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思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

思想の自由市場と著作権法39条

2009-11-29 14:18:24 | 雑感

世界人権宣言27条2項は「すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。」と定める。これは財産権の一つとして知的財産権に関する規定である。日本でもその具体化として著作権法が定められている。

一方、言論の自由の保障(日本国憲法21条)、とりわけ少数派の政治的言論の自由の保障は、表現の自由市場の下で、相互批判を通じてより良い統治を実現していくという、国民の自己統治の実現に不可欠であり、民主主義社会の基盤である。そのような財産権を含む人権保障の基礎である重要な公的利益が財産権によって制限されるとしたらそれは本末転倒であろう。

そこで、憲法29条2項では「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める」と規定し、具体的には著作権法39条でこの民主主義のインフラと財産権との調和を図っている。つまり、「新聞紙又は雑誌に掲載して発行された政治上、経済上又は社会上の時事問題に関する論説(学術的な性質を有するものを除く。)は、他の新聞紙若しくは雑誌に転載し、又は放送し、若しくは有線放送し、若しくは当該放送を受信して同時に専ら当該放送に係る放送対象地域において受信されることを目的として自動公衆送信(送信可能化のうち、公衆の用に供されている電気通信回線に接続している自動公衆送信装置に情報を入力することによるものを含む。)を行うことができる。ただし、これらの利用を禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。」と、許諾を前提とする一般原則とは逆に、明文での禁止規定がある場合を除いて転載を認めている。

これは、財産権規定によって本来周知されることを期待されている政治的議論などの時事問題が逆に市民の目に触れることが制限されるのを防ぐ規定である。この規定は、とりわけ市民の目に触れる機会の少ない少数派の言論にとっては大いに活用されるべき規定であろう。また、人権など国の枠を超えた共通課題や二国間課題に関する外国での議論は、一部を除いて紹介されることが少ないので、その面でも大いに活用すべき規定であろう。外国言論の場合には、当然その内容を伝えるための翻訳という作業の介在が認められる(著作権法43条2項)。なお、48条で、39条に基づく転載につき出所および著作者名(明らかな場合)を示すことを要求している。

以上、私の「中国異論派選訳」に関係する著作権、言論の自由との調整規定の紹介である。

参照:

はじめての著作権講座

不当啓発撲滅キャンペーン


日本の老人福祉と医療の貧困

2008-08-22 19:54:35 | 雑感
 先日東京近郊のK市にある某老人性認知症疾患専門病院に親族を見舞った。入院した親族はそれまで大腿骨骨折で急性期病院に入院していて、最近この病院に転院になった。この病院は4階建ての2階以上が各階独立した病棟で、病棟に行くにはエレベーターを使わなくてはならない。ところが、そのエレベーターは暗証番号を入力しないと動かない。エレベーター横の1階の飲食コーナーには公衆電話があって、その横に入院患者宛の掲示が貼ってあった。趣旨は、病院は患者の外部との電話連絡の自由を保障する、ただし、治療上必要がある場合には十分説明した上で制限する場合もある、とうものだ。これはたぶん宇都宮病院事件で外部との通信手段が断たれた中で病院による患者殺害が行われたことの教訓によるものだろう。今は法文にもこの通信権の保障は盛り込まれているのだろうか。

 だが、病棟から帰るとき一人の患者が後からエレベーターに乗ろうとしたら、病院側に事前に説明を受けていた同行者がうまく言いくるめて乗せないようにしていた。つまり、エレベーターの暗証番号は入院患者には知らされていないのだ。だから、患者は見舞客と一緒でなければ1階に行くことはできない。そして、病棟階には公衆電話はない。つまり、この病院は実質的には通信権がまったく保障されていないのだった。

 病棟では親族が車いすに座ってぐったりしていたので病院職員に事情を聞いた。病院側の説明によると、夜間はほとんどの患者に徘徊などによる事故の防止のために睡眠薬を服用させているという。親族は徘徊できる体ではないが、声がうるさかったのでたっぷり睡眠薬をのまされたようだ。ところで、後で調べたら、睡眠薬を処方するほうが逆に転倒リスクは高まるらしい。http://plaza.rakuten.co.jp/rinren/diary/20080402/「高齢者の睡眠薬と転倒に因果関係」。いろいろ理由を取り繕っても、つまるところ、この病院では物理的な拘束や抑制の代わりに化学的な(薬物による)抑制をやっているのだ。

 また、病院側の説明によるとポータブルトイレは自力で行ける人用で、介助の必要な人のトイレ誘導は行っていない--すべておむつの中にさせる--ということだった。だから、昼間車いすに乗っている患者がいくらトイレを訴えてもほおっておかれる(夜は睡眠薬で眠らされる)。病院側の説明では、繰り返し便意を訴えるのは認知症特有の症状で、決して本当に便意があるわけではないとのこと。

 結局手を変え品を変えて外部通信の侵害を続け(規制しなくても自力で電話できる人は少ないだろうが)、抑制・拘束を続けているのだった。

 これまで、できるだけ長生きしたいと思っていたが、こんな病院に放り込まれて生殺しにされるんだったら、考え直さなければいけなくなった。それにしても、早く親族を何とかしてあげたいが、近親者とまではいえないので難しそう。近親者が退院させようと決めるまで何とか生き延びてほしい。それとも、この劣悪な環境に「慣れる」しかないのか?

アムネスティのシンポジウム

2008-08-02 23:09:35 | 雑感
北京五輪直前の時期に改めて中国共産党の人権侵害に注意を喚起するシンポジウム。徐文立と胡平がアメリカから来日してパネリストとして出席した。有名人の出席でもっと大勢来るかと思ったら、聴衆は意外と少なかった。民主化運動に関心の薄い日本では無名も同然だったようだ。質問カードがたくさん集まったのに、あまり取り上げられず、予定時間より早く終わった。生煮え。ただ、徐文立釈放に取り組んだ金沢グループの活動家との対面はアムネスティ運動の意義を実感させてくれた。

徐文立は民主化運動の大御所風にえばっているのかと思ったら、発言から受ける印象はひょうきんで面白い人だった。ただまあ、この年(65歳)だから仕方ないのかもしれないが、この人は国家から独立した市民運動というものをイメージできないらしい。政治犯救援運動への要望を聞かれて、「日本政府と人民」云々と呼びかけ相手を規定していたのには内心失笑した。中国政府の代表の発言と瓜二つだ。

関連:
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1676

朝日新聞の「視点」記者はなぜ中国のゆすりたかりに同調するのか?

2008-07-03 21:44:23 | 雑感
今日の朝日新聞朝刊に「四川復興に日本の技」という署名記事があったが、そのすみに「視点」という解説があったのを読んだ人はいるだろうか?

四川大地震に事寄せて中国で官民を上げて外資系企業に対するゆすりたかりが行われたことはご存知の通りだ。その中ではダイキンやトヨタも槍玉にあげられていた。ところがなんと朝日新聞は「四川大地震の被災地に対し、多くの義捐金を送った日系企業への中国国内での評価は高まる。対照的に義捐金の額が少なかったり、表明した額を払わなかったりした欧米企業には非難が集まった。」などと、とんでもない勘違いの評価をしている。

最大の問題は、中国のゆすりたかりを支持していることだ。この記事の筆者も義捐金は「義務」であり、義捐金拠出競争に大いに励むべきだと認識しているようだ。そして、それに「勝った」日本企業(そんな評価は中国では出ていないが)を大いにほめたたえているわけだ。最近の朝日には珍しく中共の犬のような解説記事で、読んでいて気分が悪くなった。

「靖国」と「延安の娘」

2008-05-29 19:36:32 | 雑感
「靖国」と「延安の娘」を見た。

「靖国」は前評判どおり、あまりたいした映画ではなかった。10年もかけて8月15日の靖国神社の人目を引くシーンを集めた努力には感服するが、集めるのに10年もかかったということは、人目を引くシーンが少ないということの裏返しでもある。
気になったのは、監督の視線。映画の後ろのほうは過去の写真紹介ばかりだが、刀で首を切る場面など中国人に対する残虐場面がある(=被害者が描かれている)一方、日本の本土空襲や原爆は爆撃する側からの写真のみで、地上の被害者が写った写真はゼロ。この映画は、人権や平和といった普遍的な価値をバックに靖国神社の問題をあぶりだす、というよりは、敵味方の視点から戦争の敵の奇怪さを際立たせようとする気持ちが前面に出ている映画だと思った。刀匠の取材も表面的で、この映画では人間が描けていない。李纓監督

「延安の娘」は、捨てられた子供が北京の実父母を探すドキュメンタリー。この映画の主人公は延安に置き去られた娘だが、もう一人の主人公は、それの親探しを助ける黄という元下放青年。かれは、下放先で同じ下放青年の娘と恋愛して妊娠した彼女の5ヶ月の子供を強制堕胎させられ。地震は、反革命罪で5年の懲役生活をおくる。そこで、人間以下の扱いを受け尊厳を踏みにじられる。彼は、そのまま下放先の農村に残り、文革期間中の理不尽な扱いに苦しむ人々の手助けをすることを通じて文革の不正を暴き、自らの尊厳を回復しようと格闘ている。取材対象の一人ひとりの心の葛藤が伝わってきて、人間がよく描かれたすばらしい映画だった。池谷薫監督

中国製備長炭と日本製アニメ

2006-08-14 22:45:41 | 雑感

一昨年10月に中共が輸出全面禁止にしたはずの中国製備長炭が実は大量に闇で輸入されていると言う話(昨日の朝日新聞)。

日本政府にとっては輸入禁止の法律があるわけではないから、輸入は合法だ。

しかし、中共のやることはすべてだめだとばかりいっていられない。中国では、農民が現金収入を求めて炭にするために広葉樹がたくさん切られ、山が荒れている。目先の小さな利益のために山河を守ると言う大きな長期の利益が失われている。

中国はインドネシアやロシアでの違法伐採の材木を大量に輸入しているが、それを私は批判する。同様に、日本の国会や関係省庁も、中国国内で輸出を禁止している備長炭の輸入を禁止するような法整備を急ぐべきだ。そうすることが、中国の森林を守り、また日本の炭焼き農家を守ることにもなる。

一方、中国政府が日本文化締め出しのために、外国製アニメの放送規制を行ったと言うこと(同じく今日の朝日新聞)に対しては、日本政府は断固たる抗議をすべきだ。これはいわれのない、あるいは排外主義にもとづく貿易障壁だからだ。


国際環境税の創設を

2006-08-11 09:28:23 | 雑感

中国の火力発電所は、そのほとんどが排煙脱硫装置を設置せず、大量の二酸化イオウを大気中に放出して環境を汚染している。たとえ、外国の援助で排煙脱硫装置をつけても、運転経費を嫌って作動させなかったり、故障したらそのまま放置しているところが多い。それを規制する法令は多いが、実際は外国向けの見せ掛けで、ほとんど執行されていない。

温暖化ガスの二酸化炭素に至っては、国内でも手に入る比較的効率のいい技術はたくさんあるのに、非効率な生産設備を使い続けて、無駄に大量の燃料を燃やし、大量の二酸化炭素を放出し続けている。

なぜか? 製品の安売りで世界市場を席巻するためである。共産党独裁政権を支える中国企業の市場競争力は中国を含む世界中の人間と生態系の犠牲の上で成り立っているのだ。中国製品の価格優位性はこのような環境からの収奪と、さらには、戸籍や四分之一選挙権など制度によって無権利状態におかれた超低賃金かつ社会保障の対象外の農業戸籍労働者からの収奪によって成り立っている。

このような無法な環境からの収奪を規制するために、国際環境税(環境関税)の導入は一案と思われる。ある製品の製造にかかったエネルギーを世界の平均的な消費エネルギー量と比較し、それを超える製品については設備改善の動機が生じるのに十分な環境関税を課すのだ。

これは、決して途上国にとって一方的に不利な制度とはいえない。なぜなら、一般に先発企業や地域は比較的古い設備を使っており、後発の企業や地域の方が最新の効率のよい設備投資のハードルが少ないからだ。中国の都市間電信網が、一気に光ケーブル化したのはその典型的な例だ。


日本の戦後憲法秩序の破壊をもくろむ中国共産党-報道の自由と光華寮問題

2006-06-21 09:56:02 | 雑感

今年1月上旬に中国外交部の李肇星外相が日本政府に対してマスコミの報道規制を要求して、朝日新聞を含む日本の報道機関が一斉に反発したのは耳新しいことだ。この場合は、中国共産党が日本国憲法21条が保障する日本国民の表現の自由を日本政府が侵害するよう求めたものだ。

しかし、この例に限らず、中国共産党はたびたび日本政府に対して日本国憲法が保障する基本的人権の侵害を求め続けている。たとえば、京都の中華民国留学生宿舎である光華寮をめぐっては1987年に大阪高裁で中華人民共和国側の利益代表が敗訴し現在最高裁で係争中であるが、共産党政府は民事訴訟における中華民国の私法上の法人格を認めず、民事上の問題ではなく「政治問題」だとして、日本政府に対して司法権への介入を求め続けている。中国共産党は、一方で台湾を交渉相手として認めて「一国二制度」を要求しながら、一方で日本政府に対しては日本における台湾の私法上の権利を否定するよう要求するという全く矛盾した行動をとっているのだ。そしてここでは、中国共産党は日本国憲法29条が私人に対して保障する財産権を否定するよう要求してもいる。

最高裁は光華寮問題が一層政治問題化することを恐れ、また、判断を示さない間は高裁判決が維持されることを考慮して、20年近くも判決を先延ばしにしているように見える。しかし、日本の司法府が憲法が保障する基本的人権を守る姿勢を示すためには、断固として上告棄却判決を出すできであろう。

「優秀な」行政官僚とシンクタンクを抱える中国共産党は日本の憲法システムの三権分立や人権保障を理解していないのではなく、それを尊重する気がなく、中国国内と同様に中国共産党の意のままに日本の統治機構を操ろうとしているにすぎないのだから。

中国外交部の光華寮問題に関する見解:
http://www.fmprc.gov.cn/chn/wjb/zzjg/
yzs/gjlb/1281/default.htm

光華寮問題に関する法的解説:
http://www.claim-ken.com/harago/china/china05.htm


愛国心について

2006-05-12 17:06:49 | 雑感

自分の住んでいる環境をよくしたいと思うのは、利己心に基づく人の自然な感情だから、自分の住んでいる国を愛する気持ちというのはたいていの人に備わっている。

しかし、人は利己心のみを行動の規範としていたのでは他人の利己心とぶつかって、絶え間ない争いが生じ、結局自分の状態を良くしたいという願望をほとんどの人が満足できないことになる。

そこで、他人の基本的人権を侵害しない限度でのみ、自らの利己心を満足すべき、というより高次の規範が必要になる。国を愛することは、教えなくても利己心に基づく自然な行動として身についているが、より高等な行動である基本的人権の尊重は教えなければ身につかぬ。

いま、自民党右派が吹聴している愛国心は、個々人の利己心を統治機構としての「国家」に集中し、「国家エゴイズム」を全開させようというたくらみである。それによって、確かに統治機構の周囲に群がる一部の人間は、自国民と他国民との犠牲の上に利権をむさぼることができるだろう。しかし、一般国民は国家に対する批判を許さぬ忠誠と、標的にされた他者に対する憎悪の感情をあおられ、ゼロサムゲームに熱を上げて、終わってみれば馬鹿を見る、ということになる。

相も変らぬ痴愚神礼賛、物神崇拝、フェテシズム、つまり野蛮な物欲による群集統合手法である。


竹島を巡る韓国政府の「歴史」ヒステリー

2006-04-27 11:50:24 | 雑感
日本が誤った歴史を美化して、それに基づく権利を主張する限り、韓日間の友好関係は決して正しいものにはなりえません。日本がこれらの問題に執着している限り、我々は韓日間の未来と東アジアの平和に関する日本のいかなる修辞も信じることができません。いかなる経済的な利害関係も、そして文化交流も、この壁を溶かすことはできないでしょう。

http://www.mofat.go.kr/fe/e_a001/e_jpjp/e_jpjp_a05/
1202698_21871.html

「主権国家」が経済や文化など個人の活動までを支配しようとする醜悪な姿がここにもある。

中国で猖獗を極める歴史修正主義

2006-04-03 19:15:51 | 雑感

中国のウエブサイト上ではあいかわらず反日排外言論が猖獗を極めている。原爆被爆者への追悼はそのもっとも槍玉にあげられることの多い話題である。殺されて当然だとか日本人はことさら原爆被爆者追悼を賑々しくやることで中国への加害の事実を忘れようとしていると言った主張はまだおとなしいほうで、中国の核兵器で日本人を絶滅させるべきだといった主張も頻繁に登場する。

大量の人員を使ってチェックしているので中国で開設されたウエブサイト上では政府批判や反国家主義的な言論はすぐに削除される。そして運が悪ければ逮捕される。しかし、排外主義言論は当局も許容するところなので、欲求不満は勢い排外主義の先鋭化に結びつきやすい。治安維持法時代の日本の言論状況によく似ている。

そして、この排外主義的欲求不満の排泄は、歴史修正主義としてもあらわれている。原爆に関して言えば、広島長崎への原爆投下はなかった、すべて日本人のでっち上げだという論説が流れている。

参照:历史大骗局:广岛长崎原子弹爆炸
http://news.mop.com/6/506/67538.html
転載:http://www.peacehall.com/news/gb/z_special/
2006/04/200604030221.shtml


このような精神環境を醸成する共産党政権は、同時に急速な軍拡も続けている。平和主義を国是とする(はずの)日本であっても居住者の安全を守るためには最低限の準備は必要になっているようだ。かつて、ナチスはチェコ侵攻をドイツ系住民が多いこと、ドイツ民族の統一を口実にし、それを英仏は黙認してしまった。その結果ポーランド侵攻から第二次大戦への坂道を転げ落ちることになった。いま東アジアで、中国共産党の台湾侵攻を黙認すれば、同じような事態に陥るだろう。台湾の次は日本か韓国だ。理由は韓国については「小中華の大中華への復帰」、日本については「国家統一に対する妨害に反撃。」


中国に必要な援助とは

2006-03-24 11:32:39 | 雑感

日本政府は、円借款の2008年終了を決めたようだが、無償援助については継続の予定である。

今の中国は共産党の一党独裁のもとでも、経済は著しく発展し続けている。このような国に援助は必要なのだろうか?

経済統計上は豊かになり、上海や北京だけでなく、省都を始めとする大都市はいずれも高層ビルが林立し、きらびやかに飾り立てられている。

しかし、町の様子はどうか、同じ「市」でも、その中心地がきらびやかになっているだけで、「市」の範囲内でも「県」まで行けばそのほとんどがほこりだらけで薄汚れた町である。県役場のある町はまだ良い方で、それが「郷」まで行くとさらに貧しくなる。

また、法律で定められた9年制義務教育でもひどい格差がある。同じ「市」内でも市立の学校には豊かな資金が提供されるが、その下の「区」立となると、その何分の一の資金しか分配されない。市内に住んでいても、出稼ぎ労働者の子供には公立学校への就学が保障されず、多額の「学費」を要求される。「郷」まで行ったら、教師の給与がろくに払えないだけでなく、都会では全額公費の学校の維持管理に特別税が徴収される。

つまり、人権と平等の保障されない独裁政権の中国では、日本など議会制民主主義の国におけるよりもはるかに大きな格差が作り出されているのである。(ちなみに、日本では出身地にかかわりなく、外国人であっても義務教育段階では無償の公教育が受けられる。)

このような政府に対していくら援助をしてもそれを必要としている人のもとにはほとんど届かない。まして、政府が生み出す格差をすべて埋められるほど、日本を始めとする外国政府の援助は多くない。また、たとえ多量の援助があったとしても、その分政府はその分野の公共予算を削減し、ハイテクや軍事技術開発に回すだけだろう。

では、援助は不要か?否。中共当局の弾圧と情報封鎖によって孤立しがちな民衆の運動には、外に開かれた窓口が必要だ。つまり、中国の人権状況と貧困を改善するには、外国からの援助が欠かせない。それは対政府援助ではなく、農民・出稼ぎ労働者・失業者・エイズ患者などの権利擁護に取り組む人権NGOへの援助だ。そのような援助は独裁政権下中国の格差拡大と軍事大国化が生み出す地域不安定要因を取り除くことにも役立つだろう。

実際にそのような取り組みは行われている。たとえば:

http://weiquan-aid.org/?page_id=16

“维权网”小型资助项目

维权网”下设“维权资助小型项目” 介绍 About CRD Small Grants Project

项目宗旨: 推动公民民间(非政府)维权、协助公民监督政府执行《世界人权宣言》和政府批准加入的其他国际人权公约以及《中华人民共和国宪法》有关于人权保护的总纲条列。

操作规则:公正、合理、守法、透明;财务清楚;不接受任何非独立性的、附加政治条件的资源

接受资助者的责任:
1. 专款专用,不得挪用经费去从事所申请项目以外的活动。
2. 尽量保留开支收据,尤其是数目较大的开支。
3. 申请人个人在使用经费期间不得向本基金会申请其他项目;如果用同一项目向其他基金会申请经费或已经得到其他基金会资助,须告知本基金会。
4. 在项目完成时须就项目成就和财务账目各提交一份书面报告。

“维权资助小型项目”基金来源于私人捐赠和独立基金会等多元渠道。

该基金会由以下人士管理: 夏浓,夏云,晓康,裴瑞林

行政助理: 张趣

顾问委员会委员:若干。

联系:
电邮信箱 admin@monicafund.org


中国の環境問題

2006-03-04 11:08:09 | 雑感

中国の環境問題が相変わらず深刻だという。循環型社会の捉え方も、汚染排出と自然からの収奪の最小化というよりも、経済成長のための効率的資源利用という側面に重点が置かれているとのことだ(3月3日『朝日新聞』夕刊)。

日本での環境対策(公害対策)は60年代末から70年代にかけて、住民運動⇒地方自治体の政策化⇒国の政策化という方向で進んだ。中央政府の汚染垂れ流し企業優遇策などに不満を高めた地域住民が地方自治体に革新政権を誕生させることで、地域の公害対策が進み、それに危機感を抱いた自民党政権も公害対策に一歩遅れて取り組みだした。もし、中央政府が環境対策に取り組まなかったら、自民党は政権から転落していただろう。

では、今の中国に、このようなメカニズムは働くか。中央および省の数千人のトップ人事権を中国共産党中央が握っている(毛里和子『新版現代中国政治』164ページ)現状では、そのようなメカニズムは働く可能性は全くないといえるだろう。そもそも中国に地方自治体はない。行政官僚はすべて各級共産党の任命であり、トップ数人に関してそれを指名とよび、形だけ各級人民代表大会が承認する手続にすぎない。

しかも、行政官僚は経済成長により国庫収入を増加させることで評価され、立身出世が果たされるので、環境対策は二の次三の次に回らざるをえない。出世してしまえば、その地方とはおさらばだから、なおさらだ。

このような現状を改め、住民の環境汚染に対する批判が適切に政策に反映させられるようにするには、どうすべきか。まず、末端地方政府を自治体にしなければならない。つまり、行政トップを住民の直接選挙で選び共産党に対してではなく住民に対して責任を持たせるのである。現在の実際の決定権をもつ行政トップ(一把手)は、市長・県長や郷長・鎮長ではなく、市・県や郷・鎮の共産党書記だから、共産党書記を一般住民投票で選ぶようにするか、地方自治体については共産党の指導を否定して各自治体の長にトップとしての権限と責任を与えるか、共産党は二者択一を迫られるだろう。これまでの村長(日本の町内会長や戦前の部落区長にあたる住民の自治組織)公選においても村の党書記と権限のない公選村長の間の矛盾が問題になっている。権限を持つ者を公選しないで、共産党が任命権を握り続けていたら公選制も意味がない。

つまり、環境対策の面でも、共産党は段階的に一党独裁を放棄しない限り住民生活を守る効果的な対策をとることはできないのだ。

参考:
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html


「ジェンダーフリー」はけしからん

2006-02-20 10:54:08 | 雑感

と声高に叫ぶ右翼・皇道派の老人たちの声がやたらと目立つ中で、この際そのような主張とは対極にある「ハズ」の左翼的・人権重視的な社会運動団体の紹介も兼ねたチェックリスト兼ガイドブックを作ったらどうだろうか。

内容は、3項目のチェック項目と簡単な同一字数の自己紹介。
3項目の内容はその運動団体の執行部(運営委員会、世話人会、執行委員会など名前は問わない)の総数の中での

1)女性の人数(と比率)

2)エスニックマイノリティ(沖縄人、アイヌ人、朝鮮系日本人、中華系日本人等の日本国籍エスニックマイノリティ+外国人)の人数(と比率)

3)障害者(基本的には障害者手帳所持者)の人数(と比率)

アンケートを通じてこの内容を問うことで、結構いいかげんな運動団体の実態が明らかになるとともに、改善を促す効果もある。また、社会運動団体を一般市民のボランティアなどの社会貢献の一つの選択肢として選べるよう示すことで、運動体の敷居がずっと低くなる効果もある。

国際条約の要求もあって、1)や3)は雇用の面では行政レベルで取り組まれていることもあるのに、社会運動団体のレベルでは「連帯」のリップサービスレベルで、実は自分の要求以外のことは割りと無関心なのではないだろうか。

あったら結構面白いと思うけれど、実はもうこんなガイドブックできているのかな?