南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

雲の上のブラディ・マリー

2007-08-31 00:02:09 | Weblog
今、香港から成田へ向かう飛行機のなかでこれを書いています。
機内ではアップロードできないので、日本に着いてからアップ
ロードします。今回は久々にJALに乗ってみました。My Wife
言っていたように、キャビンアテンダントがかなりmaturedで
すね。別の日系の航空界社のほうが、若い感じがします。

私の座席の区域を担当したベテランのキャビンアテンダントさん
は、「御食事は、うな丼と中華風焼きそばがありますが、どうし
ますか?中華はもう食べ飽きましたよね?」とか言ったり、
うな丼をあまり食べなかったので「ほとんど召し上がってない
ようですけど、お下げしてよろしいですか」とか言うのです。
ちょっと一言多い。機内食を食べようが、残そうが、ほっといて
くれ~と言いたくなってしまいました。キャビンアテンダントに
そこまで干渉されたくはないものです。

と問題発言をしてしまったところで、何かフォローしないといけ
ないのですが、そういえば、この上の写真のブラディ・マリー、
美味しいですね。この間はキャセイで同じ飲み物を頼んだのです
が、なんか水っぽい感じで、あまり美味しくなかったと記憶して
います。

私は、飛行機に乗ると、昔はウォッカ・トニックをよく飲んで
いましたが、最近は、スコッチのロックか、ブラディ・マリー
です。ずーっと昔は、ドライ・シェリーを飲んでいたこともあり
ます。ビールを飲むときもありますけど。

ブラディ・マリーとは、ウォッカ・ベースのトマトジュースを
使ったカクテルなのですが、本格的なものになると、ウースター
ソースを入れたり、マドラーの代わりにセロリを使ったりします
ね。欧米では、二日酔いの朝に迎え酒として飲んだりするのだと
か。また、アメリカの禁酒法の時代、お酒に見えないお酒、酔え
るトマトジュースとして人気が広まったみたいですね。

さて、この「ブラディ・マリー」って、何かすごいネーミングで
すね。日本語に訳すと、「血だらけのマリー」。ちょっとこれは
思わず引いてしまいそうな名前ですね。何でこんな名前がついた
のか、想像力を掻き立てられてしまいますね。

実は、イギリスのエリザベス一世が即位する前の話しです。
日本がまだ織田信長がまだうつけものと言われていた頃だと思い
ます。間違っていたら許してください。その頃、イングランドに
女王メアリーという人がいました。彼女は、ヘンリー八世の娘な
のですが、奥さんのたくさんいた彼の子供の間で、王位継承の
いざこざがありました。

彼女は熱心なカトリック信者であったので、5年くらいの在位の
期間に、当時勢いを増して来ていたプロテスタントを大弾圧しま
す。300名くらいのプロテスタントの指導者を処刑したのだとか。
その恐ろしさゆえ、人々は彼女のことを「ブラッディ・メアリー」
と呼んで、恐れたのだとか。

同じ時代に、スコットランドの女王であったメアリー・スチュ
アートのほうが、「ブラッディ・メアリー」の元祖かと思って
いたのですが、これは私の誤解でした。このメアリー・スチュ
アートの話しは、以前NHKの特集で見た事がありますが、すごく
複雑なサスペンスで、おもしろかったです。虐殺と裏切りと
陰謀の渦巻く世界です。でも本当の「ブラディ・マリー」は
メアリー1世のほうだったのですね。メアリー1世の後は、
有名なエリザベス1世の治世となります。

時を超えて、「ブラディ・マリー」という名前が、カクテルの
名前として残ったわけですが、このカクテルを飲むと、いつも
16世紀のイギリスの複雑な歴史を連想してしまいます。
このカクテルのかすかなほろ苦さが、その複雑な時代を
象徴しているのでしょうか。

そんなことを考えながらブラディ・マリーをちびちび飲んで
いると、早く酔いが回ってしまいそうです。

香港の地名のダブルスタンダード

2007-08-30 03:01:50 | HONG KONG
私は香港では香港島のフォートレス・ヒルという地域に住んで
います。そごうなどがあるコーズウェイベイからMTR(地下鉄)
に乗って東のほうに二駅乗った駅が、フォートレス・ヒルで、
この上の写真がそのプラットフォームです。

家も会社も駅のそばなので、MTRを使って通勤するのですが、
スーパーで買い物をした後などは荷物もあるのでタクシーで
家に帰ります。タクシーに乗って、「Fortress Hill, Please」
と運転手に言うと、だいたいがわかりません。「それはどこだ?
そんな場所は香港にはない」みたいなことを言われます。
その都度、何でこんなに有名なところがわからないのかなあと
思うのですが、シティーガーデンホテルというフォートレス・
ヒルにあるホテルだとわかるのですね。

これは発音がどうのとかいう問題ではありません。「Fortress
Hill」とどんなにキレイに発音しても通じないのです。たとえ
あのウィッキーさんのように、下唇をしっかり上の歯でかんで、
「ルック、ルック、ルック、FFFortress Hill」と言っても
通じないと思います。残念ですが。

あまりにも通じないので、うちの会社の唯一のローカル社員の
Juneさんに聞いてみました。彼女はちょっとなまっていますが、
日本語ができます。

「この漢字はどのように発音するのか教えて?」と私は、紙に
書いた『炮台山』の文字を見せました。
「あ~、それはね、パオ・トイ・サンと読みます」と即座に
教えてくれました。何だか変な発音です。音程でいくと、最初
のパオがドレミファのファくらいの音で、何中のトイがミくらい
の音、そして最後のサンが再びファくらいの音です。小さな
女の子が、「やだモーン」という雰囲気に似ています。
これを大の大人が真面目に発音するのはかなり照れます。

「ぱおといさん」と私は恐る恐る真似てみました。
「そうそう、いいじゃん」とJuneさん。彼女の日本語はかなり
馴れ馴れしすぎる場合があります。
「もう一回言ってみい?」
なんだかかなりくだけた日本語です。これは上司に使うような
言葉ではないのですが、これはなかなか説明ができません。
まあ彼女のおかげで、何とか「パオトイサン」をマスターしま
したけど。

しばらくしてタクシーに乗る機会がありました。
「パオトイサン」とやや投げやりに言ってみました。
運転手は即座に「パオトイサン」と復唱します。
見事に通じるではありませんか。すごく嬉しくなりました。

それから何度か「パオトイサン」で問題なく通じています。
広東語は喋れないけれど、タクシーの運転手とはこれで
コミュニケーションが成立したので嬉しいです。

香港は、ワンチャイとか、チムシャーツイのような現地語系
の地名と、フォートレスヒルとか、アドミラルティのように
英語の表記と現地語の表記が全然違う地名があり、こういう
のはややこしいです。

まあ自分的に言えば、とりあえず「パオトイサン」がわかっ
ただけでもよしとしましょう。

インド人の数学的能力

2007-08-29 00:09:10 | インド

先日、シンガポールから香港に来る飛行機の中で、隣に座って
いたのはインド人の母と子供でした。母親は30代のようで、
子供は4才くらいの男の子でした。父親は一人でビジネスクラ
スに乗っているようで、時々奥さんと子供のところに来て、
何やら話しかけていました。

かなり金持ちのようで、奥さんは昔はかなりの美人であろうと
見えました。インドは世界的な美女を生み出していますが、
歳をとると美貌から遠のいていくスピードが早いように思え
ます。その女性も優雅な生活を手に入れて、年齢がかつての
美貌を着々と浸食してきつつあるという感じでした。

その母親は、見た事もないようなハイテクなPDAを持っていま
した。携帯電話のようにも見えましたが、化粧用のコンパクト
のようにも見えました。彼女はそれを開いて、何をするかと見
ていたら、何とゲームをしているのです。それも懐かしいゲーム
のテトリスです。人生の目的は達成して、もう後はたいしてやる
こともない、というような雰囲気で、ゲームを淡々とやってい
るのでした。

一方、子供のほうはと見ると、何と数学のドリルをやらされて
いるのです。明らかに小学校もあがっていないような小さな
男の子が、数学のドリルです。どんなのをやっているのか
ちょっと覗いたら、びっくりです。分数のかけ算です。
7分の2掛ける3分の1というような計算がずらっと並んで
いて、その男の子はそれを恐るべきスピードで解いているの
です。これはびっくりしました。

実は、自分でも解いてみようと思ったのですが、こんなの
授業で教わったことなかったよね?すぐにできない自分に
愕然となりました。分数の掛け算ってどことどこを掛ければ
いいんだろう、というかなり初歩的な疑問で悩んでしまい
ました。しかも掛けたあとで、4分の2だったら、2分の1
というふうに、こういうのって何ていうのか忘れたけど、
処理していかなければならないのです。

日本だったら小学校に上がって初めて九九を勉強するので
すが、インドの子供はこんなに小さなときから、こんなハイ
レベルの勉強をしているのです。全員がこういうのじゃない
のでしょうが、私は、完全にこの男の子の数学処理レベルに
降伏してしまいました。

男の子が、何ページか終えると、お母さんが、ゲームの手を
休めて、さっさと採点して、もっと続けろと指示をします。
日本の男の子だったらピカチュウがどうのこうのとか言って
いる年齢です。それがこの年齢にして、この数学レベルに
達しているインド人の子供は、将来恐るべきレベルのIT
エンジニアか、金融トレーダーになっているのでしょう。
これでは日本は絶対に勝てないなと思いました。

ふと男の子のドリルの片隅を見ると、なんとKUMONと書いて
あるではありませんか、そうあの公文式のKUMONです。
もちろん英語版のドリルなんですが、日本の会社がインド人
の英才教育を支えているというのはこれまたびっくり。
日本の会社もすごいなあと感心してしまいました。

日本に行って、本屋に行くと、『インド式計算ドリル』と
いうような本がいくつも並んでいるのにびっくりします。
インド人に負けないような計算能力を身につけようという
ような謳い文句で、計算を通して頭脳を活性化させようと
いう企画です。あの飛行機の中の子供を見る限り、インド人
にはどんなことがあっても勝てないだろうなと思います。

日本も昔は、珠算をやっていて、計算能力、暗算能力もすご
く高かったと思うのですが、今はかなり計算能力が落ちて
いるのでしょうね。私も計算や数学は苦手でした。私は
ソロバンも苦手でした。今の人たちにとってはソロバンって
死語なのかもしれませんね。

さて、上の写真は何だろうと、疑問に思っていた皆さん、
お待たせしました。これは4年くらい前にインドのジャイ
プールという町に行った時、訪問した、ジャンタルマンタル
という天体観測遺跡です。これは太陽や星の位置によって、
暦からその日の時間を十数秒単位で把握することができる
観測所なのです。しかもこれは現代のものではなくて、
日本がまだ江戸時代だった頃の18世紀にできたものだという
のでさらにびっくり。

天体観測オタクだったマハラジャが作らせたマニアックな
施設です。何の前知識もなくこの場所に行ったのですが、
見てびっくり、聞いてびっくりです。緻密なコンピュータの
ような観測設備がそんな昔にできていたなんて、すごいです。
しかも、これ巨大建造物なのです。例えば、この斜めに空に
向かっている階段の先には、正確に北極星が来るのだとか。
日時計だとか、星の位置を計測する仕掛けだとかいろいろ
ありました。天体観測クラブの人は、是非訪問するとよい
でしょう。とにかくすごいです。

インドは、掛け算が9X9までではなくて、二桁までできる、
99X99までできるという定説が広まっているようですが、
知り合いのインドのビジネスマンに聞いたら、とてもそこ
まではできないという話しでした。せいぜい12X12くらいまで
が普通のようです。

ゼロという抽象概念を世界で初めて発見したのはインド人、
ホットメールを作ったのもインド人。そういえば、シンガ
ポールの両替商もだいたいインド人でしたね。
インド人恐るべしです。

福神漬けは永遠に不滅です

2007-08-28 03:00:23 | 日本
今日、香港に来て始めて福神漬けを食べました。もちろんカレー
がメインなんですけど、福神漬けが食べたかったので、カレーに
したというのが正確なところです。

香港に来て、この週末に始めてご飯を炊きました。そして本日
初めてガスレンジを使いました。カレーはレトルトのカレーなの
ですが、中村屋のインドカリーのチキンをトライしてみました。
これはMy Wife が日本から持ってきてくれたものです。

ご飯は週末に炊いたものを冷凍してあったので、レンジであった
めました。お米も悪くないです。お皿に温めたご飯をのせ、そこ
にカレーをかけました。インドカリーというくらいなので、わり
と本格派の汁っぽいカレーです。これにたっぷりの福神漬けを
添えて食す。日本人でよかったと思うのはこの瞬間です。

インドカリーを食べて日本の味覚を堪能するというのも変な話し
ですが、カレーと福神漬けのこのマッチングは何と見事なので
しょう。今日私が食した福神漬けは、東海漬け物のカレー用の
福神漬けです。その福神漬けのかすかな甘みが、カレーの香辛料
の辛さと交わったきのその見事なハーモニー。これをケミストリー
というのでしょうか、素晴らしいマッチングです。

土曜日、シンガポールから香港に向かうシンガポール航空の機内
で映画の『バッテリー』を見たのですが、いいピッチャーには
いいキャッチャーが必用なように、カレーには福神漬けが必用な
のだなあとあらためて思った次第です。ところで、この『バッテ
リー』の映画を見て、不覚にも泣いてしまいました。そういえば、
私もよく弟とキャッチボールをやったなあ。

今日、安倍内閣が新たな組閣をしたニュースをやっていましたが、
安倍首相にとって、麻生太郎氏が福神漬けなのかな?ちょっと
比喩が変でしたか?そういえば、お腹の弱い安倍首相にとって
カレーライスは禁句でしたね。失礼しました。

私は、らっきょうも好きなのですが、カレーには福神漬けのほう
が合うと勝手に思っています。福神漬けには、昔からの真っ赤な
のと、カレー用の茶色いのの二種類ありますが、私はどちらも
好きです。真っ赤なやつは人工的な色彩で、身体に悪そうな気も
してしまうのですが、それでも私はそれが好きです。

福神漬けが最初に売りに出したのは、上野の漬け物屋の酒悦
(しゅえつ)だったようです。弁財天が近くにあったので、
福神漬けとネーミングされたとか。そういえば弁財天と言えば
オリジナルはインドのサラスバーティという女神。福神漬けは
その誕生の瞬間からインド伝来のカレーと密接な関係にあった
のですね。

カレーと福神漬けが運命的な出会いをするのは、大正時代の
日本郵船の欧州航路の一等船客用の食事。インドカレーには
マンゴチャツネとかを添えることが多いですが、チャツネの
かわりに福神漬けを添えたのだとか。当時の欧州航路は、
タイタニックの映画でもわかるように、豪華でエレガント。
そういう場所で福神漬けが国際デビューを果たしたというのは
不思議な感じです。

私が今日食したのは、元祖酒悦のものではなく、東海漬け物の
福神漬けでした。このブランドは『きゅうりのキューちゃん』で
有名なのですが、実は私の生まれ故郷にそのルーツがあります。
東海漬け物の会社は、今は豊橋にありますが、私の生まれ故郷の
田原に本社があったこともありました。今でも、国道沿いに
きゅうりのキューちゃんの工場があります。

子供の頃、東海漬け物の工場に見学に行ったことがありますが、
その当時はまだ漬け物は樽がメインでした。東海漬け物はきゅうり
のキューちゃんを小袋に入れて売るという画期的な方法で、その
商品が今でもロングセラー商品になっているということです。

シンガポールのスーパーでも、香港のスーパーでも、東海漬け物
の商品が当たり前のように売られていますが、私はきゅうりの
キューちゃんとか、福神漬けとかを見ると、グローバルに
がんばっているなと声をかけたくなります。なんか勇気づけられ
ます。

雪のない香港で『雪の華』を聴く

2007-08-26 16:19:28 | Weblog
昨日の土曜日の夕方香港に戻ってきましたが、今日の日曜日、朝から
中島美嘉の『雪の華』を繰り返し聴いています。このコンドミニアム
のオーナーは、かなりいい音響システムを備え付けてくれていました。
ONKYOの5.1チャンネルのシステムです。これまではミニコンポしか
持っていなかったので、今までとは格段の違いです。これで聴くと、
同じCDが全く違って聞こえます。音楽ってこんなに素晴らしいもの
だったのかとこの歳になってあらためて思っている今日この頃です。

中島美嘉(なかしま・みか)の『雪の華』を、今日あらためてかけ
ていますが、音の一つ一つのディテールが聞こえてきて、これは
普通のJポップではないと実感しました。素朴なピアノの音の伴奏
に合わせて、中島美嘉のつぶやくような、聞き手に迎合しない感じ
の透明な声が聞こえてくる。音楽の中に次第に、ベースが入り、
オーケストラが入りサビに向かって盛り上がっていく。
その盛り上がりとともに、切なさももりあがっていくという感じ
です。音楽のジャンルに関係なく、これはいい音楽だと思いました。

東京の下町に住んでいるMy Wifeが最近、「これは名曲だ
と言っていましたが、たしかに素晴らしいです。曲もいいですが、
彼女は特に歌詞の内容で感動しているようでした。
甘えとか弱さじゃない
ただ、キミを愛してる
心からそう思った

というところもよいですし、とくに後半の
誰かのために何かを
したいと思えるのが
愛ということを知った
もし、キミを失ったとしたなら
星になってキミを照らすだろう
笑顔も涙に濡れてる夜も
いつもいつでもそばにいるよ

というところなんかよいですね。

日本の歌は、女性が男性の気持を歌ったり、男性が女性の気持を
歌ったりすることがよくありますが、この歌も「ボク」が「キミ」
に対する気持が歌詞になっています。具体的な状況は明確ではあり
ませんが、「ボク」が「キミ」をどんなことがあっても愛し続けて
いくという気持は伝わってきます。

この曲が登場したのは2003年。すごくいい曲だったのに、へんな
コマーシャルに使われていましたね。何だったか忘れましたが、
観覧車の中で…こういうコマーシャルには使ってほしくなかったな
とその時思ったものでした。

私は、海外にいますので、中島美嘉というのもよく知りませんでし
た。モノマネはビデオでよく見ていたので、ある番組でコロッケ
さんがやった中島美嘉のモノマネを見て笑っていました。でもその
ときのコロッケさんのモノマネはちょっとすべっていましたが。

今日、ウェブを検索していたら、中島美嘉のオリジナルのプロモー
ションビデオの動画がありました。コロッケさんが真似をしていた
のはこれだったのかと今になって理解したのですが。(以前あった
動画がYouTubeの中になくなってしまっていました。すみません)

ついでに、いろいろ調べてみたら中国語バージョンというのもある
のもわかりました。中国の江蘇省出身の韓雪(ハン・シュエ)という
歌手が歌っています。日本のNHKのBS2でも登場したらしいですね。
動画があったので、こちらにご紹介します。この人、すごくキレイで
歌も上手です。
韓雪(ハン・シュエ)中国語バージョン
これはコンサートで真面目に歌っているバージョンでしたが、カラオ
ケ用に演技付きのバージョンもありました。原曲のイメージと全然違う
安っぽいドラマ仕立てがちょっと悲しくなってしまいます。
韓雪(ハン・シュエ)中国語KTVバージョン

この動画を見ておわかりいただけるように、日本のヒット曲が中国で
カバーされるというのはよくあるお話しですが、歌詞の内容はずいぶん
と変わっています。これは知らないほうがよかったかもしれませんが、
一応、知ってしまった者の責任としてご紹介いたしましょう。

憂鬱な空に雪が舞い飛んでいる
この伊豆温泉には孤独な私の思いだけ
舞い散る木の葉はあなたと私の結末のよう
ここにはかつて温もりに満ちた日々があった
かつてあなたは私の肩を抱き
永遠に愛するとささやいた
雪の花はまるで花火のように
ちらちらと散ってゆく
一瞬の間のこと
髪を乱す風しか残らないのはなぜ
それは記憶の傷口を広げてく
霜のようにゆっくり過去を蒸発させる
痛すぎて何も感じなくなればあきらめられるのに
涙が流れるままにさせて
かつて口づけされた頬をなでた
この時すべてが崩れ落ちた

私の春と夏を奪ったのはあなた
古い果実がなっているのも夢の中だけ
手に入らないものを求めてた
伊豆温泉の日々は天が与えた罰
結末を知っても私たちは愛し合うかしら
あなたの答えはわからない
雪の中の誓いは本物だったの?
なぜ何も残っていないの?
髪を乱す風しか残っていないのはなぜ
雪が記憶の傷を覆い隠す
過ぎた日は霜のように消えていく
痛すぎて何も感じなくなればあきらめられるのに
涙が流れるままにさせて
かつて口づけされた頬をなでた
霜玉のような凍った雪に手を伸ばす
その瞬間落ちる雪の花
愛の童話を覚えているよう

オリジナルの「雪の華」にあったあの美しい愛の姿はどこへやら、
中国語バージョンで歌われているのは、不倫だか何だかわかりま
せんが、男に捨てられる女の悲哀と男への恨み。これはかなり
暗い演歌です。しかも舞台設定がなぜか「伊豆の温泉」。

伊豆にも雪は降るでしょうが、どうして伊豆なのか、腑に落ち
ません。おそらく、東京で水商売で働いていた女性が、男と伊豆
の温泉に行ったのでしょう。あるいは温泉町で働いていた中国人
女性という設定なのかもしれません。いずれにしても悲しい別れ
です。「天城越え」とかの雰囲気です。演技つきのカラオケバー
ジョンの舞台は、伊豆の温泉と言っても西洋風の古いホテルです。
ここで何があったのでしょう、知りたくなってしまいます。

数ヶ月前に、My Wifeと香港に来たときに、ランカイフォンの
ホテルの狭い部屋で、テレビをつけたら、広東語バージョンの
「雪の華」(花無雪)をMTVのチャンネルでやっていました。
それは泳児(ビンシー)という香港の歌手でした。
動画はこちらです。
泳児(ビンシー)広東語KTVバージョン
演技つきのMTVバージョンもあります。
泳児(ビンシー)広東語MTVバージョン
この安っぽい不倫ドラマみたいなものの筋がよくわかりませんが、
なんかちょっとイメージダウンになってしまいそうで残念です。

この広東語の歌詞を見てみますと、やはりこちらも「伊豆温泉」
という歌詞が含まれています。伊豆じゃなくて、北海道にしたら
もっとヒットしたかもしれないのにと思ってしまいます。

韓雪(ハン・シュエ)も泳児(ビンシー)も歌自体は悪くなく、
また、中国北京語の響きも、広東語の響きもとても美しく、聞き
惚れてしまいます。原曲と比べてしまうと、どうしてもその意味
の変容に愕然としてしまうのですが、最初から現地語で聴けば、
これはこれで泣けるような悲恋の歌として聞こえるのでしょう。

まあ、いい歌は、国境を越えて広がっていきます。歌詞がこんな
にも変わっていくのは悲しいことではありますが、これは仕方の
ないことなんでしょうかね。

イギリスの国旗

2007-08-25 13:51:34 | Weblog
今、シンガポールの空港にいます。香港行きのシンガポール
エアラインの飛行機を待っているのですが、ラウンジでイン
ターネットにアクセスしています。

シンガポール滞在の五日間はあっという間に過ぎてしまいま
した。今日の土曜日は午前中は爽やかに晴れていました。
すでに住人でなくなった私から見ると、あらゆる景色が
懐かしい思い出として見えてしまいます。

ところで、この間、日本に帰って、My Wifeと新幹線で
豊橋から熱海に向かっている間になぜかイギリスの国旗の話し
になりました。ワールドカップのときにベッカムが持っていた
イギリスの旗は白地に赤のスイスのような模様だったのに、
普通イギリスというとユニオンジャックなのはどして、という
質問がMy Wifeから出ました。

私はこれは偶然、知っていました。自分が答えを知っている
ことを聞かれるのはとても気持がいいものです。「それはと
てもよい質問ですね」と言いたくなってしまいます。こんな
ことでも知っててよかったと思うのはこういう瞬間です。

これはたまたま知っていただけなのに、私がいろんなことを
よく知っていると思ってくれてしまいます。本当な知らない
ことのほうが山ほどあるんですけどね。でも最近、My Wife
はたまたま私が知っていることを尋ねてくれることがよく
あります。そういうときに私の株がちょっとだけ上がります。

さて、イギリスの国旗の話しですが、イギリスは正式名称は
グレートブリテン&北アイルランド連合王国といい、英語では
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、
それを省略して、United KingdomとかUKとか呼ばれています。

この名前が示すように、実は英国はいくつかの王国が連合して
できている国家なのです。上の地図をご覧になるとわかります
が、一番メインなのは『イングランド』。ロンドンとか、
マンチェスターとか、リバプールなどはみなイングランドに
あります。その左にある黄色い地域が『ウェールズ』。昔は
炭坑とかで有名でしたね。ラグビーとかでは有名です。
イングランドの上のほうにある青色の地域『スコットランド』
です。エジンバラとか、グラスゴーとかの都市があります。
スコッチウィスキーで有名です(スコッチとはもともとスコッ
トランドのという形容詞です)。

この三つの国を合わせて『グレートブリテン』と言います。
イギリスの歴史の中で、イングランドがウェールズやスコット
ランド、そして隣の島のアイルランドを併合していったのです
が、その結果としてできたのが「連合王国」です。

アイルランドは独立国家となり、今「連合王国」に残っている
のは北部の『北アイルランド』のみとなっています。

政治的には一つの国になっている英国ですが、ワールドカップ
などのスポーツイベントでは、イングランドや、スコットランド
などの昔の名前で参加します。詳しいことは知りませんが、
イギリスは歴史が複雑なのでそのようになっているようです。

さて、国旗のほうなんですが、イングランドの旗は白地に赤の
十字です。イングランドの守護神はセントジョージということ
で、これはセントジョージの旗と言われています。ワールド
カップの時にベッカムとかが持つのはこの旗です。

スコットランドの旗は、青地に白のバツ印。スコットランドの
守護神セントアンドリューズの旗と言われています。最初は
この二つを合わせた旗が、ユニオンフラッグとしてできた
みたいです。そして、アイルランドの旗は白地に赤のバツ印。
アイルランドはセントパトリックが守護神です。アイルランド
は緑色がイメージカラーなのですが、国旗はイングランドと
同じ赤と白なのですね。

イングランドとスコットランド、そしてアイルランドの三つ
の旗を合わせたのが現在の英国の国旗です。

ょっとまってよ、ウェールズはどうしちゃったのと思うで
しょうが、ウェールズは早くからイングランドに併合されて
しまったので、ウェールズの旗は考慮もされなかったみたい
です。ちょっと可哀想。

ウェールズは聞くところによると、昔、無理矢理侵略され
ちゃたみたいなんですけど、そのことでうしろめたい思いを
引きずっている英国は皇太子のことを『プリンス・オブ・
ウェールズ』と呼ぶことにしたのだとか。ちなみに、
ダイアナ妃は『プリンセス・オブ・ウェールズ』でした。

ウェールズは10年以上前に、カーディフという町に出張で行っ
たことがありました。その時、ウェールズ語の入門書を買った
のですが、ぜんぜんつかいませんでした。ウェールズ語って
英語とは全然違う言葉なのでびっくりした覚えがあります。

スコットランドはエジンバラに行ったことはあります。
エジンバラ城にも行きました。歴史を感じる都市でした。

ユニオンジャックというのは、船の舳先のことをジャックと
言い、そこに取り付けたユニオン(連合)の旗とうことで
ユニオンジャックと言われることになったのだそうですが。
一つの旗の中に複雑な歴史が内蔵されているのですね。

アイルランドの斜め赤の線が、ちょっとずれていたり、太さ
とか微妙に調整されていたりして、これこそ政治的なデザイン
ということができるのでしょう。

シンガポールも香港ももともとは英国の植民地だった国。
さて、これから香港に旅立ちます。ではまた。

負けるな!晋ちゃんまんじゅう

2007-08-24 01:45:15 | 日本
このまんじゅうの写真は、この間実家にお盆のお墓参りで帰省
したときに、一番下の弟が東京土産で持ってきたものです。彼
は国会の参議院に勤めているので、こういうものが簡単に入手
できるのです。と思っていたら、この商品、かなり話題になっ
ているみたいですね。面白いので思わず写真を撮ってしまいま
した。

いちおう私も広告代理店の人間なので、このパッケージデザイン
を解説したいと思いますが、安倍晋三首相はスーパーマンの姿
をなさっております。その右下に同じくスーパーマンの格好で
飛んでいるのは誰かとおもったら、「アッキー」こと彼の奥様
です。ここで夫婦の仲のよさが表現されております。

「晋ちゃんの底力だよ~!」や「再チャレンジ!」というコピー
といい、吹き出しの「改革を止めるな!」という台詞といい、
涙なくしては読めない語句ばかりです。国会議事堂の下のほう
に書いてある「よもぎまんじゅう(ほうれん草パワー入り)」
というコピーは泣けてしまいます。

ほうれん草と言えば「ポパイ」。子供の頃は、親に、ポパイ
みたいに強くなれるからほうれん草を食べるようにとよく言わ
れたのを思い出して、懐かしくなってしまいました。ポパイと
スーパーマン、どちらも懐かしいキャラクターです。安倍さん
も私もほぼ同世代なので、ポパイとスーパーマンはすんなりと
納得できてしまいます。でもこれは食材としては、よもぎだけ
でもよかったのでしょうが、おそらくポパイのイメージを出す
ために無理矢理ほうれんそうを入れたんだろうなあと推測する
と、その苦労にまた涙してしまいます。

小泉さんだったら、こういうスーパーマンの格好をするのも
似合っていたのでしょうが、安倍さんがこういう格好をする
のは多少の無理があります。本当はこんな格好したくなかった
のに周りの圧力でこういう格好をせざるをえなくなったという
ような悲壮感が漂っています。ちょっと可哀想になってしまい
ます。そこが狙いなのでしょうか?

昨日、シンガポールのテレビで「美しい国ニッポンに皆さん
来てください」と英語で語りかける安倍首相のコマーシャルを
見て、このまんじゅうのことを思い出しました。私はこれを
是非、成田や関空の免税店で売ってほしいと思いました。今、
インドやらクアラフンプールとかを訪問している安倍首相です
が、このまんじゅうを土産として持って行ったらよかったのに
と老婆心ながら(?)思ってしまいました。

しかし、この数日で、ニューデリーからコルカタ、そして
クアラルンプールと飛び回る安倍首相はスーパーマン以外の
何ものでもありません。私だったら耐えられませんし、My
Wifeに、そんな無理なスケジュールを組んではダメ
と怒られてしまいそうです。晋ちゃんもアッキーもこの漫画
のように本当のスーパーマン夫婦なのかもしれません。

先月、私はシンガポールの病院で大腸の内視鏡検査を受けた
(結果は全く問題なかった)のですが、病院の待ち合い
室にあった雑誌に安倍首相のことが出ていました。腸が
弱いので、みんながカレーを食べているのに一人だけハヤシ
ライスにしたという記事がでていました。大変だなあと
思ったのですが、今回のインド旅行。インドといえばカレー。
インドにはハヤシライスはありません。ひょっとして特別に
レトルトのハヤシライスを持っていったかもしれませんが、
腸の弱い安倍首相にとってインドは辛かったかもしれません。

うちの会社の人間もインドに出張するたびにお腹を壊して
しまうのが大半です。今度、まんじゅうではなくて、
『晋ちゃんハヤシライス』というのを是非発売してほしい
です。みんなハヤシをたべて頑張ろう!失礼しました。

3週間ぶりのシンガポール

2007-08-23 01:03:56 | シンガポール
3週間ぶりのシンガポールです。先月まではシンガポールの
住人だったのですが、今回は出張者としてシンガポールに来
ました。宿泊先はこの上の写真のホテル81。チャイナタウン
のど真ん中の交差点にあります。仕事の出張なのですが、
このロケーションはかなり観光客気分です。

この交差点の手前はチャイナタウンポイント。そして道路の
右側は中国物産で有名な裕華(ユーファ)。旧正月の頃は、
このあたりは華やかなイルミネーションで一番にぎやかに
なるところです。

ホテル81(www.hotel81.com.sg)は、シンガポールの格安
ホテルチェーンなのですが、このチャイナタウンの建物は
ちょっと奇麗。外から見ると、水色とホワイトの色使いが
まるでウェジウッドの飾り物のよう。ちょっとお洒落な雰
囲気です。

部屋は小さくて、表通りに面しているので、外の音がうるさい
ですが、町のどまんなかにいる感じで、こういうのも悪くない
です。異国の町のホテルに泊まっているという雰囲気がなか
なかよいです。

部屋の設備は、ちょっとゆったりめのベッドはこぎれいで
寝心地はいいし、テレビはシャープのAQUOS。バスルームは
シャワーしかないけれど、まあ実用的にはこれで困らない。
贅沢な雰囲気はないですが、なんか落ち着きます。

これは仕事の出張で泊まるようなホテルではないのですが、
何故このホテルにしたかと言うと、他のホテルがいっぱいで、
300ドル以上の部屋しか空いていなかったからです。日本円
にすると2万数千円ですが、シンガポールだと300ドルと
いったらすごく高い感じです。ちなみにこのホテルは130ドル
くらいでした。名前からすると81ドルで泊まれるのかという
気もするのですが、最近はシンガポールのホテルも高くなっ
ていているようですね。

日本に行くときはよく東横インに泊まるのですが、一万円
以下で泊まれて、設備もすごくいいなと思っています。あれ
くらいのホテルがシンガポールや香港にもあるといいなと
思っているのですが、なかなかないですね。

今の自分は、シンガポールでは異邦人。ついこの間まで、
この道路を自分で運転して走っていたのが信じられません。
自分がその国の住人であるのかどうかによって風景が違って
見えるというのは驚きです。

My Wifeもそんなことを言っていました。シンガポール
は観光客としてではなく、住人として居るのが一番いい。
たしかにそうなのかもしれません。

今日、久々にシンガポールの会社に出社してきました。8人
いる現地社員の人たちはみんな元気に仕事をしていました。
午前中は、インドの新聞社の人が訪問してきました。来客が
多いと活気がでます。香港の会社もそのようにしないといけ
ないなと思いました。

今、ホテルの部屋で、テレビを見ていたら、安倍首相がインド
を訪問したニュースをたびたびやっていて、またなんと、
安倍首相自らが出演して、日本のよさを英語で説明している
テレビコマーシャルをやっているではありませんか。
Yokoso Japanのロゴが出ていましたので、日本への観光客
誘致のためのビジット・ジャパンキャンペーンですね。

これをシンガポールの人が見たらどんな気持なんでしょうね。
一国の首相が、自ら自分の国は美しいので来てください、
と明るくアピールしているのは、なんだか牧歌的で呑気な
雰囲気がしてしまいます。安倍さん、そんなこと言ってる
場合ではないでしょう、と思わずつっこみを入れたくなって
しまいます。ではまた。

香港のじいさんは世界で一番元気?

2007-08-20 17:44:38 | HONG KONG
昨日たまたまウェブで調べものをしていたら、香港の男性の
平均寿命が、日本を超えたという事実を知りびっくりしました。
まさか、香港がそんなに長寿国だったなんて、想像だにして
おりませんでした。

国連人口基金(UNFPA)というところが、毎年、世界人口白書を
出しているようなのですが、2007年の6月に発表された白書に
よれば、男性の平均寿命の国別ランキングは以下のようでした。

第一位 アイスランド 79.5才

第ニ位 香港 79.2才

第三位 日本 79.1才

第四位 スウェーデン 78.6才

第五位 オーストラリア 78.4才

第六位 イスラエル 78.3才

第七位 スイス 78.2才

第八位 カナダ 78.1才

第九位 ノルウェー 77.7才

第十位 ニュージーランド 77.6才

(ちなみにシンガポールは11位の77.5才でした)

何となく観光的に透明感があって美しい国が並ぶ中、香港の
二位は意外です。これは男性のランキング。では女性はどう
なんでしょうか?こちらが女性のランキングです。

第一位 日本 86.3才

第ニ位 香港 85.1才

第三位 スペイン 83.7才

第四位 スイス 83.7才

第五位 イタリア 83.5才

第六位 フランス 83.4才

第七位 オーストラリア 83.4才

第八位 アイスランド 83.2才

第九位 カナダ 83.0才

第十位 スウェーデン 82.9才

さらに詳しく知りたい方はこちらをどうぞ↓
http://memorva.jp/ranking/unfpa/index.php

男女ともに香港の意外な健闘が光っています。イスラエルや
日本は別にして、なんとなく空気も奇麗で、平和でのどかな
国が並んでいるなか、香港がどうしてこんなに平均寿命が高い
のでしょうか?

医療水準の向上だとか言っても、香港の医療が世界的にそれほ
どずば抜けているわけではないのでしょう。空気も奇麗では
なく、美しい自然に恵まれているわけではなく、街を歩けば
ごみごみしていてストレスだらけのこの国がどうして長寿国
なのか疑問がどんどん湧いてきます。

ある記事によれば、調査会社が香港市民の価値観を調べたそう
なのです。10年前は41%しか重視していなかった「健康」が、
84%で首位の項目になったとか。この健康重視は、2003年の
SARSがきっかけになったのではと評論家は分析しています。

また別の調査で、香港のレイシ(霊芝)の販売量が10年間で
1183%も増えたというデータもあります。購入している人の
割合が最も高かった健康関連商品だったということです。
ひょっとして、香港の人々の長寿の秘密はレイシだったりして。
こんな発言をすると世界的にレイシがブームになってしまうかも。

また、日本食は健康に良いとされ、日本食への関心が香港では
非常に高くなっていますが、10年前には283軒しかなかった
和食レストランが、2005年には592軒に倍増していたそうです。

その他、豆乳とか、亀ゼリーとか、中国茶とか、身体によさそう
な物が町中に溢れています。こういうものなども長寿に繋がって
いるのでしょうか?

Wy Wifeは、私に100歳まで生きろという要望をことある
たびに言うのですが、香港が長寿国だというのはまさに奇遇です。
ファーストフード育ちの日本人よりも、お粥とかのヘルシーな
食事の香港人のほうが、やがてもっと長生きするという感じは
ありますが。

あと、香港に来て、老人が坂道をすたこら登っていくのを何度も
見るにつけ、香港は老人には大変な国だなと思ったのですが、
これがひょっとして健康に繋がっていたのかもしれません。

運動不足の自分は、坂道を登るとすぐに息切れしてぜーぜー
言ってしまうのですが、老人にとってはこれはすごくいい運動
になっていたのかもしれません。また、決して歩きやすくはない
香港の歩道は、注意力ととっさの瞬発力が必要です。こういう
環境にいると、ぼける暇がないかもしれません。

また、別のデータでは、香港の喫煙率が日本に比べてかなり低い
というのが出ていました。これも長寿の秘密かもしれません。
私はタバコは吸わないのですが、うちの会社の現地人社員の
Juneはたまに道路でタバコを吸っていますが...

香港にいる老人たちは、また精神的にも楽天的に生きているの
かもしれません。上海などでは、みんなやたら怒っていて、
ストレスだらけという感じがしますが、香港は意外とのんびり
しているのでしょう。娯楽は麻雀とか競馬くらいしかありま
せんが。

う~ん、香港って実はすごい国だったんですね。

アジアと日本のささやかで大きな違い

2007-08-20 01:48:16 | アジア
ファーストフードなどで、香港やシンガポールと日本で
大きく違うなと思うささやかな事があります。それは食後
に自分が使ったトレーや食器を自分で片付けるかどうかと
いうことです。日本では、ファーストフードやセルフサー
ビスのお店で飲食をした場合、自分が使ったものはゴミも
含めて自分で片付けるというのが常識となっています。
でも、香港やシンガポール(だけでなくアジアのほとんど
の国)では、自分が食べた食器はテーブルの上に置き去りに
します。

マクドナルドなどのファーストフードも、スターバックス
などのコーヒーショップも、フードコート(屋台街)など
もだいたいそうなのです。自分が使ったトレー、食器、
ゴミなど、みな平気でテーブルに置き去りにします。アジア
ではそれが常識なのです。別に、マナーが悪いとかいう問題
ではなくて、お店側できちっと片付ける人がいるのですね。
片付けをする専任の人たちがいるので、お客のほうは何の
良心の呵責もなく、彼らに後片付けを任せられるのです。

こういう環境で育ったアジアからの旅行者が日本に来た場合、
片付けずに去って行って顰蹙を買ったりすることもあるの
かもしれません。10年以上もシンガポールにいた私も、うっ
かりすると片付けずにテーブルを去ろうとして、はっと思う
時があります。こういう文化の違いに関しては、あまり指摘
されることもないので、知らず知らずのうちに摩擦を起こし
てしまうこともあるのかもしれません。

今日、成田から香港に戻ってきたのですが、成田の第二ター
ミナルの中にあるレストランに入りました。ここは注文は
カウンターでして、そこで支払います。生ビールとラーメン
を注文したのですが、生ビールはカウンターで受け取ります。
ラーメンのほうは後で届けるということで、電気的な機械を
もらいます。そこからシグナルが発せられているという感じ
で、かなりハイテクです。しばらくして店員がラーメンを
運んできます。

この上の写真のお店がそれです。ラーメンはまあまあの味で
したが、問題は、食器を自分で片付けるべきかどうかの判断
でした。店のシステムは、ファーストフードの流れです。
でも、ほとんどの料理は、店員がテーブルに運んできてくれ
るのです。普通の食堂とか、テーブルでオーダーを取るお店
では自分で片付けたりはしません。私はどうしようか迷って
しまいました。

しばらく観察をしていると、食べ終わって、自分でトレーを
持って片付けている人が何人か目につきました。でもトレー
を置く場所が明確にあるわけではなく、途中で店員が受け
取っていました。何人かが自分でトレーを運んでいました。
テーブルの上に食器を残したまま立ち去っていった人々も
いました。こういう場合、どのようにしたらよいのか、わけ
がわからなくなってしまいました。

食器を片付けるのは店員の仕事のようにも思えます。客が
自分で食器を片付けるという行為は、店員に楽をさせている
だけだというふうにも考えられます。さんざん悩んだあげく
私は食べ終わった食器をトレーに乗せて、持って行きました。
食器を置く場所はあるのですが、何となくそこはお客が立ち
いるべき場所ではないような雰囲気もしました。店員がそこ
にいて、トレーを受け取ってくれたので、それ以上悩む必要
はなかったのですが、もし誰もいなかったら、ちょっと困っ
たところでした。

シンガポールのフードコートとかで、食べ終わった食器を
持って、右往左往している日本人観光客を何度も見たことが
あります。フードコートでは食べ終わった食器は、テーブル
の上に置き去りにすると、片付けのおじさんやおばさんが
さっさと片付けてくれるのです。自分で注文したお店に持っ
ていこうとすると、迷惑がられます。食器を洗うところは
作るところとは別になっているのです。

あまり気づかない部分かもしれませんが、日本とアジアは
小さな部分でシステムの違いがあるのです。そういう部分を
知らないと、ちょっとした国際問題になってしまいますね。



日本のカヤトースト

2007-08-18 19:16:50 | シンガポール
今、東京の豊洲ららぽーとの中にあるインターネットカフェ
にいてアクセスしていますが、今日の画像は、以前シンガ
ポールで撮影したヤクンのカヤトーストの写真です。

この豊洲ララポートでは偶然、屋外スペースで、シンガポー
ルフェアをやっています。シンガポールの食事の屋台だとか
シンガポールを代表するビールであるタイガービールのブース
なんかもあるのですが、こういうところで見るシンガポールは
なんとなく違和感があります。

昨日ここに来たときには、PRイベントも行われていたのですが、
知っている人が一人もいないというのは寂しいものでした。
つい先日までシンガポールに住んでいたというのに、ここでは
まったくの部外者です。

ミニマーライオンの飾りのある屋外ステージではイベントが
行われていて、シンガポールからなんとかいうボーカルグループ
が来て歌うというのですが、そんなグループ、全然知りません
でした。シンガポールで有名な歌手といえば、ディック・リー。
彼にはインドで行われたイベントでピアノの弾き語りで歌うのを
見たことがありますが、インドでは全く無名で、ちょっとしらけ
た雰囲気だったのが残念です。彼はおそらく、日本では本国の
シンガポール以上に評価されています。

以前もご紹介しましたが、豊洲のららぽーとには、シンガポール
のヤクン・カヤトーストの日本一号店があります。というか日本
にほ店舗はまだ一つだけだと思いますが。

カヤトーストとは、ココナッツや何かからできたカヤジャムと
いう甘いジャムを塗ったトーストなのですが、ヤクンという
チェーン店はシンガポールだけでなく、近隣諸国でも急激に
店舗数を広げており、日本に進出した場所が豊洲だったのです。

My Wifeは、シンガポールの本場のものも、この豊洲の
ものも両方とも経験しているのですが、彼女によれば、やっぱり
本国のものにはかなわないということでした。私は豊洲のものは
食していませんが、シンガポールでは時々食べておりました。
せっかくのシンガポールのカヤトーストの思いでを、この豊洲で
崩されてもこまるので、食べないでいます。豊洲のお店には
申し訳ないですが、やはりカヤトーストはシンガポールで食べて
こそ意味があるような気がします。

明日の日曜日に香港に戻り、来週の火曜日にはシンガポールに行
きます。そこで本場のカヤトーストをまた食べようかな?

お盆の里帰り

2007-08-15 23:49:47 | 故郷
東京から新幹線のこだまに乗って、豊橋まで来ました。
この上の写真は、豊橋駅前のホテルの部屋からの景色です。
私の郷里は愛知県の田原市なので、最寄りの駅が豊橋と
いうころになります。

豊橋に着く前に東海道線の景色を見ていたのですが、
これまでに何度東海道沿線の景色を見てきたことでしょう。
大学で東京に出てきてから、年に5往復くらいはしている
ので、これまでに200回以上、東海道沿線の風景を見た
ことになります。

そういえば、小学生の頃、なぜか東海道53次を暗唱でき
るようになっていました。小学校の時の地図帳に東海道
53次の宿場が描いてあり、それを記憶したのです。「江戸、
品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、
小田原、箱根、三島、沼津...」という風に、最後の「京」
までの全部で53の地名。それを意味もなく暗記するという
ことで、それを自分の知的資産(?)にしていました。

東海道53次の宿場の「吉田」が今の豊橋です。ここは三河
の国。かの徳川家康も、織田信長も、みんなこのへんを
通っていきました。武田軍が、織田信長の鉄砲隊にやられ
た長篠の戦いの戦場は、豊橋からずっと山のほうの場所で
した。そういえば、今の大河ドラマの山本勘助もこの豊橋
の近くで生まれています。松平健さんとかもこの近くですね。

豊橋に着く前に、掛川を通ってきたのですが、掛川といえ
ば、去年の大河の山内一豊の領地だったところです。それ
まで近江長浜城の城主だったのですが、掛川5万一千石の
城主を命ぜられます。このときに妻の千代さんはどういう
気持だったのだろうかとふと思いました。馴染みのある
近江に比べれば、掛川は見知らぬど田舎。そんなところに
行くと言われた千代さんは複雑な気持だったのだろうなと
思います。さらに掛川から、さらに当時の僻地である土佐
への異動に関しては、さらに複雑な気持だったのでしょうね。
いくら出世のためとはいえ、どんどん未知の土地に移され
ていくのはとっても寂しい気持だったのでしょうね。

この町も戦争の時には空襲で一面の焼け野原になりました。
豊橋の隣町の豊川市には、海軍の軍需工場があったので、
そこも大空襲がありました。母親の実家は今は豊橋市に
なっていますが、田原市の近くの農家でした。空襲の時に
はそらが真っ赤に見えて、豊橋のほうから空襲で焼けださた
人たちが走ってきたとよく言っていました。今は、平和な
風景ですが、過去にはいろんなことがあったのですね。

たまに田舎に帰ってくると、今まで忘れていたことを思い
出したりします。時間の流れがぜんぜん違うので、今までの
生き方を反省させられたりもします。なんか精神的なバランス
を取り戻せるというようなそんな感じです。

香港のIDカード

2007-08-15 00:04:45 | HONG KONG
本日火曜日、香港IDの手続きのために入国管理局に
行ってきました。香港のビザの手続きは一応終了して
いるのですが、香港の住民であることを証明するカード
を作らなければならないのです。
これがまた一苦労でした。

IDカードの手続きのために入国管理局に行くのに予約
が必要なのです。一週間間に予約して、やっと牛頭角
という場所にある事務所で、11時半の予約が取れて
いました。もっと近場の事務所もあるのですが、そこは
15日までいっぱいというのです。私は14日の日本行き
の飛行機を取っていたので、牛頭角という未知の場所
での予約をしました。

そこは、数日前に行ったカオルン・ベイのそばでした。
うちの香港の会社の唯一の現地社員であるJuneが、
「駅から遠いのでタクシーで行った方がいいよ」と言っ
ていたので、牛頭角というへんてこりんな名前の駅を
降りて、タクシー乗り場を探そうと思って地図を見たら
その場所は結構近そうな感じ。これはタクシーに乗る
ような距離ではなく、歩いて5分もかかりませんでした。

女性は地図が読めないとよく言いますが、Juneの
方向感覚、地理感覚は全くあてになりません。
地元の人間だったらもっと知ってもよさそうなもの
なのですが、そのへんはあまり知らないようなのです。
始めての土地だったのですが、すぐにわかりました。
予約したときの案内には、その建物の「地下」と書い
てあったのですが。入国管理局(入境管理所)の
事務所は何と1階にありました。

それらしき入り口を入ると、人がいっぱい待っています。
窓口がいろいろとあります。どこに行ったらわからなかっ
たので、入り口付近にいる係の人に、予約の紙を見せ
て、どこに行ったらよいのかたずねました。

その係の女性は、受付と書かれている窓口を指差し、
そこに行けというのです。そこに行って、予約の紙と
パスポートを出したら、そこでは受付番号をくれただけ
でした。その前の待合所で待つようです。この上の写真
がその待ち合い所に取り付けられているモニター画面
です。左側のスクリーンに、受付番号が表示されて、
その横にブース番号が表示されます。つまり、自分の
番号が出たら、表示された番号のブースに行って手続
きが行われるのです。

その待合所には、10人から20人くらいが座って待って
います。フィリピンの女性が目につきます。メイドさん
(と言ってもメイドカフェのメイドではありませほとんどの人
が広東語はわからないと思われるのに、アナウンスは
全部広東語です。これはちょっとサービスが不十分。
アナウンスはせめて英語にすべきですよね。

さて自分の順番が来ました。ブースといっても、係員の
机がいくつか並んでいるだけです。そこにいる人は、
役場の事務員という感じでカジュアルな私服です。
私の担当は眼鏡をかけたおばさんでした。といっても
自分よりも若いのかもしれません。書類に関していろいろ
質問されて、その場で写真を撮られるました。ブースの
一つ一つに撮影用のカメラがセットされています。
あまり満足のいく写真はとれませんでしたが、仕方なく
OKを出しました。そして指紋です。両手の親指の指紋を
取られます。

これで終わりかなと思ったら、実はこのブースでの作業
は予備的なもので、そこからが本番でした。係員のおば
さんから、奥の待合室で待てとの指示。奥にはまた待ち
合い室があり、10人以上の人が待っています。まわりの
数個のブースには、いかにも係官という服装の人がいます。

またここで順番で呼び出されて、いろいろ質問されます。
係官は、受付受理の紙をプリントアウトして渡してくれま
した。カードの受け取りは28日以降になるのだそうです。
またこの牛頭角に来なければならないというのをその時
知らされました。

ここまでに要した時間は約45分。案内には平均90分
かかると出ていたので、半分の時間ですみました。それ
にしてもこういうのめんどうですね。おかげで、この後、
大急ぎで家に帰り、飛行場に向かう事になるのです。

今日から、土曜日まで日本です。

海外での引っ越し

2007-08-13 00:06:36 | Weblog
今日の日曜日も香港は雨。日本だと台風が通りすぎた後は
スカッと晴天になるのが普通ですが、この香港の台風は
ダラダラとフェイドアウトという感じです。おかげでこの
週末は外にも出られず(出ようと思えば出れたのですが)、
ずっと家で引きこもり状態でした。でも実は、Wy Wife
が持って来てくれた『24』のDVDをシーズン1から見てい
て、今はシーズン2の終わりのほうです。テロリストから
国を守るために活躍するジャック・バウアーを中心とした
ドラマなのですが、見出したらなかなか終えることができ
ないというところが問題です。

ところで、シンガポールから香港への引っ越しのことなの
ですが、引っ越しはいろんなことが関わってきて、いまだ
に完全に終了したとは言えない状況です。今日やっと、
ご飯を炊くための炊飯器とお米を購入してきました。でも、
炊事をする気力がなく、火曜日からはお盆で日本に行くの
で、炊飯器を箱から出して台所に置いただけです。

香港では、やっと数日前に個人の銀行口座が開設できまし
た。一つの銀行では、IDカードがないとダメだとか言われ
たので、シンガポール系のDBSに行ったら、IDカードがなく
ても居住を証明できればOKということで、無事開設できた
のです。香港のIDカードのほうですが、これは今度の火曜
日にやっと受け取ることができそうです。いろいろと
海外での引っ越しは面倒です。

さて上の写真ですが、シンガポールの会社を去るに際して
処分した書類の山です。これが全部ではなく、本当はこの
何倍もあるのですが、何年も見ない書類をずいぶん溜め
込んでいたものです。何年も見ない書類は、結局は役には
たたないものなのですが、あらためて見出すと、なかなか
捨てられなくなってしまいます。しかし、時間もないので、
思い切って捨てました。いらない書類は溜め込んではいけ
ないなとつくづく反省するのでした。

日本では、何度か住居を引っ越ししていて、その度に大量
の本や衣類を処分するのですが、そのたびに不要なものは
持たないほうがいいなと思うのであります。引っ越しの時
に本が一番重くてやっかいな品になります。引っ越しで
チェックすると全く読んでいない本なども多くあります。
最後まで読んだ本の比率は実はほんのわずかです。

香港VSシンガポール

2007-08-11 13:02:31 | アジア
香港は今日も雨です。そういえばシンガポールも雨が多いです
が、台風は全く来ないというのが大きな違いですね。香港も
シンガポールも、いろんな点で似ていますね。国際的な競争力
が高も世界のトップクラス。スイスと並んで、金融の中心地に
なっています。香港は1997年に中国に返還されてしまったので、
正式には独立国ではないですが、どちらも面積の狭い小さな
国です。

私がシンガポールに正式に駐在となったのは1997年の始め。
その年の7月に香港が中国に返還になりました。シンガポール
で仕事を始めてしばらくして、その年の後半に突如アジアを
襲った通貨危機。うちの会社は、タイやインドネシアの仕事も
していたので、通貨危機は結構な打撃となりました。しかし
アジアは、それを乗り越えて復興をしました。途中、サーズ
でアジア全域がダメージを受けましたが、今またアジアは
元気にがんばっています。

私は、シンガポールで10年間仕事をしてきて、今度は香港。
国際競争力の高い二つの国に滞在できて、両方を比較できる
というのはまれな機会です。香港のことは、まだ十分に
わからない部分も多いですが、シンガポールと比べて違う
部分をいくつか実感しています。ここでちょっと、私が
気づいた違いと類似点を整理してみたいと思います。

香港もシンガポールも小さな国です。香港の
ほうが面積的にも、人工規模的にも大きいですが、いずれ
しても小さな国です。どちらもその小ささと、資源のなさ
を逆手にとって、国際的にトップクラスの競争力を持つに
至りました。これはたいしたものです。

シンガポールには、天災がありません。地震も
なければ、台風もない。洪水もありません。唯一、落雷
くらいですね。香港も、地震はありませんが、台風はあり
ますね。日本に比べれば、地震とかない点が安心です。

シンガポールには、ほとんど山がありませんが、
香港は山だらけです。香港の家は駅の側なのですが、その
坂道を昇るだけで息は切れてしまいます。シンガポール
での運動不足が香港で解消されそうです。

シンガポールも、香港も、どちらも中華圏の国
ですが、シンガポールはマレー系やインド系が多く、
多国籍な感じですね。香港の場合は、基本的には中国人
の単一民族国家という感じ。フィリピン人とかは香港の
ほうがいっぱいいますけど。

シンガポールは、英語の国です。テレビとか、
ラジオとか、新聞とか中国語(北京語)のものも人気です
が、街で見かける看板もほとんど英語です。それに対して
香港は、広東語の世界。英語は、シンガポールよりも通じ
ないですね。上海や日本よりはましですが。テレビや新聞、
看板はほとんど中国語(繁体字)です。日常的に英語を
使っているシンガポールのほうが、英語は上手。ただし、
「シングリッシュ」のなまりがあり、文法も適当ですが。

どちらの国も日本料理は人気で、日本の食材は
簡単に手に入りますが、日本に近い香港のほうが日本の
食材の豊富さには分があります。シンガポールは、カレー
などのレトルト食品も肉の使用が制約がありますが、香港
は問題なく輸入できていますね。日本食材に関しては香港
のほうが上です。

シンガポールのほうが安全な感じはあります。
香港はマフィアやスリがいるという雰囲気はあります。
しかしそんなに危ないという感じはしません。
まあ、日本のほうが危険なのかもしれませんが。

シンガポールには四季はありませんが、香港に
は若干の季節はあります。シンガポールは年がら年中
同じ服装で通せますが、香港では上着を着る頻度が高い
です。シンガポールではほとんど上着を着ることがあり
ませんでした。

シンガポールはほとんどどこにでも、エスカレー
ターがあり、自分で階段を上り下りするということは
ほとんどありませんが、香港では階段もいっぱいあります。
香港は運動になりますね。

香港の人々もシンガポールの人々も大半は高層
アパートに住んでいます。私もシンガポールでは15階建て
の15階に住んでいましたが、今は50階建ての26階に住んで
います。平均的に香港のほうがビルの高さは高いですね。
高所恐怖症の人は香港はNGです。

ビジネス的に言えば、香港は中国という巨大市場
の窓口、シンガポールはインドという巨大市場の窓口とい
うことができます。その両方を押さえれば、これはすごい
ことになります。

シンガポールは安全ですが、文化的には面白み
がなく、刺激に乏しいと聞いています。香港は、映画産業
があり、音楽産業も元気です。中国大陸向けには、北京語
で歌える台湾の歌手り利があり、中国では台湾歌手が人気
です。シンガポール出身の歌手はあまりいませんが、最近
では、ステファニー・スン(孫燕姿)が中国でもかなり
ヒットしています。

香港もシンガポールも、金融、海運、ロジス
ティックス、観光、ショッピングなどの産業が基盤と
なっています。どれも実態があるようでない、現代的な
ビジネスですが、最先端の場所とはこういうところなの
かもしれませんね。

まだまだ、類似点、相違点はあると思うのですが、また
思いついたら、書きたいと思います。ちょっと前に
シンガポールで、取引先の人たちと食事をしながら話し
たときに、どちらに最初に駐在したかによって、シンガ
ポールが好きなシンガポール派の人と、香港が好きな
香港派の人に別れると言っている人がいました。ちなみ
にその人は、香港に7年住み、シンガポールに来た後、
今インドなのですが、香港派だと言っていました。別の
人は、ロンドンにいてからシンガポールに来たのですが、
その人はシンガポール派だと言っていました。
My Wifeも今のところシンガポール派です。