鎖通知を受け取った。学校運営許可証、不動産証明書がなく、校舎が違法建築で、安全上のリスクがある、というのがこれらの学校の閉鎖の共通の理由である。

「2006年から、区ではどこの出稼ぎ子女学校にも学校運営許可証を交付したことがありません」と楊校長。学校を2002年に創立してから、彼女は何度も各級〔郷鎮・区県・市〕の教育委員会に学校運営許可証を申請したが、承認されることはなかった。

楊校長が言うには、現在大興区で学校運営基準を満たしていない学校は少なくとも17校あり、今回の閉鎖で、1万名あまりの出稼ぎ労働者の子女が教育の機会を奪われる。

市教育委員会は「状況をよく把握していない」と言った

大興区と似たような状況は朝陽区と海淀区の多くの出稼ぎ子女学校でも起こっている。

「今年6月末、学校は契約がもめて、村民委員会〔村役場〕から水と電気を止められた。」と海淀区紅星小学校の謝校長は話した。8月9日午前、学校側と家主は海淀区裁判所からの電話を受けた。「裁判官は建物と土地は強制収用すると言った。すると村民委員会の人はすぐに建物を壊しはじめた。」

長い間出稼ぎ子女学校に関心を寄せている田坤弁護士によると、現在北京には100か所以上の学校運営基準を満たさない出稼ぎ子女学校がある。これらの学校に対して、区・県は異なる監督政策をとっている。だが、閉鎖と学童の分散は共通の政策方向だ。

昨日、多くの出稼ぎ子女学校が閉鎖されていることについて、市教育委員会はそれは区や県のことで、自分たちは把握していないと語った。

朝陽区教育委員会の責任者はすでに十分な準備をしており、閉鎖された学校の児童は一人も教育の機会を奪われることはないと語った。海淀区と大興区の教育委員会は回答していない。

個別事例

出稼ぎ子女学校:正規化は夢に過ぎない

「納得できません。出稼ぎ子女学校を初めて10年以上、ずっと良いこと、善行を行っていると思ってやってきたのに、いつも追い立てられる」団河実験学校の校長は目を赤くして話した。

楊女史によると、学校は2002年に創立し、最初は合わせて100平米ほどの数部屋を借りて出発した。2003年、鎮教育委員会の要求に応じ、楊女史はこの4000平米の村所有の土地を借り、自分たちで18部屋の平屋教室を作った。

四川汶川地震〔2008年〕の後、大興区の出稼ぎ子女学校は教育委員会の要求に応じ、校舎を補強し設備を増やした。去年大興区育紅学校は2階建ての校舎まで建て、監視カメラ、消防設備を設置し、各教室にエアコンも付けた。聞くところによると200万元もかかったそうだが、1年使っただけで閉鎖命令を受けた。

「前任の大興区共産党委員会書記もわが校に視察に来て、よく運営しているから、学校運営許可証を申請してもいいと言ったんです。」と楊女史は語る。その時はすごく喜んだが、教育委員会に何度申請しても承認されなかった。2006年、北京の多くの区県で出稼ぎ子女学校に対する学校運営許可証発行を停止した。

「北京市小中学校運営条件基準」の中の「基本基準」によると、学校敷地は1万5千平米以上、 校舎延べ床面積は3587平米以上、そのうち運動場にはすくなくとも200メートルトラックなどを設けていなければならないとなっている。「まったく、この条件はどこの出稼ぎ子女学校だって満たせるわけがありません。正規化は夢に過ぎません。」と楊女史は語った。

善後策

朝陽区

2方式で児童を分散

説明によると、朝陽区は2つの方式で児童を分散する。もし子供が現住地の「校区外就学証明」〔中国では戸籍移動は出来ず、戸籍がなければ実際に住んでいても「校区外」〕を取得できる場合、居住地の公立学校に無償で就学できる。もし「校区外就学証明」を取得できなければ、教育委員会はその子を教育委員会が委託した学校に通わせる。その場合今年の教育費は350元/学期、教材費は免除する。

博雅小学校は東壩付近の政府委託学校だが、昨日急にこの地区の閉鎖された学校の学童の保護者の相談場所に指定された。5か所の委託学校がここで相談を受ける。保護者は子供の現況説明表を1枚記入し、就学の意向を書き、表を受入希望学校に提出する。その後各校が受け入れの可否を保護者に通知する。

朝陽区教育委員会の責任者は、「原則として最大限保護者の就学希望を満足する。たとえば委託学校が定員になったら、教育委員会が他の学校を紹介する」と言った。

だが、閉鎖された藍天実験学校の竹道静校長は、東壩地区だけで閉鎖された学校は4校あり、学童総数は3900人を超えるから、委託学校の受け入れ能力全く足りないと語る。

これについて、朝陽区教育委員会の責任者は、区教委が受入学校の受け入れ能力を保障するから、絶対一人も漏らさないと語った。

海淀区

「五証」で公立学校に申請

朝陽区と異なり、海淀区紅星小学校、新希望小学校が閉鎖されてから、その所在地の東昇郷政府職員は保護者に対し、自分たちで「五証」を申請し、公立学校に入学申請するよう告げた。

いわゆる「五証」とは、保護者もしくは監護者の在北京暫定居住許可証、在北京実居住地居住証明書、在北京就業証明書、戸籍所在地〔出身地〕郷鎮政府の発行する出身地に監護条件がないことの証明書、家族全員の戸籍証明書のことである。

「『五証』は大多数の保護者にとって、非常に敷居が高い。」と多くの学校担当者が直言する。出稼ぎ子女学校の学童の保護者は、大多数が野菜農家、街頭販売業者、臨時工、さらにはスカベンジャーであり、「五証」などそろえられるはずがない。

昨日までの時点で、紅星小学校の1400名あまりの学童のうち、わずか70名の学童の保護者が「五証」をそろえることができて、公立学校に入学申請した。新希望小学校は800名あまりの学童のうち、わずか100名あまりが申請できた。

「ほかに100名あまりの保護者は、やむなく子供だけ故郷に帰すと言っています。残りの600名の子供は、まだ学校が壊されたことを知りません。」と新希望小学校の肖校長は語った。

本誌記者 石明磊 王佳琳 杜丁

来源:新京报(2011年8月16日の記事)

出典:http://tetui.me/?p=1663

閭丘露薇:「バイリンガル教育」のカシュガルと香港との違い

2011-06-22 21:55:41 | 中国異論派選訳
闾丘露薇:「バイリンガル教育」のカシュガルと香港との違い

カシュガルのある「バイリンガル教育」小学校を取材しました。多くのウイグル族教師は、流暢な漢語標準語〔北京語〕を話しましたが、校長は漢語を話すのに骨をおっていました。漢語のうまい教師は小さい頃から漢語で教える小学校に進み、高校も「民考漢」〔漢語で大学受験をするクラスor高校〕なので、ウイグル語を話せるのは両親が漢語を話せないからで、ウイグル語を書くことはできなくなってしまっていて、教師になって初めて一から学び始めていました。

このようなウイグル人は大勢います。すでに親になっている人も多いです。漢語で育った彼らは自分の子供を最初から漢語で教える学校に入れます。県政府所在地の漢語幼稚園にも、ウイグル人の子供が大勢通っていました。彼らは家でも自分の親と漢語で会話をしていました。もちろん一部の親は自分の子供が成長してウイグル語を完全に忘れてしまうことに不安を覚え、週末や冬休み夏休みに漢語を話せないおじいさんおばあさんに子供を預け、ウイグル語を覚えるよう仕向けていました。

子供に漢語を学ばせるのは、子供の将来にとっては、より多くの機会を得られることになり、そのため「バイリンガル教育」批判の声はあっても、政策決定者は非常に断固としています。そして私のような外来者にとっては、もし新疆でウイグル語ができなくても、せいぜい意思疎通の困難だけですが、もし漢語ができなければ生活圏は非常に小さくなり、限られた職業にしか就けず、さらには得られる情報も非常に限られことになります。なぜなら、大勢は漢語主導の体制だからです。いま新疆では多くの地方で地元の若者を沿海部の都市に出稼ぎに送り出しています。食事の問題は地元政府がコックを派遣するので問題ありませんが、言葉の障害は非常に顕著です。ほかの地方からの出稼ぎ者と比べて、彼らが出稼ぎを始めたのはずっと遅れました。もし政府の行為でなく、彼ら自身が内地で仕事を探したとしたら、他の地方の人と全く競争になりません。

新疆の「バイリンガル教育」の最終段階では、全てのカリキュラムを漢語で教え、ウイグル語もそのうちの一つの必修科目になっています。私が地元農村の人に、このままでは最終的には子供たちはみなウイグル語が話せなくなると不安にならないかと聞くと、相手は、家の中ではウイグル語を話すから大丈夫と、非常に楽観的でした。しかし、問題は次世代です。農村家庭でも、今の一部の都市のウイグル人家庭と同じように、家の中での言葉も漢語に変わってしまい、もしくは両者ちゃんぽんの会話になってしまうのではないでしょうか? とはいえ、子供の将来を考えるのなら、あるいは地元の人の立場に立って考えるのなら、漢語を学ぶことは彼らにより多くのチャンスをもたらし、生活を改善することができるでしょう。

二言語の使用と教育について書くと、すぐに香港を思い出します。香港には多くの英語学校があり、そこに通う子供は小学校から大学まで、ずっと英語教育を受けますが、かれらはインターナショナルスクールの子供とは違って、漢語もみんな上手に話します。それは家庭内の言語環境だけでなく、学校のカリキュラムにも大きな理由があります。

香港の例を挙げたのは、〔新疆式バイリンガルではなく〕バイリンガルは実行できるということを言いたいからです。ただし、香港のバイリンガル教育がうまくいっているカギは、漢語〔法的には標準語(北京語)とは限定されていない〕と英語のどちらも法定公用語とされ、公務員も必ずこの二言語はマスターしなければならないからです。公務員が公の場で話すとき、漢語(広東語)と英語でそれぞれ1回ずつ話さなければなりません。そして最近ではときに漢語標準語も加わります。これと異なり、新疆の「バイリンガル」教育はウイグル族に対しては漢語理解を要求するのに、漢族にはウイグル語学習を要求せず、二つの言語は決して同等の地位を与えられてはいません。

言葉の地位は実際非常に微妙な問題で、当該言語を使う国家や民族の経済的および政治的な影響力に密接に関係しています。リー・クアンユーはかつて漢語を排斥していたことがありました。その当時シンガポールで漢語教育を受けた人は政府機関に就職できず、そのため70%の家庭で英語が使われていました。しかし、2006年になると彼は公式の場で「もしシンガポール華人が漢語を話す環境を失ったら、今後同じ環境を再建するのは極めて困難だから、華人は必ず日常生活と公共の場で漢語を使い、全シンガポール華人が漢語環境の中で生活しなければならない」と語りました。そして実際、リー・クアンユー自身も2000年から漢語を学び始めていて、2001年に私が彼にインタビューしたとき、学び始めたばかりの彼も、簡単な漢語は使えるようになっていました。

リー・クアンユーは当時一つの目標を立てました。それは、努力して3%から5%のハイレベルの漢語を話せるバイリンガルの華人を養成し、中国とのビジネスの便を図り、またシンガポールで営業する中国企業にサービスを提供するというものでした。彼にそのような行動をとらせたのは、明らかに中国の経済発展の現実でした。

ですが、シンガポールが取り組んでいるのは〔新疆のような一つの言語の消滅政策ではなく〕依然としてバイリンガルの問題に過ぎません。そして、英語と漢語の間の以前の地位は非常に大きく開いていたので、バイリンガルの結果はいまだにもたらされていません。いわゆるバイリンガルとは、二つの言語を同じように流暢に使えることです。バイリンガル政策の下での漢語奨励は、決して英語軽視を意味しません。

ここで私は方言の問題に思い至りました。バイリンガルと比べて方言の問題はずっと簡単です。なぜなら文字は同じで、話し言葉の違いに過ぎないからです。多くの国・地域でバイリンガル政策がうまく行われているのですから、方言の保護ができない理由はありません。だから、重要なのはやる気があるかどうかです。私は子供のころ上海にいましたが、授業を除いて、他の時間はいつも上海語を話していました。それでも、それが私や周りの子供たちの標準語レベルに影響を与えたということはありませんでした。

〔中国では〕方言が都市の国際化に悪影響があるとか、文化の創造力に悪影響があると言われますが、それは不必要な心配であることを多くの過去の事例が証明しています。3~40年代の上海は、文化事業が勃興していたし、広州の嶺南文化は終始広東の各種の方言を包み込んでいました。

子供のころ学んだあの詩を覚えていますか?「子供のうちに故郷を去り、成長してから戻ってみると、髪の毛は薄くなっていても、お国なまりは変わっていなかった」。お国なまりが聞かれなくなるようなことを私は望みません。

出典:闾丘露薇のブログ

〔〕内は訳者補足

原文出典:http://uighurbiz.net/bbs/redirect.php?tid=232996&goto=lastpost#lastpost
(転載自由・要出典明記)

秦暉:中国は西側の「社会主義」を学ぶべきだ

2011-04-30 20:35:58 | 中国異論派選訳
秦暉:中国は西側の「社会主義」を学ぶべきだ

初出:財経網  2010年09月26日

米国人の「悪習」を批判する必要もあるが、中国人は米国人の民主主義を学ぶことの方をより必要としている。中国人の権益を擁護するには、中国の体制を改革しなければならない。

  ——『中国の台頭と「中国モデル」の台頭』シリーズその3

 姚洋さんは最近たびたび「中性政府」が「中国モデル」の主な特徴だと述べています。彼は他の国の代議制政府は金持ちを代表して「右派」政策を実行するか、そうでなければ貧乏人を代表して「ポピュリズム」を行っており、唯一中国政府だけが貧乏人にも金持ちにも従属していない。だから貧乏人の機嫌を損ねることを恐れないし(彼は国有企業改革で一気に4,000万人以上の労働者を解雇したことを例に挙げ、他にどこの政府もそんなことはできないと言っている)、金持ちの機嫌を損ねることも恐れないと言っています。彼は多くの事例を上げてはいますが、この種の「中性政府」は中国にしかないと主張している点で、見聞が狭いと言わざるを得ません。

 皇帝が「誰に対しても同じ」であることは、代議制政府がその選挙民(左派の貧乏な選挙民だったり右派の豊かな選挙民だったり)に配慮しなければならないのとは違います。この種の「中性政府」理論は100年以上も前の人によって「西側モデル」とは違う「帝政ロシアモデル」の特徴としてすでに描かれています。ロシアの極右思想家サゾノフ(Г•Π•Сазонов)は当時、西側の「統治機構は選挙により形成され、選ばれるのはみな金持ちだが、金持ちのやり方は不公平で、貧乏人を虐げている。ロシアの統治機構は選挙によらず、全てがツァーリにより行われ、ツァーリは金持ち、貧乏人に関わらず、全ての人の上に立っていて、……ツァーリは貧乏人であれ金持ちであれ全ての人に対して公平である。」と語っています(『レーニン全集』中国語第二版、第7巻115ページ)。

 しかし、問題はこの貧乏人の制約も金持ちの制約も受けない「中性ツァーリ」自体が強力な利益主体であるということです。その私利を図る「政府会社主義」は非常に野蛮であり、それは「貧乏人に対しても金持ちに対しても同じ」です。金持ちを代表するロシア自由派が西側の代議制にあこがれるのに不思議はありませんが、貧乏人を代表すると自任するレーニンも当時代議制の西側をうらやんで、「中性ツァーリ」を次のように罵倒しています。「この話は全くのウソだ。ロシア人ならだれでもロシアの統治の公正とはどういうことかを知っている。……だがヨーロッパの他の国では、工場労働者も農場労働者も国会に参加できる。彼らは全人民の前で自由に労働者の苦しい生活を訴え、労働者の団結を呼びかけ、より良い生活を求めることができる。だれも人民代表がそういう話をするのを禁ずることはできず、警察も指一本触れることができない。」(『レーニン全集』中国語第二版、第7巻116-117ページ)。

 ですから、中国が福祉国家でないことをもって中国が西側より「自由放任」であることを証明できないのと同様、中国の独占・統制・特権的発達をもって中国が福祉国家であることを証明することもできません。実のところ、陳志武、李維森などの方々が近頃たびたび指摘している、中国においては政府の蓄財が国富に占める比率が非常に高いことは、いわゆる「西側よりも自由」な経済とは全く逆の光景です。

 たしかに、中国の地方政府が競って市場に参入して利益を追求する「政府会社主義」現象が改革前の中央統制の沈滞を打破したことは、中国経済が「精力旺盛」であることの原因の一つですが、政府権力を利用した「自由な利益追求」と民間の経済的な自由は全く相反するものであることは、全ての経済学者の、とりわけ自由主義経済学者の常識です。中国の「資本主義」はもちろん20世紀の福祉資本主義でも「人民資本主義」でもありませんし、19世紀の「自由資本主義」でもありません。もし歴史に似た物を探さなければならないとすれば、それはむしろ17世紀の原始的蓄積時代、「重商主義」時代、もしくは「旧救貧法」時代の「資本主義」に似ているといえるでしょう。周知のように、あの時代の「重商主義」は民間の商工業が尊重されたのではなく、政府が商工業活動の統制と独占を重視したのであり、政府自身の市場での利益追求を重視したのです! そして、あの時代の「旧救貧法」は貧乏人の政府に対する救済を求める権利(民主主義時代の「新救貧法」のような)を認めたのではなく、政府が貧乏人を強制収容、監禁、調教、懲罰するための法律でした(そのため当時「血なまぐさい立法」と呼ばれていました)。そしてあの時代の官営経済は、国家(王立)企業であれ国家(王室)特許独占会社(たとえば東インド会社)であれ、いずれも自由経済の中で民間企業と平等な民法上の地位と営業権を有する市場法人でもなく、福祉制度の下での公共サービスを行う財政引受人でもなく、「公権私用」の収奪装置でした。今日の自由主義経済学の開祖である重農主義者とアダム・スミスたち古典派がこれを嫌悪し、社会主義の創始者マルクスがこのような「国家干渉」と「国有経済」は自由放任よりもいっそう反動的だ(!)とみなしたのも不思議ではありません。

 しかし、今日のグローバル化の中で確かに一つの現象が現れています。それはあたかも「20世紀の資本主義」は「19世紀の資本主義」との競争に勝てず、「19世紀の資本主義」は「17世紀の資本主義」との競争に勝てないという現象です。この種の「悪貨が良貨を駆逐する」現象が続くとは限りませんが、注意すべきことです。

「地方政府の競争」によって「中国の奇跡」を説明する説は一つの事実を指摘しています。それは中国の多くの地方が手段を選ばずに「投資誘致」競争をしており、提示する条件は確かにどんな民主主義国家(福祉国家であれ自由競争重視の国家であれ)も比べものにならない魅力を持っています。その条件はもちろん低賃金・低福祉を含みますが、同様に低自由――例えば好き勝手な土地収用がもたらす用地取得の便宜、野蛮な都市管理局が貧乏人を駆逐して作る「高貴な都市」、労働争議を禁止することによるいわゆる「取引費用」の低下などなど――を含みます。どんな経済学者も、「新自由主義」であれケインズ主義者であれ、これらの現象を「自由」だとか、「西側よりもっと自由だ」(!)などとは言わないと私は思います。

フォーゲル影響とサリバン影響:「20世紀、19世紀の資本主義対17世紀の資本主義」の競争?

 しかし、それらの条件が「中国の奇跡」を促したのです。グローバル化の前提の下ではこれは決してそれほど難解な問題ではありません。もし「投資誘致」面での「競争力」がグローバル化した市場経済の下では成長率にとって極めて重要であると言うなら、労働組合もなく、好き勝手に土地収用もできる国と、労働組合が発達し、土地収用が困難な国(たとえば中東欧諸国)とで、どちらが「投資誘致」しやすいかは明らかでしょう。

 まして搾取工場の福祉国家に対する「優位性」は言うまでもありません。国際競争どころか、国内競争においても明らかです。米国の自動車産業では労働組合が強く、福利厚生が最も良いデトロイトの三大「社会主義自動車工場」はみなどん底に落ち込んでいますが、米国南部の労働組合が弱く福利厚生も少ない日本や韓国資本の「資本主義自動車工場」は何とかやれています。もし彼らが我が国のように「農民労働者」を使って「原始的蓄積時代の自動車工場」をやったらどうでしょう? 中国の自動車産業のように儲かって笑いが止まらないことでしょう。最近のボルボの話題がそのことをよく物語っています。高福祉国家スウェーデンのボルボは数年前に経営に行きづまり、低福祉国家米国の会社に身売りしました。今回米国も行きづまると、マイナス福祉国家中国の会社に売られました。一連の話題はまさに張五常の次の話を具体化しています。「天下の大勢は欧州が米国に学び、米国が中国に学ぶ流れだ!」。

 以前彼らはなぜうまくやれていたのでしょう? それらの国の労働者が中国の労働者より働き者だからではなく、今日良い自動車が依存するもの全てが、原理・技術・材料からデザインまで、彼らの発明と創作〔=イノベーション〕だからです(これこそが彼らの「モデル」の優位性です)! 我が国がもしグローバル化に合流しなければ、労働者がどれほど必死に働いても誰も買いたがらない「老牛車(時代遅れの自動車)」を作るに過ぎません。現在のグローバル化で彼らのイノベーションを全て学べるようになりました。また私たちは労働者に必死に働かせることができますが、彼らはそうはできません。その結果いかにも私たちは彼らよりうまくいっているように見えます。簡単な理屈ですね。

 問題は、私たちがこの種の「優位性」に頼って本当に彼らを競争で打ち負かすことができるのかということです。(それにはもちろん私たち自身が引き続きこの「優位性」のために代償を払い続け、そのために累積した矛盾が爆発しないということが前提ですが)。世界の自動車産業が我が国の「命がけモデル」に独占されるとして、今後一体だれがイノベーションするのでしょう? 世界の自動車産業の未来はどうなるのでしょう? もし世界中に搾取工場しか残らなければ、「西側モデル」の下での旺盛な購買力がなくなったら、私たちの厖大な製品を誰が買うのでしょう? 我が国の「モデル」の最大の問題、すなわち生産能力過剰の問題はそのとき世界中に蔓延するのではないでしょうか?

 このような「低人権の優位性」には確かに「悪貨が良貨を駆逐する」という論理が存在します。私は以前ノーベル経済学賞受賞者ロバート・フォーゲルの米国南北戦争前の南側奴隷制経済の「効率」問題に関する研究を引用してこの点を説明したことがあります。また逆の流れ、すなわちグローバル化には「高人権」地区が「低人権」地区の条件を変える作用もあります。これについては、私は以前欧米諸国が南アフリカの企業に対して「サリバン原則」(外資系企業はアパルトヘイトを行ってはならず、西側式の労働組合をとりいれるなど)を実施することにより南アフリカのアパルトヘイト制度の瓦解と黒人の権利の拡大を促進したことを取り上げてこれを説明したことがあります。私はこの二つの流れを「フォーゲル影響」と「サリバン影響」と名付けました。つまり、グローバル化は世界各国の相互影響を著しく増強しましたが、どちらの影響が勝つかについて決定論的な答えはありません。

二つの「尺取虫効果」の相互作用:どちらがどちらを「学んだ」のか?
  
 つまり政治的関係がどうであろうと、経済面でグローバル化に加われば、上の二つの影響は免れられません。とりわけ私が前に述べた、今日の西側の「左によれば国は民衆のためにより多くカネを使わなければならず、右によれば国は民衆からの徴税を減らさなければならない」という体制は民衆の高消費・高借越(欧州では高福祉高赤字)を促進しますが、中国では「左によれば国は民衆からより多くのカネを徴収し、右によれば国は民衆のための支出を減らす」という体制が民衆の低消費・高生産を招き、外国が中国から借り越すことを「必要」とします。そこで、「二つの尺取虫効果の相互作用」(尺取虫は無脊椎動物の一種で、移動するときに体をアーチのように曲げたり伸ばしたりする。「尺取虫効果」とは、曲げたり伸ばしたりして一つの方向――中国では特権利益共同体を潤すために一般庶民を搾取する方向――に進むことを言う)により、いわゆるChimerica(中米相互補完、中欧相互補完ともみなしうる)現象が出現し、しかも一定の「相互依存」も生じます。西側は借り越しを通じて高消費を維持し、かつ債務の困難を緩和し、中国は「借り越される」ことにより高成長を実現し、供給過剰の危機を克服します。しかし、今回の危機はこのようなグローバル化の相互作用を持続不可能にし、そのため双方に変革の要求が出現しました。

 現段階の危機は西側でより突出しており、しかも西側は言論が自由で、社会的感情もより表に現れるので、彼らの方が先に気が動転しました。米国は監督を強化し、欧州は福祉を切り下げました。「餌をやらずに馬を走らせる」良い生活は続かず、民衆も苛立ちを深めました。それをある人は「米国も中国から『社会主義』を学び始めた」と言っています。

 しかし実際には米国政府が市場介入して大企業を救ったことは救貧と言うより「救富」であり、福祉国家の政策でさえないのに、どうして「社会主義」などと言えるでしょう? オバマの医療制度改革は確かに福祉国家への流れでしたから、「社会主義」と言ってもいいでしょうが、それは西側固有の「民主社会主義」であって、むしろ欧州から学んだと言うべきでしょう。「マイナス福祉」の中国から学ぶというのでは、志と逆です。

 私は以前、立憲民主制、わけても普通選挙は必然的に公共の福祉を促進する傾向があると指摘したことがあります。民主主義に反対する李嘉誠さんが「民主主義は福祉社会をもたらす」(大陸にも福祉を嫌うゆえに民主主義に反対する似たような言説があります)と言ったのは、事実に即せば誤りとは言えません。もちろん民主主義は必ずしもスウェーデン式の高福祉をもたらすとは限りませんが、民主制は高低はあるにしても、間違いなくプラスの福祉をもたらします。「マイナス福祉」は民主国家にはあり得ません。社会保障は西側においては市場メカニズムと同じぐらい長い歴史があり、決してソ連式国家ができてから始まったのではありません。ルーズベルトが「ソ連に学んだ」とか、オバマは「毛バマ」だという言説は、1930年代に現れたルーズベルトはヒトラーに学んでいるという言説と同様、福祉国家に反対する右派からの中傷であり、福祉国家の擁護者が必死に否定し続けてきたものです。これは反福祉派が全体主義国家の「国家統制の悪しき前例」を口実に、人々の民主主義国家の干渉に対する疑念を生じさせ、福祉国家づくりを阻害しようとしているのです。このような中傷を根拠に社会保障は全体主義国家から学んだなどということを証明することができるでしょうか?
  
 正反対に、今日の中国に現れつつある生活保護・国民皆保険・低家賃住宅といった、特権身分に基づいて分配されるのではなく貧困者と弱者向けの福祉制度、そして過去の強制収容とは逆の「来たければ来て、去りたければ去る」と言われている浮浪者救済制度は、我が国では改革前には決してなかったものであり、最近になって西側から学んだものなのです。

 しかし、だからといって西側が「中国から学ぶ」ことがないというのではありません。それどころか、自由と福祉はどちらも重要なのに、現在の西側民衆の「馬は走らせたいが、餌はやりたくない」に関わる危機は一部の人々に中国に対する羨望の念を生じさせています。中国の馬〔共産党〕は走らなくてもいいのに、民衆は馬に山海珍味を供えなければならないのですから。「良い政府は苦しく、悪い政府は楽だ」と方紹偉さんが最近概括したように、中国に学ばなかったら政府のやりくりはつかないのでしょうか?

 もちろん、それは決して中国から「社会主義」を学ぶのではありません。しかし、「世界の大勢は欧州が米国に学び、米国が中国に学んでいる」という張五常の言葉は全く的外れというわけではありません。上海の李居廉教授は最近冗談で「1949年に社会主義が中国を救い、1978年に資本主義が中国を救い、1989年に中国が社会主義を救い、2008年に中国が資本主義を救った」と言っていました。最後の言葉はつまり、中国は「独裁」によって「民主主義が資本主義に負担をかける」のを免れているということです。しかし、もし米国が本当に中国から学び、民主主義を放棄し、鉄腕統治を行い、右手で福祉を取り消し、左手で自由を取り消しても、国民は消費を続けられるでしょうか? そうしたら、米国人の「消費狂」症状はすぐに消失するでしょう。米国の自動車企業は「労働者に力がある」から苦境に陥ったんでしょう? だったら私たちに学びなさい! 組合自治とストライキ権を取り上げたら、労働者は自殺〔中国の外資系企業で自殺者が相次いだことを揶揄している〕することはできても騒ぎは起こせなくなります。騒ぎを起こそうとするやからは「投資誘致妨害」で「専制」に服させてしまいなさい! そうなったら企業はたちまち搾取工場として「競争力」を回復するでしょう!

 しかし、米国人はそのような状態を望むでしょうか? もし彼らが望んだとしても、米国が搾取工場を回復して我が国と競争したら、私たちにどんな利点がありますか? 私たちは米国がそのように我が国に学ぶことに誇りを感じるのでしょうか?

もし西側が中国に学んだら:「ホーネッカー寓話」について

 実を言えば、中国は政府であれ民衆であれ「中国モデル」を輸出する動機は確かにありません。なぜなら、中国の搾取工場は他人がまねできない条件で初めて競争力を持つからです。他人が私たちのまねをしなければ、私たちは苦労はするが「競争力」と高度成長を手に入れることができます。他人が私たちのまねをしたら、それさえ手に入れられず、苦労も水の泡となってしまいます!

 私たちは他人が私たちと同じようにすることを決して望みません。しかし問題はグローバル競争の中の「悪貨が良貨を駆逐する」圧力の客観的存在です。民主主義国家の民衆は今になって「馬は走らせたいが餌はやりたくない」と思うようになったのではなく、中国という特大のカモが彼らの借り越しを支えたので今のようになってしまったのです。「福祉国家病」は今に始まったことではありませんが、中国のような巨大国家が「低人権の優位性」を発揮するようになってから、甘やかされた福祉国家は本当に行き詰ってしまったのです。最近一部の欧州諸国は金融危機の圧力の下で福祉削減・移民制限の改革を打ち出し、政情不安に陥っています。「中国化」の予兆なのでしょうか?

 昨年私はドイツの友人と「ホーネッカー寓話」について話しました。東ドイツの以前の統治者がもし民主化に直面せず、「ムーランルージュ」をうらやんでユートピアを放棄し、政治的にベルリンの壁を残したままで経済開放を進め、「独裁」的手段で「投資誘致」を図り、全東ドイツを大型の搾取工場に変え、西側の資本を全部吸い寄せ、東側の低価格商品で西側を覆い尽くす。その時、東ドイツの失業問題ではなく、西ドイツの失業危機となるでしょう! もし危機が大爆発して混乱すれば、東ドイツが西ドイツを併合するという可能性さえあります! たとえそこまでに至らなくても、西ドイツは東ドイツとの競争のために「低人権」をまねないわけにはいかず、実際は東ドイツによって「体制転換」させられてしまうでしょう。もちろんそれは「社会主義が資本主義に勝った」のではなく、搾取工場が福祉国家を打ち負かすのであり、17世紀の資本主義が20世紀の資本主義を打ち負かすのです。もしくは、「独裁資本主義」が「民主社会主義」を打ち負かすのです! しかし、東ドイツ人はそのような「勝利」を見たかったでしょうか?

 もちろん、民主化統一後の東ドイツは西ドイツと大体同じ高賃金・高福祉・高人権になり、西部の資本は遠路はるばる中国に逃げ出すことはあっても、東ドイツに行って現地の民衆を「搾取」しようとしないので、一部の東ドイツ人は製造業の不振による失業率の高止まりに不平を言っていますが、私が描いたような「勝利」を彼らはもっと見たくないでしょう。とりわけいま不平が最も多い東ドイツ左派は、なおのこと搾取工場の「勝利」を受け入れることはできません。まして、西ドイツ人が受け入れないのは言うまでもありません。ですから、そのような「勝利」は実は双方敗北の状況――東西双方の敗北であり、また左右(社会民主派と自由民主派)の敗北でもある――なのです。

原文出典:http://www.caijing.com.cn/2010-09-26/110530341.html
(転載自由・要出典明記)

秦暉:西側の経済学者はなぜ中国をもてはやすのか

2011-03-25 11:46:06 | 中国異論派選訳
秦暉:西側の経済学者はなぜ中国をもてはやすのか

初出: 2010年09月25日

彼らは褒めることはできても、民主制を放棄しない限り、中国に倣うことはできません。理由は簡単です。彼らの土台の上では福祉と自由の両方を後退させることなど、ほとんど全く不可能だからです。

  ――『中国の台頭と「中国モデル」の台頭』シリーズその2

 現在世界の社会学界、政治学界には中国に対する批判もあります。しかし経済学界は私の見るところ称賛一色です。最初は「左派」、ケインズ主義者の称賛で、「中国が自由放任を行っていないのは素晴らしい!」と言い、 次いで「右派」も出てきて、「中国が福祉国家を目指していないのは素晴らしい!」と言いだしました。ネイスビッツ〔米国の未来学者〕が1997年に中国で出版した『アジアのメガトレンド』に対するある人の書評は「アジアは自由主義の手本か?」という題でした。この本は全世界がいま福祉国家によって台無しにされているが、中国だけが全く福祉に構わず、庶民は自分と家族の努力だけに頼っているから、非常に我慢強くなって、経済の奇跡を生み出せたと主張しています。当時彼はこの本を書いたあと、中国に来て急いで翻訳を依頼し、英語より先に中国語でこの本を出版して、中国でベストセラーになって大もうけしました。当時彼はこの主張にあまり自信はありませんでした。最近彼はもう一冊『中国のメガトレンド』という英語で書かれた本をフランクフルト・ブックフェアで大々的発表し、この観点をさらに膨らませたが、今回は「中国は確かにいける、世界に福祉国家を打ち破る道を切り開いた」と自信満々でした。張五常〔香港の経済学者〕も最近、「中国は人類最良の体制を創造した。それは福祉もなければ労働組合もない国家だ」とか「世界の趨勢は欧州が米国に学び、米国が中国に学ぶことだ」(つまりは高福祉国家が低福祉国家に学び、低福祉国家がマイナス福祉国家に学ぶことだ)と言っています。要するに、いま西側経済学の左右両派はどちらも中国モデルに魅力があると思っており、左派は中国の低自由を称賛し、右派は中国の低福祉を称賛して、称賛の大合唱をしています。

しかし実際は、彼らは褒めることはできても、民主制を放棄しない限り、中国に倣うことはできません。理由は簡単です。彼らの土台の上で福祉と自由の両方を後退させることなど、ほとんど全く不可能だからです。まして、彼らは本当にそうしたいと思っているのでしょうか? 実際は西側の左右両派は「中国の奇跡」をそれぞれの主張の論拠に使って、相手をたたき合っているに過ぎません。左派は中国の低自由を持ち上げることで福祉国家の正当性を証明しようとし、右派は中国の低福祉を持ち上げることで自由放任の正当性を証明しようとしていのです。ですが、低自由かつ低福祉の可能性など彼らは考えてもいません。

 もちろん、低自由かつ低福祉は「競争の優位性」を体現します。しかし、それはグローバル化に参加した後に初めて体現されます。もし二つのモデルが門戸を閉じて体制間競争をしていたら、優越性などあり得ません。北朝鮮がその例で、改革前の中国もその例です。ですから、門戸を開き、一つの市場に融合し、投資行為が高度にグローバル化し、金融も高度にグローバル化し、一方で人権基準はグローバル化しないという条件の下で競争したとき、はじめて中国モデルの優越性が体現されるのです。なぜなら自由経済の本当の優位性はそのイノベーション・インセンティブであり、人々を必死で働かせたとしても〔中国のような〕鉄腕体制に対抗できるとは限らないからです。フォーゲル(R. W. Fogel)はかつて南北戦争前の米国南部奴隷制は北部より「効率的」だったことを論証していますし、ドーマー(E. D. Domar)もかつて17世紀以降の東欧の「第二次農奴化」経済は自由農民経済よりも効率的だったことを論証しています。それはどちらも大市場を背景としています(フォーゲルは全米経済の一体化状況、ドーマーは西欧市場に輸出する東欧の商業化された農奴制荘園)。奴隷制の下でも、「物質的刺激」は可能であり、決して「たくさん働いても少なく働いても同じ」ではありません。主人は奴隷の中の「労働模範」に多くの報酬を与えることができます。人々が良く議論する監督コストの問題が、フォーゲルとドーマーが検討した農業においてさえ解決できるのであれば、製造業ではより簡単なはずです。自由経済は人に必死に働かせることによってではなく、活発な絶え間ないイノベーションの点で鉄腕体制に勝るのです。

しかし、グローバル化条件の下では、前者のイノベーションの成果を後者がまねることはできますが、後者の鉄腕を前者がまねることはできません。そこで、後者はある意味で「優位性」を有するだけでなく、確かに一つの可能性、つまりグローバル化の中で「悪貨が良貨を駆逐する」現象が出現する可能性があると思います。ここで私は可能性とだけ言っておきます。私は歴史になんらかの「必然性」があるなどと考えたことはありませんし、その可能性にどれほどの出現確率があるとも思いません。なぜならそのやり方の弊害は明らかであり、持続可能性に大きな問題があるからです。しかし、西側の民主モデルは確かに困難に直面していますから、どちらの問題が先に爆発するとも言えないので、その〔専制が民主制に勝利する〕可能性は確かに排除できないのです。

「縦方向の進歩と横方向の落差」そして「低人権の優位性」

 もちろん逆のトレンドも存在します。中国の今日のこの「モデル」の積弊については、識者はすでに多くを語っています。とりわけ、今回の危機が発生してから、外需が委縮したので、投資で引張るよう転換し、その結果投資が生産能力を形成するとさらに深刻な生産能力過剰をもたらします。去年は内需拡大が大きく進んだと言われますが、多くの人がそれは政府消費であって家計消費ではないとか、伸びたのは「官内需」であって「民内需」の伸び率が大きいわけではなく、またリスクが潜んでいると述べています。要するに、今では「成長方式の転換」(実際は体制転換の婉曲表現)は不可避となっているのです。

 同時に、その転換にも実現の条件がないわけではありません。華生さんは私のこの分析に反対しています。彼は改革〔1978〕以降自由と福祉はどちらも進歩したと考えています。もちろん、私も自分の書いた文章の中で中国の人権は「縦方向の進歩と横方向の落差」だと言ってきました。「低人権の優位性」は主に横方向についてであって、その「優位性」が縦方向の比較で人権が進歩していることと矛盾するものではありません。中国の改革30年来自由と福祉の二つの面で、人権は疑いもなく進歩しました。改革前の中国の人権状況は現在よりも悪いに決まっていますから、私は改革の進歩性は肯定し、改革後は改革前より悪いと主張する「左派」理論には賛成しません。しかし、それは今日の人権水準に対して我々が批判的態度を取ることを排除するものではありません。

 実は、私が最近提起した南アフリカもやはり同じです。アパルトヘイト時代はそれ以前の奴隷制時代と比べて、またアパルトヘイトの末期は初期と比べて、人権状況はいずれも改善していました。とりわけ1978年以降の数年間、その改善は非常に大きかったのです。もっと前にさかのぼっても同じことが言えます。人々は「移動労働」制度〔南アフリカで行われていた単身男子労働者の出稼ぎ就労制度。就労先地域への定住を認めない点で中国の戸籍制度の下での出稼ぎ制度に類似している。〕を批判しますが、それ以前の徴用労働制度の方がよりひどかったということを知っています。人々は「飯場労働」制度を批判しますが、アパルトヘイト末期には黒人労働者の家族同居率はかなり高くなっており、少なくとも今の中国〔の出稼ぎ労働者〕より高かったことを知っています。経済の高度成長について言えば、黒人と白人の間の著しい不平等はありましたが、黒人が成長の中で多少なりとも利益を得てたことを否定することはできません。縦方向で比べれば、南アフリカ黒人の収入は以前より増加しており、白人との格差も縮小傾向でした。横方向で比べれば、南部アフリカ周辺諸国の黒人より収入は高かったのです。実際、南アフリカの1994年の民主化も、突然の出来事ではなく、「量の変化」の積み重ねが「質の変化」に転化するプロセスでした。しかも、それはそれまでの黒人人権運動の漸進的推進の結果でした。ですが、それら一切は、この時期全体の南アフリカの人権状況に対して人々が批判的態度を取ることを排除するものではないのです。

 そしていわゆる横方向の比較としての「低人権の優位性」もまた縦方向の人権の進歩が経済成長率に及ぼすプラスの効果を否定するものではありません(経済成長の質もしくは成長の共有性〔公平な分配〕のプラス効果はほとんど争いがないのでここではふれません)。中国の改革時代に改革前と比べて人権が進歩したことは当然〔経済に〕プラス効果がありました。私たちが言う「移動労働」のような低人権労働方式が南アフリカの経済成長に効果があったように。つまり「移動労働」は奴隷制度や徴用労働制度に比べればやはり進歩しているのです〔改革開放前の農村統治も出稼ぎ移動さえ認めない点、生産資材の私有を認めない点で農奴制的だった〕。その点から言えば、人権の進歩は経済成長に効果を発揮します。

問題は、そのように言っただけでは、なぜ横方向の比較の中で人権がより進歩している諸国家で、成長率は逆に(少なくともある時期)低いのかについて説明できないことです。例えば、なぜ民主化した中東欧諸国の経済成長率は中国より低いのか(それらの国の民衆の生活は中国より悪いとは言えませんが)? なぜアフリカの一部の民主国家の経済成長率はかつての南アフリカより低いのか? なぜ国際資本は中東欧に投資せずに、競って中国に投資するのか? なぜ大量の低価格商品が中東欧からではなく、中国から世界に押し寄せるのか? 実はグローバル化の下では、これは決して難解な問題ではありません。もしも「投資誘致」面での「競争力」がグローバル市場経済の下で成長率にとって極めて重要であれば、労働組合がなく、好き勝手に土地収用のできる国家と、労働組合が発達し、土地収用も困難な国家(たとえば中東欧国家)を比べてどちらが「投資誘致」しやすか、はっきりしているでしょう? だから、縦方向の比較での人権の進歩と横方向の比較での「低人権の優位性」の双方を考慮して初めて「奇跡」に対する信頼に足る分析ができるのです。

中国は必ずしも「自由経済を行う専制国家」の典型ではない

 一部の「自由主義経済学者」は経済が自由であればあるほど高い成長を実現できると信じ込んでいます。彼らは中国はあまり民主的ではないが、地方政府がGDP競争をするので、往々にして西側よりも徹底した経済的自由主義政策を実行していると主張しています。確かに、一部の民主制国家は平等と福祉を重視するのでそれほど「自由放任」ではありませんから、一部の専制国家は経済面でより自由であり得ます。その種の現象は確かに存在します。ですから、世界で一部の「新自由主義」嫌いの「左派」が、一部の専制国家が民主制国家より経済の成長が速いのを見て大喜びしていることは、全く理解に苦しみます。

 しかし中国はいささか異なります。中国は明らかにそういう「左派」が想像するように福祉と平等が好きではないが、「自由主義経済政策を行う専制国家」の典型でもありません。それは中国経済が改革前より自由化しそれによって経済の発展を促したことを否定するものではなく、いわゆる中国経済は西側より自由だから成長もより速いという説が、最低限の事実に反しているということです。中国は福祉と弱者保護のための経済的自由の制限でははるかにスウェーデンに及ばず、それどころか多くの面で「低福祉」の米国にも及びませんが、権力者や独占企業家、特権集団のための経済的自由の制限では、米国を上回るだけでなく、「右派」から見て経済的に非常に不自由なスウェーデンさえも大幅に上回っているのです!

 例を挙げましょう。スウェーデンのいわゆる不自由は主に高負担・高福祉政策によって財産の蓄積を制限していることを指していますが、税引き後の財産は十分に保障され、中国ではありふれた「暴力的収用」のような赤裸々な財産権の侵害は起こり得ません。スウェーデンの労働組合は雇用主がほしいままに従業員を解雇する自由を制限するかもしれませんが、中国が自治労組を禁止しストライキ権を奪っているのは別の側からの労使間の自由なゲームの制限です。まして一部の地方では「奴隷労働」制まであります! いわんや戸籍制度は、移転の自由を否定し、都市に行った農民を野蛮な「都市管理局員」のような南アフリカ式「移住労働者」制度によって正常な労働市場をかく乱するものです。こうした点からは、中国の労働市場はスウェーデンよりも自由だなどと言えるはずがないでしょう? スウェーデンの 福祉住宅保障は一定程度商品住宅の自由取引空間を狭めていますが、中国の「マイナス福祉」住宅、土地独占と低水準住宅の勝手気ままな「撤去」つまり「福祉も与えず、自由も与えない」という貧乏人追い出し政策は、住宅市場をより大きくゆがめているではないでしょうか?

 上にのべた自由は主に貧乏人にとってのことですが、私はそれは非常に重要だと思います。なぜなら、左派からは自由(経済的自由を指す)を支持することは、「金持ちの代弁」にしかならず、自由は金持ちにとってだけ有利であるから、絶対反対しなければならないと思われているからです。この右と左の二つの誤解はどちらも非常に流行っています。しかし、私は少なくとも中国のような国では、貧乏人が自由(経済的自由を含む)を制限されている苦しみは金持ちに劣らず、貧乏人が自由を必要とする程度も福祉を必要とする程度に劣らないと思います。しかも、少なくとも中国のような「マイナス福祉」国家では、貧乏人の自由と金持ちの自由(平民の金持ちであって権力者ではない)は対立関係にはありません。一部の人が中国は「西側より自由だ」というのは、おもに金持ちの自由のことです。しかし、その意味の自由でもこの言い方は事実ではありません。たとえスウェーデンのように一般に経済的自由が少なく、とりわけ金持ちの自由が少ないとみなされている国家では、彼らの自由な蓄財が「高負担・高福祉」の制限を受けており、中国の貧乏人は高福祉ではないとしても、中国の広義の負担はスウェーデンよりも少ないでしょうか? 中国の平民の金持ちが受ける国家の搾取と役人のゆすりたかりの苦しみはスウェーデンより軽いでしょうか? スウェーデンの金持ちの経済行為は法律の制限を受けますが、我が国の金持ちは法律の抜け穴を利用することは上手いかもしれませんが、様々な役人の悪習と「不文律」の制限は少なくないでしょう? スウェーデンの資本家は労働組合を怒らせることはできないかもしれませんが、役人に平身低頭する必要もありません。スウェーデンの社長は確かに好き勝手に労働者を解雇できませんが、スウェーデンの役所はなおさらのこと好き勝手に社長の財産を没収し、「国進民退」することはできません!

 もちろんこの現象は一方でいわゆる金持ちが不自由なスウェーデンより、はるかにひどい中国の「資本逃避」、「投資移民」現象を招き、もう一方で中国の「投資誘致」にはまったく影響しません。なぜなら、政府、金と権力のある人々もしくは「御用商人」とさえコネをつければ、スウェーデンとは言わず、米国より「自由」になることは大いにあり得るからです。しかし、「貧乏人の自由」と「金持ちの自由」は衝突するとは限りせんが、「役人の自由」と「民衆の自由」は必ず衝突します。政府が制約を受けなければ、貧富に関わらず民衆の自由はありません! それは「福祉国家」の主張者も「自由放任」の主張者も認めていることです。

(ネットワーク編集 陳君)

〔 〕内は訳注及び訳者による補足、( )内は原文。

原文出典:http://www.caijing.com.cn/2010-09-25/110529687.html
(転載自由・要出典明記)

秦暉:中国モデルの特徴は非民主的土台

2011-03-24 20:05:43 | 中国異論派選訳
秦暉:中国モデルの特徴は非民主的土台

初出:財経網 2010年09月25日

中国の左右両派はまず「皇帝」のために考えているのであって、民衆のために考えているのではない――問題は彼らの生存基盤が違うからだ

  ――『中国の台頭と「中国モデル」の台頭』シリーズその1

 最近「中国モデル」についての議論がにぎやかになっています。すでにそういうモデルがあると言う人もいれば、まだだと言う人もいます。すでにあると言う人の中には、これは良いモデルだと言う人もいれば、悪いモデルだと言う人もいます。良いと言う人に中には、これを広めることができると言う人もいれば、中国の特殊条件にしか合わないから、広めるべきではないと言う人もいます。ですが、これらすべての論争の前提は、いわゆる中国モデルとは一体何なのかということです。

「中国モデル」とは何か?

 中国は何でも特殊だというわけではなく、その成長の要因の一部は他と共通だと私は思います。例えば、社会主義であれ資本主義であれ、この世界には中国だけにあるのではなく、両者の結び付いた「第三の道」や「中道路線」、「中道左派」、「中道右派」から「混合経済」まで、どれも普遍的現象だと言えます。結局いまは「純資本主義」や「純社会主義」はこの地球上で見つけることはできません。各国はどこも混合経済であり、それは資本主義が多めか社会主義が多めかという混合比率の問題に過ぎませんから、我が国が何か特別なわけではありません。

 もちろん、中国にも特徴があります。それを「中国的特色」あるいは「中国の道」、「中国経験」はたまた中国モデルと呼ぼうと、実際は比較的な概念に過ぎません。そして比較の主な参照系はつまり西側です。いわゆる「ワシントン・コンセンサス」への「北京コンセンサス」の対置にしろ、「中国は西側とは異なる近代化の道を切り開いた」という言い方にしろ、どれも中国が西側とは違うと言っているのです。

 問題はその「西側」内部も千差万別だということです。この前、北京大学の姚洋教授がまとめた中国モデルの特徴は、一に比較的平等を重んじ、二に「中性政府」を持つことだそうです。第二点については後述します。第一点について、もし我が国が米国より「平等を重んじる」と言うなら、議論はあるでしょうが少なくともそのような主張もあり得ましょう。しかし、スウェーデンと比べたらどうでしょう? たとえ彼の定義によるとしても、スウェーデンより「平等を重んじ」ていると恥ずかしげもなく言えるでしょうか?

 私たちが「中国モデル」が「西側」と違うというときは、西側の一つの国、例えば米国と違うというのではなく、全ての西側諸国、少なくとも主な西側諸国と違うのでなければいけません。いわゆる西側、つまり米国からスウェーデンまでの国々に共通に存在していて中国にはないなんらか特徴、あるいは中国にあって、それら諸国(米国からスウェーデンまで)のどこにもない特徴。それが多分中国モデルでしょう。

 今回の危機はそうした「特徴」を観察する得難い機会を提供しました。私たちはいわゆる「西側」とは実は万華鏡であり、その中にはスウェーデンのように、中国よりも「社会主義(社会平等、共通の繁栄)」の「左派」国家もあれば、米国のような自由競争と市場開放を重んずる「右派」国家もあります。しかも、それらの国々の内部もやはり万華鏡であり、それぞれ左右両派が論争しています。しかし一つ共通な点は彼らがいま難題に直面しており、しかも両派はどちらも万全の策を持っていないことです。「金融危機」以降外国の左右両派は騒々しく論争しています。左派はこれは右派の自由放任政策による金融監督の緩みがもたらした失敗だと言い、右派は左派がケインズ主義を進めたために赤字が膨らんで国家財政が破たんしたのだと言っています。

 しかし党派の偏見を取り除いて見れば、左派と右派が主張する理論にはそれぞれ長短があります。しかし、現在我々が目にしている状況はこの両派の問題のどれでもありません。今の西側では、米国であれ欧州であれ、今回爆発した危機の核心問題は民間と政府の債務が多すぎ、欠損が大きすぎて、資金繰りに行き詰まっていることです。民間債務はすこし複雑ですが、その根源は政府債務の根源と同じです。民間債務については、他の所で述べたので、ここでは省略します。では、政府はなぜそれほど大きな債務を抱えたのでしょう? 左派の主張する高負担・高福祉であれ、右派の主張する低負担・低福祉であれ、それぞれ欠点があるとはいえ、理論的には収支が釣り合うはずです。ケインズ主義は赤字財政を認めますが、コントロールできるはずです。なぜ今のようになってしまったのでしょう?

 実のところ理由は簡単です。つまり西側の左右両派はどちらも民主制の土台の上に立っており、双方がともに民衆のために発言しなければならないからです。左派は高福祉を主張するときは自信満々ですが、高負担を主張するときはしどろもどろです。右派は低負担を主張するときは自信満々ですが、福祉を後退させるとなるとしどろもどろになります。もしも、高福祉・高負担、もしくは低福祉・低負担の組み合わせなら、どちらも財政破たんには至りません。しかし、低負担・高福祉なら当然財政に大穴が開きます。西側の左派が政権を取ると政府は民衆のためにより多くのお金を使おうとし、右派が政権を取ると政府は民衆からの徴税を抑えようとします。それを何回か繰り返していたら、国家財政が破たんしない方が不思議です。お互いを恨んで何になりましょう? それはもともと両派が共同で作りだした結果ではないですか。とはいえ、民主制がいつもこのように運営されていたら、とっくに破産してしまうでしょう。

 私はもちろん民主制の方が専制よりいいと思います(もう少し控えめな言い方をすれば、制度としては民衆は専制よりデメリットが少ないです)。ではなぜ民主制はこれまではうまく運営されてきたのでしょう? それは民衆も道理が分からないわけではなく、もし本当に財政に問題が生じたら、本来ならすぐに社会に反映され、小さな危機が生じても民衆は気付くからです。そして、民衆がそれを問題と感じたら、増税であれ、福祉の削減であれ、受け入れないわけではありません。ここ二百年ほどの民主制発達史を見れば、税収は明らかに増えてきています。もし民主制の下では増税ができないのであれば、どうして今日まで維持できたでしょう? 福祉もまた同じで、民主制の下で民衆が福祉の削減を受け入れたという前例には事欠きません。

 では、ここ二十年はなぜそうできないのでしょう? それはグローバル化の大幅な深まりと広がりに関係しています。またグローバル化の性質のねじれとより大きく関係しています。

深まりとは、つまり経済のグローバル化の深まり、とりわけ金融のグローバル化の深まりです。旧来のグローバルな売買では大きな問題は起きません。今はグローバルに借金ができ、グローバルに借り越し〔国債の外国による引き受けのことか〕ができるようになって問題が起きたのです。なぜなら債務の穴は借り越しで埋められ、社会に反映されないので、民衆は危機に気づかず、そのため「餌をやらずに馬を走らせる」というゲームを続けることになったのです。とりわけ米国では、米ドルの地位にたよって借り越しが特にはなはだしいです。しかし、これはもちろん長期間続けられるものではありません。長引けば欠損は大きくなり、破綻したら小さな危機では済まなくなります。

 広がりとは、以前はグローバル化に参加していたのは西側とその植民地だけでしたが、その後開発途上国が参加し、冷戦後は「旧計画経済諸国」も加わったので、グローバルな借り越しの対象が大幅に増えたのです。とりわけ中国は西側諸国の最良の借り越し対象となっています。

「中国モデル」の特徴は「主義」にではなくその土台にある

 この点中国は西側と正反対ですから、これこそ「中国モデル」と言えます。中国にも左派と右派がおり、中国の左右両派の理論(たとえば社会主義と自由主義)もすべて西側から伝わったものですから、正直なところ「特色」には程遠いです。中国の特色は、「主義」にではなく、その土台にあります。西側の左右両派はどちらも民主制の土台の上でゲームをしていますが、中国の左右両派は西側とは正反対の土台の上にいます。つまり、中国の左右両派はまず「皇帝」のことをおもんぱかるのであって、民衆のことをおもんぱかるのではありません。私はなにも「道徳的な非難」をしているのではありません。中国の左右両派の良心はあるいは西側の両派に劣らないかもしれません。問題は彼らが生存する土台が異なるということなのです。だから彼らは右であれ左であれ、演じる役割は西側とは正反対です。私たちの左派は国家がしゃにむに民衆からお金を吸い上げることを主張し、そうでなければいまいましい「新自由主義」だと非難します。一方私たちの右派は国家は民衆のためにお金を使う必要はないと主張し、そうでなければにくらしい「福祉国家」だと非難します。以前は、我が国のやり方は「左折ランプを点けて、右折している」と言われました。実は西側にも似たような問題があります。ただ方向は逆です。私たちの政府は「社会主義式の権力」を持って「資本主義式の責任」しか負担しません。一方、西側の政府は「資本主義式の権力」しかないのに、「社会主義式の責任」を負担しなければならないのです。

我が国の以前の言い方では、市場経済改革とは民衆が「市長ではなく市場に解決を求める」ことです。この言い方は非常に面白い。理論的に言えば、市場経済は政府の権力を制限し、「市長が命ずるのではなく、市場が命ずる」、つまり市場経済の下では「市長」は勝手気ままに民衆に難癖をつけてはならない。彼が民衆を動かそうとしたら、市場の力を借りなければならないのです。

 例えば、「市長」が官営企業が好きなら、計画経済の下では彼は民営企業に難癖をつけて、つぶすことができます。ですが、市場経済の下ではそれはできません。官営企業は市場で民営企業と競争しなければならないのです。計画経済の下では新聞が「市長」の怒りを買ったら、市長は新聞社をつぶすことができます。ですが、市場経済の下ではそれはできません。新聞が気に入らなければ、自分で民衆にもっと好かれる新聞を発行し、市場競争で相手を圧倒しなければならないのです。これが「市長が命ずるのではなく、市場が命ずる」ということであり、西側の市場経済です。

 ですが我が国では、そんなことを言っても、「市長」は聞いてくれません。そこで、彼が聞き入れる言葉を探してこう言います。「計画経済の下では民衆の薪米油塩、生老病死みんな市長が世話しなければならないんです。それは面倒でしょう? 市場経済をやれば、自然に任せればいいから、『市長に解決を求め』られる面倒はなくなります」。こうして「権力の制限」は「責任の回避」に変わります。責任は回避しても、権力は制限を受けません。「市長」は「民衆」をわずらわせることができますが、民衆は「市長に解決を求める」ことはできません。何と素晴らしいことでしょう!

 しかし、問題は市場経済の下で市長の仕事は何かということです。 それは民衆にサービスを提供することですから、民衆が市長に解決を求めてはならないなんてことがありえましょうか? 民衆が市長の所に来たら、「市場に行け」と言って追い出すのでしょうか? 「市長」は勝手気ままに民衆から徴税できるのに、民衆は「市長」に対して福祉を求められないのであれば、どの国も大金持ちなるに決まっています。私が言う「大金持ち」とは国家財政のことで、民衆の懐具合のことではありません。私たちが現在目にしている中国モデルの特徴とは何でしょう? それは政府が大金持ちだということです。西側の政府が財政がひっ迫してあちらこちらに布施を求めている時、我が国の政府は湯水のようにお金を使っている。我が国の鎮政府の豪華ビルは西側の大都市の市役所よりもずっと豪華ですし、私たちの都市には「イメージ・プロジェクト」〔共産党中央のメガネにかなうように、街の目に就くところを飾り立てる事業〕が充満していて、西側の「豊かな国」から来た観光客はあっけにとられています。「ビッグパンツ(「大褲衩」中央テレビ局ビルのあだ名、建築費50億元と言われている)や、ゆで卵(「水煮蛋」中国国家大劇院のあだ名)、他人ができないことを、俺たちはやった!」。それでもお金を使いきれないので、米国にお金を貸しています。国内に隠しておいても心配ですからね!

 これこそが我が国の「モデル」です。中国は決して他の国より左だったり右だったりしているわけではありません。ただ、中国が「左」になると政府の権力拡大は簡単になりますが、政府の責任追及は困難になります。中国が「右」になるとどうでしょう? そうなると政府の責任逃れは簡単になりますが、その権力を制限することは難しくなります。それにはそれでもちろん優越性があります。原始的蓄積が速いということと、非常事態を収拾する能力が非常に強いことです。手中に巨額のお金を握っているから、経済刺激策を実行するのはもちろん容易です。もめごとの解決にも、物惜しみをしません。ですが、その結果はどうでしょう? こんなに投資を加速していて生産能力は過剰にならないでしょうか? 独占部門の利益追求は社会の二極化を激化させないでしょうか? 人為的に家計消費を抑えることは内需不足を招かないでしょうか? そして、権力集中の様々なリスクなどなど。これらについてはここでは議論しません。いま私が話したいのは、もしもこのようなモデルおよびこの中国モデルと前述した西側のモデルの相互作用を特徴とする、現在私たちの目の前で進行しているグローバル化がこのまま進展していったら、中国と世界の未来は一体どうなってしまうのだろうかということです。
  
原文出典:http://www.caijing.com.cn/2010-09-25/110529684.html
(転載自由・要出典明記)

秦暉:多民族国家の多元化と一体化の道:インドとユーゴスラビアの比較

2011-02-02 17:50:11 | 中国異論派選訳
訳者注:冒頭で筆者はインドを例に「民族への帰属意識を希薄化」を言っているが、これは民族主義的意識の希薄化ととらえるべきであり、中国政府が東トルキスタンとチベットで進めている言語や伝統習慣、宗教の継承を否定する「民族文化の希薄化」ないし「文化ジェノサイド」とは次元が異なる。(4月30日追記)


出典:南方都市報 評論週刊
掲載日:2010-7-11

 世の中に一元化された事物などないが、もし本当に多元化しようとすれば、多民族国家においては「左右の多元化」こそが最も民族への帰属意識を希薄化する多元化であり、それゆえ、民族和解の促進と国家統一にとって有利である。多民族連邦と政治体制の関係の上で、左右の多元化を承認するインドは国家への帰属意識がますます強固になる一方、左右の多元化を許さず民族への帰属意識の多元化を強調したユーゴスラビアは解体してしまった。これは示唆に富んでいないだろうか?

 多民族連邦と政治体制の関係の上で、インドとユーゴスラビアは非常に興味深い比較対象である。この二つの国は民族、宗教、言語、文化の構成はいずれも非常に複雑である。しかも一つの共通の特徴がある。それは著しく優勢な「主体民族」がないということだ。中国の漢族は90%以上を占めるが、この2カ国にはそのような主体民族はおらず、しかも歴史上ずっと統一国家に対する帰属意識がなかった。近代になって、外部世界、とりわけ外部列強の大きな影響を受けた。インドは英領植民地だったし、ユーゴスラビアはかつてオスマン帝国とオーストリア・ハンガリー帝国の領地だった。この二つの国は建国後どちらも連邦制を採用した。興味深いのはこの二つの国が国際的にも非常に似た歩みをしてきたことだ。どちらも米国にもソ連にも頼らないと表明し、どちらも非同盟運動の創立メンバーであり、ネルーとチトーは非同盟運動の代表的人物とみなされている。

 両国とも連邦制だったが、ユーゴスラビアが行ったのはレーニン式の連邦制であり、インドは立憲民主制の連邦制だった。数十年がたって、両国の結果は周知のとおりだ。インドはもちろん問題は多いが、国家への帰属意識はずっと強まり続け、いまではすでに新興のブリックス諸国の一員である。一方ユーゴスラビアはチトー時代に輝いていたこともあったが、チトー後は次第に混乱を深め、1990年代には解体に向かった。

 この二つの国について、多くの人が誤解をしている。インドに対する最大の誤解は、その立憲民主制のゆえに、国内は大混乱しており、とりわけ民族問題、宗教問題は解決されていないというものだ。しかし、他はともかく、今のインドと民主化前のインドとを比べたら、さらには現在のインドと周辺のあまり民主的でない隣国、つまりパキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカとを比べたら、これらの国の民族、文化構成はインドより簡単なのに、国家への帰属意識と政治的安定の欠如はインドより深刻である。いま人々は、インドの民族矛盾、宗教矛盾は非常に複雑だというが、インドは中国とは違う。中国は歴史上大部分の時期が統一されていたが、インドはグプタ朝解体後は地元住民が建てた統一国家はなかった。だから民主制の下で統一国家がすでに70年間存在し続けているということは、インドの1000年余りの歴史の中では空前の偉大な奇跡なのだ。

 ユーゴスラビアについても二つの大きな誤解がある。一つは通常チトーの社会主義モデルはソ連より開明的であり、より緩やかだったから、民族問題についても異端であったと我々が思い込んでいることだ。しかし私が思うに、チトーは多くの問題について独創的であったが、民族問題についてはむしろ非常にレーニン主義的だった。

ユーゴスラビアのレーニン主義連邦

 ユーゴスラビアが依拠したのはレーニン主義の民族理論だった。この理論の要点は、それが各民族が一律平等であり、大民族と小民族がどちらも等しい発言権を持たなければならないと主張する点だ。しかし注意してほしいのは、この同等の発言権は必ず各民族の共産党員によって表明されなければならないということだ。つまり各民族の共産党員に発言権があるのであって、どの民族であれ非共産党員には誰にも発言権がないのだ。彼は民族平等を承認したが、左右の平等は決して認めなかった。言いかえれば決して階級の平等を認めなかった。チトーは各民族の中では独裁、いわゆるプロレタリア独裁を行い、どの民族の中でも一部の人々を弾圧し、一部の人々を盛りたてた。しかもその手段はいずれも非民主的だった。

 各民族の中に分岐が生じるということが、多民族国家が存在するための一つの重要な条件である。多民族国家の中の各民族がそれぞれ一元化されるというのは良いことではない。各民族の中に分岐が生じるというのは実は正常な現象である。例えば米国では、白人と黒人のどちらも中で共和党と民主党に分かれている。これは人種矛盾希薄化の非常に重要な前提である。しかし、レーニン式の民族理論は一部の人々が別の人々を鎮圧するという手段でこの分岐を消滅させた。

 スターリンと反目してから、西側の支援を受けるために、また国内の支持を得るために、チトーは自治社会主義という大きな独創を行った。これは多くの面でソ連より自由で緩やかだったが、一つだけ変わらなかったことがある。それは彼よりも右の人の存在を認めず、また彼よりも左の人の存在も認めなかったことだ。

 しかしこの左右の多元化を認めない国家が、民族の多元化は喜んで主張した。チトーは彼よりも左や彼よりも右は容認しなかったが、エスニック・グループの多元化には極めて寛容であり、奨励していたとさえいえる。彼は非セルビア各民族が帰属意識を保持することを許しただけでなく、セルビアさえいくつかの部分に分け、多くの共和国と自治州を作った。しかしその前提はこれらの共和国が皆ユーゴスラビア共産主義者同盟の独裁を受け入れることであり、全ての共和国で左右の分岐を認めなかった。しかし同時に、チトーは非常に強く民族の平等を主張し、各共和国の共産主義者同盟がそれぞれの民族的特徴を持つべきだと主張した。一方で、各共和国共産主義者同盟が政治的個性を持つことは許さなかった。彼より右や左であることは許さないが、民族的個性を持つことは許した。例えば彼はボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムがセルビアに同化しないよう働きかけたが、それは非常に奇妙なことだ。共産主義者同盟は無神論者の政党であるにもかかわらず、共産主義者同盟がムスリム人という名の民族を作ったというのは、非常に興味深い現象である。

 結果、ユーゴスラビア連邦全体が多党制国家のようだという人もいた。各共和国の共産主義者同盟にそれぞれ特徴があり、8つの党のようだった。だが、この8つの党は西側の多党制と同じではない。この8つの党には左右の違いはなく、あるのはエスニック・グループの違いである。この多党制がユーゴスラビアの分裂をもたらしたという人がいる。世界中の左右に分かれた多党制国家が統一を維持しているのに、この「エスニック・グループ多党制」のゆえに、ユーゴスラビアが分裂したことを我々は知っておく必要がある。

 チトー自身は終身大統領で、1945年から死ぬまで権力を握り続けた。しかし、チトーは生前に、彼の死後ユーゴスラビアは各民族平等の集団指導を実施するよう求めた。ユーゴスラビア連邦大統領評議会議長、ユーゴスラビアの党すなわちユーゴスラビア共産主義者同盟の議長は、必ず8つの共産主義者同盟が持ち回りで担当しなければならなかった。しかし、毎回の持ち回りは民主選挙によるものではなく、党組織が全民族平等という民族平等の枠組みを演出したのだった。左右両派の政党の政権交代は一般に国家の統合力に影響しないが、ユーゴスラビアのこの種の各民族持ち回り制度は、最終的に連邦の分解を招いただけでなく、各エスニック・グループが互いに敵対することとなった。

インドの立憲民主連邦

 インドも連邦だが、この連邦の構成原理はユーゴスラビアとは逆だ。インドの人種・民族・言語・宗教・文化の複雑さは、ユーゴスラビアをはるかに上回り、国家への帰属意識の基礎はユーゴスラビアよりさらに薄弱である。しかも優位民族、主体民族の不在という点では、ユーゴスラビアよりも顕著である。ユーゴスラビアはとにもかくにもセルビア人がいたが、インド、パキスタンには、「ヒンディー人」とか「ウルドゥー人」がいるわけではなく、そういう言葉を話す人々がいるに過ぎず、同じ言葉を話す人々にも様々な民族がいる。

 私たちは今インドには人種矛盾、人種対立があると思っているが、実はインドは建国当初が最も恐ろしかった。印パ分離独立のとき100万人以上の死者が出た。インドの歴代の指導者はほとんどがそれが原因で非業の死を遂げている。ネルーとシャストリが病死だったほかは、3人のガンジーはいずれも民族ないし宗教過激派に暗殺されている。しかし70年の間に、インドの国家への帰属意識は次第に堅固になっている。民族対立はあるが、強まるのではなく、次第に弱まっていると言える。

 インドとユーゴスラビアが逆なのは、インドは初めから立憲民主制を基礎とする左右分岐の多党制を構築し、すべての主要政党が民族を超えて組織されていることである。政党は民族で分かれているのではなく、政見で分かれている。左派もいれば右派もいて、たとえ実際には政党に固定したエスニック・グループの基礎があるにしても、特定の政党がより多く特定のエスニック・グループの支持を集めているに過ぎない。

 ここでインド共産党マルクス主義派について分析してみよう。インド共産党マルクス主義派の投票者はおもにふたつのエスニック・グループに集中している。ベンガル人とマラヤラム人だ。彼らは西ベンガル州とケララ州(マラヤラム人が主)でそれぞれ32年と25年にわたって政権を握っており、ベンガル人が多いトリプラ州でも長く政権を担っている。しかし、この3つの「赤い州」を除けば、他の州ではほとんど影響力がない。2009年の選挙を例にとれば、この年インド国会下院でこの党が獲得した16議席のうち1議席を除いてすべてこの3州のものだった。全インドの各州議会の中でインド共産党マルクス主義派は293議席を有するが、3つの赤い州で275議席を占め、他の32の州と連邦直轄地域では全部合わせて18議席に過ぎない。

 これと同じように、マハラシュトラ州、ハリヤナ州などは昔から国民会議派の天下だし、グジャラート州は人民党が長期にわたって優位にある。もしこれらの政党が民族への帰属意識をよりどころとしていたら、彼らが長期にわたって統治してきた州はとっくの昔にインドから分離しているだろう。しかし、インドの政党はみな民族性ではなく制度理念をよりどころとしている。だから我々は非常に興味深い現象を見ることができる。インド共産党マルクス主義派は「赤い三州」以外での影響力は非常に小さいが、党中央はずっとデリーに置かれている。党の理想は全国の多数の支持を得て、赤い州での政策実践を全国に広げ、インドに社会主義を実現することであり、西ベンガルの独立とかケララの独立を目指しているわけではない。

 印パ分離独立後、東西二つのベンガルには独立感情があり、ベンガルの東側は結局本当に独立してバングラデシュになった〔時系列としてはパキスタンになってその後パキスタンから独立〕。ベンガル西部にも独立思潮がなかったわけではないが、長期間統治してきたインド共産党マルクス主義派はあいにく民族主義に強く反対する政党であり、党を立憲民主体制の下における全インド左翼反対派の代表であり、ベンガル人の代表ではないと位置付けていた。党はベンガル人の代表としてではなく、全インドの貧しい人の代表として発言しようとしており、自己をインドのプロレタリアートと貧農の代表と定義している。インド共産党マルクス主義派の大部分の党員、支持者、国会議員、州議会議員はベンガル人であるが、党の創立から今日まで、歴代の書記長には一人もベンガル人がいない。

 今日のインドは何によって国を結束させているのだろう? ヒンズー教ではない。歴史的に「ヒンズー教があるだけでインドという国はない」と言われてきた。ヒンズー教は文化的帰属意識を築くことはできるが、国家への帰属意識を築くのは困難だ。今日インドの各民族はどんな問題について意見の一致をみるだろう? 彼らはたとえ全ての問題について意見の一致を得られなくても、少なくとも一つの問題については意見を一致させることができる。それはつまりインドは立憲民主制の国家であるべきであり、どの民族であれ、また左派であれ右派であれ、全インドを統治しようとするのであれば、この原則を守らなければならないということだ。

 インドという国は矛盾が大きい。インド共産党マルクス主義派が統治する西ベンガル州と中央政府の間にも深刻な矛盾があり、かつて何度か暴力事件が起こり、緊急事態に陥った。しかし、それらの矛盾はインド国民の間の左右の衝突であり、たとえ内戦になったとしても、それは敵味方どちらも一つの中国を承認していた国共内戦のようなものだ。それはベンガル人とどれか他の民族との衝突ではなかった。今日のデリーの統治者もインド共産党マルクス主義派を彼らの競争相手とみなしており、インド共産党マルクス主義派の勢力をどうやって抑え込もうかといつも思案しているが、彼らも西ベンガル州が独立するなどとは心配していない。しかも、インド共産党マルクス主義派の30年の統治の間に、西ベンガル州の民族融合とベンガル人のインド意識ないし国家への帰属意識は、明らかに強まってきたことを私たちは知っている。

本当の民族平等には民主化が必要だ

 本当の民族平等は民主主義の条件下で初めて実現される。米国ではずいぶん前から黒人の官吏、さらには高官までがいたことを誰もが知っている。ライス前国務長官、パウエル元統合参謀本部議長は黒人だった。だが人種関係を研究している人はこれが人種平等のブレークスルーだとはみなさない。理由は簡単だ。国務長官であれ統合参謀本部議長であれ、どちらも任命される役職だ。大統領が黒人を任命することは大統領の開明度を物語るに過ぎず、白人の開明度を反映したものではない。実はこれはユーゴスラビアでチトーが各民族が順番に就任するよう定めたことに等しい。それはチトーの開明度を物語るものであって、セルビア人の開明度ではない。もちろんチトーはセルビア人ではなくクロアチア人だが、それでもクロアチア人の開明度を示すものでもない。他の民族もこのことでセルビア人やクロアチア人に感謝するはずはない。

 米国やインドのような国では、数年に一度の選挙は民族大融合の洗礼である。毎回の選挙で全ての政党はそれぞれの中でさまざまな人種、さまざまな民族のメンバーが大団結をしなければならない。大団結しなければ選挙に勝てないのだ。

 私は階級分岐を認めてもいいと思う。階級には矛盾も闘争もあり得るし、それを基礎に左派と右派が存在し得る。しかし、左右両派は互いに殺し合う必要はない。ユーゴスラビアはレーニン主義の民族理論に基づき国家を作った。本来この理論は全くとるべきところがないわけではない。例えば、階級矛盾によって民族矛盾に「代替」させるというのは非常に賢明だと思う。しかも実は西側もインドも、階級矛盾で民族矛盾を薄め、左右の分岐によって民族分岐を取り除いている。これは非常に賢明と言うべきだ。しかし本来この賢明さは階級矛盾が比較的妥協、協力しやすいし、実際比較的容易に妥協が実現するからだ。比べて見れば、労使協力は「アラブ・イスラエル協力」よりもはるかに簡単だし、労働組合と経営者団体が妥結するのはユダヤ教徒とムスリムが合意に達するよりはるかに簡単ではないだろうか? しかしレーニン主義体制の本当の問題は、それが本来容易に妥協や協力しうる矛盾を人為的に激化させ命がけの非和解の矛盾にさせたことだ。この理論は利益関係の上では労使対立を意図的に「アラブ・イスラエル対立」に激化させ、イデオロギー問題の上ではまるでかつての宗教戦争における「キリスト教のムスリムに対する勝利」のように「ブルジョア思想」を弾圧する。その結果、どの民族にも被害者が出て、どの民族にも不満がたまる。しかし、民族矛盾が存在する状況下では、その種の不満は容易に他の民族〔への憎しみ〕に転嫁される。そこでこのようにすればするほどその国は分離傾向が強まる。

 階級の分岐もしくは左右の分岐が、一般的には国家を分裂させないのはなぜだろう?

 左右の分岐と階級の分岐は可変だ。左派に投票した人は次の選挙では心変わりして、右派に投票するかもしれない。しかし、ある民族の人は他の民族に変わることはできない。この帰属意識は固定している。一つの少数党がもしその政治理念に自信を持っていれば、たとえば社会主義を信じていたら、今少数派であっても、将来は多数派になるだろうと信じることができる。しかし、少数民族だったら、将来多数民族になるだろうと信じることができるだろうか? 独立するのでなければ不可能だ。だから、もしその国の政治を民族で分岐させたら、大きな問題になる。

 第二に、左派、中間派、右派の分岐は理性に基づいており、論理で説得でき、みんなの実益とリンクさせることができる。例えば私が左派なら、私は福祉国家を主張し、福祉国家が国民にさまざまな保障を提供することができると主張する。私が右派であれば、私は自由競争を主張し、福祉国家の欠点を上げて、自由競争は経済の活力を高めるなどと主張する。これらの主張は、理性的な分析を行うことができる。左派にも右派にもそれぞれ長短があり、その長短も容易に説明できる。しかし、異なる民族への帰属意識をどう説明できるだろう? 民族への帰属意識は結局のところ、はっきり言って一種の感情であり、ちょうど私が母親を愛するようなものだ。それは私の母親が他の母親よりきれいで、金持ちで、聡明で、有能だからだろうか? もちろん違う。彼女が私の母親だからだ。私が他人に自分の母親がいかに偉大であるかを説明して、他人にも彼女を自分の母親と認めさせることができるだろうか? できっこない。

 世の中に一元化された事物などないが、もし本当に多元化しようとすれば、多民族国家においては「左右の多元化」こそが最も民族への帰属意識を希薄化しうる多元化であり、それゆえ民族和解の促進と国家統一にとって有利である。左右の多元化を認めるインドの国家への帰属意識はますます強固になっている一方、左右の多元化を認めず民族への帰属意識の多元化を強調したユーゴスラビアが解体してしまったことは、示唆に富んでいないだろうか?

  実習生 孫俊彬 南方都市報記者 方謙華 撮影

原文出典:http://www.chinaelections.org/NewsInfo.asp?NewsID=181761

(転載自由、要出典明記)

于建:誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(2)

2011-01-29 17:59:40 | 中国異論派選訳
戸籍と農地改革についての4つの提案

 今の戸籍管理重点から人口管理重点に切り替える。「住宅で人を管理する」、「身分証で人を管理する」、「仕事で人を管理する」といった新たな方式を検討する。地方政府官吏の業績評価体制を改革し、地区ごとに官吏勤務評価を域内総生産成長率と一人あたりGDP成長率の重みづけを変える。

 東方早報:今は地方のレベルでは土地改革面での経済的インセンティブは非常に強いです。

 于建:今の状況では、利益衝動がなければ、改革を始動させるのは困難です。全ての地方政府は経済人〔経済活動において自己利益のみに従って行動する完全に合理的な存在。実際の人間の行動を近似したモデル〕であり、利益を見つけ出すために改革しているのです。

 東方早報:あなたの研究によると、戸籍制度と農地制度の改革の突破口は何ですか?

 于建:主に4つあります。

 第一に、戸籍制度の改革はまず社会保障制度の改革から始めるべきです。中国の都市と農村の戸籍二元制度の実質は、公共サービス、社会保障の二元化です。後者を止めれば、前者は象徴的な意義しか持ちません。本当の戸籍制度改革は、国家レベルでも地方レベルでも、必然的に公共サービスや社会保障のシステムを一体化する改革です。公共サービス、社会保障システムの一体化は二つのことを意味します。一つ目はすべてをカバーし、社会構成員全てが比較的公平な基準で各自の義務を負担し、比較的公平な基準でサービスと保障を受けることです。二つ目は富の再配分を通じて共同の発展を実現し、社会的脆弱層への適度な傾斜配分を通じて共同の受益、スタートの公平を実現し、保証機能の強化を通じて、社会の安定を維持することです。よって、旧制度から新モデルへの転換過程で、まず都市偏重を薄め、戸籍と社会福祉を徐々に切り離し、先に内容を改め後に形式を改めるというやり方で改革過程での利益衝突と摩擦を緩和し、さらに一連の経過措置を通じて都市と農村一元管理の戸籍制度を実現すべきです。直接戸籍制度を排除するのは適切ではありません。

 第二に、科学的に参入規制制度を制定し、人の合理的移動を促進することです。戸籍制度の改革を通じ、「割当量制御」の代わりに「参入条件」を導入し、国民の居住と移動の自由の実現のために市場調整を主とする制度的前提を提供することです。市場調整による居住と移動の自由は、合法的な住所、安定した職業ないし収入源を基本とする定住許可条件です〔大いに疑問、居住の合法性を前提にする発想は居住権の際限のない制限を許し現状と変わらなくなる危険あり〕。

 各地の経済レベル、社会開発、自然資源など条件の差が非常に大きいので、中国は多様な都市化を進め、比較優位を発揮しなければなりません。たとえば、東部の経済の発達した地域では、県役場所在鎮と中心鎮を開発の重点とし、都市農村一体の労働力市場を作るべきです。西部の後進地域は、人口密度が低く、生態環境を守らなければならないので、限られた資金を集中し、規模の効果を利用し、優先的に中心都市を開発すべきです。

 第三に、条件のある地区では、農業・非農業の戸籍の区別を取り消し、都市農村一体の戸籍管理制度作りに急いで取りかかるべきだ。現行の戸籍制度の主な欠陥は都市と農村分離のその二元構造です。現在、多くの地方で戸籍制度改革にすでに成果が表れ始めています。人為的、行政的な戸籍「審査」制度を廃止し、参入条件をもって計画管理に替え、属地化管理〔属人では?江戸から明治への転換は人を土地にしばりつけた属地管理から戸籍という文書上での属人管理に移し、移動の自由を実現したことだった〕と職業登記を実行し、都市農村統一の戸籍管理制度を作ることです。それを基礎として、省・自治区・直轄市を単位として漸次広げてゆき、省・市・自治区の範囲内で統一戸籍を実現します。戸籍登記制度を強化改善します。戸籍管理重点から人口管理重点に切り替えます。先進技術を使って、静的管理から動的管理に切り替えます。「住宅で人を管理する」、「身分証で人を管理する」、「仕事で人を管理する」といった新たな方式を検討します。

 第四に、戸籍と土地制度のワンセット改革を実施することで改革の統一性が増します。都市で生活し仕事をしている農村労働力が経済発展の成果を共有できるようにするために、また都市の経済成長の潜在エネルギーを高めるためには、土地制度と戸籍制度の連動改革が必要です。建設用地割当量の地区を超えた再配置を許すべきであり、同時に、より多くの建設用地割当量を得た沿海都市はより多くの外地戸籍定住者を地元戸籍に受け入れるべきです。具体的に言うと、全国統一計画の中に都市建設用地割当量と農村の住宅用地の整理と耕作再開によって増える建設用地割当量を新たに盛り込み、どちらも地区間で再配置できるようにすべきです。しかしその過程では、土地の再配置は戸籍改革と連動し、より多くの建設用地割当量の必要な地区は、必ずそれに応じて地元戸籍付与者を増やさなくてはいけません。とりわけすでに都市で仕事や生活をしている外地戸籍の人々を受け入れなくてはいけません。地区間の土地利用割当量の取引メカニズムは効率と平等を兼ね備えていなければなりません。労働力は土地割当量と一緒に動き、土地制度と戸籍制度の連動改革を促し、より多くの労働力が経済集積の利点を享受できるようにする必要があります。地方政府官吏の業績評価体制を改革し、異なる地区の官吏の業績評価は別々にGDP成長率と一人あたり成長率の異なる重みづけをしなければなりません。

 公務員試験の不公正は非常に大きな問題

 今の中国社会は排他的体制になっている。最大の特徴は社会構成員の階層移動に非常に大きな障害があることだ。下層からの垂直移動の障害はますます多くなっており、本当に上層移動を実現できる人はますます少なくなっている。

 東方早報:いま中国経済移行における「第二世代」農民労働者の苦境について分析しましたが、あなたは一線都市〔北京、上海など特大都市〕の「アリ族」についてどう思いますか? 卒業後仕事が見つからなかったり、賃金の低かったりするために一線都市の農村との境界域に集まって住む大学卒業生が「アリ族」と言われています。一方で、かれら大学卒業生は大都市が提供する市場環境で仕事をしたいし、もう一方で、大都市の生活コストが上がっても、彼らは二線、三線都市に退却することはできない。なぜなら二線、三線都市は縁故主義がもっとひどくて、市場のチャンスが少ないからです。彼らは将来の不安も抱えています。

 于建:「アリ族」が直面している問題の、第一は生存の問題です。大都市はチャンスは比較的多いですが、生活コストも高く、卒業したばかりの若者にとって、親の援助がなければ、苦しい生活を送るしかありません。ただ、仕事を始めたばかりならそれも当然です。根本的な問題は自分の努力でキャリアアップしていけるかどうか、上昇の機会があるかどうかです。まさにそこに問題があるんです。

 今の中国社会は、排他的体制になっています。最大の特徴は社会構成員の階層移動に大きな障害があることです。下層にいる人の垂直移動の障害はますます多くなっており、本当に上昇移動を実現できる人はますます少なくなっています。ですから、「アリ族」たちは今ほとんどがまた希望と我慢の入り混じった段階にいて、どちらかと言うと自分に「努力」や「意志堅固」などを要求していますが、もし個人がどんなに努力しても現状を抜け出すことがでず、不利益が構造化されたら、彼らが社会の現実を厳しく問い詰める方に向きを変えないとは言い難い。それが進んだら社会に対する不満によって、「憤青」意識に満ちた下層青年になるでしょう。「役人の二代目」と「金持ちの二代目」が無節操にチャンスを独占し、社会の基本的な公平と構成のルールを破るのを見て、下層青年の心の中の公平正義の理念は踏みにじられ、社会に対する反感が芽生えるでしょう。ですから、「アリ族」の本当の問題は、「農民」労働者「第二世代」と似たところがあり、これもやはり「希望」と「絶望」の問題です。

 東方早報:公務員試験の面接試験で不正が問題になっています。たとえば、公務員採用になぜ「声をかけた人」〔コネからの連絡〕がよくあるのかです。

 于建:どうやら、公務員試験の不正は大問題のようです。国家公務員試験は現在唯一庶民が上昇して体制に入るという希望をかなえられる制度です。もし公平公正が維持できなければ、この社会は非常に危険です。これは非常に重要な最低ラインです。もし私が農民の子で合格したら、それは社会に努力しさえすれば、社会的地位を得られるという実証効果を与えます。

 公務員試験の公平を維持できるかどうかは、中国においては任用制度の問題であるだけでなく、深刻な政治問題です。それは私たちの社会の下層社会の青年が、希望を感じられるかどうかの最低ラインです。もしもこの土台さえだめなら、反抗するしかありません。

 例えば「私の成績の方が良かったのに、なぜ採用されないんだ」となったら、どうなるでしょう? これは一人二人の将来の問題ではありません。社会に対する基本的な信任の問題であり、信頼の問題です。

 社会には二つの基本的信頼があります。一つは司法の公平であり、私たちの権利が侵害された時の救済を保証します。もう一つは社会的上昇の機会が平等に与えられているということ。多くの下層民衆の不満は剛性公平の公務員試験を通じて鎮めることができます。私は、下層民衆の上昇の最後の望みが断たれないことを願っています。

 社会の最低ラインはすでに形成されている

 「役人二代目」や「金持ち二代目」といった身分の形成は、中国社会の階層分化がすでにほぼ完成していることを示している。

 東方早報:あなたは最近下層青年と社会安定の問題を研究されていますが、それについて紹介してください。

 于建:その課題は中国社会科学院の委託課題です。今年初め、私が新華社のインタビューを受けた時、下層青年問題について話しました。彼らは私の見解を内部参考〔党幹部に提供する情報〕にまとめました。中央の指導者がそれ見て書面指示を出し、うちの社会科学院が私に詳細研究を委託したのです。私たちは主に社会安定の視点から、現在の社会の基本的感情、たとえば下層青年、芸術青年、社会憤青の意識、および彼らの感情が社会にどのような問題をもたらすのかを研究しています。

 例えば、個別の襲撃事件、「3・23南平小学校殺人事件」〔2010年の3月に福建省南平市の小学校校門前で起こった殺人事件。小学生8人が死亡した。犯人は失業していた中等専門学校卒の元医師。〕は明らかに重大な犯罪ですが、インターネット上の評価は違って、多くの人が殺して当然と言っていました。ニュースの評論も問題があり、一部の新聞は、タクシー内で、運転手があそこの学校は貴族学校で、金持ちか役人の子供だと言ったと書いていました。これは非常に簡単な対立の論理です。

 「南平事件」発生後、私は24日福建に行きました。私はこれは反社会的人格の問題だと思います。反官僚の問題だと考えるべきではありません。反社会的心情と反官僚的心情は違います。例えば上海の「楊佳事件」では、警官の制服を着た男という明確な攻撃目標がありました。警官の制服を着た女は目標ではありませんでした。湖南省永州の「朱軍事件」では、その明確な目標は裁判官でした。しかし、南平事件は違います。彼が目標を小学生に定めたのは、小学生が攻撃し易かったからです。ですからこの二種類の事件は違うのです。

 上述の社会意識を研究していて、憤青の最大の特徴は「官民対立」と考えることだという発見をしました。どんな問題が起きても、憤青は必ず「民」の側に立ちます。それには「遊侠」の含意もあります。「おれは正義を貫く。役人のやることには何でも反対する」という調子です。

 南平事件で「殺して当然」という見方は深刻な社会の精神不安定を反映しています。私が南平から戻ってから、ある国家級のメディアがわたしに編集者、記者への講義を依頼してきました。ある30過ぎの編集者が、次のように話したので私は意外で驚きました。「私は殺して当然だと思います。かれら金持ちの役人は生まれた時から多くの資源を握っているんですから、そのためのリスクを負担するのは当然です」と彼は言いました。

 これは一種の新しい「出身論」です。もし国家級メディアの従業員がこのような考え方をしているとしたら、憤青は下層の憤青だけでなく、全社会いで新しい対立感情が生まれているということです。それはいよいよ社会の溝が大きくなり、社会に下層が生まれ、上層と下層が分離しているということです。

 なぜ民衆は「金持ち二代目」と「役人二代目」を憎むのでしょう? 若者が官途についたら、大衆はすぐに「お前の親も役人だろう」と言います。なぜでしょう? なぜなら若者の中には、「親が役人でない」人が少ないからです。これは私たちの社会が関心を寄せなければいけない問題です。

 「チャイナドリーム」の意味
 
 チャイナドリームは誰もが民主的立憲制の政治体制の下で、自分の努力で自分の運命を変えることができ、公平に国家経済発展の成果を享受できることである。

 東方早報:米国が台頭する過程で、アメリカンドリームが生まれました。それは米国ではがんばり続ければより良い生活が得られるという理想、また人は自分の仕事を通じて勤勉、勇気、創意と決意で繁栄に至るのであって、特定の社会階級や他人の援助に頼るのではないというものです。アリ族大卒者と第二世代「農民」労働者にとって、チャイナドリームとは何でしょう?

 于建:私が思うに、チャイナドリームとはつまり経済的に発展した中国がより民主・自由・平等・公平になることです。彼らが民主的な立憲制の政治体制の下で、自分の努力を通じて自分の運命を変えることができ、公平に国家経済発展の成果を享受できるようになることです。この夢の前提は、中国の現在の排他的体制が徐々に解消し、一人一人の努力が報われるようになることです。

 収用条例は暴力的収用を止めることはできない

 一つの収用条例だけで違法な暴力的収用を解決することはできない。それは体制的な問題である。我々は末端役人だけを責めるわけにはいかない。中央政府は地方政府の多くの負荷を減らさなければならない。地方政府の負荷を減らすことで初めて中央の負荷を減らすことができる。地方の負荷を減らすことで初めて民衆の負荷を減らすことができる。

 東方早報:今年初めに国務院法制事務局が「国有土地上の家屋収用と補償条例(意見募集稿)」を発表〔2011年1月21日国務院が公布・施行〕しましたが、この条例が施行されたら、違法な暴力収用は減ると思いますか?

 于建:減りません。土地収用の代々の問題は地方政府の巨大な利益と結び付いていることです。現在の経済発展の中で非常に重要な方法は投資で、投資を最も増やすのは建物と土地です。土地が足りなければ家を壊す。この巨大な利益と経済発展方法は一つにつながっていて、この問題が解決しなければ、一つの収用条例だけで違法な暴力収用は解決しようがありません。これは体制の問題です。役人の個人的資質の問題ではありませんから、暴力的収用は減ることはありません。

 東方早報:あなたは末端役人についてどう考えていますか? 現在たくさんの末端役人の腐敗事件が起きていますが。

 于建:私たちは末端役人だけを責めることはできません。私が思うに、中央政府の末端政府機関に対する判断には問題があります。それは、末端は汚職役人で、中央だけがちゃんと仕事をしているとか、中央の幹部だけが良い幹部だという判断です。もし末端幹部が民衆のために仕事をしなかったら、上級政府が一票否決制〔業績評価で、多項目のうち1項目でも不合格なら再任しないという制度〕で首にするという考え方には大きな問題があります。

 中国の末端官吏が悪いのは制度が生み出したものです。例えば、税負担が重いのは制度で定められています。そうしなかったら今世界で二番目に豊かな政府でいられますか? しかし、中央政府は末端だけを責めて、勝手に税を徴収していると言っている。中央政府は国税が足りなかったら、地方税で補え、地方税が足りなかったら、財政で補え〔事業を減らせ〕、財政で足りなかったら、給料で補えと言っている。末端の郷鎮幹部は、農民からカネを集めなかったら、給料もない。ですから私たちは地方政府の困難も理解する必要があります。

 例えば陳情で上がってくる問題の多くは中央の政策が原因ですが、何年も前の未解決問題で、いまでは地方が解決しようもない。しかし中央政府は地方に対して問題を地元で解決しろと言うだけで、能力のありなしには関わりません。もう一方では地方政府に圧力をかけ、一票否決制を実行しています。ですから、官職を維持するために、末端官吏は陳情の民衆を捕まえ〔拉致監禁し〕ないで、カネを出して安定を手に入れないで、何か別の方法があるでしょうか? ですから私たちは地方役人の悪を全て人格の悪さだと判断すべきではないのです。職務の悪と人格の悪は関連はありますが、やはり別のことです。

 多くの場合、中央政府は多くの面で地方政府の負荷を減らす必要があります。地方政府の負荷を減らすことで、初めて中央の負荷も減り、地方の負荷を減らすことで、初めて民衆の負荷も減ります。中央は末端官吏について正確な判断をすべきです。末端官吏にはもちろん腐敗があり、飲み食いは大きな問題です。しかし本当の大きな腐敗は末端ではありません。私たちは末端官吏について新たな判断をすべきです。全ての悪を末端に帰すべきではありません。

 人民代表の専任化

 末端から始めて、人民代表の専任化は多くのことを変えることができる。民衆が人民代表の選任をコントロールできるようにし、空間をもって時間に替え、一歩ずつ社会を進歩させなければならない。

 東方早報:末端官吏の問題について分析を続けてください。現在一部の末端官吏のヤクザ化現象が暴露されています。例えば広東省雷州のある鎮の人民武装部長はヤクザの幹部でしたし、重慶市公安局の元副局長の文強らもヤクザ事件に連座しました。

 于建:末端官吏のヤクザ化にはいくつかの原因があります。第一に、長年の利益対立で、利益のためにやむを得ずヤクザと組む人。第二に、一部の幹部がなぜヤクザを利用するかと言うと、ふたつあって。まず、ヤクザを利用して利益を得る。次にヤクザを利用して事業を進める。例えば収用、収用はヤクザを利用して官吏が儲けるのではなく、家を壊させるのです。

 ヤクザは非政府の暴力組織なのに、なぜ末端官吏と結び付くかと言えば、利用関係です。農民が〔その後廃止された農業税の〕徴税に抵抗していたころ、一部の官吏はチンビラに徴税を頼み、1万元集めたら2千元をチンピラに渡したりしていました。役人は暴力をふるってはいけないので、チンピラに頼んで、チンピラが政府の代役をしたのです。

 東方早報:あなたは今の末端人民代表大会をどう見ますか? メディアではよく人民代表が酔っ払い運転で人をひき殺したとか、不法行為を行っていたとかという記事をよく目にしますが。

 于建:それは大きな問題です。誰が民衆の家を壊しているのか? それは彼ら人民代表です。多くの人民代表は政府・裁判所・検察庁の役人が兼任しています。ですから人民代表を使って末端の問題を解決することはできません。

 私たちは、人民代表の専任化を通じて、政府・裁判所・検察庁の監督を行うことを提案しています。民衆が政府を信用する社会、民衆が人民代表の選任をコントロールできる社会を作らなければいけません。この方法を通じて社会の進歩を推進します。

 この人民代表職業化は、人民代表を兼任して自分に箔をつけようとする人を駆逐することができます。4年間は専任の人民代表で、事務室も給料も与え、毎日事務室に行って民衆を迎え、民心民意を理解させる。四川省の羅江県ではすでに始めています。末端から始めて、人民代表を職業にし、社会保険も科級〔係長級〕幹部の給料も払い、民衆のために仕事をさせる。人民代表を職業化することによって、多くのことを変えることができます。社会を一歩ずつ前に進め、空間をもって時間に替え、末端から改めて行けます。

 現在の安定維持のコストはどれほどでしょう? 陳情受付事務局のコストはどれほどでしょう? 国家にはある種の和解、ある種の政治的な相互信頼が必要です。社会を新しい構造に作り変え、新しい問題を解決しなければなりません。

 私たちは、なんとかして社会に方向を示す必要がありますが、人民代表の職業化は民衆と政府の関係を強め、政府・裁判所・検察庁を制約し、民衆のために役立つサービスを提供することができます。

原文出典:http://www.rmlt.com.cn/News/201007/201007151239332210.html

(転載自由、要出典明記)

于建:誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(1)

2011-01-29 17:57:07 | 中国異論派選訳
于建:誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(1)

2010年07月15日

初出:東方早報 作者:于建

 「農民」労働者〔原文「農民工」、日本語文脈でもそのまま使われることが多いが、ここではあえて直訳してこの言葉の奇妙さを強調した〕「第二世代」と「アリ族」大学生が「チャイナドリーム」を実現できるか、自分の努力で仕事で成功することができるか、社会的上昇実現の「希望」があるか、それは中国の経済移行を左右するカギだ。

 中国社会科学院農村発展研究所社会問題研究センター主任于建教授は最近本紙の記者の単独インタビューを受けた時にそう語った。

 今年48歳の于建は7月6日社会安定問題についての中国浦東幹部学院での講義の合間に本紙記者の単独インタビューを受けた。于建は、「チャイナドリーム」とは個人が自分の努力で自分の運命を変えることができ、公平に国家経済発展の成果を享受できることであり、この夢を実現する前提は、中国の現在の排他的体制を徐々に解消し、一人ひとりの努力が報われるようにすることだと力説した。

 于建によると、現在の中国社会は排他的な体制であり、その最大の特徴は社会構成員の階層間移動に巨大な障害があることだ。下層の社会構成員の垂直移動の障害が多ければ多いほど、上昇移動を実現できる人は少なくなる。「役人の二代目」と「金持ちの二代目」が恥知らずに機会を奪い、社会の基本的な公平と構成のルールを破ることで、下層青年の心の中の公平正義に対する信念は破壊され、社会に対する反感が生まれる。

 近年、于建は何度も沿海部の工場調査を行い、「農民」労働者「第二世代」が「将来はどこにいるか」、「将来は何をしているか」という質問に対する回答が非常に悲観的であることを発見した。「彼らは毎日仕事をしているが、将来に希望を感じられず、前途を悲観している」。

 于建によると、「アリ族」大学生が直面する問題と「農民」労働者「第二世代」の問題とは共通点がある。つまり「希望」か「絶望」かという問題だ。

 于建は国家社会科学基金重要課題「都市農村経済社会一体化新枠組戦略の中の戸籍制度と農地制度ワンセット改革研究」の主席専門家だ。彼は学界では有名な足で実証研究をする学者で、長年下層を歩いて来た。2001年、博士論文『岳村政治――移行期中国農村政治構造の変遷』の出版で、于建は学界の新星となった。

 2004年後半、彼が主宰する研究チームは「陳情の制度的欠陥とその政治的危害」と題した調査報告を発表し、陳情制度をどうするのかという論争を引き起こし、上層部の注意を引いた。

 ここ数年、于建は観察的インタビューを基礎に、制度資料と歴史文献研究を結び付けて、あいつで多くの中国の労働者と「農民」労働者に関する著作を発表している。著作には『中国工人階級状況:安源実録』、『当代中国農民の権利擁護抗争:湖南衡陽考察』、『漂流する社会:「農民」労働者張全収と彼の事業』などがある。

戸籍制度改革は要点を把握していない

 戸籍制度背後の問題はまだ解決していない。戸籍と職業選択、賃金、医療、住宅、社会保障、福祉は分離されていない。いま多くの地方の戸籍改革は問題解決のためではなく、農民から土地を奪い取ることに焦点を合わせている。

 東方早報:国家社会科学基金重要課題「都市農村経済社会一体化新枠組戦略における戸籍制度と農地制度のワンセット改革研究」の主席専門家として、いまの研究の進捗状況を教えてください。

 于建:これは期間3年の課題で、いまは2年目です。この1年余り、私たちは全国の多くの地方の関連政策と実践について調査し、いくつかの経験の取りまとめを行いました。これまでの研究から見て、全国各地で行われている戸籍制度改革は問題の要点を把握していません。

 東方早報:あなたの言われる問題の要点とは何ですか?

 于建:現在、多くの地方の戸籍制度改革は表面的なものです。たとえば戸籍簿を農村戸籍ではなく都市戸籍と表記したり、外地の人が家を買ったり仕事に就くことで現地の戸籍を得たり、ひそかに戸籍を移せるようにしたりという改革をしている。しかし、戸籍制度の背後の問題には手をつけていない。戸籍の上に張り付いた職業選択、報酬、医療、教育、住宅政策、社会保障、福祉は分離されていない。もし都市と農村の一体化の中でこれらの問題を解決せず、農民に戸籍一枚を与えるだけならば、多分何の解決にもなりません。たとえば、都市戸籍を得た農民の社会保障と、もともとの農民の土地問題はまだうまく解決されていません。

東方早報:例を上げてもらえますか。

 于建:私が以前書いた文章の中で、戸籍制度改革は農民に実益がなければならないと主張しました。しかし、いま多くの地方の改革は問題解決に目を向けず、農民から土地を奪うことを目的にしています。

 例えば近年深圳で推進されている「居住証」制度は、都市と農村の戸籍差別を「曖昧化」し、居住証で一部の優遇政策と福祉を受けられるようにしています。役人たちは農民に、「もうみんな都市戸籍で、都会人なんだから、農民みたいに土地を要求するな」と言っています。改革の目的は農民から土地を取り上げることで、改革の目的は人々の自由な移動を促進し、都市と農村の二元構造を改めることではありません。多くの地方の戸籍制度改革の動機は不純で、ほとんどが農民から土地を取り上げるためです。

 もうひとつ例を上げると、甘粛省のある県は都市化ノルマを達成するために、県指導部が頭に血が上って、14万人の「農村戸籍」を「非農業戸籍」に変更し、「うちには農民はいない。農業していても関係ない。みんな都会人だ」と言いました。この変更は新たな問題を引き起こしました。現地の農民は、農村戸籍だったら、農村の補助金を受けることができたかもしれないのに、〔金融危機後の内需拡大策の〕家電下郷では補助の対象から外れていたのです。そこで政府は「お前たちは農民じゃなくて、都会人なんだ」と言いました。ですが農民たちは「おれは毎日農業をしている」と言いました。このような改革は問題があります。

 盆栽式改革は「隔膜」を作っている

 都市化の道は付随する戦略的改革を進めなければならず、盆栽式改革ではだめです。もし大きな背景を持つ社会改革がなければ、戸籍制度の改革は問題が起きます。

 東方早報:戸籍制度改革と都市化プロセスとはどんな関係があるんですか?

 于建:国内の一部の地方の戸籍制度改革は、農村発展問題を解決できないだけでなく、農民の生活問題も解決できず、農民の土地問題も解決できません。農民が農村を離れ、都市に移った時、土地は返納すべきか、どう返納するか?

 中国の都市化は、付随する戦略的改革を進めなければならず、盆栽式改革ではだめです。もし大きな背景を持つ社会改革がなければ、戸籍制度改革は問題が出ます。

 戸籍制度を改革するということは正しいですが、今は都市と農村の統一が欠けています。全ての人が自由に移動できる社会保障が欠けています。現在農民は平等な社会福祉を享受することができません。ですから、社会の一体化を進め、農村住民に最低限の公平公正を与えることが必要です。

 東方早報:戸籍制度改革に必要な付随的戦略的改革とは何ですか?

 于建:戦略的改革には3つの問題を解決しなければなりません。
 
 第一、都市と農村一体の、全ての住民もしくは市民が同等な公共サービスを受けられる体制を構築すること。

 第二、中国は農村を全て都市に変えることはできません。中国の農村はやはり存在し続けます。いかにして都市化過程で農村を良くしていくか、それが緊急の課題です。

 第三、全ての改革は人間を尊重し、人々が幸福と平等を享受できるようにしなければなりません。しかし多くの改革は実際は「隔膜」を作っています。例えば、住宅建設。今の「農民」労働者の飯場のような住宅ではだめです。例えば、上海市宝山区のある公立学校は、地元戸籍の学生と「農民」労働者の子弟を、様々な規則を作って東西に分け、互いに交流しないようにしています。また北京市大興区は一部の農村を封鎖式管理をし、外地人を隔離しています。これらはみな人為的な階級差別です。

 未来の「農民」労働者第二世代はどうなるのか

 「農民」労働者第二世代は農村に帰属感はありませんし、帰ろうとも思っていません。都市と農村の一体化には、彼らの特徴を考慮する必要があります。しかし、「農民」労働者の賃金は彼らが都市に根を下ろすという夢を実現するには足りません。

 東方早報:「農民」労働者向けの住宅建設は強い身分属性がある?

 于建:そうです。それはだめです。第二世代移民の問題に関わります。第一世代の出稼ぎ労働者は、農村への帰属感があり、出稼ぎでカネを貯めたら最終的には村に戻って家を新築しようと考えていました。第二世代「農民」労働者は農村に全く帰属感はなく、帰ろうとは思っていません。いま都市と農村の一体化、戸籍制度改革を進めるにあたって、第二世代「農民」労働者問題を考慮しなくてはなりません。

 何年か前に大勢の第二世代「農民」労働者のインタビューをしたときに、「将来はどこにいると思う?」と聞いたら、多くが「分かりません」と答えました。続いて、「農村の実家に戻るだろうか?」と聞くと、彼らの回答は「戻らない」でした。彼らにとって将来の最良の計画は小さな町に家を買って、小さな店を出すというものでした。この彼らの回答は将来に対して非常に悲観的なものです。

 東方早報:第二世代「農民」労働者調査の時の具体例を紹介してもらえますか?

 于建:2008年、私が深圳で調査をしていたとき、ある紙箱工場で3人家族に会いました。父親と娘と息子、3人ともその工場で仕事をしていました。父親に将来どうするか聞くと、彼はあと何年かしたら家に戻ると言いました。次に彼の娘に聞くと、娘の回答は最大の希望はいい旦那にめぐり合うことで、「旦那はできれば町の人がいい、そうすれば出稼ぎしなくていいから」といっていました。最後に息子に「将来何をする?」と聞いたら、「分からない」と答えました。

 この家族は特に印象深かったです。息子は「何でおれに将来のことなんかわかるんだ? どっちにしても(農村には)戻らない」と言っていました。この家族はもうすでに故郷に家を新築していました。続けて息子に「故郷で嫁さんを探すかい?」と聞くと、「故郷で嫁さんなんか探せないよ。結婚式は村でやるかもしれないけど、農村にはすまない。農業したこともないし、土地もないし。」と答えました。続けて「深圳に居続けたいと思うかい」と聞くと、かれは「思う」と答えました。

 比較すると、都市で仕事のある大卒者は、生活は予測可能です。仕事があることで、給料で家を買い、そこに居続け、結婚して子供を産むという予測が可能です。例えば上海ですでに仕事のある大卒者は、住宅がいくら高くても、手を尽くして家を買い、仕事を続けようとします。しかし、第二世代「農民」労働者はそうはいきません。なぜなら彼らの賃金では彼らの夢を実現できないからです。

 漂流する社会

 今は社会全体が漂流し、人が漂流し、人心も漂流しています。都市化過程での農民に対する対応の一部は人間性が欠如し……人を機械扱いしています。
 
 東方早報:あなたの調査によると、第二世代「農民」労働者は生活の展望がなく、将来性がないという問題は、社会の発展にどのように影響するでしょうか?

 于建:第二世代「農民」労働者の問題について、私は数年前に「漂流する社会」という定義をしました。これは最初は私の書いた『漂流的社会:農民工張全収和他的事業』の表題です。

 今は社会全体が漂流し、人が漂流し、もちろん人心も漂流しています。都市化過程での農民に対する対応の一部は人間性が欠如しています。

 私が深圳でインタビューした第二世代「農民」労働者は、毎日仕事をしていますが、未来に希望を感じられずにいます。その非常に重要な原因は工場の管理に人間性が欠如していることです。

 富士康事件は多くの問題を暴きだしました。その中でたとえば住宅問題は、知ってか知らずか、工場は河南人、広州人、江西人を同じ部屋に集めていました。お互い生活習慣が違い、甲はトウガラシが好き、乙はニンニクが好き、言葉が通じず、お互い話をしません。

 このような人を機械のように管理するやり方は、人間性が欠如しています。このような居住条件の下で、第二世代「農民」労働者はもともとの生活と引き裂かれます。もし同郷人と一緒に住めば、お互いに交流できます。マントウを食べる習慣の人を一緒に集めることがなぜできないのでしょう? 「組織」や「グループ」があることが管理にとって不利と言えるでしょうか? いまは無理やりマントウを食べる人と、麵を食べる人、小麦を食べる人と、米を食べる人を一つの部屋に住まわせています。これは単に戸籍の問題だけでなく、第二世代「農民」労働者をどのように農村社会から都市社会に溶け込ませるかという問題です。

 東方早報:中国経済移行という背景の下で、第二世代「農民」労働者がぶつかっているとは問題は何でしょう?

 于建:いま第二世代「農民」労働者のぶつかっている問題は主に3つあります。

 第一、カネがない。賃金は都市に溶け込む支えとしては足りません。

 第二、コミュニティの生活に溶け込めない。ですから毎日の仕事はまるで機械です。毎日の最大の願いは休暇に帰郷することです。毎年の最大の願いは年越しに家に帰ること。たとえ3日間の休暇でも、たとえ切符が買いにくくても帰りたい。何日かして戻ってきたらまた機械に変ります。毎年毎年、これで前途に希望が持てますか?

 第三に、最も重要なことですが、戸籍などの制度的な原因で、かれらは都会人になる望みがない。第二世代「農民」労働者は都市化の過程で、土地と戸籍の問題にぶつかるだけでなく、人間性の問題にもぶつかります。これは何とかしなくてはならない問題です。

 都市の破片

 「農民」労働者を都市に溶け込ませることは、機械の操作とは違います。政府は彼らを都市の「孤島」に隔離したり、破片のように都市の主流生活の外に追いやるのではなく、しっかりとした計画を立てなくてはなりません。長期的に見たら、住宅も必須です。

 東方早報:技能訓練と職業学校を通じて、うまく第二世代「農民」労働者を都市に溶け込ませることはできませんか?

 于建:それらの研修は職業技能研修の機能だけで、都市社会に溶け込むのをサポートする機能はありません。「農民」労働者が都市社会に溶け込むのは、機械を操作するようにはいきません。政府は、彼らを都市の中の「孤島」に隔離したり、破片のように都市の主流生活から遊離させるのではなく、しっかりとした計画を立て、彼らに都市を理解させ、都市社会に溶け込むよう支援し、都市のコミュニティ生活を送れるように支援する必要があります。また、「農民」労働者が都市社会に溶け込むには、長期的に見て住宅も必要です。今の社会は第二世代「農民」労働者の移動に、まったく住宅支援をしていません。たとえば、私がインタビューした工場に働く夫婦は、工場の規定で宿舎内では一緒に住むことを禁止され、また外に部屋を借りるカネもなく、会うたびに気持ちが沈むということでした。私は深圳でたくさんこのような状況に出会いました。夫婦が同じ工場で仕事をしていても、工場側が人為的に夫婦を引き裂いているのです。そうでなければ一部の工場が「夫婦宿舎」を提供したことがニュースネタなどにはならないでしょう。

 私はこうした工場の責任者にもインタビューしました。彼らは自分たちが正しいと思っています。工場の宿舎は夫婦同居を保証する場ではなく「ここは仕事する場所なんだ」というのです。しかし、労働者の賃金では部屋を借りるのは無理で、政府も住宅支援はしません。これは大きな問題です。

 東方早報:あなたは工業化した地域では、政府は中低所得層向け住宅を作るときは「農民」労働者のことも考慮すべきだと言われるのですか?

 于建:まず「農民」労働者家庭の別居を避け、彼らが都市社会に溶け込めるようにしなければなりません。彼らが自分の努力で都市に足場を築くことができると感じられるようにする必要があります。たとえば夫婦が都市で働いて月3000元を稼ぎ、月500元を払えば公営住宅を借りることができるのであれば、彼らは子供を連れてくることができ、子供を親元で学校に通わせることができます。都会で予測可能な生活を送ることができれば、その夫婦は、故郷の土地を手放すことも考えるでしょう。

 今はっきりしているのは、「農民」労働者は総じて都市に足場を築ける可能性がありません。可能性のない人はどう感じるでしょう? もしいま農民に向かって、お前が都市に来たら戸籍をやると言って、何の役に立ちますか? 住むところもない、子供を受け入れる学校もないんです。これは政策的に対応する必要があります。

 農民の土地を削り取るだけではいけない

 毎日農民の土地を削り取ってばかりではいけません。農民が自分で転出できるようにすれば、その土地は自然に空くじゃないですか? 今の多くの地方政府の改革は、「庶民」から見たら、「改革を通じて、利益を収奪している」のです。

 東方早報:現在都市住民のための中低所得層向け住宅、教育、医療などの公共財と公共サービスの提供の面でも不足しています、短期間のうちにこれらの公共財の提供を拡大するのは困難です。

 于建:一気に解決することはできません、方向は明確にすべきです。毎日農民の土地を削り取ってばかりではいけません。農民が自分で転出できるようにすれば、その土地は自然に空くじゃないですか? 今の多くの地方政府の改革は、実際は農民から土地を削り取ることです。例えば、重慶で行われている宅地取引は問題があります。

 東方早報:重慶の農村土地取引所は設立1年になりますが、世論は重慶は土地の権利取引を通じて、都市が農村を養う新たなルートを切り開いたとみなしています。

 于建:重慶の宅地取引改革の実質は、国家の農地に対する剛性保護政策を背景に、一部の宅地を取引し、宅地化割当量を集中し、国家の耕地保護目標を打ち破っているのです。

 重慶のやり方は農地転用の一形式です。基本農地ではないので、明らかに農民の住宅用地も上場することができます。しかも一部の用地目標の問題を解決することができます。それには一定の意義があります。しかし、そこにはトリックがあります。例えば、辺鄙な農村に1ムーの宅地を持っているとします。それは上場できます。しかし人が買うのはあなたのその土地ではなく、その広さの割当量です。当該の宅地を農地に戻したら、都市郊外に1ムーの農地を借りることができます。これは一種の農地の交換です。その結果、郊外の農地が宅地となります。肥えた農地のムー当たり収量は500kgにはなるが、宅地を農地に変えたら、ムー当たり収量はせいぜい50kgだろう。違いは大きい。

 このような改革に対して、私は慎重であるべきだという意見です。特にそこにおける利益分配問題に注意し、農民の土地権益略奪の手段に変えてはなりません。

 重慶は2007年に農地株制度改革を行い、その後廃止しました。農地株制度は農民に農地を現物出資させましたが、実際に大きな問題になったのは会社が利益配当しなかったことで、農民は自身の利益を守れませんでした。雲南省孟連のゴム栽培農家事件も教訓になります。いま多くの地方政府の改革は「庶民」からすればみな、「改革を通じて、利益を奪う」ものです。私はこの問題を非常に心配しています。

転載自由、要出典明記

誰が下層青年のチャイナドリームを圧殺しているのか(2)

秦暉:低自由かつ低福祉の中国モデルにはいかなる優越性もない(2)

2010-12-31 19:01:12 | 中国異論派選訳
秦暉:低自由かつ低福祉の中国モデルにはいかなる優越性もない(2)

自由と福祉

いま中国の未来について二つの予言があるが、私はそれらが現実となるのを望まない。予言の一つ目は中国崩壊論であり、中国のようなやり方を続けていたらいつか大混乱に陥ると言う。だが中国の現在の経済的エネルギーと世界経済への影響の勢いからすれば、もし中国が崩壊したら、おそらく世界もそれに続いて崩壊するだろう。たとえいまはそのような影響が出なくても、将来はその可能性を排除できない。中国の崩壊は中国にとって良いことでないことは確かだが、世界のどの国にとっても良いことではない。だが、中国がもし現在のモデルでずっと低人権の優位性の下で発展を続けたら、それは実際には自分を搾取することにより他人の借り越しの対象となるということである。このような優位性に何か良いところがあるだろうか? 世界にとって良くないことが、中国人にとって良いことなのだろうか? 多分一握りの権力者にだけは良いことだろう。

だから私は中国は変わるべきだと思う。変わることは実は簡単だ。自由も福祉も外国から学ばなければならない。政治的自由の意義は言うまでもなく、経済的自由も増やさなければならない、独占に反対し、「国進民退」〔官営企業による民間企業の圧迫、排除〕を改めなければならない。それはなにも素晴らしい思想解放とみなす必要はない。みんな忘れているかもしれないが、それは中国共産党の昔の主張なのだ。1949年以前、中国共産党は当時の国有資産を「官僚資本」と呼び、私営企業を「民族資本」と呼んだ。「官僚資本」を罪深い「三つの大山」の一つに挙げ、当時の「国進民退」を共産党は「官僚資本が民族資本を壊滅させる」と称した。だから「民族資本の官僚資本による壊滅からの決別」は決して「新自由主義」の特許ではない。

福祉国家について言えば、確かに多くの問題がある。しかし、中国はまだ「福祉病」にははるかに遠い。私は中国は福祉問題で最も避けるべきはマイナス福祉現象だと思う。周知のように先進国には高福祉の国も低福祉の国もある。低福祉というのは最も貧しい人だけを対象にし、他の人は対象としないことで、米国がそれに当たる。いわゆる高福祉というのは福祉の対象範囲が広く、それほど貧しくない人も対象とする。例えば米国は一般に福祉が低すぎるとみなされ、政府が提供する福祉的医療保障の対象範囲はヨーロッパ諸国より狭い。それは二種類の人々だけを対象とする。ひとつは65歳以上の老人、もうひとつは貧困線以下の貧乏人であり、その二種の人々は米国総人口の18%を占める。この制度は確かに問題だが、オバマの医療制度改革は民主主義の枠組みの下でなぜ難航しているのだろう? それはつまり米国の現在の制度がすでに最も弱い18%の人々の医療問題を解決しているので、この18%の人々はオバマの医療制度改革を支持していないからだ。彼らは、新たに大幅に財政支出を増やすことは国の彼らに対する支払い能力を弱めると考えている。そして、金持ちはもちろん支持しない。医療制度改革に反対する米国の多くの人が最もよく口にする理由は、医療保険のない人々は米国の「次弱階層」で、最弱ではないというものだ。買えるのに買わず、国に払わせる。だが国に払わせれば様々な副作用が生じる。これが医療制度改革に反対する人々の主な理由である。

米国の医療制度は確かに問題があるが、実際には高福祉には高福祉の問題があり、低福祉には低福祉の問題がある。しかし、西側の国では、いわゆる低福祉は最貧層を保障し、いわゆる高福祉はそれほど貧しくない層も保証する。だが私たちはどうだろう? 我が国が提供する福祉的医療の対象範囲はどれだけか? 米国は18%だが、我が国は当時公費医療を受けられる人はどれだけいただろう? 少なくとも改革前は非常に少なかった。農民にはなく、生活用品製造企業労働者にもなかった。工場〔生産財生産企業〕も労働者本人にはあったが、家族にはなかった。しかも周知のように、公費負担基準には大きな格差があった。衛生部のある副部長が退職後に語ったところでは、中国の公費医療資金の80%が指導幹部に使われている。これは低福祉だろうか? それとも高福祉だろうか? 対象範囲は米国と同様狭いが、対象とする方向は米国と逆である。中国の保障対象は最貧層ではなく、富裕層であり、しかも最富裕層ほど厚く保障される。

中国はここ数年医療保険の面で確かに大きな進歩があった。周知のように現在農民にも医療保険が始まった。この「新農村合作医療」は以前人々が自慢げに話していた文革期の合作医療とは異なる。以前の合作医療は国家は負担しなかったが、今の「新農村合作医療」は国家も負担する。2007年時点では、江蘇省の「新農村合作医療」は先進的だった。当時国家は「新農村合作医療」の医療基金は一人あたり50元にすべきと定めていたが、江蘇省はそれを超えて一人あたり76元にした。4300万人の農民が新農村合作医療に参加した。一方、全額公費医療を享受するのは、つまりいくら使っても全額公費負担となる人は、主に役人だ。当時わずか14万人が、福祉的医療資源を一人あたり6000元享受していた。ジニ係数を計算すると、福祉的医療資源の江蘇省での分配のジニ係数は0.7だった。一方、江蘇省の一次分配のジニ係数は0.4に過ぎない。それはどういう意味を持つのだろう? それはつまり二次分配後に江蘇省では不公平は減少するのではなく、拡大していたのだ。

たとえそうであっても、私は江蘇省の医療改革は大きな意義があると思う。なぜなら、農民の医療保障は以前は全くなかったが、いまはとにもかくにも70元の保障があるからだ。その視点から言うと、今のジニ係数0.7の福祉資源分配の、マイナス分配の幅は以前より小さくなった。以前は多分0.8だっただろう。いま中国の進歩はマイナス福祉の程度の減少にある。だが「ゼロ福祉」まではまだ距離があり、それが達成できて初めて「プラス福祉」に進めるのだ。そうなって初めて西側と同じレベルで低福祉か高福祉かの議論が始められる。

要するに我が国の福祉と自由はどちらももっと多くなくてはならない。いまは「福祉国家病」など心配する必要はなく、まずやるべきは我が国のマイナス福祉の問題を解決することだ。自由主義者なら、まず特権福祉を否定すべきだ。民衆の福祉はまだ中国では始まったばかりなのに、何か反対すべき理由があるだろうか? 社会主義者なら、まず国家が社会的脆弱層に対して責任を負うことを推進すべきだ。ここで強調したいのは、それは責任であって、皇帝の恩寵ではないということだ。福祉国家と「皇恩国家」の最大の違いは、後者の福祉は民衆が要求できるものではなく、皇帝の恩賜だということだ。いただいたら感謝すべきであり、いただかなくても要求することはできないものだ。このような状態は改めなければならない。スウェーデン人は揺りかごから墓場まで国家に保障されているが、だれかがそのために「国王万歳」と叫んだり、「救いの神」〔毛沢東に対して言われた〕などと称えたりしているだろうか? スウェーデンもかつて右派政府は福祉制度を嫌っていたが、国民が要求したからやらないわけにはいかなかった。政府が福祉を提供するのは当然であり、やらなければ責められる。福祉国家とはそういう意味だ。まして自由については言うまでもない。もし我が国がこの二つの面で進歩したら、中国と世界には希望が持てる。

〔 〕内は訳注

出典:http://finance.ifeng.com/opinion/xzsuibi/20100406/2014127.shtml

(転載自由、要出典明記)

参照ページ:
①「『中国モデル』を巡る論争」 関志雄, 2010年12月28日発表
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/101228kaikaku.htm
②サリバン原則
http://www009.upp.so-net.ne.jp/juka/Sullivan-Principles.htm

秦暉:低自由かつ低福祉の中国モデルにはいかなる優越性もない(1)

2010-12-31 18:59:20 | 中国異論派選訳
秦暉:低自由かつ低福祉の中国モデルにはいかなる優越性もない(1)

初出:2010年04月06日 経済観察報

秦暉(清華大学歴史系教授)

思うに、中国モデルとは比較によって導かれる概念である。もし、私たちが他の国家から何らかの特徴を帰納したとき、その特徴が中国にはなく、また、中国のある種の特徴がそれらの国家のどこにもないとき、それ〔他にあって中国にないことと、中国にあって他にないこと〕はたぶん中国モデルと言えるだろう。

中国の左右と西側の左右

今回の危機〔リーマンショック後の金融危機〕は、私たちにそのような「特徴」を観察するのに得難い機会を提供してくれた。いわゆる「西側」は、実は万華鏡であり、その中にはスウェーデンのように中国よりずっと「社会主義」(社会の平等、共通の繁栄)の「左派」国家もあるし、米国のように自由競争・市場開放を重視する「右派」国家もある。しかもそれらの国家の内部も万華鏡であり、それぞれ内部で左右両派が論争していることを、私たちは知っている。だが、一つの共通点は、各国が難題に直面しており、しかも率直に言って、両派はどちらも良策を持っていないということだ。金融危機以降、外国の左右両派は騒々しく論争している。左派はこれは右派の自由放任によって金融監督が緩んだからだと言い、右派は左派がケインズ主義で赤字を膨らませたため国家財政が破たんしたのだと言っている。

派閥の偏見を取り除けば、実際は左派と右派の主張にはどちらも長短がある。だが、いま私たちが目にしている状況はこの二つの欠点のどちらでもない。今西側では、米国でも欧州でも、今回の危機の核心問題は民間と政府の債務が多すぎ、財政の穴が大きすぎて、資金繰りに行き詰ったことだ。民間債務の問題は複雑なので、別の機会に譲って、ここでは省く。だが国家はなぜそれほど大きな債務を負ったのだろう? 左派の主張する高税率高福祉であれ、右派の主張する低税率低福祉であれ、どちらも欠点はあるとはいえ、理論的には収支は釣り合うはずだ。ケインズ主義者が認める財政赤字はコントロールできる範囲内のはずだ。なぜ今のようになってしまったのだろう?

実のところ理由は簡単だ。つまり西側の左右両派はどちらも民主制の土台の上に立っており、双方がともに民衆のために発言しなければならないからだ。左派は高福祉を主張するときは自信満々だが、高税率を主張するときはしどろもどろだ。右派は低税率を主張するときは自信満々だが、福祉を後退させるとなるとしどろもどろになる。もしも、高福祉・高税率、もしくは低福祉・低税率の組み合わせなら、どちらも財政破たんには至らない。だが、低税率・高福祉なら当然財政に大穴があく。西側の左派が政権を取ると国家は民衆のためにより多くのお金を使おうとし、右派が政権を取ると国家は民衆からの徴税を抑えようとする。それを何回か繰り返していたら、国家財政が破たんしない方が不思議だ。お互いを恨んで何になろう? それはもともと両派が共同で作りだした結果ではないか。もし民主制がいつもこのように運営されていたら、とっくに破産してしまうだろう。

では、なぜ民主制はこれまでうまく運営されてきたのだろう? それは民衆も道理が分からないわけではなく、もし本当に財政に問題が生じたら、本来ならすぐに社会に反映され、小さな危機が生じたら民衆も気付く。そして、民衆がそれを問題と感じたら、増税であれ、福祉の削減であれ、受け入れないわけではない。ここ二百年ほどの民主制発達史を見れば、税率は明らかに高くなってきている。もし民主制の下では増税ができないのであれば、どうして今日まで維持できようか? 福祉も同じだ。民主制の下で民衆が福祉の削減を受け入れたという前例には事欠かない。

では、ここ二十年はなぜそうできないのか? それはグローバル化の大幅な深まりと広がりに関係している。またグローバル化の性質のねじれとより大きく関係している。深まりとは、つまり経済のグローバル化の深まり、とりわけ金融のグローバル化の深まりである。もともとのグローバルな売買では大きな問題は起きない。いまはグローバルに借金ができ、グローバルに借り越し〔国債の外国による引き受けのことか〕ができるようになって問題が起きた。なぜなら債務の穴は借り越しで埋められ、社会に反映されないから、民衆は危機に気づかず、そのため「餌をやらずに馬を走らせる」というゲームを続けることになる。とりわけ米国では、米ドルの地位にたよって借り越しが特にはなはだしい。

広がりとは、以前はグローバル化に参加していたのは西側とその植民地だけだったが、その後開発途上国が参加し、冷戦後は「旧計画経済諸国」も加わったので、グローバルな借り越しの対象は大幅に増えた。とりわけ中国はかれらの最良の借り越し対象となっている。

この点中国は西側と正反対だから、これこそ「中国モデル」と言える。中国にも左派と右派がおり、中国の左右両派の理論(たとえば社会主義と自由主義)もすべて西側から伝わったものだから、正直なところ「特色」には程遠い。中国の特色は、「主義」にではなく、その土台にある。中国の左右両派は西側とは正反対の土台の上にいる。その結果、中国の左右両派は民衆を第一に考慮するのではない。私は「道徳的な非難」をしているのではない。中国の左右両派はあるいは良心は西側の両派に劣らないかもしれないが、問題は彼らが生存する土台が異なるということだ。だから彼らは右であれ左であれ、演じる役割は西側とは正反対である。私たちの左派は国家がしゃにむに民衆からカネを吸い上げることを主張し、そうでなければいまいましい「新自由主義」だと非難する。一方私たちの右派は国家は民衆のためにカネを使う必要はないと主張し、そうでなければにくらしい「福祉国家」だと非難する。以前は、私たちのやり方は「左折ランプを点けて、右折する」ものだと言われた。実は西側にも似たような問題がある。ただ方向は逆だ。私たちの政府は「社会主義式の権力」を持つが「資本主義式の責任」しか負担しないが、西側の政府は「資本主義式の権力」しかないのに、「社会主義式の責任」を負担しなければならないのだ。

私たちの以前の言い方で言えば、市場経済改革とは民衆が「市長ではなく市場に解決を求める」ことだ。この言葉は非常に面白い。理論的に言えば、市場経済は政府の権力を制限し、「市長が命ずるのではなく、市場が命ずる」、つまり市場経済の下では「市長」は勝手気ままに民衆をいじめてはならない。「市長」は官営企業が好きだから、計画経済の下では彼は民営企業をいじめて、つぶすことができる。だが市場経済の下ではそれはできない。官営企業は市場で民営企業と競争しなければならない。計画経済の下では新聞が「市長」の怒りを買ったら、市長は新聞社をつぶすことができる。だが、市場経済の下ではそれはできない。新聞が気に入らなければ、自分で民衆により好かれる新聞を発行し、市場で相手をつぶさなければならない。これが「市長が命ずるのではなく、市場が命ずる」ということであり、西側の市場経済だ。

ところが私たちのところでそれを言っても、「市長」は聞かない。そこで、彼が聞き入れる言葉を探して言う。「計画経済の下では民衆の薪米油塩、生老病死みんな市長が世話しなければならない。それは面倒でしょう? 市場経済をやれば、自然に任せればいいから、『市長に解決を求め』られる面倒はなくなります」。こうして「権力の制限」は「責任の回避」に変る。責任は回避しても、権力は制限を受けない。「市長」は「民衆」をわずらわせることができるが、民衆は「市長に解決を求める」ことはできない。何と素晴らしいことだろう。

だが、問題は市場経済の下で市長の仕事は何かということだ。それは民衆にサービスを提供することだから、民衆が市長に解決を求めてはならないなんてことがあろうか? 民衆が市長の所に来たら、「市場に行け」と言って追い出すのだろうか? 「市長」は勝手気ままに民衆から徴税できるのに、民衆は「市長」に対して福祉を求められないのであれば、その国家は大金持ちならないはずはない。私が言う「大金持ち」とは国家財政のことで、民衆の懐具合のことではない。私たちが現在目にする中国モデルの特徴とは何か? それは政府が大金持ちだということだ。西側で政府の財政がひっ迫してあちらこちらに布施を求めている時、私たちの政府は湯水のようにカネを使っている。私たちの鎮政府の豪華ビルは西側の大都市の市役所よりもずっと豪華だし、私たちの都市には「イメージ・プロジェクト」〔共産党中央のメガネにかなうように、街の目に就くところを飾り立てる事業〕が充満していて、西側の「豊かな国」から来た観光客はあっけにとられる。「ビッグパンツ(「大褲衩」中央テレビ局ビルのあだ名、建築費50億元と言われている)、ゆで卵(「水煮蛋」中国国家大劇院のあだ名)、他人ができないことを、俺たちはやる!」。それでもカネを使いきれないので、米国にカネを貸している。隠しておいても心配だからね。

これが我が国の「モデル」だ。中国は決して他の国より左だったり右だったりしているわけではない。ただ、中国は「左」になると政府の権力拡大は簡単になるが、政府の責任追及は困難になる。中国が「右」になるとどうだろう? そうなると政府の責任逃れは簡単になるが、その権力を制限することは難しくなる。これはこれでもちろん優越性がある。原始的蓄積が速いということと、事態を収拾する能力が非常に強いことである。手中に巨額のカネを握っているから、経済刺激策を実行するのはもちろん容易だ。もめごとの解決にも、物惜しみをしない。だが、その結果はどうだろう? こんなに投資を加速していて生産能力は過剰にならないだろうか? 独占部門の利益追求は社会の二極化を激化させないだろうか? 人為的に家計消費を抑えることは内需不足を招かないだろうか? そして、権力集中の様々なリスクなどいろいろなことを人々は心配している。これらについてはここでは議論しない。いま私が話したいのは、もしもこのようなモデルおよびこの中国モデルと前述した西側のモデルの相互作用を特徴とする、現在私たちが目にしているこのグローバル化が進展していったら、中国と世界の未来は一体どうなるのだろうかということだ。

悪貨は良貨を駆逐する

現在世界の社会学界、政治学界には中国に対する批判もある。だが経済学界は私の見るところ称賛一色である。最初は「左派」、ケインズ主義者の称賛で、「中国が自由放任を行っていないのは素晴らしい!」と言い、 次いで「右派」も出てきて、「中国が福祉国家を目指していないのは素晴らしい!」と言いだした。ネイスビッツ〔米国の未来学者〕が1997年に中国で出版した『アジアのメガトレンド』に対するある人の書評は「アジアは自由主義の手本か?」という題だった。この本は全世界がいま福祉国家によって台無しにされているが、中国だけが全く福祉に構わず、庶民は自分と家族の努力だけに頼っているから、非常に我慢強くなって、経済の奇跡を生み出せたと主張している。当時彼はこの本を書いたあと、中国に来て急いで翻訳を依頼し、英語より先に中国語でこの本を出版し、中国でベストセラーになって大もうけをした。当時彼はこの主張にあまり自信はなかった。最近彼はもう一冊『中国のメガトレンド』という本を英語でフランクフルト・ブックフェアで大々的発表し、この観点をさらに膨らませたが、今回は「中国は確かにいける、世界に福祉国家を打ち破る道を切り開いた」と自信満々だった。張五常〔香港の経済学者〕も最近、「中国は人類最良の体制を創造した、それは福祉もなければ労働組合もない国家だ」とか「世界の趨勢は欧州が米国に学び、米国が中国に学ぶことだ」(つまりは高福祉国家が低福祉国家に学び、低福祉国家がマイナス福祉国家に学ぶことだ)と言っている。要するに、いま西側経済学の左右両派はどちらも中国モデルに魅力があると思っており、左派は中国の低自由を称賛し、右派は中国の低福祉を称賛して、大合唱している。

だが本当のところは、彼らがいくら称賛しても、彼らが民主制を放棄しない限り、中国に学ぶことはできない。理由は非常に簡単だ。彼らの民主制の土台の上に福祉を切り下げ、同時に自由を切り下げることは、ほとんど全く不可能だからだ。しかも、彼らは本当にそうしたいと思っているのだろうか? そうとは限らない。西側の左右両派は「中国の奇跡」をそれぞれの主張の論拠に使って、相手をたたいているに過ぎない。左派は中国の低自由を持ち上げることで福祉国家の正当性を証明しようとし、右派は中国の低福祉を持ち上げることで自由放任の正当性を証明しようとしている。だが、低自由かつ低福祉の可能性など彼らは考えてもいないだろう。

もちろん、低自由かつ低福祉は「競争の優位性」を体現する。だが、それはグローバル化に参加した後に初めて体現される。もし二つのモデルが門戸を閉じて体制間競争をしていたら、優越性などあり得ようもない。朝鮮がその例で、改革前の中国もその例だ。だが、門戸を開き、一つの市場に融合し、投資行為が高度にグローバル化し、金融も高度にグローバル化し、一方で人権基準はグローバル化していないという条件の下で競争したとき、はじめて中国モデルの優越性が体現される。なぜなら自由経済の本当の優位性はそのイノベーション・インセンティブであり、それが人の命をすり減らして働かせる鉄腕体制に対して対抗できるとは限らない。グローバル化条件の下では、前者のイノベーションの成果を後者はまねることができるが、後者の鉄腕を前者がまねることはできない。そこで、後者はある意味で「優位性」を有するだけでなく、確かに一つの可能性(ここで私は可能性とだけ言う。私は歴史になんらかの「必然性」があるなどと考えたことはない。)、つまりグローバル化の中で「悪貨が良貨を駆逐する」現象が出現する可能性があると思う。

もちろん逆の流れも存在する。中国「モデル」の今日までの積弊については、識者も多くを語ってきた。とりわけ今回の危機発生後、外需が委縮したので、投資に頼って経済を刺激し、投資によって生産能力が形成されると、より深刻な生産能力過剰をもたらした。昨年の内需拡大はかなりの進展があったと言われているが、多くの人がそれは主に政府消費であって家計消費ではなく、「民内需」ではなく「官内需」の拡大が非常に大きな比率を占め、問題が内蔵されていると言っている。つまり、今では「成長方式の転換」(実際は体制転換の婉曲表現)はすでに必須となっている。

またその転換も無条件ではない。華生〔中国の経済学者〕は改革以降、中国の自由と福祉はどちらも進展したと考えている。もちろん、私も自分の文章の中で、中国の人権は「縦方向では進歩しているが、横方向では落差がある」と書いた。「低人権の優位性」はおもに横の比較についてであり、その種の「優位性」は縦方向で比較した時に人権が進歩していることと矛盾するものではない。中国の改革30年間、自由についても福祉についても、人権は疑いもなく進歩してきた。改革前の中国の人権状況は今より確かに悪かった。だから私は改革の進歩性を肯定しており、改革後は改革前に及ばないと考える「左派」理論には賛成しない。だがそれは、私が今の私たちの人権水準に対し批判的態度を有することを排除するものではない。

それどころか、私が最近提起した南アフリカもやはり同じだ。アパルトヘイト時代はそれ以前の奴隷制時代と比べて、またアパルトヘイトの末期は初期と比べて、人権状況はいずれも改善している。とりわけ1978年以降の数年間、その改善は非常に大きかった。もっと前にさかのぼっても同じことが言える。人々は「移動労働」制度〔南アフリカで行われていた単身男子労働者の出稼ぎ就労制度。就労先地域への定住を認めない点で中国の戸籍制度の下での出稼ぎ制度に類似している。〕を批判するが、それ以前の徴用労働制度の方がよりひどかったということを知っている。人々は「飯場労働」制度を批判するが、アパルトヘイト末期には黒人労働者の家族同居率はかなり高くなっていたこと、少なくとも今の中国より高いことを知っている。経済の高度成長について言えば、黒人と白人の間の著しい不平等はあったが、黒人が成長の中で多少なりとも利益を得てたことを否定することもできない。縦方向で比べれば、南アフリカ黒人の収入は以前より増加しており、白人との格差も縮小傾向だった。横方向で比べれば、南部アフリカ周辺諸国の黒人より収入は高かった。実際は、南アフリカの1994年の民主化も、突然の出来事ではなく、「量の変化」の積み重ねが「質の変化」に転化するプロセスであった。しかも、それはそれまでの黒人人権運動の漸進的推進の結果であった。だがそれら一切は、この時期全体の南アフリカの人権状況に対して人々が批判的態度を取ることを排除するものではない。

そしていわゆる横方向の比較としての「低人権の優位性」もまた縦方向の人権の進歩が経済成長率に及ぼすプラスの効果を否定するものではない(経済成長の質もしくは成長の共有性〔公平な分配〕のプラス効果はほとんど争いがないのでここではふれない)。中国の改革時代は改革前と比べて人権が進歩したことは当然プラス効果があった。私たちが言う「移動労働」のような低人権労働方式が南アフリカの経済成長に効果があったように。つまり「移動労働」は奴隷制度や徴用労働制度に比べればやはり進歩しているのだ〔改革開放前の農村統治も出稼ぎ移動さえ認めない点、生産資材の私有を認めない点で農奴制的であった〕。その点から言えば、人権の進歩は経済成長に効果を発揮する。問題は、そのように言っただけでは、なぜ横方向の比較の中で人権がより進歩している諸国家で、成長率は逆に(少なくともある時期)低いのかということを説明できないことだ。例えば、なぜ民主化した中東欧諸国の経済成長率は中国より低いのか(それらの国の民衆の生活は中国より悪いとは言えないが)? なぜアフリカの一部の民主国家の経済成長率はかつての南アフリカより低いのか? なぜ国際資本は中東欧に投資せずに、競って中国に投資するのか? なぜ大量の低価格商品が中東欧からでなく、中国から世界に押し寄せるのか? 実はグローバル化の下では、これは決して難解な問題ではない。もしも「投資誘致」面での「競争力」がグローバル市場経済の下で成長率にとって極めて重要であれば、労働組合がなく、好き勝手に土地収用のできる国家と、労働組合が発達し、土地収用も困難な国家(たとえば中東欧国家)を比べてどちらが「投資誘致」しやすか、はっきりしているではないか? だから、縦方向の比較での人権の進歩と横方向の比較での「低人権の優位性」の双方を考慮して初めて「奇跡」に対する信頼に足る分析ができるのだ。

このような「低人権の優位性」には確かに「悪貨は良貨を駆逐する」という論理が存在する。この点を説明するために、私は以前ノーベル経済学賞受賞者ロバート・フォーゲルの米国南北戦争前の南側奴隷制経済の「効率」問題に関する研究を引用したことがある。同時に相反する流れもある。つまりグローバル化条件の下では「高人権」地域の「低人権」地域に対する改革影響作用もある。私はこの二つの流れを「フォーゲル影響」と「サリバン影響」〔レオン・サリバン、アフリカ系アメリカ人牧師。アパルトヘイト政策を取る南アフリカに進出する企業に対し社会的責任を果たすよう求めるサリバン原則を提起した〕と名付ける。要するに、グローバル化は世界各国の相互影響を著しく強めたが、どちらの影響が最終的に勝つかについては、決定論的答案があるわけではない。

そして、「自由のために権力を制限し、福祉のために責任を問う」ことを求める努力により我が国の自由と福祉を持続的に進歩させていくことができれば、それは実質的に前述の西側と逆のいわゆる「中国モデル」のフェードアウトと中国が世界文明の主流に溶け込んでいくプロセスとなるであろう。

〔 〕内は訳注

出典:http://finance.ifeng.com/opinion/xzsuibi/20100406/2014124.shtml

(転載自由、要出典明記)