闾丘露薇:「バイリンガル教育」のカシュガルと香港との違い
カシュガルのある「バイリンガル教育」小学校を取材しました。多くのウイグル族教師は、流暢な漢語標準語〔北京語〕を話しましたが、校長は漢語を話すのに骨をおっていました。漢語のうまい教師は小さい頃から漢語で教える小学校に進み、高校も「民考漢」〔漢語で大学受験をするクラスor高校〕なので、ウイグル語を話せるのは両親が漢語を話せないからで、ウイグル語を書くことはできなくなってしまっていて、教師になって初めて一から学び始めていました。
このようなウイグル人は大勢います。すでに親になっている人も多いです。漢語で育った彼らは自分の子供を最初から漢語で教える学校に入れます。県政府所在地の漢語幼稚園にも、ウイグル人の子供が大勢通っていました。彼らは家でも自分の親と漢語で会話をしていました。もちろん一部の親は自分の子供が成長してウイグル語を完全に忘れてしまうことに不安を覚え、週末や冬休み夏休みに漢語を話せないおじいさんおばあさんに子供を預け、ウイグル語を覚えるよう仕向けていました。
子供に漢語を学ばせるのは、子供の将来にとっては、より多くの機会を得られることになり、そのため「バイリンガル教育」批判の声はあっても、政策決定者は非常に断固としています。そして私のような外来者にとっては、もし新疆でウイグル語ができなくても、せいぜい意思疎通の困難だけですが、もし漢語ができなければ生活圏は非常に小さくなり、限られた職業にしか就けず、さらには得られる情報も非常に限られことになります。なぜなら、大勢は漢語主導の体制だからです。いま新疆では多くの地方で地元の若者を沿海部の都市に出稼ぎに送り出しています。食事の問題は地元政府がコックを派遣するので問題ありませんが、言葉の障害は非常に顕著です。ほかの地方からの出稼ぎ者と比べて、彼らが出稼ぎを始めたのはずっと遅れました。もし政府の行為でなく、彼ら自身が内地で仕事を探したとしたら、他の地方の人と全く競争になりません。
新疆の「バイリンガル教育」の最終段階では、全てのカリキュラムを漢語で教え、ウイグル語もそのうちの一つの必修科目になっています。私が地元農村の人に、このままでは最終的には子供たちはみなウイグル語が話せなくなると不安にならないかと聞くと、相手は、家の中ではウイグル語を話すから大丈夫と、非常に楽観的でした。しかし、問題は次世代です。農村家庭でも、今の一部の都市のウイグル人家庭と同じように、家の中での言葉も漢語に変わってしまい、もしくは両者ちゃんぽんの会話になってしまうのではないでしょうか? とはいえ、子供の将来を考えるのなら、あるいは地元の人の立場に立って考えるのなら、漢語を学ぶことは彼らにより多くのチャンスをもたらし、生活を改善することができるでしょう。
二言語の使用と教育について書くと、すぐに香港を思い出します。香港には多くの英語学校があり、そこに通う子供は小学校から大学まで、ずっと英語教育を受けますが、かれらはインターナショナルスクールの子供とは違って、漢語もみんな上手に話します。それは家庭内の言語環境だけでなく、学校のカリキュラムにも大きな理由があります。
香港の例を挙げたのは、〔新疆式バイリンガルではなく〕バイリンガルは実行できるということを言いたいからです。ただし、香港のバイリンガル教育がうまくいっているカギは、漢語〔法的には標準語(北京語)とは限定されていない〕と英語のどちらも法定公用語とされ、公務員も必ずこの二言語はマスターしなければならないからです。公務員が公の場で話すとき、漢語(広東語)と英語でそれぞれ1回ずつ話さなければなりません。そして最近ではときに漢語標準語も加わります。これと異なり、新疆の「バイリンガル」教育はウイグル族に対しては漢語理解を要求するのに、漢族にはウイグル語学習を要求せず、二つの言語は決して同等の地位を与えられてはいません。
言葉の地位は実際非常に微妙な問題で、当該言語を使う国家や民族の経済的および政治的な影響力に密接に関係しています。リー・クアンユーはかつて漢語を排斥していたことがありました。その当時シンガポールで漢語教育を受けた人は政府機関に就職できず、そのため70%の家庭で英語が使われていました。しかし、2006年になると彼は公式の場で「もしシンガポール華人が漢語を話す環境を失ったら、今後同じ環境を再建するのは極めて困難だから、華人は必ず日常生活と公共の場で漢語を使い、全シンガポール華人が漢語環境の中で生活しなければならない」と語りました。そして実際、リー・クアンユー自身も2000年から漢語を学び始めていて、2001年に私が彼にインタビューしたとき、学び始めたばかりの彼も、簡単な漢語は使えるようになっていました。
リー・クアンユーは当時一つの目標を立てました。それは、努力して3%から5%のハイレベルの漢語を話せるバイリンガルの華人を養成し、中国とのビジネスの便を図り、またシンガポールで営業する中国企業にサービスを提供するというものでした。彼にそのような行動をとらせたのは、明らかに中国の経済発展の現実でした。
ですが、シンガポールが取り組んでいるのは〔新疆のような一つの言語の消滅政策ではなく〕依然としてバイリンガルの問題に過ぎません。そして、英語と漢語の間の以前の地位は非常に大きく開いていたので、バイリンガルの結果はいまだにもたらされていません。いわゆるバイリンガルとは、二つの言語を同じように流暢に使えることです。バイリンガル政策の下での漢語奨励は、決して英語軽視を意味しません。
ここで私は方言の問題に思い至りました。バイリンガルと比べて方言の問題はずっと簡単です。なぜなら文字は同じで、話し言葉の違いに過ぎないからです。多くの国・地域でバイリンガル政策がうまく行われているのですから、方言の保護ができない理由はありません。だから、重要なのはやる気があるかどうかです。私は子供のころ上海にいましたが、授業を除いて、他の時間はいつも上海語を話していました。それでも、それが私や周りの子供たちの標準語レベルに影響を与えたということはありませんでした。
〔中国では〕方言が都市の国際化に悪影響があるとか、文化の創造力に悪影響があると言われますが、それは不必要な心配であることを多くの過去の事例が証明しています。3~40年代の上海は、文化事業が勃興していたし、広州の嶺南文化は終始広東の各種の方言を包み込んでいました。
子供のころ学んだあの詩を覚えていますか?「子供のうちに故郷を去り、成長してから戻ってみると、髪の毛は薄くなっていても、お国なまりは変わっていなかった」。お国なまりが聞かれなくなるようなことを私は望みません。
出典:闾丘露薇のブログ
〔〕内は訳者補足
原文出典:http://uighurbiz.net/bbs/redirect.php?tid=232996&goto=lastpost#lastpost
(転載自由・要出典明記)
カシュガルのある「バイリンガル教育」小学校を取材しました。多くのウイグル族教師は、流暢な漢語標準語〔北京語〕を話しましたが、校長は漢語を話すのに骨をおっていました。漢語のうまい教師は小さい頃から漢語で教える小学校に進み、高校も「民考漢」〔漢語で大学受験をするクラスor高校〕なので、ウイグル語を話せるのは両親が漢語を話せないからで、ウイグル語を書くことはできなくなってしまっていて、教師になって初めて一から学び始めていました。
このようなウイグル人は大勢います。すでに親になっている人も多いです。漢語で育った彼らは自分の子供を最初から漢語で教える学校に入れます。県政府所在地の漢語幼稚園にも、ウイグル人の子供が大勢通っていました。彼らは家でも自分の親と漢語で会話をしていました。もちろん一部の親は自分の子供が成長してウイグル語を完全に忘れてしまうことに不安を覚え、週末や冬休み夏休みに漢語を話せないおじいさんおばあさんに子供を預け、ウイグル語を覚えるよう仕向けていました。
子供に漢語を学ばせるのは、子供の将来にとっては、より多くの機会を得られることになり、そのため「バイリンガル教育」批判の声はあっても、政策決定者は非常に断固としています。そして私のような外来者にとっては、もし新疆でウイグル語ができなくても、せいぜい意思疎通の困難だけですが、もし漢語ができなければ生活圏は非常に小さくなり、限られた職業にしか就けず、さらには得られる情報も非常に限られことになります。なぜなら、大勢は漢語主導の体制だからです。いま新疆では多くの地方で地元の若者を沿海部の都市に出稼ぎに送り出しています。食事の問題は地元政府がコックを派遣するので問題ありませんが、言葉の障害は非常に顕著です。ほかの地方からの出稼ぎ者と比べて、彼らが出稼ぎを始めたのはずっと遅れました。もし政府の行為でなく、彼ら自身が内地で仕事を探したとしたら、他の地方の人と全く競争になりません。
新疆の「バイリンガル教育」の最終段階では、全てのカリキュラムを漢語で教え、ウイグル語もそのうちの一つの必修科目になっています。私が地元農村の人に、このままでは最終的には子供たちはみなウイグル語が話せなくなると不安にならないかと聞くと、相手は、家の中ではウイグル語を話すから大丈夫と、非常に楽観的でした。しかし、問題は次世代です。農村家庭でも、今の一部の都市のウイグル人家庭と同じように、家の中での言葉も漢語に変わってしまい、もしくは両者ちゃんぽんの会話になってしまうのではないでしょうか? とはいえ、子供の将来を考えるのなら、あるいは地元の人の立場に立って考えるのなら、漢語を学ぶことは彼らにより多くのチャンスをもたらし、生活を改善することができるでしょう。
二言語の使用と教育について書くと、すぐに香港を思い出します。香港には多くの英語学校があり、そこに通う子供は小学校から大学まで、ずっと英語教育を受けますが、かれらはインターナショナルスクールの子供とは違って、漢語もみんな上手に話します。それは家庭内の言語環境だけでなく、学校のカリキュラムにも大きな理由があります。
香港の例を挙げたのは、〔新疆式バイリンガルではなく〕バイリンガルは実行できるということを言いたいからです。ただし、香港のバイリンガル教育がうまくいっているカギは、漢語〔法的には標準語(北京語)とは限定されていない〕と英語のどちらも法定公用語とされ、公務員も必ずこの二言語はマスターしなければならないからです。公務員が公の場で話すとき、漢語(広東語)と英語でそれぞれ1回ずつ話さなければなりません。そして最近ではときに漢語標準語も加わります。これと異なり、新疆の「バイリンガル」教育はウイグル族に対しては漢語理解を要求するのに、漢族にはウイグル語学習を要求せず、二つの言語は決して同等の地位を与えられてはいません。
言葉の地位は実際非常に微妙な問題で、当該言語を使う国家や民族の経済的および政治的な影響力に密接に関係しています。リー・クアンユーはかつて漢語を排斥していたことがありました。その当時シンガポールで漢語教育を受けた人は政府機関に就職できず、そのため70%の家庭で英語が使われていました。しかし、2006年になると彼は公式の場で「もしシンガポール華人が漢語を話す環境を失ったら、今後同じ環境を再建するのは極めて困難だから、華人は必ず日常生活と公共の場で漢語を使い、全シンガポール華人が漢語環境の中で生活しなければならない」と語りました。そして実際、リー・クアンユー自身も2000年から漢語を学び始めていて、2001年に私が彼にインタビューしたとき、学び始めたばかりの彼も、簡単な漢語は使えるようになっていました。
リー・クアンユーは当時一つの目標を立てました。それは、努力して3%から5%のハイレベルの漢語を話せるバイリンガルの華人を養成し、中国とのビジネスの便を図り、またシンガポールで営業する中国企業にサービスを提供するというものでした。彼にそのような行動をとらせたのは、明らかに中国の経済発展の現実でした。
ですが、シンガポールが取り組んでいるのは〔新疆のような一つの言語の消滅政策ではなく〕依然としてバイリンガルの問題に過ぎません。そして、英語と漢語の間の以前の地位は非常に大きく開いていたので、バイリンガルの結果はいまだにもたらされていません。いわゆるバイリンガルとは、二つの言語を同じように流暢に使えることです。バイリンガル政策の下での漢語奨励は、決して英語軽視を意味しません。
ここで私は方言の問題に思い至りました。バイリンガルと比べて方言の問題はずっと簡単です。なぜなら文字は同じで、話し言葉の違いに過ぎないからです。多くの国・地域でバイリンガル政策がうまく行われているのですから、方言の保護ができない理由はありません。だから、重要なのはやる気があるかどうかです。私は子供のころ上海にいましたが、授業を除いて、他の時間はいつも上海語を話していました。それでも、それが私や周りの子供たちの標準語レベルに影響を与えたということはありませんでした。
〔中国では〕方言が都市の国際化に悪影響があるとか、文化の創造力に悪影響があると言われますが、それは不必要な心配であることを多くの過去の事例が証明しています。3~40年代の上海は、文化事業が勃興していたし、広州の嶺南文化は終始広東の各種の方言を包み込んでいました。
子供のころ学んだあの詩を覚えていますか?「子供のうちに故郷を去り、成長してから戻ってみると、髪の毛は薄くなっていても、お国なまりは変わっていなかった」。お国なまりが聞かれなくなるようなことを私は望みません。
出典:闾丘露薇のブログ
〔〕内は訳者補足
原文出典:http://uighurbiz.net/bbs/redirect.php?tid=232996&goto=lastpost#lastpost
(転載自由・要出典明記)