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中国の貧困地区における農村教育の現状と発展(1) 韓嘉玲

2005-07-31 20:00:25 | 中国異論派選訳
韓嘉玲

(本文は2004年、北京大学教育学院での講演記録である)
 
 大変うれしいです。私はこのような人気のないテーマでは聞きに来る学生はいないかと思っていましたが、こんなにも多くの皆さんが農村教育に関心をもっていることを知り、大変うれしく感じています。これから私が長期間従事した農村教育での経験を皆さんと共有したいと思います。私は貧困地区について重点的に話します。まず先に紹介しますと、私は90年から91年の間、貴州省東南部のある少数民族地区で貧困対策の仕事をしました。あとで皆さんにお見せする写真の一部はその時の仕事の様子です。少し昔の写真ですが、農村教育の状況を知ることができます。他にも2000年に甘粛と寧夏回族自治区で行った教育に関する調査の時の写真があります。

 ところで、農村教育とはなにを意味するのでしょうか? わたしは、農村教育とは農村地区で行われる各種の教育を意味すると思います。農村教育には3つの類型が含まれます。一つ目は、農村の正規教育です。正規教育とは、基本的に学校での正規教育、あるいは学校での義務教育を意味します。もちろん教育には義務教育以前と以後の教育もありますが、今日は貧困地区の農村義務教育に重点を置きたいと思います。しかし、農村教育は農村の基礎教育あるいは義務教育だけでないことを指摘しておきたいと思います。
もう一つは、非正規教育です。非正規教育は学校教育とは異なり、例えば学期の開始と終了のような固定した形式はありません。基本的に固定した形式と場所のないものです。非正規教育は非常に重要です。それは学歴教育ではなく、農村の発展と関連した教育です。例えば、中国では現在貧困地区で多くの小規模貸付事業が行われています。農民にお金を貸して、彼らが鶏やアヒルを飼う。その過程で彼らに農村の実用技術を教えますが、それらの実用技術の教育は非正規教育です。わが国では、農村成人教育、職業教育、そして識字教育も農村非正規教育に分類することができます。実際、わが国はかつて農村非正規教育は非常によく行われていました。特に建国初期のころの文盲一掃運動においては、地域の実情に合わせたさまざまな農村教育が行われ、多くの豊富な農村教育の形式を創造しました。そのなかには、今でも多くの第三世界の国で広められてるものもあります。私たちが外国に行って、このやり方はどこから学んだのかと聞くと、あなた方の中国から伝えられたものだという答えが帰ってきます。しかし、私たちがかつて創造した豊富な形式の農村教育について、私たちは今ではあまり知りません。例えば、過去の文盲一掃運動のころには、小学4年生の生徒が家に帰って祖父母を教えるという教育グループがありましたし、あるいは木陰で、工場で、その他農村のいろいろな場所で各種の教育が行なわれました。たとえば、冬で農作業ができない時に開かれた冬期学習班。たとえば、通りに識字カードを並べ、それを読ませ、読めなければ通らせないといったやり方。強制的な性質ですが、これもまた普及方式の一つです。そのころ、放牧地区では、人がまばらなので、多くの子供が学校にいけません。そこで、いわゆる馬上学校ができました。教師が馬に乗って放牧地区の集落を回って子供に教えるのです。あるいは湖沼地区の船上学校。当時は、さまざまな形式の農村教育がありました。しかし、今日文盲一掃の仕事が完了してからは、それらの形式の教育は非常に少なくなりました。
最後の一つは、いわゆるインフォーマル教育です。どう訳していいかわかりませんが、それは組織もなく、計画もない一種の教育モデルです。例えば、新聞を読んだり、ラジオを聞いたり、テレビを見たり、民間伝統芸能を見たりといった形式です。これも、以前の農村では非常に豊富でした。映画上映隊が農村を回って知識を広めたりするのも、インフォーマル教育です。これについては今日は話すことができません。今日は農村学校での義務教育の状況に絞ってお話をしたいと思います。

基本的に、わが国は2000年に基本的に(9年制)義務教育が普及し終わっています。「基本的に普及」とはどういうことでしょうか? 実際は、大体85%の人口が住む地区に対して義務教育が普及したということです。言い換えれば、まだ15%の地区は義務教育が普及していないのです。6年間の初等義務教育も普及していないところもあります。ですから、私たちがほとんど普及したと思っていても、実際は義務教育が行われていないところがたくさんあります。しかも、義務教育実施状況の確認検査が終わったといわれているところも問題で、統計上の数字と現実には非常に大きな開きがあります。一つ例をあげますと、私たちが行った甘粛の4つの貧困線以下と認定されている県のうち、2つの県では初等義務教育普及の確認検査が終わっていました。じっさいは、この2つの県は2000年か2001年に初等義務教育普及確認検査に合格するように要求されていたのです。この2つの県はその要求に応える能力はありませんでした。しかし、この任務を完成させなければならないので、2000年に目標達成するために、数字を捏造しなければならなかったのです。なぜ私たちはこの現象を発見できたのでしょうか? それは私たちの甘粛での調査項目の中に経費の分配があったからです。イギリスの援助プロジェクト資金1500万元を私たちが分配しました、どのように分配を決めたかというと、伝統的な上級機関による指令による分配によるわけには行きません。基準となる指標を作って分配を決めました。つまり、教育条件が悪く、初等普通教育を受けられない生徒が多いほど、より多くの資金を分配したのです。そのため、目標を達成した2つの県は非常に馬鹿を見たと感じたのでした。就学率90%以上でないと確認検査に合格しませんが、かれらの県はすでに95%の子供が入学しており、彼らが受け取った資金はほかより少なかったのです。私たちは、最初から事実を報告するようにと言っていたのですが。結果として確認検査はしばしば上級機関が合格するようにと命令すれば、必ず合格しなければならないということがわかったのです。このような虚報の事実は義務教育を普及させるのを困難にしています。ここに、2つの数字があります。これは甘粛調査での4県の数字です。すみません、2つの県への配慮から県名を出すことはできません。なぜなら、彼らが国に報告した数字と違うからです。全国的に見ると、初等義務教育の普及率は非常に高いです。しかし、統計数字の裏側に、省や県まで降りたときには、統計数字との違いが非常に大きくなります。例えばこの県、この県は地区で一番貧しい県です。そのため、女子の比率が非常に低くなっています。この数字にも多少手が加えられていると思います。県の統計数字ですから。もし、郷とか学校のレベルまで降りていくと、その違いはもっと大きくなります。平均された統計数字は多くの細かな真実を覆い隠しているのです。

これは、1990年に貴州省の少数民族の村で行った調査です。見てわかる通り、全国、貴州省、その県、その郷と下っていくと比例の違いが非常に大きくなっていきます。表面的な統計数字を見てもだめです。なぜなら、中国の数字は平均すると誤差が大きくなるからです。一つの県の統計数字が一つの郷の実情を隠し、一つの郷の統計数字が一つの学校の実情を隠すのです。ですから、私たちは個別事例について定性的な研究をする方が実情をつかめると思います。私は、農村義務教育の中に存在する一つの大きな問題は国の予算投入が少ないことだと思います。皆さんご存知のように、わが国の農村教育の予算システムは分級管理・分級実施のシステムです。このシステムのもとでは農村の義務教育は郷あるいは村によって担われることになります。東部の農村にとっては、問題ないでしょう。郷に義務教育を担当させるのはもともとは地方で教育を起こすことを奨励し、より多くの資金を教育に投入するための方式だったかもしれません。しかし、このような教育システムは西部地区では義務教育への資金投入を困難にしています。統計数字を見ると、第9次五ヵ年計画の期間(1996年から2000年)の予算の伸び率は、一般大学が155.8%、一般高校が123.9%、(小中学校をあわせた)義務教育が98%で、農村義務教育の伸び率はもっと低くなっています。しかし、農村学校が占める比率は70%以上です。こんなに多くの人が使う経費がこんなにも少ない。ですから、わが国の教育財政予算は高等教育、後期中等教育に重点的に配分される傾向があります。言い換えれば、教育はエリート教育の路線なのか大衆教育の路線なのかというと、私が見るに、現在の経済発展を目標とする教育は基本的に有限な資源をエリート教育に振り向ける路線をとっていると思います。さらに次のデータを見てください。国の予算中の義務教育への配分は比較的少ないです。基本的に郷段階(郷・鎮)の政府がほとんどの教育経費を支出しています。郷レベルが78%、県レベルが11%ですから、県と郷が義務教育経費の主な支出もとです。省が9%、中央政府はわずか2%です。中国の比較的貧困な地区では、県と郷は基本的に義務教育を担う能力はありません。実のところ郷鎮レベルの負担というのは農民の負担です。つまり、義務教育予算は農民がまかなっているのです。郷鎮レベルの予算は「食事予算」で人件費のみで消えてしまいますから、貧困な地区であればあるほど農民の負担は重くなります。教師の給料は県政府が支出するか、農村の教育賦課金(農村部だけにある税金の一種)で負担するかです。ですから、貧困地区であればあるほど(県政府が給与を支出できないので)民間教師(村で直接雇用した教師、公務員ではない)が多くなります。民間教師の経費も農民の負担です。学校施設整備は農民から資金を集めて行われます。もし、農民に資金を集める力がなければ、学校は危険家屋になってしまいます。もちろん、世界銀行は「貧一、貧二」(プロジェクト名称)などの借款資金を提供していますが、これらの援助は基本的に道路が通っていること、電気が通っていることなどの条件があり、郷の中心学校でなければなかなか資金を獲得できません。辺鄙な貧困地区はこれらの貧困対策の借款を獲得することはできません。もちろん、ところによっては希望工程、手と手をつなぐなどのプロジェクト資金を獲得していますが、それもやはり道路が通っていて、外からの人が視察できるところしか獲得できません。例えば私たちが行った貴州省では、県政府所在地にはすでに2つ(中)学校がありましたが、ある都市の水利電気局が学校建設資金を献金し、2つの(中)学校の中間に建設しました。その結果、全県で4つしかない中心(中)学校のうち、3校が県政府所在地に集中し、1校だけが郷にあるという配置になっています。一番遠い郷は県政府所在地から7~80キロも離れていますが、その郷には(中)学校がなく、そこの子供たちが学校に行くには県政府所在地まで出なくてはなりません。ですから、学校の施設整備も農民の負担になるのです。そして、もっと重要なことは、学校の運営経費は生徒から徴収するということです。私が深く印象に残っているのは、1995年に貴州省教育局で調査していた時、局長事務室で局長にインタビューをしていた時、一人の農村教師が50キロあまりの道のりを歩いて局長を訪ねてきて、5元の事務経費を請求したことです。学校には基本的に事務経費がありません。甘粛での調査の時は、学校の事務経費は多くがゼロか0.16元でした。私は最近北京の出稼ぎ農民子女学校の研究をしていますが、そこの事務経費は一学期600元あまりでした。ですから、その格差は比較のしようもありません。北京は財政がとても豊かなので、その学校は北京の地方財政から支援が受けられます。しかし、農村の郷政府は、時には教師の給料も支給できないのに、事務経費まではとても手が回りません。生徒から集めるしかないのです。

わが国で現在見られる非常に興味深い現象は、発展の遅れたところほど、住民の教育負担が重いということです。県レベルの教育予算は主に県政府所在鎮で使われます。それ以外の教育経費は農民から取り立てるしかありません。ですから、貧困地区であればあるほど、民間教師や代用教師の比率が高くなります。危険校舎の比率も高くなります。私たちは教育経費が少ないといいますが、都市のモデル学校と重点学校はどんどん豪華に、都会的に、貴族的になっています。これらの学校にはプールがあり、豪華な合成ゴム舗装のトラックがあります。たとえば、北京のモデル学校80校には、聞くところによると2~3億元が投資されているそうです。もちろん、一部は銀行からの借款ですが、その金はどこから回収するのでしょうか? やはり生徒から学費として徴収します。なぜなら、保護者は子供がいい学校に進むのを望んでいますから、喜んでお金を払います。そこで、両極化の状況が進んでいます。一方で、わが国の教育資源は非常に少ない、また一方でそのように稀少な教育資源が少数の学校に集中され、いわゆるエリート養成に使われる。私はこれらのエリートが北京大学に進学できるのか、あるいはみんなアメリカに行くのかはわかりません。私はこのような教育資源の分配が公平なのかどうか、国の全体的な発展に有利なのかどうかわかりません。
私は、教育の体制と政策はこのような教育資源分配制度のもとで、このような格差を拡大する方向ではなく緩和する方向に進むべきだと思います。とりわけ義務教育段階においては、国は教育資源の欠乏している地方に傾斜配分し支援すべきであって、格差を拡大し、人為的にスタートラインの不平等を広げるべきではないと思います。

(続く)

中国の貧困地区における農村教育の現状と発展(2) 韓嘉玲

2005-07-31 19:59:29 | 中国異論派選訳
これは、私たちが甘粛で生徒の中途退学の原因を調べたものです。教科書代が主な原因になっています。皆さんは奇妙に感じるかもしれません。教科書代は高くないのに、なぜ彼らは負担できないのでしょうか。一年でわずか102.47元です。しかし、ここは非常に貧しい地区です。現地の一人当たり収入はたった300~500元です。しかも、彼らの現金収入はもっと低いのです。ですから、教材費は現地の農民にとって非常に大きな負担になります。
これは、中学校です。教科書代は100元あまり、この50元はパソコン整備費です。負担の1/3近くを占めています。私は学校になぜパソコンが必要なのかを聞きました。答えは、県から、もしパソコンを買わないと、彼らと発展した地区のデジタルデバイド(情報格差)が拡大するので、買わなければいけないといわれたということです。調査によるとそこの生徒はふつう中学1年か2年までしか学ばないそうです。生徒は進学の可能性がないとわかると、中途退学して、家に戻って農業をするか、出稼ぎに出るのです。このような状況のもとで、生徒は学校に行くためには50元のパソコン整備費を払わなければならないということで、農民の負担は重くなります。私は、もし学校が子供たちにパソコンを学ばせたいなら、学校が買うべきだと思います。農民に多分自分の子供が一生使う機会のないもののためにこんなに大きな負担をさせるべきではないと思います。このような費用負担が彼らの中学校進学率を非常に低くしています。だいたい、20~30%、多くても40%を超えません。現地の状況はこうなのです。

この写真は甘粛です。冬の非常に寒い日です。生徒はお金がなくてノートが買えないので、地面に字を書いて練習しています。100元あまりの教科書代は皆さんにとっては高くないでしょう。しかし、ここは乾燥地区で、3年旱魃が続いて、私が今年行った時は、住民の食糧はほとんど尽きていました。そのような地方では、都市の人は一食で100元ぐらいは使ってしまうでしょうが、彼らにとっては負担は重過ぎます。これは小学校です。冬も暖房はありません。子供たちの手はあかぎれです。もし生徒から暖房費を取れば、費用負担はさらに重くなってしまいます。内モンゴルの学校で、冬のほんとに寒い時、学校には暖房がないので、学校は生徒を家に返していました。これらの机はぐらぐらしています。多くの子供が立って授業を受けています。もちろん、これも多分検査が入るということで、子供をかき集めて数合わせをしたのでしょう。この日、私たちは無料給食を行いました。教室の中は子供であふれています。とても小さな子供もいます。ここでは、検査があれば、子供をみんな呼び集めるという習慣が出来上がっています。ですから、私が一人の子供に何年生かと聞いた時に、その子は答えられませんでした。それで、初めて実情を知ったのです。この写真は甘粛の非常に古い校舎です。多分数十年前の建物です。これは貧困地区に普通に見られる日干し煉瓦の建物です。これは貴州省の郷の中心(中)学校です。学校には事務経費がないので、夜はろうそくをともして子供に勉強させています。この子供たちはみんな努力して県の中心(高等)学校に進学しようとしています。しかし、大体これだけの生徒の中でわずか10数人が県の高等学校に進学できるだけです。しかし、こんなにも多くの子供が試験のための教育を受けています。学校の教育は全く試験に合格しない生徒のことを考えていません。この写真も机や椅子がない教室です。このような教室は普通にあります。この帽子をかぶった子供はイスラム教徒の子供です。これは貴州の学校。これらの学校は課外活動の条件がないため、石ころを並べてピンポン台に見立てています。私たちの貧困対策プロジェクトでも彼らに簡単な遊具を提供しています。彼らがなぜ学校に行きたがらないかというと、学校に彼らをひきつけるものがないからです。授業も彼らをひきつけません。ですから、私たちは彼らをおろかだと感じるのではなく、教育システムの問題点を検討すべきなのです。こんなにお粗末な条件でも、子供たちはとても楽しそうです。

つぎに、学校の配置と距離が就学に及ぼす影響が非常に大きいことをお話ししたいと思います。現在、「減員・廃止・統合」政策がはやっています。教育の品質を高めるため、また経済効率を高めるために、一部の教育レベルの低い辺鄙な地区の学校を廃止して、郷の中心に集中しようというもので、そうして初めて経済効率も規模の効果も得られ、教育の品質も高められるという主張です。学校が大きければ大きいほど、教育の品質も高まるという論点はここでは判断を留保しておきましょう。農村の子供にとっては、とりわけ辺鄙な村の子供にとっては、このようなやり方は彼らを一歩ずつ高等教育から遠ざけるだけです。私は個人的には、「減廃統」政策に反対です。皆さん、世界銀行の80年代の統計を見てください。小学校に通うには生産隊(現在の村)を出ず、中学校に通うには合作社(現在の郷)を出ない。つまり、村に小学校があれば、子供が近くで学べるということです。小学校の段階では、距離は子供にとって非常に重要です。中国では、79年以前は村々に小学校があり、郷ごとに中学校がありました。わたしは、このことは当時中国で義務教育を普及するのに非常に大きな役割を果たしたと思います。97年に私が陡寨というところで調査をした時、夜に何組もの子供が懐中電灯で足元を照らしながら学校から帰っていくのを見ました。学校の周囲の山の上には星が瞬いていました。これは一生忘れられない光景です。あのようなところで、もし子供が近くで就学できなければ、都会の子供よりはるかに長い道を歩き、大きな代償を払わなければならないのです。ですから、彼らの進学率は20%しかありませんでした。これらの子供たちはたくさんのゲートで進路をふさがれています。「減廃統」の計画の中で子供たちを宿舎に住まわせるということが提案されています。そうすれば生徒の管理もやりやすくなるというのです。しかし、彼らは寄宿が農村家庭の負担を増すということを考えているのでしょうか。私の甘粛での調査では、ある学校の寄宿費は20元でした。とても安いようですが、寄宿舎の条件はとても悪いです。皆さんこの写真を見てください。こんなに狭い部屋に8人住んでいます。私が内モンゴルで見たときは、生徒1人の寝る場所の広さはわずか1.5個の磚(縦30cm横30cm高さ7cmほどのレンガ)ほどの広さでした。横向きで寝るしかありません。大体どこもこんな条件です。もし、学校にこの程度の寄宿条件すらなければ、近くの農家の部屋を借りて下宿するしかありません。生徒は、自分の布団や食糧を持ってこなくてはならないのです。これは生徒の通学途中の写真です。彼らは(週に1回)野菜と米をもって学校に行かなければならないのです。薪を持っていかなければならないこともあります。もし学校に作ってもらう場合は、毎日さらに1元払います。彼らは非常に貧しいので、一日一元を払えません。ですから彼らは自分で料理します。生煮えのご飯を食べていました。自分でこのような状況を見なければ、集中教育がいかに良いか多くを語れるでしょう。しかし、それは農民の視点から考えていないのです。子供が近くで就学できなければ彼らにとっては非常に大きな負担なのです。負担には宿泊費と生活費があります。しかも、彼らの家庭にとっては、半人分か一人分の労働力を失うことです。農村の子供たちは、豚の餌用の草を取ったり、羊の放牧をしたりして働いています。ですから、子供が学校に寄宿してしまうと労働力が失われます。とりわけ、女の子はたくさんの家事を担っています。多くの男が出稼ぎに行って、家では女性が家事を担当しています。もし、女の子が学校にいったら、母親にすべての家事負担がかかってきます。ですから、母親は女の子を家に留め置くのです。その結果女の子の就学率は非常に低くなります。私は、「減廃統」政策は都市あるいは東部の経験と視点から提起された観点だと思います。わが国の学者は農村の実際の状況をほんとに理解していないのです。私が紹介したような学校は農村地区にはたくさんあります。このような学者のこのような観点から「集中教育、集中寄宿」がより教育の品質を高めるという考えが生まれます。私は、大学に進学することのできない農村の子供たちに対して、どのように基本的な技能を身に付けさせることができるかの方がもっと重要だと思います。ですから、経済効率だけで生徒を考えるのであれば、「減廃統」もいいかもしれませんが、もしもすべての子供が教育を受けるべきだという視点から考えたら、彼らに農村生活に必要な基本技能を見につけさせる方がもっと重要なのです。

次に、学校の教師について話したいと思います。貧困地区であればあるほど、公務員の教師は派遣されず、民間教師・代用教師の比率が高くなります。今では民間教師という言い方はなくなりました。すべて代用教師と呼びます。実際は代用教師というのは呼び方を変えただけで、民間教師と呼ばれていた国に認められていない教師のことです。国が民間教師を認めないとしても、民間教師の機能の担う人は依然として存在します。実のところ、辺鄙な地域の民間教師の問題を解決するのは全く不可能です。そこで、代用教師という呼び方がされるようになったのです。代用教師は民間教師と比べてさらに低い給与待遇を受けています。ある人はわずか50元、多い人でも150元を超えません。辺鄙になればなるほど公務員の教師は派遣されません。そうすれば代用教師を使うしかないのです。代用教師は国の承認を得ていません。彼らは公務員の教師のように国から給料を支給されません。代用教師の給料は村と村民(保護者)が負担します。ですから、彼らは自分たちで学校を興し、自分たちで教師の費用を払わなくてはならないのです。代用教師の教育レベルは一般に国の合格点に達していません。しかし、私は教育レベルについては別の見方をしています。合格レベルに達した教師でなくても、真面目な教師であればよいのです。もし農村で教えるのを嫌がる教師であれば、彼は真面目に教えようとはしないでしょう。そのような教師は代用教師に及びません。代用教師が農村教育を自分の一生の事業とみなして、真面目に教えれば、たとえ彼に高い学歴がなくても、義務教育段階であれば彼の責任をまっとうできるでしょう。ですから、私は農村の辺鄙な地区の代用教師は農村教育の重責を担っていると思います。彼らは非常に少ない給料で他の人より何倍も重い責任を担っているのです。これは甘粛の4県における各種教師の分布を示しています。代用教師の比率が非常に高いことがわかります。あるところは1/5、最も低い所でも1/10ちかくです。教師の給料は多分一番高い人でも600元あまり、一番低い人は100元あまりです。これは私が95年に雷山県のある小中学校に行った時の写真です。一人の教師が自分の家の入り口に対聯を貼っています。左右に「教育と家事を両方行わなければならず、校長と妻からは挟撃され」、横額は「板ばさみ」とあります。

より重要なのは、私が思うに、現在のカリキュラムが基本的に都市型の設計になっていることです。農村の教育が都市エリート養成のために犠牲になっており、農村の実際からかけ離れています。生徒は学校で農村の発展のために役立つ技能や知識を学ぶことができません。彼らは早々と中途退学してしまいます。彼らにとっては字を読めるようになって計算ができるようになればよいのです。学校での教育は彼らにとって全く役に立たないか、あまり役に立たないのです。ですから、農村の生徒は「進学の希望なく、就職の道なく、豊かになる技術なし」なのです。人によっては、生徒が村に帰ってくると「畑仕事は父親に及ばず、荷物運びは妹に及ばず、家事管理は嫁に及ばない」といい、農民が子供を進学させるのをためらわせています。しかも、現在の農村教育は農村の子供たちに農村にとどまり、農村を発展させるよう教えるのではなく、農村を唾棄し、村を離れるように教えているのです。彼らが学ぶのはパソコンや英語など非常に都市化された知識です。私は英語を学ぶべきでないと言っているのではありません。進学できる、英語を学ぶことが彼らにとって役立つ生徒に英語を教えるべきで、大部分の進学できない、村にとどまるか出稼ぎに行く子供たちには彼らにとってもっと役に立つ知識を教えるべきだといいたいのです。

次にカリキュラムにおける民族文化の要素について話します。とりわけ少数民族地区において、どうやって生徒が自民族の文化を継承し発展させることができるようにしていくかということです。少数民族地区には学校で教えるのとは異なる彼らの社会規範があります。私は貴州の少数民族地区で女の子が学校に行くと刺繍ができなくなるという話を彼らから聞きました。地元の住民は一人の女の子が仕事ができるかどうかを刺繍ができるかどうかで判断します。彼らはお嫁に行く時は自分で嫁入り衣装の刺繍をします。また、女の子が学校に行くと民謡を歌えなくなるという話も聞きました。少数民族にとっては、民謡を歌うというのは重要なことなのです。ですから私たちが学校教育が良いと思って、彼らに就学するように要求するのは、多分私たちの観点と規範を押し付けているのではないかと思います。また言語文化の障害もあります。とりわけ小学校入学の時、生徒が漢字を学ぶのは大変です。子供たちは小さい時から自分たちの言葉を話しています。もしも、教師が二言語を使って教育しないと、子供たちは学び続けることができないと感じるでしょう。しかも、学校で学ぶことを通じて現地の状況を理解できないとしたら、現地の発展にも不利です。私たちの教科書は郷土教育の部分が少なすぎます。もう一つ重要なのは宗教教育です。多くの生徒は教会に行って聖書を読みたがりますが、あまり学校には行きたがりません。なぜなら、学校で教えることは彼らの役に立たないし、教会で聖書を習うのは無償だからです。

次に義務教育についてはなします。義務教育とは強制教育であり国民教育です。市場経済の発達した国の義務教育も国の事業です。その意味は政府が児童が学ぶための各種の条件と機会を提供する責任を負い、人民は平等に教育を受ける権利を享受するということです。私たちが義務教育を考える時は、人民の視点から考えるべきで、経済と効率の視点から考えるべきではありません。私たちの言葉で言えば、「一人も欠けてはいけない」ということで、一人一人の子供が順調に義務教育を受けられるよう保障するということです。

以上の話をもとに、今日は4つの結論を提示します。
1、農村義務教育の予算は、国家予算を主な財源とすべきである。農村義務教育の問題は、主に教育経費の不足によってもたらされている。
2、現在の基礎教育の分級管理、地方責任のモデルは極貧地区には非現実的である。地方財政が困窮していて、義務教育をまかなえない。
3、よって、国は資源を最も貧困な地区や境遇の最も困難な人々に回すべきである(例えば無償義務教育、奨学金や教科書無償化)。しかも、必ず中央と省の予算で負担すべきであり、「貧しい地方で、貧しい教育を行う」というモデルを継続してはならない。
4、政府の教育予算は中央政府の予算を主とする。国は明確な方針を定めて教育資源の不公平分配の状況を是正すべきである。

原文:http://www.gse.pku.edu.cn/xiaoxi/jiangzuo.asp?id=84(已被刪除)
出典:http://www.usc.cuhk.edu.hk/wk_wzdetails.asp?id=2296

反日・民族差別キャンペーンで収益を伸ばす中国家電企業

2005-07-29 09:40:18 | Weblog
中国の大手家電企業TCLグループは2005年上半期収益を大幅に伸ばした(1)。TCLのホームページによるとその原因の一つといわれているのがTCLの雲南省の1代理店が店頭に掲げた「日本人と犬は入るなかれ(日本人与狗不得入内)」という差別的な看板である。この事実を「愛国的行為」と報じた別のホームページ(2)が大量に転載されたことにより、中国人の間に「愛国企業」とのイメージが広がったようだ(1)。
なお、TCLグループ企業には住友商事も出資している(3)。

(1)http://www.tclinfo.com/news/show.asp?newsid=1019
(2)http://www.discloser.net/html/178806,74232900.html
(3)http://www.pconline.com.cn/news/gnyj/0503/573220.html

こんなことがまだ続いているのだろうか?

2005-07-26 19:43:03 | Weblog
ヤフーのメッセージボードに4月20日付で以下のような投稿が載っていた。投稿のころは排日デモのあとで、その余韻も冷め遣らなかったが、今でもこんな悪質な嫌がらせが続いているのだろうか?
来自http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=
552022058&tid=cf9qa4nhbfffca5ga5b&sid=552022058&mid=15651

《中国華南在住。反日騒動に関しとても嫌な体験をしました。新聞テレビのニュースにはならないけど、一般人のレベルではこういう嫌がらせも蔓延しているんだっていう事をみなさんにお知らせします。特に、ゴールデンウィークに中国旅行を計画されている人がいたら、絶対に中止するように伝えてください。お願いします。

おとといお客と同僚(日本人3名、通訳のマレーシア華僑女性1名)で近くの中華料理店にディナーに行った時の事。時期が時期だけに、一応5つ星のホテルに目立たないように出かけ控えめに談笑しながら食べていた時、同僚が異物感を覚え吐き出してみると、黒い破片と細い棒状の物、よく見たらゴキブリの胴体の部分でした。調べてみると、醤油味の炒め物のような色の濃い料理の中に小さく刻まれたゴキブリの黒い破片や足、半透明の羽と思われるものがちらちら混じっていました。一匹紛れ込んで間違って調理されたのではありません、丁寧に刻んであったのです。

気持ち悪さをこらえて必死に中国語で抗議しました。店員達は、最初は「そんなはずはない」「間違ってはいったのだろう」と適当な返答でしたが、途中から逆ギレし「小日本が何を言うか!」他のお客達の視線も鋭くなりました。幸いマレーシア華僑の友人が広東語で店員とやりあってくれましたが(彼女も最初は日本人と勘違いされていた)、「仕事でデモには参加できないが同じ気持ちだ」「歴史を反省しない日本人を懲らしめてやるのが何故悪い」等等、論理も何もない低レベルな言い訳を繰り返すのみ。他の店員達も集まってきて私達を取り囲んで威嚇しはじめ、身の危険を感じとにかくお金は一切払わないで帰ってきました。店を出たとき、店内から拍手する音があがったのには怒りとくやしさがこみあげてきました。

釈然としない思いで、昨日別の友人(外資レストランでコックをしているシンガポール人)と話す機会がありました。前日の不愉快な体験を話すと「言いづらいが、私にもそういう嫌がらせを進める携帯のチェーンメールが回ってきた。」と言うのです。

「一人打一鬼」(一人が一人の鬼(=日本人のこと)をやっつけよう)というそのメールには、政府がデモを鎮静化する動きがあるため今後デモで愛国心を表現することは難しくなるが、日常生活において日本人に中国人の怒りを知らしめることはできる・・・という内容で、具体的には、
「日本人観光客には、笑顔で高く売りつけよう。釣銭をうやむやにしてやろう。」
「日本人客の料理に糞便・汚水・残飯等汚物を入れてやろう。にせの酒を高値で売りつけ、にせのメニューで高く請求しよう」
「日本人には間違った道を教え、タクシーはケタ一つ多く請求してやろう。反論してきたら,脅せ。」
「街で日本人を見かけたら、「中国侵略の歴史を知っているか?」と質問してやろう。大抵の日本人は答えられないから、正しい歴史を教育してやろう。」
というような内容で、特に日本のGWには観光客が中国に来るので、我々の怒りをおおいに示すチャンスだ、とあったそうです。(友人によるとこれ以外にも項目があったようなのですがメールを削除してしまって憶えていないとのこと。)まるで小学生レベルの嫌がらせです。

彼の話ではちゃんとした料理人なら客が何人でもこんなくだらない悪さはしないし、第一厨房というのは相当忙しいもので、いちいちイタズラしている余裕はない。けど、レベルの低い店や大きくてもずさんな管理のレストランで、ヒマな時間帯に目立つ日本人観光客がいたら、ありうるかも--という事でした。にせのお酒を売りつけるのは店の大小問わずかなり頻繁で、特に日本人観光客は、中国酒本来の味をよく知らないと思われていて、にせものを給仕することが結構あるそうです。(質の悪いにせ酒には工業用アルコールが含まれていて、ゲリをおこしたり危うく失明しかけたという人もいます。ご注意!)おつりや運賃をごまかすのはもう日常茶飯事と言っていい。
よく、「ガイドさんが大丈夫って言うから。」「ガイドさんについていれば大丈夫。」なんて言ってるのんきな中高年旅行者がいますが、現地ガイドはお客と一緒に食事はとらないものだし、たいてい地元業者とつるんで日本人をカモにしています。》

ちなみに、北京市の場合4月5月の日本人入国者は対前年比それぞれ23%と34%の減少とのこと。
来自http://www.thebeijingnews.com/news/2005/0715/09@030643.html

共産党、定州市縄油村の土地強制収用を撤回

2005-07-22 12:14:48 | Weblog
地元政府が火力発電所用の石炭灰廃棄場設置のために住民の反対を押し切って土地の強制収用を図り、その過程で村民襲撃殺害事件を起こして問題になっていた河北省定州市縄油村事件は、政府が縄油村の土地収用をせず代替地を探す旨決定して、一応の終結を見た。
この事件を当初から報道していた新京報は広東省を拠点とする南方日報グループの北京発行日刊紙で党内民主派の新聞。
http://www.thebeijingnews.com/news/2005/0721/10@005407.html

なぜ中国共産党は排日感情をあおるのか?

2005-07-21 10:35:23 | 雑感
中国ではこの四年ほどの間に、日本にいる私の目に付いたものだけでも下記のような日本人をことさら醜悪に描いたり、日本人の犯罪を政治的攻撃と歪曲したり、事実無根の捏造により日本人への敵意をあおるような新聞記事によるキャンペーンが繰り返されている。世上、中国の学校における反日教育が問題だとの主張や、インターネットによる政府のコントロール外の世論の噴出が問題だとの主張があるが、私はむしろ中国共産党の伝統的な大衆動員工具である新聞による意図的な世論誘導が現在最大の問題だと思う。

1、2001年12月、趙薇事件--タレントの趙薇が旧日本軍の軍旗に似たデザインの服を着て8月のファッション雑誌に載ったとして新聞紙上で漢奸(漢民族の裏切り者=非国民)と非難される。この非難記事をみた青年が趙薇を舞台上で押し倒し、ビニール袋に入れてもっていた糞尿を彼女にぶちまけた。この事件を多くの新聞は「愛国無罪」と報道し、犯罪者を弁護した。
2、2003年9月、広東省珠海で日本人団体旅行客による集団売春事件が発覚。これについて、一部の新聞は9・18事件(満州事変)を祝賀するためにやってきた日本人の挑発と報道し、政治的事件に歪曲した。
3、2003年10月、西北大学事件。共産党の下部組織である共産主義青年団の組織した学芸会に強く誘われて出演した日本人留学生が「中国を侮辱するわいせつな表現をした」として全国の新聞で報道され、主催者の西北大学の共青団が抗議デモを組織し、デモ隊が留学生宿舎を襲い日本人留学生を殴打。数日後に学校当局の調査で中国を侮辱するような演出はなかったと発表されたが、新聞報道は訂正記事を流さず、留学生と当日無理やり参加させられた日本人教師の4人は「校規違反」という理由で放校処分。留学生宿舎を襲った野次馬の何人かは処分されたが、デモ許可手続をとらずに中国では違法なデモを組織した共青団には何の処分もなかった。

これは新聞紙上に現れた排日キャンペーンのごく一部にすぎない。
では、なんで共産党は反日感情をあおるのか?

そのヒントが、2005年4月には反日デモ騒ぎがある。
このデモでは「靖国」は表面に出ていない。突出した課題は「安保理常任理事国」と「台湾」であった。
中国は、急速な経済成長と外資の大量流入により、90年代までのように日本の民間資本や政府開発援助を頼りにしなくなった。一方、ウイグルやチベット、モンゴルといった国内植民地の独立への動きを封じ込める必要はますます大きくなっている。一方、台湾は実質的に共産党が統治したことのない地域であり、「独立」自体は当面何の経済的社会的変化ももたらさない。しかし、台湾の「独立」を容認すると漢民族主体の台湾ですら別の国を作れるのだから、異民族が独立しても当然という風潮が広がることを恐れている。そこで、台湾独立の動きと日本とを結びつけ「台湾独立」=「日本による侵略」というイメージを作って、台湾独立派への憎悪を掻き立て国内の世論が台湾独立容認に流れることを阻止し、武力鎮圧への抵抗感を薄め、正当化しようとしていると思われる。そして、そのような目的を達成するためには日本が常任理事国になり、日本の国際社会での発言力が高まることは極めて不都合なこととなる。

実際に、中国による台湾侵攻に対して軍事的に抑止力となっているのはアメリカだが、もし反米キャンペーンを繰り広げたら、アメリカの反撃が怖い。日本はいくらたたいても反撃される心配のない第二次大戦の敗戦国であり、格好のイメージ戦略の標的なのだ。中国で今なぜこれほど第二次大戦戦勝キャンペーンが盛んに行われているか、その理由も多分ここにある。

4月の一連のデモは中国国内では報道管制がしかれたためほとんど報道されなかった。前者が対内宣伝であるとすれば、排日デモは対外宣伝であった。そして、国営ニュース配信会社新華社は上海のデモを他のどの外国報道機関よりも多く10万人以上と報道し宣伝効果をあおろうとした。このときの一連のデモはすべて無許可デモだが主催者はだれも逮捕されていないどころか、警察当局は主催者を特定しようともしていない。首謀者が共産党の中にいることを推測するに十分である。これが、一党独裁に反対するデモだったらたちまち全員逮捕されて数年間は牢獄から出てこれないだろう。





非常識二題

2005-07-18 15:24:41 | Weblog
その1:日本は60年間も平和国家としてやってきたのだから、国民も成熟しており、憲法9条を改正しても侵略国家にはならないという主張が、政府自民党などによってなされている。しかし、アメリカ合衆国を見よ。民主主義のトップランナーとして建国した合衆国は、同時に侵略戦争を繰り返してきた。国民国家の民主主義は意思決定の手段としての選挙権を一般国民にまで拡大するが、その意思決定によってもっとも大きな影響を受ける侵略戦争の相手地域住民の意見を聞くことは決してないからである。民主主義国家は外交においてはその非民主性をもっとも際立たせる。
その2:中国の排日は日本で言えば明治維新前後の攘夷である。日本は、佐幕派と尊皇派が対立した時に、「攘夷」が大義として尊皇派によってかかげられた。そして、明治維新が成功したら尊皇派は「攘夷」のスローガンをさっさと下げてしまった。
今の中国ではかつて第一次大戦後の1919年、民国政府に反対する民主派が排日をかかげた。日本の領土的要求に対して断固戦えない民国政府を政権担当能力なしと批判したのである。中国共産党は民主派の中から生まれ、民主派を踏み台にして政権を取ったがゆえに排日は錦の御旗であった。日本の侵略は60年も前に失敗したのに、それを今でも下ろせないのは、一党独裁に反対する民主派勢力が今でもいるからである。尊「民」攘夷を押さえつけるために尊「党」攘夷をかかげ、清国の勢力圏を引き継ぐ植民地帝国の辺境領土の維持と国家の統一維持を実行できるのは共産党だけであると主張している。共産党は時に日本政府に対し共産党がいなければ民主派のより激しい排日に日本政府はさらされるというが、もしこの闘争が民主派の勝利に終われば民主派も攘夷の御旗を振り続ける必要はなくなるだろう。

最近の中国の体制派は何を考えているか

2005-07-10 12:08:51 | Weblog
最近中国の大学教員および地方政府の役人と話す機会があった。彼らと話していて、中国の一般的な社会意識が国家主義の方向に大きく移行していることを改めて実感した。
彼らは対日関係だけでなく(あるいはそれ以上に)ウイグルやチベット、内モンゴルの独立の動きに危機感を募らせていて、台湾の中華民国からの独立の意思表示が、これらの国内の少数民族の独立運動を刺激し、中華人民共和国(という植民地帝国)を解体に向わせるのではないかと恐れている。そのことから、日本政府の台湾への対応に対して非常に敏感になっている。
そして、それら分離独立の動きをつぶせるのは共産党独裁体制以外にはありえないと、少なくとも彼ら漢民族都市住民は現体制への一体感を深めているようだ。
このような背景のもとで、①小泉政権を支える旧福田派、②親中共的な旧田中派、③教科書の国家主義的傾向を批判する人権派の3者と中共政権の相性を考えた場合、②が最も相性がよく、③が中長期的には最悪の相性なのではないだろうか。
人権派はその論理を一貫させようとすれば、日本の教科書批判のみでなく、中国の少数民族弾圧や、台湾の民主主義社会の武力による破壊に反対せざるを得ないので、中国共産党にとっては①よりも敵対的な存在となる可能性が大きいからだ。