南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

初めて教壇に立った日

2006-10-20 01:51:26 | Weblog
私は今、学校で教えているわけではないのですが、教壇に立っ
たことはあります。教育実習で、母校の高校で二週間ほど授業
をしました。本当は、大学を卒業したら高校の教師になる予定
でしたが、いろいろ事情があり、教師にはならなかったのです。
愛知県の教員採用試験に通り、赴任校も決まる寸前でした。
もし、そのまま、教員になっていたら、今とは、全く違った
人生になっていたのでしょうね、きっと。

教室の前のほうの扉から中に入っていきます。学園ドラマの
ように、扉を開けようとすると黒板消しが落ちてくるというよ
うな古典的ないたずらはありませんでした。また、私が受けを
狙って、教壇にたどり着く前にこけるといいうギャグをするこ
ともありませんでした。あたり前のように私は教壇にたって
いました。見渡せば、40人くらいの高校生の目が私を見つめて
います。男女、半々くらいです。わー、緊張するなあ。

名簿を見ながら、点呼をとります。途中でふと気づくと、生徒
の中に、自分の実の弟がいるではあ~りませんか。母校だから
弟がいてもよいのですが、生徒の中に身内がいるというのは、
何ともやりにくいものであります。生徒達は、私達が兄弟だと
いうのは知っています。それでいて、他人のようなふりをして、
~君とか言って指名をすると、生徒の間から笑いが出てしまい
ます。と言ってわざと無視するわけにはいきません。冷や汗の
連続でしたが、何とかその授業は無事に終わりました。

弟のいるクラスは2度くらいしか担当しませんでしたが、いろ
いろなクラスで教えました。教えているうちに、教えることは
面白いなと思うようになっていました。金八先生のように、
人生に影響を与えるような教え方はとてもできませんでしたが、
教える立場にたってみると、自分の言うことに従ってくれると
いうことだけでも感動でした。「これから試験をします」と言
えば、「え~!」とか言いながらも、一応は試験に従います。
何か自分の思い通りにできるのですね。これは教えるほうの
快感があるんだなあと思いました。

自分は、大学時代に演劇をやっていたので、発声練習などは
よくやっていたので、教え方の重要な技術のいくつかに関して
は慣れていました。私の授業を見ていた校長先生は、そういう
部分をすごくほめてくれたので、ちょっと嬉しかったです。

二週間の教育実習はあっという間に過ぎていきました。二週間
はそれなりに、楽しくすごせたのですが、もし学校の先生にな
って、そのまま何年も、何十年もたった場合、その単調な繰り
返しにどのように打ち勝っていけるのだろうか、とふと不安に
なりました。最初は青春ドラマの教師のように、情熱を持って
いられるのでしょうが、それがどれだけ永続するものかを考え
ると、自分は教師にならなくてよかったのかなと思えます。

でも、今の年になってみると、高校とか、中学とかで教えてみ
たいなと思うことがあります。NHKで「ようこそ先輩」という
番組がありますが、ああいう勝手な授業をやって、若い生徒た
ちの未来に影響を与えたいなと思うこともあります。今だった
ら、画一的でないいろんな教え方ができるし、含蓄のある脱線
もできるのかなとも思います。

教育実習で初めて教壇にたった頃、私は22~3才でした。その
頃、まだ会ったこともない私の妻の下町娘はまだ
小学生。これってちょっと何か犯罪のように聞こえてしまいま
すね。失礼しましたー。