南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

競い合わないスポーツその2

2006-07-30 14:51:14 | シンガポール
数日前のブログでダイビングの話を書いたのですが、競い合
わなくていいスポーツとして、ローラーブレードがあります。
ローラーブレードというのは特定のブランド名なので、一般
的にはインラインスケートというのがポリティカリー・コレ
クトなのですが、一般的に普及しているローラーブレードと
いう名称を使わさせていただきます。

私はたまにシンガポールのイーストコーストパークでローラー
ブレードをしております。イーストコーストパークは、シン
ガポールの島の東南側の海岸沿いにある公園で、すみからすみ
までいけば10キロくらいの距離になります。

ここは、ジョギングや、サイクリング、ローラブレードなどの
スポーツ系の人も入れば、バーベキューやキャンプなどの人た
ちもいたり、散歩の人もいたり、みんなそれぞれ勝ってなこと
をして楽しんでいます。

数年前、ローラーブレードをしている人はまだ少数派でした。
西洋人が多く、ローカルでローラ-ブレードをやっている人は
少なかったです。それがここ数年でずいぶん増えました。
初心者の人も多いですけど。

シンガポールの人でローラ-ブレードをやっている人で一つ
注意したいことは、膝や手のプロテクターをしていない人が
多いということです。うまいとか下手とか関係なく、いざ転ん
だときにプロテクターがないと、コンクリートで必ず擦りむい
て怪我をしてしまいます。ヘルメットとか、エルボウは優先
順位が低いのですが、手のひらと、膝は重要です。私は必ず
これをしています。

ローラーブレードを始めたのは、ニューヨークに出張に行っ
たときでした。セントラルパークの近くのホテルに宿泊して
いた私は、休みのときにセントラルパークの中に散歩に行っ
てみました。以前は、セントラルパークは浮浪者とかがいて
とても怖いところだから行かないほうがいいと言われていま
した。でも行ってびっくり、危険な雰囲気は全くなく、平和
でみんながスポーツを楽しんでいるのを見て感激しました。

セントラルパークの中の道路は、車が通れないようになって
いて、自転車、馬車、ジョギング、そしてローラーブレード
の人たちがみんなそれぞれ勝手にがんばっていました。その
とき見たローラーブレードがすごくかっこ良く見えました。

私は早速、街のスポーツショップでローラーブレード社の靴
を買い、セントラルパークのすみでおそるおそる練習開始。
それから何回か出張の時にセントラルパークで滑ったのです
が、周囲をぐるっと回ると10キロ近い距離で、きつい上り坂
もあれば、下り坂もある、かなり厳しいコースでした。

何カ所か長い下り坂があるのですが、スキーのダウンヒルの
ようでどんどんスピードがついていって、かなりのスリルで
したが、逆に上り坂は、ジョギングの老人にどんどん追い抜
かれていくという情けなさを感じるのでした。

ローラーブレードというスポーツも、誰かと勝負するという
ものではありません。別に速く走るのがいいというのでも
ないし、特別な技をひけらかすものでもありません。自分と
しては、風のように移動していくというその爽快感を感じる
こと、それがローラーブレードが好きな理由です。

以前、下町娘がシンガポールに来たときに、私が
ローラーブレードで、彼女が自転車で競争をしたのですが、
私は自転車にも勝ってしまいました。下町娘によれば
それはレンタルの自転車が調子が悪くてスピードを出せな
かったと負け惜しみを言っていました。ここではつい競い
あってしまいましたが、私は競い合うことは基本的に嫌い
です。

私は今、K2というブランドの製品を使っています。これも
以前、ニューヨークに出張に行ったときに買いました。
タイヤはすぐにすり減るので何度か買い替えていますが、
だんだん固めのもので、直径も少し大きくしました。
柔らかいほうが安定するのですが、固いほうがスピードは
でます。また直径は小さいほうが小回りはできますが、
大きいほうがスピードはでます。

勝つためのスピードではなく、自分が風のように移動する
その爽快感のためであります。

ナショナルデーパレードのプレビュー

2006-07-29 19:31:39 | シンガポール
今日はナショナルデーのプレビュー(予行演習)です。予行演習
といっても、本番と全く同じことをやります。夕方、ジェット
戦闘機の編隊が飛んでいきました。写真の空にかすかに飛行機の
煙の後が残っています。これは家の窓から都心のほうを見た写真
ですが、遠方のビル群と家の間に、ナショナルデーパレ-ドの
プレビューが行われているナショナルスタジアムがあります。
写真の中でちょっと右手のほうに白く光っている部分があります
が、そのあたりがそうです。

さきほどテレビのニュースで、ナショナルスタジアムは取り壊し
が決まっているので、ここで行われるパレードは今年で最後とい
うことでした。ちょっとだけ、現場の様子が写ったのですが、
すごく感動的でした。これを書いているうちに花火が上がって
います。

さきほどテレビで、今年のテーマ曲のプロモビデオを流していま
した。今年の歌手はKaira Gongという新人歌手です。シンガポール
はなかなか新人歌手が出てこないのですが、今年選ばれたのはこの
25才のシンガポールの女性です。と言っても、誰も知らないのでは
と思いますが、ナショナルデーのウェブサイトの中に、彼女の写真
と、また歌の音源とビデオもダウンロードできるページがありまし
たので、ご紹介します。こちらです。

http://www.ndp.org.sg/index.php?id=107

私のパソコンでは、ビデオはダウンロードできなかったのですが、
音はダウンロードできました。英語版と中国語版(北京語)があり
ますが、すごく優しい感じの歌になっています。映像のほうは、
テレビで見たとき、何か素人っぽい感じだなと思ったのですが、
シンガポールのいろんな光景が出てくるのでおすすめです。

英語の歌は"My Island Home"というタイトルです。中国語のほうは
「幸福的図形」というタイトルです。中国語のタイトルは、これま
でもそうだったのですが、私の島という表現をあえて避けています。
これはおそらく台湾との関係だと思います。中国語で島というと
台湾のことにもなるので、中国政府を気兼ねするとちょっとあまり
台湾人の心情をサポートする歌にはしたくないというのではないで
しょうか。

今やシンガポールを代表する歌手となっているStephanie Sunもそう
だったのですが、Kaira Gongも音楽活動は台湾で行っていました。
シンガポールの音楽市場環境は劣悪なので、才能のある人は台湾や
香港でしか育てられません。北京語の歌は一旦ヒットしてしまうと、
中国、台湾、シンガポール、マレーシアの共通のヒットソングに
なってしまうので、シンガポールのナショナルデーのテーマのよう
に愛国的な歌は、政治的な配慮が必要になるのだと思います。

先ほど中国語の歌のほうも聞きましたが、これもすごく奇麗です。
英語の歌詞をちょっと、日本語に訳してみましょう。

ここは私のふるさと
私にとってのすべて
見るものすべてが
美しく輝いている

私の島のふるさと
たとえどこにいても
私は忘れはしない
島は私を忘れはしない

そして私は歌う
ふるさとの歌を
そこは平和の国
毎日夢が生まれる国
私のふるさと
たとえ私がどこにいようと
あなたはいつも私の一部

私の島のふるさと
私の家族のふるさと
私がたどりつきたい
私の未来

というような感じになります。HOMEと言うことばをとりあえず
「ふるさと」と訳してしまったのですが、これは「家」であり
「我が国」ともとれる言葉です。シンガポールに今住んでいる
も、シンガポールで生まれて今海外に住んでいる人も、また
外国で生まれてシンガポールに移民してきた人も、すべての人
にとってのHOMEということです。

人種がどうであろうとか関係なく、古くから住んでいようが、
新参者であろうが、シンガポールはすべての人にとっての平和
のふるさとであるとKaira Gongは歌っているかのようです。

さっき数えてみたら、今年のナショナルデーは、私にとってもう
10回めになります。10年一昔です。以前、"Seven Years in Tibet"
というブラッドピット主演の映画がありました。7年は長いよね
と思ったのですが、もう10年です。シンガポールはもう私の国
です。私のふるさとです。

東京で今日も働く下町娘さん、あなたも間もなくシンガポール
の住民になるのですよ。シンガポールの国歌も勉強しておかない
とね。

シンガポールの41歳の誕生日

2006-07-27 00:41:35 | シンガポール
8月の9日はシンガポールのナショナルデー(独立記念日)、
1965年の建国から41年を迎えます。ナショナルデーが近く
なると、街のあちこちで、この写真のような広告や、国旗
の飾り付けが至る所で見かけられます。

そう言えば、私の住んでいるアパートでも、去年、管理
事務所の人が国旗を配ってきました。窓のそとに飾るの
です。今年も飾らないといけないので、また探しておか
ないといけません。

シンガポールでは国旗に関しては何のアレルギーもありま
せん。これが日本との大きな違いです。日本の国だけが
過去の戦争の傷跡を克服できずに、国旗に関して必要以上
にうしろめたい思いを抱いてしまいます。

シンガポールでの国旗は、誇りであり、国を愛する気持ち
であり、社会生活を営む上での常識です。ナショナルデー
になると、「ハッピーバースデーシンガポール!」と言っ
て祝日を祝います。

今年は41回めのナショナルデーです。その41年前の1965年、
下町娘はまだ影も形もありませんでした。
私は小学校の4年生でした。その前の年に東京オリンピッ
がありました。総集編のフィルムを講堂で見て、感動した
ものです。世界にはいろんな国があるんだなと、一気に
目が世界に開けたものです。その頃まだシンガポールは
国として成立していなかったのですね。

この間、会社のスタッフが、ナショナルデーの切符があ
るので行きたければあげると言うのです。でも遠慮しまし
た。ナショナルデーの式典の切符は非常に人気で、なか
なか切符がとれないのだそうです。

8月9日が本番なのですが、その前に全く同じプログラム
でのプレビュー(予行演習)があります。数年前にお客
さんにプレビューの切符をもらって行ったことがありまし
た。

夕方前くらいから始まるのですが、コーラスあり、軍事
パレードあり、パラシュートでの降下あり、大統領入場
があり、首相挨拶があり、国歌斉唱があり、とてもとても
愛国的でありながら明るく楽しいものでした。

国民としての誓いの言葉みたいなのもあるのですが、みん
な立ち上がって、一言一言明瞭に発声しているのには
びっくりしてしまいました。

また毎年、ナショナルデーのテーマ曲みたいのを作り、
当日、はやりの歌手が会場で歌うのですが、これがな
かよいです。去年はいまいちでしたが、今年のは
どんなんでしょうか。

ではまた。

シンガポールで洗車

2006-07-25 00:50:29 | シンガポール
前任者から社用車(三菱のスペースワゴン)を譲り受けて一年
半の運転歴。日本では全く運転暦がないので、シンガポールで
のこの一年半が私の純粋な運転歴となります。

本当は、上の写真の洗車のことを書こうと思ったのですが、い
きなり脱線してシンガポールで取った免許のことを説明したい
と思います。

日本にいた間は、自動車免許を取る機会に恵まれませんでした。
車を運転してみたいという気持ちはあったのですが、学校に通
う時間がなく、ずるずると40を過ぎてしまいました。そうこう
しているうちにシンガポールで仕事をするようになっていました。

8~9年前に会社で初めての社用車を買いました。今私が運転
しているその車です。その時私は思いました。もし何かの時に
ちょっと車を動かそうにも、私はどうしようもできない。これ
はやばい。いざというときのために免許を取っておいたほうが
よいのではないか。それが、私が勇気を出してシンガポールの
自動車学校に行った理由です。

1998年の暮れの頃でありました。シンガポールのイオチュー
カンというところにある、セーフティー・ドライビング・ス
クールという学校でした。どういうシステムになっているのか
全然知らないまま、窓口を探し、登録をしました。

学科の授業を受け、学科試験、実技と、試行錯誤で進んでいき、
半年くらいで、最終試験を受けて、見事一発でパスしたのであ
ります。実技は土日の午前中で取ったので、また雨の日が全く
なかったので、ワイパーとヘッドライトの作動の仕方を知らな
いままに免許が取れてしまいました。

1999年の7月に免許をもらえたのですが、それから5年くらい
は全く車を運転する機会がありませんでした。だから一年半前
に自力で車を動かしたときは、ヒヤヒヤものでした。

車を運転しだしてから、ガソリンスタンドの利用の仕方なども
試行錯誤の連続だったのですが、一番困ったのは洗車でした。
前任者のいたコンドミニアムでは、業者のほうから洗わせてく
くれと寄ってくるということだったのですが、私が住んでいる
ところにはそういうのは全く見当たりませんでした。

日曜日にイーストコーストのフードコートの近くの駐車場に行
くと、学生の車洗いのボランティアがいました。車を洗って、
10ドル取られるのですが、それが寄付になるのだそうです。
二三人のグループで車を洗うのですが、しょせん学生のボラン
ティアなので、そんなに奇麗にはなりません。まあやらない
よりいいかなと、何度か学生ボランティアに洗車を依存して
いたのです。

ある時、もっと本格的な洗車ができるところはあないかと、
インターネットで探したら、いつも利用しているシェルの
ステーションで何カ所かマニュアル・カーウォッシュができ
るところがある。家から一番近いところは、シグラップの
ステーションにあるということがわかり、行ってみました。

それが、この上の写真の場所です。ガソリンスタンドに併設
されているのですが、20メートルくらいのトンネルがありま
す。ここを通過する間に、水をかけられ、洗剤を降りかけら
れ、スポンジで磨かれ、また水をかけられるというプロセス
が数人のワーカーによってなされていきます。だいたいが
インド人の労働者です。

トンネルの向こうを出ると、別の人間が濡れた車体を乾拭き
してくれます。見事な流れ作業です。車の工場で、車が作ら
ていく作業のように、車がテキパキと洗われていきます。
そして、最後に拭き終わると、8ドルを払って終わりです。

自分で洗う手間を考えたら8ドル(500~600円)は安いもの
です。しかも最近はこの洗車トンネルに入るのが楽しみに
なっています。これは明らかに娯楽設備ではないのですが、
ディズニーランドの何かのアトラクションをやっているのと
同じように(と言ってもも私はあまりディズニーランドを
詳しくしりませんが)、楽しい時間であります。

この間、東京から下町娘がシンガポールに来たとき、
この洗車に行きました。二人とも車に乗ったままです。まず
ホースで水をバシャバシャとかけられます。その後にまた別
のホースで洗剤を車全体に放射されます。フロントガラスが
一瞬雪の中に埋もれたように真っ白になります。二人だけの
世界です。しかし、それもつかの間。あっと
いう間に、スポンジで洗剤が拭き取られていくのです。
しばらくすると、バケツでバシャっと水をかけられたり
するのがびっくりして面白いです。

このところ晴れた日曜日には、洗車に行くのが日課になって
います。

からゆきさんのシンガポール

2006-07-23 21:57:36 | シンガポール
昨日、NHKの「世界の天気予報」でシンガポールは雨だと言って
いたのに、今日は雨は全く降らず、NHKの天気予報は見事に外れ
てしまいました。普段は、晴れと曇りと雨のマークが重なって
いるのですが、昨日に限って雨だと断言していました。でも、
これからも雨の降る気配はありません。NHKさん残念でした。

だいたいシンガポールで天気予報をやる意味はあまりないですよね。
台風も来なければ、寒冷前線や、梅雨前線が停滞することもない。
突然雨が降ってもおかしくないし、すぐに太陽が出てもおかしく
ありません。気温はだいたい同じです。日本では、集中豪雨で被害
が出たようですが、そういう心配はこちらではありません。

さて、この上の写真は、シンガポールのパルコの風景です。ショッ
ピングセンターのパルコです。三階建ての建物の並ぶ通路の上を
透明の屋根で覆い、この通路を挟んだ一帯がパルコになっています。
屋根があるので、この通りは雨でも全く問題がありません。

この写真はノースブリッジロード側からの入り口を入ってすぐの
あたりからの景色ですが、左側はインターコンチネンタル・ホテル
に通じています。右のほうに曲がっていくと、その先は西友です。
このまま直進すると、ビクトリアロードに出ます。パルコの中に
入っている店は、ファッションの店が多く、さらに飲食店も多い
ので、週末には若者で混雑しています。

このパルコの中の通りには、昔の道路標識が残っています。この
ノースブリジロードからビクトリアロードに真っすぐ繋がっている
のがマレーストリート、右のほうに曲がっていく通りがハイラム
ストリート、そして、マレーストリートをずっと行って、パスタ屋
さんのSketchesという店の手前を左手に曲がると、そこがマラバー
ストリートという通りになっています。

この三つの通りは今のシンガポールの地図には載っていません。
しかし、実はこの通りには、語り尽くせぬドラマがあったのです。
そんなことは、シンガポールでも知ってる人はほとんどおらず、
日本人でもほとんど知らないのではないかと思います。

山崎朋子さんという作家がいます。豊子さんではなく、朋子さん
です。代表作は『サンダカン八番娼館』という本です。ボルネオ
島(カリマンタン)の北のはずれのサンダカンという港町に娼婦
として売られていった日本人女性が、故郷の天草に戻った後、そ
の過去ゆえ村八分の扱いを受けている。山崎さんは、その女性を
訪ねていき、女性の過去を取材するという話です。数年前に読ん
だのですが、かわいそうな話で感動的でした。

その続編という形で山崎さんが書いたのが『サンダカンの墓』と
いう本です。この本は文春文庫で出ていたのですが、絶版となっ
ているようです。この本は、山崎さんが、サンダカンとか、他の
「からゆきさん」の足跡をたどって旅をする話となっています。

その中に、シンガポールの話が出てきます。大正時代から昭和の
戦争前の時期にかけて、シンガポールに遊郭があり、貧しさゆえ
日本の農村から売られていった「からゆきさん」がそこにもいた
ということでした。日本人たちはそこを「ステレツ」と呼んでい
たそうです。英語のストリートが訛っての「ステレツ」でした。

山崎さんが取材をしながらたどり着くのが、先ほど紹介した三つ
のステレツ(ハイラム、マレー、マラバー)だったのです。山崎
さんの本によれば、このステレツはチャイナタウンにあると書い
てありました。

数年前にこの本を読んだとき、この通りは今はどうなっているん
だろうと思って、チャイナタウンをぐるぐると探索しました。
しかし、そのような名前の通りを見つけることはできませんでし
た。区画整理されてしまったのかなと思って、会社にあった10年
以上前の地図を見てみました。何と、ハイラムとか、マラバーの
名前があるではありませんか。それはブギスであり、その一帯を
とりつぶしてパルコになったのだということがわかりました。

パルコに行ってみて、山崎朋子さんがかつて訪れた3つの通りが
ちゃんと通りのネームプレートまできちっと残っているではない
ですか。これには感激しました。またチャイナタウンや、インド
人街なども時代とともに場所を移っていたということもわかり
ました。

山崎さんがステレツの名残を求めて、苦労してこの三つの通りを
探しあてるのです。その時には、すでに娼館はなくなっていたの
ですが、朽ち果てた娼館の名残を見て、感慨にふけるのです。
しばらくこの通りを歩いた後、ここを去る前に、ふと立ち止まっ
てもういちどその悲しみの街の名残を眼に焼き付けるという表現
がその本の中に出てきます。具体的な表現は忘れてしまいました
が、それは映画のラストシーンのようであり、今でも記憶に強く
残っています。

私はたまたまこの本を読んだので、このような歴史を知っている
のですが、知らない人がほとんどではないかと思います。
私たちの今の繁栄は、過去の悲しみの歴史の上に築かれているん
だと思うと、のんきに浮かれてばかりもいられないのですよね。

パルコに来ると私はいつも複雑な気持ちになります。



競い合わないスポーツ

2006-07-18 03:27:43 | ビーチリゾート
上の写真は以前行ったマレーシアのパヤ島の海の中です。ランカ
ウィとペナンの中間にあって、いろんな魚がうじゃうじゃいる海
でした。クマノミや、ミノカサゴや、フグや、その他いろんな魚
がいるので、魚の勉強をするには非常によい海でした。

この写真は自分で撮影しました。ニコンのクールピクスの5200と
その水中ハウジングを使いました。水中でデジカメを使うのは
初めてだったのですが、びっくりしたのは、何枚でも好きなだけ
撮影できるということ(フィルムのカメラだと36枚が限度でした)、
水中でズームができること(潜るんですなどではズームなどでき
ませんでした)、そして撮影している画面がスクリーンで見やすい
こと(フィルムカメラでは水中ではファインダーは覗けません
でした)。

さらに、びっくりしたのは、コンピューターにダウンロードして
から一括で色補正ができたことです。水の中だと、全体的に色が
グリーンっぽくなっていました。水中だとこんなもんだろうなと
思っていたのですが、何と自動補正をしたら、色が鮮やかに!
これはデジタルならではのことでした。

今回、少し前の海の写真を持ってきた理由は、今日が海の日だか
ら?というわけではありません。今日、たまたま知り合いの人と
雑談をしていました。その人は格闘技が好きだと言いました。私
は格闘技はあまり好きではありませんでした。その人は、プロレ
スとか見ると面白いと言いました。私はそういう痛々しいのは
嫌いだと言いました。基本的に私は競い合うというのが嫌いだと
結論づけました。格闘技だけではなく、テニスでも、ゴルフでも
誰かを打ち負かすというのが実は嫌いなのです。自分が勝つため
に誰かが負ける、それがいやなのです。

そうなると、スポーツなんてできなくなってしまうんじゃないか
と心配になります。しかし、ありました。それが、ダイビングと
ローラーブレードです。ローラーブレードに関してはまたの機会
に譲るとして、ダイビングです。ダイビングは競いあう必要の
ないスポーツということに感動しました。

30才を過ぎてから日本の熱海のスクールでライセンスをとりまし
た。その時、インストラクターが言ったのが、「ダイビングは
競い合う必要がない」という言葉でした。人より速く泳ごうとか、
人より深く潜ろうとか、人より長く水の中にいようとか、人より
沢山の魚を見ようとか、そんなことがまるきり意味のない世界。
それがダイビングだったのです。

スポーツでありながら、その技術論で優劣をつけない。それが
気に入りました。ゴルフとかとは大違いです。ダイビングはある
程度の基本を身につければ、目指すところは「挑戦」ではなくて
その対局の「平和」とか「やすらぎ」です。自然と一体化する
こと、自分が魚になることみたいなことで、この感覚は競いあう
ということとは全く違うのです。

海の中で魚を見ていると、とても和みます。海の中を中性浮力で
漂っている感覚は、無重力の宇宙空間を漂っている感覚(を
経験したわけではありませんが)に似ています。海の底の地形
が急に深くなっているところに泳ぎだしていく感覚は、空を飛ん
いるかのような気持ちよさを感じることがあります。子供の頃
空を飛ぶ夢をよくみましたが、そんな感覚を感じることもあり
ます。

そんなこんなでダイビングを続けてキャリアとしては20年くら
いになりますが、全然潜らない年もありますので、トータル本数
は数十本に留まっています。一番多く潜ったのは、噴火する以前
の三宅島でした。会社の仲間でよく行ったものでした。

上級者向けのタイのシミランで潜ったこともありました。幻想的
な月夜のナイトダイビングをしたときは、夜光虫が星空のように
輝いてこの世のものとは思えない感じでした。

下町娘もいつかライセンスをとるんだと言って
いますが、なかなかチャンスがありません。以前行ったピピ島に
モスキートダイビングというショップがあり、そこにすごい小さ
な風呂おけのような教習用のプールがあって、下町娘
そこでライセンスをとるとか言っていたのですが、この間の津波
で、その一帯は激しい被害を受けました。悲しい出来事でした。

ここ一年以上ダイビングには行っていないので、いつかまた行け
るといいなと思っております。

アイスクリーム

2006-07-15 12:59:55 | シンガポール
シンガポールは年がら年中暑いので、街のあちこちにアイス
クリーム売りが出没します。売っているものは、同じなので
みんな同じネットワークに属しているのでしょうか。アイス
クリームを柔らかなパンにくるんだもの、ウエハースでアイ
スクリームを挟んだもの、あるいは普通のコーンに入れたも
のなどがあります。

また、客寄せの時に鐘をカランカランとならすのが特徴です。
日本でも昔はアイスクリーム売りが鐘をならしていましたが、
そういう昔の記憶を持っている人さえ少なくなりました。

上の写真は、オーチャード通りのパラゴン(ショッピング
センター)の前です。後ろの人だかりは、大道芸人が何か
パフォーマンスをしているのを見ているので、みんな後姿
です。暑い屋外では、アイスクリームがつい欲しくなるの
ですね。

今、NHKのニュースで、今日は日本の各地で猛暑だと言って
いました。37度にもなったところがあるそうですね。シンガ
ポールは暑いと言っても、そんなに暑くはありません。
だいたい30度から32度くらいでしょうか。また海も近いし、
緑も多いので、猛暑の日本よりも過ごしやすいのではないか
と思います。

うちの実家は愛知県の田原で駄菓子屋をやっていますので、
アイスクリームも売っています。今は電気の冷蔵庫にアイス
クリームを入れていますが、昔は電気ではありませんでした。
魔法瓶のような保冷機能の構造を持つ冷蔵庫でした。暑い夏
の間、どのようにして冷気を保っていたのかよくわかりません。

そういえば、うちではかき氷もやっていました。氷を貯蔵
する冷蔵庫は、もちろん電気冷蔵庫ではなく、クーラー
ボックスのような鉄製のものでした。氷は、なくなるとその
都度、近くの製氷所まで買いに行っておりました。
今では考えられないことですが。

歩いて数分のところに町工場がありました。夏には、3時に
なると大量のかき氷の注文がきました。30とか40とかの数で
す。それを5つづつ「おかもち」に入れて、小学生の私が
工場まで運んでいくのです。早く届けないと氷が解けてしま
うし、急ぎすぎると氷が崩れてしまうし、そのバランスが
難しいところでした。考えてみると、子供の頃から私はずい
ぶん働かされていたのですね。懐かしい思いでです。

アイスクリームと言えば、以前、下町娘とピピ島に
行ったとき、メインの船着き場から向こう側の湾に通じる
小道に小さなアイスクリーム屋さんがありました。そこで
アイスクリームを買って食べたのですが、この間の津波で
その一帯は、すべて壊滅してしまいました。一度しか行っ
たことのないアイスクリーム屋さんなんですけど、そうい
思い出の場所が一瞬にして消えてしまったのは悲しいこと
です。

アイスクリームよ、永遠に。

人生にはいくつものハードルがある

2006-07-11 00:15:54 | シンガポール
下町娘がまだ生まれたばかりの赤子の頃、私は中学校
でハードルをやっていました。別に陸上部とかではなくて、
学校の運動会でたまたまあてがわれた種目がハードルだった
だけです。当時の私は、跳躍力があり、バレーボール部の
顧問の先生(この人は体育と美術の先生を掛け持ちしていた
のですが)から、「君、バレーボールやらないか」と誘われ
ていたくらいです。でもそっちの道には進みませんでした。
バレーボールをやっていたら自分の人生は全然違う方向に
行っていたのかもしれません。

高校の一年のときに、たまたま体育の時間に、110メートル
のハイハードルのタイムレースをやるということになりまし
た。学年全員がそれをやることになりました。ハイハードル
はちょっと高いので、飛び越えるだけでも勇気がいるのです
が、そのときは、無我夢中で飛び越えました。何だか自分が
風になったかのような感覚で、ハードルを飛び越えていき
ました。

タイムを計っていた体育の先生が、「今のはスピードに乗っ
いたねえ」とほめていました。何と学年3位でした。上の二
人は陸上部の生徒でした。それは私の人生の中で、最高速度
のハードルの記録でした。今はとても走れません。

大学に入って、またまた体育の授業で、ハードルがありまし
た。時間を競うようなヘビーなものではなかったのですが、
私の走りっぷりを見て、体育の先生が、「非常にリズム感が
よい」というので、模範演技までさせられてしまいました。
体育の授業でハードルを走ったのはこれが人生で最後となり
ました。

社会人になってから、陸上のハードルを飛ぶという機会は
全くなくなってしまいましたが、別な意味でのハードルが
いっぱい出てきました。仕事だとか、いろんなところで
いろんなハードルを乗り越えないといけなくなり、一つ
一つクリアーしながら今に至っています。

シンガポールの会社の責任者となった今も、こんなの本当
に超えられるんだろうかというハードルを何とか超え、
本当に何とか、会社を潰さないで存続させています。
これは奇跡としかいいようのないことなのかもしれません。

最近、立ちはだかっているハードル、それは遠距離結婚と
いうハードルです。私は、去年の12月に下町娘と結婚
をして、今年の5月に東京で披露宴をして今に至っている
のですが、未だに一緒に生活できてはいません。結婚式とか、
披露宴とかの大イベントはきちっとクリアーしてきたのですが、
一緒に住むということがまだ現実のものとなっていません。

一緒に住んだら住んだで、また日常生活の中のハードルが
いくつも現れるのかもしれませんけれど、若い頃に覚えた
ハードルの技術をこういうところで活かしていければよいの
かなと思っております。

スポーツのハードルとは違うとおっしゃるかもしれませんが、
以前学んだ技術は何でも活用したくなってしまう貧乏性の
私であります。


南アフリカのリンゴ

2006-07-10 00:13:17 | シンガポール
以前はリンゴはやはり日本が一番と思っていたのですが、最近
は写真の南アフリカのリンゴを買っています。日本のリンゴに
比べてかなり安いのですが、食べてみて、なかなか美味しいと
思っています。

サイズは小ぶりです。見かけは、色彩的にはかなり不細工で、
つやもなく、鮮やかさもなく、ひとつひとつが勝手な色になっ
ていて、統一感がありません。これでは日本の農協では出荷さ
せてもらえないだろうなと思えるようなルックスです。

シンガポールには、日本のリンゴも入ってきますが、値段は
かなり高めです。安いのは、中国や、ニュージーランド、オー
ストラリアやフランスなどから入ってきます。南アフリカから
入ってきたリンゴは、遠路はるばる来たにもかかわらずかなり
安いような気がします。

大きさは片手でしっかり握れるほどよい大きさで、甘みもほど
よくあります。丸かじりするにはちょうどよい感じの大きさで、
海辺の公園に行くときはたまに持っていったりします。

南アフリカと言えば、4年後のワールドカップ。気の早い
サポーターの人は、南アフリカにはどうやって行くのか気にして
いる方も多いはず。南アフリカは、ドイツなどとは比べものに
ならないほど遠いです。それに旅費もかかります。南アフリカ
に行こうと思っている方は、今のうちから貯金することですね。

シンガポールからだと、南アフリカまで直行便で行けます。
ケープタウンまで12時間くらいかかりますけど。日本からは
直行便ではいけず、シンガポールか、クアラルンプール経由
あるいは、ヨーロッパ経由となりますが、アジア経由のほう
が距離は短いです。

ところで、ドイツでのワールドカップは間もなく終わりです
が、ドイツとポルトガルの3位決定戦、この試合で主審を
やっていたのは日本人の川上徹さんだったのですね。ワール
ドカップの決勝トーナメントに日本人の主審が出たのは初め
ての快挙だったのだそうです。

日本チームのほうは早々と敗退していったのですが、日本人
の審判がいたとはびっくりでした。川上主審のことをもっと
知ろうと思って、インターネットで調べたのですが、Yahoo!
の検索で「川上主審」に関する検索がここ数日で急激に増え
ているんですね。やっぱりみんな興味もっているんだ。

5月頃、NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられたよう
なのですが、私は見逃してしまったし、あまり詳しいことは
わかりませんでした。ワールドカップの写真を見ると、毅然
とした態度で世界の一流選手に対してイエローカードを出し
ている川上さんの姿がありました。国際的な檜舞台で活躍す
する日本人の姿を見るのは、勇気づけられますね。

ワールドカップの審判も年齢制限があるらしく(45才?)、
43才の川上徹さんにとっても最初で最後のワールドカップの
決勝トーナメントとなったようです。次の南アフリカでも
日本人審判が活躍することを祈っています。もちろん
サッカーの日本代表もがんばってもらわなければいけませんが。

その頃は私も55才か~。

ピンクの子豚ちゃん

2006-07-09 00:54:45 | シンガポール
先月、シンガポールのカールフールに買い物に行ったのですが、
その時たまたま通りかかった店にあったこのピンクの子豚の
ぬいぐるみを見たとき、これは絶対に買わないといけないと思い、
買ったものです。じつは下町娘はこういうのが好きなので
たぶん気にいってもらえるのじゃないかと思って買ったのです。

この間、下町娘がシンガポールに来たときにプレゼント
したのですが、めちゃめちゃ喜んでいました。日本に帰るときに、
持っていってもまたシンガポールに引っ越ししてこないといけな
いので(と言ってもまだ日程は未定ですが)、人質(豚質?)と
して置いておくというので、今うちのソファーのあたりに置いて
あります。’

このピンクの子豚は「癒し系」です。外で嫌な事があってもこの
子を見ると、そんなことを忘れてほっと和んでしまいます。悩み
もなく気持ち良さそうに眠っているこの子豚は本当に幸せそうで、
こいつがいるだけで周りの空気が和らぐというのは大変な効能です。

その人がいるだけで周りの人々を和ませたり、場が明るくなったり、
みんなが元気づけられたりする人というのはよくいます。そういう
人は好きです。逆に、緊張感や悲壮感を漂わせたり、場を暗くし
たり、エネルギーをブラックホールのように吸い取られそうな人
もいます。そういう人にはあまり近づきたくありません。

先週の『功名が辻』の中で、武田鉄矢演じる吉兵衛が、主人の
山内一豊に対して「上手(じょうず)の大将」という話をします。
大将というものは、その物の言い方や言葉使いによって部下を
死ぬ気で戦わせることができないといけない、それがリーダー
シップであり、それが成功のための原動力となるというのです。

「上手の大将」と言って思い出すのは、シェイクスピアの
『ヘンリー五世』というお芝居。ケネス・ブラナーが映画で演出
と主演をしたのがDVDにもなっている。原作を文字で読んでも
全然わからないのだが、ケネス・ブラナーの映画は非常によい。
圧倒的に戦力に劣るイギリス軍が、ヘンリー五世の言葉の力だけ
で全員が勇気を奮い起こされ、十人力の働きをし、フランス軍を
打ち破ってしまうという名場面があります。その演説が見事で、
これこそ「上手の大将」なんだなといつも思っていました。

私も会社の責任者となっていて、社員を何人も抱えていると、
自分も「上手の大将」とならなければいけないなあと感じること
がよくあります。大将が暗くなっていては、いけないのですね。
社員は大将のことをよく見ているのだと思います。多少のはった
りであったとしても、いつも元気で、希望に溢れていないと
いけないのです。そうしないと会社の業績がよくなりません。

なんてことまで、このピンクの子豚を見ながら思うのでした。
「上手の大将」を演じて疲れたときは、私が癒してあげる、
とそんなことまでこの子豚が言ってくれているような気もして
きます。

七夕の日に距離を超えて想いを伝える

2006-07-07 17:43:15 | シンガポール
この上の写真は、Coffee Clubという喫茶店のメニューのチョコ
レートフォンデューです。カットしたフルーツを、とろとろに
とけたチョコレートにからめて食べるというものですが、これが
実に美味でした。チョコレートはロウソクの炎で暖められていて
固まらないようになっています。フルーツのちょっとした酸っぱ
さと、チョコレートの甘さが絶妙にブレンドされて、何となく
青春の甘酸っぱさ(?)が体験できるような気がします。

これは一人で食べるのは、ちょっと勇気がいりますが、そのとき
たまたま下町娘がおりましたので、人目をはばかることなく
食すことができました。味のバランスとしては、バナナが一番
なじんでいるのですが、意外性はありません。意外性があった
のは、マンゴーでした。それだけで食べると、結構甘いマンゴー
ですが、チョコレートにからめると、わずかな酸っぱさが過度に
強調されて、泣きたくなるほどの危うさでした。

マンゴーとチョコレート、この組み合わせはこれまであまり経験
がなかったのですが、このとき初めて食べてみて、こういう意外
な組み合わせによって新しい味覚が誕生するんだな、などという
ことを後で思ってしまいました。色彩的に見ても、マンゴーの
オレンジ色っぽい黄色と、ダークなチョコレートの色の組み合わ
せは、すごく好きな組み合わせです。ドイツとかにはありそうな
色彩感覚ですね。

下町娘は、イチゴが好きのようでした。イチゴにチョコ
という組み合わせはよくあるパターンで、ある意味で定番ですけ
ど、それはそれでとても美味しいです。シンガポールに入って
くるフルーツは、日本なんかと比べて、ちょっと甘みが少ないと
いう気がいつもするのですが(とくにスイカ)、こうしてチョコ
にからめて食べると、むしろあまり甘くないほうがいいような
気もしてきます。


ところで今日は、七夕だったのですね。これはすっかり忘れてお
りました。シンガポールの街中は明るいので、天の川はあまり
認識できません。文明から離れた場所に行くともっと星が奇麗に
見えているので、これはシンガポールが文明化しすぎているとい
うことなのでしょう。

日本に行ってしまった下町娘が、お母さんと喧嘩をして
しまったということを言っておりました。私は喧嘩をしたくても
母はあの世に行ってしまったので、できません。でももともとあ
まり喧嘩とかはしなかったですね。七夕の日には、ひょっとして
あの世にいる人にも思いが通じるでしょうか?


母が他界したのは、ずいぶん前のことのように想えますが、まだ
4ヶ月くらい前のことなのですね。七夕の日には、家の裏に笹を
たてて、子供の頃、そこに短冊に何かを書いてつけたのを思いだ
しました。何を書いたのか忘れましたが、遠い記憶です。

おりひめと彦星は一年に一度しか会えませんが、今の時代の私た
ちは、電話や、メールや、ブログなどを通して、時間と思いを
共有することができます。ひょっとしたらブログというのは天の
川のようなものなのかもしれませんね。おびただしい数の情報が
星のように漂っている川を伝って、いろんな人が、距離を超え、
空間を超え、時間を超えて、つながりあうことができる。

ブログというのはそういうロマンチックなツールなのかもしれ
ません。

離ればなれになっている恋人たちの皆さん、想いが未だ届かない
片思いの皆さん、単身赴任の皆さん、旦那が長期出張で帰らない
奥様の皆さん、ビッグになるまで親元には帰らないと誓って都会
で頑張っているヤングの皆さん、いろんな悩みをかかえて生きて
いる皆さん、日本に帰れない事情を持った複雑な状況の皆さん、
七夕の日に、幸あれかしと祈っております。

あの~人は行って行ってしまった~

2006-07-05 22:50:20 | シンガポール
下町娘は日本に帰って行ってしまいました。
帰ってすぐにランチタイムからお店で働かされています。
強制労働です。かわいそうです。早くシンガポールに拉致して
あげたいところなのですが、なかなかそれもできません。

成田に着いたら、ちょうどフランクフルトからの便が到着して
いて、サッカーの小野とか、三都主とかと、あとお笑いの
ワッキーがいたと言っておりました。まあ、何という組み合わ
せなんでしょう。

ところで上の写真は、私がシンガポールで住んでいるコンド
ミニアムからの風景です。15階建ての15階で、東向きの窓の
外にはあまり高い建物がないので、見晴らしが抜群によいです。
向こうは東側で、朝日が真正面に上がってきます。ずっと向こう
のほうに背の高い建物が並んでいますが、その向こうは海です。
よく見ると水平線もちょっと見えます。

この写真の左側の方角にチャンギ空港があって、飛行機もよく
見えます。右手前はケンバンガンの駅です。駅もすぐそばなの
でとても便利です。が、買い物ができるような大きなスーパー
がないのが欠点です。チアーズというコンビにと、セブン
イレブンがあるのですけど。

ところで、先日発表された統計データで、外国人駐在員の生活費
の高さのランキングがありました。アメリカのマーサー・ヒュー
マン・リソース・コンサルティングが行った調査らしいのですが、
世界144都市の生活費のランキングで、シンガポールが昨年の34位
から17位にランクアップしたというのです。上に上がるのは値段
が高いということなので、よいことではありません。こちらに住ん
でいるとそんなに高いという気はしないのですけどね。

昨年は東京が一位だったのですが、今年は何とモスクワが一位となり、
以下、二位がソウル、三位が東京、四位が香港、五位がロンドン、
六位が大阪、七位がジュネーブ、八位がコペンハーゲン、九位が
チューリッヒ、十位がオスロとニューヨークというランキングだっ
たそうです。

モスクワは一昨年会議で行きましたが、外国人が生活するとなると
高いのでしょうか?寒いので光熱費はかかるし、冬は着込まないと
いけませんね。そういう部分はシンガポールではほとんどお金がか
からないので、もっと物価は下位になるんじゃないかと思うのです。

ソウルが一気に2位に浮上で東京を抜きましたね。東京は円安の
影響でランクが下がったということなのですが、東京のほうが高い
ような印象はありますけどね。

ちなみに下のほうにランクされているアジアの都市は、クアラルン
プールが114位、バンコクが127位、バンガロールが139位、
マニラが141位ということのようです。

ハノイ(32位)や、ホーチミン(37位)や、ジャカルタ(48位)
は中間的な感じですね。ムンバイは68位ですけど、ホテルの値段が
めちゃ高いのを思うともっとトップクラスに来てもよいような気も
するんですけど。

シンガポールは17位に上昇しましたが、でも節約しようと思えば限り
なく節約できる都市のようにも思えます。光熱費も、衣類は贅沢を
しなければかなり安くできますし、食事も安いものは安いです。
ちなみに昨日は、$1(約70円)のナシレマを食べました。これは
自分でもびっくりするほど安いなあと思ったものでした。

下町娘は、フレッシュジュースが日本に比べて
圧倒的に安いので喜んでいました。日本の駅やデパートにある
ジューススタンドだと何百円もするジュースが、こちらではその
何分の一かで飲めてしまいます。ちなみに下町娘のお気に入り
はハニーデューメロンのようです。

和服の左前右前問題に関して

2006-07-04 00:46:28 | シンガポール
シンガポールの星日報を見て、下町娘が、びっくりしたような
声をあげて、「大変、大変、この子たち日本人?」と言うの
です。何のことかと思って見ると、和食屋の広告で、浴衣を
着た女の子が二人写っているだけです。何が大変なのかと聞
くと、彼女らが着ている浴衣の着方がおかしいというのです。

私は女性の和服とか浴衣に関しては、全く知識がないので分
からなかったのですが、この上の写真の浴衣の着方は右と左
が逆で、これは死に装束の着方でとても縁起が悪い着方なん
だそうであります。シンガポールは、日本人は多くいるもの
のそういうことを注意してくれるような人があまりいないの
で、こういうことになってしまうのです。

下町娘に女性の着物の着方について指摘されたので、
いろいろ調べてみたら、余計に混乱してしまいました。着物
は女性も男性も「右前」が正式だと言うのです。右前?この
上の写真の女性は右前じゃないの?そしたら本当はこの着方
が正しいのでは?と謎が謎を呼び、どんどん調べたのでした。

そしたらわかったことは、「右前」とは、右側が前になると
いうことではなく、右側を先に(時間的に前に)着るという
ことで、実際は左側が前になるということだったのですね。
右手がすっとふところに入れられるというのが「右前」の
確認の仕方だというのです。

たまたまNHKの『功名が辻』で確認してみたら、千代さんも
一豊さんも、正式な着方をしています。まあ、いろんな人が
チェックしているNHKなら間違えるはずはありませんね。

右と左でこんがらがってしまうのですが、いずれにしても
この写真の着方は間違いということなのです。くわしくは
こちらのサイトをご覧ください。女性の場合は、洋服の
場合と和服の場合が異なるし、また「右前」とか「左前」
という言い方自体が誤解されるような言い方なので、余計
にこんがらがってしまうのですね。

ところで、今回、シンガポールに短期滞在している下町娘
は明日日本に帰ってしまうのですが、遊んでばかりいるの
ではなく、家の用事をけなげに一生懸命にやっていました。
いくつかのささやかなドジはありましたが、それは愛嬌で
す。

7月1日になって

2006-07-02 22:56:02 | シンガポール
ワールドカップ準々決勝で、イングランドがポルトガルに負け、
ブラジルがフランスに負けた。シンガポールの人たちは、最初
から自分の国は関係ないのだけれど、どっかの国をみんな勝手
に応援して盛り上がっている。先週、会社で、私がどこの国を
応援しているのかと現地社員に聞かれた。日本が負けてしまっ
た今となっては、ワールドカップの興味もあまりないのだが、
とっさに「ドイツ」と答えた。

ドイツは、アルゼンチンに勝って、ベスト4に残っている。
ひょっとして本当にドイツがという期待がだんだん強くなっ
ている。もしドイツが優勝したら、私の株が上がるという
ことになるので、それはそれで非常によいことであります。

じつは、この7月1日は私の誕生日でした。先週の金曜日、
突然、オフィスの電気が消えたかと思うと、社員がバースデー
ケーキを持ってきて、私の誕生日を祝ってくれました。まさか
そんな誕生日を覚えてくれているなどとは思ってもみなかった
のですが、まるでドラマか映画のようなサープライズでした。

チョコレート抹茶ケーキで、ろうそくが2本ついていました。
私が日本人だから「二本」というわけではないのでしょうが、
この歳になったらロウソクの本数はあまり意味がありません。
でもまあ、社員に誕生日を祝ってもらえるなんて、これは
ちょっと感動的なことでした。

先週の金曜日は、会社の会計年度の最終日でもありました。
社員にはわずかばかりのボーナスも出したりして、無事に一
年を終えることができたのです。

これまで50才だったのですが、51となってしまいました。
さっきテレビでプロゴルファーの中島常幸が51と言っていた
ので、あの人も同じ歳かと思ったのでした。

シンガポールにいて初めて、そして生まれて初めて、シンガ
ポールのナイトサファリに行きました。「まっすぐ」という
ことを「まっつぐ」と発音する下町娘が、ここは絶対
冥土の土産に(?)見ておくべきだと主張するので、一緒に
行ったのであります。

こんな素晴らしい場所を半世紀も知らなかったなんて!今
までなかなか行く機会がなかったのですが、誕生日のその日
ついに、下町娘の説得のおかげで、そこに行くことが
できたのです。

いろんな夜行性動物が森の中にいるのが見えました。巨大な
象も、サイも、カバも、シマウマも、アリクイも、フラミン
ゴも夜行性だというのはびっくりでした。日本語解説つきの
トラムで回ったのですが、バクのところでは「大和田バクが
手を振ってたらどうする?」というような変なこと言ったり、
巨大なネズミの一種のカピバラを見たとき「そんな大きかっ
たらネズミじゃねえだろ~」といちいち突っ込んで
いる下町娘でありました。

7月になったので(さらに一つ歳をとったので)、このブロ
グのデザインもちょっと変えてみました。フラッシュ動画の
テンプレートがあったので、それを使ってみました。内容的
にはあまり関連がないのですが、私はダイビングもちょっと
やるので全く関連がないわけではないのでいいかと思います。

最近、戦国時代ネタなどが少ないので、そちらも時折書かね
ばと思っております。そういえば今日の『功名が辻』で、
武田鉄矢さん演じる吉兵衛が死んでしまいました。泣けて
しまいました。今年の『功名が辻』の大石静さんの脚本、
人物の描き方がすごくいいですね。

それでは、これからの一年もさらによい年となることを祈っ
ております。会社もいろいろと大変なことが山積していて
どうなることやら不安も多いですけど、何とかがんばってい
きたいと思います。

皆様今後もよろしくご愛読のほどお願い申し上げます。