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北京の出稼ぎ農民:アパルトヘイト下の子女教育(1)

2007-01-24 15:53:36 | 中国異論派選訳
北京で最初の出稼ぎ農民子女学校を始めたわけ

原文:
http://www.people.com.cn/
GB/32306/54155/57487/4819096.html

2006年9月14日午後3時、北京市社会科学院移民教育研修センター主任韓嘉玲と北京で最初の出稼ぎ農民子女学校創設者張保貴を強国論壇(中国共産党中央委員会機関紙「人民日報」が運営している「人民ネット」のBBS。普段は愛国心と排外主義を宣揚する書き込みが多い。)のゲストに招き、出稼ぎ農民子女の教育を受ける権利などについてネット仲間と意見交換した記録である。

張保貴:皆さんこんにちは。私は張保貴です。今日は人民ネットにお招きいただき大変光栄です。この機会に皆さんとお話をしたいと思います。
韓嘉玲:皆さんこんにちは。今日は出稼ぎ農民子女学校のことについて皆さんとお話ができるのでとても嬉しいです。

質問:最初の出稼ぎ農民子女学校を始めたわけは?

張保貴:私は北京で出稼ぎ農民子女学校を始める前は、河南省の農村小学校の教師でした。故郷は人が多く土地が少ない貧しいところで、改革開放に伴って、出稼ぎの人が大勢大都市に出てゆきました。私たちは毎年学齢児童の入学調査をするのですが、その中で、多くの児童が学齢期に達しても学校に行かないことを発見しました。なぜでしょう? あちこち聞いてみると、これらの子供たちは両親と一緒に家を離れて、遠く北京や上海などの大都市にいるのです。そこで、私は子供たちに教育を受けさせるという責任感から、1993年のメーデー休暇に北京に来て、最初の学齢期児童調査をしました。そこで私は、子供たちがこちらでも学校に行っていないことを発見しました。もし、お父さんが野菜売りをしていれば、子供は野菜の露天の傍らにしゃがんで父の野菜売りを手伝っています。もし、両親が果物売りをしていれば、露天に果物を並べています。一番かわいそうなのは、親が廃品回収をしている子供で、子供を家において置くのも危ないので、朝早く子供を連れ出して夜になってから戻ってきます。彼らはうわさのように北京や上海で学校に行っているのではありませんでした。私はほとんどの子供が街角にいるのを見て、悲しい気持ちになりました。調査を終えてから、学校にいけない子供たちのところに学校を作り、彼らに両親の下で義務教育を受けられるようにしようという、大胆な考えが生まれました。そこで、出稼ぎ農民子女学校を作ろうという考えが生まれたのです。1993年7月、故郷が夏休みのときに、もう一度北京に出て、農民子女学校経営の生活が始まりました。これが私が農民子女学校をはじめた理由です。

質問:出稼ぎ農民子女学校の現状はどうなっていますか?

韓嘉玲:出稼ぎ農民子女学校の出現と移民児童の教育問題は単純な教育問題ではなく、「労働力流動」の副産物であり、三農問題の拡張であり、社会の転換期に旧来の体制と管理方法の遅れが生み出した問題です。移民児童学校の出現は中国社会の急速な変化の中で、現行教育体制が社会の転換と変化に適応できない結果です。移民児童学校は現在までのところ低収入移民子女の義務教育にかかる社会問題を解決し、現行教育体制の「補充」あるいは「救済」の機能を発揮してきました。出稼ぎ農民子女学校の運営は、ありあわせの物を利用し、事情に合わせて適当な方法をとり、低コストの運営方式で農村の教育モデル(昨年まで農村部の学校も国の財政支出はなかった)を行っています。出稼ぎ農民学校には国は1銭も投資しておらす、ほとんど完全に学生の僅かな学費によって維持されています。出稼ぎ農民が、農村の学校のありあわせの物を利用し、事情に合わせて適当な方法をとるという原則に基づいて運営し発展させてきたのです。北京市の各区県教育委員会のまとめた統計によると、2002年北京市の出稼ぎ農民子女学校は348校、就学児同数は85,882人です。2004年には学校数は237校に減っていますが、生徒数は83,632人とほとんど減っていません。こうした学校は生徒も学校も変動が大きいので、実情をつかむことは難しいのですが、教育委員会が掌握している数字よりも多いと思います。出稼ぎ農民子女学校で学んでいる児童数は北京市の移民児童の30%を占めるでしょう。つまり、この30%の移民児童は移民の最下層のグループであり、つまり出稼ぎ農民の子女です。

質問:出稼ぎ農民子女学校は公立学校ですか?

張保貴:出稼ぎ農民子女学校は公立学校ではなく、民間の学校です。

韓嘉玲:出稼ぎ農民子女学校は公立学校ではなく、学費によって運営されており、国の公共予算からは出資されていません。

質問:張さん、あなたの学校は今生徒は何人いますか? 彼らはどこの出身ですか? 今回(一部の出稼ぎ農民子女学校に対して当局による強制閉鎖があった後)転校してきた生徒はいますか?

張保貴:今は2つの学校があります。二つ合わせて学童は1800人、海淀区と大興区にあります。海淀区はもともとの学校で、最初の出稼ぎ農民子女学校です。大興区は私が2005年に作ったばかりの学校です。なぜ2005年に学校を作ったかといえば、私は海淀区での14年間に10回も立退きを迫られ、学校は放浪状態でした。立退きのたびに学校は大きな損失をこうむります。私の学校は私が投資し、私が建物を建てるので、立退きに全く補償はありません(訳注:張保貴は北京市民ではないから転居補償を受けられない)。そのたびに投資はすべて失われてしまいます。1993年からの長い間の夢がありますが、いまだに実現していません。その夢とは合法的に学校運営をできる身分を得ることです。私はいまだに「不法学校運営」のレッテルを貼られています。今回海淀区は37校の出稼ぎ農民子女学校を閉鎖しようとしていますが、第一番は私の学校です。私は他の学校からの転校を受け入れられないばかりか、自分の生徒も他の学校に転校させねばなりません。ですから、この問題を話すととても悲しくなります。大興区の学校は、条件は比較的よく、最近、建築検査も衛生許可証も取得しました。目的は教育委員会に学校運営許可証を発行してもらい、合法的に学校運営ができる身分を得るためです。しかし、他の条件を満たしても、教育委員会は学校運営許可証を出そうとしないので、私はとても苦しく、心を痛めています。出稼ぎ農民子女学校を運営するために、私自身の収入を犠牲にするだけでは足りず、たくさんの借金を抱えているのです。

質問:出稼ぎ農民子女学校の先生のレベルはどうですか? 彼らはなぜ出稼ぎ農民子女学校で教えることを選んだのですか?

張保貴:出稼ぎ農民子女学校の先生の80%は短大卒以上の学歴で、一部の先生は中東師範学校卒業程度です。先生の募集方法は一部は私たちが直接師範学校にいって募集し、一部は公募して退職教師や農村で教えていた民営学校の先生を招いています。いずれも、経験のある教師です。教員は基本的に充足しています。先生がなぜ出稼ぎ農民学校を選択したかは、私は次の二つの理由があると思います。第一、師範学校で学んだということ、つまり彼らは子供との交流が好きだということ。第二、彼らが北京に来て、出稼ぎ農民の子供たちがこんなにも粗末な学校で学んでいるのを見て、強い責任感から、この職業を選んだ。つまり思いやりからです。実際、彼らは北京でもっといい仕事につくこともできるのに、そうしないで出稼ぎ農民子女学校を選んだということは、偉大で、崇高なことだと思います。

質問:現在社会の各層からの農民学校への募金は多いですか? 整った募金システムはありますか?

張保貴:他の農民学校にどれくらいの募金があるのかは分かりませんが、私の学校は中国農業大学が最近の2学期間毎学期500元の「ロウソク基金」を提供してくれたほかには、全く一般からの募金はありません。この毎学期500元の「ロウソク基金」は、農業大学の学生が廃品回収をして作ったお金です。

質問:あなたの学校が閉鎖されたあと、どれくらいの比率の生徒が公立学校に転校しましたか。 あなたたち先生には何か配慮はありましたか?

張保貴:今のところ私の学校は閉鎖されていません。今までのところ一人の生徒も公立学校に転校していません。なぜなら、海淀区の出稼ぎ農民子女受入は今まだ実行されていません。私たち教師をどうするかは、教育委員会は何の約束もしていません。以前教育委員会とこの問題について話し合いました。私たちの学校は多くの資金をつぎ込みました。もし学校の生徒を転校させ、学校を閉鎖するのであれば、私は政府から補償をしてほしいと思います。失業する先生に補償してほしいと思います。しかし、政府からは今のところ何の回答もありません。

質問:出稼ぎ農民子女学校はオーブン型の私立学校のカテゴリーに分類されるのでしょうか? 学校の教科書やカリキュラムは教育部門が指定するのですか?

張保貴:私たちが使っている教材は人民教育出版社が出版した統一教科書で、教育は完全に定められたカリキュラムに沿って行っています。出稼ぎ農民子女学校は地域社会による教育の一形式で、私立学校とは違います。

質問:大学ではなく、小中学校の段階で、義務教育法の対象で、このような学校をどうやって運営しているのですか? 経費はどこから? 学費は取ってる?

張保貴:農民学校の運営は完全に父母から徴収する僅かの学費によってまかなわれています。

質問:出稼ぎ農民の地元の政府も出稼ぎ農民子女の就学問題に責任を持つべきだと思いませんか?

張保貴:私は農民子女学校と出稼ぎ農民の子女に対して、全社会が関心を払うべきだと思います。なぜなら出稼ぎ農民の子女は非受益層のなかの非受益層だからです。出稼ぎ農民子女の学校は以前はありませんでしたし、将来も多分ないかもしれません。出稼ぎ農民子女教育は改革開放の過程で生まれた新しい課題です。農民子女学校ができたのですから、私は政府がもっとこれらの子供たちに関心を払うべきだと思います。なぜなら彼らはみな祖国の子供であり、彼らも都市の子供と同様に教育を受けられるべきだからです。現在、私たちの農民子女学校はいろいろな面で公立学校と比べて条件は劣っています。これらの子供たちはもう充分つらい思いをさせられています。ですから、政府であれ、教育委員会であれ、出稼ぎ農民子女学校に多くの関心を寄せ、支援をすべきだと思います。

質問:張保貴さん、出稼ぎ農民子女学校をあなたが作れるのに、地元の政府はなぜ作れないのですか?

張保貴:出稼ぎ農民子女学校を私たちが作れるように、政府も作ることができます。ではなぜ作らないのか? 原因はいろいろあります。一つは、出稼ぎ農民子女は全国各地から来ており、彼らの親は都市の周辺部に住んでいますから、公立学校に入学するのは難しいです。まず教科書が故郷の教科書と違います。私たちが使っているのは人民教育出版社の教科書ですが、北京市の公立学校は北京版を使っており、もし故郷に戻ったら、内容がずれてしまいます。第二に、出稼ぎ農民子女は北京でいろいろな仕事についており、子供の送り迎えの時間がありません。出稼ぎ農民子女学校は多くがスクールバスで迎えに行きます。第三に、出稼ぎ農民の子女が公立学校に入学するには、たくさんの手続きがあります。5つの証明書(暫住証、居住証、労働許可証、原籍で発行した無監護人証明、戸籍簿)がすべてそろっていなければなりません。もし、一つでも欠けたら高額の学費を支払わなければならないのです。これが以前北京市政府が出稼ぎ農民子女を受け入れない原因でした。現在、北京市全体で一部の出稼ぎ農民子女学校を閉鎖し、出稼ぎ農民子女を公立学校に受け入れようとしています。私はこれは客観的に見れば、良い流れだと思います。なぜなら公立学校は設備、ソフト、ハードの面でいずれも私たちの農民子女学校より優れているからです。しかし、条件はよくても、出稼ぎ農民子女が行きたがるかどうかが問題です。理由は今言ったような原因です。例えば、私たちの学校は今回清河第一小学校分校への転入を指示されましたが、大部分の親は拒否しました。彼らは、子供が学校にいけなくなっても、転校はさせたくないのです。なぜなら、学校までは非常に遠いのに、送り迎えをすることができないからです。

質問:あなたは出稼ぎ農民の住んでいるところの政府が責任を負うべきだとは思いませんか?

韓嘉玲:流入地の政府が公共サービスを提供する対象は、「戸籍人口に限る」という考え方は改め、地域社会に貢献する住民も含めなくてはなりません。移民は都市近代化のための建物、橋梁、道路を作っています。彼らは野菜を作り、それを売って、流入地の住民に安くて新鮮な野菜を提供しています。彼らは廃品を回収し、大通りを掃除して、流入地の人に清潔で整った都市生活を提供しています。彼らは勤勉な労働と、安い給料で、流入地の財政負担を軽減しています。彼らは流入地の都市整備、経済社会の発展に貢献しているのですから、流入地の政府は彼らの子女の教育費を予算に盛り込まなければならないのです。

質問:今回北京市政府が「不法」出稼ぎ農民子女学校を取り締まる理由は、教員のレベルが低すぎ、教育条件が整っていないというものでしたが、この問題をどう見ますか?

韓嘉玲:確かに出稼ぎ農民子女学校は教員の水準が基準に達していないとか、教育条件が整っていないという問題があります。これまでのべられたように、それは低額の学費で運営されており、条件に合わせたやり方と低コストの運営というわが国農村の教育モデルでやっています。ですから、移民の就学問題をほぼ解決しているのです。もしも、彼ら自身の力で教員資格、教育条件を解決するとしたら、かなり難しいです。ですから、移民児童の就学問題は、「国務院の基礎教育改革と発展に関する決定」に戻って、義務教育は公費で財政負担し、公立学校と流入地政府が主体となるという原則で解決すべきであり、出稼ぎ農民子女学校は補助的な手段であるべきだと思います。

質問:北京と出稼ぎ農民出身地の政府はあなた方に感謝すべきです! あなたはそれら政府に出資を求めて教育条件を改善するという考えはありませんか?

張保貴:教育委員会の要求にかなう学校を作るというのが、私の夢です。私だけの能力では限界があるので、政府と教育委員会が理想的な学校を作ることを支援してほしいと思います。私はこれまでに何度も政府に教育条件改善のための支援を申請してきました。最近、海淀区政府は教育条件改善に8,000万元を支出しましたが、大部分は公立学校で、出稼ぎ農民子女学校には支援はありませんでした。もしも、今政府が我々に100万元を支援してくれるのであれば、今の学校も教育委員会の基準に合格することができます。100万元は国にとっては小さな金額ですが、私たちの学校にとっては大変な額です。今回、石景山区の3つの学校、黄庄、台京、華奥の学校は閉鎖された農民子女学校の転校生を受け入れました。どの学校も生徒数が3,000人に達し、極端な定員超過です。もともとは1クラス40人だったのが、今では80人になっています。こうなると安全リスクも非常に大きくなります。昨日の「新京報」によると、石景山区は多分もう一度転校させなければならない、つまり一度転校した生徒をさらに他の学校に転校させなければならないだろうということです。このように政府が何度も転校させたら、生徒の勉強にも影響しますし、先生の意欲にも影響します。生徒の安全も保証されません。

韓嘉玲:移民は流入地の経済と社会に貢献すると思います。流入地政府はこうした出稼ぎ労働者の子女の教育を担う責任があります。『国務院の基礎教育改革と発展に関する決定』には、明確に移民児童の教育の問題は流入地の政府が主な責任を負うと指摘されています。つまり、流入地政府は彼らに公的サービスを提供しなければならず、責任を出身地政府に押し付けてはならないのです。一般的には流入地政府の財政状況は出身地政府より豊かですし、流入地で働いているのです。ですからそれは流入地政府の責任です。ましてや出稼ぎ農民子女も私たち中華人民共和国の国民であり、わが国の将来の主人です。ですから、流入地政府は公共サービスを提供するときに、戸籍人口にだけ提供するという考えを改め、地域に貢献のあるすべての住民に提供しなければならないのです。

質問:あなたは出稼ぎ農民についてどのような印象を持っていますか?

韓嘉玲:私の長期間の調査を通じて、私は深い印象を持っています。それは、彼ら出稼ぎ農民子女は非常に努力家で、独立心が強く、自立心と向上心が強いことです。1998年に私がある家庭にそこの子供をたずねた時、それは雪の日でしたが、その家には暖房もありませんでした。非常に寒くて、私は手足がかじかんでしまいましたが、その子は非常に思いやり深く自分の唯一の掛け布団を私の足に掛けてくれました。私は掛け布団を汚れた服の上に掛けるのはよくないと思って、戻そうとしましたが、彼はずっとそのままにさせてくれました。今でもこの子のことを思い出します。当時その家に訪問したころ、多くの子供たちが放課後、食事を作り、多くの家事をこなし、弟や妹の面倒を見ていました。そのことも非常に印象に残っています。

質問:あなたは自分の学者としての身分をどう思いますか? 非受益層のために正義を求める過程でどんな困難や挫折がありましたか?

韓嘉玲:私は自分を社会研究を行う者と位置付けています。社会下層の研究に従事する以上、自分に対する期待は研究を通じて正しく非受益層の困難とニーズを描き出し、この問題をよりよく研究することです。研究の過程で、ときには政府当局の調査拒否にあったりしますが、それは普通のことです。私はこの事情を肯定的に見ています。私は長い間移民児童の教育問題に関心を向けてきましたが、社会と政府の態度は大きく変化してきていると思います。私が97,98年に政府当局と交渉したときは、彼らはみな「私に聞くな」「私に資料を請求するな」「この問題を話すな」という対応でした。しかし、ここ数年は、彼らの態度は大きく変化し、ほぼ、自ら進んでこの問題に関心を向け検討しています。私はこれは社会の進歩だと思います。ですから皆さんの共同の努力が、私にこの仕事に意義を感じさせ、私に前に進ませる力になっているのです。

質問:調査の中で発見したのですが、今回(閉鎖された農民子女学校からの)転校生を受け入れたほとんどの公立学校は、1,000元から6,000元の学校選択費(入学金)を徴収しています。この問題についてどう考えますか?

韓嘉玲:学校選択費は移民児童だけの問題ではなく、全体的な教育資源配分の不均衡の具体的な表現です。学校選択費は教育の中で古くからの難しい問題で、新しい『義務教育法』(2006年9月1日施行)も学校選択費について多くの努力をしていますが、教育資源の不均衡の問題を根本的に解決できなければ、学校選択費の問題も根本的にはなくならないでしょう。学校選択費は都市(に戸籍のある)児童の就学困難の問題ですし、移民児童が公立学校に入る場合に立ちはだかる超えがたい壁になっており、公平な教育機会を得られなくしています。