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王力雄:チベット独立ロードマップ(3)

2009-02-14 16:15:35 | 中国異論派選訳
王力雄:チベット独立ロードマップ(西蔵独立路線図)

二、帝国政治体制の苦境

1、「反分裂」が飯のタネに

帝国政権の最も重要な役割は帝国領土の完全性を守ることであり、そのために設立した「反分裂」機関の地位は高い。中共高官になったことのあるチベット共産党創立者プンツォ・ワンギェはこれらの機関と官吏を「反分裂の飯を食い、反分裂で出世し、反分裂で儲ける」と描写した。それは、いわゆる「分裂」が深刻になるほど、帝国がこれらの機関と官吏に与える権力が大きくなり、送り込む資源も多くなるからだ。そのため彼らは本能的に「分裂」問題が存在し続けることを望む。組織と個人の利益のために、民族問題の最終的解決を望まないばかりか、むしろ意識的に衝突を強め、「分裂」の危険を大袈裟に言い立てる。ことさらに波風を立て、些細なことを大きく言いたてる。また業績を誇示するために、事態の処理を厳しくするよう、衝突を大きくする。また責任を逃れ、誤りを認めないばかりか、より大きな誤りで小さな誤りを覆い隠す。当局が今回の事件で示した愚かさを、担当官僚の愚かさのゆえだという人がいる。しかしそれは違う。官僚たちはみな頭がいい。彼らは自分たちの行為が全体にとって不利だということを知らないわけではない。それでもあのような行動を取った原因は彼らの目的が事態をうまく処理することではなく、自分たちがその中から利益を得ることだからだ。たとえば、在外中国人と留学生を組織して、「紅い海」を演出した外交官は、多くが西側で教育を受け、長く国外で生活しており、そのような場面が当該国の民衆やメディアの反感を買い、中国のイメージを悪化させることを知らないわけがない。しかし彼らの昇進は派遣先の国の好悪によって決まるのではなく、中国の指導者と役所が満足するかによって決まる。中国の指導者がテレビで西側諸国の街頭に中国国旗と愛国中国人があふれているのを見て、メンツが立ち、腹の虫が治まったと感じた時、かれら外交官の昇進の可能性が大きくなる。これこそが彼らの出発点である。国家に危険を及ぼすことになるかどうかは、彼らには直接関係ないことであり、彼らが責任を負わされることもないから、心配には及ばない。

前に私はチベット担当官僚集団は事件の原因を「ダライ集団」に押し付けることにより、彼らは責任を逃れることができると述べた。しかし、すくなくとも官僚集団の中の警察、国家安全部(訳注:中国のCIA)、武装警察(訳注:治安軍)はそうはいかない。彼らの職責は「敵対勢力」と「外国勢力」の破壊を防止することなのに、「ダライ集団が組織的、計画的に入念に準備した分裂活動」がこのように実現したのであれば、本来責任は非常に大きいはずなのに、なぜ自分たちの役所に不利な言い方を黙認したのか? 利益共同体のための必要な責任負担のほかに、これによって官僚集団の巧妙な一面も明らかになった。単純な責任逃れは官僚の初歩的本能に過ぎず、より高度な手管は危機を利益を得るためのチャンスに変えることである。これら情報機関と鎮圧機関は自分たちが責任を負うのではなく、責任を資源の不足・経費の不足・権力行使に制限が多すぎること・政策が穏健すぎることなど「外因」に帰してしまう。彼らが強圧的にチベット人の抗議を血なまぐさく弾圧すると、「敵との闘争」の英雄に変身し、責任がないばかりか功績をあげたことになる。そして、あらためて強硬な弾圧こそが効果的な手段であることを証明する。このとき翻って、以前の資源不足、権力行使の制限の多さ、政策が穏健すぎることなどの「教訓」を総括し、権力トップに対し、彼らにより多くの資源と権力を与え、彼らの地位を強化する強硬政策をとるよう要求する。一般的に、この手管は必ず目的を達成することができる。なぜなら、情報の非対称を利用して事件の激しさと「分裂」の危険を騒ぎ立てることで、簡単に帝国の権力トップを恐れさせることができるからだ。そして帝国の権力者は、かねてより帝国の領土の完全性を守ることに代価を問題にはしない。

今回のチベット事件でかなりの程度中共政権の開明化のプロセスが断たれたと予想される。中国を警察国家から抜け出させようと努力する改革はたぶん夭折するだろう。とりわけ少数民族地区では、既に実行されていた緊張緩和措置は取り消され、軟化していた権力は再び強硬になり、改めて集権化されるだろう。「反分裂」と「反テロ」の名目のもと、中国の少数民族地区の将来の中共統治はファシズム化を免れないだろう。それはまさに官僚集団が「反分裂の飯」を食ってきた結果である。

官僚はどんな制度のもとでも自身の利益を追求する。それは不思議なことではない。しかし、良い制度は官僚の自己利益追求を良いメカニズムにまとめ上げるし、悪い制度は官僚の自己利益追求を悪い結果にまとめ上げる。利口な官僚をして利口に政権と国家にとって愚かなことをさせるのは、まさに独裁制度の弊害であり、また独裁が内部崩壊する原因でもある。

2、「官僚集団の民主性」

しかし、人々は疑問を禁じ得ない。独裁政権の特徴は上級が下級を決定することである。官僚は自己利益あるいは組織利益を追求するとしても、権力トップは下部組織の大局を考えない行為をなぜなすがままにさせるのか? 干渉や統一指導はしないのか?

ここでは独裁者の愚昧は想定しない。独裁の歴史の上では、虚偽情報に囲まれた独裁者が愚昧になってしまうことの方が賢明さを維持するよりはるかに多い。しかし、より中国の権力システムの本質を反映するのは、独裁者が賢明であったとしても、下部組織の共謀によって作り出された状況を変えられないということだ。それは、独裁体制のもとでは、独裁者の決定は官僚システムを通じてしか具体化しないからだ。まさにそれゆえに独裁権力は対外的には絶対独裁でありうるが、対内的には独裁無効化の可能性をかかえる。官僚集団の利益を損なわないという前提の上でのみ、独裁者の言葉は官僚集団に対して重みを持ち、いやと言わせない独裁性を持つ。そして、官僚集団の利益を損なったら、官僚グループは共謀して、引き延ばし・歪曲・うやむやなどの手段により、具体化の過程において独裁者の決定は骨抜きにされ、実行できなくなる。その時、独裁権力の独裁性は大幅に割り引かれる。この種の状況を私は「官僚集団の民主性」と呼ぶ。

古代王朝であれ近代の独裁政治体制であれ、「官僚集団の民主性」は広く存在していた。それは制度と手続には現れず、官界の不文律として作用する、一種の自然淘汰によって形成されたメカニズムである。官僚の間では具体的な問題では競争がっても、全体としては相互に連合する共同体である。彼らは自己利益の得失に極めて敏感で、私利を図ることに有能であり、共通認識を形成しやすい。彼らは連絡や組織化を必要とせず、既存の官僚システムを利用して暗黙の了解のもとに共謀し、相互にかばい合うので、コストは低く、リスクも小さい。ゆえに、独裁者が自分の権力を貫徹しようとすれば、「官僚集団の民主性」に順応しなければならない。官僚集団の利益を満足させる(少なくともそれに抵触しない)ことではじめて官僚集団を面従腹背の対抗者ではなく、思い通りに動く道具とすることができる。

もちろん、歴史上官僚集団にいやと言わせないよう努めた独裁者も出現している。それには特別な権威を具備しているだけでなく、極端な手段も使わねばならない――たとえば野心満々の新人を苛酷な官吏にしたり、官僚集団を粛清したり――肉体消滅の恐怖で服従させることだ。しかし、その種の集団は一時的な効果しかない。横暴な酷吏はほとんどが悲惨な末路をたどる。暴君もいずれは死ぬし、また冷静に考えたら分かるように、利益で買収するほうが恐怖で屈服させるよりも官僚集団の尽力を引き出すことができる。利益と権力だけを追求する多くの独裁者は、官僚集団との山分けを決心し、自分は優雅に車に乗り、官僚たちに車引きに力を奮わせる。その方が官僚集団と対立して力比べをするよりはるかに実利的ではないか?

たとえ毛沢東の中共官僚システムに対する権威をもってしても、官僚集団の利益に抵触する政治運動を行うときは、彼が住んでいた北京で文章一つ発表できなかったことからも、官僚集団のエネルギーの大きさが分かる。毛沢東が最後に取った方法は、官僚集団を飛び越え、直接下層大衆に造反を呼び掛けることであった。そうして彼の意志の実現を妨害した官僚集団を粉砕した。その「文化大革命」と命名された方法は歴史に前例のない極端なものだったが、最後は失敗に帰した。その原因は毛沢東もまた官僚集団から離れられなかったからだ。文化大革命は古い官僚集団を粉砕することはできたが、新しい官僚集団を作って彼の権力を貫徹することを必要とした。しかし、どんな官僚集団であれ、最終的には利益集団になり、「官僚集団の民主性」も発揮されてくる。毛沢東も最後はやむなく「七八年後にもう一度」という脅しにまで退却し、彼の文化大革命を酷吏を使うところ(訳注:大衆動員から恐怖政治への後退)にまで落とさなければならなかった。

文革で大損をした官僚集団はこれを骨身にまで記憶に刻み込んだ。彼らは独裁指導者が官僚集団を粉砕するような状況の再現を許さないと決意した。毛沢東以降の数十年中共は「党建設」、「党内民主発揚」を進めた。それは言ってしまえば「官僚集団の民主性」を強め、官僚集団が指導者に害されないよう守ることである。そして中国の改革の主な内容――権力の下放――もその本質は官僚集団により多くの権力を分け与えることである。今日では、中共内部には既に牽制メカニズムが作られ、官僚集団にもかなり多くの権力があり、酷吏型の党内粛清の再現を許さず、文化大革命のような大衆運動も許さず、さらには党内分裂をもたらす可能性のある路線闘争も許さない。今日、中共党内のトップの権力闘争は歴史上のいかなる時期よりも弱く、権力交代もあるていどプログラム化されている。その深い理由は、「官僚集団の民主性」が作用を発揮したからである。

これは本質的な転換である。イデオロギー至上の時代に路線闘争に訴えて行われたトップの権力争いの中で、官僚たちは受け身の状態に置かれ、それぞれの路線の代表者につくことを選択し、代表者の浮沈にあわせて浮沈した。しかし、権力維持と利益獲得が中共の主要目的となったとき、政権の実際の操作者であり利益の主な所持者である官僚集団が党の主体に変わった。イデオロギーの背景を失った党内闘争は大義名分を失い言うことに筋が通らなくなったので、合法的な舞台を失ってしまった。「官僚集団の民主性」の強化に伴い、集団全体の利益にならない党内闘争は連合した官僚によってかなり抑え込まれた。こうして中共は以前よりも分裂せず、より実務的になる。政権トップはもう官僚集団を圧倒する独裁者ではなくなり、官僚集団の利益の調整者と代理人になる。このときの政権トップは官僚集団の利益を最大化することではじめて、交換として官僚集団の支持を得ることができ、自分の地位を安定化させることができる。

官僚集団は政治権力装置を熟知し、運営に長けており、いったん政権トップを牽制するメカニズムを構築したら、それを最大限使う。彼らは無形のうちに政権トップの浮き沈み、人事異動、政策方向を決定する。彼らがそうした能力を手に入れたら、党内粛清や文革の発生を防ぐことだけに限らず、自分たちの利益に不利になるすべてを防ぐことに拡大し、できるだけ多くの利益を得ようとする。ゆえに、いわゆる「党内民主」を中国民主化の歩みだと看做すのは、全くの誤りである。「党内民主」は昔から存在する「官僚集団の民主性」の別称に過ぎず、中国の民主化や人民の民主主義とは全く関係がない。

原文:http://www.minzhuzhongguo.org/Article/sf/200811/20081111105226.shtml

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