中国医療界の「オオカミトーテム」
張耀杰
原文:http://boxun.com/hero/2006/zhangyj/17_1.shtml
2004年4月、寓話的な歴史文化小説『オオカミトーテム』が長江文芸出版社から出版された。姜戎と名乗る作者は激情に満ちた神聖な言葉を使って華夏民族(訳注:漢民族)の「オオカミトーテム崇拝」を、ほしいままに殺戮略奪するオオカミ性崇拝にまでさかのぼらせた。私の子供時代の記憶の中には、それとは違う「オオカミトーテム」が存在する。「日が落ちると、オオカミが山を下りてきて、年寄りと子供は逃げられない」年長者の話では、この宗教的予言のような童謡は、共産党が天下を取って土地改革運動を行ったときに生まれたものだそうだ。それは国民党の青天白日旗が降ろされて、北方のソビエトロシアの「赤いオオカミ」が人間界に攻めてきて、数千万人の中国人、とりわけ農民が餓死させられたいわゆる「三年自然災害」。のことを意味しているという。
まさにほしいままに殺戮略奪する「赤いオオカミ」の統治の下で、西側現代文明では白衣の天使と称される医者と看護士が、病を治して人を救う人道的な天職をなげうって、患者を食い物にする「白いオオカミ」となった。これこそが今の中国医療衛生界の奇怪な現状である!
一、私が見聞きしたこと
2005年の夏休み、私と妻は初めて11歳の息子を連れて湖南省のふるさとに戻ったが、私が育った村ではきわめて不愉快な数時間を過ごしただけだった。
記憶の中のよく知った心温まる村はすでに廃墟だらけで雑草が生い茂る空洞の村に変わっていた。村の中ではあちこちで男たちがしゃがみこんでトランプ遊びをしていたが、誰も自分の家を片付けていない。昔から物乞いで生活している張西臣はもうすぐ60歳だ。むかし彼はとても臆病に家の前で「だんなさん、おかみさん、一口のご飯を恵んでもらえませんか?」と声をかけていた。それが今では公然と道端に寝転んで、えばって施しを強要している。一本の棒で泥道をふさいで、すべてのそこを通る車から一律2元の通行料を取っていた。
父が残した家はとうのむかしに倒壊していたので、仕方なくすでに行き来のなくなった長兄の家に短時間滞在した。集まってきた友人たちが語るには、環境汚染の急速な悪化で、村の中にいろいろな「奇病」が現れて、多くの村人が分けがわからないまま死んでいる。その中には私の6人の父方のおじおばのうちの5人、そして私の30過ぎの父方のいとこも含まれていた。
母は10年前に再婚して数十キロ離れた町に行き、母と継父は継父の毎月700元あまりの退職年金で生活している。継父は高血圧など多くの病を患っているが、保険から償還されない医療費が1年分以上たまっている。地元の政府の話しでは今後医療費請負制度が実施されるので、限度額を超えた部分は完全に自己負担になるという。母の片目は白内障でほとんど失明していたが、老人二人は私の負担をかけるのではないかと心配して、ずっと私に話さなかった。北京に戻って、私が最初にやったことは、2000元を用立てて母に送り、省都の鄭州で白内障手術を受けるよう促すことだった。
今回のふるさとへの旅で、私はいまの農村の社会的医療衛生保障の欠乏を実感した。
2005年9月17日、私は有名な記者であり農村活動家でもある高戦の誘いに応えて、江蘇省沭陽(じゅつよう)県官墩(かんとん)郷の所房村と新沂(しんき)県窑湾(ようわん)鎮の陸口村で彼が推進して設立した二つの農民発展協会を実地調査した。
沭陽では、私は農村衛生所(訳注:村単位に設置された医療・母子保健・伝染病予防・計画出産指導を行う最末端の医療衛生機関。衛生站ともいう。県には病院、郷鎮にはより規模の大きい衛生院が設置されることになっている。)の医療設備がお粗末で、重症の農民は痛みに耐えて死を待つ状態であること、および郷鎮公務員の「金要求」(税・手数料)と「命要求」(計画出産罰金)の実態を再び目の当たりにした。最も印象深かったのは2003年7月に起こった事件である。高戦が北京師範大学、中国農業大学と中国工業大学の学生40名をつれて農民に「農協」設立を働きかけているとき、郷派出所の門の前の公道で交通事故が起こった。加害者が逃げてしまったのに、派出所の警官は誰も出てきて調べない。救急車は高戦が救急センターに電話したのに、いっこうに来てくれない。仕方なく、彼が通りがかりの車を止めて自分で金を出して被害者を近くの郷病院まで運んでいった。被害者は貴重な救急のチャンスを逃したので病院で死んでしまったが、救急車は後から来て死人の金を取っていった。本来なら国民に公共サービスを提供すべき国家資源が、政府部門や公務員個人が暴利をむさぼるための道具となっている。
2005年9月19日、私と高戦は江蘇省から山東省に向かった。そして次の日、中国社会科学院の陸雷博士と山東大学の楚成亜博士と連れ立って、鄒平(すうへい)県張高村で于建博士が主催する「農村組織化建設」プロジェクト基地を視察した。そのあと、関係者の積極的な協力のもと、張高村に老年協会が成立し、健康診断を実施した。村の老人たちは生まれてはじめて自分の健康ファイルを持った。
私の友人淮正は湖北省の農村出身である。彼が2004年に書いた『中国農民の医療衛生現状スキャン』の中で、自らの体験を紹介している。「私には二人の父がいる。ひとりは実父で、もう一人は継父である。実父は去年の年末、慢性前立腺炎に苦しめられて死にそうになったとき、農村の家から武漢に行って前立腺の手術を受けた。1週間の入院で8000元あまりかかった。とても払いきれないので、強硬に退院を要求した。『患者側の要求で退院する。それがもたらす一切の結果は病院と関係ない。』という免責保証書に署名して逃げ帰った。同じころ、私の継父は脳卒中になった。半身麻痺で動けなくなったが、病院に入る資力はなく、家で何とか持ちこたえている。これは無数の農村住民の医療の現状の一例に過ぎない。農民にとって、病院とは何か? それは血まみれの大きな口をあけた人食いトラだ。だから、私の実父は急いで逃げ出し、私の継父は死んでも近づこうとしない。気が焦ってもいかんともしがたい私は、外国人がうらやましくて仕方がない。米国人、イギリス人だけでなく、リビア人や貧しいアフリカ人までもが……」。
二、失敗した医療体制改革
2003年の年明け、国務院発展研究センター社会発展研究部と世界保健機構の協力で、「中国医療衛生体制改革」のテーマ研究を決定した。タスクフォースは国務院発展研究センター、衛生部衛生経済研究所、北京市疾病予防管理センター、北京大学公衆衛生学院、労働社会保障部などの機関の専門家で構成された。2005年7月28日、国務院は医療改革研究報告を発表し、「現在の中国の医療衛生体制改革は基本的に不成功である」と認めた。そこで提供されたデータによると、13億人の人口のうちわずか1億人しか医療保険に入っていない。そして、8億人の農民中、37%の受診すべき患者が受診していない。65%の入院すべき患者が入院していない。2003年、全国民の二週罹患率は14.3%で1993年より0.3%増加している。しかし、受診率は逆に1993年の17%から13.4%に下がっている。全国民の二週罹患者の適時に受診しなかった比率は5割近い49%である。この人々のかなりの部分は経済的困難によるもので、その比率は都市で36%、農村で39%に上っている。
2005年12月13日、「中国青年報」の記者蘇敏は「60%の医療衛生費は自費、1年の収入で1回の入院をまかなえない」という記事で、関志強教授が提供したデータを紹介している。「制度的保障がないために、医療衛生費の60%以上を個人が負担しており、都市では44%以上の人がいかなる医療制度保障も受けておらず、農村ではそれが80%にもなる。医療支出の伸びは個人収入の伸びをはるかに上回り、庶民の一年の収入では一回の入院費用をまかなえない。いったん病気になったら、多くの家庭が貧困に陥る。中国では13人に1人が赤貧状態である。そのうちの1/4から1/3は病気が原因である。このような状態が続くことは、内需による経済の牽引を妨げ、中国の社会経済の健康な発展に巨大な脅威となっている」。
医療衛生事業は国の経済と国民生活にかかわるが、計画経済と市場経済の並存する中国社会でなんとも奇怪な状況が出現している。市場の需要は非常に大きいのに、価格は常軌を逸した高さである。計画経済の恩恵を受けるべき一般大衆が、市場経済のもたらす膨大な医薬費を負担しなければならず、膨大な社会的弱者グループが搾取されるに任されている。依然として計画経済時代の資源の優位を享受する国有病院と国有製薬工場は、国家権力の保護の下にニセ市場経済改革の名の下に暴利をむさぼる吸血鬼となっている。病気を治して人を救うことを天職とする医者と看護士もまた、国家暴力に駆り立てられて利益のためにリベートと賄賂をむさぼる「白いオオカミ」になっている。
(参照:2007中国衛生統計ダイジェスト
http://www.moh.gov.cn/open/2007tjts/TT%ef%bc%88%e5%b0%81%e9%9d%a2%e3%80%81%e8%af%b4%e6%98%8e%e5%8f%8a%e7%9b%ae%e5%bd%95%ef%bc%89.htm)
三、人を見殺しにする北京同仁病院
2005年12月15日、「新京報」記者の耿小勇と張漢宇は「二度入院して放置され、金がなくて同仁病院で死亡」という記事で次のように報道している。「前日の夜9時30分ごろ、北京同仁病院の救急の廊下で、北京に仕事を探しに来ていた37歳のチチハル人王建民が持ち金がなかったため、『痛い、助けてくれ』と言いながら死んだ。その前に、救急車は2回王をこの病院に送っていた。同仁病院の救急主任の話しでは、『検査したところ生命の危険がなかった。病院は前金の立替はできない。医者が王の症状が重大であることを知ったときには、王はどこかに行っていた』という」。
二回王建民を同仁病院に運んだ都貴発によると、12月11日深夜、王建民は両手で腹を押さえて地面を転げまわっていた。そして、たびたび口から血の混じったものを吐いていた。都貴発が120の救急に電話すると、救急車は近いところに搬送するという原則で近くの同仁病院に搬送した。王が金を持っていないことを知ると、医者は「検査の結果生命の危険はないからだ、見殺しにするわけではない」といって追い返した。12日23時50分、救急車は再び王建民を同仁病院に運んだ。患者の症状はやはり「吐血」だった。医者の答えはやはり生命の危険はない、金を持ってきたら治療してやるということだった。
13日夜8時30分ごろ、病院にとどまっていた王建民は救急治療室から10メートルも離れていない男子トイレの入り口で死んだ。同仁病院のエレベータ修理工の証言によると、王の死体は14日午前9時30分ごろ遺体安置室に運ばれた。
2006年2月16日、「京華時報」記者の傅沙沙は「同仁病院の死亡出稼ぎ労働者死体検査結果出る」という記事の中で次のように書いた。2005年12月24日、北京市公安局法医学鑑定センターは王建民の遺体の死体検査を行った。2006年1月5日、チチハルから駆けつけた王建民の兄王建群は、救急治療の法的義務を履行しなかったとして、47万元あまりの損害賠償を請求して同仁病院を訴え、東城裁判所に受理された。
これより前の2005年12月15日、博客ネットに李保君の文章「医療体制は大勢の人の命を埋葬した」が載った。「奇形の医療体制は極端に誇張された医療費用を招き、……王建民は死んでも金を払えない、彼はなぜ(公費医療のある)公務員でなかったのか? 生命の消失には多くの方式があるにしても、北京同仁病院の救急治療室の外というのはあまりに情けない気持ちにさせられる。金がないばかりに! 私たちは知らないが、毎日このようにして死んでいく人はたぶんたくさんいるだろう。私はせめて彼らが死んだ後、これからどれだけ多くの人が「同じ轍を踏む」ことになるのかが知りたい」。
四、「天文学的な入院費」は水溜りの波紋
2005年11月23日、中央テレビ局の番組「新聞調査」が「天文学的な入院費」を放送した。ハルビン市の退職教師翁文輝が悪性リンパ腫と診断されたあと、ハルビン医科大学第二付属病院のICUに67日間入院して、家族は139万7千元あまりを病院に支払った。一日平均2万1千元である。このほかに医者の勧めで、自費で400万元あまりの医薬品を購入して病院に渡している。
「一つの石が、千層の波を破った」。番組が放送されると、紙メディアとネットメディアで大きな反響を巻き起こした。2005年12月8日、中央テレビ局の番組「東方時空」は「天文学的医薬費は例外的事件ではない」というテーマで古い事件を蒸し返した。「常軌を逸した費用徴収、天文学的請求書は例外的な事件ではない。実際、今年の9月末にわれわれ東方時空が報道した深圳の天文学的医薬費のこととハルビンの事例はそっくり同じである」。それによると、患者の諸少侠は心不全で深圳人民病院に119日間入院してから死亡した。医療費の92万元に加えて、病院が家族に勧めた自費購入の医薬品の費用を加えると、諸少侠の入院119日間の費用は120万元にも上った。
2006年1月13日、「人民日報」に白剣峰記者の「高強:公立病院は公益であるべきで利益追求に走るべきではない」という記事が載った。その中で、衛生部長高強の次の見解を引用している。「公立病院の基本的職責は大衆に良好な医療サービスを提供することである。ハルビン医科大学付属第二病院の調査結果によると、高額医薬費の問題はメディアの報道と若干の食い違いはあるが、しかしやはり非常に深刻であり、まもなく発表する。この事件は改めて私たちに医療機関は必ず人民の健康のために奉仕するという理念と公益的性格を堅持しなければならず、盲目的に経済利益を追求してはならず、ましてや医療サービスを利用して個人的利益を図ってはならないことを示した。いかなる時にも、いかなる状況下でも、『医療で私利を図る』大衆の利益を損なう行為は、すべて厳罰に処する」。
2006年2月6日、雑誌「財経」に「『天文学的医療費事件』調査」という記事が載った。その中で、医療専門家の席修明が翁文輝の息子翁強に次のように反論している。「これは実際には医療倫理学の問題にかかわる。ある一人の富豪が金銭と権力を利用して、有限な医療資源を最大限占有し、病院に最大限の延命を要求したとき、病院はどう対処すべきか?」。
2006年5月11日、「北京晨報」の記者劉墨非は「衛生部は天文学的医薬費の報道が事実と異なるというが、過剰請求は十分な証拠があるか」という記事を発表した。「行政によるハルビンの天文学的医薬費事件の処理結果によると、病院の違法請求は20.7万元であった。最初のメディアの報道の500万元「天文学的」医薬費の内容について、衛生部スポークスマン毛群安は昨日の記者会見の席で疑義を示した」。毛群安が疑問を投げかけた原因は「自費で医薬品を購入したということはメディア報道を通じて知ったが、メディアに聞きたいのは、その証拠は何で、証拠の出所はどこかということだ」。
ここに至って、「550万元天文学的医薬費」事件は鎮まった。中国の現行医療衛生制度はこの大波の衝撃にもゆるがなかった。後から振り返ってみると、大波のようなメディアの攻勢も歴史の大きな流れの中では、水溜りに起きた小さな波紋に過ぎなかった。実際、早くも2000年12月11日の「法制日報」に、焦国標の文章が載り、その中である事件を取り上げている。記者が病院に非常に著名な老人を見舞った。老人は体中にチューブをさして、どれがどこにつながっているのかわからない。老人の顔には少しも表情がなく、目もほとんど動かず、生命は完全に人工的に延ばされている。医療関係者の話では、このクラスの医療を受けている老人はこの病院にはたくさんいる。このクラスの延命措置には、毎日1万元近くかかる。このような生存状態は1,2年かさらに長く続けることができる。国は毎年このような老人の医療に一人当たり200万元あまりを支出する。記者はこの話を聞いて非常に驚いた。「国家の医療資源は一定なのに、ここで手厚い医療が行われているということは手薄なところもあるということだ。ふるさとの農村では多くの老人が、死ぬまで一生の間一度も郷の病院にもかからない。多くの妊婦は10ヶ月の間一回も検査を受けず、分娩の産褥は家のベッドである」。