思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

7月8日

2006-07-08 16:58:04 | Weblog

旌旗网上书店に注文していた周作人著『知堂回想録』(河北教育出版社)が到着した。船便で1ヶ月以上かかった。それでも、アマゾンと提携しているjoyo.comには在庫がなかったので、ありがたい。書籍代は8掛けで31.12元、送料46.68元。計77.8元也。

こうなると定価の5倍で売っている日本の中国書籍専門店は苦しいだろう。価格の適正化に加えて、中国書籍だけでなく、台湾、香港の関連書もそろうような総合化をしないと対抗できないだろうと思う。


遇羅克:出身論(上)

2006-07-04 20:30:03 | 中国異論派選訳

編者まえがき:
 現在、北京市の中高生運動はどこも息絶え絶えの状況である。造反派は十分に努力しているが、大衆は立ち上がらず、ブルジョア反動路線は依然として猖獗を極めている。このような現象は、多くの同志の疑問を招いている。一体何がブルジョア反動路線に対する批判をいまだにかくも力強く阻んでいるのか?と。
 我々は、他でもなく、社会に広く市場をもつ唯出身論こそが原因だと考える。
 かつて、各中学高校で一般に行われたブルジョア反動路線は、その根っこは他でもなく、反動的な唯出身論であった。
 反動的な唯出身論は、ブルジョア形而上学の哲学のゴミの山の中からその理論的根拠を探し出し、学生を多くの等級に分け、社会主義制度の下で再び偽装され隠された特権階級と、反動的カースト制度を形成し、人と人の間に新しい圧迫を持ち込もうとしている。反動的唯出身論こそが、一部の青年学生に「生まれつき赤い(思想がよい)」という荷物を負わせ、自分を先天的な革命者と思い込ませ、その実修正主義の苗を育てているにすぎない。反動的唯出身論こそが、もう一方の青年学生に強烈な劣等感を植付け、彼らに将来を放棄させ、国家の前途・世界の前途に対して負うべき責任を放棄させている。そして、それこそが、多くのブルジョア反動路線に欺かれた同志たちを誤らせ続けている。罪深いそれこそが、多くの同志をいまだにブルジョア反動路線の前で恐れおののかせている!
 同志諸君、このように憎むべきものを打倒しないで、どうしてブルジョア反動路線を批判できようか?打倒せずして、どこで千百万プロレタリアートの後継者を養成することができようか?打倒しなければ、中国の色は変わって(訳注:反動化して)しまうだろう!
 全市の革命的造反派諸君、諸君はブルジョア反動路線の猛り狂った反攻を退けたいのだろう?諸君は千万の大衆とともに戦いたいのだろう?ならば、諸君は巨大な波涛を巻き起こし、徹底的に反動的唯出身論の堤防を決壊させなくてはならない!その日には、千百万の大衆が彼らを縛っていた一切を断ち切り、諸君と一緒になって抑えがたい力を生み出すであろう。そしてその日にのみ、ブルジョア反動路線は始めて徹底的に墓場に葬り去られ、中国の色は永遠に赤く染まるのだ。
 「北京家庭出身問題研究グループ」が発表した『出身論』は、社会に強烈な反響を呼び起こした。我々は言う、本当にすばらしものが出た!これは反動的唯出身論の破産と、プロレタリア革命路線の偉大な勝利を宣告している。
 『出身論』は社会の古い観念の呪縛を打ち破り、未だ強大な勢力を誇る反動的唯出身論に勇敢に宣戦を布告している。この革命的造反精神はすばらしい!
 『出身論』の出現は、一部の人からは大毒草とみなされるだろうが、それがどうしたというのか?マルクス主義も最初は毒草とみなされたのに、今では世界人民の指導思想となっているではないか。真理は謬論との闘争の中で初めて発展し、初めて多くの大衆から受け入れられる。反動的唯出身論はいまだに強大に見えるが、その反動的本質によってそれが腐った張子の虎でしかないことが決定付けられている。革命的『出身論』は今日はまだ火花にすぎないが、明日は必ずや燎原を燃やす炎となるであろうことを我々は確信する。
 同時に我々は、筆者の毛沢東思想理解のレベルに限界があるために、また、社会調査が十分でないために、『出身論』には少なからぬ欠点と不完全なところがあると考えている。我々は、幅広い革命的同志が毛沢東思想という偉大な武器でこれを衡量することを熱望し、同志諸君が『出身論』に批判を寄せてくれることを心より歓迎する。

 家庭の出身問題は長期にわたって深刻な社会問題である。
 この問題は関係する範囲が広い。もし、地主、富農、反革命、悪質、右派の各分子が全国人口の5%を占めるとすると、彼らの子女とその近親者はこの数字の何倍にもなる(そのなかには、まだ資本家、経歴灰色分子、高級知識分子の子女は含んでいないし、もちろん職員、富裕な中農、中農階級の子女は含んでいない)。すぐに分かることだが、紅五類でない出身の青年は非常に大勢いる。中国は遅れた国家であるから、解放前にはわずか200万人あまりの産業労働者しかいなかった。だから、プロレタリア階級家庭の血統の生まれの人は多くない。こんなにも多くの出身が悪い青年たちが普通軍隊に参加できず、重要な仕事につくこともできない。個々の事業所では、彼ら(非紅五類)が絶対的多数をしめる。
 形は「左」で実際は右の反動路線の影響で、彼らは往々にして平等な政治的待遇を与えられない。とりわけ、いわゆる黒七類出身の青年、すなわち「イヌコロ」は、準独裁対象となっており、彼らは先天的な「罪人」である。反動路線の影響で、出身はほとんどすべてを決定することとなった。出身が悪ければ、人より一等低いだけでなく、自己の家庭に反抗し、党中央を擁護し、毛主席を擁護し、紅衛兵に参加する権利を奪われる。この間に、どれだけの無実の青年が、唯出身論の深みにおぼれ、非業の死を遂げたことか。このような深刻な問題に直面すれば、国家の命運に関心を寄せる人は、正視しないわけにはいかず、研究しないわけにはいかない。冷静なようでいて、完全に折衷主義的な観点は、実際には冷酷かつ虚偽である。我々は暴露し、批判し、立ち上がって毛主席の革命路線を守らないわけにはいかない。以下に、我々は毛主席の著作と社会的実践の中で見つけ出した答案を、三つの問題に分けて述べる。

一、社会の影響と家庭の影響の問題

 まず、広く害毒を撒き散らしている対聯から始めよう。
 「親父が英雄なら息子は豪傑、親父が反動なら息子は馬鹿者、基本はかくの如し」。
 この対聯の議論の過程は、出身のよくない青年に対する侮辱の過程である。なぜなら、このような議論は最良の結論でも、彼らが馬鹿者でないというにすぎないのだから。始めのころはあえて正面から反論するものは少なかったし、たとえあったとしても、決まり悪そうなものだった。実はこの対聯の上半分は封建社会の山賊であった竇爾敦(ドウアルドゥン)から借りてきたものだ。ドウアルドゥンを批判するのにどれだけの勇気がいるというのだ?ある人はこの対聯はよい作用も発揮したという。本当だろうか?毛主席は、いかなる真理も人民の利益に合致し、いかなる誤りも人民の利益に合致しないと言っている。この対聯がよい作用を発揮したのかどうかは、それが真理かどうか――毛沢東思想に合致するのかどうかを見なくてはならない。
 この対聯は真理ではなく、絶対に誤りである。
 その誤りは、家庭の影響が社会の影響を上回るとみなし、社会の影響の決定的な作用を見逃していることにある。つまるところ、それは親父の影響のみを認め、親父がすべてを上回るとみなしているのだ。
 実践は、それと全く逆の結論を導いている。社会の影響がはるかに家庭の影響を上回り、家庭の影響は社会の影響に従っている。子供は生まれるとすぐに二種類の影響を受けはじめる。少し大きくなって学校の門をくぐると、先生の話は父母の話よりも権威があり、集団で教育を受けるほうが単独で教育を受けるよりも共鳴度が強く、学校にいる時間は家にいる時間よりも長く、共産党の雨露と毛沢東思想の陽光が新しい若芽を潤すので、社会の影響が主流となる。
 友人間の切磋琢磨、リーダーの指導、新聞、書籍、文学、芸術の宣伝、習俗の影響、仕事の陶冶などなど、どれも個人に消すことのできない影響を与える。これらを総称して社会の影響という。これらはいずれも家庭の影響が対抗しようもないものだ。
 家庭の影響もまた、社会の影響の一部である。個人にとって家庭の影響がよいか悪いかは、機械的に親父がどうかによって決められるものではない。英雄の親父と反動の母親だったら、影響は必ずしもよいとは限らない。父母がともに英雄であっても、子女が放任されたら、時にはもっとひどいことになる。父母の思想がよくても、教育方法が簡単粗雑であれば、やはり逆効果となる。同様に、親父が悪くても、家庭の影響は必ずしも悪いとは限らない。レーニンはその例証である。つまり、個人の家庭の影響のよしあしは、機械的に出身で判断することはできない。出身は家庭の影響の参考にしかすぎない。
 総じて言えば、我々の社会の影響はよいものだ。なぜなら、我々の社会制度は比類なく優れていて、我々の共産党は一貫して政治を突出させ、若い世代の成長を最も重視しており、我々絶対多数の人民は新社会を熱愛しているからだ。もちろん、我々も階級闘争の複雑性と尖鋭性を無視することはできず、我々がまだ小ブルジョアジーの大海の中にいることを無視することはできない。我々の文化教育制度は徹底的な改革を必要としている。時には社会の影響もまたすべてよいわけではない。いかなる出身の青年であろうと、社会の悪い影響を受ければ、普通はこの種の悪い影響に従い、いろいろな誤りを犯す。しかし、適切に教え導きさえすれば、彼はすぐに古いものを捨て、正しい立場に戻ってくる。したがって、故意に青年に歴史の重荷を背負わせることも、故意に青年に家庭の重荷を背負わせることも、どちらも誤った路線であり、残酷な行為である。社会の影響は比類なく強大であるが、すべてがよいとは限らないので、どのような出身の青年でも思想改造を放棄することは、誤りである。思想改造について言えば、出身のよい青年は出身の悪い青年と比べていかなる優越性もない。
 家庭の影響にしても、社会の影響にしても、いずれも外部要因である。影響を強調しすぎることは、主体性を承認しない機械論の表現である。人は自らの進む方向を選択できる。なぜなら真理はより大きく、より訴求力を持っているからである。君は本当にマルクスレーニン主義を比類なく正しいと信じているか?毛沢東思想を不敗の思想的武器と信じているか?内部要因が決定的な作用を発揮すると信じているか?それならば、君は親父の影響が何よりも大きいと信ずるべきではない。そうでなければ、君の思想が極限まで混乱していることを表明するものでしかない。

二、重要なのは表現(訳注:大躍進後の3年人災後に共産党が出した懐柔策:「成分は考慮するが、唯成分論ではなく、重要なのは表現である」)の問題

 もしも、君が社会の影響は家庭の影響よりも大きいということに反論できなければ、また現在の社会ではよい影響が主流であることに反論できなければ、また出身と家庭の影響の間には必然的な関係がないということに賛成せざるをえないのであれば、我々は一緒に「重要なのは表現」ということについてのいくつかの問題について一緒に検討しよう。
 プロレタリア文化大革命の初期には、多くの人は「重要なのは表現」とは修正主義の観点であるといっていた。後にこれが毛主席が提起したものだということを聞いて、急いで主張を改めた。このことから彼らはこの政策について全く理解していないことがわかる。彼らにこの政策について解説させたら、歪曲されること必定である。紙幅の関係で、3種類の解説についてのみ、毛沢東思想に適合するか否かを検討する。

1、出身と成分はまったく異なる
 官許のような顔をした同志は出身の悪い青年に対して常々次のように語っている。「第1に我々は成分論であるが、第2に唯成分論ではなく、第三に重要なのは政治的表現であり、……」。原注:『出身論』を発表したばかりのころ、我々はやむなくこのように書いた。1966年7月共産主義青年団中央委員会第九期中央委員会全体会議の席でこの演説をした李雪峰とその仲間たちは、いまではとんでもないブルジョア反動路線の代表人物になっていることを我々は知っている。
 これは対象を見ていない。
 江青同志はこの言葉を解説したことがある。彼女は、これは自分の階級に背いた個別分子についていっているのだという。江青同志の解説はどういう意味か?例を上げれば、エンゲルス自身は資本家であるが、彼は自分の階級に背いて、共産主義の第一代の公民となり、労働者階級の傑出したリーダーとなった。パリコミューンにおいてもブルジョア階級の委員がいたが、彼らは労働者階級コミューンの代表であった。わが国の革命期にも同じような例がある。我々は彼らの成分が悪いからと彼らの歴史的功績を抹消することができるだろうか?できない!我々は政治的表現を重視しなければならない。これがすなわち「不唯成分論」である。我々は逆の状況でもこの公式を採用できると考える。成分は炭鉱労働者であっても、プロレタリアートに背き、革命に背いた者は、やはり表現を重視しなければならず、彼の罪を軽くすべきいかなる理由もない。小さなことで言えば、李鼎銘(リーディンミン)は地主分子だったが、抗日戦争時期に共産党支配地区政府に出した「精兵簡政」の提案を、毛沢東は賞賛して「どんな人であれ、……おまえの言うやり方は人民に利益になるから、おまえの言うとおりにやろう」。これこそ人の発言をその人物によって判断せず、また不唯成分論の具体的表現でもある。

 出身と成分はまったく異なるものである。親父の成分は息子の出身である。もしも、封建社会の家庭であったならば、子が父の仕事を継ぐのが一般的であろう。しかし、資本主義社会になれば、必ずしもそうではなくなる。家庭の紐帯はすでに緩んでおり、若い世代は社会の所有となる。そして、社会主義社会においては、普通の青少年はプロレタリアート教育を受け、プロレタリアート事業のために勤務する準備をする。それなのに息子と親父を一緒くたにするのでは、あまりにも「潮流」にあわない。
 毛主席は1939年に書いた『中国革命と中国共産党』の中で、当時の知識分子は小ブルジョア階級のカテゴリーに入ると述べている。そこでは分類分けをしているのではなく、ある階級出身の知識分子をその範疇に帰属させているのである。
 毛主席は1957年に書いた『人民内部の矛盾を正確に処理する問題について』の中で、「我々の大学生は、その多くが非労働人民家庭出身の子女であるが、わずかの例外を除いて、みな愛国的で、社会主義を擁護している……」と述べているが、これもまたひとつの例証である。
 このことからも分かるように、同一の家庭の成員が同一の階級の成員とは限らない。この点は階級の敵もはっきりと知っている。たとえば、運動期間の北京中級人民法院のある判決書には次のように書かれている。ある反革命富農分子は、3人の息子が彼を検挙したので、夜間に彼らを殺傷した。またあるビラによると、市内某公社工場の共産党書記……変節分子は、自殺する前に、自分の子供を溺死させた。彼は遺言の中で、子供は大きくなっても自分の仇をとってくれることはできないと書いていた。
 出身と成分は同列に論じることはできない。次の会話は非常に味わい深い。甲(学生):「君の出身は何だ?」。乙:君は?。甲:「僕は紅五類だ。僕の父は労働者だ」。乙:「だったら僕の方が強い。僕は労働者だ」。
 もしも唯成分論に道理がないなら、唯出身論がなぜ存在できようか?
 一部の人は、毛主席の言葉を引用して反論する。「階級社会においては誰もがある階級的地位を持って生活しており、各種の思想はどれひとつとして階級の烙印の押されていないものはない」。これは世界中どこでも通用する真理だ。地主、資本家は長年にわたって搾取階級の地位の中で生活しているので、彼らの思想はいずれも搾取階級の烙印が押されている。よって、彼らは人間として生き直さなければならならず、換骨奪胎的な改造を経なければならない。これが我々の「有成分論」の根拠である。しかし、彼らの子女については、このように見ることはできない。とりわけ、新社会で育った青年について、搾取階級の地位の中で生活しているといえるだろうか?世界のどこに搾取しない搾取階級があろうか?そんなものはない。個人の思想に烙印を押すのは、家庭でだけはなく、より重要なのは社会である。今日の社会は毛沢東思想の大きな学校である。青年の階級的地位は、労働者になるための準備か、すでに労働者となっているかである。そんな時に彼らに対して「成分」を強調するのは、彼らを敵対階級に追いやるものでしかない。
 我々は出身と成分の間の混同してはならない。その境界をしっかりと弁別しなければならない。この境界を抹消するものは、見た目は非常に「左」であっても、実際には階級の境界を抹消するものだ。

2、出身と表現の関係は非常に小さい
 そこで、官許派の同志は成分を語らない。彼らは、「我々は出身と、表現(すなわち政治的表現)を見る」という。
 これは、「出身すなわち成分論」の焼き直しである。両者を比べれば五十歩百歩であり、たいした違いはない。
 出身は死んだものであり、表現は生きている。死んだ基準と生きた基準で同時に人を計って、同じ結論を出せるだろうか?
 我々が本文の第一の問題ですでに分析したように、出身は家庭の影響の一要素であり、家庭の影響は表現の一要素、かつ副次的な要素である。社会の影響こそが表現の主要な要素である。よって、出身と表現はまったく同一性がない。個人の受けた影響がよいか悪いかは、実践の中でのみ検証できる。ここでいう実践とは、個人の政治的表現のことである。表現がよければ、影響はよく、表現が悪ければ、影響は悪いのだ。このことと出身とは全く関係がない。
 一歩譲って、我々が出身も、表現も見なければならないとしよう。では、出身が悪くて表現がよい場合、その人の成績を抹消できるだろうか?出身がよくて、表現が悪い場合、その人の欠点を隠すことができるだろうか?出身が悪くて、表現が悪い場合、罪を一等重くすべきだろうか?出身がよく、表現もよい場合、その優れた点を誇張すべきだろうか。そのようにすることに道理があると思うかね?
 「出身も見て、表現も見る」とは、実際には「出身だけを見て、表現を見ない」泥沼にはまってしまうことである。出身はとても簡単に見ることができる。個人ファイルをめくれば、それで分かってしまう。あるいは、街角ではじめて会った人に、「君の出身は何だ?」と聞けばそれですべて分かってしまう。本当に簡単で面倒がない。表現を見るのは本当に面倒だ。とりわけ訳のわからない懐疑派は、絶対に君の普段の表現を信じず、非常時における表現も信じない。君の過去の表現を疑い、君の今の表現も疑い、そして君の将来の表現を疑おうとする。そして君が死んでしまって、棺おけのふたを閉じてやっと結論を出すのだ。ついに彼らも疑うことに飽きるというわけだ。もしも、出身を見るならば、2秒で大問題が解決する。また、表現というものは、人によって固定した基準がない。おべっか使いの人にとっては、お世辞が最良の表現であり、偽善的な人にとっては堅苦しい挨拶が最良の表現であり、間違った路線をとる人にとっては、出身の悪い青年が一日中自分の経験を越える懺悔をすることが最良の表現である。出身と比べることができようか?出身を見るなら、「親父が英雄なら息子は豪傑、親父が反動なら息子は馬鹿者、基本はかくの如し」ただこの三言ですべてが解決してしまう。
 毛主席が我々にどう教えているかを見てみよう。毛主席は「革命の、あるいは不革命の、あるいは反革命の知識分子の最後の境界線は、労農民衆と結合することを望み、それを実行するかどうかを見ることである。これは基準であり、私が思うに唯一の基準である」。この基準は出身だろうか?
 毛主席が提起した革命の継承者の5項目の条件の中に、出身という項目はあっただろうか?
 十六条(訳注:『中国共産党中央委員会のプロレタリアート文化大革命に関する決定』1966年8月8日)の第5条は「共産党の階級路線を断固として執行する」であり、誰に依拠するか、誰と団結するか、誰に反対するかについては言及しているが、どこで出身を根拠としているというのだ?
 革命左派の3つの基準に、出身という基準はあるだろうか?全くない!出身の良し悪しと、革命的か否かにどんな関係があるというのか?出身が悪くても、同じように革命左派になることはできるし、プロレタリアート事業の後継者になることはできるし、革命の依拠対象となることもできるのだ。
 『出身論』が張り出されたばかりのころ、この言葉の横に「大毒草」とか「でたらめ言うな」などの言葉がたくさん書かれ、譚力夫(訳注:「親父が云々」の対聯の創作者。現在は北京故宮博物院共産党委員会書記。改名して譚斌と名乗っている)などのやからの安っぽい憤慨を発散させた。彼らには眼がある。これこそが『出身論』の主題だからである。しかし、歴史は畢竟無情なものだ。今では多くの紅衛兵組織がこの言葉を引用して組織綱領としている。ある紅衛兵組織の宣言には、「過去の紅衛兵組織はいわゆる紅五類子女だけの参加を許していたが、これは毛沢東思想に合致しないので、我々はそれをひっくり返さなければならない」。これら組織の大胆で恐れを知らない行動に対して、我々は革命的敬意を表する。
 表現の前では、すべての青年がみな平等である。出身の悪い青年は他人が恵んでくれた団結を必要とせず、他人の同調者にしかなれないということもない。誰が中堅か?生まれでは決定できない。個人の努力によってはえられないいかなる権利も我々は承認しない。革命の最も断固とした人は、表現の最も優秀な人である。だれも、王傑の輝きは雷鋒に及ばないとはいえない(訳注:王傑は農民出身、雷鋒は貧農出身。どちらも死後共産党員の模範とされた)。
 表現についてどう見るかについて思い出すのは、古代の思想家の寓言である。彼は千里馬はよくいるが、千里馬を見出す伯楽はめったにいないといった。普通の人が馬を見るときは、母馬、外形、産地、値段などからその馬のよしあしを判断するが、馬を走らせて試すことを忘れている。昼間に千里を走り、夜に八百里を走ることができるかどうかを見ることで、千里馬かどうかを見分けることができるのに。今の人々も同じではないか?彼らは、出身とか、社会関係といった死んだ材料にだけ注目して、本当に根拠とすることのできる表現を忘れている。長い間には、千里馬を無駄にするだけでなく、普通の馬までが「イヌコロ」になってしまうだろう。
 われわれは出身と表現の位置を正確に決めなくてはならない。ある青年が革命的か否かにとって、出身は基準とならず、表現だけが唯一の基準となる。君たちが本当に出身がよければ表現もよいと考えているのならば、表現の上で出身の悪い同志を越えればいい。表現がひどい人だけが出身という旗を虎の皮代わりにかぶって威嚇し、親父を商標とし、人に受け入れさせようとする。例えば、頑固に反動路線を堅持し、毛主席の著作を学ばず用いないなどなどというよに、君が表現が悪ければ、例え紅五類の中の前三類(革命幹部、革命軍人、革命烈士)であっても、全く役に立たないのだ。
 出身、社会関係などは参考程度になるに過ぎない。一人の青年の政治的表現をはっきりと理解すれば、それらは参考としての価値もなくなる。
漢語原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/
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出身論(下)

鄭若思:CCTVの反日種族主義デマゴーグ水均益(2)

2006-07-04 10:54:42 | Weblog

    只要看一看近二十年来中国综合国力的强是因为闭关锁国、夜郎自大,还是由于改革开放、引进外资和先进技术,就能得知水均益的荒谬。邓小平说“发展才是硬道理”,就是因为他看到了向先进工业国学习、强国力才是保证国家安全的根本,而自称爱国的那些口水大王却在重复着晚清遗老的思维轨迹,我们不妨回想十九世纪到二十世纪,帝国主义列强长驱直入侵略中国,难道是因为中国的大门关得不严?或是因合伙修铁路被敌人窃取了重要情报?

    既然水均益自称“在日本呆了一年”,摆出“日本通”的姿态,那他该知道日本的间谍卫星技术已经达到何等精密的程度(这在日本已是公开的资讯),日本若真想要获取中国的地质情报,还用得着绕新干线的大弯子吗?

    水均益和多数爱国网民不同之处,还在于他善于“剪裁”中日两国的民调结果来证明自己的观点。请看:“刚才正在看日本NHK电视台的一则调查,日本支持海外永驻式派兵的民众,在1990年,只有18%,但今年是46%,另有31%的民众认为不支持但也不反对,11%的民众认识(应为认为)亚洲国家会反对,可能会影响日本经济和国家关系,觉得有些不妥和害怕。只有12%的人明确反对。这是怎样的转变?我不必多说。”(《高》文)

    笔者查阅了NHK的有关记录,得知这次调查的内容是针对“海外派兵”的永久性立法,而非“永驻式派兵”。因为受到《日本国宪法》的制约,日本战后几次派自卫队参加联合国维和行动都要国会临时讨论、制定法令才能获得法律依据,所以近年来日本政坛的保守派一直想将海外派兵法制化、常规化。但是这与“来了就不走”的永久驻军根本是两个概念。水均益是由于日语不过关闹出此等误会,还是蓄意偷换概念,只有他自己心里清楚。

    把日本国内一小部份右翼份子等同于大多数日本民众;把右翼的极端言论等同于日本整体的民意,是水均益网文的第二个特点。为了证明日本人的“丑陋”,水均益使用了中国国内调查的结果。“一九九七年是中日邦交正常化二十五周年。这一年的年初,《中国青年报》做了一次名为“中国青年眼里的日本”的大型读者调查。调查的结果是触目惊心的。在被调查的十万多青年读者中,有百分之八十三点九的读者认为“日本”两字最容易使他们想到的是“南京大屠杀” ,这在多达十五个选择中位居榜首。被问到“你心目中的日本人是什么样”的时候,最高一项选择的是“残忍”,占百分之五十六。”

    且不说用中方的民调来证明日本今天的民意是否客观公正,既然水均益喜欢引用民调,笔者也愿意向各位网友介绍一下NHK于2000年5月公布的民调结果。日本国民中承认当年的战争是侵略战争的比例为51%,不承认是侵略战争的人只有15%。还有一个实际的数字,就是2001年通过了文部省检定的代表右翼史观的扶桑社版教科书(这是通过检定的八种教科书中的一种),在日本全国的中学里,采用率不及百分之一,之所以如此,是由于各地教员工会和学生家长团体自发组织了抵制右翼教科书的请愿运动,使篡改历史的右翼学者惨遭失败。

    笔者还可再举一个例子。2003年4月,南京大屠杀过程中“百人斩”一案的两名战犯的遗属状告揭露此事的日本作家本多胜一,其中战犯向井敏明的女儿向传媒诉苦说,由于本多“污蔑”了她的父亲,不仅丈夫以她是“杀人犯的女儿”为由离婚,周围的人也对自己冷眼相看。假如日本的一般民众像水均益描述的那样认同右翼的主张,战犯应该被视为英雄,他的女儿应该受到格外尊重和爱戴才对,何至于受到如此冷遇呢?

    水均益如果还有一个新闻工作者起码的专业人格,他完全可以通过与央视有多年合作关系的NHK获取有关资料,得出接近事实的结论。何况,中国大学生的日本观与日本的实际情况反差如此之大,正说明中国媒体在报道日本的问题上存在偏颇,需要改进。但是他不屑于这样做,原因就在于他写文章使用的是演绎法,不是在分析归纳客观事实的基础上得出结论,而是用歪曲事实的低劣手法来证明他的预设立场。央视的名牌节目《焦点访谈》标榜“用事实说话”,而凭主持这个节目成名的水均益偏偏反其道而行之,真是一个绝妙的讽刺。

    水均益还作出一付权威新闻评论员的姿态,称“日本天皇在日本国民心中的神圣性无法改变,日本右翼民间团队越来越受到日本国民的"理解",日本各大政党中右翼势力的崛起,是推动海外派兵和有事法案的原动力。”(《高》文) 众所周知,当今的日皇只是日本的国家象征,并不掌握任何政治权力,不参与任何政策制定,也不可为政治势力利用,与战前大权总揽的昭和天皇有着极大的区别。现任天皇明仁从皇太子时代起至今从未涉足靖国神社,便是一个例证。在日本青年一代眼里,皇室虽然应该受到尊重,但并不是崇拜的对象。尽管右翼分子宣传其主张时要兜售“皇国史观”,但是说天皇本人支持了右翼分子或是推动了海外派兵,是毫无依据的。水均益说日本右翼民间团队受到日本国民“理解”,不知有何依据。最近一个号称“建国义勇军”的右翼团体因涉嫌暴力恐吓不同政见者而遭到警方一网打尽,所有主流传媒无论左中右一致叫好,并揭露该右翼团体与一名国会议员的关系,这也算是右翼受到日本国民“理解”吗?

    以偏概全、泛政治化地解读水均益个人与日本人交往中发生的不愉快,是水均益文章的第三个特点。在他的眼里,成田机场某女职员和大阪某出租车司机的无礼,都证明了日本民族的傲慢和劣等(《日》文),在此且不论他在谈及这两件事时有无夸张和虚构,以及是否像前文所述的那样,为了证明自己正确剪裁了事情的经过,单是以两个人的言行来涵盖一个民族,在逻辑上就是站不住脚的。作家韩少功曾作过这样的比喻:“一个作恶的外国人,可能同时是一个男人,一个高个子,一个B型血者,为什么我们不会因此而迁怒和连坐所有的男人、高个子、B型血者,却独独要求所有的外国人为个别人的恶行承担罪责?”(《超越民族》,《环球时报》2004年1月2日号,第15版)中国媒体经常披露,中国的航空公司误点和取消班次时慢待旅客,工作人员还强词夺理;中国的出租车司机宰客或是拒载,如果这也成为中国人“劣等”的理由,水均益肯定是不会答应的。既然中国人反对外国人因为个别同胞的恶行而歧视和诬蔑中华民族,那么己所不欲,勿施于人应该是起码的道准绳。对人对己采取双重标准,才是真正的狭隘和丑陋。

     可惜,水均益的双重标准在他的网文中暴露无遗。日本人把英语当必修课和参加“西方七国集团”都是崇洋媚外,是蔑视亚洲国家的表现,那么请问中国的中小学把英语当必修课,还有水均益本人大学选择英语专业、中国青年漏夜排队考托福、雅思算不算崇洋媚外?作为国际记者的水均益应该知道“西方七国集团”中的“西方”不是地理概念,而意味着“主要发达工业国”,日本参加该组织是由于其经济大国的地位。照水均益的逻辑,中国加入世贸组织是否也是崇洋媚外、不屑于和第三世界的穷哥们为伍?

     水均益网文中的逻辑错误,不需要高深的知识就能发现,但是由于其煽动性更加引人注目,逻辑的疏漏往往会被忽视。水作为拥有数亿观众的央视主持人,他的网文即使只代表他的个人观点,也不可避免地处在职业造就的话语霸权延长线上,他关于日本的种种描述和评论,对于了解事实真相的人来说漏洞百出,而对于本来就对日本现状缺乏了解的绝大多数网民来说,却是既刺激又解渴,与那些匿名文章相比,具有更大的“权威性”和煽动性。 水均益对日本有极大的反感,当然有权利来表达他个人的感受,我们也必须尊重和捍卫他表达意见的自由。不过,表达感受和以爱国的名义煽动仇外主义是两个概念。水均益曾经到当今世界上民族矛盾最激烈的中东和波采访,他亲眼目睹过民族仇视和冲突造成的灾难,理应比我们这些天天生活在和平之中的人更懂得这样的道理:一个睿智的民族只有把理性化解民族矛盾当作文明责任,才会为自身迎来光明的未来,排外只会阻碍自身发展,复仇只会把自己推向毁灭的边缘。假如亲历中东和波的硝烟的水均益能够冷静地总结这些悲剧,把理性的思考带给中国观众,那一定比给萨达姆、阿拉法特和米洛舍维奇涂脂抹粉有益于中华民族。

     水均益曾经发表过一篇揭露深圳野生动物园残害珍稀动物的文章,吹嘘他如何动员《焦点访谈》的摄制人员,将少数利令智昏的经营者拉到镜头下曝光。水均益称深圳野生动物园是个“动物的奥斯维辛集中营”,将残害珍稀动物者形容为纳粹分子,那份对动物的爱心很让人感动,从中也可以看到水均益对纳粹是很痛恨的。可是,当水均益在《日》文中写下“谁把日本给‘灭’了,谁就马上会成为中华民族的英雄”,并在文章末尾再次强调时,难道就没有意识到,这是典型的纳粹言论吗?当年的国法西斯,不就是把对犹太民族的种族灭绝行动视为英雄行为吗?日本侵略者不就是把屠杀中国和亚洲人民的野蛮行径看作帝国军人的最高荣誉吗?暴力复仇决不是中华民族的光荣,而是把敌人的卑鄙当作自己卑鄙的通行证,是彻头彻尾的无耻。不要忘记玩火者必自焚,人类历史已经证明:凡是把灭绝其他民族当作荣誉的民族,首先会把自己推向覆灭的边缘。今天,水均益借助互联网推销如此危险的言论,无异于要把中国推到悬崖边上而后快,这位“中国杰出青年”究竟是爱国,还是误国、害国?

     在此还要给中国央视提个醒。即使在水均益认为“可恨”、“张狂”的日本,一个新闻节目主持人,哪怕不是半官方的NHK,而是民间电视网的主持人,若是公开发表与水均益类似的纳粹言论,不但会被免职,还要被迫公开道歉,电视台的公式网站也决不会登载有纳粹言论的文章。既然你们的节目每天在鼓吹中国要和平崛起的理念,要批驳中国威胁论,不觉得你们的公式网站刊载这样的文章是自相矛盾吗?你们如果不想做得比你们厌恶的日本更糟,不想给国际上那些反华仇华的人提供借口,就请尽快采取实际行动。亡羊补牢,尤未为晚。


鄭若思:CCTVの反日種族主義デマゴーグ水均益(1)

2006-07-04 10:51:14 | Weblog
郑若思:警水均益――对中国网络民族主义的忧思
(博讯2004年01月16日发表)

     作者:郑若思 (博讯 boxun.com)

     二零零三年的中国传媒,出了两位以反日大出风头的名人。一位是湖南人民广播电台经济频道主持人罗刚,因为在他主持的叩应节目《心灵之约》中坚持接听冒充“日本人”“小原正太郎”的长沙居民梁少南的电话,并延长对话时间,大过一把“抗日英雄瘾”后被电台开除公职,罪名竟然是为“侮华、反华言论提供了宣传舆论的阵地”。昙花一现的英雄罗刚,当然比不上央视大牌主持人水均益。在普遍使用笔名的中国互联网上,水均益以真名先后发表《日本,听我对你说》(以下简称《日》文)和《我来谈高铁》(以下简称《高》文),公开主张“谁把日本给‘灭’了,谁就马上会成为中华民族的英雄”和抵制中国高铁引进日本新干线,两篇网文都被多家媒体转载,并受到“爱国网民”的热烈追捧,使水均益的人气达到了他出道后的顶峰。水获得二零零三年中国十大杰出青年称号,单凭他对伊拉克战事的采访,是否能得到这个有强烈政治色彩的荣誉,不得而知。至少,借醉鬼之口要“灭”掉日本这种赤裸裸的纳粹言论没有给他的当选造成任何障碍,是一目了然的。何况央视的公式网页上也刊载了《日》文,尽管央视有关部门说,那并不代表央视的观点。

      水均益以央视主持人的知名度在互联网上呼风唤雨赢得满堂彩,并不是偶然的。二零零三年,中国互联网用户数达到世界第二位,自九十年代以来一直活跃异常的极端民族主义言论从平面媒体走向了网络,在匿名的虚拟空间里大行其道。邓小平于改革开放之初力主取消的“四大”(大鸣、大放、大辩论、大字报)无形之中在网络时代复活,而且今胜于昔。九六年《中国可以说“不”》问世时,不少人还为其中“不要害怕打仗”的言论感到讶异,但是比起今天网上俯拾皆是的“东京大屠杀”、“灭掉日本”,岂不是小巫见大巫?

      勿庸置疑,日本近年小步快跑走向“正常国家”,保守势力在日本政坛的影响力大,是中国网络民族主义升级的重要背景。中国民众出于民族义愤揭露日军侵华暴行,对日相参拜靖国神社、遗留化武伤人、右翼份子篡改历史等事件表达抗议,是正当合理的,也是笔者所赞同的。  令笔者担忧的是另一种网上舆论,它基本可分为三类:一、 鼓吹日本威胁论和日本民族劣等论,煽动民族对立和军事复仇;二、 假冒日本右翼份子,发表言辞激烈而品味低下的反华言论,或是发布编造出的日本人反华的信息,作为反日排日的口实,最典型的便是罗刚事件,以及“日本人吃婴儿”等谣言。三、 虽然自身无法言之成理,却以“汉奸”、“卖国贼”等大帽子对付一切不同意见,凡是对他们的“爱国主义”表示疑问,甚至只是对日本看法有所不同者,必以性词汇或动物性词汇侮辱之,格杀勿论。这些言论中又包含着三种思想倾向,即一、 把侵华战争中的日本军国主义者等同于今天的日本人;把日本战前对亚洲的侵略政策等同于今天日本的国策;二、 把日本国内一小部份右翼份子等同于大多数日本民众;把右翼的极端言论等同于日本整体的民意;三、 把中日民间交往中由于社会制度、文化背景差异产生的摩擦作为政治事件炒作,如珠海买春事件、西北大学日本留学生下流表演事件、丰田车广告事件、世界杯女排决赛转播事件。 最近,针对这些狂热民族主义言论,有人提出是否基于国家利益来区分理性爱国主义和狭隘爱国主义,这个提法固然是正确的,但是某些时候,一些貌似维护国家利益,作出摆事实讲道理姿态,实则建立在错误的立论和错误的论据基础上的文章,实质上却起着煽动狂热民族主义情绪的作用,这种假理性的欺骗性更大,例如水均益的网文,就有这个特点。 首先,在水均益眼里,今天的日本政府和战前的军国主义政权完全是一回事。水均益描述道:“回想去年(即2002年—笔者注),朝鲜叛逃人员冲入日本驻华使馆,日本政府误判为中国武警擅自进馆抓人,当时日本全国讨华之声无处不在。日本自民党某派系头目,在国会发言时这样说"如果是在几十年前,这就是战争的开始!!!"这段话被日本各大电视台反复播放,朝日、产经、东京、共同社等报纸把这句话引用头版头条。当时川口外相照会中国驻日大使,当时武大伟大使到场多时,川口怒冲冲过来,指着坐在沙发上的武大使,足足训责(应为训斥)了两分钟,然后抛出一句"如果中国政府不把这件事处理好,会有让你们觉得非常严重的后果!!"然后不等武大伟大使说话,就转身而去。这个场面被NHK全面报告。这是在日本和平宪法为构架下的政府和人民呀。”(《高》文)

    首先,水均益引用的那句“战争开始”的狂言是自民党参议院国会对策委员长鸿池祥肇所说(他并不是什么派系领袖,而是一名向来喜欢以极端言论吸引媒体注意的政客—笔者注),日本传媒虽有报道,但是笔者查阅朝日、产经和东京新闻当时的版面,没有一家是“引用作头版头条”的。而且,出身新华社的水均益当然应该知道共同社是一家通讯社而不是报章,哪里来的“头版头条”呢?不过,水均益最不可原谅的错误,乃是把鸿池关于战争的狂言与日本外相川口向中国驻日大使武大伟抗议的场面“粘和”在一起,川口原话的“严重后果”本来指的是“严重损害日中关系”,而不是兵戎相见,但是经过水均益的剪裁,仿佛是日本要对中国宣战。假如真是如此,中国政府至少要召回大使,甚至与日本断交,今天的现实也根本不是这个样子!

    日本在沈阳领事馆事件中对中国表现出异常强硬的姿态是事实,但是其中一个决定性的因素是日本拒绝接收难民的国家利己主义由于摄像机的镜头暴露在世人面前,感到恼怒,日本外务省的驻外机构与当地负责守卫的警方在难民进入的问题上实际上有默契,中国武警驱逐北朝鲜难民是符合日本外交官期待的,尽管日本强硬派也不愿意接受难民,但是他们唯恐外务省对中国不强硬,便以此为借口要撤换外相和驻华大使,外务省迫于压力以高调炒作“中国武警违反维也纳公约”来掩饰自身的尴尬,这就是沈阳领馆事件的背景。而水均益作为一个熟悉国际事务的新闻工作者,却把这一事件写成军国主义要借机挑起侵略战争的象征,并拿来煞有介事地蒙骗国内网民。

    水均益还编造道:“我来告诉大家,座(应为坐)落于神代川(应为神奈川县横须贺市—笔者注)的日本陆军大学(日本称为防卫大学校,负责培养海陆空三军军官,不是单一兵种的大学—笔者注),其作战假想敌就是中国。前段时间这个大学还有招生的广告,里面有这样的镜头和介绍。这么多年在西方国家唱得很响的中国威胁论就是日本最早散布出来的。”(《高》文)

    笔者看到过防卫大学的招生广告,但是其中并没有任何关于假想敌的言辞。水均益没有详细写出防卫大学的招生广告到底有什么样的镜头和介绍,却冷不丁冒出一句“其作战假想敌就是中国”, 给读者造成日本连招生广告都是要为侵略中国招兵买马的印象。

    日本国内、尤其是军方有一些主张中国威胁论、把中国当假想敌的人,但是中国和日本首先是邦交国,两国的军方高级将领时有互访,而且防卫大学准备接收来自中国军队的留学生,中国海军舰艇也早就酝酿访问日本,隶属于防卫厅的防卫大学校若是明目张胆在招生广告中称中国是假想敌,连几个日本留学生的低俗表演都能惊动的中国外交部门怎会一言不发?

    具有讽刺意味的是,到了文章的后半部份,“假想敌”又变成了北朝鲜,水均益指责“日本媒体铺天盖地、每天都对北朝鲜的妖魔化报导,和被畸型(应为形)夸大的朝鲜导弹危胁”,不懂日语的水均益是怎样读懂报道的,无从得知。实际上这几年日本人所写的北朝鲜报道,并不比中国游客、甚至李希光这样代表“政治正确”的前新华社记者关于北朝鲜的描写更“妖魔”,如果朝鲜导弹不是对亚洲和世界和平的威胁,中国政府为什么会力主召开六方会谈解决朝核危机?水均益如此撰文,到底是真的对国际问题无知,还是以为只要能把日本写成军国主义强盗,信口雌黄也无所谓?

    水均益还写了一句连小孩都能看出破绽的话:“日本自卫队制定偷袭北朝鲜的方案,也没有日本政党和民众团体提出反对。这是富了就不想打仗吗?”日军当年曾偷袭过珍珠港,事前神不知鬼不觉,难道世上会有一个如此呆傻的国家会制定一个“偷袭”方案公布给民众征求意见吗?至少水均益都知道的方案根本也算不得“偷”袭了。

    既然论据是一些七拼八凑、经过歪曲的事实,那也就可想而知,水均益能够提出何种论点。《高》文的主要用意在于反对中国引进日本的新干线技术,他反对的理由有二,一是主要的承包方三菱重工是日本的军工生产企业,让三菱重工靠京沪高铁赚钱等于帮了日本军火商的忙;二是建京沪高铁需要向日方提供沿途的地质勘探资料,等于把东南沿海的重要情报拱手交给敌人,一旦发生战事,后果不堪设想。

    水均益这种貌似忧国忧民的评论,究竟是不是真正在考虑国家利益呢?水的出发点是:中日两国的利益就是冲突的,中国要随时准备打仗。其背后隐藏着刻舟求剑式的观点:日本是一个虎视眈眈的军国主义国家,中国是一个积弱积贫的东亚病夫。按照他的逻辑推论下去,国和法国的技术其实也要不得,因为这两个国家在历史上也曾侵略过中国,而且至今连日本那句“假惺惺”的道歉都没说过一声。生产机车车辆的企业都有可能同时兼有生产军火的背景,法国的军火商数年前还把战斗机卖给台湾,再说,中国东南沿海的地质资料只要到了外国人手中,都难保不被侵略中国的敌人获取。中国还是关上国门,回到自力更生修成昆铁路和红旗渠的时代最保险。


李大立:紅衛兵、戸籍制度と「六四」大虐殺

2006-07-03 15:42:12 | Weblog

红卫兵、户口制度和「六四」大屠杀
──纪念「六四」运动十七周年
(纽约)李大立

「六四」过去十七年了,许多在这场血腥大屠杀中失去亲人的受难者家属,无奈地把人世间最不堪的苦痛深深地埋在心底也已经整整十七年了,别说是得到任何道歉和赔偿,这么大的一件事情,杀人者连个「说法」都没有,在他们眼里彷佛没有发生过一样,这种对生命的冷漠和对道义的逃避,世界历史上找不到相同的案例。

本文试图从另一个角度分析六四大屠杀,并以此纪念这场伟大的民主运动。

据大陆报刊所载当年接近邓小平人仕透露,天安门广场学生运动最高潮的时候,邓小平悄悄地通过地道到达人民大会堂现场视察。从大会堂望出去,只见天安门广场红旗招展,北京及外地学生安营扎寨,大字报和标语口号贴得到处都是;演说、唱歌、呼口号此起彼落,北京市民纷纷前来声援,群情汹涌。

邓小平看到这一情境,眉头深锁面孔铁青,狠狠地摔下了一句话:「我们绝不容许红卫兵再来,不惜杀二十万人,换二十年稳定」!原来老邓想起了二十多年前文化大革命中的红卫兵!当年的红卫兵手里拿着毛泽东的尚方宝剑,根本没把邓小平放在眼里,把他和刘少奇捆在一起打倒不算,还迫得他的宝贝儿子邓朴方跳楼,导致终身残疾。邓小平爱憎分明,对待政敌和反对他的革命群众冷酷无情心狠手辣;但是对待亲朋戚友和他的旧山头,却是真情流露关怀备至。儿子伤残后,邓小平亲自给他洗澡抹身推轮椅;建筑工人出身的北京市副市长张百发陪同邓小平参观他的政绩工程「前门」高层公寓的时候,邓小平深有感触地说:「其他子女我都不管了,让他们自食其力,唯一的我要买一套住宅给大儿子邓朴方,他的伤残都是因我而起的……」,邓小平对儿子邓朴方的内疚和舐犊之情溢于言表。由此,看见天安门广场上的学生们群情汹涌,他能不想起二十多年前的红卫兵吗?当年正是红卫兵把他扫地出门去江西,在拖拉机厂被革命群众监督劳动、晕倒在钳工台面上;也正是红卫兵将他的宝贝儿子迫害至残,邓小平能忘记这些深仇大恨吗?于是,动用军队进行六四大屠杀的念头,此刻已经「恨从心中起,恶向胆边生」了。

又根据林思云先生「亲历六四」一文所述(见「大纪元」),林先生六四期间出差北京,住在木墀地「中国科学院第二招待所」,而木墀地正是六四杀人最多的地方。林思云先生的文章详细记叙了他亲眼目睹六四大屠杀的经过:「6月3日晚上,木墀地三里河桥东长安街上学生市民和军队对□,前面几排学生坐在地上,后面几排学生站立着,背后是成千上万的市民;而全副武装的军队就在他们面前几十米处严阵以待,军人背后是压压的一片装甲车和军车。晚上10时左右,开始听到枪声,一辆辆装甲车和满载着士兵的汽车向天安门驶去,士兵们向两侧的居民楼开枪射击,枪声密集程度无法确切形容,只能说比大年三十晚上的鞭炮声更密集更响亮,直至凌晨三四点钟才逐渐静寂下来」。林先生亲眼看见「部长楼一个单元里,一个学生后脑中枪,浑身是血,从学生证上知道这个学生姓李,来自东北」。6月4日清早,林先生到附近的长安街南侧「复兴医院」去,「当场点到42具尸体,其中有老人和小孩;而北侧的死者和伤员无法送来。由此估计木墀地死亡百余人,全北京死亡数百人,伤者数千人这个数字比较准确」。

林先生还发现「长安街两边的居民楼弹痕累累,彷如被攻击过的军事目标;长安街两边的人行道、花坛、胡同口斑斑血迹;而马路中间却没有,说明并非有人因在马路中阻挡军车而被打死。被打死的都是向马路两边逃跑躲避、甚至安在家中的群众」。林先生在马路上捡到不少12.7mm的高射机关枪弹壳,「这是陆军装甲车上的标准装备,比普通的7.6mm步枪子弹大出许多,穿透能力强,甚至可以穿透普通墙壁,死伤者的创口极大,彷如国际上被禁止使用的达姆弹」。

林先生说,「六四为什么会死这么多人?许多人将其归咎与军人的残暴。士兵们接到上面的命令才敢开枪是毫无疑问的,但是上面来的命令是不惜一切占领天安门广场,如果有人阻挡,警告无效可以开枪(这命令本身已经大错,对手无寸铁的平民开枪,堪称法西斯──笔者注),并没有命令士兵们向两侧居民楼及群众开枪。为什么这些士兵还要杀死那些完全可以不杀的人?难道这些士兵真是如此冷酷?许多年以后,我才逐渐明白过来,六四中的士兵如此冷酷无情,是农民对城里人的报复,因为士兵中绝大部分来自农村。中国长期以来执行对农民歧视的政策,城里人对农民也有一种不自觉的傲慢和蔑视,造成农民对城里人有一种埋在心底的仇恨。况且,农民最关心的是解决他们身份不平等的问题,而六四民主运动完全没有提到农民问题,士兵们对空泛的民主化口号不感兴趣,所以他们对学生和市民也没有甚么同情心。一旦上级有令可以开枪,他们就向这些平时欺负和蔑视他们的城里人射出了复仇的子弹」。

笔者在此大段引用林先生的文章,是因为笔者完全同意林先生的分析,并且愿意和读者一起分享林先生六四期间在北京的亲历亲闻。在此,笔者对中国大陆实行了五十多年的「户口制度」略加补充如下:

中国的户口制度始于明朝朱元璋,他以一个低下的「亭长」出身,发动农民起义推翻元朝统治。得天下后就想传之万世,为了防止像自己一样的农民造反,就发明和推行中国首个户口制度。农民们按村、乡、县分别编成保甲组织,实行「连坐法」,「一人犯罪,诛连九族」,不准农民离乡和迁徙,将农民牢牢地捆绑在土地上。农民造反出身的毛泽东,效法朱元璋,并且将朱元璋的户口制度推向极端,将全国民众的户口划分成「农业户口」和「非农业户口」两种,想逾越者难于上青天。农民们没有任何社会保障,自生自灭,吃不饱穿不暖,荒年欠收断粮数月是常事,农民的子女除了高考和参军没有任何离开农村的途径。而高考对农民子弟也极不公平,他们在农村严重缺乏教育资源,很多农民子弟还要兼顾家计,连温习功课的时间都没有;而城里人却享受了中国大陆几乎所有的教学资源,养尊处优,因此农村子弟能够考上大学者微乎其微。至于参军则只有少数复员之前入党提干的,才能留在部队或者城市里,其他大多数的复员军人一律遣返农村。由此,共产中国的农民们世世代代成了「新中国」的贱民,他们不懂得罪恶根源在共产党,却造成了他们对城里人的「阶级仇恨」。
造成当年六四大屠杀的原因很多,有其深刻的政治和社会根源,但是,笔者认为本文所提到的红卫兵和户口制度,也是直接间接的原因之一,值得学者们深入研究和分析。红卫兵残酷地迫害民众,甚至搞到像邓小平那样的共产党内毛泽东政敌高干头上;此外,将人民群众硬性划分成不同的「阶级」,建立身份不可逾越的户口制度,广大农民和他们的子女成为新政府的农奴,始作俑者正是毛泽东共产党。其中埋藏着深厚的阶级矛盾和隐患,六四期间引发的大屠杀,不过是这些矛盾表现之一而已。如果中共胡温对此仍然毫不省悟,像一座火山,更大的社会矛盾和阶级斗争势必在某天爆发,那时候,就是中共灭亡之日。

笔者建议香港支联会和海外民运,改变「平反六四」的口号,改为「纪念六四,还政于民」。因为十七年来,香港和海外广大华人要求平反六四的呼声从来没有停止过,中共独裁专制政府仍然无动于衷,指望由这样的政府来平反六四,无疑是缘木求鱼;而且要求这样的政府平反六四,等于承认了他的合法性。中共是靠武力上台的,从来未经人民选举授权,本身就是一个不合法的政府。六四民主运动只是在他们眼里有罪;在广大人民心中从来都是正义的。因此,笔者认为六四不存在平反不平反的问题,我们只需要纪念他,发扬他的民主奋斗精神,争取还政于民,实现六四当年的追求。

仅以此文记念六四运动中所有的死难同胞,愿他们安息。

(5/05/06)
(刊于O六年六月号「开放」杂志)