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東京大学東洋史:「トフティさんを救おう」

2007-12-12 10:09:48 | Weblog
出典:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~toyoshi/tohti.html

「トフティさんを救おう」

佐藤先生ウルムチ訪問-朝日新聞記事(2006年8月5日)より
事件の発生と経過
トフティーさんの経歴と著作
判決への疑義
救援活動--さらなる進展へ向けて



佐藤先生ウルムチ訪問-朝日新聞記事(2006年8月5日)より
2006年8月、元東洋史学科教授の佐藤次高先生がトウティーさん支援のためにウルムチを訪問しました。以下はこのことを伝える朝日新聞の記事です。尚、この事件についての詳細は、下記の項目を御覧ください。

事件風化させぬ:教え子支援へ ウルムチ訪問(朝日新聞夕刊2006年8月5日)
東大名誉教授(イスラム地域研究)の佐藤次高さん(63)が中国新疆ウイグル自治区ウルムチを訪れた。服役中の教え子、ウイグル人のトフティー・トゥニアスさん(46)支援のためだ。
博士論文を指導していた留学生トフティーさんが逮捕されたのは8年前。民族政策に関する論文執筆の史料探しのため里帰りした際、新疆の独立を扇動する本の出版を計画したなどとして「国家分裂扇動罪」で、懲役11年の判決を受けた。
東大は「彼は独立運動に批判的だった。本の出版計画もない。逮捕は何らかの誤解に基づくものだ」と、国家主席あてに早期釈放を求める「総長書簡」を3度出すなど支援活動を続けている。
4回目のウルムチ入り。「本人には会えなかったが、我々が関心を持ち続けていると当局に示す意味が大きい」
佐藤さんの定年退官の際、東大はトフティーさんの後任指導教官を決めた。「いつ戻っても研究を再開できるよう休学扱いを毎年更新している。事件を風化はさせません」  (清水勝彦)
(朝日新聞に無断で転載することを禁止します)


Jailed uyghur student has Todai on his side By KATSUHIKO SHIMIZU, The Asahi Shinbun(International Herald Tribune-The Asahi Shinbun- August 30, 2006)
Tsugitaka Sato, a University of Tokyo (Todai) professor emeritus, is determined to see one of his students freed from an 11-year term i a Chinese prison for inciting unrest.
Sato traveled to the Xinjiang Uyghur autonomous region in western China in late July to campaign for the release fo Tohti Tunyaz, 46, a Uyghur who was a student of Sato's in Japan until 1998, when he was arrested o a visit home.
Authorities say he was involved in the Xinjiang region independence movement.
Sato, 63, an expert on Islamic regions, spent about a week in the capital of Urumqi, petitioning officials on Tohti's behalf.
It was Sato7S fourth visit to Urumqi since the arrest.
"I was unable to see him. But it is important to show to the Chinese authorities that we are still greatly concerned about this," said Sato.
Tohti entered the University of Tokyo's graduate school in 1995. He traveled home to Xinjiang Uyghur three years later to look for historical documents to support his thesis about China's policies toward the country's ethnic minorities.
He was arrested a few weeks after arriving there.
Chinese authorities alleged that Tohti planned to publish a book that would encourage the Xinjiang independence movement. His trial took two years.
In 2000, he was found guilty of inciting national disunity and sentenced to 11 years i prison by the Supreme Court.
Since then, the University of Tokyo has continued to lobby for his release. Successive presidents of the university have written letters to Chinese leaders to ask for Tohti's release.
"Tohti was critical of the independence movement. He did not plan to publish a book. His arrest is based on misunderstandings," the letters state.
When Sato retired three years ago, the university appointed another professor as Tohti's adviser, listing the imprisoned student as "temporarily absent" in its student rolls.
"The university is renewing hs record every year so that whenever he is released, he can resume his studies. We are not going to forget this incident," Sato said.



事件の発生と経過
 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在学中の中国人留学生トフティー(Tohti Tunyaz, 拓和提)さんは、博士論文の執筆に必要な史料収集のために一時帰国したところ、ウルムチ市内でウルムチ市国家安全庁によって拘束され、4月に正式逮捕された。同年11月、日本での出版計画があったとの想定にもとづく「国家分裂扇動罪」および「国外の人物のために国家機密を探った罪」により、ウルムチ市中級人民法院に起訴された。
 99年3月、中級人民法院において、上記の罪名により、懲役11年、政治権利剥奪2年の判決が出された。本人はただちに同自治区高級人民法院に上告した。2000年2月に出された高級人民法院の判決では、「国外の人物のために国家機密を探った罪」が「不法に国家機密を取得した罪」に変更されたが、量刑には変化がなかった。中国の裁判は二審制であるため、この時点で判決が確定し、トフティーさんはウルムチ市第三監獄で服役中である。

トフティーさんの経歴と著作
 トフティーさんは、1959年、中国新疆ウイグル自治区のカシュガルに生まれ、82年に北京の中央民族学院歴史学科を卒業。全国人民代表大会民族委員会の法律議案室に勤務したのち、日本に留学した。日本では、90-91年に立教大学の奨励研究員、91-93年に財団法人東洋文庫の外国人研究員として、ウイグル族の歴史と文化にかんする研究をおこなった。さらに1996年4月、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程に入学し、佐藤次高教授と岸本美緒教授の研究指導のもとに、「19・20世紀中国における少数民族政策史」を表題とする博士論文を作成しつつあった。
 トフティーさんのこれまでの著作には、『ウイグル歴史文化研究』(中国語、北京、民族出版社、1995)のほか、ウイグルの歴史と文化にかんする多くの論文がある。

判決への疑義
(1)国家分裂扇動罪について
 中級法院・高級法院ともに、トフティーさんが日本で『ウイグル人の静かな暴動』という本を執筆して日本の出版界に広告し、出版頒布を計画していたとするが、そうした書物は出版されていない。ウイグルの歴史と文化にかんする書物の出版計画があったことは事実であるが、その計画は立ち消えとなって今日に至っている。
 高級法院の判決では、拘束のきっかけとなった文書館での資料収集は、この書物を書くためであったとしており、この時点で完成原稿が存在していないことは、法院側も認めている。書物が出版されていない以上、扇動がおこなわれなかったことは明らかである。
(2)国家機密について
 問題とされた行為は、1940年代の事件にかかわる文書資料の目録を、文書館補助員の協力をえてコピーした、ということだけである。中国の公文書法によれば、公文書は作成30年後の公開が原則であり、国家の重大利益にかんするものは50年、それ以上の延長は例外的である。しかも、この場合、文書自体ではなく目録であり、こうしたものが、「国家機密」の定義(「漏洩すれば国家の安全と利益に損害を与える可能性のある秘密事項」)に該当するとは考えられない。またコピーに際して、脅迫や買収・詐欺などの行為があったわけではないし、その目録を他人に提供した事実もない。
 このように、トフティーさんの行為は、本来、中華人民共和国の法に照らして犯罪には該当しないものである。高級法院の判決は、事実認定や法適用の点で、中級法院における証拠抜きの断定をいくつか撤回したが、結論的には強引に以前の量刑を維持しようとしている。


救援活動--さらなる進展へ向けて
 トフティーさんの救援活動は、はじめは東京大学を中心にして進められてきたが、2002年はじめ以降は、日本ペンクラブ・獄中作家委員会や日本アムネスティ、国際ペンクラブやアムネスティ・インターナショナルの活動など、東京大学以外の国内的・国際的な支援の輪が広がりつつある。
<東京大学>
 東京大学の関係教官は、大学本部と連絡をとり、また外務省の協力をえて、中国要人への書簡、国連人権委員会への訴え、教官のウルムチ訪問などの形で、この問題に対する対応をおこなってきた。
 書簡としては、自治区高級人民法院など関係機関に対する関連教官の書簡(99年4月)、大学院人文社会系研究科長田村毅教授の中国大使宛書簡(同7月)、東京大学総長蓮実重彦教授の中国大使宛書簡(同8月)、自治区高級法院長に対し中級法院判決の問題点を指摘した関係教官の書簡(2000年1月)などのほか、中国外交部長など政府関係者17名に対する関係教官の書簡(同2月)、高級法院の判決後には、江沢民国家主席に対する東京大学教官有志(221名)の書簡を送付した。また、佐々木毅東京大学総長および佐藤慎一人文社会系研究科長の江沢民国家主席宛書簡(2001年9月)、及び胡錦涛国家主席宛書簡(2003年3月)を中国大使館に手渡した。これらの書簡のなかには、宛先に届いたことが確認されたものもあるが、いずれの書簡について返事は来ていない。
 一方、2000年3月には、佐藤次高教授名で国連の人権委員会(ジュネーヴ)に訴えを送付した。この訴えに対し、同年12月、同委員会の不法拘束に関するワーキング・グループから、中国政府への問い合わせの結果を記した回答を受け取った。これに対し、直ちに中国政府の回答に対する反論のコメントをワーキング・グループ宛に送付した。ワーキング・グループはこれらの文書を検討した結果、2001年5月、トフティー君には中国当局が主張するような罪を犯している事実は認められず、当局に事態の改善を求める意見書をまとめ、人権委員会に提出した。
 大学関係者の書簡の内容は、トフティーさんが真摯な研究者であることを訴え、事実の慎重な調査とトフティーさんの早期復学を求めたものである。特に江沢民国家主席宛の書簡および国連の人権委員会宛の訴えおよびワーキング・グループの意見書では、トフティーさんが国家分裂を扇動するような思想の持ち主ではないこと、また判決は事実誤認にもとづくものであることを明確に指摘している。
 1999年8月には、佐藤教授と岸本美緒教授(中国史)がウルムチを訪問、また2000年7月には、山口泰子氏と岸本教授がウルムチを訪問し、2001年8月には佐藤教授がウルムチを訪問した。トフティーさんとの面会はいずれも実現しなかったが、自治区人民政府において関連文書などを閲覧し、2000年、2001年の訪問では、第三監獄において、監獄関係者より本人の健康状態等についての説明を受けた。また、休学延長(2001年9月に学則変更)など東大の対応についても本人に連絡するように依頼した。さらに2002年8月には、山口・岸本両氏がトフティーさんの長男を伴ってウルムチを訪問し、第三監獄において父子の対面が実現した。

<トフティーさんの復学を求める会>
 2002年2月、1381名の署名と請願書を江沢民国家主席以下4人の政府要人、および最高検察院長に送付。同年6月、第2波の署名運動を開始。8月20日現在、1183名を追加。同年7月には、英文による海外への呼びかけも開始した。

<国内・国外のペンクラブ>
 2001年6月、ロンドンの国際ペンクラブからトフティーさん問題について連絡が入ったのを機に、日本ペンクラブ・獄中作家委員会が活動を開始。また2002年4月には、Pen American Center が、トフティーさんを同年度のPen/Barbara Goldsmith Freedom to Write Awards 受賞者に決定し、また2002年12月には、オランダのペンクラブがトフティーさんにPen-NOVIB Awardsを授与した。

<アムネスティ>
 2002年5月、日本アムネスティ、トフティーさんの救援活動を開始。8月はじめには、Amnesty International のホームページに News Release (公式見解)とWorldwide Appeal (嘆願書署名要請記事)が掲載された。

<署名のお願い>
 トフティーさんが逮捕されてからすでに5年以上が経過しました。さまざまな努力にもかかわらず、トフティーさんの釈放は未だに実現しておりません。これからも、何とかしてトフティーさんの復学を実現すべく、運動を続けていきたいと思っております。
 これに関連し、東洋史学研究室では、研究室の教官(佐藤次高、桜井由躬雄、蔀勇造、小松久男、岸本美緒、水島司、吉澤誠一郎、平勢隆郎)が呼びかけ人となって、下記のごとく江沢民国家主席宛の書簡を作成し、東京大学教官の署名を集めています。署名をしてくださる方は、「トフティーさんの研究活動への復帰を求める東京大学教官有志の書簡に賛同します」とお書きそえの上、
 ご住所
 ご氏名
 所属・職名(例:東京大学大学院人文社会系研究科教授、など)
を書いて、以下のアドレスにお送りください。
 toyoshi@l.u-tokyo.ac.jp
なお、この書簡は、2000年に一度ご協力を仰いだものと比べ、トフティーさんの現在の状況をふまえて若干語句の修正を行っていますが、ほぼ同文です。既に2000年の署名にご協力いただいた方々は、改めてお送りいただく必要はありません。





「トフティーさんの研究活動への復帰を求める東京大学教官有志の書簡」

中華人民共和国国家主席 胡錦涛閣下

 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在学中の貴国新疆ウイグル自治区出身の留学生トフティー・テュニアスさんは、1998年2月に一時帰国した際、ウルムチ市国家安全庁に拘束され、99年3月、ウルムチ市中級人民法院にて「国家分裂煽動」及び 「外国人のための国家秘密刺探」の罪で有期懲役11年、政治権利剥奪2年の重刑判決を受けました。トフティーさんは直ちに自治区高級人民法院に上訴し、2000年2月に高級方院の裁定が出ましたが、その裁定では、罪状認定や適用条文において原判決が改められているにもかかわらず、上訴棄却、原判決維持の結論となっており、彼は現在ウルムチ市の監獄で服役しております。
 トフティーさんが真摯な歴史学徒であり、民族融和の思想と実事求是の精神を以て博士論文の作成に没頭していたことは指導教官の佐藤次高教授をはじめ、関係教官の一致して延べるところです。ゼミナールでの発言や日常の対話から窺える彼の思想は、一貫して多民族の共存を基本としたものであり、国家分裂を示唆するような言動は全く見られませんでした。彼の日頃の学問姿勢や生活態度を知る関係教官は、彼の投獄に深く心を痛めております。
 東京大学は、600名にのぼる貴国からの学生をはじめ、前途有為な留学生を各国から受け入れております。留学生は、やがて本国において社会・学問の発展に寄与するとともに日本との交流を担ってくれる貴重な人材であり、東京大学の重要な構成部分であります。それ故に私たち教官は、留学生が安定した勉学条件のもとで学問に集中できるよう、最大の努力を払う義務があると考えており、今回の事態を深い関心と憂慮を以て見守っています。
 トフティーさんは貴重な勉学時間をすでに多年にわたり空費しており、持病の心臓疾患の悪化も危惧されます。今回の事態に対する私たちの深刻な憂慮をここに表明するとともに、中国の最高指導者である閣下が、トフティーさんの一刻も早い研究活動への復帰のためにご尽力くださるよう、要望いたします。優秀な研究者として嘱望されるトフティーさんが再び東京大学に戻って研究を続けることができますよう、格段のご配慮を切にお願いする次第です。


東京大学教官有志一同
 なお、身元保証人の山口泰子さんを中心とする「トフティーさんの復学を求める会」が、国内のみならず海外も含めて、広く一般の方々を対象とした署名活動を行っています。同会の活動については、
http://www.monomono.jp/tohti_j
英語版は
http://www.monomono.jp/tohti_e
でごらんになれます。こちらにもご協力いただければ幸いです。