思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

marinereconhenry:中国の「大一統」思想は危険な侵略思想である

2008-06-30 14:48:51 | 中国異論派選訳
marinereconhenry:中国の「大一統」思想は危険な侵略思想である

中国共産党の宣伝装置と大多数の国内国外の中国人、ホンコン・マカオ人、大手マスコミはこぞって台湾、チベット、新疆を「昔から中国に属していた」、「神聖不可侵の領土」、「不可分の中国領土」、「昔からの不可分の中国領土」、「昔からの不可分の一部」と見なしている。ホンコン・マカオの民主派の人々も、台湾、チベット、新疆の独立問題に関しては、立法会選挙の票を失うのを恐れて「保身のために」、中共を怒らせないように、中共の主張にあわせる。中共が独立問題で民族主義(中華ショービニズム)を煽動し、台湾人、チベット人、ウイグル人の選択の自由を全く尊重しないことが(中共の独裁政権と中国人の中華ショービニズム意識の下では、他者の選択権は一切認められない)、中国本土とホンコン・マカオで本当の自由化・民主化ができない根本的な原因の一つである。しかし、「大一統」思想はちょっと点検してみれば、それが成り立たないことが分かる。

「昔からの」も「不可分の」も虚構である

 中共と大多数の中国人は台湾、チベット、新疆を「昔からの」中国の「不可分の」領土であったという。では、中共と中国人に聞くが、「昔からの」とはいつからか? 「昔からの」いわゆる「不可分の」領土とはいくら広く見積もっても黄河流域の一部に過ぎない。その後の王朝といまの中国は領土をどうやって手に入れたのか? 天から降ってきたのだろうか? 彼らは唐王朝の文成公主(?-680)がチベット王国のソンツェン・ガンポ(581-649)の嫁に行ったことがチベットが中国の一部であることの象徴だという。だが、それなら文成公主のまえに、ネパールの王女もソンツェン・ガンポの嫁に行っているから、ネパールもチベットをネパールの「昔からの不可分の領土」だと主張できるではないか? また、彼らは元王朝はチベットが中国に属する有力な証拠だという。しかし、元王朝はモンゴル人の王朝であるから、いまのモンゴル人だってチベットはモンゴルの「昔からの不可分の領土」だと主張できるではないか? しかも、当時のモンゴルはチベットに象徴的に軍隊を駐留させていただけで、実際はチベット人が統治していたのだ。明、清のいわゆるチベット駐在官僚はみな実質のない虚名である(まして明王朝の虚名官僚はチベット人に追い出されている)。多くの歴史資料によって、チベットはいかなる中国の王朝にも属していないことが証明されている。中華民国時代には、黄慕松がチベットに行き、チベット人に中国に帰順するよう要求したが拒絶されている。呉忠信のいわゆるチベット行きは、チベット人が青海省で転生霊童を見つけた後、青海軍閥の馬歩芳にゆすられた事件について、チベット人に協力したに過ぎない。中共や国民党の言うように霊童の確定には南京政府の指示を仰ぐようになったなどということはなし、呉忠信もダライラマの地位継承式を主催していない。また、いわゆる3回の国民大会への参加にしても、チベット人はオブザーバーに過ぎない。要するに、「昔から」チベットは事実上独立していたのであり、中国の領土になったのは中共の侵略の結果である。

 新疆はさらにばかげている。新疆の意味は「新たに奪った辺境の土地」である。しかも、中国の新疆(本来の名は東トルキスタン)侵略はわずか200年の歴史にすぎず、近代史の範疇に属する。どうして「昔からの不可分の領土」になるのだろう? しかも、遠くトルコと中央アジアの人々の大部分はチュルク民族だから、彼らだって新疆を「不可分の領土」といえるではないか?

 台湾も荒唐無稽である。地理的に中国大陸とつながっているから、台湾は中国の領土だというが、ヨーロッパ、アジア、アフリカ三大陸はつながっているのだから、中共と中国人の論理によれば、ヨーロッパ、アジア、アフリカのすべてが中国の領土になってしまうではないか? 康煕、雍正、乾隆も清の歴史家も「台湾は昔から中国に属していない」と言っているし、毛沢東も台湾の独立を支持すると言ったことがあるのに、なぜ中共と中国人はその事実を見て見ぬふりをするのか? 現在の台湾人の祖先は大部分が大陸から移民して行ったって? それなら中共に聞くが、一分一秒でも台湾を統治したことがあるのかね? 台湾人の祖先が大陸から渡っていったというなら、それは中国の政権から逃げて行ったのではないか! しかも、オランダと日本はかつて台湾を統治していた。彼らだって、台湾は「昔から不可分の領土だ」と主張できるではないか?

「大一統」思想は強盗と侵略者の論理である

 「大一統」思想は以上のように、ばかげた論理であるだけでなく、正真正銘の強盗と侵略者の論理である。あたかも、強盗集団が君の家を乗っ取った後で、「昔から」自分たちのものだったと言い張るようなものだ。これが荒唐無稽でなくてなんだろう? 現在、台湾が中国の併呑の危機に直面しているだけでなく、中国の周辺国家、朝鮮半島、日本、ベトナム、中央アジアの大部分地域、ロシアの一部、モンゴルなども、中共と中国人の「大一統」思想によれば「昔からの中国の不可分の領土」となる(とりわけベトナムと朝鮮半島は)。台湾がもし中共の手に落ちたら、筆者が名を上げた国と地域が中共の次の目標になるだろう! 現在海外に多くの中国人がいるが、中共と中国人の論理によれば、在外中国人が欧米で大量繁殖したら、欧米人の祖先の大部分が中国から来たことになり、欧米も「昔からの中国の不可分の領土」ということになる。よそに移民してその土地を自分のものにするというのは、正に泥棒と侵略者の論理ではないかね?

 地球上のどこにも「昔からの不可分の」土地はない。スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、コソボ、バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)……、みな独立したではないか? 「大一統」思想は一種の危険な侵略思想である。全世界の人民、とりわけすべての民主国家は、中共と中国人の強盗と侵略の論理である「大一統」思想にもっと注意を払うべきである。

原文:http://blog.roodo.com/marinereconhenry/archives/5994893.html

大一統思想については下記ブログに転載されている横山宏章氏の説明が分かりやすい。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20070906

梁文道:「大局観」だけでなく歴史観も必要ですよ(余秋雨批判)

2008-06-28 19:09:06 | 中国異論派選訳
梁文道:「大局観」だけでなく歴史観も必要ですよ(余秋雨批判)

2008年6月16日

 中国史の中で最も人を感動させる特色のひとつは歴史記述である。歴代の史官は「実録」形式で、できるだけ客観的に王朝の上や下で発生した大きな出来事を記録した。皇帝が酒色におぼれたり暴虐であったりしても、皇帝に遠慮する必要はなく、天災や人災などもろもろの原因で異常現象が起こっても、書くのをはばかる必要はない。そしていっさいを後世に残し、自らを信頼するだけでなく、未来をも信頼する。別の一族が皇帝になると、前の王朝の残した記録に基づき、歴史を編纂する。これは後世の人の前世の人に対する責任である。「滅びたる国を興し、絶えたる世を継ぎ、逸民を挙ぐる」(訳注:典拠は『論語』尭曰第二十)。君は他人の王位を簒奪してもかまわないし、他人の天下を滅ぼしてもかまわないが、他人の記憶と歴史を奪うことはできない。同時に君も安心したまえ。将来君の子孫が行き詰まり、君が築いた発展の基礎が廃れ失われても、君が前世の人を記憶したように、君のすべても人によって記憶される。

 天地の正義は、時に時間の中に捜し求めるしかない。俗な言い方で言えば、「誰も歴史の審判から逃れられない」。だから、忠臣が冤罪を負って死んだり、良民が暴政でパニックになったとき、唯一彼らの潔白を証明できるのは、後世の人が書く歴史である。とはいえ、これは理想であり、現実の史官は権力者の干渉を受けないわけにはいかない。過ちを隠すために、多くの人が事実の痕跡をもみ消そうとしたので、記憶と記録は道徳的な行為であるだけでなく、一種の政治となった。

 もうすぐ20年になる。毎年8×8(訳注:1989年6月4日)の夜には、いまでも何万人もの香港市民がロウソクを持って、彼らの記憶道徳を実践している。しかし、もう一つの声がどんどん大きくなっている。それは彼らの行為は国家にとって不利であるという。この説が最も喜んで取り上げるのがいわゆる「大局観」である。それは、今日みんなが享受しているすべて、および国家の繁栄は、すべてあのとき殺しておいたおかげだと言う。その論理はもとより冷血であり、我々に自分の安定した生活は実は殺人の結果であり、あたかも盗品のようなものであることを受け入れるよう強制する。しかし、より検討に値するのは、多くのこの種の主張をする人が同時に喜んで権力者のために発言していることである。そして、人によっては次のように言う。「君は小平の立場で物事を考えるべきだ。彼がもしああしなかったら、彼は権力の地位から引き摺り下ろされていただろう。だから、彼にはほとんど選択の余地はなかったのだ」。

**********

 時事評論は時局のさまざまな弊害を批判するだけでなく、往々にして政策論であり、政府の立場からの視点で、岡目八目で実行可能な提言をする。その種の文章を書き慣れると、だんだんと権力者の靴をはいて歩くことに慣れてしまい、うっかりすると自分の本来の立場と批判的視点を失ってしまう。中国人は政治談議が好きで、往々にして無自覚に自分を政府の立場に置き、当局の利益と視点を「大局」としてしまう。ひいては奇妙なことに自分を忘れて、なんと自分の権益を犠牲にして「大局」にあわせようとする。中国の文人はなおのこと国師になりたいという伝統的な欲望があるから、より簡単に自分を省みない「大局観」を養ってしまう。ときには政策論にとどまらず、進んで政府のメッセンジャーになって、役人に代わって人民をなだめすかそうとする。

 一部の四川省の被災民が裁判所に集まり、政府が学校の建築安全を無視して校舎を建てたために、多くの子女が校舎で亡くなったとして提訴しようとしたのに対し、著名な作家の余秋雨さんが「涙ぐんで被災者に請願する」(日本語訳:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/c3a6db5235c79c08320547d63a30d2e2)という文章を発表した。彼は犠牲になった子供の遺影を抱えた父母に対しまず政府に全力で災害救助をさせ、堰止湖の危険を取り除いたり人口流動の問題を解決したりすることが先だから、この時期に訴えるべきではないと勧告した。余さんはそこで「大局」を持ち出している。「思うに、君達は大局と道理をわきまえているのだから、まずもっとも緊急の数十万人、数百万人の生きている人の安全問題を解決しようではないか、どうだね?」。彼はまた団結も呼びかける、なぜなら「これら内外の各種の力が邪魔されることなく集まることで、今後の非常に困難な任務が一歩ずつ達成できる」。もし「横槍を入れる」なら、「毎日われわれが間違いを犯すのを待っている中国人に対して悪意を持つ人間」に利用されることになる。

 この文章が発表されると、すぐに議論が起こった。思うに余さんの問題は独立した文人の立場を忘れて、最近流行の「震災大局観」を踏襲したことである。この種の観点によれば、災害の際には、全国人民は大局を重んじるべきであり、災害救助を妨げないよう、いかなる疑問や反省も提起してはならない(少なくとも暫くは)。問題は、このような観点を信じている人が全く「異議」がどうして災害救助を妨げるのかを説明していないことだ。誰かが地震警報がきちんと行われなかったと疑うと、軍や警察の石を運ぶ動きが遅くなるとでも言うのだろうか? 誰かが募金の使用を監督すると、地方政府が被災民を救済しなくなるとでもいうのだろうか? 一番奇妙なのは、これら論者はあたかも政府全体さらには全国13億人がみな洪水防止に忙しく、だからみんな「団結」しなければならず、決して気を散らしてはならないと思っているらしいことだ。たとえば、今回の父母は明らかに裁判所に提訴しようとしたのに、余さんはなぜこれを大局をわきまえないというのだろう? 裁判所の人もみな堰止湖の排水作業に行っていて、訴状を受け取れないとでも言うのだろうか?

 また余さんが強調している「反中国宣伝」だが、余さんは実は犠牲者の父母が手抜き工事を泣きながら訴える場面が見栄えが悪いから、「反中国勢力」に利用され、国家イメージを損ねると言っているに過ぎない。もし、被災地に注目している外国記者がみんな帰るころまでこの父母たちが我慢すれば、国家利益は守られるということだろう。しかし、われわれは政府を「国家」から抜き出すべきである。なぜなら、カメラの前のデモの場面はデモ参加者を含む被災者のイメージを傷つけるとはいえず、本当に傷つくのは地元政府のイメージに過ぎない。だから余さんの言う「大局観」とは主に「当局観」であり、当局の立場からの視点である。話を戻せば、これもまたわれわれ平民にありがちな習慣である。何かと人に「大局を念頭に置け」というとき、明らかに考えているのは当局である。あたかもみんな統治者ととても親しく、みんな自分を統治者の身内と思いたがるのだ。

 余さんのブログ上で、彼が転載した文章やコメントをたくさん見たが、賞賛の言葉ばかりだ(大規模なBBS上の余さんに対する批判のコメントは、すでに当局の指示により削除されたという。もし批判の削除が事実なら、余さんを不正義として陥れる行為だ。詳細は「香港独立媒体網」参照http://www.inmediahk.net/node/1000209 )。ある者は、「あの被災者は説得された」といい、ある者は「余秋雨さんは優秀知識人の人格水準をふたたび示した」と考え、さらにある者はネット上の罵声は余さんを動揺させないばかりか、「毎回攻撃を受けるたびに、ますます輝きを増す」という。余さんの文章は人の胸を打つので、以前よりファンが多いから、読者の支持を得ること自体は奇妙なことではない。ただこの件に関しては、わたしは余さんとそのファンの皆さんに視点を換えて考えること、人民の視点から考えることを提案する。

 例えば、同じように有名な知識人であり、同じように政府のために考えている銭鋼さんは次のように指摘している。「これからの長い災害復興の日々には、被災者は感情の昂ぶりもあるだろうが、政府は最大限の思いやりと寛大さで受け止めるべきであり……」。また、「指揮官には、『震災救助妨害』の罪名を持ち出すことを慎み、被災地の社会的矛盾を温和に解決するよう希望する。この非常事態に『円満』の二文字ほど尊いものはない!」(「政府は最大限の思いやりで被災者の感情に向き合うべきである」「明報」2008年5月18日)。

 もし、彼ら父母の視点から見たら、彼らは子供を失ったばかりなのに、その悲憤は政府の一時のイメージの問題に席を譲ることができようか? いわんや彼らは政府を訴えようとしたに過ぎず、政府が有罪だといったわけではない。法廷で真相を明らかにすることは、法治国家としてのイメージアップにもなるでしょう? わたしは正にメディアがその場にいるからこそ、訴える場のない父母達は一層力をこめて叫んだのだと思う。これは当局に事件を直視させるための伝統的な手法の理性的行為であり、また間接的に全国の無数の生徒たちの安全な環境を守るための義挙でもある。この期に及んで、なお彼らに当局のために怒りを抑え、黙って涙を流せというのは、公衆の面前から彼らの発言を削除し、ニュースで構成される歴史の中からこの見栄えのよくない記憶を消し去ることに他ならない。こんな要求を父母らに出せる人がいるとは、まさに涙ぐまずにはいられない。

 我々は物書きとして、どうして歴史に向かって説明しないでおられようか? 一つ一つの文章がいずれもこの時代の記録となり、後世の人によって論断される。中国は宗教主導の国ではないから、往々にして歴史が宗教の代わりをしてきた。とりわけ知識人は、死後や神、鬼についてはあまり話したがらず、もっぱら「立言、立功、立徳」の三不朽を求めた(訳注:『春秋左氏伝』襄公二十四年に「太上有立徳、其次有立功、其次有立言、雖久不廢」とある)。一般庶民はあるいは「挙頭三尺有神明=誰の頭の上にも神がいる」(訳注:典拠は広化法師『見賢思斉』)と言ったかもしれないが、文人が信じたのは「留取丹心照汗青=歴史の上に自らの忠誠の記録をとどめる」(訳注:典拠は『宋史』文天祥伝)ことであった。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/f31677ea995c70846693d998bc772535 

梁文道:「大局観」だけでなく歴史観も必要だ(余秋雨批判)

2008-06-27 17:42:56 | Weblog
梁文道:「大局観」だけでなく歴史観も必要だ
除了「大局」,還要有歷史觀-----與余秋雨先生共勉
梁文道 @ 2008-6-16 21:32:56
 
  中国历史最令人感动的特点之一就在于历史的书写本身。历代史官以「实录」的方式,尽力客观地记录国朝上下发生的大事。虽有帝王荒淫暴虐,也不必为尊者讳;虽有天灾人祸诸端异象,亦不必笔存忌惮。然后把一切留诸后世,不只信任自己,也信任未来。直到另一家人做了皇帝,依据前朝留下来的纪录,再替它修整成史。这是后人对前人的责任,「兴灭国,继绝世,举逸民」。你可以篡夺人家的王位,消灭人家的天下,但是你不可夺走人家的记忆,以及历史。同时你也大可放心,就算将来有一天你的子孙穷途末路,你一手打下的基业倾颓败坏,你的一切也将为人纪念,一如你纪念了前人。
  
  天地正义,有时只能在时间中寻求,用一句俗滥的话,「没有人逃得过历史的审判」。所以忠臣含寃而死,良民要是在暴政下仓皇,唯一还能给他们一个清白的,竟然就是后来者书写的历史了。这是理想,现实里的史官很难不被当权者干预。为了掩饰过犯,很多人会想消灭事实留下的痕迹,于是记忆与记录就不只是具有道意义的行为,而且还是种政治了。
  
  快20年了,每年8×8的晚上,依然还有数以万计的香港市民举起烛火,实践他们的记忆道。可是也有另一种愈来愈响亮的声音,认为他们的做法不利于国家。这种说法最喜欢采用的,就是所谓的「大局观」了,以为今日大家享受的一切,以及国家的强盛昌隆,竟然全靠当年杀人杀得好。它的逻辑固然十分冷血,强迫我们一齐接受自己的安定生活其实都是杀人的结果,犹如贼赃。但更值得探讨的一点,是许多主张这类说法的人同时还都很乐意替当权者想,于是有人甚至会说「你得站在小平的角度思考,他要是不那么干,说不定他就要被人下台了。所以他没有多少选择」。
 
   ********

  时事评论不只是批评时局里的种种弊端,往往还是种策论,要懂得站在政府的角度,以旁观者的清明提出可行的建言。这种文章写得多了,会渐渐习惯穿上当权者的鞋走路,稍不留神就要失去自己原有的位置与批判的距离。中国人好谈政治,往往不自觉地把自己放在政府的位置,常常以当局的利益及视角为「大 局」,乃至于诡异地忘却自身,居然很乐于牺牲自己的权益去配合「大局」,十分地无私。中国文人更有当国师的传统欲望,尤其容易养成这种不把自我当回事的 「大局观」,有时还不限于策论,更要主动充当政府发言人,替官抚民。
  
  有见于部分四川震灾灾民群聚法院,打算状告政府忽视学校建筑工程,导致子女魂断校舍,著名作家余秋雨先生发表了一篇〈含泪劝告请愿灾民〉的文章。他劝告这批捧着遇难子女遗照的家长应该先让政府全力救灾,整顿好堰塞湖的危机与人口流动的问题,不要急着在这一刻诉苦申诉。余先生还动之以「大局」之 情,他说﹕「你们一定是识大体、明大理的人,先让大家把最危急的关及几十万、几百万活着的人的安全问题解决了,怎么样?」他又呼吁团结,因为「只有当这些里里外外的多重力量不受干扰地集合在一起,才能把今后十分艰巨的任务一步步完成」,要是「横生枝节」的话,「一些对中国人历来不怀好意的人,正天天等着我们做错一点什么呢」。
  
  这篇文章出来之后,立刻惹起一片争议。我想余先生的问题就在于忽视了独立文人的位置,袭用了近月非常流行的「震灾大局观」。根据这种观点,灾难当前,全国人民应以大局为重,有任何质疑反思都不要提出(至少暂时不提),以免阻扰救灾。问题是相信这种观点的人从来没有解释过「异议」到底怎么阻缓了救灾,难道有人怀疑地震预警没做好,军警搬石头的手脚就会慢了下来吗?难道有人要监督捐款的使用,地方政府就不再理会幸存的灾民?最奇特的一点是这些论者似乎以为整个政府乃至于全国13亿人都在忙着防洪,所以大家要「团结」,千万别分心。例如这批家长明明是要向法院提诉,余先生为什么会觉得这叫做不识大体呢?莫非连法院的人也跑去疏导堰塞湖,所以没空接受状诉?
  
  再看余先生十分强调的「反华宣传」,我们当可发现余先生其实是怕一群家长哭诉豆腐渣工程的场面不好看,会被「反华势力」利用,有损国家形象。 如果这批家长愿意忍一忍,等那些还在关注灾区的外国记者散得差不多,那么国家的利益也就保住了。不过我们应当仔细地把政府从这里所说的「国家」抽出来,因为镜头下的示威场面不必然损及包括示威者在内的灾民,它真正损害的其实只是当地政府的形象罢了。所以余先生的「大局观」主要还是「当局观」,一种替当局着想的观点。话说回头,这也是我等平民常有的习惯,动不动就叫人「顾全大局」,虽然明明想的是当局。似乎大家都和领导人很熟,都没拿自己当外人。
  
  在余先生的博客上,我见到许多他转贴的文章和来信,尽是一片称赞美誉(至于好些大型论坛上批评余先生的讨论,据知已获上级通令删除。如果属实,那就是陷余先生于不义了。详见「香港独立媒体网」http://www.inmediahk.net/node/1000209)。 有的说「那些灾民被说服了」,有的认为「余秋雨先生又一次展现了优秀知识分子的人格水平」,更有人发现网民的骂声不只骂不垮余先生,而且余先生「每次遭受攻击,结果都添一次光彩」。余先生文彩动人,向来粉丝众多,得到读者的真心拥护,不足为奇。只是在这件事上,我建议余先生和他的粉丝们不妨换个角度思考,换个人民的角度。
  
  例如同样著名的知识分子,同样是替政府思虑,钱钢先生则指出「在更漫长的救灾日子里,灾民们可能的群情波动,政府都应以最大的仁厚包容 之……」。他还「恳请指挥者,慎用『破坏抗震救灾』的罪名,温和化解灾区可能出现的社会矛盾。值此非常时期,『和谐』二字,何其珍贵!」(〈政府要以最大 仁厚面对灾民情绪〉《明报》,2008.05.18)
  
  如果更进一步站在那些家长的角度来看,他们刚刚经历丧亲之痛,那种悲愤难得还要让位于政府一时的形象问题吗?何况他们只是控告政府,不一定表示政府有罪,大家在法庭上梳理真相,岂不才更添依法治国的光彩?我想恰恰因为有传媒在场,无告的父母们才要更加卖力地嘶喊。这是传统智慧中迫使当局正视事 件的理性行为,也是间接替全国无数学子争取安全环境的义举。在这种时候,仍然要他们为了当局忍气吞声,回去默默流泪,无异于在公众面前删除他们的声音,在新闻构成的历史中抹消这一段不好看的记忆。一个人能提出这种要求,的确是要含泪的。
  
  其实我们做文章的人,何尝又不是在向历史交代呢?每一篇文字,每一段讲话,都会在这个年代成为存档,再交予后人查考论断。中国不算是一个宗教主导的国家,往往以历史代替宗教,尤其知识分子,更是不愿多言死后鬼神,唯求「立言、立功、立」三不朽。一般百姓或许会说「举头三尺有神明」,文人相信的却是「留取丹心照汗青」。  

中共がカシュガルの聖火リレー前に3名の独立派活動家を処刑

2008-06-25 21:43:14 | Weblog

中国人権民主化運動情報センターによると、18日の聖火リレー前にカシュガルで東トルキスタン独立派活動家3名が処刑された。この3名は自殺爆弾攻撃の嫌疑で逮捕されていた。
また、6月下旬には4グループ65名のオリンピックに対してテロ攻撃を計画したとして逮捕されている東トルキスタン独立派の活動家が、ウルムチで裁判を受ける予定になっている(死刑判決が出る可能性が高いとの別ルート情報あり)。

喀什传圣火前处决叁疆独

北京奥运圣火昨日在新疆喀什传递,据香港的中国人权民运信息中心透露,在圣火传递前,喀什已处决叁名疆独人士。警方在叁人所涉案件中,首次发现自杀式人体炸弹装置。另外,本月下旬将有四批六十五名被指针对奥运进行恐怖活动的疆独人士,在乌鲁木齐中级法院受审。(6月19日综合报道)
出典:http://www.hkhkhk.com/


四川省成都「六四天網」の黄氏が獄中で重態に!

2008-06-25 19:50:18 | Weblog

6月25日 中国人権民主化運動情報センター

成都「六四天網」責任者の黄は、四川大地震での被災地住民の不満と抗議活動を報道したために、6月10日に警察に逮捕されていたが、拘留中に薬の服用を中断させられたため、脳水腫が悪化し、現在きわめて危険な状態である。黄の家族は薬の差し入れと接見を求めたが断られている。昨日、家族は保釈治療を要求した。

出典:http://www.hkhkhk.com/

维权人士黄在狱中病危


四川维权网站「天网」负责人黄,疑因披露四川地震灾区民众的不满和抗议活动,本月10日被公安拘捕後,在拘留所内中断食药,令到他所患脑积水病情恶化,目前情况危殆。黄家人曾要求送药给他及与他见面被拒,前日已向当局提出为黄保外就医。中国人权民运信息中心


胡星斗:恐るべき死亡法則-中国の非正常死亡は世界の70%

2008-06-18 09:50:45 | Weblog

可怕的死亡定律

——中国人各种非正常死亡均占世界的70%以上

胡星斗


可怕的死亡定律:中国人各种非正常死亡均占世界的70%以上!

1949年以来,中国的地震死亡人数占世界地震死亡总人数的54%[1];如果加上这次四川大地震,中国的地震遇难人数占世界的70%;

2006年,广东省地震局局长在接受记者采访时表示:“发生同等破坏性地震时,美国的人员伤亡大体上是日本的1/10,中国的人员伤亡约是日本的10倍。”其实,何止10倍、100倍。如1992年6月28日,美国加利福尼亚州兰斯市地震,7.3级,仅一人死亡;1989年10月17日,美国旧金山海湾地震,7.1级,仅67人死亡;1964年3月27日,美国阿拉斯加州地震,8.5级,仅131人死亡;1952年7月21日,洛杉矶地震,7.7级,仅12人死亡。2007年7月16日,日本一县发生地震,6.9级,仅11人死亡;2005年08月16日,日本宫城县地震7.2级,无死亡;2008年6月14日,日本岩手县7.2级地震,目前已知死亡10人…而中国的唐山大地震遇难24万人,四川大地震遇难加失踪9万多人。

中国每年的煤矿事故死亡人数也占世界的70%以上[2];

中国每年被执行死刑的人数同样占世界的70%以上[3];

半个多世纪以来,中国的人祸造成非正常死亡人数亦占世界的70%以上。如据专家研究报告:反右之前各个运动造成死亡总人数在300万人左右;大跃进造成的三年饥荒死亡4120万人;“四清”运动死亡77560人,挨整532万多人;叶剑英曾说,文革造成了2000万人死亡,汉学家麦诺教授估计,文革非正常死亡773万人,上亿人受迫害。

而其他各国的非正常死亡情况大致是:50年代初,东欧各国共处决了234.5万修正主义分子和反革命分子;柬浦寨红色高棉杀害同胞200多万人;越南战争死亡160多万人,美军死亡5.6万余人;越南政府上台时处决了15万反对派;朝鲜战争中美军死亡5万4千2百46人;伊战以来伊拉克人死亡65.5万;印尼苏哈托政变、屠杀华人50万多万人;卢旺达大屠杀死亡80万~100万人。以上各项加总也不及中国非正常死亡的20%。再计入其他非正常死亡人口,可以肯定不会占到中国的3/7。也就是说,中国的非正常死亡人数占世界的70%是可以成立的。

现在该是反思各种天灾人祸导致中国人过度死亡、追问责任、促进制度建设的时候了。否则,显得中华民族太弱智了。所谓多难兴邦,多难兴了什么邦?中华民族是一个缺少反思能力的民族,悲剧一再重演,以后还会重演。

中国不仅应当建立自然灾难纪念馆,还应当建立人为灾难纪念馆,也就是人祸纪念馆,包括反右纪念馆、文革纪念馆等。

几十年来,中国的政治体制没有本质上的进步,所以灾难重演。

唐山大地震与四川大地震是悲剧的重演。唐山大地震前虽有准确的预测,但因为惟恐影响“批邓”、危害首都的稳定而没有公开预报,只有河北青龙县领导“擅自”决定把地震预测通告给民众,结果该县一个人都没有死;四川大地震前耿庆国、陈一文等地质科学家也有比较正确的预测,耿庆国是国家地震局的研究员、中国地球物理学会天灾预测委员会副主任,曾经是《中国减灾报》的主编,是非常权威的专家了,他预测在5月8日前后10天在四川甘肃一带将发生大地震,天灾预测委员会经过集体讨论后也作出了预测,并且以密件的方式上报到国家地震局了…。[4]

更为恶劣的是,今年4月份,国家地震局举办了“震情信息保密知识培训班”,其公告中说:“震情保密事关政治社会影响,责任重大,鉴于当前复杂严峻的震情形势,为切实作好震情信息保密工作,中国地震局监测预报司于4月23日—26日在杭州组织举办了震情信息保密知识培训班”。这就是中国地震局的逻辑——震情越“复杂严峻”,越要保密!国家地震局应当改名为“隐瞒地震局”。[5]

重大震情信息保密显然违反了《中华人民共和国政府信息公开条例》第九条:“行政机关对符合下列基本要求之一的政府信息应当主动公开:(一)涉及公民、法人或者其他组织切身利益的;(二)需要社会公众广泛知晓或者参与的”;第十条:“县级以上各级人民政府及其部门应当依照本条例第九条的规定,在各自职责范围内确定主动公开的政府信息的具体内容,并重点公开下列政府信息:(十)突发公共事件的应急预案、预警信息及应对情况”。

在媒体自由的国度,震情不能作为政府的保密事项;重大震情信息保密等同于犯罪;公民具有获得关系到自己生命安全信息的知情权;即使地震不能预报,加固公共建筑、进行防震避难知识教育也是政府的责任。

而中国的一些地方政府是怎么做的呢?成都市政府花了12亿建成“世界上最豪华办公楼”,并且于四川大地震发生后的第3天政府搬进了豪华大楼,但是却不愿意花钱加固处于龙门山断裂带、茂汶地震带上的学校危楼。官僚的失职、渎职总有一天要被追究、清算!

没有宪政,中国人民付出了惨重的代价。

从空中俯瞰成都市新大楼

 

成都市政府大楼的侧影


( 成都市新政府大楼投资12亿,大约相当于台湾给四川赈灾捐款3倍,由世界著名法国设计师设计,他同时也是北京奥运场馆鸟巢的设计者。

五月十五日早晨,汶川八级地震的第三天,灾区已到最关键的时刻,大批灾民仍埋在废墟中,绝望地等待救援。此时,成都市委市政府在温总理的眼皮底下、在世界各国媒体高度关注的时间和地点,成功地迁移到了世界上最漂亮、最气派的政府办公新大楼群里。

而聚源中学等学校教学楼一直是危房,往上报告了,但没有钱维修加固。据《北京日报》:在这次汶川大地震中,数千(6500所)校舍倒塌。)

 

如果四川大地震并不能推动宪政制度、善治政府的建设,不能有助于建成现代型的可问责、可监督的政府,不能形成公开、公正、廉洁、透明、法治、自治、民间组织发达的公民社会,反而强化了人治的名君、清官、英雄心态和极端民族主义,掀起反普世价值、反宪政自由的恶浪,把悲剧演变为喜剧,把惨绝人寰的灾难演变为歌功颂的工具,然后再不断地重演灾难,不断地夺取“救灾的胜利”,那么,10万亡魂怎么能心安?

难道真像那被网友评为最无耻文人王兆山所说的:“纵做鬼,也幸福”吗?[6]

可怕的死亡定律!更可怕的愚昧国民!

 


2008-6-14


(本文的部分内容为作者在博客中国、学术中国等举办的“四川地震的影响及公共政策”研讨会上的发言。“胡星斗中国问题学、民生经济学”网站:http://www.huxingdou.com.cn。)

 

[1] 据中国地震局副局长的讲话:http://www.hd-seism.gov.cn/old/DT-6-1-2.htm

[2]中国的煤矿死亡人数占世界的比例有79%、80%、80.4%等多个数据:http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-WJSJ200803011.htmhttp://www.afnet.com.cn/bq/776/http://www.powerlaw.com.cn/ReadNews.asp?NewsID=741

http://view.news.qq.com/zt/2006/first/

[3]据中国青年报:中国全国人大代表、西南政法大学法学院院长陈忠林首次向外界披露了中国死刑的统计资料。他指出中国每年判决的死刑立即执行案近万宗,差不多是世界其他国家死刑案件总和的五倍。 “国际特赦”发表年度报告说,中国是执行死刑人数最多的国家。国际特赦在报告中指出,2004年全世界25个国家中至少有3797人被处决,其中中国有3400人被处决。中国的死刑犯占世界的90%。

http://bbs.vsharing.com/Article.aspx?aid=652781

http://sysu.schoolblog.cn/gmszyq/article/633066328882875000/633119088258358750.aspx?logout=1

[4] http://www.dajun.com.cn/dizhenzp.htm

http://www.dajun.com.cn/wenji0519.htm

[5] http://www.dajun.com.cn/wenji0522.htm

[6]6月6日,山东《齐鲁晚报》A26版“青未了”副刊发表作者名为王兆山(山东作协副主席)的“词二首”:

江城子•废墟下的自述


王兆山


一位废墟中的地震遇难者,冥冥之中感知了地震之后地面上发生的一切,遂发出如是感慨—


天灾难避死何诉,

主席唤,总理呼,

党疼国爱,声声入废墟。

十三亿人共一哭,

纵做鬼,也幸福。

银鹰战车救雏犊,

左军叔,右警姑,

民族大爱,亲历死也足。

只盼坟前有屏幕,

看奥运,同欢呼。

出典:http://vip.bokee.com/20080617554849.html


戴耳釘的猫:CNNは間違ってない! 中国はとんでもない暴徒だらけだ!

2008-06-12 23:07:01 | Weblog

秋葉原事件をめぐる中国のネット上の書き込みに対して怒りを爆発させた記事。

CNN没有错! 根本就是千年暴民!
6月11日11:35 pm 作者: 戴耳钉的猫


某些人就他妈的那么仇日吗???? 仇你妈了个B仇!!!! 地震怎么没吧你们这些该死的人渣阵死!!! 操! 地球你他妈的震错地方了!!!

http://www.cnbeta.com/articles/57683.htm

估计不少人都知道日本秋叶原的疯狂杀人案件了吧??? 上面也是一篇关于此事的报道, 但请看这篇报道下的评论... 且不论日本在中国地震中做出怎样的帮助, 捐了多少钱, 出了多少力... 就算日本在中国地震中什么都没做... 也没什么可以挑的吧? 更何况人家确实为中国提供了很大帮助. 在回过头, 看看上面的评论吧...

那么换位想下... 如果杀人犯是在上海或者北京或者中国其他城市行凶, 有中国人被杀... 会不会全国都安慰死难者? 我想就算不会, 至少也不会幸灾乐祸. 也不会说死的少...

你们有什么资格说人家莎朗斯通? 有什么资格让CNN道歉????

这才几天啊???? 伤疤还没好呢... 就开始诅咒和嘲笑就在前不久还在努力帮助我们救灾的国家以及那个国家的人民... CNN说你是暴民你不乐意... 要我说, CNN说你是暴民都是抬举你了!!!!!

去你们那些傻B全家的吧~

看看那些幸灾乐祸那些畜生们... 实在是按捺不住气愤~!! 他们也配叫人??? 我呸!! 他们连他妈的使用氧气的资格都没有!!!

到底是谁??? 是谁让我们的国人如此仇恨日本??? 勿忘国耻... 是没有错! 这是对的... 但是人性更不应该忘记吧????????

那些叫嚣着"东京大屠杀","核弹轰炸日本","干光日本妞"的姑且称之为人的东西... 你们到底是怎样变态+畸形的心理??? 可以肯定你们的内心比当年侵华的日本军队有过之而无不及!!!

- 以上 -

发泄完毕...

Update: 文中说了不少脏话, 语言激动... 而且语言使用的可能不太好, 向各位读者表示歉意. 我的文字表达能力实在不好, 而且当时也很激动... 文中所指的对象是引用新闻地址中的部分评论者... 并没有攻击任何读者和访问者的意思. (当然, 如果新闻中那些评论者没有访问到这里, 或者订阅我的Feed的话...)

------ by: 由美帝国主义资助的网络特务 戴耳钉的猫

出典:http://blog.newchen.com/post/441


「中国」と「漢」

2008-06-12 19:58:35 | Weblog
中国(内地)=漢土
中国語=漢語
中国人(狭義)=中華人民共和国の漢民族もしくは漢人(海外居住者を含む)
中国人(広義)=中華人民共和国人(他民族を含む)
中国人(最広義)=中華人民共和国人(他民族を含む)+中華人民共和国以外に住む漢民族の血統を引く人々(ex.小平はアキノ大統領を中国人と言った)


張倩[王韋]:中国のアングラロックグループ盤古楽団亡命の経緯

2008-06-12 11:44:10 | Weblog
愛台獨而流亡盤古樂團無悔
張倩瑋
2007/04/19 第578期
因為支持台灣獨立而遭中國政府通緝、流亡海外;但他們依舊對未來充滿希望,相信有一天還是能踏上家鄉的土地,而那時的中國,已然是個完全自由民主的國度。

還記得在紀念二二八事件六十周年的「正義無敵-台灣魂Say yes to Taiwan」音樂會上,有著這麼一個來自中國的樂團,當他們拉高嗓子,忘我地唱到:「祖國母親不要臉」時,頓時,引起全場聽眾的歡聲雷動,甚至高唱著「台灣就是台灣國,獨立就是勝利」,這個號稱中國第一個支持台灣獨立的樂團,就是被中國政府通緝,流亡在外的盤古樂團。


敢說  挑戰中國威權


許多台獨老前輩都曾經歷過,因為勇敢說出台灣獨立的理念,被國民黨政府通緝,而流亡在外國的經驗,也曾經以為回不了家,一輩子都得度過流亡在外的生活,直到台灣解嚴,政治環境趨向民主化發展的今日,過去的經歷在這一代年輕人耳中,聽起來就像是一個歷史「傳奇」,只是,同樣的事件若還發生在二十一世紀,那可是個驚天動地,又令人感到不可思議的人權事件了。


二○○四年,盤古樂團主唱敖博和貝斯手段信軍兩人,簡單地帶著三件衣服當作行李,在沒有經過中國政府同意下,來到台灣參加二二八牽手護台灣系列活動,沒想到,台灣的新聞自由卻「害慘」了他們,段信軍說,原本想神不知鬼不覺地回到中國,卻因為台灣媒體對他們大幅地報導,引起中國的注意,從此,便展開他們驚險刺激的冒險生涯。


其實,盤古樂團在中國,就是個極富爭議的搖滾樂團,一九九六年他們從江西南昌一塊菜園的破屋裡成立、發跡,一九九七年開始在昆明音樂節走紅,唱的是龐克的曲風,走的是社會批判的路線,九八年以後,還巡迴中國各大pub駐唱,因為敢說、敢講,而深受許多中國年輕朋友的喜愛,只是,身處於一個集權、共產專制的國度,盤古樂團的存在,無疑地,是向威權體制的挑戰。


心情  隨時準備作戰


至於盤古樂團在二○○四年到台灣之前,都還能「僥倖」地在中國生存,當中的因素,一方面是中國政府認為這種樂團成不了氣候,過不了多久就會自生自滅,另一方面,歸功於他們的「作戰守則」有方,所謂的「作戰守則」就是和地方媒體的關係「打」得很好,所以,江西的媒體在報導時,對盤古樂團的表演風格、演唱內容都有所保留,而能低調地存活在中國,卻沒想到來到台灣後「失算」。


「其實也不能說失算,早就有心理準備了」,敖博以他低沉而沙啞的嗓音,操著道地的北京話恣意地回答著,而這樣的答案從敖博的口中說出,並不令人意外,除了考量中國的政治背景因素,也就像他曾對閃靈樂團的主唱Freddy說,「我們不是搞樂團的,我們是搞社會運動的」,因此,他們隨時抱持著「作戰」的心理準備。


要說盤古樂團的音樂有多偏激,或者有多刺激,可以讓中國政府將他們列為通緝名單的第一順位,或許連台灣人聽了都要感到羞愧,這麼比喻好了,言詞直接、裸露的程度好比台灣的濁水溪公社,但是他們藐視、憎恨共產黨的程度,比Freddy還要先進,再搭配上龐克曲風,節奏性強過音樂旋律,和敖博聲嘶力竭地嘶吼著,讓聽者在聽覺上,彷彿有種經歷槍林彈雨的戰地震撼。


光獨立還不夠


我們怎麼可以放過曾經過我們的人


光獨立還不夠


我們怎麼可以放過曾經阻止我們獨立的人


光獨立還不夠


我們怎麼可以忘記曾經為獨立死去的人


光獨立還不夠


我們還要反擊他們 我們要讓敵人無法生存


勇氣  令人肅然起敬


和其他中國的樂團不同,盤古樂團發揮龐克的精神,歌詞中能直接反應現況,表達對社會不滿的訴求,其他人,大多因為害怕中國強權的惡勢力,即使心中有再多的不滿和怨言,也只有點到為止,但是,盤古樂團是敢直接在有公安監督的場子上破口大罵,這股勇氣,不由得讓外人對他們肅然起敬。


造就今日敖博和段信軍兩人的際遇,個性有很大的關係,應該說他們不服輸、不向惡勢力低頭,富有正義感的態度,在十三億中國人口中是少數異類。段信軍說,因為出生在藝術世家,父親從小教導他要勇於嘗試,又能不受拘限地發展,藝術家的叛逆思想遺傳到他身上,學的是古典音樂,從事於流行音樂界的工作,直到認識了敖博,激發出藝術家的叛逆因子,大感獨立樂團的樂趣,就和盤古結下不解之緣。


而敖博從學生時代就接觸樂團,認識許多朋友,從朋友圈中慢慢地激發出自己的性格,也慢慢地找到自己抒發的窗口,半路出家學音樂的他,從沒想過自己會有做出一番大事業的一天,反倒是很隨緣,很隨興地過著自己喜歡的日子,從創下盤古樂團的第一天起,就注定和盤古的宿命牽扯在一起。


對於他們倆的政治哲學,一如盤古過去所發表的音樂......


台灣就是台灣國


中國不是中國


大一統就是大飯桶


大中華就是大


統一就是毀滅


統一就是滅亡


獨立就是生命


獨立就是勝利


台灣就是台灣國


台灣就是台灣國


盤古樂團的中心思想,就是追求真正的自由、獨立、民主的中國,至今在共產體制下的中國,是壓迫、是統治、是暴力,敖博認為,中國所謂的自由化僅是表面、媒體與物質上的自由,而「行政效率」也是不顧底層人民生活的暴力。


他也指出,中國外交部長李肇星批評台灣正名制憲時說,「中國十三億人有說話嗎?」,其實是個笑話,「因為十三億人民連自己都沒有,要如何發聲?」雖然他們堅持理念遭到中國的壓迫,但是盤古堅信,「有信念一定會有明天」,敖博也希望台灣青年能夠珍惜台灣的民主自由。


逃亡  中國政治迫害


回想起二○○四年,來台參加台灣魂演唱會,隨即遭中國政治迫害,並展開流亡的生活,他們先逃亡到泰國,在人生地不熟的異鄉度過八個月的驚魂,段信軍至今還心有餘悸,他說,那時在泰國等待轉機,接到中國朋友的來電,要他們在泰國多留幾天,警覺性高的他們,就已經發現有異狀。


於是聽從朋友的建議,等過幾天再探探口風,沒想到接到電話那頭的訊息是,家人、朋友都被監視著,兩人名下的財產被扣押,當下,他們再撥電話給Freddy尋求協助,在總統大選結束後,Freddy經由台灣的人權組織與聯合國駐泰國的人權組織接洽,協助他們暫時安置在泰國,準備以政治庇護的方式,再安置到其他國家。


沒想到,又遇到泰國總理訪問中國,中國政府藉機施壓,以「軍火販」的名義,要求泰國政府協尋名單中排名第一順位的敖博和段信軍兩人到案,聯合國難民公署接獲消息後,深知兩人有立即的人身安危,便在二十四小時內,安排好一切,立刻將兩人遣送出泰國,最後成為瑞典的公民。


危急  快速獲得庇護


段信軍說,「按照正常程序,尋求國際政治庇護的時間,至少要兩年,我們兩個在短短八個月內完成手續,可見當時情況有多危急。」現在,兩個大男孩一起作伴,住在真正民主,而且社會福利良好的瑞典,不知羨煞多少人,可是敖博卻說,那裡生活太安逸了,對於要有創作靈感的兩人來說,不適合。


現在,敖博和段信軍兩人的心情,就像當時台灣流亡海外的知識分子一樣,有家歸不得,思鄉的心情是耐不住的寂寞,但他們依舊不放棄,當問到「會不會後悔」時,兩人很有默契地說,「不會」,對於未來還是充滿希望,相信有一天還是能踏上家鄉的土地,而那時的中國,已然是個完全自由民主的國度。

出典:http://www.newtaiwan.com.tw/bulletinview.jsp?bulletinid=69516


高耀潔:エイズ患者は泣いている

2008-06-11 19:36:34 | 中国異論派選訳
高耀潔:エイズ患者は泣いている

中国のエイズ感染の特徴は他の国や地域とは異なり、エイズ患者が地域的にまとまって現れることである。一人や一戸ではなく、まとまって、一村や数村に数十戸数百戸、数十人から百人以上出現し、エイズ村と称されている。

私は百余りのこうした村を回り、千人余りのエイズウイルス感染者と患者を調査し、一万通余りの手紙を受け取った。無数の事実が物語っているのは、いまの中原地区のエイズの主な感染ルートは血液感染だということである。1995年ごろ、各地で「血漿経済」が盛んになった。当時各県の防疫所や母子保健院で売血所が作られた。さらには物資購入販売部門、炭鉱、工場などの事業所にも売血所が広がり、一部の県の政治協商会議、人民代表大会までが売血所の営業を始めた。あっという間に230ヶ所余りの「合法」売血所と数え切れない違法売血所ができた。一部の売血所は1台の小型トラクターの上に遠心分離機が一つと何度も使いまわすゴムチューブと針があるだけであった。売血所は血漿しかいらないので、遠心分離機で赤血球を分離して売血者に返す。これを単成分採血という。一回に500ml採血し、売血者に40~50元払う。売血所は集めた血漿を製薬会社に売る。病院や防疫所の入り口には「献血は光栄、人命を救う」というスローガンが掲げられている。売血所はいつも「採血はいいことが多い、単成分採血は全血採血よりいいことが多い」とか「血は井戸水と同じで、何杯汲んでも減らない」とか「たくさん採血すると高血圧にならない」などと宣伝する。

長期間にわたって、中原地区の一部の農村では売血が一種の生活手段になっていた。町に行って売血するためにヒッチハイクする農民が道端に大勢立ち、まるで定期市に行くように大勢群れになって売血所に行った。その90%以上が青壮年の男女である。また、私営の売血所は村に出向いて採血し、現金取引をした。消毒が徹底していないのと、決められた手順で行わなかったので、単成分採血の後赤血球を戻し輸血する過程で、エイズ感染の危険が生じた。

 エイズ予防の宣伝では、中国のエイズ感染の経路の特徴に注意すべきであり、エイズの性感染経路のみを強調してはならない(訳注:実際は中国当局は政府の責任を隠蔽するために性感染のみを強調している)。それはエイズウイルス感染者と患者が見捨てられ、差別され、侮辱されることにつながり、無実の人の苦しみを増し、民衆に恐怖を植え付けるだけである。

 本書は、彼らの愛情、婚姻、家庭、およびエイズ感染の理由を含むエイズ患者の生活状況を記す。多くの村民が80年代末から90年代初めにかけての「血漿経済」がもたらした病気だという。この病気は非常に奇妙で、薬を飲んでも治らず、高額の医療費がかかり、どんどん貧困になっていった。彼らは自分が死んだ後子供がどうなるか、食べていけるのか、誰が学費を払うのか、ぼろ屋がいつまで持つのかなどなど……多くのことに気をもんでいる。彼らは当時自分があまりに無知で、売血してしまったことを嘆いている。

特に強調しておかなくてはならないのは、本書に触れた5例のエイズ感染児童である。その内4例は輸血による感染である。彼らはまだ児童で、生理的にも性活動能力はなく、また麻薬に手を出すこともない。患者の両親はエイズ感染の可能性が排除されている。しかし、患者にはいずれも輸血歴があり、輸血記録が見つかったり、血液提供者が特定されたりしており、疑いもなくこの子達は輸血によるエイズ感染である。

現在まだエイズ治療薬は発明されていないし、小児エイズ患者の治療経験のある臨床医も極端に不足している。多くの13歳以下のエイズ患者の状況は非常に危険である。輸血によりエイズに感染した児童の両親は深刻な自責の念にさいなまれており、八方医者を探し、多くの金を使って、財産を使い尽くし、その結果人命も財産も失うことになる! 輸血した病院の職務怠慢は、法的手段によって賠償請求することができる(訳注:実際は輸血によるエイズ感染損害賠償請求を中国の裁判所は受理しない)、しかしその賠償で小さな命に代えることができようか? 生命の前では、法律はかくも無力である! 私はこれをどうしようもない。最良の選択は病児の両親が早くもう一人の子を産むことで、泣き続けるのを止めることだろう。

 災難の起源は貧困が招いた売血であり、売血があれば輸血がある。その結果エイズが農村で大規模に流行している。現在の調査によると「血液禍」は中原地区だけの現象ではない。

高耀潔著『中国エイズ調査』広西師範大学出版社、2005年より
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呉祚来:涙ぐんで余秋雨さんに勧告する-真人間に戻ってください!

2008-06-10 16:15:16 | 中国異論派選訳
この記事およびその転載を含む余秋雨の発言に対する批判記事が中国国内でどんどん削除されている。2008年6月10日。

呉祚来:涙ぐんで余秋雨さんに勧告する――真人間に戻ってください!
2008年6月6日

余秋雨さんの「涙ぐんで請願被災者に勧告する」という文章を読んでいて、私は突然涙がこぼれた。私もこの題を借りて私の尊敬する余秋雨さんに「涙ぐんで余秋雨さんに勧告する」という文章を送りたい。

余秋雨さんが見た外国メディアのニュース場面、「反中国メディア」というのは本当の場面なのか、それともやらせなのか? もし本当なら、それは新聞記者の職責であり、彼らがそれによって彼らの見方を示すことも、彼らなりの見識であるから、我々はなにも大げさに騒ぎ立てて、強硬な反中国メディアだなどと決めつけることはない。

余さんは外国メディアの「でっち上げ的」として4点を挙げている。そのうちの一つは反中国メディアが多くの学童が犠牲になったことが「天災よりも人災」という説だが、これは事実だろうかでっち上げだろうか? 余さんは当然被災地の劉漢希望小学校を知っているだろう。なぜあの学校が倒壊しなかったか?(訳注:寄付金で安価に建てた希望小学校は、政府発注ではないため手抜き工事を行っておらず、倒壊しなかった)。倒壊した校舎はもちろん人災だ。もし人災でなければ官災だ。すべて汚職官吏がまねいた災害である。

余さんが言う第二点、それは裁判所が死亡した学童の保護者の告訴を不受理にしたと反中国メディアが報道したこと。だったら、余さんが裁判所が死亡学童の保護者の訴えを受理したという証拠を示してください。余さんが言っている意味は、裁判所は受理したが、外国の反中国メディアが中国の裁判所が不受理にしたとでっち上げたということでしょう? このニュースが本当なのか嘘なのかは、余秋雨さんに決められることではなく、裁判所もしくは関係当局が真相を説明すべきだ。余秋雨さんは当局のスポークスマンではない。余さん、世の中に四川省の裁判所が死亡した学童の保護者の訴えを受理した証拠を示してください!

5人の記者が短期間拘留され、訊問もしくは質問をされ、時間も短かったとしたら、そんなことをでっち上げる必要などないだろう。もしそれがでっち上げなら、関係当局が説明すべきだ。余さんはこれをでっち上げと決めつけた。しかし、証拠もないのに何でそんな決めつけができるのですか? それから、「地震は中国を民主的にしただろうか?」というのは質問です。質問するのは答えを求めるためだが、余秋雨さんはこれさえもでっち上げに含めている。

今の国の最重要任務は、災害救助だ。堰止湖の洪水などの二次災害を防ぐことだ。しかし、中央政府は規律検査部門も派遣し、強大な規律検査部隊が汚職を監視している。我々は彼ら腐敗防止のための規律検査要員をトラブルメーカーと呼べるだろうか? もちろんできない。それぞれの業務分担があるのだから。同様に、子供を失った親たち、彼らの人生はほとんど意味を失い、彼らの子供は余秋雨さんが深く信じるように天上の菩薩になることができるかどうか、彼らは興味を持てない。彼らが必要としているのは真相であり、関係者の責任追及だ。彼らは自分の子供のためだけに正義を求めているのではなく、世の中すべての子供たちのために正義を求めているのだ。もしこの罪を追及しなければ、より多くの汚職官吏が後に続いて、より多くの子供たちが天国の菩薩になり、自分の親や同級生と共に地上の命でいることができなくなる。

余秋雨さんは被災地の政府は犠牲になった学童の保護者の問題を処理する人手が割けないというが、中央政府の関係部門はだいぶ前から調査グループを派遣して証拠収集をしている。いわば風が吹いたからといって雨が降らないわけではない。学校の手抜き工事調査と被災学生の救援はそれぞれ別の部門の仕事である。わたしは裁判所や規律検査部門の職員全員に洪水防止の第一線に行ったり、救援物資配布をしたりという命令が出たという話を聞いたことがない。大衆の公憤の中で、全世界のメディアが注目する中で、手抜き工事の建設業者と役人を明るみに出すことは、中国のイメージを傷つけることにはならない。むしろ中国の悪人に対して、彼ら子供と学校に対して責任意識のない役人と建設業者がどういう末路をたどるのかを厳しく警告することになるだけである。

余秋雨さんの文章の中に、わたしたちは外国メディアに対する敵意を感じる。あたかも中国の悪は外国のジャーナリストが作ったかのように、あたかも外国メディアはいつも中国に大きな災害が起こるのを待っているかのように。もし外国人がこれほど悪意を持っているのなら、なぜ余さんは世界中を旅して回っているのですか? 『文化苦旅』はなぜ子供たちの教育の苦しい旅を書かないのですか? 余さんの影響力をもってすれば、全中国の危険校舎を歩き回れば、中国の子供達はより多くの福祉を得られるでしょう。なぜ多くの人が余さんを批判するのか今やっと分かりました。なぜなら、余さんは伝統文化を粉飾してばかりで、現実を放って置くからです。あなたの心の中では、子供を失った悲しみは、いわゆる国家の文化イメージを示すイヤリングや口紅ほどには重要でないのですね。

もっと深刻なのは、余秋雨さんが自分の子供たちのために正義を求める人々を、不正義の地位に追いやることによって、かれらに正義の主張を許さず、国のために考えることをさせないことだ。君たちの子供は菩薩になり、すでに天国で私たちの中華を守ってくれているのに、君達が危難の中にある政府に面倒をかけようとするとは、全く遺憾なことだ!という。

余秋雨さん、あなたが子供を失った親たちを不正義の地位に追いやることは、罪深いことです!
私はあなたの懺悔の声を聞きたい!
すみません、余秋雨さん、真人間に戻ってください、文人に戻ってください!


付:余秋雨さんの原文

涙ぐんで被災者に請願する
余秋雨

昨日海外のメディアで見たら、被災地の一部の保護者が死亡した子女の写真を抱えて請願をし、裁判が建物が倒れた学校の指導者と請負業者を処罰するよう求めていた。画面では、警察官が温和なやり方で説得していたが、保護者達は感情を昂ぶらせていた。そこで、長い間反中国の口実を探し出せずにいたメディアがまたまた反中国宣伝を始めた。でっち上げ的な主張は次の四点である。

1、天災というより人災だ
2、当局は、この件を裁判所は受理しないと言い渡した
3、5人の外国記者がこの場面を撮影していて警察に「短時間拘留」され、彼らの身分を質問された。
4、地震は本当に中国を民主的にしただろうか?

これについて、私は涙ぐんで請願した被災者に下記の勧告をする

君たちの体験した子供を失う痛みは、全国人民がみな自分のことのように感謝している(訳注:用語の間違いと思われる)。13億人が同じ時間に全員起立し、3分間黙祷したことは、人類史上最も盛大で、もっとも厳かな追悼式だった。追悼の対象は、君たちの子供だ。全国哀悼日に、ある仏教学の大家が私につぎのように言った。「十数億人が護持すれば、かれら往生者はみな菩薩になり、中国を守り続けるだろう」。思うに、君たちの子供の魂が天の一番高いところに上ったら、もうすでに安寧になっているに違いない。

校舎建設の品質は、当然必ず追及すべきであり、手抜き工事の建築請負業者とその他の責任者は、法律の厳罰を受けるべきである。私は今現在のこのような状況のもとで、どんな組織があえてこれらの人をかくまうのか思いつかない。君たちが請願で言っていることは、実はとっくに各級政府と大勢の民衆の決意である。しかし、それにはプロセスというものがある。

なぜなら、なんといっても、今回の大災害は主に天災である。もちろん倒れなかった建物、残った学校もあるが、それにはいろいろな要因があり、たった一つの視点から論断はできない。すでに何人かの外国の地震専門家が、マグニチュード7.8に達すれば、特殊な原因がなければ理論上はすべての建物が倒れると言っている。ところが今回の四川はマグニチュード8だ!

この主因があって、さらに建物倒壊のほかの原因を特定するのは、非常に面倒であり、比較的長時間の科学的測定と論証が必要である。しかも外国の同レベルの地震測定と比較できなければならない。わたしは関係者が生命救助、遺体捜索の後できるだけ倒壊校舎の実物証拠を保存し、その後の司法調査に役立てることを希望する。しかし今は急いではならない。なぜならもっと緊急な仕事があるからだ。

堰止湖の問題は数十万人の頭上の剣であり、伝染病予防も待ってはくれない。被災地の上から下まですべての人があえぎながら災害救助に当たっており、人は大きく移動しており、すべて臨時の状態である。よって、速やかに人手を割いてすでに倒壊した校舎の品質に関する法律問題を処理することは本当に困難である。思うに、君達は大局と道理をわきまえているのだから、まずもっとも緊急の数十万人、数百万人の生きている人の安全問題を解決しようではないか、どうだね?

君たちの被災後の傑出した行動は、すでに全中華民族に最高の尊厳をもたらした。君達は、この間、中国の各級政府・軍隊・武装警察・医師も、また全国各地と世界各国の救援者・ボランティアも、みな最善を尽くし、人々を感動させていることを決して否定しないだろう。これら内外の各種の力が邪魔されることなく集まることで、今後の非常に困難な任務が一歩ずつ達成できる。よって、君たちがなすべきは主人の立場でこの感動的な雰囲気を保ち続け、横槍を入れないことだ。一部の中国人に悪意を持っている人間が、毎日われわれが間違いを犯すのを待っているのだから。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8a8221679dd4dec13290e684e0550212

呉祚来:涙ぐんで余秋雨さんに勧告する

2008-06-09 11:53:38 | Weblog

呉祚来:涙ぐんで余秋雨さんに勧告する:真人間になってください!

日本語訳文↓
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/c3a6db5235c79c08320547d63a30d2e2 

含泪劝告余秋雨先生:敬请您重新做人!

读了余秋雨先生含泪劝告请愿灾民的文章,我突然要落下眼泪,我也想借题给我尊敬的余秋雨先生写同题文章《含泪劝告余秋雨先生》。

余秋雨先生看到的国外媒体里的新闻镜头,“反华媒体”是真实地拍下来的,还是造假的?如果是真实的镜头,那是新闻记者的责任与职业,他们由此表达自己的观点,那也是他们的一家之言,我们用不着上纲上线,将其定性为死心塌地的反华媒体。

余先生讲了国外媒体对华“诬陷性”的四点,其一是反华媒体说众多学生遇难,“是天灾更是人祸”,这是事实还是诬陷?余先生应该知道灾区刘汉希望学校,为什么没有倒塌?那些倒塌的校舍,当然是人祸,如果不是人祸,就是官祸,都是贪官惹的祸。

余先生讲的第二点,就是法院不受理遇难学生家长的申诉,这是反华媒体说的,但请余先生证明一下,法院受理遇难学生家长申诉的证据。余先生的意思是说,法院受理,但外国反华媒体却诬陷中国法院不受理?这条新闻是真是假,不由余秋雨先生说了算,而应该有法院或相关部门求说明真相。余秋雨先生不是有关方面发言人。请余秋雨先生告知天下:四川有关法院正式受理遇难学生家长申诉的证据!

五个记者被短暂拘留,也许是盘问或质询,时间很短,没有必要造这个谣吧,如果是假的,也应该由相关部门来说明。余先生却将其定性为诬陷,余先生没有证据反证,怎么可能定性呢?还有“地震使中国民主了吗”,这是一句询问,询问是为了得到应答,但余秋雨先生也将其归纳到诬陷之说了。

现在国家第一要务,是救灾,是那些堰塞湖泄洪,是抵抗次生灾难,但中央还下派了纪检部门,强大的纪检力量正在审视着可能出现的贪腐,我们能不能将这些反贪的纪检人员说成是制造麻烦者?当然不能。各司其职。同样,那些失去孩子的家长,他们人生几乎没有任何意义,他们的孩子会不会像余秋雨先生深信的那样成为天上的菩萨,他们不关心,他们要的是真相,是追究相关责任人的法律责任,他们不仅仅是为自己的孩子讨公道,也是为天下的孩子讨正义,如果此罪不究,更多的贪官腐败者还会前赴后继,更多的孩子会成为天国菩萨,而不能与自己的父母同学成为地上的生命。

余秋雨先生说灾区政府无法腾出手来处理遇难学生家长问题,但我要告诉余先生,中央有关部门早已派出调查组调查取证,所谓刮风并不影响下雨,处理学校伪劣工程、学生遇难与救灾由不同的部门来处理,各行其实,我们没有看见要求法院与纪检人员全部都去一线泄洪或发放救援物品吧。在全民共愤中,在全世界的媒体关注下,让那些造伪劣工程的建设者与官员曝光,不会影响到中国的形象,只会给那些中国恶人以严厉地警告,告诉他们不对孩子与学校负责的官员与建设者会是怎样的下场。

余秋雨先生的文章里,我们看到他对一些外媒的敌意,似乎中国的恶是外国传媒人造成的,似乎外国媒体总在等着中国出现巨大灾难,既然外国人如此之恶意,为什么余先生要走遍世界?文化苦旅为什么不写孩子们的教育苦旅呢?以余先生的影响力,如果走遍了全中国危房学校,我想中国的孩子会得到更多的福祉。现在我才明白,为什么那么多的人攻讦余先生了,因为余先生对传统文化太多的粉饰,对现实太多的虚置。在他心中,失去孩子的悲苦,还不如所谓的国家文化形象的一付耳环或一抹口红重要呢。

更为严重的是,余秋雨先生将那些为自己孩子讨公道的人,置于不义的地位,就是这些人不能申明大义,不能替国家着想,你们的孩子已成为菩萨了,已在天国里护佑我们中华了,但你们却在如此危难之际给政府添麻烦,真是令人遗憾!

余秋雨先生,你置那些失去孩子的家长于不义之地,是大罪孽呀!

我希望听见你的忏悔声!

对不起了,余秋雨先生,我希望你重新做人,重新做文人!

出典:http://wubloger.blog.sohu.com/89386724.html

附秋雨先生原文:

 
含泪劝告请愿灾民

余秋雨


  昨天从海外一些媒体看到,灾区一些家长捧着遇难子女的照片请愿,要求通过法律诉讼来惩处一些造成房屋倒塌的学校领导和承包商。从画面上看得出,警察们正用温和的方式劝解,但家长们情绪激烈。由此,那些已经很长时间找不到反华借口的媒体又开始进行反华宣传了,诬陷性的说法有四点:


  1、 是天灾,更是人祸;


  2、 官方宣布,这事法院不受理;


  3、 五个境外记者拍摄这种场面时被公安“短时间拘留”,询问他们的身份;


  4、 难道地震真使中国民主了吗?


  为此,我要含泪向这些请愿灾民作如下劝告——


  你们所遭遇的丧子之痛,全国人民都感同身受。十三亿人在同一时间全部肃立,默哀三分钟,这肯定是人类历史上最浩大、最隆重的悼念仪式。悼念对象,就有你们的孩子。在全国哀悼日,一位佛学大师对我说,有十几亿人护持,这些往生者全都成了菩萨,会一直佑护中国。我想,你们的孩子如果九天有灵,也一定已经安宁。


  校舍建造的质量,当然必须追究,那些偷工减料的建筑承包商和其他责任者,必须受到法律严惩。我现在想不出在目前这种情况下,还会有什么机构胆敢包庇这些人。你们请愿所说的话,其实早已是各级政府和广大民众的决心。但是,这需要有一个过程。


  因为,无论怎么说,这次大灾难主要还是天灾。当然也有未倒的房屋、幸存的学校,但这有多方面的因素,不能仅仅从一个角度来论定。已经有好几位国际地震专家说,地震到了七点八级,理论上一切房屋都会倒塌,除非有特殊原因,而这次四川,是八级!


  有了这个主因,再要论定房屋倒塌的其他原因,就麻烦得多了,需要有较长时间的科学检测和辩论,而且要经得起国际同等级的灾测比照。我希望有关方面能在搜救生命、挖掘遗体之后尽力保护校舍倒塌的实物证据,以便今后进行司法技术调查。但在目前,不能急躁,因为还有更危急的事。


  堰塞湖的问题是悬在几十万人头上的凶剑,卫生防疫问题也急不可待,灾区上上下下所有的力量还在气喘吁吁地忙于救灾,人口大幅度流动,一切都处于临时状态,因此,确实很难快速腾出手来处理已经倒塌的校舍建筑质量的法律问题。我想,你们一定是识大体、明大理的人,先让大家把最危急的关及几十万、几百万活着的人的安全问题解决了,怎么样?


  你们受灾以来的杰出表现,已经为整个中华民族赢来了最高尊严。你们一定不会否认,这些天来,无论是中国的各级政府、军队、武警、医生,还是全国各地和世界各国的救援者、志愿者都尽心尽力、令人感动。只有当这些里里外外的多重力量不受干扰地集合在一起,才能把今后十分艰巨的任务一步步完成。因此,你们要做的是以主人的身份使这种动人的气氛保持下去,避免横生枝节。一些对中国人历来不怀好意的人,正天天等着我们做错一点什么呢。

出典:http://blog.sina.com.cn/s/blog_46e94efe01009iom.html


連岳:不道徳な説得

2008-06-09 10:15:59 | Weblog
連岳:不道徳な説得
中国共産党の御用文人余秋雨が手抜き工事で倒壊した学校で死亡した児童の父母に対して「反中国勢力に利用されている」として政府に抗議しないよう要求した文章に対する批判。
 
连岳 @ 2008-6-8 14:56:25

对于一个从来以缺服人的人
余秋雨表现得像个余秋雨的时候
为什么大家要那么生气?
从早先的:良宇,我说的就是这个名字
到今天的含泪劝告请愿灾民
以余先生足以叱咤数个时代风云的精明
这样一个精算师,他知道大众会厌恶他的文章
他自然更知道谁会喜欢他的文章
他在意的是喜欢他的人,
余秋雨证明这些人需要他拥抱取暖
这不正是余秋雨的价值吗?
他不出来吃请愿灾民的人血馒头
才是失职

出典:http://www.bullog.cn/blogs/lianyue/archives/145500.aspx

余秋雨の当該文章
http://blog.sina.com.cn/s/blog_46e94efe01009iom.html


李剣虹(小喬):世界新聞協会第61回大会における挨拶

2008-06-08 19:57:22 | Weblog
スウェーデンのイエーテボリで開かれた世界新聞協会の第61回世界新聞大会において、獄中にある李長青に世界新聞協会から金ペン自由賞が送られた。その授賞式に代理として出席した李剣虹(小喬)の挨拶文。なお、李長青の家族はこの授賞式に出席しようとして中国当局に出国を阻まれた。
 
李剑虹在世界报业协会第61届年会上的致辞
文章来源:独立笔会  

谢谢世界报业协会连续两年将自由金笔奖颁发给中国为捍卫新闻自由而陷狱的记者,这是对中国人民追求新闻、言论自由事业的巨大支持。李长青、师涛是我的校友,我们毕业于同一所大学——上海华东师范大学,为此我深感荣幸。我在大学里就与师涛结识,在熟悉、了解师涛的亲人和朋友眼里,师涛为人真诚率性,有着一颗孩子般单纯、透明的心,是一位才华横溢、正直敢言、乐观向上和乐于助人的优秀青年,他坚执理想主义信念和思考,二十年一路走来始终如一,是在中国89运动中成长起来的一代优秀青年学子中的代表人物。作为诗人,他的诗作意向隽永、意境深远;作为记者,在这个一向视真话为敌的国度,他始终坚守着一个新闻人的职责和良知。为了向海外同道示警以使他们免于牢狱之灾,四年前六四十五周年之际,师涛将他所工作的报社内部传达的一份文件纪要转发给海外网站,并因此陷狱。

2005年夏天,在师涛被以“非法为境外提供国家秘密”罪名重判10年后不久,我曾去离他关押地不远、他的母亲高琴声女士为方便探监暂住的湖南省长沙市探望高女士,试图给予力所能及的帮助和安慰。但我发觉自己所能做的实在很有限。去年初,我再次去了湖南长沙看望高女士,并陪同她前往师涛当时被关押的赤山监狱探监。在转了两次车,经过两个多小时的奔波后,我们来到赤山监狱所在地。简单吃了午饭,我们即去向监狱管理方申请会见师涛。我以师涛妹妹的身份申请会见,侥幸与师涛母亲高女士一同获得批准。在监狱会见室,我们见到了师涛。他精神尚好,我们隔着玻璃窗用电话机对话,师涛身旁一直有警员贴身监控,且对话被录音,因此我们无法敞开交流。我转达了外面朋友对他的惦念和声援,请他多多保重身体,不要担心他的母亲,我们外面的朋友会照顾老人家的。师涛表示感谢外界朋友对他和他全家的关心,并叮嘱我说:“世道险恶,善自珍重!”

当时师涛获得报业协会2007年度“自由金笔奖”的消息公布不久,我们也寻机转告了他这个好消息,师涛非常激动!请我们转达对西方民主社会对中国人民的支持表示真诚感谢。会见持续了半小时,由于使用电话机只能一人与师涛对话,因此大部分时间里我还是请他们母子多交流。

去年中,师涛调转至湖南省常市山监狱关押。如今他系狱已将近4年,还将面临着6年多漫长的监禁。我相信师涛完全是无辜的,他唯一的“罪名”,就是坚守一个新闻工作者的良知和职守,是他比我们“沉默的大多数”有着更为敏感的责任心和道感。在一个至今充斥着谎言的国度,他以孩子般的纯真,拒绝同流合污,承担起时代的重轭,承担起我们同代人共同的罪责。他与年迈母亲所承受的苦难,是我们整个民族苦难的缩影。为了争取大多数人免于恐惧的自由,师涛失去了宝贵的人身自由。为此我呼吁更多的人关注师涛和同他一样为了追求自由表达而陷狱的中国新闻工作者和作家。根据独立中文笔会狱中作家委员会的统计,至少尚有40位新闻工作者和作家仍被关押在中国的监狱里。我也希望中国当局能兑现当初申办奥运时对世界的国家承诺,在举办奥运体育盛会之际,释放系狱的记者、作家,以重塑一个更加文明、负责的大国形象,与奥运东道国的身份相匹配。

最后,请与会的各位和我一起,向20天前中国四川大地震中的遇难者表达哀思!向19年前揭开共产主义在全球崩塌序幕的伟大的天安门民主运动的殉难者表达哀思!谢谢大家!

2008年6月2日于瑞典哥堡

(独立中文笔会转发)

転載:アムネスティ講演会

2008-06-08 18:01:05 | Weblog
守られない五輪の約束 弾圧される中国人ジャーナリストたち

と き: 6月21日(土) 午後2時半開演(午後2時開場)~午後5時終了予定
ところ: ハーモニック・ホール 新宿区西新宿7-21-20関交協ビル地下1階 (地図)
参加費: 一般1000円/学生500円(定員140名・要予約) (当日参加も可能ですが、予約の方が優先になります)
スピーカー: 張裕(ちょうゆう)氏(独立中国ペンクラブ獄中作家委員会事務局長) (講演/Q&Aを交えての対談/逐次通訳有)

◆ご予約は:
アムネスティ・インターナショナル日本
E-mail:camp@amnesty.or.jp または 電話:03-3518-6777

中国のインターネット検閲と報道の自由の現状を語る!
オリンピックに向けて人権状況を改善するという中国政府の公約がかすれつつあります。中国の人権問題や政治批判の記事やエッセイを配信したジャーナリストや活動家は、「国家転覆扇動」などの容疑で拘束され、有罪判決を受けて投獄されています。規制緩和されたはずの海外ジャーナリストも、暴行や見せしめ的な拘禁、フィルムの没収など取材に対する嫌がらせを受けています。ここ数カ月の間にはインターネットの検閲が強化され、HIV/エイズのニュースを配信するサイトが閉鎖されました。オリンピック開催中の「安定」と「調和」のイメージを打ち出すために、報道や人権活動家への締め付けはより厳しくなっているのです。

今回アムネスティは、独立中国ペンクラブ獄中作家委員会の張裕事務局長をお招きしました。Yahoo!が中国当局へ個人情報を提供したことによって逮捕され、10年の懲役刑を受けたジャーナリスト・師濤さんにスポットをあて、中国のジャーナリストや作家、活動家への弾圧についてお話していただきます。

張裕[ちょうゆう、Zhang Yu]博士 プロフォール
1952年、中国・湖北省武漢に生まれる。1989年の天安門事件を受け、「スウェーデンで6月4日の運動を支援する会」を結成。1999年に月刊誌『Tong Xun』(後に『Nordic Chinese Communication』)の編集部に加わり、2002年に主任編集者となる。同年、国際ペンクラブに加盟する独立中国ペンクラブ(ICPC)に加入し、2005年11月から現在まで獄中作家委員会の事務局長を務めている。2007年2月以来、中国本土へは入国もトランジットも拒否されている。去る4月下旬には、香港での聖火リレーで平和的抗議行動に参加しようとして入国拒否された。スウェーデン在住。

出典:http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1676